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教育基本法は歴史的には占領政策の一環として成立したものである。占領政策の大きな目的は「日本国ガ再ビ米国の脅威トナラザルヲ確実ニスル」ことであるから、もっともらしいことを言っていても日本人としては要注意のところがある。知っている人は知っているが、終戦の詔勅には「朕は国体を護持しえて」とあり、「国体の精華」の発揚を国民に対して希望された。文部省では国体護持を念頭に、過去の非を反省して新日本の教育を考えていこうとしたが、当然のことにGHQの反対にあった。教育勅語との関連にしぼっていうと、終戦となって以後、前田文相は教育勅語を尊重する立ち場をとるべきことを強調した。昭和二十一年一月十三日、前田文相は公職追放処分をうけた。安倍文相も教育勅語は否定しなかった。教育基本法を発案した田中耕太郎も、徳教としての教育勅語を否定するつもりはなかった。教育勅語との関連について文部相調査局で作成した「第九十二帝国議会に於ける予想質問答弁書」では「教育勅語は日本国憲法前文第一項後段によって排除さるべきものではないか」の想定質問に対して「憲法前文最後の「これ」とはいわゆる民主主義の政治の原理であり、事柄は政治に関するものであり、教育勅語は道徳、教育に関するものであるから、教育勅語は「これに反する」詔勅に入らない。のみならず、形式的にいっても教育勅語には国務大臣の副署なく、詔勅の形式になっているのではなく単に天皇の御言葉であるからむしろこの前文とは無関係なものというべきである」という答えを用意した。これは正しい見解である。しかし、この答弁は使われなかったらしい。昭和天皇もこのようなかんがえであられたようだが、それについては長くなるから引用しない。高橋文部大臣は帝国議会では不得要領の答弁をしているが、個人的には「私も教育勅語とこの教育基本法との間に矛盾と称すべきものはないのではないかと考えておるのであります」と発言している。ところが昭和二十三年の国会で教育勅語の排除(衆議院)失効確認(参議院)の決議がおこなわれた。これによって教育基本法は教育勅語を否定したものととらえられることになったのである。これはそのときの国会議員が阿呆であったのでなく(アホであったかないかは勿論私はしらない)GHQのさしがねである。どう考えるにしても歴史的事実はあきらかにすべきである。
.. 2007年06月04日 20:53 No.84001
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