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■--「鬼畜米英的曖昧思考」に立ち帰れ−2
++ エルニーニョ深沢          

 以上の事を踏まえた上で今回の八百マン騒ぎに話を戻すと、この騒ぎは相撲を単なる格闘技スポーツとしてしか認識出来て無い連中が「Yes/No」型の被占領的発想で相撲を「勝ち/負け」でしか評価出来ない事が本質的問題です。
 相撲とは半分は芸能、つまり武技と演技が合わさったもの。相撲は江戸時代の興行相撲以前から伝統的に「そういうもの」なんです。だから「Yes/No」型の思考パターンを脱皮し、「鬼畜米英的曖昧思考」で”高度な八百マンの技(わざ)”を楽しむ、これが独立日本を目指す為に必要な真の大和魂です。
 その”高度な八百マンの技(わざ)”が発揮されたのは、昨年九州場所で横綱白鵬が稀勢の里に負け63連勝でストップした取組です。
 白鵬は双葉山の69連勝に迫り、その記録を抜こうという勢いが有りました(←と言うか、白鵬を阻止出来る実力を持った力士が他に居ない)。しかし大方の日本人は無意識の裡に、純日本人の双葉山の連勝記録をモンゴル人の白鵬に破られたく無い、そう思っていた筈です。自覚的にでは無く深層心理で。しかも双葉山はあの宇佐八幡宮の在る九州宇佐の出身、九州場所はそういう因縁の場所でした。だから白鵬が負けて多くの日本人は内心ホッとした筈です、無意識の裡に。つまり白鵬が実力では格差が有る稀勢の里に負けて、相撲協会も観衆もテレビの前の衆愚も全て丸く収まり何処からも不平や疑問が出なかった、これは”高度な技”です。
 実はあの日私は偶々博多に行ってて夕方に風呂から出て飲みに行く前に、テレビでこの一戦の前の把瑠都が極めて不利な体勢から「波離間投げ」という超珍しい技で阿覧に勝った一番を見て、相撲としては圧倒的にこちらの方が面白かった事を覚えて居ます。
 宇佐八幡は道鏡の野望を打ち砕く神託を和気清麻呂に下した故事で有名ですが、双葉山が宇佐八幡の祭神に乗り移り、相撲協会及び白鵬に”天の声”を下したのかも知れませんな、ブワッハッハッハ!!
 笑った後で序でに言うと、白鵬は初場所でも稀勢の里に負けましたが、これも筋書き通りです。つまり、もし白鵬が勝つと「九州場所の負けは何だったんだ?」という疑念の声が出て来ます。2場所連続で負けた事に依って明き盲の衆愚は「白鵬は稀勢の里が苦手」と見事に思い込んで仕舞いました。つまり初場所の負けは九州場所の八百マンをカムフラージュする為の更に1段上の”高度な技”の偽装工作だったのです。
 私の様に日本の伝統文化を正しく理解すれば、”筋書きが有る格闘技”である相撲を10倍楽しむ事が出来るという好例です。
.. 2011年02月15日 19:30   No.237001



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