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■--第1コリント8章
++ 王島将春          

(つづき)

私はヨシ子さんからモナカを受け取った後、しばらくして、自分は罪を犯してしまった事に気付きました。罪とは、クリスチャンとして正しく振舞わず、ノンクリスチャンのように振舞ってしまった事です。ヨシ子さんが私のそのような振る舞いを見てしまい、私がキリストの広告塔としての使命を果たせなかった事。それが私の罪です。

第1コリント8章には、以下のように書かれています。1節から13節までの全文を紹介します。

・・・

次に、偶像に捧げた肉についてですが、「私たちはみな知識を持っている」ということは分かっています。しかし、知識は人を高ぶらせ、愛は人を育てます。自分は何かを知っていると思う人がいたら、その人は、知るべきほどのことをまだ知らないのです。しかし、だれかが神を愛するなら、その人は神に知られています。

さて、偶像に捧げた肉を食べることについてですが、「世の偶像の神は実際には存在せず、唯一の神以外には神は存在しない」ことを私たちは知っています。というのは、多くの神々や多くの主があるとされているように、たとえ、神々と呼ばれるものが天にも地にもあったとしても、私たちには、父なる唯一の神がおられるだけで、この神からすべてのものは発し、この神に私たちは至るからです。また、唯一の主なるイエス・キリストがおられるだけで、この主によってすべてのものは存在し、この主によって私たちも存在するからです。

しかし、すべての人にこの知識があるわけではありません。ある人たちは、今まで偶像になじんできたため、偶像に捧げられた肉として食べて、その弱い良心が汚されてしまいます。しかし、私たちを神の御前に立たせるのは食物ではありません。食べなくても損にはならないし、食べても得にはなりません。

ただ、あなたがたのこの権利が、弱い人たちのつまずきとならないように気をつけなさい。知識のあるあなたが偶像の宮で食事をしているのをだれかが見たら、その人はそれに後押しされて、その良心は弱いのに、偶像の神に捧げた肉を食べるようにならないでしょうか。

つまり、その弱い人は、あなたの知識によって滅びることになります。この兄弟のためにも、キリストは死んでくださったのです。あなたがたはこのように兄弟たちに対して罪を犯し、彼らの弱い良心を傷つけるとき、キリストに対して罪を犯しているのです。

ですから、食物が私の
.. 2025年08月03日 00:11   No.157001



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