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■--災いを受けないノンクリスチャンが受けている厳しさ
++ 王島将春          

神を信じない者が以下のような発言をするとします。

「神なんているわけねえだろ(笑)」
「キリストの再臨なんてあるわけねえだろ(笑)」
「聖書は創作だ(笑)」

神を信じない者が上記のような発言をしているのを街で見かけた一般人の方が、心の中で以下のような疑問を持つとします。

「キリスト教の神様が実際に存在するなら、どうしてあの人に反論しないのだろう?」

と。

一般人の方がそのような疑問を持つのは理解できますが、ある意味、これは前提が間違っていると思います。

神は知性の神です。そして神を信じていない人は反知性主義者です。宣教対象であるノンクリスチャンに対してレッテル貼りのような事を書きたくありませんが、神を信じていない人は反知性主義者と言わざるをえません。神を信じない事が反知性に該当しないなら、この世の全てが反知性に該当しない事になります。

つまり何が言いたいかというと・・・。

神を信じない者が冒頭で申し上げたような愚かな発言をしているとして、それを見聞きした一般人の方が「神はどうしてその人に対処されないのだろう?」と疑問に感じたとして、その疑問に対する答えとして、質問を質問で返させて頂きたいです。

知性と反知性に何の関わりがありますか?

知性の神と反知性主義者に何の関わりがありますか?

反知性の霊(=悪霊)に心を明け渡している人に、知性の御霊(=聖霊)がどうして介入する事が出来ますか?

・・・。

神は人間を愛しています。しかし高ぶる者には高ぶるままにさせる事があります。高ぶる者が認罪に至る事は不可能であり、神の御子イエス・キリストの十字架と復活を信じて罪の許しを得る事も不可能です。高ぶる者が高ぶるままにさせられる事それ自体が神の裁きです。
(つづく)
(138.64.212.247).. 2026年02月14日 22:15   No.2081001

++ 王島将春       
(つづき)
逆説的な言い方をすれば、高ぶる者が災いに逢うという事は神の憐れみを受けたという事であり、その人は神の国に遠くないのです。「私は善人だ」「私は警察に捕まった事がない」などと言って罪の自覚を促された体験がない人こそ神の国から最も遠い人達です。地獄には善人(自称善人)が沢山いて天国には極悪人が沢山いる。

高ぶる者が何の災いも受けずに日常生活を送っているさまを見る時、どうして神はその人を裁かないのかと疑問をいだきます。しかしその見方は誤りです。

高ぶる者が高ぶるままに生き続ける事で、その人の地上の日々は無益に損耗していきます。その人が無益に過ごした1日は、世界中のクリスチャン達が有益に過ごした1日です。その1日1日の積み重ねの中で、ある者は砂上の楼閣のように努力の痕跡が波にさらわれ消えていく人生を送り、ある者は朽ちることなく盗まれることもない宝を天に積みます。

ノンクリスチャンとクリスチャンの間には超絶的な霊的格差が広がり続けており、その格差は億万長者とホームレスの比ではありません。しかしその霊的格差を問題視している人は世の中にほとんどいません。この世の格差は、永遠の世界における格差と比べたら、お遊びです。

高ぶる者が何の災いも受けずに平穏に日々を生き続けて、低く機会が与えられないまま、人生の終わりに永遠の地獄に堕ちること。これこそが神の裁きの究極です。もう一度いいます。これこそが神の裁きの究極です。ノンクリスチャンが幸福な日々を送っているのを見る時、私はそこに神の裁きを見ます。


一人でも多くのノンクリスチャンが高ぶる心を低くされる試練に逢って、主イエスと出会いますように。携挙が起きる前に一人でも多く。イエス・キリストの御名によってお祈りします。

(138.64.212.247).. 2026年02月14日 22:16   No.2081002


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