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大分県とは 奈良時代、大分は「豊の国」といわれていました。16世紀中頃、大友宗麟がこの地を治めています。宗麟は、フランシスコ・ザビエルが大分を訪れたときに洗礼を受け、文化を積極的に取り入れました。南蛮貿易を積極的に推し進め、キリシタンを入れ、教会の後、島津の侵政にあい、宗麟は豊臣秀吉に助けを懇願しましたが、敗れました。
豊臣秀吉はそれを機に大分を小藩に分立させました。これ以降、明治時代に至るまで、大分は転封の繰り返しで、日田を天領とし、その下に中津、日出、臼杵、築、府内、佐伯、岡、森と8藩に細分させました。
最も大きい中津で10万石。小藩分立の歴史は、「橋一つ越せば、よその国」という風土を作り上げました。領主も領民も排他的、閉鎖的で、まとまりが悪く、スケールが小さいです。大分は県土の70%が山間部で占められ、可住面積も少ない。明治時代から、特徴のない県といわれてきましたが、温泉は有名です。
別府温泉は日本一の湧出量を誇る大温泉として、大分の観光資源となっています。大正時代以前は、「地獄めぐり」で有名な地帯は、流出する熱湯が水田を枯らすとか、自殺や心中が多くて厄介者扱いされてきましたが、昭和に入ってからは四国や京阪神の観光客でにぎわうようになりました。別府の名を全国に広めたのは、四国出身の油屋熊八です。
旅館の建築をする一方で、「山は富士、海は瀬戸内海、湯は別府」というキャッチフレーズの看板を設置したり、日本初の若い女性によるバスガイドを登用したり、その奇抜なアイデアで別府を一大観光リゾート地にしたのです。
人の足を引っ張る、出る杭は打つを「豊後の赤猫根性」と言います。赤猫根性とは島国根性と同義語で、隣の家に蔵がたつと腹が立つということも意味します。大分県のシイタケ生産量は1217トン。国内生産量の20%日本最大の産地です。とりわけ竹田市の生産量は67トンと県内で最も多いです。
それでは全国で一番源泉数の多いところは、1位は、大分県の4788箇所です。2位、鹿児島県2824箇所。3位、北海道2304箇所。4位、静岡。5位、熊本県です。次に湧出量ですが、1位、大分県。2位、北海道。3位、鹿児島県。4位、青森県。5位、熊本県でした。
.. 2020年08月20日 08:21 No.2004002
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