返信


■--世界各地で繰り返される
++ 島村英紀 (平社員)…142回          

.「「地震弱者」の悲劇 ひとごとではない日本」
 |  「警戒せよ!生死を分ける地震の基礎知識」コラムその124
 └──── (地震学者)

  7万人以上の死者を出したパキスタン地震(2005年)からちょうど10年。マグニチュードは(M)7.6。M9を超えることもある海溝型は別にして、直下型としては大地震だった。
 インド亜大陸が赤道を超えてユーラシア大陸に衝突し、まだ北上の勢いが止まらないので、この地震を起こした。
 この地震だけではない。昨年4月に起きて5000名以上の人命を奪ったネパール地震(M7.8)も、2008年に起きて7万名の犠牲者を生んだ中国の四川大地震(M7.9)も、そして2013年に起きたパキスタン地震(M7.7)も、どれもインド亜大陸の北上のせいだ。ネパールでは1934年にもM8.1、1988年にもM6.6の地震が起きて大被害を生んだ。
 つまり、ユーラシア大陸の南側に並ぶこれらの国々は大地震の常襲地帯なのである。
 私はイランで起きた地震の被災地に行ったことがある。
 息を呑む風景だった。「日干し煉瓦」を積んだだけの家は、土の山に帰ってしまっていた。
  「怪我人というのはあまりいないのです」と言った土地の人の暗い声を思い出す。家の中にいれば助かる見込みはほとんどない。たまたま屋外にいた人だけが助かっていた。イランもアラビアプレートのせいで地震がよく起きる国だ。
 地震の常襲地帯なのに大被害が繰り返されている理由がある。それは世界のどこでも庶民の家は、手元の材料を作って作るしかないからだ。
  木材も、もちろんコンクリートもない中近東や中央アジアの国々や中国南部では泥をこねて太陽で干しただけ、つまり焼き固めていない日干し煉瓦で家を造る。
 この日干し煉瓦は建築材料としては悪いものではない。熱を吸収してゆっくり放出するから家のなかは涼しい。暑くて乾いた気候には適しているのだ。
 だが地震の常襲地帯では話は別だ。地震にはとても弱いのである。
  1999年にトルコを襲って5万人もの命を奪った地震の後に人々が建てていた家を見て、私は背筋が寒くなった。地震の前と同じ造りの家を建てていたからである。こうして地震の大きな被害が繰り返されてきている。
 自然災害だからと諦める前に人智を尽すことが災害をくい止めるためにとるべき道のはずだ。だが、庶民は手許にある安い材料で家を造る。こうして自然災害は繰り返される。
 現代の地震は「地震弱者」を選択的に襲うのである。
  日本でも他人事ではない。阪神淡路大震災(1995年)で倒壊してしまった家は1971年以前に建ったものが圧倒的に多かった。つまり建築基準法が強化された以前に建てられた古い家が選択的にやられたのだ。
 古い家に住み続けざるを得ない庶民が集中的に被害に遭うという構図はこれからも日本でも繰り返されるのにちがいない。
.. 2015年10月27日 10:08   No.974001

++ 島村英紀 (平社員)…143回       
社会の高度化がもたらす犠牲者増の皮肉
 |  文明の便利さと引き換えに…
 |  「警戒せよ!生死を分ける地震の基礎知識」コラムその125
 └──── (地震学者)

  地震による死者数は年によって違う。多い年は世界で60万人もが死に、10万人を超えた年も多い。
 20世紀で最多だったのは中国で唐山地震(マグニチュード(M)7.5)があった1976年だった。この地震では中国政府の公式統計よりは倍以上も多い60万人近い死者が出たのではないかといわれている。地震直後から10年間、唐山地区に外国人は地震学者を含めて入るのが禁止された。閉鎖解除後の1987年に私が行ったときは大きな被害を出した一角が地震の遺跡として、そのまま残されていた。(右下の写真=島村英紀撮影 ※注)
 21世紀には2004年に起きたスマトラ沖地震(M9.1、2004年)は22万人以上の死者を生んだ。
 犠牲者数が10万人を超える大地震は、日本の大正関東地震(M7.9、1923年)をはじめ、さまざまな年にペルー、グアテマラ、トルコ、パキスタン、イタリアなど世界各地で起きている。
 ところが、地震として放出されたエネルギーが多い年は、地震の死者が多い年とは一致していない。
  米国の地球科学者が、放出された地震エネルギーを年ごとに計算したことがある。年によって地震のエネルギーは100倍も違っていた。
 エネルギーがいちばん大きかったのは1960年。この年を中心に、50年代の始めから60年代の後半までが20世紀中では最大のピークだった。地震には「当たり年」があったのだ。
 また19世紀から20世紀に変わる頃は世界的に地震が頻発したこともあった。
  なぜ当たり年があるのかはいまだ解けないナゾだ。プレートの動きが大規模に変動するのか、地球の自転がわずかながら変わるのか、といった学説はある。だが、どれにも強い反論がある。
 不思議なことがある。年別に数えてみると、地震のエネルギーが一番多かった50〜60年代は、死者の数は20世紀でも群を抜いて少なかったことだ。
  なかでもエネルギーがピークを迎えていた50年代の始めには死者は年間100人台で、これは世紀中で最も少なかった時代だった。
 同じように40年代や70年代以降世紀末までは、地震のエネルギーはずっと小さかったが、唐山地震などのように、地震の死者は多かった。つまり世界全体では地震のエネルギーが少ないのに、地震の死者は多かったのだ。
 これにはいろいろな理由があるだろう。
  ひとつは地震が襲う場所に運不運があることだ。人口密度が高いところを地震が襲えば、地震の大きさに比べて被害が大きくなるのは避けられない。
 世界の人口が増えていって社会が高度化すれば、同じ大きさの地震に襲われても被害が大きくなる。
  文明の便利さと引き替えに、災害への弱さを私たちは負わされてしまっていなければいいのだが。

.. 2015年10月28日 08:13   No.974002
++ 島村英紀 (平社員)…144回       
宝永地震で300年の時を超えた新事実 大阪だけで死者21000人
 |  「警戒せよ!生死を分ける地震の基礎知識」コラムその126
 └──── (地震学者)

 10月28日は宝永(ほうえい)地震(1707年)が起きた日だ。
 この地震は恐れられている南海トラフ地震の「先祖」の超巨大地震だった。
 300年も前の地震だったのに、ごく最近も発見があった。大阪だけで21000人もが犠牲になったというのだ。いままでは全国での死者数が2万人以上と考えられていたので、全体で倍になる数字である。
 当時、大阪は天下の台所と呼ばれ栄えていた。当時人口約35万人あったが、死亡率6%というのは大変な数字だ。日本の地震史でも例が少ない高い数字である。
 宝永地震は学問的に研究途上で学説は定まらないことが多く、新しい説が次々に出てきている。
 地震計のない時代だったから、震源の位置や広がりが正確にわかっているわけではない。
 たとえば震源が駿河湾に入っていたかどうか、つまり以前から発生が懸念されている東海地震の領域も含んでいたかどうかは学説が分かれている。恐れられている南海トラフ地震への対策のためにも、震源の特定は重要なことだ。
 南海トラフ地震には、分かっているだけで13回の「先祖」があった。分かってきたことは、その先祖には大きさも震源の広がりも、いろいろあったことだ。
 最後に起きた東南海地震(1944年)と南海地震(1946年)は大きな被害を生んだものの、地震としては明らかに小さめのものだった。
 その前は1854年に32時間おいて起きた安政東海地震と安政南海地震。1940年代の地震より大きかったが、宝永地震よりは小さかった。
 宝永地震の約200年前の1498年に起きた明応(めいおう)地震も、いまの三重県にあった大きな港町がすべて消えてしまったほどのとてつもない大津波を生んだ。以後200年間も人が住めなかったほどだ。
 宝永地震は潰れた家が6万軒以上、津波で流出した家が3万軒にのぼった。いままで死者は全国で2万人以上とされていたが、大阪で新史料が見つかったので倍になった。
 地震による震害は東海、近畿、中部、四国、信濃(いまの長野県)、甲斐(いまの山梨県)の国々で甚大で、さらには北陸、山陽、山陰、九州にも及んだ。
 また津波は関東から九州までの太平洋沿岸や瀬戸内海を襲って甚大な被害を生んだ。津波は八丈島も襲って被害を生んだ。
 津波の被害が一番多かったのは高知沿岸や紀伊半島や伊豆半島西岸だった.。震源から離れた伊豆半島の東岸にある伊豆下田でも912戸のうち9割以上が流失した。
 また、地震の翌朝には静岡から山梨に被害が出た誘発地震も起こした。そして49日後には富士山が噴火した。現代に至るまでの最後の噴火で、富士山の三大噴火のひとつだ。
 最近の学説では約200年ごとに大きな地震が起きるのではないかと言われている。宝永地震はもっとも大きなものだった。
 さて、今度来る南海トラフ地震はどうだろう。近年のものより大きくて2011年の東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)なみの影響を及ぼす大地震かもしれないのだ。

.. 2015年11月06日 09:59   No.974003
++ 島村英紀 (平社員)…145回       
.「海底で起きている巨大地滑り 津波も起こし海底電線切断の被害も」
 |  「警戒せよ!生死を分ける地震の基礎知識」コラムその127
 └──── (地震学者)

  人工衛星がこれほど発達した現在でも、海底電線は国際間の通信の主役である。世界各国を結んで世界中の海に張り巡らされている。
 この海底電線はほとんどの場合、ハダカで海底に這わせている。沿岸や浅い海では海底に溝を掘ってその中に埋めてあるが、費用も手間もかかるので、ごく一部にとどまっている。
 それゆえ、海底電線は切断の被害に遭いやすい。一番多い切断の理由は漁業。底引き網やトロール漁法による被害だ。
 じつは、そのほかに海底で地震が起きたときに海底電線が切断されてしまうことが知られている。
 最初に地震被害が確認されたのは1929年だった。グランドバンクス地震。マグニチュード(M)は7.2。それほど大きな地震ではなかった。
 だが、この地震がカナダの大西洋岸のすぐ沖で起きたときに、カナダの大陸斜面にあった12本の海底電線が、上から順番に、次々に切れていったのである。28ヶ所も切断された。
 いちばん上の海底電線から一番下までは1100キロメートルも離れていた。東京から稚内の距離よりも長い。13時間もかかって順番に海底電線が切れていったのだ。
 切れた時刻が記録されていたから、海底電線を切っていったものが走り抜けた速さが分かった。速度は最大で時速100キロメートルを超えていた。
 その走り抜けていったものは「海底地滑り」。地震によって引き金を引かれた地滑りが1100キロメートルを超える距離、水深は5000メートルを越える深さのところまで走ったのである。
 このときに海底で起きた地滑りは広さが2万平方キロメートル、体積は200立方キロメートルという途方もない量だった。2万平方キロメートルとは東京都の10倍にもなる面積だ。
 以前、2008年に起きた岩手・宮城内陸地震の地滑りについて書いた。国内では最大規模だったそのときの地滑りは約1平方キロメートル。1929年に起きた海底地滑りは2万倍も大きかったのだ。
 このように、海底地滑りはとてつもなく大きなものが起きる。1929年の地震に限らず、1980年に米国カリフォルニア州沖であったM7.0の地震のときなど、世界各地で起きた。
 海底面の斜度はそれほどではなくても、海底地滑りが起きて、しかも遠くまで流れる。カリフォルニア州沖では海底の勾配が0.25度だった。米国東部のミシシッピ河デルタではわずか100分の1度の勾配のところでも海底地滑りが起きたことが分かっている。
 海底地滑りは海底面が水を含んでいるために陸上よりも発生しやすく、またいったん滑ると規模が大きくなる。そしてM5やM6の地震で発生することもある。海底電線には敵が多いのである。
 なお、海底地滑りは津波も起こす。世界各地で、地震が直接発生させるよりも大きな津波が起きたことがある。
 日本でも2009年に駿河湾で起きた地震(M6.5)のときは、地震断層が起こしたより倍以上も高い津波が来た。これは海底地滑りが津波を起こしたものだった。

.. 2015年11月10日 08:14   No.974004
++ 島村英紀 (平社員)…146回       
ガスの採取で生み出された想定外の地震 揺れるオランダ
 |  「警戒せよ!生死を分ける地震の基礎知識」コラムその128
 └──── (地震学者)

  生まれてから地震を感じたことがない人にとっては恐怖体験にちがいない。地震がなかったオランダで地震が起きはじめた。
 壁に長さ1メートルもの割れ目が開いて凍り付くような隙間風が吹きこんできたり、隙間から日の光が差し込むようになっている。
 オランダの最北部、ドイツ西部との国境に近いフローニンゲン州。北海に面している。
 ここは欧州最大のガス田があるところだ。国内のガス需要をまかなっているほか、ドイツ、フランス、ベルギー、イタリア、スイスなど各国に輸出している。
 このガス田からの収入は日本円にして1.5兆円を超える。これがなければ、オランダはギリシャなみに国家財政が赤字になってしまうと言われている。
 このガス田でガスの採取が始まったのは1964年だった。ガスの層は深さ約2,800メートルのところにある砂岩で、層の厚さは80〜100メートルある。
 ところが、ガスを採取し始めてから、地震がまったくなかったオランダで、このガス田の近辺に地震が起き始めた。
 最初に気がついたのは1993年だった。以後、地震は増え続けて、2012年にはマグニチュード(M)3.6の地震が起きて多くの家屋に亀裂などの被害を生んだ。震源の深さがごく浅いためにMのわりに震度が大きくなったのだ。
 ガス生産量を年間500億立方メートル以上に倍増した2000年以降、地震の数はますます増えている。地震は2013年だけでも119回起きた。
 現在のペースでガス採取が続けば、今後1年間にM4.5以上の地震が発生する確率は50分の1あるといわれている。
 地震とガス採取の関係は明らかだった。このため、採掘をしているオランダ石油会社(NAM)は地元に日本円にして約120億円の補償金の支払いを申し出ている。なおNAMは石油業界大手の英蘭系ロイヤル・ダッチ・シェルと米国エクソンモービルの合弁会社だ。
 この6月には、政府は今年の生産量は300億立方メートルに減少することを明らかにした。従来の目標394億立方メートルを大幅に下回る。
 オランダ政府にも地元も、不安を隠せない。
  ユーロ圏の経済危機に直面するオランダ政府にとってはこのガス田は生命線だ。おいそれと生産中止にはできない。
 一方、首都アムステルダムや政治の中心都市ハーグから遠く離れた地元にとっては「住民がこうむる被害は重要ではないのではないか」「国のために田舎は犠牲になれというのか」といった声が挙がっている。
 「図らずも人間が起こしてしまった地震」がまた起きてしまった。前にこの連載で書いたシェールガスに限らず、世界のあちこちで新たな火種になっているのである。

.. 2015年11月27日 08:47   No.974005
++ 島村英紀 (平社員)…147回       
安政地震が示す首都直下型の恐怖
 |  震源浅くても強い揺れ遠くまで伝わるメカニズム
 |  「警戒せよ!生死を分ける地震の基礎知識」コラムその129
 └──── (地震学者)

  11月は日本の内陸で起きた地震としては最大の人的被害を生んだ安政(あんせい)江戸地震が起きた月だ。
 1855(安政2)年に起きて江戸(いまの東京)を襲ったこの地震の死者数は阪神淡路大震災(1995年)を超える1万人以上だったのではないかと考えられている。
 地震のマグニチュード(M)や震源の場所や深さは正確に分かっているわけではない。
 日本で地震計による観測が全国をカバーして始まったのは1926年だから、それ以前の地震の震源の位置や深さ、Mを決めるのは多くの地震史料を集めて推定しなければならないので大変なことだった。
 震源は被害の拡がりから決めた。安政江戸地震では被害が大きかったのが江戸城の外濠に囲まれた区域で、老中や大名の屋敷が立ち並んでいたところだった。液状化の被害もあった。研究では、震源は隅田川の河口付近とされた。被害は直径20キロほどの狭い範囲に集中していたが、そこにちょうど江戸の下町があったのが不幸だった。
 安政江戸地震のMは以前は6.9とされてきたが、近年の研究ではMはもっと大きく、7.1〜7.2クラスではないかと考えられるようになっている。つまり兵庫県南部地震(阪神淡路大震災)よりわずかに小さいだけの、直下型地震としては大きな地震だった。
 首都圏は北米プレートに載っているが、そこに東から太平洋プレートが潜り込み、その二つのプレートの間に南からフィリピン海プレートが潜り込んでいるという複雑な構図になっている。つまり「地震を起こす理由」が多い。
 このうちのどのプレートが安政江戸地震を起こしたのかはナゾだった。震源の深さを正確に知らなければそのナゾがとけない。
 一般には震源が深いほど、遠くまで強い震度が伝わる。70キロ離れたところでも震度5相当の揺れだったことや、震度4相当の揺れだった地域が500キロ以上も離れたいまの宮城県、新潟県、岐阜県、愛知県といった広い範囲に広がっていたことから、震源は深かったという説が強かった。
 また歌舞伎役者の中村仲蔵の手記に、地震動の初期微動の継続時間が数秒以上と長かったと読み取れるような記載があったことから、震源が深い説を補強した。
 他方、この地震では、地下水の異常や地鳴りや発光現象など、当時は前兆と考えられた現象が多く記録されている。これらの現象は震源が浅いために起きると考えられていた。史料とその読み方によって、震源のデータが違ってきてしまっていたのだ。
 しかし最近の研究で、この地震は震源が浅かったことが明らかになった。震源が浅くても強い揺れが遠くまで伝わる新しいメカニズムが発見されたのだ。
 こうして、首都圏が直接載っている北米プレートのごく浅いところでも内陸直下型地震が起きたことが分かった。震源が浅ければMのわりに揺れが大きくなり、被害も増える。
  昔起きたことは、将来も起きる可能性がある。今後首都圏を襲う直下型地震を知るために大事なことが分かった。
 

.. 2015年12月07日 08:53   No.974006
++ 島村英紀 (平社員)…148回       
火山の噴火を知らせる磁力の仕組み
 |  「警戒せよ!生死を分ける地震の基礎知識」コラムその130
 └──── (地震学者)

  迷い込んだら出られなくなるという富士山の北麓に広がる青木ヶ原樹海。ここでは磁気コンパスが使えないという伝説がある。
 青木ヶ原樹海は富士山の三大噴火のひとつである貞観(じょうがん)噴火(864-866年)のときの溶岩が固まっで出来た。富士山の北側の山腹から大量に出てきたものだ。貞観噴火は富士五湖も作った。
 ちなみに現在までの最後の噴火である宝永噴火(1707年)はやはり大きな噴火で三大噴火のひとつだった。これは南東側の山腹から噴火したものだ。
 溶岩のなかには磁鉄鉱が多く含まれているから、溶岩は磁力を持つ。だがコンパスが狂うというのは都市伝説だ。溶岩が持つ磁力は地球の磁場に比べてずっと弱いものだから、実際にはコンパスは溶岩にごく近づけないかぎりほとんど狂わない。
 一般に火山は大きな磁石になっている。ところがマグマが上がってきて噴火が近づくと火山体の岩の温度が上がる。地下の温度が約400度Cを超えると、火山岩は憶えていた磁場を忘れてしまう。火山体としての磁石が弱くなってしまうのだ。
 磁石がある温度で磁石の性質を失うことを発見したのは物理学者のピエール・キュリーで、この温度をキュリー温度という。なお、ピエールの妻が放射線の研究者マリー(キュリー夫人)で、1903年に夫妻揃ってノーベル賞を受賞した。
 この性質ゆえ火山に磁力計を置くことによって、火山の下にマグマが上がってきたかどうかが分かる。マグマが上がってくると地球磁場と火山岩の磁場を合成した値が変化する。つまり噴火予知の一助にしようというわけだ。
 それならば、火山体の表面で温度の変化を測ればいいと思うだろう。しかし地下の温度が「熱伝導」で表面に伝わってくるのには何千年以上もかかる。これでは予知するには遅すぎる。
 たとえば地下わずか数メートルのところにある地下水の温度は、東京で15度C、札幌で8度Cで年中一定だ。これはその土地の年間平均気温なのである。年間に気温はずいぶん変動するが、地表から数メートル下がるだけで、この変動は年という長さでも伝わらないということだ。
 熱水や火山ガスが出てくるところなら温度の変化はもっとずっと早い。だが、それらは地下に割れ目がある特定の場所だけの情報で、地下全体の温度をいつも正直に伝えてくれるわけではない。このために磁力計を使って火山体全体の地下の温度上昇を知る観測が必要なのだ。
 気象庁は2000年ごろから、国内の火山に磁力計を置きはじめた。たとえば北海道・苫小牧の近くの樽前山(1041メートル)では、この10月に磁力計を設置した。また釧路の近くの雌阿寒岳(1499メートル)でも観測をはじめている。
 このほか今年度中には御嶽山(3067メートル)、吾妻山(福島県、1949メートル)、霧島山(宮崎・鹿児島県境、1700メートル)にも磁力計を設置する予定だ。
 とても地味だが、火山の地下を知るための観測は、こうして、少しずつ進んでいるのである。

.. 2015年12月10日 08:18   No.974007
++ 島村英紀 (平社員)…149回       
大陸プレートが生み出す地震と宝石 「ヒスイ」や「ルビー」
 |  地震だけではない。プレートは罪作りなことを重ねている
 |   「警戒せよ! 生死を分ける地震の基礎知識」コラムその131
 └────  (地震学者)

 さる11月、ミャンマーで大規模な地滑りが起きて100人以上が死亡した。
 ミャンマーの北部カチン州のヒスイ鉱山。ここではヒスイの採掘がさかんに行われてヒスイの世界有数の供給地になっている。
 主な輸出先は中国だ。ヒスイはかつて孔子が徳の象徴とたたえた宝石で、中国では「玉(ぎょく)」呼ばれ珍重されてきた。このため中国ではほぼ枯渇してしまった。
 ミャンマーの地滑り事故は採掘に伴って廃棄された岩や土の約60メートルもの高さの山が崩れて発生した。採掘の鉱夫が寝泊まりしていた70棟の小屋が土砂にのみ込まれたのだ。
 ここのヒスイの輸出額は貧困国ミャンマーのGDPの半分近い。だが利益の大半は国を支配してきた軍人や元軍事政権関係者のものになっている。
 採掘は荒っぽい。ブルドーザーが家々の下にある土をえぐりとるため、地元民の家は次々に傾いていっている。このブルドーザーは国の支配層が所有するものだ。
 ヒスイには限らない。ミャンマーはルビーの世界的な産出国でもある。今月はじめにはクリスティーズ香港のオークションでミャンマー産ルビーが史上最高額、22億円で落札された。このほか、近隣のタイ、ベトナムなどでもルビーが採掘されている。
 これらの宝石類を生むのは変成(へんせい)鉱床といわれるものだ。マグマが地下から押し上げてきたときに受ける熱と圧力によって周囲の岩石が変化して新しい鉱物になったもので、世界でも特定のところにしか出来ない。ルビーだけでなく、ヒスイもラピスラズリやエメラルドも、やはり変成鉱床が作られたときに出てくるものだ。
 これらの変成鉱床は、インド亜大陸がユーラシアプレートに衝突したことによって作られた。
 インド亜大陸は、5億年前には南極大陸と一体の大陸の一部だった。オーストラリアもアフリカもやはり一体の大陸で、この大陸は「ゴンドワナ超大陸」といわれるものだった。
 その後、この超大陸はオーストラリアやアフリカやインド亜大陸に分裂して北上した。
 インド亜大陸は赤道を越えていまの場所にまでやってきた。インド亜大陸は、その後も北に動き続けている。インド亜大陸とユーラシアプレートの衝突でまくれ上がってしまったヒマラヤ山脈は、いまだに毎年1センチメートルずつ高くなっているし、ネパールやパキンスタンや中国南部で大地震を起こしている。
 さる4月に起きたネパール大地震をはじめ、2005年には大地震がパキスタンを襲って約10万人の死者を生んだ。また2008年には中国南西部で四川大地震が起きて9万人以上がなくなった。
 一方でインド亜大陸の衝突による高い圧力や熱で変成鉱床ができ、地下では宝石も作られたのである
 ヒスイもルビーも、そして多くの宝石は貧しい国から採掘されている。採掘の手法は多くの人手を要する人力産業で、貧しい鉱夫たちが掘り出して、豊かな国の人たちが消費する構図になっている。
 地震だけではない。プレートは罪作りなことを重ねていると言うべきなのだろう。

.. 2015年12月15日 08:04   No.974008
++ 島村英紀 (課長)…150回       
太陽から降ってくる抗いがたい災害 磁気嵐を起こす「太陽フレア」
 |  「警戒せよ!生死を分ける地震の基礎知識」コラムその132
 └──── (地震学者)

  地震も火山も台風も地球のなかで起きる災害だ。だが、地球外部から「降ってくる」災害もある。
 それは「太陽フレア」というものだ。太陽から出る磁気と電気を帯びたガスの流れであるフレアが、ときどき強くなって地球を襲う。
 いままでも地球に被害を及ぼしてきた。たとえば1989年には米国やカナダにある発電所の機器に障害が発生して9時間もの大規模な停電になった。2003年には日本の環境観測衛星が破壊されて数十億円もの損失を出した。
 太陽フレアは地球に「磁気嵐」を起こしてこのような災害を起こす。過去には1989年の例よりはずっと大きな太陽フレアが地球を襲ったことが知られている。たとえば1859年には近代以降では史上最大の磁気嵐が発生した。
 このとき米国ロッキー山脈で強いオーロラが出て、その明るさのために鉱夫が朝と勘違いして起きて朝食の支度を始めてしまった。緯度がもっと南のカリブ海沿岸でもオーロラが観測された。
 当時は現代ほどは社会システムが進んではいなかったので被害は限られていた。それでもヨーロッパや北米全土の電報システムが停止。電信用の鉄塔は火花を発し、電報用紙は自然発火した。
 だが、最近の研究では、過去1300年の間に2度、もっとすさまじい磁気嵐が地球を襲ったことが分かった。1859年の磁気嵐の5〜20倍も強かった。
 これは南極大陸とグリーンランドから採取した氷河のボーリングから証拠が見つかったからだ。これは氷河の中に含まれる硝酸塩濃度を分析して分かった。太陽フレアという高エネルギー線によって大気の上部に窒素酸化が起きる。それが雪に閉じ込められて降り積もった氷河の下部で見つかったのだ。
 この2つの事件は774〜775年と993〜994年だと思われている。774年には日没後の空に「赤い十字架」が現れたと欧州の古文書にある。屋久島の杉に炭素の同位体C14が異常に多かったこともこの年だった。
 幸い、この2つの事件とも、あまりに昔のことなので「文明」への悪影響はなかった。しかし、現代ではそうはいかない。
 この2件よりはずっと小さかった1859年なみの太陽フレアが地球を襲っても、米国だけでも停電が5カ月以上続き、米国だけで2000〜4000万人が影響を受け、総額6000億〜2.6兆ドルの経済的犠牲を伴うとする予測がある。また衛星を利用した技術や通信手段も大混乱に陥るはずだ。
 じつは2014年と2012年には1859年なみの太陽フレアが地球をかすめていたことが最近分かった。太陽フレアは太陽からまんべんなく出るのではなく、方向性を持っている。地球は太陽のまわりを公転しているから、もし発生が1週間前にずれていたらフレアは地球を直撃する恐れがあった。
 この種の巨大な太陽フレアは、いままで考えられていた以上に高い頻度で起きることが分かった。1859年なみの磁気嵐が今後10年間に発生する確率は12%という研究もある。
 地球に外から降ってくる災害も、警戒すべきもののひとつなのである。

.. 2015年12月22日 12:04   No.974009
++ 島村英紀 (課長)…151回       
災害は年末年始も容赦しない
 |  自然現象は人間の都合を考えて起きてくれるわけではない
 |  「警戒せよ!生死を分ける地震の基礎知識」コラムその133
 └────  (地震学者)

 地震や火山噴火などの自然現象は人間の都合を考えて起きてくれるわけではない。年末や年始にも起きる。
 年も押し詰まった1994年12月28日、「三陸はるか沖地震」が起きた。マグニチュード(M)は7.6。青森県八戸を中心に激しい揺れに襲われて死者3名、家屋の全壊48棟を出した。
 死者のすべてはパチンコ店の客だった。地震に襲われたのは夜9時すぎ。地元のパチンコ店には200名以上の客がいたが、建物が倒壊して逃げ遅れた客が犠牲になったのである。
 パチンコ店の客は、もっとも逃げおくれる可能性が高い客にちがいない。店を出るときでないと精算ができないからだ。精算せずに逃げ出したら客には不利になる。
 これとは逆の例が、この連載でかつて紹介した1927年に京都府北部で起きた北丹後地震(M7.3)のときにあった。大阪梅田の駅前にある阪急百貨店では、地震のときに客の食い逃げが莫大な額に達した。それゆえ地震後に後払いをやめ、日本では初めての前金制の食券を取り入れた。これなら取りっぱぐれはない。店は損をしないわけだ。
 この「三陸はるか沖地震」は地震学的には奇妙な地震だった。というのもこの地震の震源が1968年に起きた十勝沖地震(M7.9)の震源の南側約4分の1ほどと重なっていたからだ。
 1968年の十勝沖地震と同じような海溝型地震が起きたとすると、30年もたたないうちに地震エネルギーが溜まってまた大地震が起きたことになる。海溝型としては期間が短く不思議だった。
 このため、十勝沖地震の震源の中で「壊れ残った部分」があって、それがこの地震を起こしたのではないかという学説が出た。地震は「はるか沖」と名づけられたが、震源は八戸沖100キロメートルあまり。日本海溝よりはずっと本州に近い。
 他方、震源の深さが海溝型地震としては浅かったことから、海溝型地震ではない内陸直下型地震がここで起きたのではないかという学説もある。結局、決着がつかなかった。
 この後者の可能性がないわけではない。1978年に起きた宮城県沖地震(M7.4)は仙台市を中心に死者28名を出すなど大きな被害を生んだ。戦後、人口50万人以上の都市を襲ったはじめての大地震といわれ、ブロック塀が倒れて多くの死者を生んでしまったり、マンションの鉄のドアが変形して開かなくなったり、都市ガスが長期間止まるなどの都市型の事故が相次いだ。
 この宮城県沖地震は海溝近くで起きる海溝型地震ではなくて、明らかにもっと本州に近い宮城県沖で起きた地震だ。
 この宮城県沖地震は、これまで25〜40年という比較的短い間隔でM7.5クラスの地震が繰り返し発生してきたことが分かっている。この地震のひとつ前は1937年だった。
 このタイプの地震が八戸の沖にも起きたのでは、というのがひとつの学説なのである。
 この三陸はるか沖地震から20日後の1995年1月17日には阪神淡路大震災(兵庫県南部地震、M7.3)が起きて、6400人以上の犠牲者を生んでしまった。さんざんの年末と年始だった。

.. 2016年01月12日 08:36   No.974010


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