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天安門事件から何周年だかなんだかが昨日の話。NHKのクローズアップ現代で、中国で天安門事件がどう取り扱われてるかなどなど紹介してましたが。そこで気になったキーワード、「再評価」。中国共産党は天安門事件を再評価するつもりは無い、とのこと。 で、話変わってこれまた昨日のニュース。判決の決め手となったDNA鑑定の結果が覆り、17年ぶりに釈放されたなんとかさんの話。この件で最も重要なのは、DNA鑑定のやり直しを、長年裁判所が却下し続けてたって点だと思うんですよ。これもつまり「再評価」というものを拒否してきた、ということ。 エロゲの規制の話でも触れましたが、一度決まったことを見直そうとしない、という姿勢がどれだけ不味いかって話です。 天安門の件だと、「天安門事件の時の政府の対応は流石に不味かった。でもそれを認めることは出来ない。歴史がいずれ再評価するだろうが、それは自分達が要職から退いてからにしてくれ」って姿勢。 裁判のDNA鑑定の件だと、「もし再検査して“間違いだった”って結果が出たら、裁判所も検察も警察も面子丸潰れ」ってこと。 歴史上の人物の再評価なら、今生きてる人への影響は小さくて済みますよね。…まあ、案外深刻な影響を与える事例も多数ありますが。 だからまあ、歴史の再評価は面白いし、どんどんやっていこうって話は以前にもこの掲示板でしたと思います。そこで異論が出たりして議論が発展するのは非常に面白いですから。 が、しかし。再評価ってのは、当事者が生きてる間にどんどんやっていかないと。天安門の件も、裁判の件も、再評価を蔑ろにした結果泥被ってる人たちが沢山いる、責任逃れてる人たちが沢山いる。それは不味いでしょう。 エロゲ規制の件は、物事の評価というものを真剣にし続けないと、自分でも気がつかないうちに自分まで泥被ってしまう、ということ。ある時ふと気がつくかもしれません、「なんか最近やり難くなったな」、と。
何が言いたいかと言うと、「結論」なんてのはすぐに覆るべきである、ということ。その瞬間の結論であり、それは参考にするべきであるが、それに囚われてはいけない。常に、結論に疑問を持ち、改めて考え、同じ結論に辿り着くかもしれないし、違う答えが出るかもしれない。思考停止は、ホントに不味いって話です。
.. 2009年06月05日 09:36 No.522001
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