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鎌田 慧
「子どもたちが死んでいくとき…とてもおどろいた顔をして横たわっているんです」 「未来の物語」とサブタイトルにあるノーベル文学賞作家スベトラーナ・アレクシエービッチの『チェルノブイリの祈り』の一行である。ベラルーシの子どもたちに「がんは死につながる」という認識はなかったという。 ヒロシマ、ナガサキ、第五福竜丸、東海村JCO、そしてフクシマ。五度も極端な悲劇に見舞われながらも、日本人はまだ核の利用は安全だ、とする宣伝を信じようとしている。どうしたら六度目を拒否する行動が強まるのだろうか、とこのドキュメントを読みながら考えさせられた。 過去の悲劇が未来にまちかまえる。それを回避する賢明さも決意もないまま、またおなじ過ちを繰りかえし、子どもたちが驚いた表情で死んでいく。それでいて誰も責任をとることがない。 もう日本では買い手がなくなった原発を、首相が率先して世界に売り歩く。ヨウ素剤と避難訓練のマニュアルを、付録につけるのだろうか。 被ばくしたベラルーシの人びとの、死に至る静謐(せいひつ)な悲しみと苦悩に満ちた歴史を聞き歩きながら、著者のアレクシエービッチは、「人間の命の意味、私たちが地上に存在することの意味についても」聞いてみたかった、と書く。悲劇の記録は、フクシマで終わりにしたい。(ルポライター) (11月10日「本音のコラム」より)
.. 2015年11月11日 08:07 No.980001
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