|
志賀直哉の筆による102年前のスペインかぜに襲われた | 家庭の恐怖は、現在のコロナウイルスの恐怖と同じ | スペイン風邪による全世界の患者6億人、死者2,300万人 | 日本では2,100万人が発症し、約38万人が死亡 └──── (メルマガ読者、京都府在住)
◎ 大正8年(1919年)4月に『白樺』に発表された短篇「流行感冒」 (原題「流行感冒と石」)は、志賀直哉が千葉県の我孫子に居を構えて いた36歳の時の作品で、スペイン風邪が日本までやってきたときの 志賀家のありようが鮮明に描かれております。 元気象庁天気相談所長の宮沢清治氏は、防災歳時記「スペイン風邪、 猛威を振るう」(消防防災科学センタ—No.055 1998冬号)の中で、 次のように記述しております。 「大正7年早春、米国で発生したインフルエンザ(流行性感冒)は、 翌8年にかけてスペイン、仏、英国などヨーロッパに広がり、 『スペイン風邪』と呼ばれた。同時に中国、日本へも侵入し、全世界を 覆い、空前絶後の惨禍となった。 日本での流行には三つの波があった。 第一波は、大正7年3,4月ごろ、日本に侵入し、初夏には止んだ。 第二波は、その年の9月中旬から10月上旬にかけて全国に広がった。 これは過去数百年間の疫病のうち、最も劇的な大流行であった。 第三波は、翌大正8年1月下旬から2月にかけて日本中に蔓延した。 スペイン風邪による全世界の患者6億人、死者2,300万人。日本では 国民の5人に2人にあたる2,100万人が発症し、約38万人が死亡したと いわれる。」
◎ このとき、我孫子での志賀家には大正6年生まれの次女がおり ました。 しかし、前年に生まれた長女を2か月足らずで失ったこともあり、 この子供ためには病的に病気を恐れていました。 小説では、流行性の感冒が我孫子の町にもやってきたが、主人公は それをどうかして自家(うち)に入れないようにしたいと考え、運動会 へも誰もやらぬ事とし、女中にも町の使いで話しこんだりしないこと や夜の旅芝居の見物も禁じていました。 こういう背景のもとで、主人公が女中の石の行動と返事に不信感を 募らせイライラするさまなどが複雑に展開していきます。 この中で流行感冒の記述が鮮明に展開していきます。
◎ 少し紹介すると次のとおりです。
.. 2020年07月03日 07:02 No.1972008
|