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■--数千キロの旅の末、発見されたマレーシア機
++ 島村英紀 (平社員)…133回          

レユニオン島 ここの地下深くからプリュームという溶けた溶岩が上がってきている
| 「警戒せよ!生死を分ける地震の基礎知識」その115
 └────  (地震学者)

 昨年3月から行方不明になっていたマレーシア航空370便の残骸がインド洋にあるレユニオン島の海岸に流れ着いた。
 レユニオン島を知っていた日本人はほとんどいないだろう。だが、私たち地球物理学者には有名なところなのだ。
 レユニオン島はインド洋の西の端に近いところ、マダガスカル島のすぐ東にある。
 地球物理学者に有名な理由は、ここの地下深くからプリュームという溶けた溶岩が上がってきているからだ。「源泉」は2000キロメートルも深いところにある。
 プリュームが上がってきているところはハワイなどほかの場所でも知られているが、ここは特別に規模が大きい。
 約6600万年前、インド亜大陸が昔あった大きな南極大陸から分れて北上した。そのインド亜大陸がレユニオンの上を通過したときに、下にあるプリュームから玄武岩が大量に噴き出た。
 いまインド中部に広く拡がっているデカン高原は面積が日本全土の約1.5倍、50万平方キロもある。これはプリュームが出てきて作った巨大な溶岩台地なのである。地表が大規模に割れて途方もない量の溶岩が地表に噴き出てきたものだ。
 いまでもレユニオン島のプリュームは活動を続けていて、世界有数の火山が噴火を続けている。この火山はユネスコの世界遺産でもある。
 インドが南極大陸から分れたときに、同じようにアフリカもオーストラリアも分れた。こうしてインド洋が出来た。
 話はがらりと変わる。「ゴルゴ13」が数百メートルも先のものを狙うときに、ゴルゴ13の漫画には書いていないことがある。それは北半球では撃った弾はかならず右にそれるので、それを補正しないと命中しないことだ。南半球では、逆に左にずれる。これは地球が自転しているせいで、弾が空中を飛んでいる間に地球が回ってしまうから着弾点がずれるのだ。
 これを地球物理学では「コリオリの力」が働いたという。コリオリとは、19世紀にこの力を発見したフランス人科学者ガスパール=ギュスターヴ・コリオリの名前から来ている。
 この力は地球に吹く貿易風や偏西風にも作用する。そして、海上を風が吹くことによって海水が引きずられて海流が生まれる。
 かくて、太平洋やインド洋などには、大洋全体をめぐる大規模な海流が出来る。北半球の太平洋では時計回り、南半球にあるインド洋では反時計回りになる。
 レユニオン島で見つかったマレーシア航空機の残骸も、こうしてインド洋のどこかから海流に乗った数千キロメートルの旅をして流れ着いたものにちがいない。
 インド洋にかぎらず「太平洋ゴミベルト」という言葉があるように、太平洋でも大量の残骸やゴミが海流と風に乗って広い大洋を循環している。東日本大震災で流れ出した小型船やバレーボールが北米大陸の西岸に流れ着いたのも同じだ。
 世界の海には、人知れず流れているものが、まだたくさんあるのだ。
.. 2015年08月24日 09:18   No.951001

++ 島村英紀 (平社員)…134回       
巨大氷河が消えたために地震が起きる?氷河と地震の関係
 |  「警戒せよ!生死を分ける地震の基礎知識」コラムその116
 └──── (地震学者)

  カナダ北部にあるハドソン湾の沿岸には昔からイヌイット(エスキモー)の人たちが住んでいる。その古老たちは湾の中に新しい島が次々に生まれてきたのを語り継いでいる。これは、かつてあった氷河が消えて重しが取れたために地殻全体がゆっくり上がってきたためだ。
 氷河時代に世界の多くの場所を覆っていた氷河は厚さ数千メートル。その氷河が消えて1万年だが、「後遺症」として地震が起きているという学説が出た。現在のプレート境界ではないところ、つまりプレート・テクトニクスでは大地震が起きるはずのないところで大地震が起きた理由の説明である。しかも氷河がなかったところにも影響がおよんでいる。
 近年は地震がまったく起きていない米国東南部で1811年から1812年にかけてマグニチュード(M)8の巨大な地震が複数回起きた「ニューマドリッド地震」。米国ではアラスカ州を除いては史上最大の規模の地震だった。幸い当時は人がほとんど住んでいなかった。
 この地震群が北米大陸の氷河の融解による影響がおよんで起きたのではないかという学説が最近出されたのだ。
 この巨大な氷河はローレンタイド氷床(ひょうしょう)。「氷床」とは面積で5万平方キロメートル、東京23区の面積の80倍以上の大規模な氷河のことだ。この氷床はカナダはもちろん、北緯38度まで、つまりいまの米国の北半分を覆っていてニューヨークやシカゴもこの氷の下にあった。
 地震群が起きたのは、氷床より南にある米国の中南部だ。氷河の重しが取れたことによって氷河の周辺の地殻も歪み、それが地震を引き起こしたのでは、ということなのだ。なにせ地球のスケールの事件だから、氷河が消えて数千年たってから地震が起きても不思議ではない。
 氷河が消えたために大きな地殻変動があったのは北米大陸だけではない。スカンジナビア半島でも1万年前に氷河の重しがとれたので、最大では300メートル、全体で200メートル以上も飛び上がった。いまでも年に1センチメートルずつ上がっている。
 ノルウェーは氷河が消えていくにつれて人々が北上して住み着いていった。寒さに対する備えがなかった当時の人類にとっては、氷河が溶ける暖かさはまたとないありがたい環境の変化であった。
 それ以前には人類の祖先もほかの生物もたびたび地球の寒冷化に苦しんできた。生物の歴史とは、広く氷河に覆われることや気候の寒冷化によって多くの種が絶滅し、その後の温暖期に新しい種が別の命をはぐくんできた歴史の繰り返しだった。
 そのノルウェーでは地震観測データが残っている18世紀以降、1759年から1996年まで5回、M4〜6の地震が起きた。人口密集地の直下で起きたらかなりの被害を生じかねない地震だ。これらも氷河が消えたための地殻変動が起こした地震だと思われている。
 これからも世界のほかの場所で同じような意外な地震が起きるかもしれない。地震学者は新たに提唱された「地震の理由」に頭をかかえているのである。

.. 2015年08月25日 07:50   No.951002
++ 柳田 真 (大学生)…84回       
9月1日は、大地震と朝鮮人、中国人等虐殺の日
 |  忘れまい、「地震」と原発事故に備えよう
 └──── (たんぽぽ舎)

○9月1日は関東大震災=防災の日となっている。同時に1923年の関東大震災において、朝鮮人、中国人、日本人の社会主義者、労働組合活動家の大虐殺が行われた日でもある。
 関東大震災は1923年9月1日、午前11時58分、東京・横浜を襲ったマグニチュード7.9の大地震だった。東京では火災によって全家屋の3分の2が焼失、全体の死者は9万9331人、負傷者は10万人強。この時に朝鮮人6000人、中国人700人の大虐殺が起きた。また、大杉栄・伊藤野枝夫妻と甥の3人が甘粕憲兵大尉らによって、憲兵隊本部で殺害され、救援活動中の平沢計七ら南葛労働会の活動家たちが亀戸警察署内で官憲によって殺害された。
「不逞鮮人」や「社会主義者」による暴動というデマがなぜ広がったのか。
 現存している証拠として
(1)千葉県・船橋市の海軍の送信所から全国へ発信されたこと。
(2)埼玉県庁が群役所を通じて県下の町村に通知、「移牒」である。
 朝鮮人が暴動を起こしたというデマ情報を意識的、系統的に全国に発信したのは内務省(治安を任務とする国家組織)である。朝鮮の人々に、こんな非道なことを約100年前、自警団(半ば官製の組織)が行ったことに対して今に通じる痛切な反省を要する。(唯一救われるのは神奈川県のある警察署長が朝鮮人を署内に入れ、虐殺から守ったという記事を読んだ時である)
○地震研究会(たんぽぽ舎の研究会)は、10数人で関東大震災の跡地(東京・墨田区)を10年ほど前に実地見学した。会員の多数が関東大震災時の「虐殺」の事実を知らなかったので、皆で現地を見て、説明を聞いて、勉強になった。
 私たち年配者は、あとに続く若い人たちに「歴史の事実」を(反省すべき点も含めて)伝えていく責務があると感じた。
 「歴史の偽造」と嫌韓、嫌朝鮮、嫌中国を図る政治家の少なくない人々がバッコする世相だけに一層強く思う。過去の歴史から大事なことを学ばない国民では、アジア各国から信用されない、アジアに友人がいない国=日本になってしまう。
○地震と原発―次の心配・危機―原発再稼働を阻止しよう
 東京電力福島第一原発事故は津波だけが原因でやられたのでなく、地震にも耐えられなかったことは多くの事実から確実だ。その反省もないまま、原発の再稼働(第1号は九州電力の川内原発)を急ぐ電力会社と安倍内閣の無謀さにあきれる。
 私たちも試されている。全力で原発再稼働を阻止しよう、自分と孫、子のためにも悔いのない闘争をやろう。
○テレビ・新聞はなぜ1923年9月1日の大地震と朝鮮人・中国人虐殺、社会主義者虐殺のことをほとんど報道しないのか?残念である。メディアの怠慢以上の大きな問題点を感じる。

(注)8月30日の毎日新聞・千葉版で「八千代、関東大震災の朝鮮人虐殺『負の遺産』と向き合い、慰霊」という記事を見た。4段の大きな見出しで注目された。また「船橋でも追悼式」の記事もその隣に載っていた。


.. 2015年09月03日 07:56   No.951003
++ 島村英紀 (平社員)…135回       
月の誕生をめぐる惑星の大衝突“ジャイアントインパクト”
 |  「警戒せよ!生死を分ける地震の基礎知識」コラムその117
 └──── (地震学者)

 木星に行って空を見上げると「月」が67もあるはずだ。
 地球には、もちろん月はひとつしかない。だが、別の月を探す研究も行われている。
 大きなものならいままでに見つかっているはずだから、いま探しているのは肉眼では見えない「月」である。
 最近の研究から、月のように地球を周回している「第二の月」が見つかった。直径は約3メートル。2006年に発見されたが、その後1年あまり地球の周りをまわってから、なにが気に入らなかったのか、はるか宇宙に去っていってしまった。短い期間だけの「第二の月」だったことになる。その後は見つかっていない。
 50年に一度くらいはダンプカーくらい大きな「第二の月」が出現する可能性があることも分かった。洗濯機程度の大きさの「第二の月」は望遠鏡の性能がよくなれば、もっと発見できるのでは、と思われている。
 宇宙を飛び回っている小惑星や微惑星が、飛んできた角度がちょうど地球の引力につかまる角度だと「第二の月」になる。
 もしもっと角度が急だったら、流れ星になって地球の大気圏に突入して燃え尽きたり、一部が隕石になって地球に落ちてしまうのである。
 じつは月そのものも、どうして「月」になったのか、まだ完全に決着はついていない。
 この「第二の月」と同じように別の場所でできた天体が地球に接近して捉えられたとする「捕獲説」もあり、そもそも地球と一緒に作られた「兄弟説」もあった。太陽系全体はいまから46億年ほど前、同時期に作られたことが分かっているので、兄弟説ももっともらしかった。また原始地球は高速で回転していてその一部がちぎれて月になったとする「親子説」もあった。
 しかし最近では「ジャイアントインパクト説」がいちばん有力になっている。火星くらいの大きな原始惑星が地球に大衝突して、飛び散った破片の一部が地球をまわりながら月を形成したとする説だ。
 それ以外の説は、月から採ってきた岩石の分析など最近の研究から根拠が怪しくなってしまった。たとえばアポロ計画で月に置かれた地震計のデータから月の核の大きさが分かり、「兄弟説」では説明できないくらい核が小さいことが分かった。
 「捕獲説」は可能性がなくはないが、飛び込んでくる角度がちょうど地球の引力につかまる、ごく微妙なときだけなので可能性が低い。
 もし「ジャイアントインパクト」が本当なら、すさまじい大衝突が起きていたことになる。
 もう一度「ジャイアントインパクト」が起きたらどうなるだろう。
 先週、米航空宇宙局(NASA)が声明を発表して「巨大な小惑星が来月にも地球に激突し、米大陸の大部分が壊滅する」という噂をうち消した。この噂がネットやB級ニュースサイトで拡散していたからだ。こんな大きな天体が近づいているのならNASAが観測しているはずだというのが根拠である。
 目で見えるほどの、もうひとつの月ができることは当分、なさそうである。

.. 2015年09月09日 08:27   No.951004
++ 島村英紀 (平社員)…136回       
シェールオイルが引き起こす“人為的地震”
 |  「警戒せよ!生死を分ける地震の基礎知識」コラムその118
 └──── (地震学者)

  一時は原油枯渇の救世主としてもてはやされていたシェールオイルは、このところ逆境にある。
 シェールオイルとは泥や土が堆積(たいせき)してできた頁岩(けつがん)。英語ではシェール)層に含まれる原油だ。頁岩層は地下数百〜数千メートルにある。超高圧の水や酸や化学薬品を注入して頁岩層に亀裂を入れ、原油などを取り出す「水圧破砕法」と呼ばれる手法が今世紀に入って確立されて採掘が加速していた。
 トップを走っていた米国では2011年にシェールオイルの生産量が日産120万バレルだったが、2014年には450万バレルと急拡大した。(註)
 だが米国内務省はこの3月に連邦政府の土地でシェールガスやシェールオイルを採掘する企業に対し、地中に高圧をかけて注入する水に含まれる化学物質の開示などを求める新規制を発表した。水圧破砕法が地下水や土壌を汚染するのを防ぐねらいである。かねてから環境保護団体が、環境に悪影響を与えると訴えていた。
 そのほか水圧破砕法によって近隣住民の入院率が高まり、がんの発症リスクも増加するという研究を米国ペンシルバニア大学などのチームが科学誌に掲載した。この7月のことだ。
 ニューヨーク州では水圧破砕法を事実上禁止する方針だという。これも環境汚染への懸念からだ。米国バーモント州や欧州の一部諸国ではすでに禁止されている。
 ところで原油価格が世界的に急落したことで、シェールオイル・ガスの掘削がコスト割れしてブームが急速に下火になった。北米で稼働中の掘削装置の数は約650基で、1600基を超えていた2014年10月のピーク時から6割も減った。
 伊藤忠商事も6月に、米国でのシェールガス事業から撤退した。日本の大手商社がシェールオイル・ガス事業から撤退するのは初めてである。
 それだけではない。先週、カナダのブリティッシュコロンビア州原油・ガス委員会(石油・ガスの規制当局)は昨年8月にカナダで起きていたマグニチュード(M)4.4の地震が、水圧破砕法が引き金となって起きたものだと断定したことが報じられた。
 この地震は水圧破砕法による地震としては世界最大級である。震源の近くだとかなりの被害を生じかねない大きさの地震だ。将来、もっと大きな地震が起きる可能性もある。そもそもカナダは地震がほとんどない国だ。建築や土木構造物も日本のような耐震構造にはなっていない。
 この地震の前、同年7月にもM3.9の地震が起きたが、この地震も水圧破砕法によって起きたと考えられている。前にこの連載で書いたように、米国各地で同じような地震が起きている。
 シェールオイル・ガス採掘は踏んだり蹴ったりに見える。さて、将来のエネルギーの期待の星はどうなるのだろう。
 註)1バレルは約159リットルである。

.. 2015年09月10日 08:13   No.951005
++ 島村英紀 (平社員)…137回       
噴火予測の困難さ見せつけた桜島
 |  “35年の観測”も火山の歴史では短い
 |  連載コラム「警戒せよ! 生死を分ける地震の基礎知識」その119
 └──── (地震学者)

一月ほど前のことだ。鹿児島・桜島がいまにも大噴火しそうな発表だった。
 8月15日。気象庁は記者会見を開いて「噴火警戒レベル4の特別警報」を発表した。
 朝10時半からの記者会見だった。3時間前からの急変。発表する気象庁の課長の顔は引きつっていた。「朝7時頃から地震が多発、山体膨張を示す急激な地殻変動が観測されてその変化は一段と大きくなっている。規模の大きな噴火が発生する可能性が非常に高くなっている」という発表だった。
 噴火警戒レベルは2007年12月に運用が始まったもので、桜島ではレベル4への引き上げは初めてだった。レベル4は「避難準備」で「居住地域に重大な被害を及ぼす噴火」の可能性が高まっている場合に出される。
 桜島は2008年以降「昭和火口」で年に数百回以上という活発な噴火活動が続いている。1946年の噴火でできた「昭和火口」では、その後噴火が止まっていたが、2006年6月に半世紀ぶりに噴火活動を再開した。
 今年2015年には8月までに691回も噴火し、これは前年をすでに超えてしまっていた。
 2014年の一年間の年間噴火回数は656回、2013年の一年間は1097回、2012年も1107回、2011年は1355回というように、世界有数の噴火回数が続いている。
 しかしこの8月15日に観測した地震数も地殻変動も、いままでにない大きなものだった。
 「異変」からわずか3時間あまりで開かれた記者会見と噴火警戒レベルの引き上げ。これを受けて地元では住民の避難を開始。3地区に住む51世帯77人がとるものもとりあえず自宅を離れて避難所に収容された。
 だが・・。大噴火は起きなかったのだ。警戒レベルの発表から半月後の9月1日、警戒レベルは再び3に引き下げられ、住民たちは家に帰ることが許された。
 じつは地震の数は、初日以後は減り続けていた。しかし火山学者は「警戒を緩めてはいけない。噴火の前には地震が減ることもある」とテレビで述べていた。
 その「予測」に反して、地震の数は少なくなったが噴火は起きなかったのである。
 過去の噴火歴が少なくて経験がほとんどない富士山や箱根火山と違って、桜島も長野・群馬県境にある浅間山も、この百年間に数十回以上も噴火した。機械観測が始まってからの噴火も数多い。研究者も張り付いている。つまり、この二つの火山は噴火予知研究の「優等生」だったのだ。それでも、桜島では来るべき噴火を正確に予知することはできなかった。
 地元の火山学者にとっても、この「異変」は35年間の観測で初めてのものだった。
 たとえ「35年間の観測経験」があったとしても、地球や火山の歴史に比べれば、あまりに短いものなのだ。
 火山学者は、「経験」がひとつ蓄積されたとはいえ、無力感を味わっているのである。
9月11日『夕刊フジ』(発行は前日)より


.. 2015年09月14日 08:36   No.951006
++ 島村英紀 (平社員)…138回       
最前線の研究者も大地震の前には無力だった
 |  どこで、いつ次の大地震が起きるのだろう。それは、誰にも分からない
 |  「警戒せよ!生死を分ける地震の基礎知識」コラムその120
 └──── (地震学者)

 トルコを東西に走る北アナトリア断層は、長さ1000キロもある活断層だ。
 1939年にこの断層の東の端で大地震が起きたあと、約60年間にマグニチュード(M)7 〜8の大地震が西に移動しながら7つも起きた。
 この「西方移動」ゆえ、1967年の大地震の西に次の大地震が起きるにちがいないと各国の地震学者の注目を集めていた。
 その東隣ではその10年前、さらに東隣ではその13年前にそれぞれ大地震が起きていたから、次の地震は70年代か遅くとも80年代だと考えられた。地震予知のデータを集めるために1980年代になってからドイツ、英国、そして遅ればせながら日本の地震学者も参入した。科学は、その最前線で闘っている学者にとっては「競争」なのである。
 しかし1980年代まではなにごともなく過ぎた。このため1990年代の始めに英国は研究費が尽きた。撤退したのだ。
 この大断層は一本の帯としてトルコを横断しているが、西端だけは南北に枝分かれしている。
 どちらに地震が起きるかは予想出来なかった。これは賭けだった。ドイツが先に断層の北の枝に展開し、遅れて南の枝に日本は観測網を敷いた。
 そして1999年、予想された大地震が起きた。M7.6のコジャエリ地震。45000人もの死者が出た。
 大地震が起きたのはドイツの観測網のすぐ近くだった。地震の直後に欧州での学会で私に会ったドイツの観測の責任者Z先生は「勝った。これで16年も待った甲斐があった」と言った。
 不謹慎に聞こえるに違いない。だがこれは、結果を予測して現象が起きるのを待っていた自然科学者としての率直な感想なのだろう。
 物理学や天文学ならば、同じことを言っても天下に恥じることはない。ほかの科学ならば幸運を喜ぶべき場面でも、素直に喜んではいけないのが地震や火山や台風など、災害に関係する科学者なのである。
 ドイツはそれまでに地震、地殻変動、地球電磁気、地下水の化学成分など、考えられるあらゆる観測を展開していた。それまで世界各地で各国の地球物理学者が地震の前兆を捕まえたという報告があった観測のほとんどすべてであった。ドイツ流の完璧さだった。
 だが事態は一挙に暗転した。地震後に調べたどの自記(機械が自動的に記録する)観測器にも前兆は記録されていなかったのだ。日本の観測網も同じだった。
 その後、Z先生はドイツで針の筵(むしろ)に座ることになった。研究費は打ち切られてしまった。
 ドイツのZ先生と日本の観測の責任者であるH先生のトルコでの評判は地に墜ちた。地震予知の研究というのでトルコを地震から救ってくれる救世主に見えたのに、二人とも事前にはなんの警告も出してくれず、午前3時という人々が寝静まっていた最悪の時刻に、大地震が人々を襲ったからだった。そもそも、ともに自記記録でリアルタイム記録ではなかった。
 さて、どこで、いつ次の大地震が起きるのだろう。それは、誰にも分からない。

.. 2015年09月25日 08:17   No.951007
++ 島村英紀 (平社員)…139回       
経験と勘に頼るばかりの噴火警戒レベル
 |  規模や時期の正確な予知できず
 |  「警戒せよ!生死を分ける地震の基礎知識」コラムその121
 └──── (地震学者)

  9月14日、熊本県の阿蘇山が噴火した。最初は灰色、やがて真っ黒な噴煙が2000メートル上空まで立ち上った。火口からは大きな噴石が飛び、降灰は約60キロメートル離れた福岡県筑後市まで到達した。熊本空港も一時閉鎖になった。
 噴火したのは中岳第1火口。昨年11月にもマグマ水蒸気爆発をして以後、小噴火が続いていた。マグマ水蒸気爆発とは、昨年9月に戦後最大の火山災害を引き起こした御嶽山の水蒸気爆発の噴火よりもさらにステージが上がった噴火だ。
 気象庁はこの阿蘇の噴火を見て噴火警戒レベルを2(火口周辺規制)から3(入山規制)に引き上げた。御嶽山が噴火したあと1を3に、また今年5月に口之永良部島が噴火したあと3を5に引き上げたのと同じだ。
 噴火警報レベルは「これから噴火の危険があるから注意しなさい」というもののはずだが、またもや追認になってしまった。噴火警報レベルは科学的な基準ではなく、あくまで経験と勘によるものだから、まだ精度が十分ではないのだ。
 阿蘇には、広大な平原が拡がっている。450平方キロメートルもあるこの平原は阿蘇火山が過去に大噴火して作ったものだ。現在は、その中をJR豊肥本線と南阿蘇鉄道が走っている。
 巨大な鍋の形をしているこの大平原は、かつてカルデラ噴火という巨大な噴火をしたときに、大量の地下のマグマが出てきて作った。出てきた噴出物の量は富士山全部にも相当するほどだった。
 この噴火は約9万年前のことだった。噴火から出た火砕流は九州の北半分を襲っただけではなく、瀬戸内海を超えて中国地方にまで達した。火砕流は高温の火山ガスや巻きこんだ空気が混じっているので軽く、海を越えることも珍しくはない。この噴火は過去に知られている日本の噴火では最大のものだった。
 じつは阿蘇は過去に4回もカルデラ噴火をした。大きな噴火では火山灰は北海道にまで積もった。
 阿蘇はこのように過去たびたび大噴火をしてきたので、西日本では最初の火山観測が1927年から始まっている。その年に京都大学理学部の火山研究施設(現地球熱学研究施設)が、その後1931年に気象庁(当時は中央気象台)の阿蘇火山観測所(現阿蘇山測候所)が作られた。日本でもっとも監視の目が行き届いているはずの火山なのだ。
 しかし1953年に6人、1958年にも12人、1979年にも3人が死亡している。
 このところ阿蘇の火山活動が盛んになっていることは分かっていた。だが、今回の噴火を含めて噴火の規模や時期の正確な予知にはまだ遠い。
 まして、カルデラ噴火のような大規模な噴火の前に、いつ、どんな前兆が出るのか、現在の学問ではまだなにも知られていない。
 佐賀県にある玄海原発まで阿蘇から120キロメートルしかない。2013年から施行された原発の新基準で、電力会社は160キロメートル圏の火山活動の影響を想定することが義務づけられた。火山国日本では、どの原発も圏内に火山がある。
 大きな噴火があれば心配なことは多い。

.. 2015年09月30日 08:33   No.951008
++ 島村英紀 (平社員)…140回       
特定の高さの建物を襲う「地震波」の恐怖
 |  メキシコ地震では14階建てが高い倒壊率
 |  「警戒せよ!生死を分ける地震の基礎知識」コラムその122
 └──── (地震学者)

  9月19日はメキシコ地震(1985年)から30年の記念日だった。メキシコでは600万人もが参加して大規模な防災訓練が行われた。
 メキシコ地震は震源から300キロメートル以上も離れたメキシコの首都メキシコシティで集中的な大被害を生んだ。300キロメートルとは東京から名古屋や仙台までの距離にあたる。
 首都での死者1万人以上(NPOの調べでは2万人以上)、建物の倒壊3万棟以上にも達した。
 この地震はマグニチュード(M)8.1。メキシコの太平洋岸で発生した地震だった。メキシコの太平洋側に潜り込んだプレートが起こした地震だ。元凶のココスプレートは日本の地下に潜り込んでいる太平洋プレートと対をなすプレートだ。
 被害が内陸にある首都に集中したのは、メキシコシティがかつてあった大きな湖、テスココ湖を埋め立てて作られた軟弱な地盤だったことが大きい。このため市の地下にはかつての湖の堆積物が300メートルの厚さに積もっていた。
  このメキシコ地震にはもうひとつの特徴があった。それは特定の高さのビルが倒壊したことだ。
 首都だから、平屋から超高層ビルまでいろいろな高さのビルがある。倒壊したのは7階建てから21階建てまでのビルだったが、その中で群を抜いて高い倒壊率だったのが14階建てのビルだった。
 これは倒れたビルが長周期の地震波に共鳴してしまったためだ。ビルにはそれぞれ固有の周期があり、その周期の地震波に揺すぶられると共鳴して揺れが大きくなって倒壊に至る。バイオリンは弦の長さを指で変えて音の高さを変える。建物もこの弦と同じで、高ければ固有周期が長くなる。
 中南米一の高さだった43階建てのラテンアメリカタワー(右の写真。2012年島村英紀撮影…注)は、固有周期がずっと長かったので共振は起こらず、ガラス数枚が割れただけで、被害はごく少なかった。
 震源からの距離や、軟弱地盤が拡がっていた地下構造ゆえ、地表を襲った地震波は約2秒のところにピークがあった。地震波の周波数は数十ヘルツから数十秒まで幅広いが、2秒は地震波としては周期が長いほうだ。このため「長周期地震動」と言われる。
  じつは14階建てのビルの固有周期は2秒ではなく1.4秒だ。それが倒壊してしまったのは、強い揺れで建物の一部が壊れてしまったことで建物の固有周期が長いほうにずれてしまったせいだった。
 阪神淡路大震災(1995年)のときもこの「現象」は起きた。低層の木造家屋は0.2〜0.3秒の固有周期を持っているが、地震波としては周期1秒くらいのものが大きかった。それでも倒れてしまったのも同じ理由だと考えられている。
 ところで、メキシコ地震のあと、日本の政府や各会社から多数の調査団が派遣されて報告書を作った。
  しかし、現地で世話をした人の話では、どの調査団も、出来た報告書をメキシコ側に送ってこなかったという。失礼なことだ。みな、日本を向いてしか、仕事をしていなかったのである。

.. 2015年10月08日 08:04   No.951009
++ 島村英紀 (平社員)…141回       
地震学に大きな影響与えた濃尾地震
 |  「警戒せよ!生死を分ける地震の基礎知識」コラムその123
 └──── (地震学者)

  10月は日本最大の内陸地震が起きた月だ。1891年10月28日の濃尾(のうび)地震。長さ85キロメートルもある活断層が起こしたマグニチュード(M)7.9の地震だ。この地震を起こした活断層は福井県から岐阜県を経て愛知県にまで至っていた。
 活断層とは「地震断層の一部が地表に見えている断層」だ。このうち岐阜県根尾谷(ねおだに)にある水鳥(みどり)村(いまの本巣市根尾水鳥)では巨大な断層の崖が、平らだった道や畑を横切っていきなり出現した。高さ6メートル、横ずれが2メートルにもなる。この断層崖は地震断層観察館で天然記念物として保存されている。(写真は1986年10月に島村英紀撮影…注)
 震源が浅くてMが大きかったので被害は甚大だった。死者行方不明者は7000人以上、全壊家屋は14万戸以上にも達した。名古屋城の城壁も崩れた。被害の範囲は岐阜、愛知、滋賀、福井の各県に及んだ。
 当時増えてきていた欧米の技術で作られた近代建築も壊れた。落下してしまった東海道本線の長良川鉄橋や煉瓦造りの建物だ。これらは欧米から輸入した設計のままで耐震構造になっていなかった。長良川鉄橋は当時、最大級の鉄道橋であることを誇っていた。
 この地震は地震学に大きな影響を与えた。いちばんの影響は「地震は地下の地震断層が起こす」学説が有力になったことだ。それまでは地下にある穴が陥没するためとか、地下で雷が起きるためといった学説が入り乱れていた。大きな断層崖が地震と同時に出現したことで、地震断層説が一挙に有力になったのだ。
 また地震学者大森房吉は、この地震の余震から、現在でも使われている「大森公式」を作った。余震が時間とともに減っていくのを表した数式である。
 この公式では余震の減り方は原子核の崩壊のように半減期を繰り返して徐々に減っていくのではなく、本震直後の減り方は速いのだが、後に長く尾をひくという特徴がある。つまり意外に長く続く。
 この大森公式はよく当てはまり、大森の没後、地震から100年以上たったいまでも公式通り余震が続いている。
 2011年に起きた東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)はM9.0だった。この余震も大森公式をあてはめれば、優に100年は続くことになろう。
 また、この地震から震度階の段数が増やされた。日本で震度を初めて定めたのは明治時代の1884年。そのときには微震、弱震、強震、烈震の4段階しかなかった。濃尾地震と大津波で大被害を生んだ明治三陸地震津波(1896年)を見て1898年には7段階になったのである。
 ところで活断層は途切れ途切れに続いていることが多い。濃尾地震を起こした活断層も他で知られている活断層よりも特別に長く続いていたわけではない。枝分かれしたり、途切れたりしている「断層群」だった。
 それらの活断層が「連動」してこのような大地震を起こすかどうかは地震が起きてみるまで分からない。
 知られているだけで活断層が2000もある日本では心配なことである。


.. 2015年10月15日 10:09   No.951010


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