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石原莞爾関係の掲示板

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■--TVドキュメンタリー作成取材について
++ 歌川博男 (幼稚園生)…1回          

石原莞爾平和思想研究会の皆様へ

件名のことがありましたのでお知らせいたします。
10日、鶴岡図書館内郷土資料館にて通訳の鈴木卓氏を介して取材が行われました。
取材側は、当地取材3度目になるブルーノ・ビロリ氏と英人の映像監督、ポール・ジェンキンス氏の2名
当地のサポートとして前田勝氏、通訳(ビロリ氏側が依頼)の鈴木卓氏、歌川の3名。
午前中は今後の進め方・取材側の要望などの打合せで次のことが確認された。
@全ての動画映像を東京の専門業者に持ち込みハイビジョン映像に移しかえること
A傍証資料として当時の山形の風景風俗など動画映像を捜したいこと(NHKなどに当たる)
B写真をコピー(スキャナ)すること  @Bについては資料館側の了解が得られた。

制作の視点あるいはねらいを確認したところ、満州事変を含めた当時の中心にいた石原莞爾という
人物像を掘り下げたい。ということであった。お二人からは好意的な目で石原を理解しようという態度が伝わってきました。

今日午後から明日午前にかけて写真のコピーを行う。
動画映像については事前の準備、調整を行い後日とりかかることになった。
                       
                                  石原莞爾顕彰会 歌川博男
.. 2010年11月11日 17:04   No.230001

++ 島田守康 (幼稚園生)…1回       
石原莞爾将軍の取材のために来日したフランス人記者ビロリさん(本年3回目の来日)と、イギリス人のカメラマン・ジェンキンスさん(10年余年ぶりに2度目の来日)、それに同時通訳のためにパリから来た金子菜生(なお)さんとの懇親会を渋谷の居酒屋で開きました。石研からの出席者は私のほかに、事務長の山崎八九生、副会長の仲條拓、TVプロデューサーの永堀 徹さんの各氏で、ともかく、会話の内容を忘れるほど楽しい会合でした。

土曜日には、われわれ二人は取材の現場に立ち会うことになっていますが、外国人が石原将軍や日本の歴史に関心を抱いてくれることは、とても嬉しいことです。むしろ、私たちが彼らに「負けている」と感じるほどです。映像はプレゼントしてくれるということなので、完成内容が楽しみです。

.. 2010年11月12日 06:51   No.230002

■--この国のカタチ−核密約と原爆調査
++ 山崎久隆 (中学生)…45回          

故笹本征男さんの大きな業績『米軍占領下の原爆調査―
原爆加害国になった日本』の出版

 3月20日、一人の市井の研究者がひっそりと亡くなった。在韓被爆者問題市民会議の代表で占領史研究家の笹本征男(ゆくお)さん。享年65才。1995年に発表された『米軍占領下の原爆調査―原爆加害国になった日本』が代表作。
 実は私は、この本で核兵器と日本との、これまでに持っていた何とも言えない気持ちの悪い感覚と、見えない日本の姿を一気に見通すことが出来たと感じた。
 主題は「日本が如何にして、敗戦直後の混乱期から経済大国に至るまで一貫して米国のためにヒロシマ・ナガサキでの核兵器の影響を調べ、そのデータを引き渡していたか」。その調査である。
 戦争において「日本は唯一の被爆国」であるかもしれないが、一方では米国による核の傘の下で日米同盟を戦後65年も続けてきた準核武装国でもある。非核三原則を国是とし、核廃絶を国連の場で主張しながら、自らは秘密裏に核武装計画を研究し、日米安保交渉では核の傘を要求し、あまつさえ米国の核兵器を事実上自由通過させることを認める「核密約」を冷戦終結後に至るまで何十年も維持してきた。
 言うなれば「本質の見えない」「不気味な」「得体の知れない」国家像だ。
 その根幹にあったのが、笹本氏が終世をかけて世に出した「原爆被爆者調査」の実態だった。

被爆者の命を売り渡してきた日本政府

 「原子爆弾災害調査研究特別委員会」なる、当時の自然科学分野を総動員し、ほとんどの省庁を横断する大規模な組織を、無条件降伏わずか一ヶ月の9月14日に設立する。これを戦後の混乱期に立ち上げた日本政府は、しかし被爆者治療のためにこの組織を作ったわけではなかった。
 「日本が独占状態にあった原爆被害のデータを加害国米国に送った。」日本政府がしたことはこれだった。国には被爆者の援護という視点さえなかった。ちなみに最初に被爆者援護のために作った法律は原爆投下から12年も後(講和条約からも5年もたっていることに注意)の1957年の「原爆医療法」制定である。
 在外被爆者特に当時日本に暮らしていた韓国(朝鮮)人に対する援護に至っては、時代が平成になり20年もたった昨年2009年12月まで行われていなかった。
 厚生労働省のHPには「被爆者援護施策の歴史」というページがあり、その年表の説明は「被爆者援護施策は、昭和32年の原爆医療法制定以来、数十回にわたる法令の改正を重ね、被爆者援護の拡大・拡充を繰り返し、現在のような保健、医療、福祉にわたる総合的な援護制度となりました。」と書かれている。如何に不十分な援護体制だったかの証明に他ならない。拡充を繰り返さなければならないほど、貧弱で差別的な制度であったため、各地で被爆者の援護を求める法制定運動など、被爆者団体を中心にした運動が繰り広げられ、訴訟も提起され、そして最近は司法の場でも無残な連敗を重ねてきた結果として、何度も法を改正し、あるいは立法し「拡充」せざるを得なかったというのが実態である。
 この間、日本は世界第2位の経済大国にもなり、米国の核の傘の下で世界でもトップクラスの軍事力を整備し、核武装も可能な技術力を蓄積している。金満国家の貧しい戦後補償と揶揄される姿が、しかし笹本氏には別のカタチに見えていたに違いない。
.. 2010年09月30日 06:13   No.226001

++ 山崎久隆 (中学生)…46回       
この国のカタチ−日米核密約

 米ソ冷戦構造の中でアジアでの権益を拡大するためにソ連には「米空軍の不沈空母」として牽制し、中国には「核武装」をちらつかせて圧力をかけていた日本。
 その米国が中東で足を取られているさなかの1999年9月30日、東海村で臨界事故が起きる。超小型の中性子爆弾が炸裂したかの事件に対し、日本政府は何をし、何をしなかったのか。日米密約の中で得体の知れない不気味さを感じざるを得ない。
 「核密約」とは表に出ている米国の核兵器を含む軍事力を裏で支えるために必要だった。核弾頭をお互いに見せ合いながら核抑止戦略を「仲良く」追求していたヨーロッパと異なり、中国とインドという不確定要素を抱えるアジアでは、核
兵器は「見せない」抑止戦略をとっていた。その立役者が日本だった。
 核密約とは、日本が隠れ蓑になって米軍の戦術核をフリーに展開させるという意味を持っていた。間違っても日本防衛のためなどではない。これに対抗して、密かに中ソはそれぞれ独自にいくつかの在日米軍基地を先制核攻撃する準備を整えていたと見るのが自然だ。

つまり「米国との核密約」こそが日本を戦争に引きずりこむ道具立てだったのだ

 米国が核の先制使用をしないと盟約でもすれば別だろうが、現実には先制攻撃体制を一時代は取っていた。
 被爆者の命を売り渡してきた日本政府だから、その後の核密約はいわばアジアの盟主としての地位を核密約で買ったということだろう。
 それを「単なる歴史上の出来事」とか「昔の話」などと軽視することこそ、未来を誤ることになる。中には「評価」するものもあるようだが、非核三原則を掲げながら日本の内外を自由に戦術核が動き回ることを許したことを評価するなど、
「卑劣な国家でけっこう」といっているに等しい暴論だ。憲法前文の精神は改憲前に既に日本自らが踏みにじっていたことを認めなければならない。
 核密約の精算はまず核の傘からの脱却しかない。次に非核証明無き軍隊を日本に入れないと宣言することだ。せめてニュージーランド並みに非核に熱心な政策をとらない限り、今さらの核廃絶決議で如何に多くの国の賛同を得たとしても、何の前進にもならない。
 笹本氏が調べ上げた日本の被爆調査は、もう一つの「核密約」でもあった。それが明るみに出たというのに反応はほぼ皆無だったということ自体、政府外務省を含む日本の対米従属は深刻な病理となっていることを物語る証拠なのである。
 笹本征男さんの大きな仕事に感謝し、冥福をお祈りします。

.. 2010年09月30日 08:17   No.226002
++ 山崎久隆 (中学生)…47回       
広瀬隆さんの新刊発売

 『原子炉時限爆弾−大地震におびえる日本列島』が8月26日に発売された。
 これまで浜岡原発を始め、日本各地の原発や再処理工場などの原子力施設周辺や直下がどのように危険かを、個別に読み、聞いてきたが、北から南まで総合的に問題点を、特に地震や火山活動あるいは地質(ひとまとめでいうならば地殻変動)と関連づけてまとめられたものとして、そして最新の情報を集めた、いまの全貌を知るには格好の書と言える。
 時間とともにマスメディアの話題にも上らなくなり、いまでは原子力と地殻変動のことは語られなくなりつつある。しかし危険が去ったどころか日々、危険は増している。特に東海地震あるいは東海、東南海、南海の連動地震に襲われる可能性が高まっている浜岡原発の危険性はまさしく「忘れたころにやってくる」だろう。
 浜岡にとどまらない。日本各地の原子力施設が置かれた危険性を、本書は網羅的に見せてくれる。しかしこの本の真価は情報価値だけではない。
 こんなでたらめなことがまかり通った理由、専門家たちが最近まで生越さんなど一部の人を除けばほとんど指摘さえしなかったわけ、そして私たちに伝えられなかった原因と、掘り下げられてゆく。
 1990年代初め、『危険な話』に始まる原子力三部作を世に問うた広瀬さんは、事実上原発の出力調整実験を止めることに貢献した。
 いま、19年ぶりに世に問うた新刊は、原発震災を止めるために人々を動かすことに貢献をするだろう。いや、そうならなければ本書のように「時限爆弾」が炸裂し、日本が消えることになる。それも何百年先の話ではない。

 『原子炉時限爆弾−大地震におびえる日本列島』
       四六判ソフトカバー/308頁/定価1575円(税込み)
  発行:ダイヤモンド社

.. 2010年09月30日 08:30   No.226003
++ アツミマサズミ (幼稚園生)…1回       
◆原子力事故を2度と起こさないために、行動!
◆9月30日(木)朝(追悼と抗議)と夜(講演会)の2つの行動に120人

●午前の行動
 9月30日(木)、雨の中、JCO臨界ヒバク事故11周年の経産省前行動をおこなった。日本山妙法寺、NCC(日本キリスト者協議会)といった宗教者、山谷労働者福祉会館、劣化ウラン兵器禁止・市民ネットワークなどの市民団体、たんぽぽ舎、原発を考える品川の女たちの反原発グループ、日野のyさん、抗議の歌を歌った市民など各団体・個人が様々な立場でJCO臨界事故と原子力の危険性について訴えた。
 事故が起きた10時35分に参加者全員が2人の死者に対して黙祷、献花の行動を行い、社民党福島みずほ氏を通じて経済産業省、原子力安全・保安院、資源エネルギー庁(係官2名)に対して申し入れ書(原発推進行政をやめよ)を手渡した。
 最後に経産省に向かってシュプレヒコールを行い、午前中の行動を終了した。
寒い中、参加いただいた13団体31名の皆さん、ありがとうございました。

●夜の講演集会
 18時30分から明大リバティータワーで行われた。最初に実行委員会を代表してあつみ実行委員会代表が基調報告。
次に、事故を起こしたJCOに対し、健康被害裁判を提訴して闘った、大泉夫妻が話された。大泉恵子さんは原子力文化振興財団がJCO臨界事故を振りかえるために住民に対して募集した手記に応募した文章を元に話された。事故によっ
て生活が一変し、裁判をしたが7年くらい経っようやく事故に向き合えるようになった。被曝した私たちこそ体験を伝えていかなければならないと、話された。
 大泉昭一さんは「各県3名ぐらいずつ放射能に詳しい医者を置くべきと話は出ているが一向に進んでいない。JCOの事故について言えば、これから晩発性の被害が出てくると思う。私たちのまわりでも4名がガンで亡くなった。」と11年経っても住民を苦しめる原子力の恐怖に対して実感をもって話された。事故を風化させないため、臨界事故を語り継ぐ会を結成した。今後も頑張ると発言。
 なお、会場で集めたカンパ40,030円を大泉夫妻に渡しました。
 槌田敦さんは「日本の核兵器原料生産の現状と9・30臨界被曝事件」と題した資料をもとに講演。日本が一貫して核兵器原料生産の方法をたくらんでいたこと、臨界条件を無視した動燃の「ムリな注文」によってJCO臨界事故が起こったこと、常陽の炉内破損、六ヶ所村再処理工場、もんじゅ(槌田さんはもんじゅ・ふげん菩薩とはまったく異なるということで「にせもんじゅ」と表記)炉内落下事故などで、日本の核兵器原料生産が行きづまっていることを話された。JCO事故の原因は高速炉常陽の燃料製造(それは旧動燃のウラ金づくり)の過程で事故が起きたことや、常陽の設計・製造についての原研内の共産党員らの主要な関わりも初めて話された。
 その後、劣化ウラン兵器禁止・市民ネットワーク、西村裁判を支援する会、ストップ原発再処理工場・意見広告の会、たんぽぽ舎、いろりばた会議の5つの団体からのアピールと集会宣言(JCO臨界被曝事故を風化させず、忘れず、今日の集会で学んだことを生かし、原発・核燃サイクルをやめさせるためさらに奮闘する宣言)を採択して、終了した。
 参加者は88人プラス3人の講師で91人でした。

.. 2010年10月04日 21:02   No.226004
++ 杉嶋拓衛 (幼稚園生)…1回       
◆今回のいろりばた会議は、原発推進の国策の問題点について、市民の目線から考える会にしたいと思います。
◆日本は、「原子力の研究開発、利用の促進」(原子力基本法)を基本として、「原子力委員会」が約5年ごとに「原子力政策大綱」を決めています。(前回は2005年10月策定)もちろん、大前提として原発推進の内容です。(今年は5年ごとの見直しのタイミングにあたります)
◆しかし実際には、原子力政策の至る所でトラブル多発。地震による原発大事故の不安。行き場が見つからない核のゴミ・放射性廃棄物。莫大なお金を投じてもトラブル続出で動かない「もんじゅ」、「六ケ所再処理工場」。28年間、建設計画に反対している地元住民を電力会社が裁判に訴えるという異常事態になっている上関原発計画。などなど…

.. 2010年10月06日 06:18   No.226005
++ 柳田 真 (中学生)…34回       
1.豊田直巳写真展 「イラク戦争と劣化ウラン」
   −今も続く被害者の苦しみ−

子供たちは見ていた。米英軍の爆撃を。占領を。銃口を。
子供たちは見ていた。友が傷つき殺され、そして劣化ウランに苦しんでいるイラクを。

【写真展】10月17日(日)〜10月31日(日)
劣化ウラン弾は放射能兵器です。1991年の湾岸戦争ではじめて使用され、2003年のイラク戦争では2000トンとも言われる劣化ウラン弾がイラクの地に落とされました。
そしていまも劣化ウラン弾は紛争地域で使われています。
劣化ウラン弾は放射能兵器です。
場 所:港区立男女平等参画センター(リーブラ)3階廊下に展示

【お話会】10月23日(土)13:30〜
講 師:山崎久隆氏(劣化ウラン研究会代表)
テーマ:劣化ウラン弾とは何か 国際的な流れと日本の現状
場 所:港区立男女平等参画センター(リーブラ)学習室D
参加費:無料 

2.豊田直巳写真展「枝川朝鮮学校物語」

「幻の東京オリンピック」から70年。その準備過程で江東区・枝川の都立の「ごみ捨て場」に移り住まされた在日朝鮮人たちがいた。今、その孫やひ孫たちが通う「ウリ ハッキョ」東京朝鮮
第二初級学校。私たちの隣人の彼、彼女の学校生活から何かが見えてくる。
■日時:10月15日(金)〜21日(木)
■会場:豊洲文化センター 1階ロビー
(地下鉄、ゆりかもめ 豊洲駅徒歩3分)

.. 2010年10月09日 19:23   No.226006
++ 柳田 真 (中学生)…35回       
3.新刊のお知らせ

『「戦地」に生きる人々』(集英社新書)
豊田直巳が参加するJVJA(日本ビジュアルジャーナリスト協会)で新書を出しました。(9月17日店頭に並びます)豊田は本書で編集を担当し、序章、あとがき、第六章:レバノンを執筆しております。
是非、本屋さんやアマゾンこちらでお求めください。
Twitter等でご紹介をいただける場合はURLのこちらをお願いします。

目次
まえがき:見知らぬ人々の悲劇ではなく
  堤未果(非会員です)
序 章:「閉ざされた声」を届けたい 豊田直巳
第一章:チベット 人々の祈り    野田雅也
第二章:ビルマ(ミャンマー)辺境から見る軍事政権 山本宗補。 
第三章:マーシャル諸島 蝕まれてゆく島で 森住卓。 
第四章:ハイチ 聖地の村で 佐藤文則。 
第五章:チェチェン 闘う女性たち 林克明。 
第六章:レバノン 境界線に生きる 豊田直巳。
第七章:パレスチナ・ガザ: 封鎖下に生きる人々 古居みずえ。
あとがき。

「それは、『他の誰もが報道しないならば、自分が報じなければならない』、と考えているからです。仮に誰も報じなければ、歴史的な事実さえも、まるでこの世に存在しなかったかのように社会から抹殺されてしまうという『メディアの時代』を、私たちは生きています。JVJAの仲間は、そうした状況だからこそ、なおさら伝えることの意義を通説に感じているわけです」(序章 豊田直巳)

.. 2010年10月10日 07:13   No.226007
++ 柳田 真 (小学校低学年)…5回       
    “事故が心配の原発を”第一重点に
浜岡原発ノー行動と浜ネット総会への参加
                 

■日本の原発推進政策がますます混迷と困難をきわめてきている。(もともとムリな政策)それは六ヶ所再処理工場(2年延期と4,000億円の増資)と、「もんじゅ」の大きな落下事故にも象徴される。「核然 展望なき操業延期、トラブル解決は不透明−六ヶ所再処理工場」(朝日新聞9月11日)である。又、「もんじゅ」の炉心用装置落下事故で「もんじゅ」は“死んだも同然”の評価が広まりつつある。
この事故で「もんじゅ」はもはや運転できないので、巨大事故を起こすことなく臨終を迎える可能性がきわめて高い(槌田敦さん)。核然サイクルの2本柱が崩壊しつつある。

■たんぽぽ舎は昨年より“原発事故が心配な原発へのとりくみ”を第一重点にして活動を集中化してきている。とりくむ課題があまりにもたくさんあり、多くないスタッフであれもこれも手を出すことは無理が出るし、一番の焦点への対応がおろそかになる心配があるからである。
 広瀬隆さんの8月の新刊『原子炉時限爆弾−大地震におびえる日本列島−著者15年ぶりの反原発書』の序章(はしがき)の文と同じ問題意識である。広瀬本いわく、本書はこの日本列島に住んでいるすべての人に、「日本はあと何年ここに人が住んでいられるだろうか」というごく簡単な問いを、たずねるものである。以下、原発震災を心配する文がつづく。

■原発事故の心配の筆頭は「東海地震が心配される静岡・浜岡原発(3基)である。
9月1日の国の防災訓練でも3地震連動(東海地震・東南海地震・南海地震)の発生を心配しておこなわれ、70万人弱が参加した。(静岡県での参加人数が一番多い)私たちは9月11日の浜ネット総会(正式名は「浜岡原発を考える静岡ネットワーク」)に、車2台11人で参加し、総会・講演会の盛り上げと浜岡原発ノーの翌日の御前崎市役所周辺の宣伝カー行動・各戸ビラ入れに参加した。
 ビラは「中部電力はすべての原発を停止せよ。−阪神大地震から15年−もっと大きい東海地震が心配」という中味。現地の人々と協力し合計20人余で1000枚配布できた。帰りの車中は浜岡原発止めよう行動を現地の人と協力してやれたこともあり、参加したみんなの意気もあがった。
 今後は年末〜来春のプルサーマル実施への反対行動がある。
 今から準備しよう。原発事故を防ぐために力を合わせよう。


.. 2010年10月17日 07:35   No.226008

■--石原莞爾の不起訴
++ 伝 (大学院生)…117回          

石原莞爾が訴追されなかった理由がしばしば論じられるが、東京裁判の眼目は侵略等の共同謀議の罪である。石原莞爾が共同謀議の一員とはしろをくろというよりむつかしい。論じるまでもないのだが、不起訴の経緯をみておこう。粟屋憲太郎の「東京裁判への道」によれば、昭和二十一二年に被告選定会議があって、三月二十八日第十二回会議のときに名前があがたそうだ。ところが、まちがって石原広一郎の報告が提出されて検討は延期となったそうだ。ほんとうなら、頓馬な話である。四月一日第十三回会議のときは、最終リストが決定され前に調査の報告ができるかもしれないということで決定延期。この日付のハーディンから執行委員会への石原に関する報告では石原のファイルには本人の訊問が一つもないことが述べられている。結局石原ははずされたわけだが、「フイリピンのロペス検事がこの人物はフィリピンにもどされ、アメリカの軍事法廷で裁かれるべきであると指示したとの、一見わけのわからぬコメントが付されている」。粟屋憲太郎は「被告選定を急いだ検察側は、たまたま石原が入院していたため訊問の機会を逸し、最終決定の段階までに十分な証拠を集められず、結局訴追の決断をくだせなかったのである」とのべているが、見落としいるところがある。訊問の機会を逸したのではない。訊問しても満足のいく訊問調書が得られなかったのである。入院だから訊問を遠慮しようなんて、ヤワな考えはない筈である。事実、検事が入院中の石原を訪問したという伝えがのこされている。板垣征四郎と橋本欣五郎の関係を知っているかということを検事が三回石原にきいた。石原は三回知らないと言った。検事は「これで今日の訊問は終った。明日又来るから板垣と橋本の関係をよく思い出して、明日は返事ができるようにしておけ」と言って立ち去ろうとした。石原将軍は病床からムックリ起き直り、「コラッ、待て!」と叱咤した。病室は三階だったが、一階にいた人達が何事がおこったのかと驚いたという。「今の話はなんだ。無礼千万ではないか、知らないものを思い出せとは何事だ。忘れたということなら記憶をたどって思い起こすこともあろう。知らない事と、忘れた事とは全然別だ。」これはまったくそのとおりで、さすがに検事も、あまり当然なことに文句もいえず、小さくなってあやまって帰ったということである。これは石原将軍正義の気魄である。こんなことを訊問調書に記録する筈がない。その後の訊問も結局検察に有利になるようなものは何一つないから破棄してしまったというのが真相であろう。ただ、記録だけみたって歴史の真実はわからない。これは小説的想像ではない。
.. 2010年09月05日 12:16   No.224001

++ タク (社長)…322回       
石原莞爾を語る時、極東軍事裁判酒田法廷の連合軍に対しての行動は感激するものがある。一方的な連合国の歴史観の誤りを指摘し、国際情勢の問題点を提起し、連合軍の民主主義に反することを相手に伝えた。

占領軍を恐れる日本人が多い中、石原莞爾は違っていた。
石原莞爾は極東軍事裁判酒田法廷の前に連合軍の検事と既に会っていたのです。
戦後初の内閣である東久邇宮に内閣顧問を委嘱された石原莞爾は、難病と東亜連盟運動に専念する理由からこれを拝辞したが、東久邇宮に、国民総懺悔など石原莞爾の考えを伝えた後、東京の逓信病院に入院した。

石原莞爾は、病院で連合国側の検事の尋問を受けたが、横柄な態度で日本人を敗戦国として見下していた事に対し、石原莞爾は怒り、検事はビックリして謝って帰ったといいます。
翌日、一筋縄ではいかないと考えたのか別の検事が尋問しにきた。
検事の質問は「戦犯の中で誰が第一級犯罪人」と訊ねた。
すると、石原莞爾は「トルーマン」と答え、大統領就任の時ばらまいたビラを見せ、そのビラには「日本国民が軍人とともに戦争に協力するならば老人、子供、婦女子を全部爆殺する」と書いてある点を示して、畳み掛けるようにこう言い放った「これは何だ!!国際法では非戦闘員は爆撃するなと規定があるにもかかわらず、これは何か!!」と、検事は「あれは脅しだ」と答えると「そうではない、このビラの通りに、実行し、B29が民衆すべてに爆撃し、広島や長崎は一体どうしたことか?トルーマンは、このビラの通り実行したトルーマン大統領の行為は戦犯第一級のそのまた第一級に価するものである」と言った。

次の検事の言葉では「日本の戦争責任を日清、日露戦争までさかのぼって調べる」と言うと、石原莞爾は次のように言う「それではペリーを呼んで来い、日本は当時徳川鎖国時代で、どこの国とも付き合いたくないと言って、堅く外交通商の門戸を閉ざしていた。それを米国からペリーが黒船でやってきて、門戸開放、通商交易を迫った。もし実行しなければ、大砲をぶっ放すと脅迫した。徳川政権は、結局米国の脅迫外交に屈して開国を決定し、列国と外交通商関係を結んだ。外国と付き合ってみると例外なく侵略主義の恐ろしい国だということを知らされた。それから貴国らを大先生として、日本は泥棒のような侵略主義を習い覚えたのだ。いわば貴国らの弟子である。もし日清、日露戦争が悪いというならばペリーを証人としてあの世から連れてくるのだな」と帝国主義の歴史をユーモアなど交えながら語り、米国への批判を行なったのです。

短い言葉で、よく本質をとらえている。
昭和22年酒田市において石原莞爾の訊問が行われる事となった。
なぜ極東軍事裁判が、酒田市において行なわれたかというと、石原莞爾を東京で訊問すれば、東京裁判と連合軍側の権威の失墜を招くことを恐れがあったと思うのです。

酒田法廷に出廷する石原莞爾をリヤカーで駅まで曳いた3人の内の1人である私の父親は当時の状況をこう語っているのです。

.. 2010年09月07日 08:19   No.224002

■--現実を直視しよう
++ 山崎久隆 (中学生)…41回          

 資源問題と「もんじゅ」

 「もんじゅ」の運転開始に伴い、報道で取り上げられる機会も増えた。
 NHKクローズアップ現代など、多くの報道番組では「もんじゅ」の目的を「プルトニウムサイクルの確立による先端エネルギー技術の開発」としている。
もちろん原子力長期計画や原子力研究開発機構(位下機構)の主張がそうなっているからなのだが、クローズアップ現代のように時間をかけて報道している番組をのぞきほとんどはその定義づけに何の注釈も加えないため、あたかもそれが事実であるかのように表現されている。
 「高速増殖炉」の意味は、「高速中性子を核分裂反応に利用しながら、炉心燃料とブランケット燃料部でウラン238をプルトニウム239に変化させ、核分裂を起こしたプルトニウムよりも多くのプルトニウムを蓄積する炉」である。このうち「プルトニウムの増殖」については掛かる時間を無視してトータルで1倍を超えると増殖したとするので、たとえ100年掛かろうとも1.0倍を超えれば良いことになる。そのため、非現実的な想定がまかり通っている。
 壮大なウソの羅列の前に、一般には「もんじゅ」は危険でも必要なものと捉えられている現実があるが実際には危険な上に無駄なのだ。
 「もんじゅ」が作り出すプルトニウムは、核分裂を起こしたプルトニウムの2倍になるためには90年かかる。二倍かかる時間のことを「倍増時間」という。
最も楽観的な計算でも45年というから、ほとんど炉心寿命ほど動かしてももう一つの炉心を作る能力はほとんど無い。しかも炉心を作るためには使用済の燃料を再処理し、プルトニウムを取り出さなければならず、そのための再処理施設が必要なのだが、その施設は現在存在しないし、計画中のRETF(リサイクル機器試験施設)も、高速炉常陽と「もんじゅ」のブランケット燃料という、核分裂をしている炉心ではなくその周辺燃料の再処理をするための試験施設であり、「もんじゅ」や常陽以外の原子炉の燃料を再処理することも出来ない。
 理屈と現実の間には大きな溝があるのは常のことだが、高速炉は核融合炉と同様に困難を極め、最終的には実現しないだろう。
 高速増殖炉に発電能力をつける場合、現状ではタービンを回す他はないので、水系統が必要だ。これにより危険性が急激に高まってしまう。
 ナトリウムと水を、薄い金属を介して接する構造をとらざるを得ないため、水とナトリウムの反応事故が軽水炉にはないリスクとなってふりかかる。
 これを回避できない限り、ナトリウム炉を量産することなど到底不可能なのだが、見通しも全くない中で高速炉が軽水炉に取って代わるなどと勝手に想定されている。
 少なくても資源的に何らかの意味がある規模まで高速炉を造るとしたら現状の比率を維持するためだけでも400基以上の高速炉を建設しなければならず、3割や4割といった主力電源となるためには2000〜4000基は必要となろう。それ自体が経済的にも到底不可能な上、毎年どこかでチェルノブイリ原発事故に見舞われるかもしれないリスクを抱える。そのようなものが資源対策になるはずはない。
.. 2010年06月17日 07:08   No.219001

++ 山崎久隆 (中学生)…42回       
 トラブル続き

 動き出した「もんじゅ」では、早速いくつものトラブルに見舞われている。その中でも制御棒の挿入方法を運転員が知らなかったという事態まで起きている。
 5月10日夜、調整用制御棒は最終段階で3ミリを残して停止していたが、これを全挿入させようとした運転員は、挿入ボタンを何度も「短く」押したが制御棒が入らないためいったん作業を中断した。しかしこの制御棒は、挿入ボタンを「長押し」すれば挿入できたのだという。この操作方法を運転員が知らなかったために起きた事件だが、制御棒挿入方法をちゃんと教えていないのに運転を再開したことに驚愕の言葉以外何を言えばいいのだろうか。
 車の運転を教えるのにブレーキの踏み方を教えていないに等しい。そんな教習所では免許を取るどころか路上教習にも出られないだろうが、「もんじゅ」の場合はそのまま高速道路を運転させているようなものである。
 教育体制はずさん、技術レベルも低く、このまま運転を続けるなど言語道断。
直ちに運転を止めるべきだ。

 点と線と面

 自然災害は大きくは、点と線と面にわけることが出来る。
 たとえば地震は、大きなものであってもその被害は点として現れる。四川大地震などは広い面積が被災したように感じられるかもしれないが、一様に揺れたように見えても実際には揺れの大きさは地質や地盤により異なり、大きな被害が出る場所は点の集まりと言える。密度が高ければ面的な被害になり、密度が低ければ特定の家屋や構造物の被害となって現れる。また、耐震性の悪い構造物に大勢の人がいれば大変な惨事になるが、これもまた点で起きることであり、十分な耐震性を持つ建物が隣にあったとしたらそちらは被害なしということもあり得る。
また、どんな巨大地震であっても被災地域の人々が全滅することはなく、最悪のケースでも死者数は数パーセントの水準だ。
 一方、津波などは線的被害をもたらす。一定の高さの津波が一様に海岸線を襲うとき、標高との兼ね合いで海岸線に平行に被害地域が伸びる。川があればそれをさかのぼってやはり線的に被害地帯が伸びる。

.. 2010年06月17日 07:14   No.219002
++ 今井 (小学校低学年)…6回       
6月26日(土)開催のいろりばた学習会『「もんじゅ」を廃炉に・講演会+方針討論』のご案内です。
もんじゅをこのまま動かし続けると重大事故を起こします。
大惨事の前に、もんじゅを止めるための知恵を出し合おう。


●1995年のナトリウム漏れ事故から14年半振りに試験運転を再開したもんじゅですが、機器の故障、相次ぐ警報と誤警報、運転員の教育不備などの問題が続出していますが、これらはいずれも再開前から懸念されていたことでした。

●「夢の原子炉」と言われた高速増殖炉計画の実用化時期は当初「1970年代後半以降」(1961年「原子力長期計画」)としていたのが年を経るたびに遠ざかり、現在では2050年ですらおぼつかない状況
です。それどころか本当に増殖できるのかという疑問が呈されています。

(以下は毎日新聞 2010年6月17日 地方版より)
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 内閣府原子力委員会の近藤駿介委員長が16日、県庁で西川一誠知事と会談し、敦賀市の高速増殖原型炉「もんじゅ」を視察した。
取材に対し近藤委員長は、同委が05年にまとめ、政府が閣議決定した原子力政策大綱で、高速増殖炉の実用化時期を「2050年」としていることについて「決して(時期が)決まっているわけではない」と述べ、先送りの可能性も示唆した。
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こちら


.. 2010年06月22日 05:59   No.219003
++ 今井 (小学校低学年)…7回       
●また水と触れると爆発的に反応する金属ナトリウムを循環させ、プルトニウム燃料を使用する高速増殖炉は普通の原発(軽水炉)以上に事故の危険性が高いと懸念されています。

●さらに運転によって得られるのは高純度の核兵器級プルトニウムという物騒なものです。

●もんじゅは現在1.3%の低出力での試験運転ですが、それでも問題が続出しています。
このあと、3年がかりで100%の出力まで上げていく予定ですが1995年のナトリウム漏れ事故は40%出力の運転時に起こりました。
このままムリに運転を進めていけば、重大事故は避けられません。

危険が高く、実用見込みもないもんじゅは廃止とするべきではないでしょうか?

皆さま、ぜひお越し下さいませ。(いろりばた会議 今井)

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 《環境と原発問題の学習会『第149回いろりばた会議』のご案内》
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【テーマ】

■「もんじゅ」強行再開後の諸矛盾、今後の展開

 講師:小林圭二さん(元、京大原子炉実験所)


■「夢の原子炉はウソ、「増殖」はハッタリ」

 講師:槌田敦さん(核開発に反対する会代表)


■「もんじゅ」反対の歌−ギターと歌:朴 保さん


★参加者よりの発表、資料の持ち寄り、参加歓迎です

●日 時:2010年6月26日(土) 13:00〜16:00
●会 場:明治大学駿河台キャンパス・
   リバティータワー9F・1096室
     (東京都千代田区神田駿河台1-1)
 御茶ノ水駅(JR中央・総武線/丸ノ内線)から徒歩3分
 新御茶ノ水駅(千代田線)から徒歩5分
 神保町(都営新宿・三田線/半蔵門線)から徒歩8分
●資料代:800円
●共催:現代史研究会、核開発に反対する会
    いろりばた会議(環境と原発の学習会)
 協力:たんぽぽ舎、廃原発ネットワーク

.. 2010年06月22日 06:06   No.219004
++ 原田裕史 (幼稚園生)…3回       
     「はやぶさ」と「もんじゅ」
−小惑星探査機「はやぶさ」の技術は、ミサイルに転用できる−

小惑星探査機「はやぶさ」が俄かに話題になっています。
「核兵器」は常に運搬手段と共に語られます。兵器級プルトニウムが原子炉級プルトニウムよりも核兵器製造に適している点も、ロケットに積みこみ、ICBM(大陸間弾道ミサイル)となるか、否か、という点にあります。
 そのロケットで、今年日本にとって画期的な出来事が起こります。予定では6月13日ですから、これを読んでいる皆さんには結果が出ていることになります。

世界最大の固形燃料ロケット

 日本のロケットには2系統の技術系譜があります。気象衛星「ひまわり」などを打ち上げるロケットは液体燃料ロケットですが、学術衛星を打ち上げるロケットは固体燃料ロケットが使用されてきました。
 日本で戦後最初のロケットは東京大学の糸川博士(「はやぶさ」が調査してきた小惑星の名前の由来です)が開発したペンシルロケットまでさかのぼります。
研究者の系譜からして当然のように「固体燃料ロケット」が開発され続けました。
 核武装を夢見る人にはまことに都合の良い状況です。現在この系譜はM-Vロケット(Mは「ミュー」、Vを「5」と読みます)まで発展しました。
 このM-Vロケットは金星や火星に探査機を届ける能力を持っているのです。米露のICBMをしのぐ巨大ロケットです。

再突入技術の確立

 日本のロケット技術は世界有数のものになっていますが、ICBMにするためには一つ欠けている技術がありました。それは「再突入」と呼ばれる技術です。
 一度大気圏を飛び出したロケットが再び地球に戻り、地面まで届くこと。これがICBMの実現に必須の技術です。なにしろCBMの弾体は非常に高速で飛翔するため、大気との摩擦熱で非常に高温になり、燃え尽きてしまいます。スペースシャトルでは耐熱の「タイル」が使用されます。アポロ宇宙船などでは、機体表面に樹脂を塗り、燃焼により、機体を保護しました。
 日本は冷戦中はロケット開発を行ってもこの「再突入」技術の開発は行ってきませんでしたが、冷戦後に「再突入」実験を開始しました。
その技術の系譜の集大成が「はやぶさ」ということになります。小惑星「イトカワ」は地球の引力圏の外側ですから、「イトカワ」からの帰還が出来るのであれば、ICBMの開発は随分容易なはずです。

平和という名の隠れ蓑

 「はやぶさ」の目的はもちろん、軍事利用ではありません。小惑星の組成を調べることで、宇宙の歴史を詳しく研究する科学研究が目的に謳われています。
 世界がもう少し平和であれば、「はやぶさ」を応援しても良いかもしれませんが、現在は核時代の終わりが始まるかどうかという瀬戸際です。「はやぶさ」の成功は日本の核武装能力を一段あげることになります。
 「核なき世界」世界が核廃絶への道の第一歩を踏み出そうとしている時期に、日本は「もんじゅ」を動かすことで兵器級プルトニウムの生産を開始し、固体燃料ロケットによる高度な再突入技術の開発を終えようとしています。

.. 2010年06月23日 18:12   No.219005
++ 柳田 真 (中学生)…32回       
    6/23夕方〜ダブル抗議行動を実施
    文部科学省へ−「もんじゅ」やめよ!
    経済産業省へ−「再処理工場」やめよ!

1.6月23日(水)夕方、東京圏の市民がダブル抗議・申し入れ活動をしました。 
 主催は、「再処理とめたい首都圏市民の集い」。
 1つ目の行動は、文部科学省へ「もんじゅ」やめよの申し入れと文科省の旧正門前で、ビラまきとマイクによる宣伝行動。
 2つ目の行動は、経済産業省・原子力安全保安院へ、「再処理工場」やめよ、「もんじゅ」やめよの申し入れとビラまき・マイク宣伝。
 ビラは、A4判4頁で、再処理工場とAPECの問題点+集会
 アピール文を載せたものを両省の職員と通行人へ配布しました。

2.参加は8団体・20人でした。
 たんぽぽ舎、ストップ原発&再処理・意見広告の会、日本消費者連盟、ストップ・ザ・もんじゅ東京、原水禁、ふぇみん、原発を考える品川の女たち、日本山妙法寺。

3.次回の抗議申し入れは、
 7月28日(水)18:00〜文科省、18:30〜経産省の予定。

4.なお、6月26日(土)は、
 『もんじゅを廃炉に・講演会と方針討論』。
 小林圭二さんと槌田敦さんの2人の講師、
 時間は13:00〜16:30、
 会場は、明治大学駿河台キャンパス・リバティータワー
 9F・1096室です。資料代800円。

.. 2010年06月25日 17:41   No.219006
++ たんぽぽ舎 (小学校高学年)…27回       
◇◆◇「もんじゅ」の重要設備で、お粗末な事故◇◆◇
     12mの巨体=3.3トンが落下
  福井県はカンカン、原子力安全・保安院=通報が遅すぎる

★1.8月26日「もんじゅ」で炉内作業中、炉内中継装置(長さ12メートル直径55センチ重さ3.3トン)を原子炉容器内に落としたと発表された。
  燃料交換が終了した後、稼働中は引き上げている炉内中継装置を引っ張りあげている時に落としたらしい(2メートル落下)。2本のつめで引き揚げる装置だが、押さえ(幅90ミリ、厚さ63ミリ)が90度回転し、短い63ミリの方で押さえたため外れたらしい。かなりお粗末な作業である。
  この原子炉の危険性は、あまりに多くの事項で指摘されているが、大きな要素のひとつが冷却材に金属ナトリウムを使っていることである。14年以上前の事故もナトリウム漏れが直接の原因だった。
  学校で実験した人も多いだろうが、ナトリウムは水に触れると発火し爆発的に燃える。(空気中の水蒸気やコンクリートの水分にも反応する)だから、オーバーホールや燃料交換でも軽水炉のように炉のふたを開けて上部をオープンして水を張って作業するなどということは一切できない。
  すべてナトリウムの中で遠隔操作せざるを得ない。
   そして、小林圭二先生をはじめとする皆さんが指摘するもうひとつの大きな欠点、「ナトリウムは透明でないので目では見えない。」
   「もんじゅ」は5月に無理やり再稼働させ、臨界付近(0.1%出力程度)でチョコチョコ運転し、7月に一旦止めている。
   来年の春40%試験予定と発表しているが、前回のナトリウム漏れ事故はこのとき起こった。
  未知の危険領域に入る前に「もんじゅ」は止めておくしかない。

★2.福井県の石塚博英・安全環境部長は、事情説明に訪れた伊藤和元・原子力機構敦賀本部長代理に「もんじゅ特有の重要設備でのトラブルは初めてで、原子炉容器内で起きたことは極めて遺憾。
 県への一報も1時間半後で、迅速とは言い難い」厳しい口調で述べた。

★3.原子力安全・保安院は、「通報が遅すぎる。改善を求める指示文書を27日に出した」
  「経済産業省原子力安全・保安院は27日、高速増殖炉原型炉もんじゅ(福井県敦賀市)で26日に起きた装置落下トラブルの際、事業者の原子力機構の通報が約1時間20分後と遅かったことについて、改善を求める指示文書を出した。
  保安院は「従来の通報より遅く、他の電力会社の通報と比べても時間がかかっている」指摘した。……要領に違反するのは
 明らかで、原子力機構は「本来なら20〜30分で通報するべきだった。経緯を詳しく調べる」としている。

.. 2010年08月31日 05:47   No.219007
++ 柳田 真 (中学生)…33回       
「9月1日・防災の日」の対策に欠けているもの
原発事故−放射能(死の灰)対策が欠落している
M8.7(関東大震災の16倍)の大地震に原発はもたない

●9月1日は関東大震災(M7.9)の起こった日。今年は、東海地震−東南海地震−南海地震の、3地震連動発生を想定した訓練として、はじめておこなわれた。新聞・テレビも大きく報道し、全国で80万人位が参加しているという。

●従来からこの訓練には、いくつかの批判があった。都庁の労働組合は、自衛隊の出動(治安訓練の練習)を問題視し、批判して、ポスター・ビラで主張、現地での監視活動を続けてきた。(近年、米軍参加があり、その批判が加わった)

●私が思うに、地震による原発事故=放射能(死の灰)対策が今回も全く欠落している。3年前の新潟県中越沖地震(M6.8)の時、柏崎市や刈羽村の人々は、真っ先に“原発は大丈夫か?”と心配したという。住民の正直な気持ちの発露で
ある。
 今回、3大地震の連動(過去の多くも3大地震が連動しておこった。単独でおこった例は少ない、珍しい)でマグニチュード(M)8.7の巨大地震が起きたと想定しての訓練である。これは関東大震災M7.9の16倍もの大きな地震であ
る。この時、太平洋にある原発群(浜岡原発3基、東海原発1基、伊方原発3基、福島原発10基など)が全部無事か?…という心配である。残念ながら、M8.7の巨大地震が来ても、全部無事と答えられる人はいないはず。原発事故=放射能
大量漏出は必至である。その対策が、9・1防災訓練には全くない。むりもない。
放射能もれに、対策の立てようがない。唯一の策は、大地震が来る前に、原発を廃止することだ。原発震災(東海地震の提唱者・石橋克彦氏の命名)を防ぐには、早く浜岡原発…ほかを停止・廃止することが最善なのである。

●なお、関東大震災の時、天皇制政府−内務省は、“朝鮮人暴動のおそれ”のデマを流し、多くの朝鮮人が自警団の竹槍等で殺害された。日本史の暗部である。
唯一の救いは、少数ながら、朝鮮人の命を守った勇気ある日本人、警察署長(神奈川県内)がいたことである。再びこの過ちを繰り返してはならない。

●防災の日だが、一般人の地震対策の関心が低く、防災グッズの売上げが不振という。熱しやすく、さめやすい日本人の特性か…、日本は地震国であり、それへの対策は困難だが、優先してやるべき事項なのだが。行政と国民の両方が心すべ
きことだと思う。

.. 2010年09月02日 05:44   No.219008
++ たんぽぽ舎 (小学校高学年)…28回       
「もんじゅ」の失敗は100%保証済み
    夢の原子炉ではなく、悪夢の原子炉だ−広瀬 隆
    新著『原子炉時限爆弾−大地震におびえる日本列島』

★1 広瀬隆さんが、8月28日ダイヤモンド社から、15年ぶりの反原発書を出版された。題名は、『原子炉時限爆弾−大地震におびえる日本列島』。7月に集英社新書として出版した『二酸化炭素温暖化説の崩壊』につづく、鋭く、的確な指
摘の警世の書である。(両書とも、たんぽぽ舎で扱い)。その『原子炉時限爆弾』
の中で、先日、お粗末で重大な事故を起こした、「もんじゅ」について、「もんじゅの失敗は、100%保証済み」という2頁半の鋭い、今回の事故も予見したかの記事がある。その要旨を紹介します。

★2 もんじゅの失敗は、百パーセント保証済み(本文252〜254頁)の要点。

 核分裂しやすいプルトニウム239がブランケットに生まれ、実に98%という高濃度になり、原爆製造に必要な93%よりはるかに高いプルトニウムが得られる。
そこで、核保有国では、高速増殖炉の開発にしのぎをけずることになった。つまり高速増殖炉は、核兵器用のプルトニウム製造炉としてスタートした、文字通り原爆製造用原子炉である。これに成功すれば、核分裂しないウラン238を使って、原子力発電でも燃料を100倍以上使え、ウランが40年で枯渇しても、“夢の原子炉”高速増殖炉があれば、4000年以上も資源を使える。ところが、そうはならなかった。
 まず、先端をきっていたアメリカが、1955年、1966年と炉心溶融事故を起こし、開発から30年後に、全面的に断念。イギリス、ドイツ、フランス、ロシアもすべて、重大事故を続発して、開発をついに断念した。“夢の原子炉”は“悪夢の原
子炉”だったのだ。残った日本も、発電開始後3ヶ月あまりで、ナトリウム漏洩で、火災事故をおこし(1995年12月)、文殊がお釈迦になった! 
 こうした原因は、冷却材に水を使わず、液体ナトリウムを使用していることが致命的といえる。
 福井県のもんじゅでも、先進国型の事故を踏襲するのは、時間の問題。
 さらなる無謀さは、原子炉の立地条件にある。福井県敦賀市白木地区である。
もんじゅの敷地の真下には、長さ15kmの白木−丹生断層が走り、原研機構も認知した。25年前に、耐震性450ガルで設計、竣工されて以来、760ガルにまで耐震性度がひきあげられているのに、本質的には、強度強化はできないまま。
 この一帯は、琵琶湖の東岸沿いに、日本海まで山のような断層群があり、柳ヶ瀬・関ヶ原断層帯は、全長が100kmにも達するので、マグ二チュード8を超える大地震の震源域。

.. 2010年09月05日 07:22   No.219009
++ 山崎久隆 (中学生)…43回       
★1.炉心に巨大な落下物〜原子炉で一番してはならないことが起こった!

 8月26日(木)「もんじゅ」で炉内作業中、炉内中継装置と呼ばれる燃料交換用の装置を原子炉容器内に落としたと発表した。この装置は全長12メートル、直径55センチメートル、重さは3.3トンで、燃料交換作業時にのみ炉内に入れられ、運転中などには引き上げられている。この装置を引っ張りあげている時に約2メートルほど引き上げた時点で落としたとされている。
 原子炉で一番してはならないこと、それは炉心に損傷を与えることだ。もちろん炉心とは主に核燃料を指す。しかし核燃料の健全性を支えるのは原子炉圧力容器を始めとした炉心構造物だ。その構造物に損傷を与えることになったら、補修
もしくは交換可能な部品でなければ原子炉は使用不能となる。
 今回「もんじゅ」で発生した事故は、その炉心部に3.3トンの重量物を落下させるというものだ。

★2.東電などが運転する軽水炉の場合、原子炉圧力容器には多くの構造物があるが、燃料交換時には圧力容器の蓋を開放し、燃料取り替えや機器を置くプールの高さまで水を張り、上部格子板の位置まで空っぽにする。そこに何かを落下させれば、燃料には当たらないが、燃料を支える格子やその外周にあるシュラウド(注)、あるいは圧力容器本体に損傷を与える可能性がある。このような場合はまず目視点検をし、傷の存在を確認する。その後取り外せるものであれば交換し、外せないものは損傷の大きさを測定する。果たして使い続けられるかどうかは別としても、受けた影響を調べることは出来るだろう。
  (注)シュラウド=炉心部を構成する燃料集合体や制御棒を内部に収容する円筒状の構造物。

.. 2010年09月07日 06:28   No.219010
++ 山崎久隆 (中学生)…44回       
★3.「もんじゅ」はどうか〜詳細な調査ができない構造

 「もんじゅ」の圧力容器には冷却材のナトリウムが満たされており、これは不透明な液体金属なので内部の装置のうち外せないものは目視は出来ない。そのうえ酸素や水と接触すると爆発的に燃焼するため、蓋を開放しての作業は出来ない。
「プラグ」という小さく穴の開いた装置を介して、全ての作業は行われる。また液体ナトリウムの中で行うように設計されているため、外観検査などを目視確認で行うこと自体が想定されていないのだ。これは致命的である。今回の事故に関
連して目視検査を開始しているが、ファイバースコープ越しにCCDカメラに依らざるを得ない。これでは詳細な調査など出来ない。
 目で見て確認さえ出来ずに、損傷の有無を調べることは不可能であろう。たとえなにがしか調査をしたとして、見落としがないかをどうやって保証するのであろうか。
 なんでもそうなのだが、「有る」ことを証明できても「無い」ことを証明することは難しい。これだけ大く重たい装置が落下をして、損傷が「無い」ことは事実上証明不可能なのだ。

★4.ツメでつかむ構造〜理解できない構造

 炉心上部でつり下げを伴う作業は、常に落下の危険と隣り合わせだが、このような装置にもかかわらずツメでつかむ構造というのは理解できない。今回の原因が何であれ、外れることを想定していない。そのまま落下するのは当たり前だ。
 このような構想であるならば落下防止のための装置が必ず必要だ。実際の「もんじゅ」がどうなっていたのかは説明を読んでもはっきりしないが、少なくても止め金具が外れただけで落下したようにしか読み取れない。このような単純な構
造では、地震などで揺さぶられても簡単に落ちてしまう。
 全く異なるメカニズム(たとえば補助のワイヤや電磁石を使うなど)で、ツメが外れても容易には落下しない設計にすべきだったし、原発の場合はそうなっている場所も多い。
 真下がナトリウムの満たされたタンクで、もし落ちたら容易に目視点検も出来ない場所だと言うことに何の緊張感もない。
 「ツメが外れるはずがない」思い込みとしても実に低次元で安易だ。
 もんじゅの設計は随所にこのようなずさんな部分が目立つ。
 世界で最も制御が難しく危険な原子炉の安全設計は、世界で最もずさんだというのだから、言語道断である。
 このような原子炉を動かし続けてはならない。
 「もんじゅ」は廃炉しかない。

.. 2010年09月07日 07:41   No.219011

■--組織と個人
++ 伝六 (大学院生)…107回          

シナ事変のはじまったのが、昭和十二年七月七日。同年七月二十二日、本間雅晴は参謀本部第二部長になっている。作戦を担当するのが第一部、情報を担当するのが第二部である。七月十一日石原の決断で華北出兵が行われたが、蒋介石中央軍の北上があったので、少数の現地軍と無防備の居留民が中国軍に包囲されと虐殺される危険性が高い。現地軍はそれほどは強くないというのが、石原の認識であったと石原将軍に親炙した故安藤氏から聞いた。
「石原と本間は事変不拡大、早期和平解決という基本では一致していながらも、それに対する見解、具体的な方法などには大きな違いがあった。(中略)第二部長就任後の本間は妻富士子にむかって「石原さんは天才といえるほど優れた人だが、同時に気違いだからなあ。そばでブレーキをかけるのが私の役目だ」と語っている」(角田房子著「いっさい夢にござ候」)
本間雅晴もすぐれた人だが、どうも結局石原包囲網??のコマとして起用されたように見える。
.. 2010年07月31日 11:01   No.223001

++ タク (社長)…320回       
情報部長本間雅晴少将は、日中戦争勃発数週間前に部長に就任した時、石原莞爾の意見を支持するように思われたが、一旦作戦が開始されると、本間雅晴は、石原莞爾の穏健な方針に対する反対を煽り立てることに大きな役割を果たした。参謀総長は、皇族の閑院宮元帥であったが、この人物に何かができるとは誰も期待していなかった。しかも、参謀次長今井清中将は、重病で公務を執行できなかった。参謀本部の他の部、例えば戦史部や運輸・電信部は、対中政策に強い関心がなく、いずれにせよ決定形成過程に影響力をほとんど持たなかったのです。

陸軍省では、愚鈍な将校という評判であった陸相の杉山元中将も、二・二六事件の最中の石原莞爾の横柄な要求によい記憶を持つはずがない。しかし、石原莞爾の大敵は、何と言っても陸軍次官の海津美治郎でした。海津は、「軟弱」な対中方針に断固として反対し、石原莞爾の足を引っ張る機会を待ち構えていた。海津美治郎の部下の一人に、意欲的で活発な対中強硬論者である軍事課長田中新一大佐がいた。確かに、軍務課長の柴山兼四郎大佐は、石原莞爾の意見に同意していたが、彼はまったく孤立していた。

このように、政策上の理由に加えて、石原莞爾個人の性格も災いして、日中間の緊張を和らげようとする処置をめぐって、官僚と決定的に対立したとき、石原莞爾には少数の支持者しかいなかったのです。これは、石原莞爾が不思議にも、当時同僚を説得して、自らの見解を承諾させようと頑張らなかったためでもありました。日中戦争勃発当時、参謀本部の将校であった下村定は、同本部の参謀長会議で、石原莞爾が苛立ちながらも、自らの意見に反対する者に屈して、後になって、どうすることもできなかった愚痴を言ったと回想しています。こうした傾向に、石原莞爾の対中方針を支持する部下は大いに失望した。それは、開戦後作戦を限定しようとする彼らの努力が、意気消沈した原因でもあった。日中戦争が開始される一ヶ月前の石原莞爾は「自分の目の玉の黒い内は中国に一兵も出さぬ」という言葉は、崩れ去っていくのです。

.. 2010年08月11日 13:44   No.223002
++ 伝六 (大学院生)…108回       
下村定の回想は知りませんでしたが、観察がどれくらい正確であるかは、私は少し疑問を感じます。下村定が陸軍大臣のとき、本間中将は礼遇停止の懲罰をうけました。バターン死の行進の責任等があるとしたのです。礼遇停止というのは、一日以上一年以内軍人の待遇を停止するというものです。しかし陸軍将校分限令第三条二によれば、将校たるの本分に背き又は其の体面を汚し勅裁に依り免官となりたるとき(官を失う)とあるので、本間将軍の待遇はこれに近い。マッカーサーの説明によれば、これである。昭和天皇がこのような処置を裁可されるとは考えにくい。この処置の責任者は下村定陸軍大臣であろう。極悪の環境ではあったであろうが、どうもこの処置は納得できない。下村定も不本意だったかもしれないが、こういうことをする人が石原莞爾のことを回想しても正解はださないのでないかと思う。もちろん石原莞爾に欠点弱点はなかったと考えるものではない。
.. 2010年08月17日 21:42   No.223003
++ タク (社長)…321回       
なるほど確かにそのように感じます。
盧溝橋では日本軍と蒋介石軍を戦わせることに成功した共産党が運命の糸を握ってしまいました。日本政府の基本政策は不拡大だった。もっとも、関東軍の一部には、この機に乗じて一気に中国軍を叩き潰そうという動きもあった。関東軍参謀長東條英機の一派である。度重なる中国側の停戦協定違反は、東條一派を勢いづけた。7月28日未明、日本軍は総攻撃に踏み切り、華北を平定しました。

戦争の不拡大を望む日本は、8月9日、南京政府と和平交渉に入ったが、同じ8月9日に上海で大山海軍中尉射殺事件が突発し、交渉は頓挫した。和平を望まぬ勢力の妨害だったことは十分に考えられる。8月になってから、蒋介石は上海周辺に十個師団を増強し、臨戦態勢に入っている。8月13日、海軍陸戦隊と中国軍の戦闘が始まり、戦争の舞台は華北から華中に移る。

中国軍は精鋭15万人、日本軍は松井岩根陸軍大将指揮下の五個師団など10万人。戦闘はトーチカの争奪をめぐって激烈をきわめた。中国軍の抵抗に手を焼いた日本軍は11月5日、杭州湾に上陸作戦を決行し、背後から中国軍を包囲しようとした。これで中国軍は総崩れとなり、南京に向けて撤退、ようやく上海戦は決着したのです。11月9日です。

.. 2010年08月25日 08:27   No.223004

■--戦陣訓
++ 伝 (大学院生)…116回          

現時点のウィキペディアにこんなことが書いてある。「石原莞爾中将は1941年9月には著書で「戦陣訓」の重要性を力説していながら、「軍人勅諭を読むだけで充分」と部下には一切読ませなかったという説がある。」と。著書というのは何かというと、戦争史大観で、其の中の「蒋介石抵抗の根柢は、一部日本人の非道義に依りシナ大衆の敵愾心を煽った点にある。「派遣軍将兵に告ぐ」「戦陣訓」の重大意義も此処にありと信ずる」の箇所を引いている。戦陣訓のできたのは、今村均著「続一軍人六十年の哀歓」によれば、岩くろ?軍事課長が支那の各方面戦線視察後、東条陸軍大臣に対し、戦地の異常環境に即応する具体的教訓を示す必要があることを痛感したと報告したところから、すぐそれを起案して提出せよとなったという。はじめ軍事課で考えていたが、こういうことは教育総監部にやってもらうべきだということになり、当時教育総監部の本部長であった今村均のところにまわってきた。案をつくって関係各方面の意見を徴してみたら、「関東軍と京都師団の石原莞爾中将とがその不要論を力説したが、支那総軍は急速な公布を希望してきた」ということである。石原莞爾が戦争史大観で「戦陣訓」をひいた意味は、支那方面の一部将兵の暴をいましめることに「戦陣訓」の重大意義があるというので、戦陣の心得を概説するものなら、そんなものは不要だというのが、石原将軍の一貫した意見である。いわんや「戦陣訓」は東条陸軍大臣の名で示したもので、大臣というものは文官として仕事をするのが本来であって、東条個人がどうこうというのでなく、陸軍大臣の名でだすのが不適当である。現在のウィキペディアのこの箇所の記述は、一知半解というより、一知誤解である。
.. 2010年07月24日 12:14   No.222001

++ 六 (大学院生)…114回       
戦争史大観より、参考までに引用する。「日露戦争では既に兵士のあるものは非道義的に傾いた。今次事変は如何であらうか。悪いのは一般日本人と兵士だけに止るであろうか。北支の老人は「北清事変当時の日本軍と今の日本軍は余りに変わった。」と嘆いているそうである。若し我軍が北清事変当時だけの道義を守っていたならば、今日すでに蒋介石は我戦力に屈服していたではないだろうか。蒋介石抵抗の根柢は、一部日本人の非道義により支那大衆の敵愾心を煽った点にある。「派遣軍将兵に告ぐ」「戦陣訓」の重大意義も此処にありと信ずる」。できてしまった「戦陣訓」について、非道義をいましめるところに重大意義があるとしている。「生きて虜囚の恥ずかしめを受けず」という訓などは無用である。こんなのは将官か、将校くらいの人間が実行すればよいのだ。出した当人、つくった当人が実行しようとしてできなかったのは、皮肉である。
.. 2010年07月25日 10:25   No.222002
++ タク (社長)…319回       
生きて虜囚の辱めを受けることを最大の罪悪と決め付けている先陣訓がある限り、孤島に敵軍が押し寄せてくれば、玉砕は必至です。昭和16年1月、中国戦線における軍規弛緩を矯正するためという理由で、時の陸軍大臣東条英機のもとでつくられた先陣訓は、一人一人の兵士の生命を死に導いていったのです。そして、沖縄戦に至るまで、その玉砕の悲劇は次々と繰り返されていったのです。

.. 2010年08月11日 13:35   No.222003

■--疑問
++ 伝六 (大学院生)…106回          

今村均著「一軍人六十年の哀歓」をひろい読みした。今村将軍については山岡荘八は「皇軍の名将であったと今もしみじみ頭が下がる」と言っている。それほどの人であるが、石原莞爾将軍についての回想及び満洲事変以後の認識については、はなはだ疑問である。満州事変の時今村は参謀本部作戦課長であった。軍中央の意向をうけて不拡大方針を伝えたときの石原の言動態度に怒りを感じたことを書いてある。支那事変のおこったときは、今村は関東軍参謀副長で、石原は参謀本部作戦部長であった。このとき、今村は石原の不拡大方針に非協力的であった。ということは拡大してもよいという考えだったと思われるが、そこのところをはっきりと書いていない。満洲事変で石原が中央の意向に従がわない計画をたて、また事変勃発の後、中央に従わなかったのは事実だが、決断は本庄司令官がしたのである。関東軍の独断が認められる内規?もあった。形式上は罪を問われる事柄ではなかったと思う。彼等の行動が下克上の風潮をつくったというのは、少しおかしい。満洲事変の時期におこった。十月事件のほうが、よほど問題である。この十月事件は石原の策謀によるものではない。中央の統制無視どころか、クーデターをおこそうというのだから、きわめつけの下克上ではないか。これに対する処置は少し甘かったようだ。満洲事変における石原の成功?は下克上の風潮のひとつの縁になったかもしれないが、問題はもっと根が深い。
.. 2010年07月18日 14:17   No.221001

++ タク (社長)…318回       
心配な参謀本部は、満州に作戦課長の今村均大佐を派遣して、板垣と石原に状況の複雑さを理解させ、そうすることによって、無鉄砲な考えを押さえ込もうとしたのです。

関東軍の参謀達は、奉天の日本料亭でこの訪問者をもてなすことにした。そこで今村の努力は最初から大きく躓いた。食後、今村が使命の目的を説明し始めたが、さほど話してもいないうちに石原莞爾が割って入って、「何ということです。中央の腰の抜かたは・・・」と言い放った。今村は、腰が抜けているか抜けていないかの問題ではなくて、複雑な問題を冷静に見るか否かの問題であると説明し始めると、石原莞爾は嘲るように、「腰抜けの中央にたよっていては、満州問題は解決なんか出来ない」と言った。これに今村は答えて、「国家の軍隊を動かすようになった」一大事を出さきだけの随意のやりかたで成し遂げられるものではありません。全国民一致の力を必要とします・・・」と言うと。

お説教を早く切り上げさせたいと思った石原莞爾は、この時「ああねむくなった」と大きな声を出し、畳にごろっと寝転んで目を閉じてしまった。この侮辱的な振る舞いに激怒した今村は、席を立って、料亭で帝国軍隊の公務を行うとは何事かと、招待した参謀達を非難して辞し去った。翌日気持ちもおさまり、冷静になったので、今村は満州での改革の必要性について話すことによって、議論をもう一度軌道に乗せようと試みた。石原と板垣はこれに答えて、改革など中国人政府からは到底望めないので、それは必然的に独立国家の樹立を意味せざるをえなくなると言った。後に今村がいなくなってから、石原莞爾が今村は立派な奴だが、「遺憾ながら支那を知らない」と評したのです。

.. 2010年08月11日 13:26   No.221002

■--開戦時の陸軍三中将
++ 伝 (大学院生)…113回          

大東亜戦争開戦の時、今村均中将は第十六軍司令官として、オランダ領東インド攻略の任務に、山下奉文中将は第二十五軍司令官としてマレーシンガポールに本間雅晴中将は第十四軍司令官としてフィリピンにおもむいた。・・・・敗戦降伏とともにこの三人のうち二人は刑死した。山下大将は絞首刑に、本間中将は銃殺された。今村中将は責任をきびしく問われなかった。死刑の二人とのちがいは降伏した相手によるのでないかと思う。今村は豪軍に降伏した。オランダ軍に降伏したのでない。山下大将にはマレーシンガポールのうらみがあり、本間中将にはフィリピンでの敗戦のうらみがある。どうしても栄光の将軍としておくことはできない、屈辱を与えてころさなければならない。そういうはっきりと表にだせない動機があった。山下大将降伏のときには、パーシバル将軍をわざわざ同席させていたのは、報復の意図を無言であらわしている。
.. 2010年06月26日 11:05   No.220001

++ 六 (大学院生)…112回       
ゼネラル山下の場合は降伏してから三週間後に戦争犯罪人として、合衆国陸軍から起訴された。裁判の規程も合衆国陸軍がつくったものだ。その規程は合衆国軍法によっていない。自らの全然関知しない残虐行為についての証言を二カ月間聞かされて、弁護団に奮闘にもかかわらず、司令官の責任だということで死刑の判決を下された。その裁判の間に俘虜として降伏した兵士のうちの二万人が米軍によって虐殺されていた。このことは後藤利雄著「お前が証人だーバターン死の行進の報復」に書かれている。
.. 2010年07月03日 11:23   No.220002
++ 六 (大学院生)…113回       
二万人の虐殺はどのように行われたか。「戦犯裁判の実相」という本によれば、それは飢餓等による虐待死であった。降伏してきた人に対して、すでに捕虜になっている人に命令して、飯米や乾パン乾肉などを含む携帯品を取り上げさせた。キャンプに入れば十分な食糧が支給されると言ってとりあげた。ところがキャンプに入って与えられたものは、一口で吸える重湯粥と一杯の汁であった。野草を食べたりしたが、空腹の連続で栄養失調の人と患者がバタバタと倒れていった。そうして死んでいった人が二万人という。後藤利雄によれば、二ヶ月の間に二万人死んだ。二万の墓標があったという証言である。二万の墓標のあった墓地は現在なくなっている。バターンでこの種のひどいことはしなかったのだが、ひどいことをされたと信じて報復に及んだらしいが、マッカーサーはバターーンの真実は認識していたのでないかと思う。日本軍の軍事的能力をなくすという観点から、行われた可能性が大きいと思う。バターンでは大本営参謀だったかの辻正信が捕虜の行進を見て、何をしているか殺してしまえという命令を出して、一部で殺害が行われたという伝聞を伝える者がある。辻正信がそういう命令を出したことは複数の証言があるが、実際に行われた部隊があるかは検証の必要がある。日本軍の兵士は捕虜と同等以上の過酷な行進をしたのだが、そのことは抜きにして、捕虜の虐待としてとりあげられた。
.. 2010年07月13日 17:11   No.220003
++ 伝 (大学院生)…114回       
山下裁判では、フィリピンでおこなわれた数数の残虐行為の証言がおこなわれたが、それらには奇妙なものが多々あったが、ゼネラル山下の弁護側それらの真偽については問題にせず、もっぱら山下がそれらの行為にはかかわりがないことを主張した。百をこえる事件について、調べるだけの時間がないのでやむをえなかったともいえるが、弁護側の限界である。ゼネラル今村は豪軍裁判とオランダ軍の裁判の二つの戦争裁判にかけられたが、状況がちがっていた。
.. 2010年07月17日 12:25   No.220004
++ 伝 (大学院生)…115回       
マニラ裁判では最高指揮官の山下大将の裁判がおこなわれ、残虐行為の司令官責任で絞首刑にされた。つづいて部下?の裁判がおこなわれた。ラバウル裁判では、今村大将の部下?の裁判が先に行われ、そのあとで今村大将の裁判がおこなわれた。順序としてはラバウル裁判が妥当の順序でマニラのやり方は、そういう順序にするかくれた動機があったのである。結局今村大将も司令官責任で有罪になったが、刑期十年ということになったと記憶する。その後オランダ裁判でジャワに行った。インドネシア独立の話がまとまりかけていた時だ。その時期もさいわいして、無罪となった。フィリピンとちがって、インドネシア人で日本に対する闘争をおこなった者がいなかった(インドネシアではオランダの圧制から解放してくれる天兵が北?からくるという伝説があって日本人がそうだと信じたくらい)ので、現地人に対する残虐行為は問いようがなかった。
.. 2010年07月17日 14:05   No.220005
++ タク (社長)…316回       
山下奉文大将の最期を見届けた牧師である片山氏の記憶のお話である。山下将軍は、さすがに冷静であった。将軍は片岡さんたちに語った。「君たちが日本へ帰ったら、人々に告げてほしい」と前置きして、戦死者の遺族に対し、総指揮官として謝罪したい、自分は指揮官として最善の努力をしたと信じ、この点は何ら恥じないが、にもかかわらず無能だったといわれたら、返す言葉がない、今後の日本の将来を考えたとき、義務の履行、科学教育の振興、幼時教育の重要性、という3点を忘れずに訴えてほしい、……等々。

また敗戦の後、自決を真剣に考えたが、司令官としての事後処理のため機会を逸し、「ために屈辱的な裁判を受け、軍人としての名誉を傷つけるはめになった」と残念そうに言われた。山下将軍の名が一般に知れ渡ったのは、大戦初期のマレー・シンガポール半島攻略のときだった。当時、休戦を申し入れてきた英軍司令官パーシバル将軍にたいし、山下将軍が机をたたいて「イエスか、ノーか、返事せよ!」とどなったという話があり、「マレーの虎」というニックネームがついた。

反面、日露戦争の乃木大将の態度。敵将ステッセル将軍に対する紳士的扱いと比較して、非難する空気があった。山下将軍は最期のとき、これを非常に気にしておられた。そして「あれは新聞記者の創作だ」と言われた。「あのとき、休戦にまつわる交渉がややこしくなり、パーシバル将軍がすっかり困っていた。私は見かねて、副官に、『細部のことをうるさく言う必要はない。イエスかノーかという結論さえ出してもらえばよい』と口をそえた。

細かい問題でパーシバル将軍をそれ以上、痛めつけたくないと思ったからだ。ところがそれが誤り伝えられた」真相をどうか伝えて、誤解を晴らしてほしいと念願されていた。話しながら、将軍は何かを飲んでいた。ビールであったかウイスキーであったか、片岡さんの記憶は定かではない。だれがいつ部屋へそれを持ち込んできたのかも、どうしても思い出せない。

.. 2010年08月11日 12:55   No.220006
++ タク (社長)…317回       
 ルソン島での「バターン死の後進」は歴史の教科書に登場する有名な出来事ですが、真実は違います。アメリカ・フィリピン軍が降伏したとき、日本軍は降参した捕虜7万余人を、炎天下の中、十分な水も食糧も与えずに、収容所まで徒歩で移動させ多くの死者がでた。アメリカはこれを国際法違反の残虐な「死の後進」と非難して、日本兵を死刑にしたのです。

 この移送で多くの死者が発生したのは、日本軍が計画的な行為や怠慢によるものだとアメリカは指摘しましたが実はそうではなかったのです。捕虜をバターン半島にそのまま放置していたら食糧も不足しており、マラリヤが多発していたから、捕虜を移送したのは適切な措置だったのです。マラリヤを治療する薬は少なく、日本兵自体にも多数のマラリヤ患者が発生していたのです。日本軍は徒歩移動が当たり前ですが、アメリカ・フィリピン軍では車両移動が当たり前だったため、徒歩行進によって受けた苦痛は日本側にはわからないことでした。また、日本軍から支給される味噌汁や牛蒡を木の根っこだと食べない捕虜もおり、栄養失調で倒れる原因となったと言います。最善と信じて行なわれた行為が悲惨な結果をもたらしてしまったのも事実なのです。

.. 2010年08月11日 13:18   No.220007

■--戦犯受刑者の言葉
++ 伝 (大学院生)…112回          

本間将軍は日記にこう書いている。「私が死刑になれば、国民は米国が勝者の威力を以て如何に無罪者を極刑に付したかを知る。わが子々孫々も正義人道を称うる米国が如何に無茶苦茶な国であるかを知る。この意味において死も亦意義あり、国家に奉公する道でもある。もう十年か十五年生きた所で病死する体だ。後世の歴史家の公正な裁判を待つ」。米国だけではない、英国も中国もソ連邦等も無茶苦茶な国であることを戦犯裁判で示した。これらの国の暗黒面を知っておく必要はあると思う。
.. 2010年06月03日 11:07   No.218001

++ タク (社長)…311回       
日本国が韓国を併合することを反対していた、伊藤博文を暗殺したとされる安重根の処刑から100年目を迎えました。韓国では様々な行事が行われ、獄中で書いた「東洋平和論」が脚光を浴びています。

ソウル市の広場で実施された「安重根100周年追悼式」で、鄭雲燦首相は政府を代表して追悼を述べ、安重根は東洋平和論を語り世界平和への道筋を示しました。現在も国家間の争いや戦争の痛みを抱える地球の民の現実を語りながら、世界が一つになることを力説した安重根の東洋平和論を絶賛しています。

東洋平和論は、安重根が死刑を宣告されてから、1カ月の間に自叙伝に記したものです。それには、1.旅順を永世中立地帯として日中韓による常設委員会をつくる。2.日中韓は同委を通じ、一定の資金を出資して共同銀行を設立して、貧しい国を支援する。3.日中韓は同委を通じて共同平和軍を創設し、北東アジア共同安保体制を構築する。4.ローマ法王庁に同委代表を派遣し、国際的承認と影響力を持たせるなどの内容が記されています。

また安重根は、死刑執行直前に残した遺言で「伊藤博文暗殺は東洋平和の為に実行した事なので、私が死んだ後も日韓の両国は東洋平和の為にお互いに協力する事を願う」と記されており、ここでも安重根の東洋平和に対する思いが表れています。

石原莞爾将軍は五族協和を宣言して日中韓に合わせて満州人とモンゴル人の五族で提言していました。安重根の東洋平和論には、その核心的内容に日中韓3カ国による具体的な協力構想が記されている訳ですが、韓国の評価もとても高いです。

.. 2010年06月05日 19:32   No.218002
++ 六 (大学院生)…109回       
戦争裁判は合衆国対本間雅晴の形でおこなわれた。原告アメリカ合衆国、被告本間雅晴だが、裁判官もアメリカ合衆国陸軍将官、検事もアメリカ合衆国陸軍将校、弁護士もアメリカ合衆国陸軍将校だから、公正な裁判を行うつもりでも、公正であることはむつかしいのに、合衆国の法律によらずに、臨時に裁判規程をマッカーサーがつくって裁判したのだから、裁断??とはいえても裁判ではない。わずかに弁護士の将校がアメリカの正義を代表したようだが、裁判官がマッカーサーの命令で動くのだから、有罪判決ははじめからきまっている。何故こういう裁判をしたかというと、ひとつは復讐のため、ひとつは政治的目的があったのである。政治的目的のほうが大きかったであろう。
.. 2010年06月06日 09:13   No.218003
++ タク (社長)…312回       
「A級戦犯」など戦争に勝った戦勝国側が、決めたものです。「東京裁判」などは勝った者が負けた者を裁くと言う復讐ではないか!!

日本人として「A級戦犯」達が、本当に戦犯なのか、それでは原爆を落とした者、無差別殺人を行った者は「S級戦犯」かな?(爆)首相が靖国神社に参拝することによって、日本が戦争国家になる訳がないではないか?と思うのです。

東京裁判での戦犯の証拠を採用するに関して、検察側に有利になるように、怪文書のようなものを採用して、日本人の弁護側が有利になりそうな証拠は採用をしない、ということが実際に行なわれました。勝った国が負けた国を裁くのだから当然の出来事でしょう。確かに負けた責任はあるでしょう。

現に、A級戦犯の人々は、敗戦の責任があると言っています。だが、国際法を無視した裁判で、無理やり死刑にされて、その死後も酷い扱いを受け続けるというのは、果たしてどうなのでしょうか。

.. 2010年06月11日 11:39   No.218004
++ 六 (大学院生)…110回       
戦争裁判では、証拠に関して何でもありであったから、裁判官の意のままの判決ができる。本間裁判などはマッカーサーの意のままであったと推測される。敗将の屈辱と苦悩を味わったのだから、聖人級の人物でないと公正な裁判はできない。フィリピン作戦要録をみると、アメリカからすれば無念なことが書いてある。「敵将ウェンライトがカブカーベンの民家において本間軍司令官と会見し、軍司令官がビザヤ、ミンダナオを含む全面降伏ならばこれを承認するが、然らざる限りは速にコレヒドール島に帰って再び戦備を整へよと命じたのに対し、ウェンライト中将は、ビザヤ、ミンダナオはマッカーサーの指揮下にあり、余の関知するところにあらずと答えたので、軍司令官は声を励まして、余の欲するところは総てか、然らざれば無である。足下はすでに余の掌中にあり、生殺与奪の権は余の左右するところであるが、武人の情をもって余は足下をコレヒドール島に送還することを約束するといって立ち上がった時に、ウェンライトは忽ち軍司令官の膝に縋って、さめざめと泣いたが、ついにコレヒドール島に送りかえされたが、再び戦端を開く勇気はなく、佐藤部隊に単独降伏を申し出で遂にビザヤ、ミンダナオを含む全面降伏はここに成立したのである。」ウェンライトはマッカーサーがトンズラ?したあとの戦いの責任者である。若干文学的修辞などもあろうが、ウェンライト将軍の気持ちもみじめであろう。その親分?のマッカーサーとしては、戦場の仇を裁判でうつという気分のあったことは十二分に考えられるのである。
.. 2010年06月12日 12:39   No.218005
++ タク (社長)…313回       
東京裁判酒田軍事法廷が終わったあと、記者が石原莞爾の意見を拝聴したいと、宿舎であった酒田ホテルで会見をしました。「ジェネラルは『マッカーサー軍政は大失敗である』と言われましたが、それは如何なる点でしょうか」との記者の問いに石原莞爾は次のように答えています。

「その第一は敗戦国の精神を侮辱していることである。君たちが日本に勝ったのは武力が少しばかり日本より強かったからである。腕力の強いヤツが、腕力の弱い者より精神がすぐれているなどという理屈はない。日本には日本のすぐれた誠心がある。マッカーサーは敗戦国の精神を侮辱し、民主主義を強要しているではないか。勝った国が負けた国を奴隷扱いにする、ということは大きな誤りである。」

「マッカーサーは、日本人をシェパードのように訓練しているが、さてその効果はどうか。教育者は被教育者の立場に立って行うことに於いてはじめてその効果も目的も達せられるものである。日本軍が、満州、中国でやったように、勝者が敗者に対する態度、すなわち支配、被支配の関係では教育はできるものではない。教育はなんといっても教育者、被教育者の心の通いが大切である。支配、被支配の間柄では心の通いなどあるものではない。」
と石原莞爾は語っています。

.. 2010年06月14日 08:08   No.218006
++ 六 (大学院生)…111回       
マッカーサーの戦争指導は、どちらかというと、「戦陣訓」に近い。勝敗の見透しがついたところで、本間将軍はマッカーサー将軍に降伏を勧告した。マッカーサーは決して降伏しないという意思の人である。フィリピンコモンウェルスの大統領等もフィリピン兵の命を助けるために降伏することを要請したが、もちいない。ルーズベルト大統領の命令だったかしらないが、アイシャルリターンと言ってコレヒドールを離れても、ウェンライト将軍に降伏することを許さなかった。安全な場所でウェンライト将軍を批判することは、戦陣訓とはちがうが、日本軍の大本営と似たところがあるかもしれない。
.. 2010年06月16日 15:44   No.218007
++ タク (社長)…315回       
「近頃聞くところによると、日本は石灰不足でストーブもたけない。国民は寒さに凍えている。ところが進駐車のストーブだけは赤々と燃えているというではないか。また日本の汽車は非常に混雑し、死人が出るという騒ぎである。2,3日前もこの付近の駅で子供が圧し潰されて死んだという。しかるにこの混雑する汽車の中に、君らや進駐軍だけの特別専用列車があるがガラ空きと言ってもよい。2,3人しか乗っていない。」

「どうだ君。これが君らの言う民主主義なんだ。これがマッカーサーの強要する民主主義だ。日本軍が占領地でとった態度も、これほどひどいものではなかった。部隊の出勤には一貨車専用の場合があったが、個人の出張、少数者の行動では現地人と同じ客車に乗り汽車賃も出していたのだ。」

「日本の過去を罪悪であると言って責め、裁く君ら自身が日本人と同じことをしていながら、馬鹿げた優越感をもって、日本人を動物扱いしている。日本人の精神まで侮辱している。マッカーサーが民主主義を日本に教えるならば敗残者日本人の苦悶と悲しみの上に立って、その苦労を幾分なりと心からわかち合うくらいの気持ちがなくて、なんで君らの手による日本の民主化なんてできるものか。どうだ、そうではないか」

記者「ジェネラルのいわれる通りです」石原「失敗の第二は、マッカーサーが、過去の日本軍がやった軍政と全く同じことを、やっていることだ。満州国を世間ではいろいろと悪くいうが、しかし満州誕生に際しての経緯は、一般にはよく認識されていない。」

「元来満州というところは、東亜諸民族混住の地で、各民族おのおの言い分があり、民族間の闘争の絶え間がなかったところである。はげしいこの闘争と苦悶の結果、協和がなくては生存も、繁栄もとうていできないことを悟って、民族協和という新道徳が創造され、民族協和のうるわしい理想郷の建設を目指して、満州国は生まれたのである。」と石原莞爾は記者たちに語ったのである。

.. 2010年06月22日 14:10   No.218008

■--(無題)
++ たんぽぽ舎 (小学校高学年)…24回          

「もんじゅ」関連、3つの情報(速報)をお知らせします

1.「もんじゅ」事故は必ず起こる!
4月18日(日)「もんじゅ」運転再開NO集会で小林圭二氏が指摘

「予想もしない事故が待ちうける」、「ムダ・ムリ・無謀の運転をやめさせよう」と題して、4月18日(日)午後、福井県の「もんじゅ」現地(白木浜海岸)で、「もんじゅ」再開NOの集会が500名の参加で開かれました。(たんぽぽ舎と「核開発に反対する会(槌田敦代表)」も
16名が参加)
 原水禁代表、現地代表、小木曽事務局長、小林圭二さん等からの発言の後、原子力機構正門前までデモ行進し、「もんじゅ」再開やめよの抗議申し入れを手交。
 集会で、小林圭二氏(元京大原子炉実験所)は、『「もんじゅ」は我々の12の疑問に対し、まともに答えられずにいる、「もんじゅ」は3つの理由=イ.とても危険、ロ.税金の巨大なムダ使い、ハ.核兵器(原爆)の材料−高純度プルトニウムを作る原子炉…だから廃止が必要。
再開すれば事故は必ずおこる。今後の運動こそ大事』と注目すべき発言をしました。
 当日は、フーセンを飛ばし(ストップ・ザ・もんじゅ)、たんぽぽ舎抗議ツアー参加者の4人が、歌「もんじゅ」(朴 保氏)をギター・タイコと共に歌い、又、「もんじゅ」への核燃料輸送反対のチラシを500枚、
参加者へ配布し、横断幕4枚を広げてデモ行進するなど、当日の集会の盛り上げの一翼を担いました。

2.「もんじゅ」5月再開へ−日経新聞(4月18日朝刊)

 4月18日付の日経新聞・朝刊によると、『「もんじゅ」5月再開へ−福井県知事が了承方針、14年ぶりの運転』と報道しました。1面で3段の扱いです。早ければ4月23日にも同知事と文部科学相、経済産業相の3者会談を開き、国の姿勢(地域振興)を確認した上で知事が正式表明する。その後に保安院の立ち入り検査が数日間あるため、原子炉起動は速くて5月初旬になる。という内容。
 なお、「原発とめよう!東京ネットワーク(5団体)」は、「もんじゅ」再開日が発表されたら翌日の夕方に、国(文科省、経産省)へ抗議申し入れ行動を起こすことを決めています。

3.「もんじゅ」へのプルトニウム燃料輸送に反対!

  猛毒物質が人口密集地を通る輸送反対!

 「もんじゅ」は、15年前(1995年12月)にナトリウム漏れ事故を起こした古い・ボロボロの特殊な原子炉。燃料は、15年以上も経過して劣化しているため、交換が必要。昨年までに3回、プルトニウム燃料輸送が茨城県東海村から東京渋谷−静岡を通って「もんじゅ」へ運ば
れている。今年も近日中に「もんじゅ」への輸送(4回目)がおこなわれる見通し。人口密集地を猛毒物質のプルトニウムを含む燃料が通過する。このような「輸送」に抗議しよう。監視しよう。詳細は、たんぽぽ舎(TEL 03-3238-9035)、
又は、核開発に反対する会(TEL 03-3261-1128午前中)へ
お問い合わせください。  
.. 2010年04月21日 06:01   No.216001

++ たんぽぽ舎 (小学校高学年)…25回       
特殊原子炉「もんじゅ」の動き−2つの速報をお伝えします。

1.「もんじゅ」への燃料輸送は危険だ!

茨城県、守谷サービス・エリアで横断幕を広げて抗議

 4月18日(日)の「もんじゅ」福井現地集会(500人)につづいて、20日(火)深夜〜21日(水)早朝にかけて、「「もんじゅ」へのプルトニウム輸送は危険だ」と抗議監視行動にとりくみました。
 茨城県東海村を午後9時50分頃出た約10台の車列(パトカー、日立物流の大型トラック3台、警備車など)が、午後11時すぎに守谷サービス・エリアへ到着。
 私たちは、2枚の横断幕(@あなたのまちを危険なプルトニウムが通ります−もんじゅの核燃料輸送反対、Aもんじゅへのプルトニウム燃料輸送やめろ−もんじゅは核兵器製造工場だ)を出発までの約30分かかげて、抗議の意思を表明しました。
 輸送隊列は、11時50分、守谷を出発、関越道を通り、新潟ルートで、翌21日(水)の午後1時15分頃、福井県の「もんじゅ」に到着しました。
 福井現地でも、福井、滋賀、京都の皆さん30数人が、輸送反対の行動を展開しました。
 なお、過去三回の首都高速、東名高速道を通るルートを今回なぜ変更したかについては、東京都内の区長などから、危険物質の都内通過について苦情があったのでルートを変更したようです。
 私たちが過去3回、首都高速渋谷のそばで、横断幕とノボリ旗を立てて、渋谷警察の干渉をうけながら、夜、がんばって、みんなで抗議の声をあげたことも1つの要因になったかもしれません。

2.「もんじゅ」事故を想定して、対応訓練
  文部科学省と原子力機構(旧・動燃)

 4月16日、文部科学省は、運転再開の準備がすすむ、「もんじゅ」(福井県敦賀市)での事故を想定して、安全対策や危機対応が、十分かどうかを確認する訓練を原子力機構(旧・動燃)と共に実施した。
福井の地元のメディアやデーリー東北などいくつかが報道した。
 研究機関としての「もんじゅ」を監督する文部科学省が、こうした訓練を実施するのは、はじめてのこと。事故対応訓練は、中川副大臣をトップにして、事故対応本部を設置。冷却材のナトリウムがもれて、原子炉の冷却機能が失われたとの想定。
 「もんじゅ」事故を想定したマニュアルはまだ無くて、現在、作成中。(1995年の事故は、ナトリウム漏れ事故)(なお、4月18日の集会で、小林圭二氏は「もんじゅ」は、再開すれば、必ず事故を起こすと警告しました。今後の対応が大事だと。)

.. 2010年04月22日 11:07   No.216002
++ 柳田 真 (小学校高学年)…27回       
   今年で7年目。全国各地から報告書、届く

@7年目のサクラと環境汚染、放射能汚染の調査が、全国的に心ある人々の協力で順調に進行しています。6年間の蓄積が生きていると思われます。4月22日(木)『7年次調査、第4回打ち合わせ会』が、たんぽぽ舎会議室で開かれ、(イ)今年の中間集約と特色、(ロ)今後の日程=調査表の残りの地域の集約と原稿集約、第7集の報告集の発行等について打ち合わせをしました。その要旨の報告です(第1回1月28日、第2回2月25日、第3回3月8日)。

A7年次の中間集約と特色は次のとおり
イ、今年は天候不順で、寒い日と暖かい日が交互に続き(地球寒冷化の到来?!)、サクラの開花に大きく影響し、サクラの調査日の設定に苦労しました。7〜8分咲き位の時が、調査に好都合。
ロ、サクラ(ソメイヨシノ)が全国的に高齢化してきていて、花に元気がないことや、テング巣病の多発(静岡・浜岡原発の周辺)の指摘もありました。
ハ、全国から送られて来た調査表の自由記入欄には、各調査者のいろいろな感想がたくさんつづられていました。
ニ、調査地点(調査表の到着分)は、次の通り九州―宮崎県宮崎市、福岡県(玄界原発の周辺)、四国愛媛県、広島県(原爆サクラ)、富山県、福井県(「もんじゅ」の周辺)、愛知県、岐阜県、神奈川県(横浜市、横須賀市=原子力空母)、石川県金沢市、新潟県、東京(都庁周辺、杉並区、練馬区、江
 戸川区)、長野県松本市、埼玉県(清掃工場そば)等。
ホ、4月20日を「調査表・写真・報告文の3点セット」の第1次〆切り日としていましたが、上記のように全国各地から、30点近くの報告書が寄せられました。プルサーマルの玄海原発の調査、東京江戸川区の清掃工場近くの調査、長野県松本市の産廃施設近くのサクラ調査などは、今年度の新しい調査です。
 新しく参加された皆さん、ごくろうさまでした。
へ、サクラ開花がまだのところ(地域)は、次のとおり宮城県(仙台)、岩手県、青森県、北海道など。六ヶ所再処理工場の青森県での調査者の発掘に苦労しました。

B今後の日程(予定)と第7集の編集・発行の作業日程
イ、調査・報告書のまだの地域は調査終了次第、なるべく早めに、お送り下さい
ロ、第5回打ち合せ会(主に分析と編集)を5月6日(木)に開きます(19:00〜21:00)関心のある方の参加を歓迎します。
 会場:たんぽぽ舎
ハ、第7集の調査報告集(カラー4頁を含む40-50頁)は、5月下旬の発行を目指します。(昨年より早めに発行)その役割分担は、集計表づくりを奥田さん、茂野さん、パソコン打ち込みは加藤さんプラスほかの方、編集は山田さん、連絡担当あつみさん、原稿集めは柳田等々。財政援助を大竹財団から受けています。
 今後も、みなさんのご協力をお願いします。

.. 2010年04月27日 06:12   No.216003
++ 柳田 真 (小学校高学年)…28回       
「もんじゅ」運転再開に抗議文――5団体が申し入れ
 
  4月28日夕方、経産省と文科省に都圏市民が抗議行動

・4月28日(水)夕方、経産省別館(原子力保安院)前に、首都圏の市民20名弱が集まり、「もんじゅ」の運転再開(再稼働)に反対し、ビラを配り、マイクでアピールしました。「もんじゅ再開反対、廃炉に!」の横断幕が4枚ひるがえる中で。

・これは2004年12月から毎月第4水曜日に行われている「再処理止めたい!首都圏市民の集い」主催の行動で、足かけ7年、 60数回、一回も休まず、続けられているものです。

・ 今回は、「もんじゅ」運転再開の三者会談直後でもあり、「もんじゅ」ナトリウム検出器の誤警報・トラブルもあり、「もんじゅ」に焦点をあてて、経産大臣あての申し入れ文を5団体が読み上げ、手交しました。又、通行人や経産省職員へ
は、ビラ(レンガがつかめない、さらなるレンガ脱落の恐れがある欠陥炉を動かしてはならない=再処理工場NO!)を配布しました。

抗議文を提出した5団体は次の通り

1 ふえみん・婦人民主クラブ
2 日本消費者連盟
3 ストップ原発&再処理・意見広告の会(たんぽぽ舎内)
4 たんぽぽ舎
5 ストップ・ザ・もんじゅ 東京

・経産省への抗議活動終了後に、すぐ近くの文科省へ移動し、抗議文を手交しようとしましたが、午後7時過ぎで、約束の時間のオーバーで手交できず、やむなく郵送やfaxで送ることにしました。
・なお、当日は、外国の通信社も1社取材にみえていて、「もんじゅ」再開の動きとそれへの抗議の行動が、全世界的に注目――とくに核不拡散の立場から――されていることを感じました。
  「「もんじゅ」再開は世界のめいわくになっている」という発言が印象的でした。


.. 2010年04月30日 08:30   No.216004
++ たんぽぽ舎 (小学校高学年)…26回       
     5/6「もんじゅ」運転再開に抗議の活動
  経産省でシュプレヒコール、文科省で抗議文を提出

1.5月6日(木)夕方、経産省別館原子力安全保安院前に、「もんじゅ」運転再開に抗議する人々が30名(「原発止めよう東京ネットワーク人々」)強、集まりました。マイクで経産省職員や道行く人々へ訴えた後、みんなで下記のシュプレヒコールをとどろかせました。
そのシュプレヒコールの中で、保安院職員(2名)へ抗議文を手交しました。週刊「新社会」の記者が取材に見えました。

シュプレヒコール
◎「もんじゅ」を動かすな!
◎「もんじゅ」の運転再開反対!
◎経産省に抗議するぞ!
◎「もんじゅ」事故が発生するぞ!
◎兵器級プルトニウムを作るな!
◎原子力安全保安院に抗議するぞ!
◎「もんじゅ」廃炉まで闘うぞ!

2.短時間で経産省と原子力安全保安院への抗議申し入れを終え、5分の距離の文部科学省(「もんじゅ」の主管官庁)へ向かう。
 文科省の門の前に「「もんじゅ」を廃炉に」、「ストップ再処理工場、ストップ「もんじゅ」」の横断幕やノボリ旗がひるがえり、退庁の文科省職員等が見る中で、次の各団体から抗議文が読み上げられ、又は手渡されました。

文科省へ抗議文を提出した団体(7団体)
イ.核開発に反対する会
ロ.ふぇみん
ハ.原発を考える品川の女たち
ニ.日本消費者連盟
ホ.ストップザもんじゅ東京
ヘ.たんぽぽ舎
ト.ストップ原発&再処理意見広告の会

3.なお、福井現地でも、「原子力に反対する福井県民会議」の抗議行動が取り組まれ、マスコミ各社も多数取材にきていたとの知らせ(現地から)がありました。

4.なお、5月7日(金)正午過ぎの報道によると、「…5月6日(木)深夜から7日午前にかけて炉内のガスを監視する検知器の警報が6回鳴った…日本原子力研究開発機構は7日(金)正午頃、報道各社や自治体に事実関係を伝えた。」とのこと。
 相変わらずの公表遅れ・日本原子力研究開発機構の体質は全く変わっていません。
大きな事故が起きないうちに、起動をやめ、「もんじゅ」を廃炉にすべきです。

.. 2010年05月07日 19:16   No.216005
++ 槌田敦 (小学校低学年)…5回       
●周辺部から起きる事故の危険

 なぜ、原子力機構(旧動燃)に勢いがないかというと、もんじゅは、年間200億円も投じてナトリウムを加熱し、この循環で生命装置を働かせ、その寝たきり状態を14年間も維持してきた。装置の劣化も問題だが、それよりも関係者の退職・配転などで、この特殊原子炉は正常に運転できるかどうかの方が心配である。
 もんじゅは、当初予定した予算(国と電力の資金)では建設できなかった。自由に使える電力の資金は原子炉の建設に早々と使い果たしてしまった。そこで、周辺部の建設では、この作業をいくらでしてください、という発注方式をとることになった。そのため、事故を起こした温度計には動燃は一切関与していなかった。その後の故障もすべて動燃のまったく知らない周辺部で起こっている。
したがって、運転再開しても、すぐに周辺部の事故になって止まるであろう。

●核武装のためのプルトニウム(以下、プルトと略します)

 それなのに、なぜ、民主党政権は、もんじゅの運転を強行しようとしているのか。それは、もんじゅが日本で唯一の軍用炉だからである。兵器級プルトを生産していた東海原発は廃炉になった。常陽は兵器級プルトを生産するブランケットを外している。もんじゅだけがこれを生産できる原子炉だからである。
 日本が、田母神の言うようにアメリカから核兵器を買って核武装するという方針を取るとしても、日本が独自に核兵器を生産できて、これを管理する能力がなければならない。この管理能力がなく、テロに盗まれるかも知れない国にアメリカは核兵器を売る訳がない。
 そこで、少なくとも100発程度の核兵器を自力で作り、これを管理する能力を世界に示さなければならない。そのためには、自力で兵器級プルトを200キロほど生産しなければならない。すでに日本の所有している量は36キロである。これを追加するには、もんじゅしかないのである。
 しかし、この方法では国民の同意を得る事はできない。そこで利用されるのが、プルトを増殖する夢の原子炉(高速増殖炉)というウソなのだ。
 話題になっているのは「倍増時間」である。プルトを倍に増やすのに90年かかるという。だから新しいもんじゅを作るのは90年後だという。だが、それは違う。日本は多数の原発から大量のプルトを生産しているので、あといくつももんじゅを作ることができる。

.. 2010年05月15日 10:21   No.216006
++ 槌田敦 (小学校低学年)…6回       
●高速炉では増殖できない

 高速増殖炉は、そもそも増殖できない原子炉である。それは炉心の再処理ができない原子炉だからである。高速増殖炉の炉心は、通常原発の軽水炉に比べて大量の白金属元素が発生している。これは硝酸には溶けないから再処理すると大量のヘドロが発生する。このヘドロの中にプルトが閉じ込められて完全回収ができないのである。
 六ヶ所再処理工場が運転できないのも、原発の使用済燃料の中の白金属元素が輸送パイプを詰まらせたからで、高速増殖炉ではなおさらである。
 もんじゅの例でいうと、もんじゅには炉心におよそ1400キログラムのプルトを投入する。これを1年間運転すると、炉心のプルトは
多少減っておよそ1392キロになる。しかし、ブランケットで新しく62キロのプルトが生産される。したがって、54キロのプルトが増殖されることになる。
 しかし、炉心の再処理で、4%のプルトが回収できない(回収率96%)と、未回収の量は56キロである。それでは増殖にならないのである。おそらく回収率は80%程度と考えられるので、これでは
プルトの減少である。それなのに、「高速増殖炉」などと名乗ることは、ハッタリである。
 「嘘つきは泥棒の始まり」という。実は、ブランケットで生産され
る62キロのプルトが濃縮度98%という最高級の核兵器原料であることを、この増殖という言葉で隠蔽することができる。
 マスコミの中枢も、脱原発指導者の一部も、この事実を語ろうとはしない。彼らはこの事実を知らない訳ではない。

.. 2010年05月15日 10:45   No.216007
++ 今井 (幼稚園生)…4回       
5月23日(日)開催のいろりばた学習会のご案内です。
今回は日曜午後の開催です。質疑の時間も多めに取りたいと思います。

■今回のテーマは2つで、まずは老朽化する原発の危険性について詳しい井野博満さんに提起してもらいます。
原子力安全・保安院は、今年3月で運転開始から40年となる日本原子力発電の敦賀原発1号機(1970年に営業運転開始)の運転継続を認めました。
運転当初は30年〜40年で廃炉にする予定だった原発を延長して動かし続ければ、当然事故の可能性が上がることになります。

☆以下は福井新聞オンライン版より☆
「敦賀1号の運転継続へ 県、来週にも了承(2010年2月18日午前7時39分)」
こちら
「敦賀1号機をめぐり原電は当初、10年中に運転を停止する方針を示していたが、3、4号機増設計画の遅れに伴い昨年9月、16年まで
継続する方針を示していた」

■第2テーマは「原発最新事情」、山崎久隆さんに提起してもらいます。
鳩山首相は核廃絶を訴えている一方で、原発・高速増殖炉を推進しています。5月6日に試験運転を再開している高速増殖炉もんじゅはプルトニウムの増殖はできないと指摘されている一方で、核兵器級プルトニウムを製造するという特殊な原子炉です。
これでは世界中から疑惑の目を向けられることは確実でしょう。

皆さま、ぜひお越し下さいませ。(いろりばた会議 今井)

.. 2010年05月18日 06:00   No.216008
++ 今井 (小学校低学年)…5回       
【テーマ】

 (1)「日本の原発の老朽化が大進行中」
  〜原発事故・大惨事が心配!どうする?〜
   老朽原発を酷使する「新方式」
   経済産業省と電気事業連合連を批判する

 提起:井野 博満さん(東京大学名誉教授・材料工学)


 (2)「原発最新事情」
  〜プルトニウム路線で核廃絶などできない〜

 提起:山崎 久隆さん(たんぽぽ舎)

★参加者よりの発表、資料の持ち寄り、参加歓迎です

●日 時:2010年5月23日(日) 13:30開場、14:00〜17:00
●会 場:たんぽぽ舎会議室
     東京都千代田区三崎町2-6-2ダイナミックビル5F
            JR水道橋駅、地下鉄神保町駅下車
こちら
●資料代:800円
●主 催:「いろりばた会議」(環境と原発の学習会)

.. 2010年05月18日 06:10   No.216009
++ 柳田 真 (小学校高学年)…29回       
□1 もんじゅ反対の大衆行動をつくり出そう―今がチャンス

特殊原子炉「もんじゅ」の報道がこのところ多い。活動家と一般大衆の関心も高まっている。先日のデモの時「もんじゅ」という名前に街の人
も反応した。15年ぶりのことだ。メディア報道とこの大衆状況を把握し活用して、もてる全力で"もんじゅ運転反対・廃炉にせよ"の声を高め
よう。「もんじゅ」反対の大衆行動を共同の力で連続的につくり出そう。

□2「14年5ヶ月ぶりの再開」と、支配階級の深い狙い(日本が核武装能力を持つこと=「もんじゅ」は兵器級プルトニウムを生産できる唯一の原子炉)の2つが相まって報道が多いが、その中で共通している大きな誤りを指摘したい。
☆ 第1は夢の原子炉=増殖するというゴマカシ、ウソである。
4月5日のたんぽぽ舎いろりばた会議で「もんじゅを廃炉にすべき5つの理由」の講演の中で、槌田敦講師は「夢の原子炉はハッタリ」「増殖はウソ」を次のように述べられた。

■ プルトニウム増殖のうそ
もんじゅの場合
 年間投入量 1400(炉心)          (単位)
 年間産出量 約1392(炉心)+62(ブランケット)=1454
炉心の再処理技術なし(白金族元素の大量蓄積)
炉心の再処理で4%損失したら、増殖なし。

高速増殖炉は運転すると燃料が増える「夢の原子炉」といわれて、みんながこれにだまされてる。
 プルトニウムは炉心とブランケットでそれぞれできるが、できる量は炉心の方が多く、ブランケットはわずか。
 できたプルトニウムは再処理をして取り出さなければならない。ブランケットの再処理は臨界事故に気をつけてちょっとずつ取り出せばできる。ところが炉心では白金族元素ができてこれが問題となる。白金族元素は硝酸に溶けずヘドロ状になる。そこの中に閉じ込められたプルトニウムは回収できないということになる.六ヶ所の再処理工場が今止まっているのは白金族元素が流れなくなってしまったからだが、軽水炉の再処理ですらそうなのだが、高速炉はもっと燃焼度が高い。
 はっきりしているのは年間62ブランケットで取れるということで、もし炉心の再処理で4%回収できないとしたら、これでもう増殖できないことになる。
 今まで増殖の嘘については「プルトニウムが倍になるまで50年から90年もかかる」という倍増時間についての話だったが、これでは増殖を認めていることになる。ようするに倍増時間などを議論するのは、増殖を認めた上での話。そうではなくて再処理ということを中心に考えたら増殖などありえない。実際の回収率はどのくらいなのか、そのデータをしっかり出させなければならないと思う。

*人間の心理は「将来性がある」という夢の話には弱い。原子力推進勢力は日本人のこの心理を悪用して、だましている。"日本は資源小国だから、もんじゅが必要だ"というゴマカシの論理で。
*なお、核開発に反対する会のニュース32号(2010年4月号)の巻頭論文=「なぜもんじゅ運転を強行するのか」でも"増殖できない"を具体的に説明しています。

.. 2010年06月05日 18:21   No.216010
++ 柳田 真 (中学生)…30回       
☆ 第2は費用(主として税金)をとても小さくみせる(報道する)ことだ。
たとえば、6,000億円といったり9,000億円といったり。これは共に間違いである。
 もんじゅ=夢の高速増殖炉というならば、その前の常陽(原型炉もんじゅの一つ前の実験炉)も含めて、計算すべきだ。すると、2兆円になる。(内閣府の答弁)
さらに、もんじゅの再処理施設の費用=RETFを入れると、2、6兆円になる。(山崎久隆さんの指摘)
さらに、人件費が別枠なので、30余年の人件費も加えれば、3兆円に近づく。私たちは人件費について質問書を出したい。(六ヶ所再処理工場の費用が8,000億円から3倍の2,2兆円強にふくらんだ事実は記憶に新しい。)

☆ 第3は「兵器級プルトニウムを生産する」を隠して言わないことだ。どのメディアも共通している。

「もんじゅ」は、日本の全原発の中で、唯一、「原爆を造れる98%の最高級のプルトニウム」を造る特殊な原子炉だ。(普通の原発のプルトニウムは60%位。純度がずっと落ちる)
 このことはIAEAも知っていて、それ故国際的「査察」対象の原発であり、日本政府(文科省)は毎年IAEAへ「報告の義務」
 がある原子炉なのである。
 NHKのクローズアップ現代の報道は基本的にもんじゅ推進の基調で作られており「よいできばえでない」という評価が多いが、その中でかろうじて「核拡散を防ぐ」という観点からしてもんじゅは問題があるのではないか、式のコメントが1回だけ短くあった。


□3もんじゅ反対の諸行動をやり抜いた3年間 
たんぽぽ舎は、この3年有余、核開発に反対する会(槌田敦代表)ともんじゅ再開反対及び廃炉署名実行委員会の中軸を担って全力でもんじゅ反対運動を盛り上げてきた。"現代日本の焦点"にピッタリあった行動方針で原発事故が心配なもんじゅ、日本核武装(準備)を許さないの照準=方針は「正確」であった。
 たんぽぽ舎にとっては、9・30臨界事故追及の大衆運動(1−10回の集会・デモ)に続く、第2の大きな連続行動をみんなの力でやり抜いた。

□4 もんじゅ反対で共同の大衆行動をつくり出そう

もんじゅ反対の大衆行動を共同でつくりだそう。チャンスを生かそう。
これまでの二桁の参加者をもう一ランク上げる(三桁に)、広く鋭くを目指して量と質の両方で知恵と工夫をよせあおう。意見を出し合おう。
提案の1つは、共同で数万枚の"もんじゅをやめよう"チラシを作って広く配布することだ。(メール配信やHPも当然)再処理工場反対の行動の時の共同チラシの先例もある。(私たちは5・1メーデーと5・3憲法集会で各2000枚、計4000枚のチラシを配った)
5〜6月は沖縄・日米安保50年で、多くの大衆集会がある。そこに廃止のビラを持ち込むチャンスだ。
2つはもんじゅ反対の東京圏での共同行動委員会をつくり出すことだ。
「推進側のもんじゅの3年間の計画」も射程に入れて、東京圏の個人、団体の力がよりよく発揮できる形の共同行動組織を目指したい。
その中で、連続講演会や、大衆集会、デモ、メディアへの意見広告、核燃料輸送への取組み、メディアへの働きかけ、署名、啓蒙パンフの発行など、共同してできることを相談・討論し行動方針を決めよう。

◎当面6月26日(土)の「もんじゅを廃止に」の講演会
(講師:小林圭二・槌田敦)に参加を 
                        2010.5.19記

.. 2010年06月05日 18:59   No.216011
++ 柳田 真 (中学生)…31回       
(1)6月26日(土)の特殊原子炉「もんじゅ」の講演+方針討論集会(講師:小林圭二さん、槌田 敦さん。方針提起:柳田 真)に、音楽家 朴 保(パク・ポー)氏の“もんじゅ”音楽が加わることになりました。ご期待ください。
 この“もんじゅ”の歌は4月、「もんじゅ」の見える福井県白木浜海岸での運転再開反対集会(500人)でも歌われ、好評でした。
 また、6月8日の森原秀樹集会でも歌われました。朴 保さんは、在日の歌手で、“もんじゅ”の歌は14年前の「もんじゅ」事故の後、朴さんが作詞・作曲して、みずから歌っているものです。

(2)「もんじゅ」を運転し続けると重大事故が…
  「もんじゅ」は、14年5ヶ月ぶりに反対を押し切って、運転再開しました。でも、再開の前提としていた2つ=「安全に準備した」も「情報公開」もできませんでした。再開の前提の2条件ができなかったのですから、当然、運転を中止すべ
  きです。もし、このまま運転を続けると重大事故が発生します。
  今は0〜1%出力ゆえ、それほどでないかもしれないが、来年の40%出力の時(14年前の事故も40%出力で起きた)は心配です。15年前の中古のボロ機械ゆえ何が起こるかわかりません。大惨事の前に、「もんじゅ」の運転を中止すべきです。

(3)槌田敦さんの講演は、「推進派が宣伝する『夢の原子炉もんじゅ』はハッタリ、『増殖』はウソ=増殖しない」を自らの独自の計算に基づいて、話をするものです。また、「CO2温暖化説は間違い」=「CO2対策と称する原発推進策の欺まん」を「2つの裁判」の闘いの内容とあわせて述べます。
  柳田真は、「もんじゅ反対運動の中間総括と今後の方向」(短期方針、長期方針)の素材を提供します。参加者の皆さんとの熱い討論で今後の大衆行動方針の具体化をおおぜいの知恵と討論で作り出しましょう。

(4)6月12日の毎日新聞で小林圭二氏(6/26の講師の1人)が賛成派の人と討論をして「もんじゅ」の根本問題の論点を提示しています。6月26日(土)の討論会に役立つ内容です。
  ごらん下さい。             2010年6月12日

.. 2010年06月13日 07:29   No.216012

■--科学技術
++ 六 (大学院生)…108回          

戦争前の話で正確な年はわからないが、アメリカのある会社がレーダー装置の売り込みにきた。それに対して政府関係の担当だったか、顧問だったか(たぶん顧問あたりだろう)、レーダーの原理はわかっているから、ということで、ちゃちに見えた機械を購入しなかった。原理がわかっても実際につくるのは別種の苦心が必要だろう。そのことに着眼できる人がいなかったために、レーダーの研究が遅れたらしい。レーダーの不備は敗北の一因となった。理論だけでなく、実際を重んじることは今の時代にも必要なことかもしれない。
.. 2010年04月01日 20:27   No.215001

++ タク (社長)…310回       
少し前になりますが、種子島宇宙センターから、国産のH2Aロケット「情報収集衛星」が打ち上げられました。これは「偵察衛星」です。このロケットは、高性能のデジタルカメラと高性能のレーダーによって、雲に遮断されても鮮明な画像が入手できるものなのです。 

だが、日本の衛星の能力は「解像度1〜3メートル」程度です。一方、米国・ロシア・中国の偵察衛星は、20センチ以下が当たり前です。つまり、日本の衛星では人間が何とか分かる程度のものだが、他国の衛星は、その人間の読んでいる本が、漫画本か文庫本かが分かるというほど性能に大きな差があるのです。

.. 2010年04月02日 19:56   No.215002

■--石原莞爾のDVD
++ 伝 (大学院生)…111回          

「激動の時代を生きた天才・石原莞爾」に貴重映画フィルムが収録されている。部分的に見たことがあるような気がするのだが、石原莞爾の音声ははじめて聞いた。自分の中で勝手なイメージがふくらんでいるせいか、姿も声も東北のおっさん?という感じだなと思った。親しいふつうの人という感じである。同志には半分恐縮?したような感じでおじぎ(会釈)をしている。しかし会話の間にうつされる山々が希望の色にかがやいているように感じる。(無論白黒映画である)。こういう映画がいながらに見られるということは技術の恩恵である。技術もこういうことに使われてこそ値打ちを発揮すると思った。昨年の感想だが、石原莞爾に興味のある人は一見の価値があると思って書き込む。在庫があるかないかは知らない。
.. 2010年03月20日 21:13   No.213001

++ 伝六 (大学院生)…105回       
言葉がよく聞き取れないのだが、和田けい(つよしと読むのかも)に対する応対について、おじぎと書いたのだが、ふつうの意味のおじぎではない。かつての部下だったせいもあろうが。おじぎはおじぎでも頭をさげていない。かえってもとより頭をあげているかもしれない。まさに将軍である。二度目のおじぎはそういう感じでないが、よくみると、頭をさげているわけではない。しかし、半分恐縮したというか、そういう言葉ではあらわせない何かがある。
.. 2010年03月21日 16:57   No.213002
++ タク (社長)…309回       
戦時中、石原莞爾は東条英機体制に代わることは出来ませんでしたが、東条英機体制の敵となり、犠牲者として名声があがりました。予言者として喝采を浴び、歴史の変化によって、過去の発言の正しさが実証されたように思われたので、日米両国のジャーナリストも、日本の戦時行政のために積極的支持が禁じられてきた多くの追従者たちも、熱心に石原莞爾の言葉に耳を傾けました。新たな言論活動の機会を利用して、石原莞爾は終戦の数週間後には遊説を始めています。

石原莞爾が特に時間を割いたのは、東北地方の聴衆を前にして、日本の敗戦の原因について話しので東北なまりのままお話されたのではないかと思います。また、極東軍事裁判でも東北なまりで皆様を笑わせたというエピソードもございます。公演では準備も整わないのに戦争へ歩み始めた「東条軍閥」を批判しました。1945年9月中旬、山形県酒田市で開かれた大会には、全国各地から2万人以上もの追従者が集まりました。10月に京都で行われた「新日本の建設」と題する演説は、公の発言のなかで、古くからのテーマについても多く語ったが、新たなテーマに若干言及しました。道徳的新生、科学に基づく強化という発想、東亜連盟の原則論でした。

石原莞爾はまず日本の敗戦の最大の原因は道徳にあり、将来の再建の鍵となるのも道徳であるという見解を述べています。戦後日本の道徳的崩壊をもたらした責任は、近代日本の体制に侵入した西洋の物質主義という不純物にあるので、アジアの路線に沿った日本の新生こそ、日本の再建に不可欠であるというのです。国家再建の目標は、やはり最終戦争における勝利でした。しかし、日本がその戦いに備えることは、太平洋戦争での敗戦で全く不可能になってしまったのです。

.. 2010年03月24日 08:28   No.213003

■--南京大虐殺の問題
++ 伝 (大学院生)…109回          

中国側と日本側で三十万とか最大二十万とかで意見がちがったというが、人数よりも殺害の性質の問題が重要である。南京での戦闘の時、兵士が民間人の服装をした。民間人の服装をして逃げる兵士がいた。降伏ではないから、いつ逆襲するかわからない。そういう兵士を殺害したのも虐殺の数にいれている。東京裁判の論理では日本の戦争は侵略戦争だから兵士を殺しても殺人だという論理である。大体毛沢東は同胞?を二千万人殺したとか言われている。こっちのほうがよっぽど虐殺だ。
.. 2010年02月09日 20:17   No.209001

++ タク (社長)…307回       
中国人にとって「南京大虐殺」は、日本批判の象徴的存在です。なぜ象徴的かというと、それは歴史問題ではなく、政治の問題で、事実がどうだったのかは、議論する事は一切しません。ただ、子々孫々の代まで教科書で「南京大虐殺」を教え込まなくてはならないと決められているのです。一例を挙げると、「中国青年報」では、中国人の日本のイメージを調査した結果を「日本」と聞いて連想されるものは「南京大虐殺」が83.9%、「日本人は残虐」が56.1%だった。

中国の一般の青少年は、もともと日本人について知る機会は非常に少ない。一種の白紙状態のところに徹底したマインド・コントロールをほどこしているというのが、現代の反日教育の実態なのです。この調査からプロパガンダの素晴らしい成果がわかったことでしょう。これでは、中国人と日本人が仲良くできるわけがないのです。「虐殺」は中国人にとって、事実であり、絶対に否定してはいけないもので、殺害された人数についてはさまざまに言われています。

過去、「百万人以上」とされていたが、これでは、揚げ足を取られかねないので、その後、中国共産党の党史部と文宣部は「30万人以上」であることを「決定」し、今日ではそれに対する異説は許されなくなっているのです。数字が確定したので、あとは「侵華日軍南京大屠殺遇難同胞記念館」など、歴史博物館の展示内容と宣伝技術をいかに強化するのが、残された課題なのです。

党によって「虐殺」の史実が「決定」された以上、中国ではこれをめぐるさらなる論議は存在しない。あるのは日本側から「虐殺」否定論がだされるたびに、「絶対謝罪もしなければ反省もしない」と日本民族の醜悪さを喧伝し、「虐殺」プロパガンダの好材料にするくらいのことなのです。

いまの中国にとって「南京大虐殺」は、中華民族の愛国心鼓吹と団結のため、絶対欠かせない聖域となるドグマ(教義)であるから、検証したり考察したりするべきものではないのです。だから歴史の捏造部分が暴露されても、それを国民に知らせる事など絶対にしないし、あらゆるメディアの動員が可能な全体主義国家では、必ずしも「真実は勝つ」とはいかないのです。中国共産党の世界では「虚言が勝つ」ので、中国国民が真実を知らされる事はないのです。

.. 2010年02月11日 18:07   No.209002
++ 伝 (大学院生)…110回       
中国共産党が支配する中国では、真実を言ったら損をする、うそを言っていれば損をすることはないという世相になっているらしい。程度はちがうが、今の日本でも真実が語られることは稀ではなかろうか。正義は最後の勝利である。ただ勝敗は強弱の問題である。正義の人が強くなければ負けるかもしれない。しかし徹底した正義には最終的には味方があらわれる。しかし、そこまで正義の権化となれる人は少ない。虚言には爆裂弾を投ぜよ。人を救うために。
.. 2010年02月13日 11:00   No.209003
++ タク (社長)…308回       
情報化時代の今日でも、中国共産党社会はいまだに「噂の社会」である。中国人が「南京大虐殺」の決定的証拠として挙げる写真は、当時と無関係のものだったり合成だったりで、その多くは捏造であることが明らかになっている。世界的に話題になった中国系アメリカ人アイリス・チャンの著書『ザ・レイプ・オブ・南京』などは、その手の写真を数十枚も掲載して平然としている。これを、鵜呑みにして謝罪している日本人は後を絶たないのです。

明らかに嘘とわかることでも、大声で言った方が勝ち≠セと考えるのが中国共産党政府。これは中国共産党政府の怖さでもあり、弱さでもある。中国共産党政府による近現代史の捏造事実をできるだけ多く取り上げ検証することで、日本人のため中国の民のためになればと思う。中国の要求やコメントが日本に対していかに理不尽かつ自己中心的なものであるか、思慮深い日本国民はわかっているのだと思いますが、愚かな歴史認識問題への日本政府の対応は、一貫して、実に軽率で滑稽である。

常に中国共産党政府や韓国政府から押し付けられる一方的で独善的な歴史観に追従するばかりで、みずからの歴史認識を確立できないでいる。それが、昭和57年の「教科書誤報事件」です。当時、文部省の歴史教科書の検定で、「侵略」との記述が「進出」に書き換えられたとの報道で中国と韓国が激怒し、それが誤報であった事が判明した後も、宮沢喜一官房長官は軽率にも各国に謝罪をし、さらに「善処」まで約束したばかりか、鈴木善幸首相までも中国を訪問して謝罪したのである。

日本政府側はその後「誤報」であったことを確認したのだが、中国、韓国、香港、台湾ではすでに「侵略→進出に書き換え」が事実として定着してしまい、これらの国々のジャーナリストは、今でも「誤報」だったことを知らん振りをして、相変わらず日本の「教科書書き換え」を非難し続けている。まさに格好の非難の的で、この愚かな事実は中華世界でこの先、孫の代まで続くだろう。

.. 2010年02月14日 07:40   No.209004

■--(無題)
++ 井上 年弘 (幼稚園生)…1回          

 2009年10月3日(土)の10・3 NO NUKES FESTA 2009(明治公園)は全国から7000人が結集した。原発についての集会としては、1988年の2万人集会以来の大きな
ものとなった。なかなか東京圏で訴える機会がない原発現地の人から「やってよかった」という声も聞いている。
《民主党政権》 昨年の選挙で政権が交代し民主党・鳩山政権となった。事業仕分けでは原発関連が俎上にあがった。議員を何度も訪問し情報提供もしたが、残念ながら予算削除とはならなかった。運動側としては、民主党が政権をとってからどうするかという展望が足りなかったのが反省点で、来年の予算編成に対しては一層力を入れて聞きたい。
 今「原子力ルネッサンス」と喧伝されている一方で、原発業界内では「プルトニウム利用政策はうまくいくのか?」という記事が出ている。高速増殖炉は原子力大綱では2050年実用化としているが、電気事業連合会の人に直接聞いたところでは「実現した時点で採算性があるものであれば考えます」という姿勢だった。
今年は与党への働きかけをいっそう強め、具体的な政策を提起したい。
 「あってよかった、原水禁」と呼ばれるように運動していきたい。
.. 2010年02月11日 08:11   No.211001


■--平和祈念コンサート
++ 伝六 (大学院生)…104回          

10月24日、平和祈念コンサートにでかけた。「日本の抒情を歌う」というタイトルがついていた。ところで石原莞爾は何かで自分は音楽に趣味をもたず、調子のはずれたところがあることを自覚しているとかいうようなことを書いていたと記憶する。そういう意味で生誕120年にふさわしいというよりおもしろいではないかと思う。新型インフルエンザがはやっているので、どうかと思ったが、空席はあるが盛会であった。会場にはいると案内の人が前の席はどうですかと言ってくれたので、一番前のまんなかあたりにすわった。しかし前に誰もいないというのは若干緊張する。ピアノの人が司会をかねている。なんとなく抒情歌と思っているところに、「えっさえっさえっさほいさっさおさるのかごやだほいさっさ・・」と歌いながら歌手が入ってきた。これ抒情歌だろうかとは思わなかったが、やっぱりつつしんで拝聴していた。顔を見るとおもしろい表情をしている。すわって静かにきく歌ではないように思うが笑うのもおかしいと思って黙ってきいた。歌いおわったところで苦笑?のように少し笑った。これはプログラムにはない歌である。子供がいたら喜ぶのでなかろうか。久しぶりに芸術にふれた。最近はレコードCDでもあまり音楽は聞いていない。感想を書くときりがないが、城ヶ島の雨を歌う前に保坂博光さんが城ヶ島を訪れた折の印象などをはじめに話されたが、その解説?とあいまって歌の心がわかったような気がした。「えーーーふねはーろでやる・・・」と感じが明るくなるところ、ふたたび「あめはふるふる・・・」と内面にむかうところ、がやっぱり肉声できくとちがう。ところで「ろはうたでやる」のところを「うたはろでやる」と歌ったように聞こえた。そうだったら、猿も木から落ちるかな。(笑)いや違和感なく歌うことは素人にはできないので、木から落ちないところが凄い。あまりくだらないことを言ってないで、前後するが、金沢佳代子さんの伴奏で独唱の間で、ベートーベンの「月光」の第一楽章、ショパンのよく聞くが名前は忘れたピアノ曲。レコードではよく聞いたが、ピアノ演奏をじかに聴くことはなかったと思う。迫力のあるショパンである。さいごに「さとうきび畑」をきいた。おわって、みんなで歌いましょうということで、「ふるさと」を歌ったが、すわったままで歌ったので、ちょっと声がでにくかったかな。懇親会にも出席した。東京にいたときに会ったSさんもきていて、思いがけずはなしができた。Yさんとも席をごいっしょした。
.. 2009年10月28日 20:29   No.200001

++ タク (社長)…297回       
充実した時間を過ごせた様で大変良かったですね。私の実践していることはビオトープ水田です。ビオトープ水田でお米やもち米を無農薬で作っています。さらに野菜や果物も有機栽培を試みています。これは父や戸辺先生からの継承しており石原莞爾将軍も実践してきたことです。我々は日々の食べ物を、お金と交換して手に入れています。家庭菜園や、農家だとかいう方は、そうでもないかもしれませんが、私を含めて少数派であることは間違いないです。手に入れた食べ物が我々の身体を作っていくわけです。日本人の食べ物は、多くが海外から輸入されてくるので、我々の身体は、外国から輸入してきた物質で出来ていることになります。

国の農産物は国内の補助金制度で守られ、外国で大量生産された安い農産物が簡単に入ってこない仕組みになっているので、小規模農業も命脈を保っています。しかし補助金を世界中で廃止して、農産物の貿易を自由化にしてしまうと、巨大農業だけが生き残り、小規模農業を押しつぶすことになるでしょう。自由貿易を推進しようとする国から言わせれば、補助金を廃止することによって発展途上国の収入は増加し、1億5千万人の人たちを貧困から救うことができるという理屈です。だが、富の生産という観点からすると、この計算が正しいとしても、現実にその富がどう配分されるかとなると、違った結果になるはずです。

アメリカの農産物補助金が小規模農民には行かず、上位10位に入る大規模農場が補助金の3分の2を独占してしまうだろうという予測です。そうなると小規模の農場がつぶれ、統合され、地価の高騰をまねき、小規模農場はますます経営が苦しくなり、農薬や化学肥料の多用を招くでしょう。農業には生態系、環境、社会、文化などにリンクしており、たんなる富の生産では測れないのです。食物の生産だけでなく、化学物質依存型の農業から脱却し、地域の生態系を守る、土壌生産性を上げて肥料を不要にする、小規模な農民が気候・土壌・土地・作物の特性に精通するといった様々なことを重視しようという方向に進んで欲しいのです。

世界中では毎日約7万件もの農薬中毒が起き、中毒の大半は、農薬の管理や使用中に注意を払うことが困難な貧しい国で発生して、毎年2万人が亡くなっています。海外からの農作物が日本に大量に入っていますが、その裏に犠牲があるのです。使わなくなった農薬を廃棄するのに、ドラム缶に入ったまま、放置しているので中身が流出して周辺の人や生物に被害をあたえることになります。この問題の根本的な解決には、農薬に依存しない農業を発展させることが大切だと思うのです。

ちなみにビオトープ水田の集大成は11月1日日曜日です。お米ともち米の収穫祭、キャンプ場を貸しきり餅つきしてカレーと豚汁などを子どもたちと作り、共同作業から石原莞爾将軍の活動を実践できる方が現れればと考えています。
お天気は全国的に雨のようですが、関東だけは晴れのようです。
今日は秋晴れの良い天気でしたが、朝晩が冷えますので 気を付けてくださいね。

.. 2009年10月30日 09:32   No.200002
++ 鈴木千津子 (幼稚園生)…1回       
お願いです。
年末・助け合い運動の予告です
     
今からご準備いただくと幸いです。

☆★☆山谷労働者に衣類・毛布・お米を贈ろう☆★☆

     いのちを助け、凍死者を防ぎます

     人道支援活動にあなたのご協力を

 11月30日(月)から12月18日(金)までに送って下さい
  
 詳細は11月16日(月)に第2信を発しますのでそれをご覧下さい。
  
 ◎働きたくとも仕事がない、身体が弱ったりしてみあう仕事が少なく、収入がなく食事も満足に取れない山谷労働者に「炊き出し」(給食)します(お米やお金が必要です)
 
 ◎厳冬期に着の身着のままで、路上に寝ている(簡易宿舎に泊まるお金がない)人々に、毛布を掛け、セーターや防寒着を配る−これによって凍死者を毎年減らせます。

 今年も、金融危機・不況で冷たい風が山谷に吹いています。
 炊き出しに並ぶ人の行列が行列が昨年より長くなり,1、5倍〜2倍になっています。(現地から)
 今年は日比谷テント村も設置されない計画(予定)です。
 「派遣切り」される人の苦労が今から予測されます。
  皆さまに支援をよびかけます。
 
●送ってほしいもの
  
 毛布・衣類等…セーター、防寒着、下着、タオル、ズボン、靴下、靴、せっけん、カイロ、

 食品…お米、乾物、缶詰、野菜、

 現金カンパもありがたいです。

 ※子供用、女性用の衣類や、背広・ネクタイ・学生服は不要です。

.. 2009年11月07日 08:01   No.200003
++ 槌田敦 (幼稚園生)…2回       
人は、なぜ「農」に向かうのか?
  失業や貧困の不安を減らし、
  自然生態系の一員として、もっと心豊かに、
  ゆったりと暮らす術はないのか。
  その答えがここにある。

目次紹介

1章 あらゆる生命はエンジンである
2章 気象エンジンがはぐくむ地球の生命
3章 土(陸地)の生態系
4章 水(陸水と海)の生態系
5章 人間社会と生態系の関係
6章 有機肥料と不耕起でつくる豊かな農地
7章 糞尿と湧き水でつくる豊かな漁場
8章 これからの暮らしを考える

タイトル:『「地球生態学」で暮らそう』

.. 2009年11月09日 19:21   No.200004
++ 槌田敦 (幼稚園生)…3回       
12/17『プルサーマルともんじゅ』なぜ強行か?−講演会のご案内です

『プルサーマルともんじゅ』なぜ強行か?
原発推進の破産と日本核武装(隠された狙い)

講 演:広瀬 隆(作家)、槌田 敦(物理学者)
映 像:「上関原発反対」・25分

日 時:12月17日(木)18:00〜21:00
会 場:明治大学リバティータワー地下1階1001室
    (JR御茶ノ水駅・御茶の水橋口下車5分)

九州電力が反対の声を押し切って佐賀県で日本初のプルサーマルを強行した。原発の余裕度が減少し、危険度が増えると指摘されているのに。原発の危険度にプラスして、プルサーマルの危険が上乗せされる。2010年は中部電力浜岡原発4号機、
2月に四国の伊方原発3号機、関西の高浜原発3・4号機の三ヶ所が予定され、日本列島の原発事故危険度が高まる。
特殊原子炉「もんじゅ」も来年2〜3月運転再開が強行される予定。14年間休止していた原発を再開する例は、日本中どこにもない。世界でもない。危険でムダで無謀な行動だ。

隠された狙い−日本の核武装の狙いも含め、的確に批判する講演会です。
祝島の最新映像を上映。(上関原発反対・25分)

資料代:800円


.. 2009年11月24日 19:03   No.200005
++ 柳田 真 (小学校高学年)…23回       
山谷・野宿労働者への支援物資が続々と届く《中間報告》

 セーター、下着、お米など、段ボール箱で100箱を超す。
 現金カンパも。

●たんぽぽ舎が都労連交流会と協力・共同して、東京・山谷の野宿労働者支援(昨年は段ボール箱230箱、現金カンパ20万円、運搬車4回でした)を今年もおこなっています。
 (27回目、年末助け合い)

●今年は、不況が拡大し、日比谷派遣村もおこなわれない中で、今年の共同炊事(炊き出し)にならぶ野宿労働者の人数が1.5〜2.0倍に激増しています。
 12月8日、山谷労働者福祉会館のFさんがみえ、今年の状況を聞いたところ、墨田地区500〜600食、上野地区300〜350食、ヨハネス教会600食で、いずれも昨年より1.5〜2.0倍となっているとのこと。

●たんぽぽ舎の会議室は、全国から送られてくる助け合い物資で半分埋めつくされ、会議室として使用できない状態に近づきつつあります。送られてくる品物は、衣類(ジャケット、ジャンパー、セーター、下着、靴下)が一番多く、タオルや石けんもかなりあります。どれも洗濯されてキレイに段ボール箱に入っています。東京圏を中心に北海道、九州、沖縄からも寄せられ、全国的になっています。これらをみていると、日本人の助け合いの心は「荒れた世相」といわれながらもまだまだ“捨てたものではない”と実感します。

●なお、支援物資の受け付けは、12月18日(金)までですので、どうぞよろしくお願いします。
 山谷の越冬闘争期間は、12月28日(月)昼から、2010年1月4日(月)の朝まで。(行政機関が休みで窓口を閉じている間が支援にとって特に大事なので)

●支援物資をよせていただく皆さんの中で、山谷現地(台東区)へ行って応援したいという意志の方もみえます。現地の支援連絡会議が、近日開催されます。
 たんぽぽ舎も参加予定ですので、参加希望の方はご連絡下さい。

.. 2009年12月10日 08:37   No.200006
++ 柳田 真 (小学校高学年)…24回       
山谷支援物資とカンパ、ありがとうございました

約400箱(ダンボール箱)とカンパ48万5千円がよせられました

             2009年12年28日

年末助け合い運動として今年も山谷野宿者支援(今年で28回目)のお願いをしたところ、予想以上の多くの物資(衣類、お米・缶詰・野菜など)と現金カンパを寄せていただきました。
ありがとうございました。御礼と概要の報告です。

1.よせられた支援物資はダンボール箱で約400箱、山谷労働者福祉会館の車で延べ2回、計5台で運ばれました。(昨年は230箱)防寒着やセーター、毛布、お米などたくさん寄せられました。

2.よせられたカンパは48.5万円になりました。(昨年は20万円+直接送付された分)
3.今年は「日比谷派遣村」がおこなわれないという報道の中で危機感を持った私たちは、昨年以上の取り組みをしました。
 多くのチラシを配り、いくつかの友好団体にチラシの同封を依頼しました。結果として去年より7割以上多くの人の “連帯の心”が寄せられました。現金カンパは2.5倍にもなりました。
 深く感謝いたします。
 この人道支援物資と現金カンパで、一定の人数の野宿労働者が飢えと寒さ(凍死)から救われることになると思います。
 
4.なお、山谷城北福祉センター前での共同炊事は12月28日(月)〜1月4日(月)朝までの8日間おこなわれます。
 衣類などの物資は12月31日(木)にみんなで分けられます

.. 2009年12月29日 06:01   No.200007
++ 槌田敦 (幼稚園生)…4回       
●原子力機構は「もんじゅ」を2〜3月に再開させようとしています。(ただし、福井知事は国の耐震審査合格が先決だと表明しています。)廃原発ネットワーク
(たんぽぽ舎内)と核開発に反対する会(槌田敦代表)は12月〜1月定例会の討議で、それぞれ、もんじゅ再開は無謀、無理、14年間も停止させていた原発を動かした例は世界にない(日本にもない)、もんじゅ再開に反対し、廃炉をめ
ざす行動をこれまでの署名にプラスしておこそうときめました。

◆「ストップ再処理工場・意見広告の会」では、名称をストップ原発&再処理・意見広告の会に改め、今後の活動を、再処理工場反対だけに限定せず、広く原発一般に反対の意思表示をする会として継続していくことを決めました。

 再出発に際し、国内の原発に関してどれも後回しにできない問題が山積ではあるけれど、時系列的に今緊急に反対表明を要するのが、もんじゅ再開に反対し、廃炉を求める意思表示ではないかと考え、3月中に地元福井の新聞に「意見広告」
を出すこと計画しました。近日、もんじゅ反対意見広告の賛同金要請ビラができあがります。

◆もんじゅ反対ツアーを2月6日(土)、7日(日)計画しました。地元の市民団体と協力して、もんじゅ再開は無謀だ、無理だの世論を盛り上げようという目的です。参加者を募集中。詳細はお問い合わせ下さい。茨城の市民団体や静岡
(浜岡)の市民団体も賛同し、一緒に参加されます。

.. 2010年01月14日 06:51   No.200008
++ 柳田 真 (小学校高学年)…25回       
・日本原子力研究開発機構(原子力機構《旧動燃と原研の合併体》)が15年前(1995年12月8日)にナトリウム漏れ事故を起こし、15年間、長期停止させていた特殊原子炉「もんじゅ」を今年の2〜3月に再開しようとしています。
 「もんじゅ」の運転再開は無謀、無理、無駄、であり、事故(惨事)がとても心配です。
 「もんじゅ」の運転再開をやめよ、廃炉にせよと声を大にして訴えます。

・「もんじゅ」は2008年〜2009年の間に、4度も運転再開を延期しています。そのほとんどが原子力機構(旧・動燃)のお粗末でズサンな準備作業に起因しています。たとえば、接触型ナトリウム漏洩検知機の損傷がわかったのも「誤警報」の発生からでした。15年前の事故の原因を考えれば、一番、丁寧に調査、点検すべき筈の機器の点検をやっていなかったことが明らかになりました。排気ダクトの損傷の発覚も同様です。原子力機構(旧・動燃)には、はたして、こういう難しい原子炉を扱う技術があるのか、能力があるのか、組織体制があるのか、−つまりその資格があるのか(事実、無いだろう)−と疑われる事例ばかりです。

・「もんじゅ」についての第一人者である元京大原子炉実験所の小林圭二氏は『恐ろしい「もんじゅ」の運転再開』として、強く警告を出されています。
 「もんじゅ」の冷却系など配管内部の検査はほとんど不可能で、蒸気発生器の伝熱管の小さな孔や狭い亀裂を検知する技術がないため、運転再開は欠陥を見逃したままの見切り発車となる恐れが大きいと指摘されている。つまり事故発生の可能性が非常に高いのだ。これが恐ろしい「もんじゅ」運転再開の実態なのである。東電柏崎刈羽原発(6号、7号)も地震2年後の再開時にはいくつもの故障、トラブルが起きたという前例がある。

・事故発生がとても心配される原子炉が今、動こうとしている。これに反対する声を大きくすることが急務である。私たちは、小さな力ながら全力で「もんじゅ」反対の世論と力を盛り上げて、「もんじゅ」を廃炉にしたい。
 これまでのもんじゅ廃止署名の活動に加えて、2月6日(土)〜7日(日)には「もんじゅ」反対ツアーを四つの市民団体の協力で行い、反対運動を盛り上げたい。
 なお今後、槌田敦氏、地元福井のメディアの記事等々を、『「もんじゅ」読み切り・連載』として、紹介していきたい。

.. 2010年01月23日 06:54   No.200009
++ 柳田 真 (小学校高学年)…26回       
(1)鍵握る地元同意とは、広域の住民の安全、安心

再開手続きの最後の障壁は、地元自治体である敦賀市と福井県の同意です。
「もんじゅ」で最悪事故が起きた場合は、重大な被害が県内全域とその周辺に及ぶことから、「地元」は広域にとらえるべきであり、県内一円とその周辺の住民が安全、安心になれるかどうかにかかっています。そのためには住民に対する十分な説明の場が保障されるべきです。
 専門家の判断とは別に、原子力機構の組織体質や運転、管理の技術的能力に住民が信頼を持てるか、が大きな鍵であることを忘れてはいけません。

(2)14年間もの長期停止した原子炉の健全性は確認できたか

 世界に例がない長期停止後の原子炉の再開は、本当に心配です。とりわけナトリウムを冷却材とする「もんじゅ」の配管腐食の有無がどこまで確認できているかです。
 ナトリウムを注入し、プラント確認試験に入った2年前の県民会議と原子力機構との討論会では重要な疑問が残されたままになっています。例えば2次系冷却配管の健全性について原子力機構が配管内面を調査したのは配管切り口の近くだ
けで、全体のほんの一部に過ぎず、ドレン配管にはナトリウムが残留しているOHPがありました。蒸気発生器伝熱管の健全性の検査をするECT(渦電流探傷試験装置)では、全周減肉でないと測れません。実際の欠陥は、亀裂や穴あきが
多く、それらは検出することができず、検査精度の玄海があります。久米先生を代表として設置したもんじゅ監視委員会は、引き続き継続となっている耐震評価と共に、早急に原子力機構との討論会を開催し、問題点を明らかにします。

(3)「もんじゅ」は巨大地震に耐えられるか

 直下を走る活断層や地震動に関連する耐震評価が総合資源エネルギー調査会の作業部会で審議中です。敦賀半島は地震空白地帯であり、住民が最も不安を大きくしている点でもあります。「もんじゅ」の耐震設計値は、もともと466ガルです。それが耐震見直しの中で600ガルに引き上げられ、さらに760ガルになりました。しかし「計算したら大丈夫でした」といわれても信用できません。
「もんじゅ」ではわずか数百メートルしか離れていないところにM6.9の活断層があり、それを含めて2本の活断層が真下に横たわっています。さらに10キロほどの所にM8クラスの活断層帯もあります。
 耐震補強したのは高さ、100メートルの排気筒だけで、他は耐震補強すらされていません。中越沖地震M6.8では450ガルで許可された柏崎刈羽原発を最大1700ガルが襲っています。しかも震源とされる断層は20キロほど離れています。自治体の責任で徹底した公開の住民説明会の開催を求めます。

.. 2010年02月04日 14:23   No.200010
++ 槌田 敦 (幼稚園生)…2回       
「もんじゅ」はエネルギー問題解決の救世主と宣伝された

 日本が世界に誇った高速増殖原型炉は1994年に誕生し、あつかましくも仏の名前と同じ「もんじゅ」と名付けられた。高速の中性子を使ってプルト(=プルトニウムの意、以下プルトと略す)を増殖する原型の原子炉で、エネルギー問題を解決する救世主と宣伝された。
 しかし、増殖するにはこの「もんじゅ」の使用済み燃料を化学的に再処理し、生産したプルトを完全に回収しなければならない。それは教科書にも書いてあるとおり不可能である。つまり、増殖などできない相談で、旧科技庁と旧動燃は最初からウソを承知で増殖を宣伝した。このウソつき原子炉を「エセもんじゅ」(=「エセ救世主もんじゅ」の意)と呼ぶことにしよう。

「もんじゅ」の目的は核兵器材料の製造

 では何のためにウソをつくのか。エセもんじゅの目的は核兵器材料の製造だった。正常に運転できれば、そのブランケット部分で兵器級プルトを毎年62キロ生産できる。これで核兵器が毎年30発程度生産できて、うまくいけば10年で中国に追いつく。
 しかし、平和利用を建前とする日本ではインドのように軍用を公言できない。
そこで官民一体となって増殖というウソをつき通したのである。そして、このエセもんじゅは核兵器材料の製造の際、大量の放射能を作る人工の悪魔でもあった。

原子炉本体の高額な費用で、周辺部分の費用が削られたのが事故の誘因だった

 このエセもんじゅは胎児のころから貪欲であった。原子炉本体は次々と高額の費用を飲み続け、周辺部分にまわす費用まで奪ってしまった。そのため、周辺部分はすべて業者まかせの発注となり、母体の旧動燃は周辺部分の機器の検査を一
切しなかった。検査に必要な費用が捻出できなかったのである。
 その結果エセもんじゅは誕生(臨界)から1年後に周辺部分でナトリウムを漏らし火災事故を起こした。それから13年エセもんじゅは長期療養状態にある。退院時期(運転再開)が発表されても、別の周辺部分の不具合により取り消されることが続いた。

.. 2010年02月07日 07:55   No.200011
++ 槌田 敦 (幼稚園生)…3回       
周辺部分の不具合が続出
           
 不具合はあちこちで続いた。(1)そもそもナトリウム漏れは、温度計に水流用温度計を使ったからである。それが折れてナトリウムが漏れ出した。(2)また多数のナトリウム漏れ検出器が折れ曲がっていた。(3)点検後のナトリウム検出器に誤作動が続いた。(4)減肉したディーゼル冷却配管などを修理せずそのままにしていた。など
 
排気ダクトの穴で09年2月予定の再開は困難だ
       
 そして(5)補助建屋屋上の鉄製の排気ダクトに穴があいた。13年間使わないとダクト内部の空気がよどみ、塩分を含む湿気により鉄が錆びて無数の小さな穴があく。そこでその穴に外からぺンキを厚く塗って保護していたのだが、1センチ以上と穴が大きくなり、もはやペンキ塗りでの修理は不可能で、公表することにしたと思える。
 このダクトは、燃料交換のときの放射能を含む排気にも使うので、当分燃料交換はできない。来る09年2月に予定した3度目の退院計画もオジャンになるだろう。
 このようにして長期療養がまた延びると、炉心燃料の劣化(プルト241→アメリシウム241)が進み、現炉心燃料は使い物にならなくなって大量交換が必要となる。
だが、その準備も進んでいない。

やる気の見られない職員と役所
          
 エセもんじゅはこのように回復の見込みのない療養末期の状態にある。経産省保安院もあきらめていて、原子力機構(旧動燃)の職員について「劣化の兆候があっても補修さえしていない」と職員のやる気のなさを嘆いている。
 やる気のないのは職員ばかりではない。役所もやる気を失っている。原子力委員会は当分ブランケット燃料の需要がないと見込み、その製造を中止した(06年8月1日)。また、経産省保安院もこのエセもんじゅを「高速増殖原型炉」から、増殖を消して「研究開発段階炉」という変な名前に格下げした(08年10月31日の報告書)。
 エセもんじゅは、装置も、役所も、職員も錆びついている。そして「核兵器生産のための原子炉で、増殖というウソに騙された」と、世論が知ったとき、エセもんじゅは面目をまったく失う。このようにして、世論から突き放された時、役所と職員のやる気はまったく消滅することになる。

大事故の前に署名運動で「もんじゅ」の運転再開を止めよう
         
 エセもんじゅは人工の悪魔である。この悪魔が療養を中途半端にして強制的に退院させられると、核兵器材料作りの無理な作業が始まる。そして弱点だらけの周辺部分の不都合が原子炉本体に波及し、大事故に至る。このときエセもんじゅ
は苦しみでのたうち回るだろうから、放射能の被害はさらに大きくなる。
 そのような大事故になる前に、人工の悪魔エセもんじゅの生命装置を外させて、臨終に至らせる必要がある。これには運転再開を止める署名運動が使える。これまでの東京付近での運動から現地と全国に広げ、「ウソつき原子炉エセもんじゅ

という世論を作り、役所と職員に「もんじゅはもうだめだ」と判断させることで、エセもんじゅの臨終は可能になる。

.. 2010年02月07日 08:00   No.200012

■--パル判決書より
++ 六 (大学院生)…105回          

検察側によって与えられた理由とさまざまな権威の意見とに心配(anxious)注意深い考慮をはらったのち、私は次の結論に達した。
1、戦争のカテゴリーにあるものが国際生活において犯罪または不法となったことはないということ。
2、政府を構成し、その政府の機関として職分をはたした個人は、国際法上、申し立てられた刑事責任を負うことはないということ。
3、国際コミュニティは国家または個人を責め罰する法律的手続きを含むようにすることを可とするような段階にはまだ達していないということ。
私は、申し立てられた日本の計画と共同謀議の目的についてはいかなることも言わなかった。私は、誰も一国家の他国家による支配が国際生活において犯罪になると真面目に論争するとは信じられない。この目的を成就するために企図された手段が合法的かどうかという問題は別として、目的そのものは国際生活において不法または犯罪でなかったことは判決されねばならない。(つづく)
.. 2010年01月08日 21:57   No.207001

++ タク (社長)…302回       
廃刊になったアサヒグラフで原爆の写真を見ました。写真は当時のアサヒカメラマンがかけつけて写したものです。占領軍は原爆の写真を草の根分けても探し出して没収したが、カメラマンは7年間隠しに隠し待ち、昭和27年占領軍が去る日が来たので、アサヒグラフの全誌面をあげて大特集をしたのです。

全身の皮膚をたらしてもなお歩むもの、生きながら早くも蛆虫がわくのをまかせているもの、何気なく見た子供は嘔吐したという。雑誌がいくら売れてもたかが知れている。現に広島市長は「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませぬから」と碑に掘っている。これでは原爆を投下したのは日本人が悪いのだと言わぬばかりだと言ったのは日本人ではなく外国人であるインドのパール判事だったのです。

もし原爆を落とさなかったら、本土決戦になっただろう、そうなれば死傷者は何千万をくだるまいとアメリカの知識人は言い、広島県人でさえあの碑に文句を言う人はいなかった。百聞は一見にしかず、過去「我ら皆人間家族」という写真展があった。ヒューマニズムあふれる黒人一家の写真をもって世界中見せて歩いて成功した。黒人一家に赤子が生まれ、一族喜ぶこと白人一家と変わらぬことを強調した写真展です。

.. 2010年01月12日 09:02   No.207002
++ 六 (大学院生)…106回       
(つづき)他のいかなる見方においても、全国際コミュニティは犯罪的な人種(criminal races)
のコミュニティであろう。少なくとも多くの強国がこの種の生活をしていて、もしこれらの行為が犯罪であるならば、すべての国際コミュニティは犯罪の生活ーあるものは実際犯罪を犯し、他はこれらの犯罪における事実の後の従犯者となっているーを生きている。どのような国家も、これまでそのような行動を犯罪として扱わなかったし、すべての強国はそのような行動をとった国と密接な関係を続けている。法の問題は法の学説と論争の偏狭な歴史のみが保たれて他は強制的に除外されるところの知的隔離領域において決定されるものではない。我々は論争がおこったところの世界について無知でいることはできない。トレイニン氏んぽ期待する事々(hopes) は1943年のモスクワ宣言にもとづいていて、それによって、彼によれば、国々は今や「すべての国家が彼等自身の政体(government form) を選択する権利をもつことを尊重する」ことに同意した。彼の希望は、しかしながら、まだ実際の生活において実現していない。そしてたしかに第二次世界大戦前の、我々が関心をよせる期間の間、強国の政策を反映した趨勢は、そのような希望に対するいかなる余地もさしだし(offer)ていなかったのである。このような状況においては、私は少なくとも第二次世界大戦前には、国際法は、これらの行動を犯罪または不法となすように発達してはいなかったという見解を提起し(prefer)たい。

.. 2010年01月12日 14:12   No.207003
++ 六 (大学院生)…107回       
以上はパル判決書第一部予備的法律問題のおわりの部分で、邦訳書p467〜p469にあたります。「トレイニン氏んぼ」は「トレイニン氏の」の誤植です。連合国の検察側による起訴状にある「本共同謀議の主たる目的は侵略国家に依る世界の他の部分の支配と搾取との獲得及び・・・」という起訴理由に対する見解をのべたものと思われます。
.. 2010年01月17日 14:43   No.207004
++ タク (社長)…305回       
マッカーサー司令部および極東裁判はいかなる理由からか、石原莞爾を戦犯にしないようにと努力した。また検事も戦犯にしないようにと逃げる。これは極東裁判における一大奇観です。石原莞爾としては自ら戦犯を名乗り出て、東京裁判で真実を語ろうと考えていました。それだから当時石原莞爾は堂々と次のような発言をしています。

「戦争裁判も大きな政治の問題で争うべきである。戦争に負けたからといって日本人は卑屈になってはいけない。小さな国際法の問題だけではない。日本を侵略国だといって裁判に付している最中に、どうだ、米ソ両国が互いに侵略者呼ばわりして言い争っているではないか。そして今にも戦争を起こさんばかりに争っているではないか。彼らに良心があるなら、はずかしくて裁判などやれるものではない。」

「大泥棒どもが互いに泥棒呼ばわりをしながら、日本という小泥棒をつかまえて、お前は泥棒したから怪しからんと裁判に付している。アメリカだけが正しい、などということは、後世、ことに今の青少年たちが成長して世界歴史をひもといた場合に、これは甚だ間違っているのではないか、それなら自分たちにも理由がある≠ニ言って、また戦争をまき起こさぬとも限らない。今のうちに正しいことを言うべきである。」

「ヒットラーは英雄であった。これはヒットラーの勝敗には関係ない。ヒットラーは独裁者ではなかった。当時の愚直なドイツ人にはヒットラーのような政治がふさわしかったのだ。また鈍重なロシア人にはスターリンのような専制政治がふさわしいのだ。英国は海賊の子孫で、海賊を働いて一応仕上げてしまったので、今ではもっともらしいことを言っているが、ドイツとしてはヒットラーのようにしなければ生きられなかったのだ。しかしヒットラーは勝利の直前に負けた。ドイツはソ連の陸軍に負けたのではなく米国のB29に負けたのだ」

外国新聞記者も、検事も、石原莞爾に接した者はいずれも、日本に来てこん人に会ったことがない、日本人は権力者に対しては、心にもないお世辞をつかって嘘をいうが、このジェネラルだけは全く嘘なしで、「底知れぬ大きな人物」だと言って、石原莞爾には好感をもっていました。

石原莞爾の取調べに当った検事が、東京裁判が終っての帰国の際に、わざわざ山形県の田舎である日本海沿岸の西山農場まで、見舞い品をもって石原莞爾の病床を訪れた。私の父は石原莞爾の身の回りの世話をして将軍に自分の血を輸血していたのでその出来事を私に語った。「ジェネラルの話は非常に面白かった。ぜひ今までの話を出版していただきたい。そしてその一部を私にも送って下さい」と丁寧に申し入れて帰国したと言います。

.. 2010年01月28日 10:28   No.207005
++ 伝 (大学院生)…107回       
昭和二十年六月二十六日から八月八日まで、ロンドンで連合国(米英仏ソ)の代表が会議を開いてナチス戦争犯罪人の裁判と処罰に関する件について話し合い、国際軍事裁判所条例となる協定をおこなった。ソ連からは、最高裁副長官ニキチェンコ将軍とソビエト科学アカデミー会員トレイニン教授とが参加した。この会合で米代表のジャクソン米最高裁判事は侵略を定義しようとした。これについてニキチェンコ将軍は次のように言っている。「ジャクソン判事の提議した侵略者の定義を議論するのはこの委員会の権限ではないと思う。・・・裁判所には被告がどのような戦争を開始したかを判定する権限はないであろうし、戦争の原因に立ち入る権限もないであろう。条例に「侵略の定義」を入れようとしてもわれわれは裁判所と同様そのような権限はないであろう。これをとりあつかうのは国際連合(UN)または安全保障機構の権限である。裁判所の任務は特殊の犯罪行為を行った戦争犯罪人を裁くことである。」これだけ読むと正論のようであるが、あるいは侵略を定義するならば、終戦まじかに日本を攻撃したことが侵略でないとできるような定義はないだろうと考えたためかもしれない。東京裁判におけるソ連判事はまさに鉄仮面というより、鉄面皮であるが、内心では自分達の行為は侵略だと思っていたと思われる。
.. 2010年01月29日 12:19   No.207006
++ 伝 (大学院生)…108回       
ロンドン協定が8月8日で、ソ連が日本に宣戦布告して攻撃してきたのが、同月9日だから、ニキチェンコ将軍は、ソ連軍の日本侵略を会議の時には知らなかったと思われます。私はロンドン会議のほんの断片の記録を読んだだけなので、無意味の想像を書きました。
.. 2010年01月30日 20:57   No.207007
++ タク (社長)…306回       
昭和20(1945)年8月9日午前零時過ぎ、ソ連軍が日ソ不可侵条約を一方的に破棄して「満州国」へ一斉になだれ込んだ瞬間から、在満日本人の地獄の責苦以上の苦難の日が始まりました。頼みの綱であった関東軍は、一般人の知らぬ間に兵力を転用した為、弱体化していました。

さらに、大本営の作戦方針により満州の4分の3に当たる部分を放棄することに決定して、まる裸となった邦人たちは、対ドイツ戦によって荒みきっていたといわれるソ連兵、長い圧政への復讐の念に燃える現地の人の、暴行、虐殺、掠奪から逃れるすべを持たなかったのです。なかでも、もっとも悲惨だったのが、北辺防備という名目のもとに、辺境に入植していた開拓団の人々でした。

ただでさえ、交通、通信の不便な奥地にあり、戦局の推移に関する情報もわからなかった開拓団が、ソ連参戦の動きを察知することは不可能でした。ソ連の侵入は全く予期せぬ出来事であった。しかも、6月ごろから全面的に行われた関東軍の「根こそぎ動員」によって青壮年男子は兵隊として狩り出され、開拓団に残っていたのは老人と女、子どもだけでした。それだけでも混乱は想像を絶するものがありました。

居住地にとどまる女、子ども。それだけにその混乱は想像を絶するものがあった。逃れるにしてもその運命に大差はありませんでした。半生を賭して切り開いてきた土地を見捨てて南部へ逃れた人々も、途中、ソ連軍や現地の人の襲撃に遭い、足手まといの子どもたちを自らの手で処分したあと自決する者が相次いだのです。そして、死と飢えの恐怖と戦いながら、各地の収容所に辿り着いた人々にも、似たような運命が待ちかまえていたのです。

たとえば浜江省県伊漢通開拓団跡の収容所に、終戦から翌21年5月までの間に収容された8640名の場合、ソ連軍に拉致された者460、脱走2360、現地人の妻となった者2300、ハルピンへ逃れたもの1200、現地在留1120となっている。そして全開拓団人口約27万のうち死亡者は8万、約30%にのぼり、在満日本人総数約195万人のうち開拓団人口が占める比率が約14%であるのに対し、死亡者は17万6000対8万で実に50%という比率になる。

満州開拓団は日露戦争以後の大陸進出政策の展開の中で、国内、とくに農村不況の打開と北辺防備という一石二鳥の効果を狙って国策の名のもとに推進されてきました。満州事変後の「満州国」建設は、石原莞爾将軍の下、五族協和、王道楽土というスローガンの下で平和な日々を過ごしていた豊かな満州国だった。

だが、石原莞爾が左遷されてからは東条英機率いる関東軍がはびこるようになり、太平洋戦争に突入すると、軍事的、産業的要請に基づいて戦時施策の重点として奨励されたのです。まさに日本民族の大移動であった。そして国策に従い、新天地開拓の理想に燃えて渡満した素朴な農民たちを待ち受けていたのがこの悲劇な運命だったのです。

そしてこの悲劇を招いた直後の原因は、五族協和(満州・モンゴル・中国・朝鮮・日本)を標榜しながらも、日本人の指導意識が露骨にあらわれたこと、さらに開戦後、労務供出、糧穀出荷といった強制が現地の人の反感を買ったことにあり、それが日本の敗戦とともに報復行為にかりたてたといえるでしょう。しかし開拓団の場合、現地の農民の間には、同じ土地に生きることの親近感から、悲惨な開拓団民に対して恩讐を超えて暖かい救いの手を差し伸べた人たちも決して少なくなかったの事実です。

.. 2010年02月04日 06:36   No.207008

■--ありがとうございます
++ 森生 文乃 (小学校低学年)…6回          

石原ゆかりの皆様にお目にかかれてうれしかったです。皆様
お元気そうでなによりです。
ところで先ほど島田さんにメールしたら戻ってきてしまいました。
島田さんのホームページからもトライしてみましたが
heightsm@ybb.ne.jp でやっぱりダメでした。
最近のメールアドレスもしご存知でしたら お手数ながらお教えい
ただければ幸いです。


取り急ぎご挨拶まで。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

森生 文乃
.. 2010年01月19日 08:11   No.208001

++ タク (社長)…303回       
2005 11/1(火) に、森生さんから始めてのメールを頂いてからあっという間に時が過ぎました。
酒田の本間家の事を調べている内に石原莞爾の存在を知ったのですよね。
仲條家は本間家と親戚ですので、石原莞爾将軍のお墓へ行くということでしたので
直ぐに武田邦太郎先生へお電話しました。

また石原莞爾平和思想研究会の会員になっていただきお子様を連れて参加して頂
とてもありがたかったです。
いい思い出になっております。

さて、島田さんのメールアドレスの件ですが、パソコンが壊れてしまったということでした。
普及しましたらお知らせいたします。

去年は森生さんのお知り合いだという高羅の方が私が代表を努めるビオトープ水田へ
お手伝いに来てくれました。
感謝です。

お返事遅くなってすいません。
私のパソコンも壊れてしまいました・・・・・

.. 2010年01月19日 16:31   No.208002
++ 森生 文乃 (小学校低学年)…7回       
どうも〜
ありがとうございます。
お墓に行った時、武田先生のご連絡下さったのですか。ありがとう
ございました。
でも行った日は ずいぶん遅い到着になり、もう暗かったし、雨も
降っていたので、まさか待っておられたのではないと思いますが。。。
(バケツ持っていらしたので、お掃除にいらしていたようですが)
とにかくお目にかかれて良かったです!!!

島田さんも中條さんもパソコン壊れちゃったとか。電気系は連動し
ているのでしょうか。
でも御連絡いただけてありがたいです。
取り急ぎお礼まで。
ではお元気で。


森生 文乃

.. 2010年01月20日 07:03   No.208003
++ タク (社長)…304回       
こちらこそありがとうございました。
武田先生はお墓の掃除をしていただいていたのですか。
お墓は父が水道をひいたり、整備したりと大切にしていました。
今は石原莞爾将軍と供にその地に眠っておられます。
武田先生はじめ石原莞爾平和思想顕彰会の皆様には感謝しております。

私のパソコンはファイヤーウォールをすり抜け、とても重いプログラムスパムが
入り込んでしまったようです。
3日間かけていろいろとプロと一緒に努力したのですが初期化することにしました。
ご心配していただき有難うございました。
では、お体に気をつけて頑張ってくださいませ。

.. 2010年01月20日 10:14   No.208004

■--超俗の人
++ 伝 (大学院生)…106回          

チョー俗でなくて、超越の超俗である。石原莞爾は連隊長のときに、できるなら自分は一生連隊長でいたいと言ったそうだ。これはその時の気持ちであって、変化したかもしれないが、地位を得たいということはどうも思わなかったらしい。ただ、理想を実行するために地位を得たいと思ったことはあるようだ。「いっさい夢にござ候」という本を読んでいたとき、本間将軍が富士子夫人に「・・大将の夢は斯くて果敢なく破れたりと雖も・・」と手紙に書いているのを読んで、詩人将軍でもこうかと思って、石原将軍のことを思った。もちろん私の中の石原将軍であって、実際はどうだったかをくわしく調べたわけではない。
.. 2010年01月03日 13:23   No.206001

++ タク (社長)…301回       
石原莞爾は、戦争の嫌いな軍人だった。「私は、戦争は嫌いだ。頭の禿げた自分が死ぬのは何とも思っていないが、若い人たちを沢山殺し、妻子のある兵士たちを殺すのは忍び難い。」これが石原莞爾の心情でした。この言葉は石原莞爾が連隊長をしていた仙台で言った言葉です。

石原莞爾が参謀本部の作戦課長をしていた当時、石原莞爾と同期で親交のあった陸軍省の軍事課長をしていた町尻量基大佐は、石原莞爾の性格をこう評しています。「石原は戦争の嫌いな軍人だよ。あの男は、99%勝つ見込みがないと戦争はしないよ。よくよくのことでもない限り、戦争をしたがらない。」

石原莞爾は兵を敬愛していました。この敬愛の念は石原莞爾が少尉時代に過ごした会津若松時代からです。石原自身「銃剣術の猛訓練によって養われたものは、兵に対する敬愛の念であった」といっています。いつの場合でも、石原莞爾の戦法は、兵が主であり、将校は従であった。「兵を疲らせるな」「兵を大切にせよ」石原莞爾の注意は常に兵士にあったのです。「兵を敬愛する」、正義に反する無謀な戦争は石原莞爾には出来なかったのです。

.. 2010年01月10日 12:20   No.206002

■--戦犯裁判という戦争犯罪
++ 伝 (大学院生)…105回          

「パル判決書」に次のような箇所がある。「ハーグ規定は、交戦国(者)に、武器を捨てたか、もはや防御の手段をなくして無条件で降伏した敵を、殺傷すること、または助命を許さないと宣言することを明確に禁じている。(中略)その法は現在有効であるので、もし戦勝国が国際法の正当な手続きをするのでなく俘虜を処刑するならば、それは戦勝国の側の「厳密な意味における」戦争犯罪である。もちろん現在誰もその犯罪を責める者はいないであろうけれども。」(私訳。邦訳パル判決書のp420の箇所)現在にいたっても戦勝国の戦争犯罪をとがめる人はいないけれども、歴史として、BC級戦犯裁判は「戦犯裁判」と名づけて戦勝国が行った戦争犯罪であるという評価はしておかねばならない。しかし、今のところ、この意見を理解する人は一万人に一人くらいかもしれないと思っている。
.. 2009年12月20日 16:44   No.205001

++ タク (社長)…300回       
石原莞爾は自ら戦争犯罪人であることを公言し、極東軍事裁判に対しても、たえず戦争犯罪人になろうと努力していました。このことは多くの人々が、戦争犯罪人にされまいとして、何とか逃れよう、逃れようとしていた事とは全く正反対の行動です。

結局、石原莞爾は、満州事変に関し極東裁判の証人として法廷に立ったのですが、これよりさきに石原莞爾は、終戦と同時に重慶通信社から特派されてきた中国記者宗徳和に、自分が理想を描いて着手した満州国が、心無い日本人によって根底から崩されたことに対して、次の如く述べています。

「満州国独立の結果は、日本人が満州を独占して多民族を圧迫し、建設そのものもただ単に多くのビルの建築と鉄道の敷設に止まり、産業開発もまた期待を裏切った。俺は在満中国人に対する約束を裏切った。この意味に於て、俺は立派な戦争犯罪人だ。俺はこれら独立に協力した中国人に対し、はなはだ済まなかったと考えている。ただ中国の当局者がこれらの人々に寛大な態度をもって臨まれるよう希望するのみだ。・・・溥儀を皇帝に推すことに関してはなんらの関心も持っていなかった」

石原莞爾が五族協和の理想的王道楽土建設のため、職を賭して努力したことは周知の事実であり、正しいと信ずるところに向っては、道理を楯として全世界を相手に闘うことも辞さない強固な信念がいかなる場合にもゆるぎなく、外国の判検事らの問いに対しても大胆に答え、道理に合わぬことには断じて屈しない。叱る、罵倒する、諭す、小児扱いに翻弄する、冗談も語る、といった石原莞爾式の態度はどんな人に対しても変りがないのです。

.. 2009年12月25日 09:53   No.205002

■--太陽光発電
++ 六 (大学生)…96回          

原子力発電では放射性廃棄物ができるから、太陽光発電をしたらどうかとは、誰でも考えることであるが、政府は三四年前まで、あるいは、一二年前まで、太陽光発電はコストがかかるから、原子力発電が必要と説明していたと記憶する。アメリカが太陽光発電に取り組みだしたら、コストが急に下がるのだろうか。よいとわかったら、実現のための工夫をする。それをしないのが、日本人の悪いところだと石原将軍は言ったというが、その悪いところがなおっていない。光電効果による太陽光発電が果たして次世代のエネルギーとなるかどうかは、よく調べるべきであろう。太陽光を利用して、水を分解して水素をつくる着想をもち研究した人があったが、実用化にはいたらなかったようだ。しかし、ほんとうにできないのだろうか。アメリカの太陽光発電はアメリカのためにやるので、人類の福祉を考えてのものではない。
.. 2009年06月27日 17:53   No.189001

++ タク (社長)…285回       
太陽光発電は、世界の各地で可能性があります。アフリカや、中央アジアの広大な砂漠に巨大な太陽光発電設備を設置して発電、水素を生産するという構想がつくられています。一番の問題はコストです。日本の住宅用の太陽光発電装置を普及しようとしていますが、約4キロワットの装置で300万円と非常に高価であり、経済性は悪いのが実情です。砂漠は、長時間毎日が晴天で日照時間が長いのが有利だが、巨大な設備を設置するのにどれほどの大幅なコストダウンができるのかが、長期の課題ですね。

.. 2009年06月30日 08:36   No.189002
++ 柳田真 (幼稚園生)…1回       
11月15日(日)千葉市内で、千葉県保険医協会主催の環境問題学習
 講演会=『二酸化炭素温暖化説はなぜ崩壊したか〜エネルギー消費の正しい解決策と原発問題』…講師・広瀬隆さん…が開かれた。
  A4判8頁の資料と約700枚のスライドを使って3時間余の大熱演であった。話の内容は、世間一般でいうCO2地球温暖化犯人説のウソ・インチキを具体的な事実と数字で示して、IPCC(気
 候変動に関する政府間パネル)の数字のマヤ化し、世界が温暖化の根拠とした「以前出した数字資料」をいつの間にか隠してしまい、別の数字にしてしまうインチキをバクロして、「IPCCは詐欺集団である」と断言した。又、質疑応答では、「CO2温暖化説は原発の推進者が意図的に進めたのか?」の問いに対し、「発端はそうだった」と答え、プラス不勉強なマスメディア等の誤報道・検証なき不正確報道も加わって、一般国民の無知が加担してきたが、最近の地球寒冷化の事実などにより、変化が出てきている。

◎当日の講演とレジメの中から印象深い点をいくつか抜粋して紹介

 △約5000年前、温暖化による海面上昇を証拠づける縄文時代の関東地方の貝塚―石炭も石油も使わなかった縄文時代は、現在よりもはるかに温暖な気候だった。
  又、江戸時代の1780年代に天明の大飢饉が起きた(寒冷化時代があった)。
 
 △赤祖父俊一著「正しく知る地球温暖化〜誤った地球温暖化論に惑わされないように」が正しく指摘するように、IPCCの数字は、1400〜1800年頃まで続いた地球寒冷期(小氷河期)が無視されている誤り、IPCCの発表内容は「科学者の一致した意見」という根拠は何もない、との指摘(赤祖父氏はアラスカ大学国際北極圏研究センターの所長で、第一人者)。

 △2001年のIPCCの第3次報告書にあった図−IPCCが地球温暖化は人為的な二酸化炭素によるものと主張する最大の根拠の図−が2007年の報告書では消されてしまった。なぜ消えたか。
 そこには不都合な真実がある筈だ。

.. 2009年11月28日 08:38   No.189003
++ 山崎久隆 (中学生)…36回       
 民主党,社民党、国民新党の連立政権が出来てから2ヶ月が過ぎようとしている。
 その間に、目に見える変化はあまりないが、期待感は高まっている。
特に、これまで聖域となっていていかなる不祥事があろうと手付かずだった原子力関連予算に「見直し」の手が入る可能性が出てきている。
 本来原発は、電力会社の所有物であり、その技術開発はほとんど全て終わっている。現段階で出来ていないことは今後も実現可能性はほとんどない。この場合の「実現可能性」とは、現在の試験研究分野の商業ベースでの技術開発か、画期的な新技術の開発を意味する。
 自立した産業ならば、国の予算は必要ないはずである。しかし実際には莫大な予算が組まれている。

原発と核兵器

 原発の原型は核兵器の開発手段としてスタートし、その途中に原潜などの核動力兵器開発の中で技術開発が進められた結果の副産物である。どちらにしろ採算概念がまるで異なる世界のものである。核兵器など兵器開発では採算ベースよりも他との代替性が問題となる。つまり他に換えがたい能力や威力が重要視されれば、採算は代替物がないかぎり度外視される。
 核兵器に勝る威力の兵器はみあたらない。また、原子力動力のように無補給で何年も稼動を続けられるエンジンも存在しない。
 これがキロワットあたり廃棄物処理費用なども含めてどのくらいのコストがかかるかを厳密に損得勘定する電力の生産現場(ただし原発以外)とは全く異なることくらいは誰にでもわかるであろう。
 しかし核兵器国の軍需産業はそうも言ってはいられない。
 核兵器開発だけでは必要な量を生産できれば、それ以上の設備はいらなくなってしまい、さすがの採算度外視でも利益が見込めなくなる。
そこで登場するのが「原子力の平和利用」というドグマである。
 成立しない教義を世界に押しつけた最大の理由は、核の拡散である。
もっとも核兵器としてではなくねらいは原子力発電所であったが。
 教義が成立しない理由は言うまでもない。廃棄物管理能力の欠如と廃棄物管理費用の重さとウランそのものの採算ベースでの枯渇である。ウラン資源は石油よりも短命であり、逆立ちしても石油代替燃料になるはずがない。なお、高速増殖炉計画は金がかかりすぎる上あまりにも危険で、深刻な核拡散をもたらすために、永久に実現不可能である。
 廃棄物管理は、米国もドイツも現在の立地場所は埋め捨て方式の地下処分が不可能との結論に達したように、決め手に欠いている。まして火山国で地殻変動地帯のまっただ中の日本にそんなことができる場所などありはしない。
 こんなことさえもろくに検討もされずに、毎年何千億円もの原子力予算が湯水のごとく投じられてきた。八ッ場ダム何基分か。

.. 2009年12月02日 06:19   No.189004
++ 山崎久隆 (中学生)…37回       
原発が地域を破壊

 一般に新技術はスタート時点ではある程度の補助がないと広がらない。
しかしこれが「ものになる」とわかれば、あとは何もしなくても世界からの投資が集まるであろう。
 しかし原発はいまでも莫大な補助金漬けのままである。カネが降ってこなければ誰も誘致などしないからだ。
 これが地域社会を破壊する。人を分断し、差別し、心を荒廃させる。
多くは過疎地に作られるという意味でもダム建設に似ている。立地点で得られる利益はほとんどなく、電力は頭の上を通り過ぎて大都会に流れてゆく。
 このような「迷惑施設」のために、国は電源開発促進税を創設し、キロワットあたり0.4円程度を徴収している。年間4000億円以上の莫大な資金が投じられることで、原発立地市町村には立派な公共施設が必ずあるが、いずれは維持管理費用に追われることになる。
 原発の固定資産税なども最初のうちは莫大であるが、償却期間が過ぎればほとんど入らなくなる。建設から30年以上たった原発は、地域に
ほとんどカネを落とさず、事故の危険性だけが増え続けることになる。
 原発で栄えた自治体は皆無だ。
 いま、原発立地自治体でもある福島県双葉町が福島県内で唯一、財政破綻一歩手前の「早期健全化団体」になった。その理由がひどい。東京
電力福島第一原発の5,6号機が立地しているが、ここにさらに7,8号機の建設計画がある。その交付金や固定資産税を当て込んで公共投資
をしたあげくに立地が白紙となったために破綻の危機に瀕したという。
これこそが政治の責任である。

地震と原発の危険な関係

 新政権に期待したいのは、科学的検証だ。特に原発と地震は徹底的にやる必要がある。
 岩波書店の「科学11月号」には「新政権へ科学者からのメッセージ」という特集が組まれているが、「原発震災」回避が新政権の世界に対す
る責任」として石橋克彦さんが寄稿している。浜岡原発と東海地震を、8月11日に起きた駿河湾の地震により仮想東海地震の想定地震東を超えてしまったことから、実際に起きた地震と比べて200倍前後のエネルギーである東海地震では、原発震災を引き起こす可能性が高く、その影響は地球規模になることから、原発震災回避が日本の責任と指摘、さらに原発推進機関から安全規制機関を完全に分離独立させないと、日本は不作為の大罪を犯すことになると警告している。
 石橋さんも指摘するとおり浜岡原発は日本の自爆装置のような存在だ。
1,2号機は既に運転を止めているが、3〜5号機は稼働中だし、1,2号機の代わりに6号機を建てる計画を明らかにしている。呆れる他はない。
 今後襲来すると思われる地震は、東海地震単独でもマグニチュード8級、東海、東南海、南海地震の連動型だとマグニチュード8.5になる
と推定される。
 この地震の特徴は、震動継続時間の長さにある。
 揺れそのものの大きさは、地盤によりかなりの違いがある。しかしマグニチュード8を超える地震だと必ずあるのが長い震動継続時間だ。
 一分も揺れ続ける地震動の最中に津波も襲いかかる。中越沖地震のように10秒足らずで大きな揺れが納まるのとはわけが違う。
 ところが国や電力は東海地震が来ても揺れは1000ガル程度であり、補強をすれば問題ないとする。震動継続時間が長ければそれだけ大きな
破壊を引き起こすことを甘く見ているとしか言いようがない。
 とんでもない過小評価で設計を行った浜岡原発で、今後「想定通り」に耐震性を発揮する保障はまずないだろう。

.. 2009年12月02日 08:07   No.189005

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