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話は少し古くなりますが当時の最高価格馬ハギノカムイオーが34歳で死去。シンザンの長寿記録にあと一年でした。思い出すのはハギノカムイオーの2戦目のレースをテレビで中継するため、メインと入れ替えたことです。3戦目のスプリングSは疑惑のレースとして有名。もう1頭の人気馬6連勝中の怪物サルノキングがどういうかわけか田原がスタート直後思い切り最後方につけ直線全く伸びず4着。(馬は故障、二度と走ることはなかった)。当時のマスコミをにぎわせました。距離体系が整備する前でしたので快速ハギノカムイオーの活躍の場が限られその点不運でした。(1600のG1と2000の天皇賞秋はなかった) これでテスコボーイ系はサクラユタカオー→サクラバクシンオーがつなげるのみ。同時代に一声を風靡したヒンドスタン(代表シンザン→ミホシンザン)、パーソロン(代表シンボリルドルフ→トウカイテイオー)、チャイナロック(代表ハイセイコー→カツラノハイセイコ)の父系は途絶えました。
.. 2013年04月18日 21:53 No.1163001
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