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■--徒然なるままに1
++ 光の素粒子 (殿堂馬)…563回          

競馬を覚えた昭和45年。ダービーを勝ったのはタニノムーティエ。もし1年遅く生まれてたらヒカルイマイとダービーで対戦してた。ヒカルイマイは差し切ったのか。ヒカルイマイが1年遅く生まれてたら関西三強のデッドヒートを外から交わしていたのだろうか。関西三強が1年遅く生まれてたらハイセイコーを皐月賞で負かしていただろうか。ハイセイコーが1年遅く生まれてたらキタノカチドキとの皐月賞、先着したのはどっちだろう?
.. 2021年02月02日 19:55   No.1565001

++ キャッシュボア (殿堂馬)…323回       
今晩は。

するとシンボリルドルフがもう1年早く
生まれたら、もしくはミスターシービーが
もう1年遅く生まれたら、ミスターシービーは
ウメノチカラになっていた、ということ
でしょうか・・・・・

.. 2021年02月02日 20:09   No.1565002
++ タグ (殿堂馬)…960回       
それをいったらキリがないですね。
それよりほぼ同時期に競走生活を送りながら、対戦しなかった馬たちがいます。
古くはタケシバオーとスピードシンボリ。前述のTTGとマルゼンスキー。ビワハヤヒデとナリタブライアン。
面白いのは3頭の年度代表馬を出した昭和62年のクラシック組。サクラスターオー、タマモクロス、イナリワンは互いに対戦なし。見事なすれ違いに終わりました。
あとミホシンザンとシリウスシンボリも同世代で対戦なし。
最近ではあまりすれ違いはありません。
シンボリルドルフ、ディープインパクト、アーモンドアイらは、ほとんどの馬と顔を合わせ、一蹴しました。とくにアーモンドアイは1600から2400までのチャンピオンデスタンスの馬と闘いました。

.. 2021年02月03日 09:49   No.1565003
++ 闘将親父 (殿堂馬)…2057回       
こんばんは。
まだ幼かった私が最初に聞いた記憶がある競走馬の名前がタニノムーティエ
でした。
その後フジテレビで「優駿回想」というコーナーがありそこでその強さに驚きました。
ヒカルイマイもこのコーナーでレースを見て「疾風の差脚」と言われたダービーに
驚かされました。
その世代その世代で強い馬がいてハイセイコーが好きだった私は、
タケホープの強さを嫌というほど叩き込まれ、タニノチカラの
有馬記念での強さを目の当たりにし、ハイセイコー引退で、競馬を
見なくなるかと思ったらカブラヤオー、テスコガビーに足止めされ、
トウショウボーイ、テンポイント、グリーングラスの3強対決で抜けられなくなりました。
その馬たちが牧場に帰ってカツラノハイセイコ、ミスターシービーをターフに
送り出して魅力がさらに増しました。
マルゼンスキーは、親父が好きだったなぁ。
「あそこまで言っているのだからダービーに出してやれ!」と言っていたことを
覚えています。
彼が有馬記念に出走していたらおそらく昭和52年の名勝負は、なかったでしょう。
皆さんが挙げた中でタマモクロスは、シンボリルドルフが挑んでできなかった
同一年春秋天皇賞連覇を成し遂げてくれました。
特に一騎打ちにして勝つ強さが好きでした。

それでは、また。

.. 2021年02月09日 23:04   No.1565004


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