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石原莞爾関係の掲示板

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■--憲法前文の平和主義
++ 伝六 (小学校高学年)…25回          

「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」。この前文をよんだら、冗談がきついねというか、アホ国民と思うか、ウソをつく国民の思うか、そういうところだろう。感心する他国民があるとは思えない。もし平和憲法をまもりたいなら、「・・・・、われらの安全と生存がおびやかされても戦争放棄を決意した」とするべきである。そうでなければ、幻想の前文である。ところで、平和を愛する諸国民というのは、連合国の国民ということである。そうではないという人がいますか。
.. 2006年11月17日 10:04   No.32001

++ タク (中学生)…44回       
最近、親父の同志達とお会いする機会が増え、親父が行なおうとしていた志が最近になって少しずつ解るような気がします。私は親父に、深く感謝します。「誇りに思う」この言葉が最適かな?人間的な誇り、これこそ我々が出会う価値で、至上的なものではないだろうか?日本人が忘れていたもの、それは排他的ではない、自尊と誇りではないか。平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼し、同時に日本人としての誇りを持つことも大切な事だと気がついてきました。

.. 2006年11月18日 21:53   No.32002
++ 伝六 (小学校高学年)…26回       
「ウソをつく国民の思うか」は「ウソをつく国民と思うか」のまちがいです。平和を愛する諸国民があっても、その国民から構成される国家が、非常にしばしば、不公正で、信義にもとることは歴史上の事実であり、今もそう改善はされていない。悪くなった面もあるかもしれない。
.. 2006年11月18日 22:01   No.32003
++ タク (中学生)…45回       
日本国憲法の前文には、日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、我等の安全と生存を保持しようと決意した。我等は、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてえる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。我等は、全世界の国民が、等しく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有する事を確認する。と言うようなことが書いてあるのですかけどね。

.. 2006年11月19日 17:27   No.32004
++ 伝 (小学校中学年)…12回       
日本国憲法前文は、占領軍のハッシー中佐が草案を書いたのですね。それを日本側で手直ししてできたもののようです。ハッシー中佐の原文では、前文の中に戦争放棄がうたってあったけれど、マッカーサーの指示で、憲法条文の中にうつされた。この前文は、当然日本がポツダム宣言を受諾して降伏したという事実がもりこまれている筈です。ポツダム宣言には、日本国軍隊の無条件降伏と、それにつづいて帝国陸海軍を解体する旨が書かれていたから、約束を重んじるなら、戦後日本は軍備なしに出発しなければならない。理想についてはわかりませんが現実問題として、昭和天皇は新日本を戦争放棄の方向で建設しようと考えられたでしょう。平和愛好国?の連合国が日本に軍隊をもたないことを要求したのです。しかし、終戦から、数年のうちに、連合国どうしが戦争をはじめた。その時点で憲法をつくっていたら、ひょっとしたら平和憲法はできなかったかもしれない。それはともかく、軍隊なしでいこうというのには、軍隊をもったとき以上の国防意識が必要と思うのですが、結構ノーテンキでやってきて、自衛隊はあるものの軍隊ではないことになっているから、戦力もないことになっているという、変な状態で、軍国主義になるのは阻止したいけれど、妙ちきりんな状態のように思います。
.. 2006年11月19日 22:30   No.32005
++ タク (中学生)…46回       
占領下にアメリカの手によって起草された日本国憲法は、その後、冷戦が表面化したため、起草者であるアメリカ自らの手で拡大解釈され、平和憲法の趣旨を大きく逸脱させられてしまったのですよね。しかもその後の国際情勢の変化とアメリカの世界戦略の変化により、憲法第9条の拡大解釈は歯止めなく進み、もはや憲法第9条は蔑ろにされているのです。この状態を放置しておくことは、法治国家としての日本をモラルハザードに追い込むばかりか、アメリカの軍事戦略に沿った日米同盟体制を、黙って許すことになると思います。

憲法第9条の改正を口にすると、直ちに軍国主義化という批判が出てきますが、しかしこの状態では、平和憲法を守るためにこそ憲法改正が必要だという認識を持たねばならない時期にきているような気がします。憲法第9条を擁護し続ける人たちは、皮肉にも憲法改正を頭から拒否し続けることによって、政権政党と官僚による違憲行為をなし崩し的に許しているのですよね。自民党と官僚がアメリカに言われるままに日本の軍事力を増強してきたことに、どんな効果的な対抗策も打ち出せなかったのは事実なのです。

.. 2006年11月20日 08:17   No.32006

■--中部電力・浜岡原発ツアーの見学報告
++ たんぽぽ舎 (小学校低学年)…6回          

1.付け焼き刃ではやはりダメ、安全性確保には廃炉しかない

  −根付かない松、破れた金網、沈み込んだテトラポット…津波対策の現状−

 2006年秋の浜岡ツアーが11月4日(土)〜5日(日)に行われたので参加してきました。浜岡原発を考える静岡ネットワーク(略称浜ネット)の総会に参加することとスマトラ沖地震以降に対策が立てられた浜岡原発の津波対策の現状の確認の2つが主な目的です。
 私は時間の都合で浜ネットの総会に出ることは出来ませんでした。総会の報告は後日します。集会終了後の懇親会では『「通販生活」の浜岡原発の特集などにより今までこういう運動に関わっていない層からの参加者も若干とはいえ増えた』とのうれしい話も聞かれました。
 次の日に浜岡原発に行きました。「10メートルの天然の堤防があるので津波が来ても原発は大丈夫」と中電は宣伝しているようですが、スマトラ地震に危機感を持ったようで、2005年の春に浜岡ツアーで見学した際に石を詰めたネットや土のうを積み上げたり、松を植えたり護岸工事を行っていました。
 それがどうなっているか確認しましたが、松の高さは私の腰の高さしかなく、松と松の間隔も隙間だらけでとても防風林の役目を果たせるものではなく、参加者の中から「まるで盆栽のようだ」との声まで挙がる始末です。石を詰めたネットも、ネットの脇から石が出たものや壊れたものが目につきました。壊れて飛び出た針金は参加者の通行の邪魔にしかなっていませんでした。土のうは完全に砂浜に埋もれてしまっていますし、テトラポットもテトラポットの下の砂が運ばれてしまい、海に砂が流されない予防の意味をなしていません。
 予想できたこととはいえ、中部電力の津波対策は所詮付け焼き刃でしかありませんでした。
 
 安全性を確保するには結局のところ浜岡原発の廃止しかないでしょう。            
アツミマサズミ

2.東海地震の震源域の真っ只中にある中部電力・浜岡原発(1号機〜5号機)は世界一危険と指摘される原発です。地震エネルギーは今も着々とたまり続けていて、浜岡原発に危険が迫ってきています。一刻も早い「原発停止」が望まれます。
 又、原子力(原発・原爆)のゴミでつくられる劣化ウラン弾(劣化ウラン兵器)もイラクやアフガニスタン、パレスチナで放射能と重金属毒性の二つをまきちらしています。この劣化ウラン兵器禁止をめざす国際行動・東京圏集会が11月12日(日)文京区民センターで開催されます。
 (13:00〜17:30 第2部は18:00〜19:30)
.. 2006年11月09日 08:32   No.30001

++ たんぽぽ舎 (小学校低学年)…7回       
 中川昭一自民党政調会長、麻生外務大臣、中曽根元首相、安倍総理大臣の本音は
 『北朝鮮の核実験を口実に日本も原爆を持ちたい』というものだ

 自民党の山崎拓氏は言っている(朝日11月1日)『「中川氏が核武装には反対だが議論はすべきだ」と言うならまず、反対の理由を明確にすべきだ。核武装論には戦前回帰の軍国思想が内包されているように思える』と。自民党の安全保障調査会長の山崎拓氏ですらこの発言である。
 もっとハッキリ言えば、中川・麻生の言う「核武装には反対だが…」が本物なら、核を持たないということだから「核保有議論をしよう」の意味がまったくないわけである。
 つまり、中川・麻生・中曽根の本音は核武装(日本も原爆を持つこと)なのだ。安倍首相も本音は同じだ。分業して日本核武装を準備する内閣−自民党といえようか。
 自民党中川、麻生外務大臣、中曽根元首相の発言(核保有)には深い底流があります。この歴史的経過と背景を追い、ニッポン核武装の疑惑を追及する本格的討論の第一歩です。11月23日(木・休日)の講演・討論会(第1回)にぜひご参加を!
 12月に第2回を予定します。

 日 時:11月23日(木)休日 13:00開場 13:30開会〜17:00
 会 場:こんぴら会館 03-3811-2038
    JR水道橋駅東口下車3分 全水道会館の裏
 資料代:1000円


.. 2006年11月14日 08:12   No.30002
++ 山崎久隆 (幼稚園生)…1回       
 10月9日午前10時35分頃、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)はかねてからの宣言通り、朝鮮半島北東部の地下実験施設において、プルトニウム型原爆の実験と
見られる核爆発実験を行った。朝鮮中央通信が同日12時に「安全に核実験を実施し、成功した」と報じたことからも、成功したかどうかは不明ながらも、核爆発
を引き起こそうとした実験を行ったこと自体は、事実と見て良いであろう。
 このような暴挙には強い怒りと悲しみの感情を持つ。断固抗議をし、直ちに核兵器並びに核兵器につながるあらゆるシステムを放棄し、核拡散防止条約と6者協議の場に復帰するよう求める。

●核武装国などいらない

 始めに述べておくが、私はどの国であろうと核兵器を保有する国については、二流国以下だと思っている。国際の平和と安全にとって核兵器ほど逆行するものは無い。核を持つ国(もちろん国民ではなく国家体制であるが)などは消滅してもかまわないとさえ思う。もちろん消滅させるべきだと言っているわけではない。
 核兵器そのものの非人道性は言うに及ばずだがそれだけではない。そうでなければ人に対して使わなければ良いのかという話になってしまう。
 核兵器の保有をめざし、その開発を行い、核実験を含む様々な実験を繰り返し、核爆弾級の濃縮ウランや高純度プルトニウム239を入手し、あるいは自国プラントで生成する。これら全ての課程は国家最高機密の元で行われ、それに従事する人間も企業も機関も、ありとあらゆる監視体制下に置かれ、およそ自由と民主主義とはかけ離れた空間と時間が作り出され、そのなかで忌まわしい兵器を開発する。この構図そのものが情報を秘匿し、非民主的行為を横行させ、国をして疲弊させ、ひいては国民全体、場合によっては周辺国や仮想敵国を破滅にまで追いやるシステムそのものであるからだ。
 核兵器はその開発段階から未曾有の犠牲を、まず自国内(およびその周辺)の民衆に与えるものである。ネバダ核実験場の風下の人々、旧ソ連セミパラチンスク
やノバヤゼムリャの多くのヒバクシャ、中国もフランス(ナイジェリアと南太平洋)も英国(オーストラリア)もインドもパキスタンもイスラエルも南アフリカも、
そのことは米ソ冷戦時代から幾多の国により繰り返され、悲劇を生み出し続けてきたではないか。
 核兵器はひとたび使われれば未曾有の惨事を生むことまでは、既に多くの人々が知ることとなったかもしれないが、その開発過程においても多くの犠牲を強い
るものである。知られていないだけで、北朝鮮の原子炉と使用済燃料プールの管理の仕方はわずかな映像で見るだけでも極めて危険であることがわかる。精神論
で放射線が防護できるわけがないのだから、どれほど多くの技術者が犠牲になったかと思わずにいられない。
 国家体制の維持であろうと究極的な防衛のためであろうと、いかなる国も核兵器の保有は断じて許されるものではない。

.. 2006年11月15日 08:43   No.30003
++ 山崎久隆 (幼稚園生)…2回       
●核兵器を持たせたもの

 しかしながら、この行為への責めは一人北朝鮮にのみ負わされるものではないこともまた確かである。
 米国はブッシュ政権になってから、それまでの米国が取ってきたエネルギー保証と地域安定醸成の取り組みを一方的に破棄し、2001年9月11日からは、イラク
、イランと並びテロ国家と規定し、いつ何時武力行使、しかも核先制攻撃をするかわからないという危機感を北朝鮮にもたらしたことは指摘せねばならない。
 もともと他国を信頼するというチャンネルが欠落した国家において戦争状態にある当事国、それも世界最大の軍事大国から威嚇されたと感じれば、何をするか
分からないというふうに思うのが普通である。
 むしろ、米国は積極的に北朝鮮を挑発し、核開発を誘導し、東アジアの緊張を煽ってきたのである。
 ねらいは明らかだ。
 米国の世界戦略にとって当面の敵はイスラム勢力であるが、中長期的に緊張が高まると予想されるのは中ロとの関係である。
 そういえば中央アジアの天然資源をめぐり中ロ米がしのぎを削る場に、退任直前の小泉首相が現職首相として初めて歴訪した。これは明らかに非中東産のエネ
ルギー資源確保というねらいがあってのことである。
 米国にとっては、有数のライバルが中央アジアに結集されては困る。日本とイランの共同開発が進むアザデガン油田でも、米国は日本に手を引くように要求し
ている。同様に、中央アジアの資源争奪でも、日本や中国やロシア(ロシアの場合は別の場もあるが)を牽制するためにミニ冷戦が極東地域で必要なのである。
在日米軍の存在意義も高まり、日本は米軍の駐留のために沖縄をはじめとした民衆の、生活や生産の場を奪い、環境を破壊してきたが、それをさらに推し進める
動力源が必要だ。
 北朝鮮も金正日体制を維持するためには強大な敵が国外にあることが必要であるが、米国と日本はまさに格好の相手というわけだ。お互いの利害は一致してい
る。
 このような構図を何とか解消したいと願うならばまだしも、日本は米国の戦略に乗ったまま、アジアでの緊張を高める行動をあえて取ってきた。その先には平
和憲法(日本国憲法)の解体と、企業の世界市場での競争力、特に兵器や核技術(平和利用としての原子力などという論理は日本国内向けの言い回しに過ぎない)
といったこれまで売り込みが出来なかった分野での競争力を強めようというねらいがある。
 さらにその先の日本には、ミサイル防衛に端を発し、弾道弾ミサイルの保有や核武装まで、あらゆる軍事的選択肢のフリーハンドを持とうという意図も見え隠れするのである。今後、核武装を選択肢として持つべきだという議論が増えてくるだろう。
 こんな邪な日米の策略に比べれば、「北朝鮮の核」など風前の灯火にさえ見えてくるが、しかしこのような脅威を煽ったあげくに自壊の道をたどり国民を飢餓
や死に追いやるのであれば、金正日政権の罪は極めて重いと言わざるを得ない。

.. 2006年11月15日 10:49   No.30004
++ 山崎久隆 (幼稚園生)…3回       
●なぜ今核兵器

 「核保有国」の地位をほしがった北朝鮮の意図は、米国による攻撃からの防衛と国内の不満の解消(目くらましとも言う)である。
 これについては、米国は明らかに間違ったメッセージを世界に発信し続けてきた。
 明確に核兵器を保有したインドとパキスタン、そして200発もの核弾頭を保有しているだろうとみなされるイスラエルに対しては、現在では米国は「対テロ戦
争の盟友(パキスタン)」だったり「原子力協力協定の相手国(インド)」であったり「最大の軍事支援国(イスラエル)」であったりと、結果的には核兵器国としての地位を認めてしまった。特にインドについては、経済制裁を解除したと思ったら2006年3月には原子力開発協力協定まで結んでしまった。
 結局、大量破壊兵器があるとして攻撃され破壊されたイラクには何もなく、本物の大量破壊兵器を持っているインド、パキスタンは同盟国扱いである。ならば
とそれまで凍結状態にあった核武装計画を再開し、核実験までした北朝鮮は、米国と国際社会の対応に応じたまでと言えなくもない。
 圧倒的な武力を持つ米国とそれに追随する日本が、あらゆる紛争解決に武力を行使しないとする条約を結んでいれば、このような事態にはならなかった。
 そうしなかったのは、そうできなかったのではなく、そうしないことで生ずる利益を追求したのだと言わざるを得ない。
 つまりは日米共に北朝鮮の核兵器開発に荷担をしたのである。

●核実験の中身

 実験に使われたのは、ヨンビョンの原子炉から取り出されたプルトニウムである。つまり核実験に使われたのはほぼ長崎原爆と同様のものであったと見て良い
だろう。
 長崎原爆は重量4.5トン、その中に詰められたプルトニウムは13キログラムと言われる。当時世界最大のB29爆撃機「ボックス・カー」に搭載したが、爆弾
倉からはみ出した。長崎上空で実際に核分裂をしたプルトニウムは全体の1割程度の約1キログラムと考えられており、その威力は推定21キロトンになった。
 この原爆による死者は7万人以上。なお「キロトン」とは通常のTNT爆薬に換算をした爆発力を示す。つまりTNT(トリニトロトルエン)の爆薬1000トンの爆発で放出されるのと同じエネルギーが放出されたことを意味する。
 これと比べて、今回の核実験の爆発力は0.5キロトン内外と見られているようだ。つまり長崎原爆の40分の1程度ということだ。小型原爆を開発したのか。い
やそうではないだろう。
 少量でも臨界に達する高純度プルトニウム239が手に入る状態ではないし、高性能の爆縮レンズなど米国でも最近になって開発した高度なシステムを有して
いるとは考えられないので、この実験では20〜30グラムのプルトニウム239が核分裂を起こした段階で爆弾本体が臨界を維持できなくなったと考えるのが妥当
であろう。
 これは現在の水準から見れば失敗である。核爆発装置の実験は成功したかもしれないが、核兵器の獲得は出来なかったということであろう。


.. 2006年11月15日 11:17   No.30005
++ 山崎久隆 (幼稚園生)…4回       
核実験で問われる日本の平和主義

問題解決への道

 北朝鮮の核実験が脅威なのは事実なのだから、最も簡単な解決方法があるではないか。何も難しい話ではない。超大国を含む全ての核兵器国、言うまでもなくイスラエルも含む国々が核兵器を
廃棄すれば問題は解決する。こんなことは昔から日本の反核運動やパグウオッシュ会議、核戦争防止医師の会などのNGOが主張しつづけてきたことである。国連総会でも何度も決議をしている
し、日本だって提案している。
 すぐに出来るわけはない。けれども方向性は間違っていないどころか、これしか方法はない。日本は今すぐ核兵器国が全核兵器の廃棄に向けた具体的な取り組みを開始することを要求すること
だけが、有効な対応策だ。

核拡散

 核拡散問題が正しく理解されていないようである。
 核拡散とは核保有国が増える「水平拡散」だけではない。今ではほとんど何の制約も加えられないままに全核保有国が進めている核兵器の高度化、すなわち「垂直拡散」もまた、大きな問題で
ある。
 米国やロシアが繰り返す「臨界前核実験」は、まさにこれを達成するために行われている。インドやパキスタンも、この高度化を水面下で進めている。実際にインドは1974年に最初の核実験を
行ったが、このときは単純なプルトニウム核爆発装置であったと考えられている。それが、1998年5月に連続5回の核実験をした際には、小型の水爆を含む核弾頭の実験を行ったとされる。(真
偽のほどは今も議論の的だが)
 米国が進める核兵器の高度化とは、小型核弾頭による地下深部に建設された相手国の兵器庫や指令システムの破壊である。
 これは、都市への無差別大量殺人に比べると人的被害も限定され、環境影響も比較的小さいから、核兵器使用地域周辺への影響を減らすことが出来るし、相手の反撃能力を破壊することが可能
であるため、自らが核の報復を受ける可能性が大きく減るというのが触れ込みだ。実際にはそんなにうまくいくわけはないのだが。
 現在のブッシュ政権による「対テロ戦争での先制攻撃戦略」や「非核の攻撃に対する核による反撃戦略」では、実際にそのような用途に使える核兵器は現実にはほとんど無かったから、実際に
このような兵器を開発することが要求されてきた。
 核兵器を使いやすい兵器にしていくことは、核の水平拡散にも勝るとも劣らない危険な拡散だということがちゃんと理解されていないから、話は半分だけで中途半端な議論にしかならないので
ある。
 北朝鮮の核実験は、垂直拡散に対しても強い追風になったであろうことは間違いない。

.. 2006年11月19日 08:27   No.30006
++ 山崎久隆 (小学校低学年)…5回       
日本の姿勢

 このような縦の拡散に、ほとんど何の反応もしてこなかったのは日本である。
 臨界前核実験で抗議の声を上げたのは被爆地広島と長崎であり、神奈川県などの非核自治体であり、原水禁や原水協などの市民団体であったが、政府・外務省はなんと「核兵器の安全性、信頼性
を実証するための実験なので反対はしない」という態度であった。
 臨界前核実験とは、プルトニウムを核分裂の連鎖反応が起きる「臨界」直前まで爆縮し、プルトニウムなどの挙動を調べるものであり、ネバダ核実験場の地下300メートルほどに作った実験場に
数百キロの高性能爆薬と実験装置と臨界量以下のプルトニウムを持ち込んで行われる。米国などは核爆発はしないから核実験ではないというが、核兵器の信頼性、つまり核兵器の性能維持と高度
化のためにやっているのであるから「核爆発を伴わない核実験」である。
 核兵器の廃絶決議を提案している日本が、米国の臨界前核実験を容認してしまっている。これなどはダブルスタンダードそのものである。
 米国の核が高度化すれば、対抗する国が出るのは当然のことであり、それを阻止する国際法上の取り決めなどは国際法が核兵器を違法としない限り、存在しない。
 米国とは日米安保条約のもと、核の傘で護られているとして、米国の核を特別扱いしているが、たとえば北朝鮮の核実験を受けて、10月27日に国連総会第一委員会に日本が提出した「核軍縮決
議案」では、主文第7項に「核兵器システムの運用状態の一層の低減を要請」し、第8項では「安全保障政策における核兵器の役割を低減させる必要性を強調」しているのだ。
 しかし、これらを達成するためには米国の核兵器の「運用を低減」させ米国の核の傘に護られるなどという日本の「安全保障政策における核の役割」は真っ先に低減させなければならないこと
ではないか。
 ところが現実に起きていることは、北朝鮮の核実験に対応して米軍がその戦術核を前方展開することにでもなれば、この国は諸手を挙げてありとあらゆる支援をし、周辺事態を宣言して国民生
活を統制下に置き、核の傘による防衛システムが十分に運用されるようにと働きかけるのであろう。
 それこそ国際社会に対する裏切り行為以外の何ものでもない。

.. 2006年11月19日 09:17   No.30007
++ 山崎久隆 (小学校低学年)…6回       

日本の核武装

 日本の核武については多くのことを言わなければならないので、ここでは少し違ったところから見ておきたい。
 今すぐに日本が核武装をするという「現実的な危機」は確かに無いかもしれない。さすがにIAEA保証措置協定を破棄し、NPT条約から脱退し、原子力基本法をはじめとする法令を改正す
るというのには時間がかかるだろう。しかし今すぐ(というほどでもないが比較的短時間で)出来る恐るべき「核武装」が存在する。それは「米軍による核の持ち込み」を解禁することである。
 そんなことを言えば「まさか」と答える人は多いだろう。しかしこの非核三原則のうちの三番目は、どこかに規定された法令があるだろうか。
 政府は非核三原則の法制化を拒否し続けてきたため、現在これは「国是」というとても曖昧な、法律以下の存在でしかない。国会で決議したからといって道義的はともかく法的拘束力があるわ
けでもない。
 確かに今の安部政権は「非核三原則を堅持する」と言っているが、国会などの議論はほとんど「保有」についてのみであり、持ち込みについては議論を避けている。
 これまでも「持ち込み」については、ラロック証言やライシャワー発言などで、有事の際の核の持ち込み、特に軍艦に搭載しての「通過」は密約により容認されていると言われ、事実上非核
2.5原則化していると指摘されてきた。
 沖縄の核抜き本土並みが議論された時代の非核三原則は、そのウェイトは米軍による核の持ち込みにあったし、核の傘を前提としたものであった。現在の非核三原則議論は核武装そのものに移
り、核の持ち込み自体はあまり議論されることなく、ヨコスカを母港としている米空母キティホークの後継をめぐって原子力空母が配備されるという問題に直面している。
 しかし日本配備の原子力空母だけが核兵器を運用しないということはほとんど考えられず、この機になし崩しで原子力空母と核兵器をいっしょに配備し、それに対する抵抗は北朝鮮の核実験を
口実にそらし、国会では艦船による核の持ち込みは「非核三原則」に含まないという見解を公式のものとして、その後の陸上配備に道を開こうとするのではないかと恐れる。
 日本核武装とともに日本が核攻撃の出撃拠点となる。つまり日本が核を使う側に立つ。このような時代にさせないために、今しなければならないことはたくさんある。
 非核三原則を法制化し、それと同時に核を使わせない、という原則を加えるというのも一つの方法である。

.. 2006年11月19日 17:15   No.30008

■--空想平和主義
++ 伝六 (小学校高学年)…24回          

理想といっても実現できないものは空想である。理想をもっていても何もしないものは空人物である。現実にあってついえる夢は空想である。現実にぶつかって進化、深化する夢なら理想である。現実をみず行動もしないものが空想をいだきつづける。あわれなり、空想平和主義。
.. 2006年11月12日 16:15   No.31001

++ タク (中学生)…42回       
今は年老いた当時の日本青年は、満州の地に民族協和する理想国家を建設しようと情熱を燃やして満州国に馳せ参じ、国づくりに精魂を傾けたのは事実です。民族協和の理想は、歴史の発展と共にますます輝きを増すでしょう。これをなくしては、世界の恒久平和は有りえないと信じます。その意味でも、満州建国の理想は永く生き続けていくのだと思います。満州国の歴史的意識をよく鑑みると、満州国が掲げた民族協和をもって今後の世界平和を達成するための基礎となりうるものと主張する論者は少なくありません。我々が活動している石原莞爾平和思想研究会同志もその一団です。今なお世界各地で民族紛争が絶えず、日々流血の事態のニュースに接するにつれ、民族が協和する事の必要性はいっそう痛感させられます。なぜ、民族が違う事がそれほどまでに憎しみの感情を生むのでしょうか。
.. 2006年11月12日 16:56   No.31002
++ 伝 (小学校中学年)…11回       
王道楽土の夢を抱いて満洲に行った青年もいるし、銭儲け第一で満洲に行ったのもいるわけですね。どちらかというと、後者のほうが多くなってきたわけでしょう。利害を同じくする集団が民族というような考え方は、民族対立の原因に当然なります。民族を超えた理想がなければ、これも対立となると思います。民族主義もある時代のある状況では是認されるけれど、民族協和主義につらなるものでなければ、ならないと思います。だいたい、そういう理想をもっていたって、現実にはいろいろあるのだから、お先真っ暗主義はこまります。
.. 2006年11月12日 21:26   No.31003
++ タク (中学生)…43回       
少なくとも石原莞爾は日本と中国の安定、日中の平和的提携関係を求め続けたのは歴史の真実です。この歴史の真実をマインドコントロールされた日本人の呪縛を解く為に語り継がれて欲しいと思うのです。その想いは、今日、満州国を生き抜いた方が亡くなられているのでいよいよ深いのですね。満州国の生んだ民族協和という理念が「歴史の発展とともにますます輝きを増す」ことに、直ちに繋げなくてはならないと言うのは祖先を敬う我々の責務ではないのかと思うのです。いよいよ土曜日の定例会では会長も変り白熱した議論がお昼から夜中まで時間が許す限り続きました。いよいよ新しい歴史を切り開く時なのかも知れません。

.. 2006年11月13日 21:18   No.31004

■--人種的偏見
++ 伝六 (小学校高学年)…22回          

二十世紀前半まで、白人の多くは、白人以外は人間でないと思っていた。勿論白人の中でも賢い人はそうではない。多数がそうだというのだ。このことについては、歴史家のトインビーも言っている。戦犯裁判も、あるいは日本人(非白人)は人間でないというような意識が尾をひいていたかもしれない。今は人種的偏見は白人の中でも少数になりつつあると思われるが、私は井の中の蛙みたいなものだから、どうかしらない。話はちがうが、フランダースの犬を読むと、オランダあたりでは、犬などを随分酷使していたことがわかる。西洋人が動物愛護にうるさくなったのは、比較的新しいのでないかと思う。これは少し偏見かもしれない。
.. 2006年10月27日 21:28   No.29001

++ タク (中学生)…40回       
アジアは白人の植民地支配で中国に手を出し、ベトナムやラオスと次々に支配されました。アジアで植民地でなかったのは日本と同盟国のタイ王国だけです。この時を生きていた日本人が抱いた切迫感はよくわかるのでないでしょうか。日本国が白人支配をくい止めなければアジアの民が奴隷にされてしまうという論理から満州合衆国を建設しようと石原莞爾は立ち上がり満蒙問題の解決には石原莞爾の描いた満州事変を行ったのですね。

フランダースというのはベルギー北部の地域を指し、中心都市はアントワープという。
だが、このお話はベルギーでは、あまり有名でないらしい。
話に出てくるアントワープの大聖堂もそこにあるルーベンスの絵は実際にあるが、見て涙するのは日本人くらいらしい。ネロとパトラッシュの像なんていうものもないのです。
アニメに登場するフランダースの犬は、茶色いセントバーナードだが、原作の挿絵では、白黒なのでよくわからないが、目も隠れそうな毛むくじゃらの犬が描かれています。
労役によく使われていたこの地方の犬も黒い、毛がぼうぼうと生えている犬だったらしい。
アニメでは黒い犬では映えないので、茶色に変えたのかな?

.. 2006年10月28日 12:42   No.29002
++ 伝六 (小学校高学年)…23回       
あっベルギーだったですか。どこだかわからないけれど、オランダあたりだろうと思って書いたので、失礼しました。ルーベンスはベルギー人なのですか。フランダースの犬の作者は英国人のウィーダ女史だから、国民文学でないので、ネロとパトラッシュの像がないのも、ふつうのように思います。でも有名な話だと、商魂?たくましく、そいう像をヨーロッパの人も作るのでしょうか。
.. 2006年10月28日 22:18   No.29003
++ 伝 (小学校中学年)…10回       
ルーベンスは16世紀から17世紀前半にかけての人で、そのころは、まだベルギー王国はなかったので、正確にはベルギー人とはいえないですね。日本にいると、国というのは、かなり長く続くものだと感じてしまいますが、世界の歴史をみると、国って何だろうと考えてしまいます。
.. 2006年10月29日 21:17   No.29004
++ タク (中学生)…41回       
この話が日本で有名なのはアニメ化されたことでしょう。
「世界名作劇場」として放映されましたね。
平均視聴率25%という大人気のアニメです。
この世界名作劇場では、アルプスの少女ハイジ、母を訪ねて三千里などの人気アニメを残しています。
最近も再放送をよくしているので、ご覧になっている方もいるでしょう。

さて、このフランダースの犬の原作があります。
作者はウイーダという英国人の女性です。
原作はアニメの内容と同じです。
このウイーダのお父さんがフランス人で教師でした。
二十歳の時文筆活動を始め、児童小説を主に書き、一時はかなり人気があったようが、30代を過ぎる頃からイタリアに住み、そこで生涯をすごしましたと言う事です。

.. 2006年10月31日 19:33   No.29005

■--不条理
++ 伝六 (小学校高学年)…21回          

戦犯の話の連続で恐縮だが、過去においては他人事ですませてきたきらいがある。いわゆるBC級戦犯で、俘虜の虐待で死刑になった人がいる。手でなぐったり、時には棒でなぐったりするのは、それはよくない。目には目をの論理では、百たたきの刑とか千たたきの刑とかにすればよい。暴力をふるわれたから、死刑でむくいるというなら、もう己の非が見えなくなっているのだ。ジュネーブ条約は俘虜の虐待を禁じている。戦犯というのは俘虜みたいなものだ。死刑というのは究極の虐待だ。そんな裁判をやって何が文明だ。しかし、力の前にはこういうことを言っても無駄なのだ。もし人としての罪という点からいうなら、罪のない人なんて誰もいないのでないか。法律で問われるような罪を犯していないだけだ。
.. 2006年10月04日 21:14   No.26001

++ タク (中学生)…37回       
野菜のゴボウはどこの国でもあるのだが、食用にする国は、世界広しといえども日本だけのようです。
ユーラシア大陸に多く、10世紀以前には、中国では薬草として使われていたそうです。
中国から薬用として入ってきたものを、日本で改良して野菜として食するようになったのが、戦国時代の頃で、ゴボウを食したと、具体的な記載があります。
日本では、北海道、青森、福島、茨城などがおもな原産地です。

ヨーロッパでは雑草となっています。
歯ざわりと独特の土臭い香りが欧米人の好みに合わないようで、日本人を見て、木の根を食べていると驚きます。
戦時中の日本の捕虜収容所でアメリカ人やイギリス人捕虜の食事にゴボウを出した。
第二次世界大戦が終わり、勝った国が、負けた国を裁くという、見せしめの裁判が各国で行われ木の根を食べさせられたとして捕虜虐待の罪でたくさんの日本人が処刑されました。
捕虜された西洋諸国の白人に「それは、ゴボウです」と訴えても、聞き入れられず、死刑にされたのです。
ゴボウを食べると便秘に効くだけでなく、腎臓機能を正常にし、風邪や腹痛を治してくれるのに・・・
明日から四日市・名古屋・豊橋と出掛けるので暫く留守にします。

.. 2006年10月05日 19:49   No.26002
++ 六 (小学校低学年)…7回       
俘虜の虐待による、処刑には、結果的に恩を仇でかえしたような例があるように思います。当時のことはわからないけれど、俘虜のあつかいに文化の差をあまり意識しなかったことも、処刑者の多い傍因になっているかもしれません。連合国でも兵隊がそう紳士的である筈はないと思うのですが、日本軍では、ビンタは日常茶飯事だったようです。そういうのは兵隊間では暴力のうちにはいらない。どこで、そういうことを聞いたか記憶にないのだけれど、軍人精神注入棒とかいうのがあって、棒でたたいたとかいうことがあったとか。(そういうのは一部分だと思いますが)。そういうことを常にやられていれば、俘虜の監督に際しても、虐待の意識でなく、ごくふつうになぐったりしたかもしれないということは、考えられます。それは、指導者が深慮遠謀がなかったことに帰するのではないかという気がします。
.. 2006年10月05日 22:16   No.26003
++ 六 (小学校低学年)…8回       
軍人精神注入棒というのは、たぶん誰かがふざけて書いているのをおもしろいと思ったのだと思います。ただ、棒でたたくとかは、「二等兵物語」という映画で見たような気がします。これも思い違いかもしれません。
.. 2006年10月07日 20:37   No.26004
++ タク (中学生)…38回       
冷戦時代の中南米の人々への虐待はアメリカの支配から逃れようとすると、「共産主義者」のレッテルを貼られ、痛めつけられたといいます。
虐待はアメリカのもっとも得意なことでしょう。
西欧諸国の支配から植民地の人々を救うという理想主義を掲げながら、実際には、西欧諸国が植民地支配をやめた後も、アメリカだけは事実上の植民地支配を続けているのです。
一方、満州は4千年来、ずっと中華世界の外にあった。そこには、有史以来、多くの民族と国家の興亡もあり、多民族国家の歴史的経験もあったのです。満州国とアメリカが酷似している点としては、まず豊富な資源と未開発の地域がたくさん残されていたことが挙げられます。とくに強調すべきは、どちらも、諸民族系統の新興移民植民地だった。満州国には歴史的、地理条件ではアジアの「アメリカ合衆国」と呼ばれるにふさわしいものがあったのです。未来への可能性も最も高かったのでアメリカ合衆国は満州合衆国を認めるわけにはいかなかったのですね。

最近でもアブグレイブ刑務所での虐待写真の流出、軍事的・政治的にアメリカがイラクを虐待していますよね。

.. 2006年10月14日 07:59   No.26005

■--横浜裁判の一例
++ 伝六 (小学校高学年)…20回          

患者の背中をたたいて元気づける医者がいました、不安そうな患者がいると、聴診をおえたところで、大丈夫と大声で言って背中をたたくのです。軍医となると荒っぽいから、少々痛いかもしれないが、なぐるのとはちがう。これが起訴されると俘虜虐待ということになります。戦場からもちこんだマラリア等で死亡する者もいるので、それは「軍医として施薬施療を差し控へ為に死亡せしめた」罪となります。これらで判決は終身刑です。混乱のなかで、こういうことがおこなわれたのです。しかしドサクサに誤解というだけでなく、ある悪意があったようにどうしても思えます。歴史のひとつの暗黒面の教訓として、あきらかにしてもよいと思います。むしろすべきだと思います。
.. 2006年09月28日 22:10   No.25001

++ 伝 (小学校低学年)…9回       
サンフランシスコ講和条約第十一条に「日本国は極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾し、・・・」とあります。受諾した以上、判決は訂正できなのではと考える人があるかもしれません。判決をうけいれたということは、まちがっていても、賠償は請求できないということでしょう。判決は書き換えることはできない。しかし、その判決が正当であったかどうか、後の人が評価することは自由であることは当然すぎるほど当然です。ガリレオは天動説を認めさせられて、それでも地球は動いているとつぶやいたとかいいます。現代ではガリレオの考えが正しかったという歴史的評価です。教会も裁判のあやまりを認めたときいたことがあります。四百年ほど後でしょうか。
.. 2006年09月29日 21:20   No.25002
++ タク (中学生)…35回       
サンフランシスコ講和条約が、ポツダム宣言を終了させる形で1951年9月に調印されたのですが、同時に日米安保条約が調印されました。なぜ同時だったのかといえば講和条約が成立した時点でアメリカ軍が日本を占拠する大義名分はなくなったからです。しかし、アメリカにとってアメリカ軍の日本駐留は、共産主義勢力との世界的戦略の観点から必要でした。つまりアメリカ軍はこの時に、日本占領軍から在日駐留軍に変貌したのです。

駐日米国大使を務めていたマイク・マンスフィールドは、日本経済新聞の「私の履歴書」(1999年9月)の中で、次のような発言をしています。
「日本から朝鮮半島に回した米軍の穴を埋めるため、吉田茂首相に7万5000人の警察予備隊の創設を命令した」これが現在の自衛隊になるわけですが、マッカーサーは連合国軍総司令部(GHQ)が作成した「米国製」の日本国憲法第9条を伺うものともいえます。

.. 2006年10月01日 19:30   No.25003
++ タク (中学生)…36回       
戦争放棄を定めた日本国憲法第9条は、マッカーサーの直接の指示を受けてGHQの民生局のチャールズ・ケーディス次長を中心に作成した条項で、どこから見ても米国製です。日本に戦争を放棄させ、安全保障をアメリカ頼みにさせたのはアメリカです。アメリカ人はこの条項を批判すべきはおかしい。今後どう判断すべきは、日本の国民が判断すべき問題なのです。マンスフィールド大使といえば、日本でも最も尊敬し慕われた大使です。その大使の口からこれほど明確に日本国憲法がアメリカ主導で作成されたこと、そしてその後アメリカが対日政策を大転換させ、当初の憲法から逸脱して違憲的存在である自衛隊を日本に作らせたことが語られたのは衝撃的なことです。

昨日、評論家の佐高信先生にご馳走になったのですが、その時の先生の話でも日本国憲法については同感でありました。様々なお話をお聞きして勉強になりました。また、佐高信先生の方からは石原莞爾についていろいろと質問していただいたことは嬉しかったです。加藤紘一先生ともよくお会いしているようですし、機会がありましたらさらに語り合えたらと思います。佐高信先生のお話はすべて私とコアの部分が一致するところでした。石原莞爾に関しては、佐高信先生の口から「ちょっと辛口過ぎたかな」と言い、95歳にもなり頑張っておられる武田邦太郎先生のことは気に止めて頂きました。

.. 2006年10月01日 19:45   No.25004

■--戦犯裁判と戦陣訓
++ 伝六 (小学校中学年)…18回          

国際法における戦争犯罪は、どういうことが戦争犯罪になるかということについて、ハーグ陸戦条約とジュネーブ条約があります。ハーグのほうは条約を批准したけれど、ジュネーブ条約のほうは批准をしなかった。批准はしなかったけれど、準用すると言明しています。実際、大体においてクソ正直なくらい準用したようです。何故批准しなかったかというと、日本軍は無投降主義です。「生きて虜囚の辱めを受けず、」だから、日本兵が俘虜になるのは例外です。敵国は俘虜のめんどうをみなくていいから助かるわけです。敵兵が散々爆撃して降参してきたら、俘虜の待遇をするとなると、敵は安心して攻撃をしてくるので、片務的とりきめは不利になるということで批准しなかったようです。戦陣訓の内容はわるくないかもしれない。しかし、このため、日本軍が批准しなかったのは、虐待の魂胆があったのではないかと、いちゃもんをつけられる種になります。蛇足の戦陣訓をつくったのは、東条大将でないかもしれないけれど、責任は彼にあります。また「死して虜囚の辱めを受けず」は大将等、頭目、英雄が言うのならいいけれど、そうでない人間がモットーとするには無理がある。偽善?のようなものでしょう。このことについては河野信さんが書いておられますが。軍部の指導者の、世界の中での世間知らずのように思えます。後になると、ふつう人でもわかることです。先覚はえらいですね。
.. 2006年09月22日 21:45   No.24001

++ 伝六 (小学校中学年)…19回       
訂正します。「死して虜囚の・・・」は「生きて虜囚の辱めを受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ」です。また蛇足の戦陣訓と書いたのは、軍人勅諭があるのに、蛇足の戦陣訓を与えたという意味で書きました。正式の俘虜に対しては気を配っていますが、単に降参した敵兵なら殺した例が実際にあった可能性が高い。空爆して一般人民を殺害するのは当時も国際法違反で、そんな奴には殺害でもって報いてもかまわないという考えがあったようです。連合国得意?のリベンジ?の考え方は日本にも素朴?な形であったようです。ただし、これは戦陣訓とは関係ありません。
.. 2006年09月23日 22:19   No.24002
++ タク (中学生)…33回       
1942年、フィリピン・ルソン島のバターン半島に立て篭もっていたアメリカ・フィリピン軍が降伏したとき、日本軍は降参した捕虜7万余人を、炎天下の中、十分な水も食糧も与えずに、収容所まで徒歩で移動させ多くの死者がでました。アメリカはこれを国際法違反の残虐な「死の後進」と非難して、戦後、日本の最高指揮官だった第十四軍司令官本間雅晴中将、輸送作戦を指揮した河根良賢少称、平野庫太郎大佐を死刑に処したのです。

捕虜の移送は50キロ徒歩で列車が走っているサンフェルナンドに向かい、そこからカパスというところまで40キロの距離を列車で移動して、オドンネル収容所まで13キロをまた徒歩で向かうというものです。この間、栄養失調、マラリヤ、赤痢などによる衰弱、炎天下の長期間歩行による疲労などが原因で、アメリカ兵では約600人、フィリピン兵では約10000人が死亡しました。また、収容所でもアメリカ兵約1600人、フィリピン兵役16000人の死者が発生しました。

だが、この移送で多くの死者が発生したのは、日本軍が意図的・計画的な行為や怠慢によるものだとアメリカは指摘しましたが実はそうではなかったのです。捕虜をバターン半島にそのまま放置していたら捕虜も砲撃による被害や食糧も不足しており、この地域では元々マラリヤが多発していたから、もっと大勢の死者が発生したことは間違いありませんので、捕虜を移送したのは適切な措置だったのです。しかも悪いことに長く抵抗すると見られていた敵軍がわずか1週間で降伏してしまい、予想をはるかに上回る民間人が投降して来たので、捕虜の扱いは困難を極めたのです。

フィリピン占領後も、治安の乱れや交通の混乱などにより、食糧輸送はうまくいかずにその結果、肉、野菜、水の不足は深刻な問題で、栄養面で大きな影響を及ぼしたが、行進中は日本兵も捕虜と同じ食事をしていたのです。
また、医薬品、特にマラリヤを治療する薬は少なく、日本兵自体にも多数のマラリヤ患者が発生していたのです。日本軍は徒歩移動が当たり前ですが、アメリカ・フィリピン軍では車両移動が当たり前だったため、徒歩行進によって受けた苦痛は日本側にはわからないことでした。また、日本軍から支給される味噌汁や牛蒡を木の根っこだと食べない捕虜もおり、栄養失調で倒れる原因となったと言います。しかも、投降してきた多くの人々は既に栄養不良状態であり、マラリヤ、赤痢に感染していたというのです。

ただ、日本軍の捕虜に対する扱いは過酷なものだったのは確かだと思います。待遇を要求する捕虜に、「捕虜のくせに生意気だ」、栄養失調、病気のために行進に遅れる者達にも、「怠けるな」と殴打したという証言があります。だが、このような行為も、命令により組織的に行なわれたものではなく戦争に於いて、最善と信じて行なわれた行為が悲惨な結果をもたらしてしまったのも事実なのです。

.. 2006年09月25日 18:12   No.24003
++ 伝 (小学校低学年)…8回       
戦犯問題とは関係ないのですが、戦陣訓に関連して書きます。森崎湊という青年は「東条英機は出世主義者であり、落語家である。あいつが十四や十五の遊び盛りの少年を殺すのだ」と言って憤激していたそうです。どこまであたっているかしれませんが、十四や十五の少年が特攻隊で出撃しました。戦陣訓も影響を与えたかもしれません。しかし、出世主義者は今もごまんといるので、東条批判ではなく、出世主義の盲点への警告としたほうがよいと思います。
.. 2006年09月25日 21:00   No.24004
++ タク (中学生)…34回       
フィリピン沖のアメリカ艦隊に突入した特攻隊員が出撃直前に残した最後の肉声が公開されした。当時の新聞で、特攻隊隊長の遠藤栄中尉(当時二十二歳)は「どうぞ、皆様お体大切に。銃後の守りをよろしくお願いします。ただ今より出発します。ごきげんよう。さようなら」と語っています。NHKでは、この録音盤を番組「遺された声―――ラジオが伝えた太平洋戦争」を、放送していますね。


.. 2006年09月26日 08:11   No.24005

■--無理な戦犯裁判
++ 伝六 (小学校中学年)…15回          

戦争犯罪というのは、煎じ詰めたところ俘虜の虐待殺人、または非戦闘員の虐待と殺人ということになる。(戦争で人(敵の兵士)を殺した場合は合法的殺人ということになる。)いわゆるA級戦犯の松井大将は、この虐待殺人の行われた現地軍の責任者ということで処刑された。
戦犯の裁判が不当であることについての、アメリカ人の弁護人ブレイクニー少佐の発言を引用する。
 戦争の発動が国際犯罪であるとはずっと考えられてこなかったし、国際法によって犯罪であると考えられたこともない。そして望ましいことではないけれど、今日でもそうなってはいない。我々は勿論ー誰もが知っていることだがー原告側(すなわち連合国側)がここに新しい法を創出しようとしているのだと心得るところであります。論点をすすめよう。同じような事だが、戦争は国家の行動であって、個人のそれでないということである。こういうことはもうこれ以上言う必要もあるまい。国際法の全体系は、戦争が国家行動であり、諸国家間の関係によってもたらされるものとの基底に立っている。すなわち、戦争行為に関し個々人の責任を追及するいかなる条約も合意も存在しないのである。定義上の国際法は国家間に適用さるべきものであって、個々人は問題とならない。・・・中略・・・・法に従って進行するとの自らの声明のもとに正義を打ちたてようと考える当法廷には、そのような管轄権ーすなわち新犯罪を創始するという司法権はないと断定しうるのであります。結局次ぎのように要約したいーというのは、当法廷はこの事について、既にご承知の筈だからであるーすなわち戦争が合法的であるが故に戦争殺害は殺人ではないということであります。この合法的殺害ー述語風に申せば正当殺人犯ーは、全く嫌悪さるべきことだけれども、犯罪責任を問われるものと考えられたことは、かつて一度もなかったのである。もしも真珠湾攻撃によるキッド提督の死が殺人罪を構成するならば、その手でもってヒロシマに原爆を投じたひどい奴の名も、それを計画した主謀者や、その責任ある国家の元首をも我々は知っている。それを彼らは殺人罪であると意識していたであろうか。そうではあるまい。そうでないのは戦闘行為にあって彼らの原因が正義で、敵のそれが不正義であるという理由からではなくて、その行動(戦闘)そのものが殺人罪にあたらないからなのです。」
さすが弁護士、説得力がありますね。しかし、弁護人という職分とはいえ、これだけのことを言うには勇気がいったことだろうと思います。アメリカ人も賢い人は賢い。
.. 2006年09月17日 22:04   No.23001

++ タク (中学生)…30回       
南京虐殺事件は、一般の日本国民は太平洋戦争後に知ったのですが、国際的には事件当時から報道され、東京裁判では最も重要な戦争犯罪とみなされていました。南京虐殺は、南京陥落にともない、城内で発生したと言われる中国国民殺傷事件を指します。

松井大将は、南京が中国の首都であること、支那事変が国際的注視の下にあることを配慮して、南京攻略には入念な注意を払わせました。方面軍参謀長塚田攻少将は、陸軍省法律顧問斉藤良衛博士と相談して、次のような「南京攻略要領」を各部隊に指示しています。

1.両軍(上海派遣軍、第十軍)は南京城外3、4キロの線で停止し、攻略を準備する。
2.飛行機で南京城内の中国軍に降伏勧告文を撤布する。
3.中国軍降伏のさいは、各師団選抜の2、3個大隊と憲兵隊のみを城内に入れ、地図に示した担任区域を警備する。とくに外国権益または文化施設の保護を完うする。
4.中国軍が降伏勧告に応じない場合は、攻撃を開始する。
また、軍紀、風紀に注意をうながす「南京城の攻略及び入城に関する注意事項」と題する訓令も作成しました。

最初に各城門を占領して、日本軍は城内に入りました。中国軍は唯一の退路である下関に出て、揚子江対岸に逃げようとしたが、すでに退路遮断に進出していた第六師団、第十三師団山田支隊に殆ど殲滅させられました。第六師団騎兵第六連隊(猪木近太中佐)は、下関南方で敗走する中国軍約六千人に遭遇し、直ちに機関銃を前面にすえ、乗馬小隊を敵後方に迂回させて退路をたち、約1時間で勝利しました。

下関埠頭にかけて逃走をはかる中国軍が最も多かったのですが、その大部分も殲滅しました。テーブル、丸太、机にもすがって、中国兵は揚子江を泳ぎ、対岸の裏口に逃げようとしました。川面はその大群でおおわれたのですが、対岸には既に第十三師団が進出していたので、射ち込まれる銃砲弾に、中国兵は水面から姿を消したと言います。一応は戦闘行為であり、残虐行為とは言い切れませんが、明白な虐殺行為だと言えばおこなわれたことも、事実なのかもしれません。

だが、中国側は第六師団による国民殺害23万人、第十六師団によるもの14万人、その他6万人、計43万人と発表して、この数字は東京裁判でも主張されました。43万人は誇張だと思います。

.. 2006年09月19日 19:54   No.23002
++ 伝六 (小学校中学年)…16回       
南京での戦闘の時に、中国兵の一部は民間人の服装をしたりしていたらしいのですね。民間人と思って接したら突然おそいかかってきてやられたという例もあったらしいです。そうすると。おのれという心理になるでしょうね。戦場で泣いている赤子があったら、だきかかえてやるくらい余裕のあるのが大和魂ですが、皇軍でなくて、蝗軍だと評されたところもあったようですから、余裕のないのが、かなりいたでしょう。(平和時でも自分の子供などを殺す母親もいたりします)。おまけに中国では督戦隊というのがあって、戦わずに逃げてくる者があったら、射ち殺すということも行っていたようですから、そういうのまで、日本軍が殺したことにした。それを数えても1万人をこえることはないと考えます。また凶悪犯やゴロツキを兵隊につかっていたから、督戦隊が必要であったという事情もあるようです。これらはご存知かもしれませんが、知らない人も多いと思うので書きました。
.. 2006年09月19日 20:24   No.23003
++ 六 (小学校低学年)…6回       
ナポレオンのフランスがドイツを占領していた1807年、フィヒテという人は「ドイツ国民に告ぐ」という、講演をおこないました。そのなかで、次のようなことを言っています。「・・・古代においても、被征服国民を誘惑し、道義的に堕落せしむるの術が彼らを支配する一の手段としてしばしば用いられ成功したものである。即ち征服者は虚言捏造により、或いは諸観念や言語を故意に紛糾せしむることによって、被征服国の君主をば国民に対して讒誣し、国民をば君主に対して讒誣し、かくの如くにして離間せられたる君主と国民とをより安全に支配せんことを試みたものである。・・・」A級B級C級と階級別の罪のような説を流したことには、フィヒテが言ったようねらいがあるかもしれません。というより、濃厚です。国民がまんまとだまされた面はあるでしょう。一方、国民が戦犯裁判にいきどおらなかったのは、国民の心がすでに軍部指導者から離れたいたのではなかろうかと私は疑っています。関係ないけど、石原莞爾に敵対?した軍人の戦争に負けた後の振る舞いは、げんなりするようなのが多いなと思ったことがあります。
.. 2006年09月19日 21:01   No.23004
++ タク (中学生)…31回       
正確な数は確かめようもないのですが、南京警備司令官を命ぜられた中島今朝吾中将が、指揮下の第十六師団に「峻烈」な残敵掃討を命じたこと、一部の兵による掠奪、放火、強姦がおこなわれたことは間違いないようですが、伝六さんが言うように中国兵は用意した私服に着がえて一般市民に紛れ込み、抗日意識に燃えてゲリラ抵抗を行ったといいます。

松井大将は、盛大な入城式とともに南京城に入り、はじめて残虐行為を知り、愕然として軍紀風紀の厳正と不心得者の処罰、被害者にたいする補償などを下命しました。残虐事件に関しては、中国側敗残兵、一部市民への蛮行もあったといいます。当時、中国軍の軍紀が必ずしも厳格でなかったことは周知の事実です。中国赤十字社である「紅卍会南京分会」は、「武装解除サレタ将兵ハ難民地区ニ入リ、若クハアチラコチラニ匿レ場所ヲ求メ」と報告しています。これら残兵が随所で暴行を働いたことは日本側の記録にも残っているのです。日本軍の残虐行為の中にはこれら中国側不心得者の所業も含まれ、また43万人という数字は上海戦以来の正規戦闘死亡者も大量に加算されているとみられます。

南京陥落当時は、城内の中山北路以西、漢中路以北の区域を難民地区とし、主として米英人の牧師、教授、ジャーナリスト、実業家たちが「国際安全地帯委員会」を組織して、保護任務にあたっていました。南京虐殺が海外に伝えられたのは、この「紅卍会」と「国際安全地帯委員会」の報告によるが、東京裁判でも、検事側はこれらの委員会のメンバー、一般市民の供述書、証人を大量に動員して立証をこころみていたのですね。

.. 2006年09月20日 08:17   No.23005
++ たく (幼稚園生)…1回       
シナ事変を、哲学者の三木清氏は次のような論理を立てていました。シナ事変というのはナポレオン戦争みたいなものだと。ナポレオンがドイツ、スペインに民主主義を打ち立てたように、日本への反抗を通して中国は近代国家になるのだという説です。結果的にはそうなったから、正しかったとも言えますが、大きな罪悪感があったことは確かです。文学者の日記を見ると、真珠湾攻撃の日に日本人の気持ちがさっぱりする。アジアの仲間のはずの中国とどうして戦争をしているのかという罪悪感が強かったから、英米との戦いが始まると、これが本当の敵だということで一気に解放感を持つことができたというのです。

.. 2006年09月20日 08:23   No.23006
++ 伝六 (小学校中学年)…17回       
いわゆる南京大虐殺の責任者松井大将は結局通常の戦争犯罪の責任者としての罪を問われました。しかし、起訴のときは、東京裁判の裁判所条例ではc項目犯罪を犯したとされたのです。戦場指揮官ではなしに指導者に属するというので、c級犯罪(c級戦犯ではありません)を犯したということにしたのです。最初は日本軍によるホロコーストがおこなわれたと思っていたのかもしれません。しかし、実はなかったと知りながら、罪をなすりつけよう?としたのかもしれません。そこまでは、かんがえにくいのだけれど、仮説としてはとっておいたほうがよいと思います。戦犯裁判の真実をしらべるのは、不快な真実があらわれることかもしれません。しかし、誰かがやらなければならないことではないかと私は思っています。
.. 2006年09月21日 22:30   No.23007
++ タク (中学生)…32回       
責任者松井大将は、一部の兵の暴行によってと叱責して老大将は泣きながら、おまえたちがしてくれたことは皇軍としてあるまじき行為と、今日より無辜の民を虐げてはならぬと演説しています。

話は随分それてしまいますが、イラン・イラク戦争の際には、米国はイランだけでなく、イラクにも武器を輸出しています。イランもイラクも世界有数の産油国、考えられることは、欧米や日本に輸出した石油の代金としてイランやイラクの政府が得た外貨で、武器を購入させるという構図だったのです。ブッシュ一族の家業は石油業です。そのように考えると、911テロ事件には仕組まれた事件と思っても不思議ではないのです。

日本のマスコミも「アメリカ軍の特殊部隊が半年前からイランに潜入して、施設を探知する作業を続けている。30カ所以上の核施設や軍事施設に向けて、ミサイル攻撃作戦が行われる予定だ」という内容を発表しています。米国の言動は、様々なところで効果をもたらします。去年行われたイラン大統領選挙では、親米的な改革派が不利になり、反米的な強硬派が有利になったのです。イランの民衆は米国と仲直りして豊かになりたいと望む方が増えていますが、米国が敵視を解かず、悪の枢軸に指名するなど、敵視を強めています。

イランも化けの皮を剥がそうとしていますが、世界の多くのイスラム教徒も、ホロコーストの話は嘘だと言う事を感じています。中東の政治家たちの私的な会話でホロコーストは全てが本当ではないと語りますが、欧米の反撃を恐れ、公式には決して語れないのです。だが、イラン側は「ホロコーストの事実の偽造こそが、シオニストのパワーの源なのだ」と語り、同時に「イスラエルは400発の核弾頭を所持しているのに、イランにはウラン濃縮も許さないのは不公平だ。イランに圧力をかけるのは、イスラエルに核兵器を破棄させてからにすべきだ」とも語っているのです。まさに、日本軍によるホロコーストがおこなわれたと罪をなすりつけようとしているように思えてくるのです。

.. 2006年09月22日 19:21   No.23008

■--C級戦犯の悲劇
++ 伝六 (小学校中学年)…12回          

1943年、英米佛ソにより、今次大戦においては、戦争犯罪がおこなわれたから、責任者を罰しようということで合意したそうです。具体化したのは、1945年ロンドン協定で、ニュルンベルグ裁判の裁判所条例が定められます。その戦争犯罪を三つに大別したのです。
a、戦争を計画した責任者の罪
b、ジュネーブ協定違反の戦争犯罪
c、人道に対する罪。民族絶滅を企図した大量虐殺
で、各項について、majorとminorまたはmajor以外という、二種に区別されていました。ニュルンベルグ裁判はこの分類でおこなわれました。日本にたいしても、同様な条例で裁判をおこなうようswnccよりGHQに指示があり、調査にかかりました。ところが調査してみると、日本にはc項の犯罪はいくら調べてもでてこないのです。もしニュルンベルグ裁判と同じにやると、日本にはc項はなしという判決をせざるを得なくなる。そこで、b項には俘虜は人道をもってあつかわるべしというのがあるから、ニュルンベルグ裁判ではc項に分類される犯罪を極東軍事裁判の裁判所条例では、c項にもってきたのです。swnccの指示にはないから、GHQによる裁判所条例の改竄と言ってよいでしょう。極東国際軍事裁判というと東京裁判と同じと考えられていますが。横浜裁判というのがあります。これは東京裁判より先にはじまりました。GHQは12月14日星条旗紙に横浜裁判にはaはいらないbとcだけである。aは戦争を企画した者で別におこなう。横浜裁判ではbクラスは戦場における指揮者で、cは兵士であるというような発表をしました。それを日本の新聞が翻訳して?発表したのです。Aが戦犯第一級で、BCが二級三級という日本人の理解(誤解)はここに源泉があります。松井大将はA級戦犯ですが、c項の責任者として処刑されたので、第一級c項戦犯です。しかし、このc項はニュルンベルグ裁判のc項とはちがいます。ところがGHQは極東国際軍事裁判はニュルンベルグ裁判と同じ基準でなされたと発表したのです。これでは、c項の死刑の数をみても、日本軍の兵士はナチス以上に暴虐だったといように、知らない人はうけとめてしまいます。したがって、極東国際軍事裁判のC級戦犯には定義がないのです。ここからは想像の領域ですが、日本軍が野蛮で暴虐であることを世界にうったえるためには、連合軍にとって、C級戦犯が多いほうがいいのです。となると、疑わしきは罰せずという裁判の原則ではなしに、疑わしきは罰せよ、あるいはもっと杜撰な裁判がおこなわれたと考えられます。これは想像ですが、根拠のない想像ではありません。C級戦犯は無実の罪で処刑された上、自らの死が日本軍の暴虐の証明に利用されたとあっては、浮かばれません。私がこの事に関心をもったのは、茶園義男博士の話を聞いたことによります。あまり調べていないので細部にはまちがいもあると思いますが、大要はまちがいないと思います。
.. 2006年09月13日 22:03   No.21001

++ タク (小学校高学年)…26回       
丁度、総合BBSの掲示板でも同じような話題なので重複してしまいますが、サンフランシスコ講和条約第十一条に基づいて行われたA級・B級・C級すべての戦犯の名誉は法的に回復されていますね。
A級戦犯と言われる方々は戦争犯罪人ではないので、戦争犯罪人が合祀されていることを理由に小泉内閣総理大臣の靖国神社参拝に反対するのはおかしいと解釈できます。
内閣総理大臣の靖国神社参拝は国際政治的な利害を踏まえても、A級戦犯に対する認識を再確認することは、人権と国家の名誉を守るために、必要な事だと思うのです。

A級戦犯は昭和31年に、BC級戦犯は昭和33年までに釈放されました。
刑罰が終了した時点で受刑者の罪は消滅するというのが近代法の理念です。
釈放をもって戦犯の名誉は国際的にも回復されたと言うことです。
A級戦犯とされ有罪判決を受け禁固7年となった重光葵氏は釈放後、鳩山内閣の副総理や外相となり、国連加盟式典の代表として戦勝国代表から拍手を受け功績を認められ勲一等を授与されているのです。
さらに終身刑となった賀屋興宣は池田内閣の法相を務めています。
名誉が回復されていないとするならば、日本国は犯罪人を大臣に任命して勲章を与えた事になるのです。

日本政府は、東京裁判の裁判官の一人として、判決を全面的に否定したインドのパール判事に対して勲一等瑞宝章という、他の裁判官には与えていない勲章を与えているのですが、これはどのような理由であるのでしょうか(笑)

.. 2006年09月14日 17:59   No.21002
++ 伝六 (小学校中学年)…13回       
訂正します。「ニュルンベルグ裁判ではc項に分類される犯罪を極東軍事裁判の裁判所条例ではc項にもってきたのです」は、「ニュルンベルグ裁判ではb項に分類される犯罪を極東国際軍事裁判の裁判所条例では、c項にもってきたのです」のあやまりです。問題は何故そうしたかです。
話かわって、パール判事の判決ですが、徹底しています。「本問題(裁判所条例は「戦争犯罪」を規定しているか)慎重に考慮した後、本官は次ぎのような結論に達した。一、本裁判所条例は、問題の犯罪を定義していない。二、いかなる犯罪でも、これらを定義することは条例の作成者の権限内にはなかった。もし条例がなんらかの犯罪を定義したとしても、その定義は越権行為に他ならず、従って、それは我々に対して拘束力を有しない。三、この点に関して、その条例の権威に疑義を挟む事は、我々の権限内にある。四、本件に適用され得る法律は、我々が国際法であるとして判定すべき法律である。」犯罪の定義がないのに、犯罪人をつくりだすことは、無茶苦茶だから、必然的に無罪ということになります。罪があって、消滅したのではなく、もともと罪がないのです。(道義的意味においては罪がないということではありません)。国際的に日本国は侵略の罪をおかしたという認識は正式に訂正されていません。国内的に戦犯の名誉?が回復されても、それだけではいけないと思います。C級戦犯は文学的?に言えば虫けらのようにあつかわれたのだから、国家として、可能なかぎりは事実をあきらかにすべきであると思います。

.. 2006年09月14日 22:38   No.21003
++ 伝 (小学校低学年)…7回       
連合国がパール判事を選任したのは、連合国の良心とみるべきか、連合国のミスキャストとみるべきか。パール判事の勲一等瑞宝章は、拍手ですね。たぶん、もっと上の勲章はないのでしょうね。私は勲章にあまり興味ありませんので知りませんが。
.. 2006年09月14日 22:59   No.21004
++ タク (小学校高学年)…27回       
連合国のミスキャストでしょうね。そのよい例としてソ連が起訴3日前に急遽、検事を派遣してきて、A級戦犯を2人追加したことがあげられます。連合国がそれぞれ何人か被告を出し合っていたのです。それで、ソ連のように後から来てすぐ2人追加が認められてしまったわけです。

このような便宜主義が東京裁判の実態としてまかりとおっていたところに、この裁判の政治的思惑があったのですね。連合国側の尺度では日本の国情を理解しきれず、裁ききれなかったことを露呈しているという面があるのです。だから、この面でも東京裁判を歴史的に意義付けるとき、過大に考えたり負い目にしたりする必要はないと思うわけです。

東京裁判で連合国側が正義の概念をたてに平和に対する罪、人道に対する罪というものを設定し、これをもとに起訴状が書かれています。これらは多分、戦争を裁くときの普遍的な論理として設定したものでしょう。少なくとも、これらをもとに日本を裁いた国々が、戦後これに背くならそれは自己矛盾ということになるわけですよね。

ところが、これ以降、連合国はこの自己矛盾に陥っていくのです。イギリスのスエズ封鎖、ソ連の東欧への介入、アメリカの南米への干渉やベトナム戦争など、これらの裁く論理は、実は連合国自身が設定したものだったはずです。この事を我々も歴史の中で主張しているわけです。平和に対する罪、人道に対する罪という規定は、東京裁判所憲章の中で規定されているのです。

広島市長は「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませぬから」と碑に掘っている。これでは原爆を投下したのは日本人が悪いのだと言わぬばかりだと言ったのは日本人ではなく外国人であるインドのパール判事だったのですよね。

.. 2006年09月15日 19:52   No.21005
++ 伝六 (小学校中学年)…14回       
ニュルンベルグ裁判における、Cに分類される人道に対する罪は、ナチスのユダヤ人絶滅の大量殺戮が主たる対象とされたようです。民族の主義?精神?に対する憎悪から行われる大量虐殺、それが、Cの人道に対する罪です。ナチスによるユダヤ人迫害は開戦前から行われていたそうです。これに対して極東国際軍事裁判所条例における、C人道に対する罪に、ある思想や主義や宗教等をもった民族を絶滅するという意味あいはないのです。戦争自体残虐なものだから、残虐な行為や遺憾な行為が行われなかったということはないだろうけれど、それは戦争の属性としての犯罪ともいうべきものだった。この書き換えについては、実物をみなければ、遺憾なく説明できないので、後日のこととします。
.. 2006年09月15日 21:46   No.21006
++ タク (小学校高学年)…29回       
戦前において日本のユダヤ人に対する政策が、同盟国ナチスドイツとは対極的だったのですよね。日本はユダヤ人を迫害する政策を一切とらなかったし、ヨーロッパから逃れてきたユダヤ人たちに日本での滞在や通貨も認めていたので、ユダヤ人にビザを発給する行為は日本政府の方針と合致した為、訓令違反でもなかったのです。

だが、杉原千畝氏の遺族に謝罪した外務大臣は河野洋平氏です。2000年10月、なぜこの時河野洋平氏がこのような行動をとったのかはわからないが、そのころはまだ鈴木宗男代議士が外務省内に力をもっていたことと無関係だったとは考えにくいのです。
こんなこというと太郎ちゃんに怒られてしまうかも知れませんが・・・しかし、事実が定かでないのに顕彰するのは間違っているではないのかなと思うのです。

.. 2006年09月19日 19:34   No.21007

■--石原の前に東条を語れ
++ 国道171 (幼稚園生)…1回          

石原完爾がとても平和の使徒とは思えないが、だらしのない無思想・無節操、単純精神主義人間が多い昭和軍人の中で、珍しく哲学を持ち、世の中を科学的・合理的に把握出来る一人として興味を覚える。実は私が石原完爾の名を知ったのは、今を去る40有余年前、高校2年生の時に、古文の教師(北京同和学院出身)が、授業を脱線して、「石原完爾がいれば、戦争をしなくて済んだかもしれない」と呟いたのがきっかけ。その後興味を持っていたのだが、当時は石原に関する文献が殆どなかったのである。
 それはともかくとして、石原を語るなら、その最大の敵、東条英機を語らなくてはならない。これを語らずに、石原のことを幾ら語っても、今の人には何の感銘もない。最近、東条の孫に当たる、死に損ないのババアがよくTVに登場して、田原総一郎なんかがこれに護摩を擦っている。東条と言えば、岸信介である。岸の孫が今や総理・総裁になろうとしている。利にさとい、田原総一郎がこれを見逃す筈がない。現在の小泉・安部路線で行けばその内、東条が復権し、かつての国賊の亡霊が復活するのである。東条−岸−児玉譽志夫−中曽根−安部という戦後闇社会の系譜が再び日本を覆うのだ。
.. 2006年09月15日 12:41   No.22001

++ タク (小学校高学年)…28回       
今日になれば、石原莞爾の予測が的中していた事がよく解る訳ですが、当時の陸軍の幹部には蒋介石の国民党軍を支援している中国民衆のナショナリズムの勢いが見えていないのです。中国に対する蔑視というか、日本の陸軍の精強神話を無邪気に信じているというか、たぶん両方でしょう。石原莞爾が頑として派兵に反対しているので、派兵論者の田中新一が業を煮やして、「作戦部長をやめろ」と石原莞爾に向かって怒鳴りつけ、石原莞爾が、「貴様こそ辞めろ」と言い返して、殴り合いの喧嘩になりそうになったというのはこの時です。結局石原莞爾は派兵を止める事が出来ずに作戦部長を辞めていきます。そして満州の関東軍司令部参謀副長に転任するのです。この後、陸軍の実験は武藤章、田中新一などの、いわゆる「少壮幕僚」と言われる軍人に移るのです。

石原莞爾が着任した関東軍には参謀長として東条英機がいました。東条英機は盧溝橋事件が起きたときには、関東軍司令部を派兵論でまとめ、関東軍司令官である植田謙吉大将の名前で、派兵の決断を促す声明を発表させ、また「東条兵団」を率いて、満疆地区に出勤したりしてします。武藤章や田中新一と同じく強硬論者だったのです。
この時の東条英機の対応ぶりが、「東条さんもなかなかやるな」ということで、武藤や田中に見直されます。後の陸軍次官、陸軍大臣、首相へと東条英機が出世の階段を上っていく糸口になるわけです。満州事変の立て役者と言われる石原莞爾の株が下がり、東条英機の株が上がった瞬間だったのですね。

.. 2006年09月19日 19:28   No.22002

■--戦勝国の裁判
++ 伝六 (小学校低学年)…9回          

極東国際軍事裁判は戦勝国がおこなった裁判である。(東京裁判は費用は日本が負担したというが、裁判官とか検事の給料?までは負担していないのでは?弁護士は手弁当でやったとか読んだように思う)。戦争は強いほうが勝つ。勝ったほうの言い分が通る。それが戦争だ。ところで、昔、私は日本が戦争した相手の国の数の多さをみて、よくこれだけ多くの国と戦争したものだと、あきれた意味で感心したが、考えてみると、日本が宣戦布告したのは米英に対してだけである。あとはこれらの国が宣戦布告してきたのであろう。それらのほとんどの国とは直接には戦っていない。ソ連にいたっては平和条約を破って宣戦布告をしてきた。
さて日本の言い分だが、これは昭和18年(1943年)11月6日、大東亜共同宣言というのがある。その中に、「・・・米英は自国の繁栄の為には他国家他民族を抑圧し、特に大東亜に対しては飽くなき侵略搾取を行ひ、・・・・・・・大東亜戦争の原因茲にす。・・・・・」という文言がある。「自国の繁栄の為には他国家他民族を抑圧し」というのは「あんたに言われたくない」(この点、日本は米英の弟子?かもしれない)とはいえるかもしれないが、これはほんとうのことである。米英は今でもそのきらいがあるし、世界各国大なり小なりこの傾向はあるのではないか。これに対して米英支は同年11月27日「カイロ宣言」をだしている。その中で、「・・・・日本国の侵略を制止し、且之を罰するために今次戦争を為しつつあるものなり」と言っている。山岡荘八だったか、小説「太平洋戦争」で、これは目クソ鼻クソを笑うであるとか書いてあったが、日本が鼻クソかと思うところがあるが、まあことばの喧嘩のようなものだろう。ところが日本がまけると、カイロ宣言の言い分が正しいことになる。連合国の正義(実は邪義)によって日本国を罰したのが、極東国際軍事裁判である。したがって、基本的には国際法とは無関係なところを持っている裁判である。(続く)
.. 2006年09月10日 21:40   No.20001

++ タク (小学校高学年)…24回       
ベルサイユ講和会議で日本国は白人世界に向けて人種差別反対と叫びました。だが、日本が提案した人種平等宣言が受け入れられる余地がなかったのです。人種問題というのは、あの時代の日本にとって国際秩序の重要問題です。この時の無念さは『昭和天皇独白録』の冒頭に、大東亜戦争の遠因として、「日本の主張した人種平等案は列国の容認する処とならず、黄白の差別感は依然残存し」と書かれています。それがアメリカでは排日移民法などに繋がり日本人が差別を受けて辛い仕打ちを食らうのです。

日本が必死で白人支配からアジアを救おうと参画すれば帝国主義国家を中心とする外交の圧力がかかり欧米列強の都合で石油を止められるのです。だが、それでも日本国は人種差別や平和主義を唱えましたが、イギリスやフランスといった列強は自分たちが保持していた植民地は全部保全しています。広大な土地隣国・中国の内乱ばかりしている不安定な情勢は、日本にとっては座視できないものでした。なぜなら、それがロシアをはじめとする列強の植民地支配を誘発し、ひいてはアジアの存亡にも関わる脅威となっていくからです。

富国のため日本も中国に経済進出し、勢力を扶植しなければならなかったのは、そのためで、少なくとも石原莞爾は日本と中国の安定、日中の平和的提携関係を求め続けたのは歴史の真実なのです。この歴史の真実をマインドコントロールされた日本人の呪縛を解く為に語り継がれて欲しいのです。その想いは、今日、満州国を生き抜いた
方が亡くなられているのでいよいよ深いのです。満州国の生んだ民族協和という理念が「歴史の発展とともにますます輝きを増す」ことに、直ちに繋げなくてはならないと言うのは祖先を敬う我々の責務ではないでしょうか。

.. 2006年09月12日 18:31   No.20002
++ 伝六 (小学校中学年)…10回       
(続き)カイロ宣言の日本国の侵略を罰するという文言が、極東国際軍事裁判につらなっている。もちろんこれは不当である。パール判事によって、そのようなこと(満洲事変にまでさかのぼって共同謀議の罪を罰すること)は国際軍事裁判所の管轄権にはないことが論明されている。法律的にはそうだが、実際には、それが行われた。東京裁判の検察側最終論告で、キーナン首席検察官が序論をのべている時に、突如裁判長が発言して、次のようなことを言っている。「・・・・さらにある参与検事は私に、米国の第一流の新聞紙の第一段目に出ている主な記事、社説を私の手もとに見せてくれたのであります。この記事によりますと、私は故ルーズベルト大統領の遺言を守ったということが書いてあります。その記事には私を英国人(注・・・裁判長はオーストラリア人)としておりましたが、英国人及び英帝国の一員である所の国民全部は、故ルーズベルト大統領の遺言を十分に尊重し保護いたします」。ルーズベルト大統領の遺言とは何をさすかが、わからないのだが、あるいはカイロ宣言のときにすでにルーズベルトの胸中に、戦争犯罪人を罰するという構想?があったのでなかろうか。だいたい東京裁判は「語るに落ちる」ところが多いのである。
.. 2006年09月12日 20:46   No.20003
++ 伝六 (小学校中学年)…11回       
祖先を敬うことは大切なことと私も思います。ただ、誤解する人がいるといけないので、サンテグジュペリの次の言葉を引用します。「つまり僕は、たとえそれがどんなに自分の屈辱であるとしても、この敗北の連帯責任を絶とうとは思わない。僕はフランスの一員だ。フランスは、多くのルノアールたちを、多くのパスカルたちを、多くのパスツール達を(中略)を生んだ。フランスはまた、多くの無能力者を、政治屋を、ペテン師を生んだ。ただ、僕には、その一方との脈絡は認めるが、他方との脈絡は全然否認するというのは、あまりに安易に過ぎるように思われる。」
.. 2006年09月12日 21:06   No.20004
++ タク (小学校高学年)…25回       
カイロ宣言では、実際、北海道を占領したがるソ連の要求を米国はきっぱりと断り、蒋介石は九州領有を希望したというのです。だが、ルーズベルトは、「とんでもない男だ」とこれを拒否しています。当時の蒋介石軍は奥地の重慶にまで逃げ込んだ状態で、国共内戦も始まったため、とても九州「進駐」などできなかったのですね。

1945年3月の空爆の日、アメリカでは、いかに効果的に低コストで空爆が実行できるかを調べていたそうです。
空爆の主役は、B29爆撃機です。
ルーズベルト大統領は、新型兵器B29を最初インドと中国に配備したのだが、遠すぎて失敗したので、グアム、サイパンなどの太平洋の島々が出撃拠点となったのです。
爆撃は東京、名古屋などの日本の主要都市に67回空爆され、日本はこの時点でほとんど壊滅状態でした。
それでも広島、長崎に原爆を落としたのです。
原爆投下が本当に必要だったのか?
戦争を、国の上層部がすべての動きを把握しているわけではない。
原爆投下決定を下したトルーマン大統領は、3月の激しい空爆で日本各都市がいかに大きな損害を受けたかを詳細に知らなかったのではないかと思う。
原爆投下がなければ核競争の時代の到来は避けられ、北朝鮮の問題も起きなかったのではないだろうか?

真実として東京空襲を行ったアメリカ軍人が口を開きました「民間人を皆殺しにしろ、戦争が早く終わるから、皇居は絶対に狙うな戦争が長引くから」と上官に命令されたそうです。
このアメリカ軍人の証言を裏付ける話として当時の石原莞爾はこう語っています。何度も同じ話をしてしまいますが、極東軍事裁判酒田法廷の前に連合軍の検事に尋問を受けた時、横柄な態度で日本人を敗戦国として見下していた事に対し、石原莞爾は怒り、検事はビックリしました。検事の質問は「戦犯の中で誰が第一級犯罪人」と訊ねた。すると、石原莞爾は「トルーマン」と答え、大統領就任の時ばらまいたビラを見せ、そのビラには「日本国民が軍人とともに戦争に協力するならば老人、子供、婦女子を全部爆殺する」と書いてある点を示して、畳み掛けるようにこう言い放った「これは何だ!!国際法では非戦闘員は爆撃するなと規定があるにもかかわらず、これは何か!!」と、検事は「あれは脅しだ」と答えると「そうではない、このビラの通りに、実行し、B29が民衆すべてに爆撃し、広島や長崎は一体どうしたことか?トルーマンは、このビラの通り実行したトルーマン大統領の行為は戦犯第一級のそのまた第一級に価するものである」と言ったのです。

.. 2006年09月13日 20:11   No.20005

■--加藤紘一氏宅放火事件
++ たんぽぽ舎 (幼稚園生)…4回          

  私たちは「言論封じ」のあらゆる政治テロを許さない

 六十一回目の終戦記念日となった八月十五日夕刻、元自民党幹事長加藤紘一氏の山形県鶴岡市にある実家と事務所が全焼した。
敷地内で腹部を切って倒れている男が発見され、男は東京都内の右翼団体幹部であることが判明した。簡易鑑定では、火の気がなかったとされる実家一階奥の寝室で金属製の缶二個が見つかり、周辺からは油類が検出された。状況はこの男の放火であることを示している。
確保された男は一命をとりとめたが取り調べに応じられない状態で、真相はなお多くの点で捜査の解明をまたなければならない。
 十五日早朝、小泉首相はA級戦犯が合祀される靖国神社に参拝した。中国、韓国などアジア諸国からの非難、国内では賛否両論のなかでの強行だった。加藤氏は自民党内で首相の靖国参拝に疑問を呈し、メディアでも「参拝するべきではない」と批判を繰り返していた。男の所属する右翼団体は、過去にも天皇訪中に関連し宮沢首相(当時)の私邸前で割腹自殺未遂事件を起こしている。
 この放火は加藤氏の言動を敵視する者による、まぎれもない「言論封じ」の政治テロである。

 近年、右翼は靖国問題をめぐる活動を活発化させている。
 昨年は小林陽太郎富士ゼロックス会長宅に銃弾が郵送され、今年一月には自宅玄関前に火炎瓶が置かれた。今年七月には日経新聞東京本社に火炎瓶様のものが投げ込まれた。小林会長は「新日中友好21世紀委員会」座長として、昨年から小泉首相の靖国参拝を批判していた。日経新聞は靖国参拝の是非をめぐる論議を呼んだ「昭和天皇発言」の富田メモを入手、スクープしていた。
 事件とこれらの関連性は、実行犯が真意を明らかにすることをしないため、推測の域を出ない。
 だから卑劣なのだ。実行犯は語らなくとも、目的は達せられている。事件は自由な発言への恐喝、脅しであり、言論の自由への封じ込めに結果することだけが明白だからだ。自由な発言が守られなくて民主主義はない。民主主義にとって、政治テロはけっして許されてはならない敵である。

 私たちは、こうした「言論封じ」を目的とした卑劣な政治テロを断じて許さない。
戦後だけでも、わが国で右翼によるテロはこれまで絶えることがなかった。昭和三十五年、浅沼社会党委員長刺殺事件。三十六年、嶋中中央公論社社長宅殺人事件。放火事件では三十八年の河野建設相宅放火事件があった…。
 今一度思い起こそう。戦前、政治家が次々とテロに倒れ、気づいた時すでに政党政治は形骸化し、戦争へと真っ直ぐに進む道だけが残されていたことを。
 加藤氏は「政治家である以上、どんな状況でも今後も発言していく」とテロに屈しない決意を語っている。しかし、政治テロとの闘いをひとり被害当事者だけに委ねてはならない。民主主義が脅威にさらされている。

勇気の結束を示すため、私たち一人ひとりが声をあげよう。
私たちは「言論封じ」のどのような政治テロも許さない!
.. 2006年08月31日 15:40   No.17001

++ たんぽぽ舎 (小学校低学年)…5回       
共同アピール・加藤紘一氏宅放火事件、私たちは「言論封じ」のあらゆるテロを許さない

 〜9月5日に呼びかけ人が記者会見、
  賛同人1週間で800人を超える!

 〜呼びかけに応え、それぞれが「言論の自由を守る」
  取り組みを進めよう!

◆記者会見を行いました
 9月5日(火)午後、弁護士会館会議室において、共同アピールの発表会見を行いました。呼びかけ人は5日現在で13人に増え、そのうち7人が出席しました。また、賛同者は発表時に802人になりました。(その後も増えています。)
 会見の冒頭、今回の運動の「事務方」を担当している白石(プライバシー・アクション代表)が、運動の経過および目的について説明、次いで7人の呼びかけ人がひと言ずつ発言しました。(発言順)斎藤貴男(ジャーナリスト)、きくちゆみ(グローバルピースキャンペーン発起人)、佐高信(評論家)、石坂啓(漫画家)、西川重則(平和遺族会全国連絡会代表)、小倉利丸(ピープルズ・プラン研究所共同
代表)、内田雅敏(平和の灯を!ヤスクニの闇へ、キャンドル行動実行委員会事務局長・弁護士)の皆さんです。
 発言の内容については、改めて報告しますが、きくちゆみさんのサイトで会見の録音を聞くことができます。
◆今後について
 運動はこれからです。共同アピールの趣旨、内容を受けとめていただきましたら、今度は皆さんがご自分の地域などで言論封じのテロに抗議し、言論の自由を守る取り組みを始めてください。
 今回の取り組みは、個人が発案し、そして個人有志が「事務方」を担いましたが、これ以上大きな運動を創りだすだけの力は持ち合わせていません。ただし、もっと多くの個人が、そしてグループが力を合わせて何かを始めよう、ということを願っています。また、私どももその意思を持っています。
◆賛同人について
 インターネットを通じて広がった運動ですから、最初に発信した段階から広範に転送されているようです。したがって、賛同のご意思を表明される方はこれからも多くいらっしゃると思います。そこで、今後2週間程度、賛同をお受けする予定です。最終的には9月20日に集約し、発表することにします。

.. 2006年09月12日 08:54   No.17002

■--戦犯の定義
++ 伝六 (小学校低学年)…8回          

A級戦犯、B級戦犯、C級戦犯の定義がきわめてあいまいである。当世の学者の定義よりも、裁判をおこなったのは、連合国なのだから、裁判所条例かなにかで、どのように定義して裁判をおこなったか、あきらかにしなければ、議論もなにもあったものでなかろう。実質はともかく形式上の定義はある筈である。できるだけ国民に知ってもらいたいから、この掲示板をかりて、九月中に掲載する予定です。特に私が問題を感じているのは、B級戦犯とC級戦犯とりわけ、C級戦犯です。
.. 2006年09月01日 21:55   No.18001

++ タク (小学校高学年)…23回       
楽しみにしています(#^.^#) 
.. 2006年09月05日 10:31   No.18002

■--石原莞爾の天皇観2
++ 河野 信 (幼稚園生)…2回          

石原莞爾の天皇観  2
   英霊が泣いている

石原莞爾は昭和14年12月、舞鶴要塞司令官という閑職に転補されました。舞鶴は京都府の日本海側、海軍の軍港のある小さな町です。当時の常識から言って、参謀本部の作戦部長から、関東軍参謀副長を経ての転補は大左遷でというしかありませんでした。
 然し、石原は平然としてこの閑職に着いたのでした。
 
 然しこの閑職にあっても石原が、心を悩ます一つの問題がありました。それについては当時、朝日新聞記者であった田村真作に語ったとされる記録に残されています。
 「副官がいろいろと弔辞を書いてくれるのだが、読んでみると、名誉の戦死だとか何だ とかしらじらしい言葉が並んでいるので、どうも気が咎めて、どうしても読めない。仕 方がないから、そのまま読まずに、霊前に置いて帰ってくる。許してくれ、と私は心の中で詫びるが、遺族たちの顔を見ると、気の毒でたまらない。これが一番つらい」
(山口重次『悲劇の将軍石原莞爾』昭和50年大湊書房)

 山口重次は、石原莞爾の心を忖度して、次のように述べています
 「(指導者は)自分たちの野心を満足させるため、起こしてはんらない戦争を起こして、 多くの犠牲者をだした。…それよりも、今すぐにでも戦争を中止すべきであるのだが、 この人道的、道徳的態度をとることが、屈辱のように考えられていた……」(前掲書)

 時流に逆らえない当時の日本人は、真実の心を押し殺して「名誉の戦死・天皇陛下万歳」と叫んでいました。「時流に乗る、勝ち馬に乗る」日本人の習性は平成の現在でも変わっていません。
  
.. 2006年09月04日 08:19   No.19001

++ 河野 信 (幼稚園生)…3回       
   戦陣訓 (せんじんくん)

 戦争中、この言葉一つによってどれだけ多くの兵士が、無駄死にしたでしょうか。その数は何万でしょうか、何十万でしょうか。百万以上でしょうか。
無駄死にした兵士は「戦陣訓」の文中の次の言葉によって死んだのです。その言葉とは
 「生きて虜囚の辱めを受けず、死して罪過の汚名を残すことなかれ」
  {戦って捕虜になることは恥ずかしいことである。敵の捕虜となるくらいなら、いっそ死んでしまえ}                              と諭しているのです。
 アリュウシャン、ガダルカナル、サイパン、硫黄島、フィリピン、レイテ,インパール、沖縄等で多くの兵士が「万歳突撃」を敢行し、屍を野辺に晒しました。悔やんでも悔やみきれません。

 この人命無視の「戦陣訓」は昭和16年1月、東條英機陸軍大臣の名で全陸軍に配布されたのです。当時、日中戦争はいつ果てるとも知らず、泥沼化して4カ年にも及び、ノモンハン事件ではソ連軍に大敗し、軍部は何とかして兵士の志気を奮い立たせる必要に迫られていたのでした。

 石原莞爾は当時京都の第16師団長でしたが、断乎としてこの「戦陣訓」に反対し、京都師団の将兵にこれを読ませませんでした。何故石原が陸軍大臣の布告に反対したのでしょうか。
 反対の唯一絶対の理由は、臣下である東條が配布した「戦陣訓」が、明治天皇がお下しになった「軍人勅諭」を無視したことになるからです。当時の兵士たちは、一日に一度「一つ、軍人は忠節を尽くすを本分とすべし。一つ、軍人は武勇を尊ぶべし……」という「軍人勅諭」を奉唱させられていました。(私もその一人でした) その上に「戦陣訓」が加わったのです。石原は「戦陣訓」は、この「勅諭」を無視したものであり、天皇統率の本義を蹂躙した不敬きわまるものであると激怒したのです。

 ここに石原莞爾の天皇観が現れています。

 尚、石原のこの処置に対して、東條英機陸軍大臣の猛烈な圧迫が加わり、その年の3月、石原は待命となり陸軍から去らざるをえなくなったのでした。

.. 2006年09月04日 10:47   No.19002

■--今、レバノンで何が起きているのか?
++ 広瀬 隆 (幼稚園生)…1回          

 1 すでに報道でご承知のように現在イスラエルはパレスティナ・ガザ地区とレバノンに対する無差別攻撃を、陸・海・空から続けています。主権国家であるレバノン、パレスチナを地上から抹殺するような激しい攻撃が昼夜を分かたず続いています。これを虐殺といわずしてどのような言葉があるでしょうか。
私たちは、イスラエルが今日までいかなる国際法も国連安保理を含めた各種の決議をも無視し続けてきた事実を改めて思い起こします。占領地からの撤退も無視し、パレスティナに巨大な収容所と化す「壁」をはりめぐらし、パレス
ティナの人たちの基本的な主権、人権を無視し続けてきました。

 2 そしていま、ガザ地区はイラク・ファッルージャ虐殺と同様のことが行われています。7月11日パレスティナ自治政府保健省は国際社会に向け、イスラエルによる爆撃地点で高濃度のレベルの放射能を検出、新たなミサイルを撃ち込んでいる。多くの市民が被曝している。医療支援を!」と悲痛な呼びかけを行っています。

 3 レバノンでは非武装の国連施設を爆撃、カナ村での虐殺をはじめ、レバノン全土をがれきの山と化す攻撃を「自衛権の行使」と称して続けています。
劣化ウラン兵器の疑いが濃い地中貫徹爆弾バンカーバスターを含む、あらゆる武器、大量破壊兵器が使われています。アメリカがイスラエルの背後にいることは明白であり、あらゆる武器の供給源でもあります。イスラエル(アメリカ)のねらいは、レバノン、シリア、そしてイランに続く中東属国化(イラク・アフガニスタンを含んでの)であり、このような野望を断固として打ち砕くためにも、私たちはいまこそ怒りの声を、行動を起こしませんか。

 4 イスラエルアメリカの言う「自由と民主主義」とは、他国の市民を虐殺することをよしとし彼ら(資本家)にとって都合の良い言葉に他なりません。
残念ながら私たちの国の首相は戦争屋イスラエルに、中東に物見遊山にいくという情けない姿を国際社会に見せつけました。アメリカとイスラエルのポチのポチになりさがった私たちの国、恥ずべきこの国のあり様も含め、いま、私たちは全ての市民の皆様に呼びかけます。

.. 2006年08月07日 16:02   No.15001

++ たんぽぽ舎 (幼稚園生)…3回       
<市民は、イスラエルの蛮行に怒っています>

 日毎に激しさを増すイスラエルによるレバノン侵略に対して、私たち劣化ウラン兵器禁止・市民ネットワーク(11団体と個人で構成)は、8月3日広島の地において、急遽8・9集会の開催を決定し、僅かな時間しかない中で取り組んできました。
 当日、午後6時が開場でしたが、その前から次々と参加者が受付へやって来て、当初参加者数に不安を抱いていましたが、そんなものは、開場に参加して下さった皆さんの熱気で吹き飛んでし
まいました。最終的に参加人数は、会場が一杯になる程の175名になりました。

<明らかになるイスラエルの戦争犯罪>

 司会を劣化ウラン兵器禁止・市民ネットワークの鎌仲ひとみさん(映画監督)が担当しました。
 6時半の開始とともに、BBCによるレバノンの状況とアルジャジーラによるガザ地区の状況のVTRを10分ほど視聴しました。日本のメディアでは余り見ることができない映像であって、思わず息を呑む映像が、集会の緊張感を高めることになりました。
 その後、主催団体を代表して柳田氏より、今集会開催の経過、主催団体の劣化ウラン兵器禁止・市民ネットワークの説明、今後の行動提起等、及び資料の説明を行いました。

 それから、一人25分の予定で、3人の講師の方々に講演をしてもらいました。

 最初は、一橋大学院生の田浪亜央江氏による「レバノン・パレスチナの歴史的経緯」、2番目は、レバノンでの取材の経験からジャーナリストの豊田直巳氏による「レバノンの映像から」、3番目は、劣化ウラン研究会の山崎久隆氏による「イスラエルが使う非人道的兵器」でした。

 田浪氏からは、現在イスラエルが行っているのは、レバノンを介してイスラエルにとって都合の良い中東作りであることと、ヒズボラについての多面的な解説でした。

 豊田氏は、レバノン民衆のぎりぎりの抵抗(逃げ出したら土地を取られる為、住む続けることが抵抗である)や、イスラエルにとって潰せないことが分かっていながら実施するヒズボラ潰しの
方法(ヒズボラがいると言う口実で攻撃をして、レバノンの人々がヒズボラを疫病神と思うように仕組んでいく)など、映像を使って力強く訴えました。

 山崎氏からは、決して明らかにされる事がないが、平然と使用していると考えられている国際法違反である非人道的・大量破壊兵器である白りん弾、クラスター爆弾(この中に重石や貫通体と
して劣化ウランの使用が疑われている)、痛撃電磁波(別名・殺人光線)についての解説、それらの兵器がアメリカからイスラエルに供給されている実態等の解説がありました。
 10分ほどの休憩後、講師3人に対して、会場から様々な質問等が配布された用紙で寄せられ、それぞれ回答してもらいました。

.. 2006年08月12日 06:42   No.15002
++ 劣化ウラン兵器禁止・市民ネットワーク (幼稚園生)…1回       
レバノン・パレスチナの子どもに人道支援を!
     
    ―ミルクや食料品、薬を買う資金に御協力下さいー

8月27日(日)有楽町マリオン前で募金活動、
        一人でも多くの人の参加を歓迎!

 マイクでアピール、ビラの配布、写真掲示、立て看板などで多面的に訴えます。

<早急な住民支援の実施を>

 国際的な反戦の声が高まる中、アムネスティー・インターナショナルやヒュー
マン・ライツ・ウォッチ(HRW)などの国際人権擁護団体などから、国際人道法
違反行為との批判が出ており、国連人権理事会でも、イスラエルのレバノン軍事
攻撃は「重大な人権侵害」だと糾弾する決議が採択されています。

 曲がりなりにも停戦が実現した現在、一刻も早い現地住民に対する救援活動がとても重要になっています。これ以上幼い命が奪われないように、安全な生活が一日でも早く戻ってくるように、日本にいる私たちが今できることの一つは、救援資金を集めて送り届けることではないでしょうか。

日時 : 8月27日(日)15:00〜17:00
場所 : 有楽町、マリオン前

.. 2006年08月23日 08:27   No.15003

■--環境問題と原子力の問題
++ 小山 (幼稚園生)…1回          

石原莞爾平和思想研究会 様

 環境問題と原子力の問題(究極の目標は核・原子力
発電の廃止)を追求する「たんぽぽ舎」と申します。

平成17年4月25日「永久平和」第82号を見ました。

 今後、たんぽぽ舎の活動案内・情報・見解等を掲載してもよろしいでしょうか。

よろしくお願い致します。

.. 2006年07月17日 18:48   No.6001

++ タク (小学校中学年)…13回       
どうぞ、掲載ください。
よろしくお願い致します。
現在の研究では宇宙は200億年前に誕生して、地球は46億年前に誕生したといいます。
その46億年前を年間カレンダーの1月1日とした、生物誕生を静岡県の浜岡原子力博物館に細かく見ることができます。その年間カレンダーでは、現在生きている我々は大晦日で除夜の鐘を聞く瞬間なのですね。化学物質を、大量に使用するようになったのは、ここ百年です。それは、人類の歴史のほんの一瞬で命の循環を断ち切ろうとしているのです。人類は、利便性と経済性を求めるあまり、大量の化学物質を開発製造し、使用してきました。
科学の進歩は人類を宇宙へと飛び立たせ、ゲノムの解明で命のメカニズムまで明らかにしました。このように、便利さと同居する自然破壊を生み出した近代の文明社会は、人間存在の暗黒が潜んでいます。遺伝子操作で人間を創造しようとしたり、無機物質から細菌を誕生させたり、ついに人類は、神の領域に手を出そうとしています。大自然の大きな流れは、人間の能力を遥かに超えたものであり、何十億年かけて作り上げて来た地球に終止符を打とうとしているのです。

.. 2006年07月19日 08:22   No.6002
++ たんぽぽ舎 (幼稚園生)…2回       
 7月14日(金)、たんぽぽ舎にて東海村JCO臨界事故7周年集会に向けた実行委員会立ち上げ集会が行われ、38名参加の盛況でした。集会は臨界事故のあったJCOの転換試験棟から120mの近場で働いていて被曝した大泉さん夫妻の報告が中心で企画されていましたが、雷雨で常磐線が止まり、二人が到着したのは21時近くになってしまいました。二人は「頑張ってい
きます」と元気よく挨拶されて、帰路につきました。9月30日(土)にはあらためて詳しくお話されます。
 集会は柳田真さんの挨拶があり、続いて望月彰さんの基調報告があった。その内容は「臨界事故は動燃の臨界安全規制値を7倍超える違法注文によって起きた」ことが中心。

イ、一周年(2000年)から6周年(2005年)までの取り組みの中味
ロ、事故原因をめぐる政府(3省庁)と私たちの交渉
ハ、政府へ事故原因の再調査を要求する
二、JCOは被曝をみとめよ。ヒバクシャに補償せよ。
  大泉訴訟を勝利させよう。

 また大泉さん夫妻挨拶の前後に、福島瑞穂党首秘書の石川顕さん、もんじゅ西村裁判原告の西村トシ子さんのアピール、高木学校の崎山比早子さんの広島被爆レベルの解説などがありました。

.. 2006年08月07日 16:14   No.6003
++ タク (小学校高学年)…22回       
東海地震について興味を持って調べています。
今世紀前半に起きることはほぼ確実だと言います。
被害の見積もりを静岡県のシンクタンクが発表しています。
予知がなかった場合で二千人強、予知が成功した場合で二百人強という方が亡くなるだろうという数字が算定されています。
この根拠というのはいい加減で、阪神大震災ではなく、何故か宮城沖地震の被害等を元に計算されています。
例えば新幹線の事故なども被害の数字には入っていません。
それと多くの人が心配しているのが、浜岡原発の震災被害です。
私は毎年、実際に見に行きますが、一号炉と二号炉は過去の地震データーをもとに450ガルまで耐えられるように作ってあるそうです。
これは非常に単純に計算されています。
地震の揺れというのは阪神大震災の場合、800ガルを記録したそうです。
阪神大震災の20倍の規模と想定される東海地震に地盤に固定する形で耐震設計がしてある一号炉や二号炉だけでなく、建物自体に耐震設計がしてあるらしい三号炉、四号炉でも東海地震に耐えられるかどうかは疑問です。
震源地予想図というのが、ネットで検索できると思いますが、浜岡原発のほぼ真ん中にあります(苦笑)
浜岡原発でチェルノブイリ級の事故が起きた場合、死者は数十万に上るという計算もあります。
避難区域は、チェルノブイリの場合、半径200キロ〜400キロだったそうですが、風向き次第では、名古屋圏のみならず、東京圏も含めて、被害が、予想されます。
人的被害だけでなく、経済的被害も出るでしょう。
私は素人ですが、保険金支払いで危ない生命保険会社の倒産、汚染地区の近郊農業の壊滅にともなう食糧不足、水源汚染による水不足、金融大恐慌などなど

そして当然予想される株価と円の暴落、汚染地区での土地の価格の暴落等、経済的被害はとんでもない数字になるような気がします。
予知に成功しても、原発の運転では最低三ヶ月間は核分裂反応が続くそうです。
従って地震警報が出るとパニック的に人々は東海地区から脱出しようとするでしょう。
パニックを恐れて、東海地震は予知に成功しても、警報発令は出さないような気がします。
警報が出るだけで、株価は大幅に下がるので、警報は空振り懸念等も含めて出さない可能性が非常に高いと思います。
もし原発震災が起きると、放射能に汚染されていない安全な水と食料の買い占めと奪い合い等が、国際援助が届く前の時点で、食料暴動・政治暴動等が起きることも十分予想されます。
また放射能汚染で数十万人の規模で人が死ねば、今の社会は大変なことになります。
経済・金融危機と事態は非常に悪化すれば、当然の事ながら反政府運動が起こるでしょう。それを抑えるために自衛隊が災害救助の名目で治安出動する可能性も充分考えられます。
自己防衛的なものは、パスポートは五年期限を常に取得しておく。
資産は外国の証券会社等を使って海外の安全な資産にしておく。
土地や不動産は放射能汚染されたら、まったく無価値になるので、所持しない。
所持している不動産は売れるうちに売却する。
外国に友人を作っておく(笑)

.. 2006年08月16日 09:36   No.6004

■--雑感
++ 伝 (小学校低学年)…6回          

もしイラクが内戦状態になれば、アメリカ軍は撤退するとかいう記事を読んだ。結局イラク戦争によって、アメリカは目的を達しなかったということだろう。それは最初から予想されることだったのだ。私は政治には無知だが、イラク戦争の時、ブッシュ大統領が、日本と戦争して、その日本と今では同盟国だというようなことで、占領政策の成功を言っているのをテレビできいた。私が思うに日本で占領政策が成功?したのは、昭和天皇がおられたからだ。もし、昭和天皇がおられなかったら、アメリカ兵に相当の死者がでたはずだ。血の気の多い者達が乱をおこしていた筈だ。森崎湊という青年は、「私は生きて降伏する事はできません。私が生長らへて居たら必ず何か策動などして、恐れ乍ら和平の大詔に背き奉り、君には不忠、親には不孝と相成る事目に見えるやうであります。・・・・」と8月16日夜に遺書に書いて、腹を切って死んだ。これは一例だが、昭和天皇に導かれなかったら、占領政策がスンナリとうけいれられることはなかたであろうと私は思う。今になっても、占領政策に対して歴史的に正しく評価がされていないから、アメリカの大統領がイラクを攻撃するといったら、日本の総理大臣が支持するなどとすぐ言うわけだ。占領政策がそう簡単に成功する筈がないのに!・・・戦後の民主化ということについても、まともな批判がない。ただ否定するだけの批判?とただ肯定するだけの無思想があるのみでないか。人間といったら、悪人も善人もある。民主主義といったら、善民主主義と悪民主主義があると考えることもできるのである。
.. 2006年08月08日 20:36   No.16001

++ タク (小学校高学年)…21回       
米国は、すべてを撤退させる方針を固めようとしています。国防総省の発表や、軍の関係者がマスコミの話では、徐々に撤退させ今年中には10万人まで減らし、2007年末までには、大半を撤退させて、2008年にアメリカ兵が殆どいなくなると言います。イラクの人によるイラク軍・警察隊の訓練が順調に進み、アメリカ軍と交代でイラクの治安を守ることになっているので、他国の軍隊もすべてイラクから撤退するようです。

だが、米国はすべてを撤退することを明確に世界に発表していません。ブッシュ大統領がすべて撤退を口にすると、米国は逃げたと思われテロ攻撃が活発化するので、ブッシュ大統領は撤退を口にしなかったのだ、という見方があります。だが、中東の新聞ではアメリカ軍の撤退が大きく掲載されているのです。

イラク侵攻はアメリカ国民の間では指示する人が少なくなり、軍の募集でも人数が不足しています。募集をかけても採用する方がいないようでは、軍を徴兵制に変更しない限り、兵力を確保できないので縮小して撤退していくしかないでしょう。さらに、アメリカ軍はイラクで市民にもよく思われていないので、協力しようとする人は少ないのです。

アメリカの元副大統領補佐官ルイス・リビー氏が起訴され、イラク侵攻する理由だった大量殺人兵器の保有や核兵器開発疑惑の外交文書がすべて偽造だったことが大きな問題が、イラク侵攻に対するアメリカ国民の支持が急速に下がった原因でしょう。嘘をついてイラク侵攻してイラクの人々を苦しめた事実を隠して、イラク占領をどう終結させるのであろうか。

.. 2006年08月16日 08:05   No.16002

■--8月15日石原莞爾将軍ご命日法要・墓参
++ 河野 信 (幼稚園生)…1回          

8月15日石原莞爾将軍ご命日法要・墓参について

日時 平成18年8月15日                11:00 集合
    11:30〜12:30 法要・墓参    1 13:00〜15:00 座談会「石原将軍を偲ぶ」   15:10〜17:00 懇親会
会場 国柱会・妙宗大霊廟(将軍の分骨納鎮)       東京都江戸川区一之江5-19-18            都営地下鉄一之江下車 徒8      タクシー便利 03-3656-7111
会費 香華料1000円 昼食代1000円 懇親会1000円
    計3000円 
申し込み 石研事務所宛 8/12まで申し込んで下さい
.. 2006年08月03日 12:25   No.14001

++ 森生文乃 (幼稚園生)…2回       
夕方から用事なので、お昼過ぎまでしか居られませんが法要・墓参と昼食は御一緒できそうなので
(懇親会は時間がなくて残念ですが帰ります)
どうぞよろしくお願いいたします。

.. 2006年08月07日 15:43   No.14002
++ 志賀明彦 (幼稚園生)…1回       
8月15日、国柱会に行きたかったのですが今年はスケジュールがあわずに行けないので残念です。それにしても石原将軍の命日が15日というのも不思議な話です。これはもしかしたら石原信奉者は靖国神社には
いかないでくれということなのでしょうか。
かつて高木清寿先生に将軍のなくなったときの様子をお聞きしましたがまさに天に昇っていったようなお話でした。

表題とは、ずれてしまいますが小泉さんの靖国参拝公約(8月15日)は残念ながら一度も果たされていません。
我が選挙区選出の加藤紘一代議士がTVで小泉さんに8月15日をはずして参拝するように助言したと得意げに語っていましたが選挙民として残念です。
彼こそ八紘一宇のど真ん中にいるのに、その自覚はなさそうですね。
時折、羽田−庄内の機内やバスの中で臨席することもありますが声をかけたこともありません。

昨日のTBS系TV『報道特集』で「靖国合祀願う声」というのがありました。
戦後に朝鮮戦争で戦死した方の合祀がすべて国家機密(戦後の海外派兵)であったためにできなった。除籍謄本記載の死亡地の位置(緯度経度)でようやく戦死が証明できたという話でした。そのような犠牲の結果もマッカーサーの
「日本は自衛戦争を行っただけ」の米国議会証言へとつながったのかもしれません。

遺族が靖国神社から分祀したいという声がある一方、合祀を求める声もある。
それを見て遺族が合祀/分祀を決めていいのかと考えさせられました。
一番大事なことは本人の意思。もし「靖国で会おう」であれば遺族が合祀に反対だから即分祀すればいいというものではないでしょう。
あらためて考えさせられました。

さて、この番組でとても気になることがありました。
A級戦犯として合祀された広田元首相の孫、弘太郎氏の声として
「遺族が合祀を望んだわけでもないし話もなく合祀された」というものです。
一瞬、自分の目と耳を疑いました。広田首相?
そして番組の最後でも田丸キャスターまで「広田元総理の〜」
これはミスとかいうレベルではなく明らかに誇張した効果を狙ったものではないかと疑いをもっています。
百人斬り訴訟で問題になっている「東京日日新聞」(のちの毎日新聞)とつながるTBSですから報道内容についてはより慎重にしてほしいものです。

テレビ朝日系のスーパーモーニングでもマスコミの戦争責任を
とりあげていましたが、未だにどこの局もあやしげな報道が目に付きます。

国柱会での法要が盛況でありますようにお祈りいたします。

石原莞爾平和思想研究会 鶴岡田川支部 志賀明彦


.. 2006年08月15日 08:36   No.14003

■--戦争責任
++ 伝六 (小学校低学年)…7回          

天皇の戦争責任ということを言う人がある。ちょっと横道のそれたテーマだが、ついでに言っておこう。この言葉は朦朧とした表現である。天皇が戦争を主導した責任ということを言う人はないだろうから、天皇が開戦をとめなかった責任ということを言いたいのだろうか。これについては、昭和天皇が昭和五十年、ニューズウィーク誌のインタヴューで「・・・開戦のさいは閣議決定があり、私はその決定を覆すことはできなかった。これは日本の憲法に合致していると私は信じます」と言われている。ところが戦前の日本人は、いくら閣議決定があっても天皇が右向けとか左向けとか言えば大臣は聞くものだくらいに思っていたみたいですね。国政が天皇の意思でどうにでもなるということは、皇室のしきたりでなく、また明治憲法もそのようなことはみとめていないのです。しかし、閣議できめたことだから、天皇が何の意思も表明しなかったかというと、そうではないのです。9月6日の御前会議は異常な緊張のもとにおこなわれました。「日米戦争と戦後日本」(五百旗頭真著)によると、「しかし天皇は、木戸内大臣に対して御前会議開催の二十分前に、その日の会議では自ら質問したい、との意向を表明したのである。木戸内大臣は困った。」陛下のおこころは我々にはおよびもつかないが、われわれであれば思いあまって、二十分前になって言ったということかと想像される。同書からの引用をつづける「木戸は、天皇が御前会議でその種の発言をして軍部とやりあったらどうなるか、と心配した。軍部を抑えられるかもしれない、しかしそれは危険である。それは天皇が政治抗争の一方の当事者になることを意味する。神聖不可侵の権威を捨てて、地に降りて軍部ととっくみあいをすることになる。一度や二度は成功するかもしれない。しかしそれを始めれば、人間のやることだから間違うこともでてくる。そうなると、神聖にして不可侵の絶対の権威としてふるまうことはできなくなる。陸軍として許せぬ、耐え難いとなれば、陸軍が天皇から実力で権力を奪うことだってありうるだろう。天皇がそのような生身の当事者として降りてこないことこそが、天皇制の続く所以であると、と彼は考えていた。」木戸の考えについては、一次資料をしらべていないが、とにかく陛下の御意向には反対申し上げたのは事実だろう。そこで陛下は独断をさけて、御自身の質問はなさらなかった。しかし、この御前会議では統帥部を叱咤されることがあったそうである。これについては、よく調べてみたいと思っている。
.. 2006年08月01日 22:22   No.12001

++ タク (小学校高学年)…20回       
戦前から戦後へ、8月15日を境に徹底的に破壊されたもの、形を変えて生き残ったものと、様々な変容が我々のまわりにはあるでしょう。その象徴的なものは天皇像でした。戦前の「現人神」から、戦後の人間天皇という象徴天皇となり、それは連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の占拠方針によるものでありましたが、同時に、深くは日本人の文化と倫理と国家観に根ざす問題でもあったのです。

史上初の敗戦という事態をもたらした戦争責任との関連で、様々な天皇制論議がなされました。日本人の大多数は「国民統合」のよき「象徴」として天皇が、国民とともに歩まれることを歓迎したのです。その人間天皇にかわって、「神」として君臨したのが、GHQの総司令官ダグラス・マッカーサー元帥であったのです。東京の中心、宮城とお濠をへだてて向き合っている第一生命ビルの屋上に9月17日以来、星条旗が鮮やかに翻り続けました。この旗、マッカーサーの命ずるままに、民主主義となったのです。

ワシントンからの指令の第一の目的は、日本の「非軍事化」で、電撃的に処理されました。8月15日現在、日本本土に57個師団約257万名余の兵力を有し、陸海合わせて約1万6000機の航空機が残っていました。これらがおとなしく武器をすて、武装解除が完了したのは10月15日のことです。一発の発砲もなく、ただ1人の負傷者もなくこれが完了したというのは、世界中のだれの眼にも奇跡としかうつりませんでした。あの神風特攻隊がある日本軍が、あれだけソ連を苦しめて一度も負けなかった日本軍が何の抵抗をみせないとは。スターリンでさえこう洩らしたといいます。

.. 2006年08月02日 19:17   No.12002

■--先日は会合に参加できず失礼致しました
++ 森生文乃 (幼稚園生)…1回          

先日は大変残念でした。
翌日、武田先生にお会いでき隆久様より前日の様子を伺いました。
福島からいらした方が大変カッコイイ方と聞き
「いけばよかった〜!!」と思わず叫んでしまいました
おばさんはしょうもないですね(笑)。すみません

ところでDMをお送りしたら名刺の住所が研究所だったんですね。
レバノンの爆撃に思わぬところでリンクしてきたのでお読みいただければ幸いです

以前にもご案内させていただいた いだきしんさんのイベントについてなのですが、ちょっと重複する部分があって恐縮ですが一応順序だてて書きます。

いだきさんの即興の音は、人間の恨みや苦しみを溶かしていく音で、生命を再生する力も持っておいでです。
話は飛びますが、26年前、末期癌で死ぬところだった高麗恵子さんという方がこのいだきさんに会われて、実際身体が元気になって回復してしまったのです。それで彼女はいだきさんのプロデュースの仕事を始めたのですが、実は詩が大好きで、体が回復してから詩を書かれるようになりました。その詩は、古代の人々が高麗さんに語りかけた叙事詩であったりして、高麗さん自身の血の中に流れる歴史と、その繰り返しからの解放の道筋を表わす詩でした。
さらに話は飛びますが(すみません)、その詩がレバノンの詩人や演出家の目に止まり、アラブ圏内で大絶賛をうけるようになり、彼女の詩の朗読といだきしんさんの即興演奏と、レバノンの演出家によるイベントが立ち上がり、国際的な芸術活動が開始されたのですが、御存じの通りレバノンはいま爆撃に見舞われ、非常に危険な状態に入ってしまいました。それでイベント中止になりましたが、中東の方々はこのイベントこそ平和のためにいのちかけてやりたい事だとおっしゃっているので、その願いをそのままにしたくないと現地でやるはずだったそっくり同じ内容を日本でやろうということになりました。
というわけで8月11日、ヨルダンでやるはずだったイベントが東京で開催されます。

詳しくは こちら 
のトップページから左下のトピックス NPO高麗 海外コンサート速報 の枠のなかの
 高麗恵子 「中東に愛と 平和と 祈りを捧げ」
 高麗恵子「戦火のレバノンベイルートより」
のPDFをご覧下さい。(文字が読みにくい場合は拡大すると読めます)

世界の問題は山ほどありますが、人の意識というのはいつも「自分が正しい」になっているので、言葉ではなかなか解決できません。(話し合いで解決できるなら、とっくに世界の問題は解決していたでしょう)言葉によらないで意識の壁を溶く芸術の力は、やはり人間の底力なのではないでしょうか。地球の片隅で愛あふれる調和のコンサートに心を振動させる人が居ることが、バタフライ効果のように波動を広げていきます。芸術活動には核を作動不能にする可能性があります。
その活動に共鳴して下さる方がいたら、一緒に愛の波動を強くすることができればとても心強いです。
お忙しいことと存じますが、
少しでも御参加いただける時がありましたら有り難いです。
ご検討よろしくお願いいたします。
.. 2006年08月02日 14:08   No.13001


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