|
武ということは、邪に対する徹底強硬を意味する。字の形は正にホコをかけたもので、漢字字典で昔の書をみるとそのような構成を彷彿させる字が多い。現代では武器を持って進むことを意味すると解釈されているが、それは字を足とホコの合成とみたものである。現代人の意識している武力というのはそういう武である。日本本来の武はそういうことではない。邪を砕破する力がなければ、邪ははびこるばかりである。今の平和主義は善人に弱くなれと言っているようなところがある。そうでなくても悪は強く善は弱いという傾向があるのに。だからといってすぐ武器をもちだすというのではない。正義を保障する最後の力が必要である。刀というのは抜いたら最後である。抜いた以上は斬る。(相手がつよければ斬られる)。抜かないのが理想である。内に武の心が必要である。近代の武器というのは破壊力である。いかに残虐に殺すかということで科学技術をもちいる。その方向での発展の極、核兵器が出現した。こんなものを使って争うのは正気の沙汰ではないのだが、世界の大国がほとんどもっているから、もつほうがまともというようなことにもなってきた。そのくせ核不拡散という。そんなに悪いものなら、自分達も持つのをやめたらいいのだが、やめられない。国連も平和愛好国の看板をおろすとよい。しかし、核兵器をもって、平和を口にすることが悪い冗談のようには思われていない。核兵器をもった国に囲まれている日本は危地にある。だからといって人類を絶滅させる恐れのある兵器はもつべきではないと考える。しかし難問ではある。
.. 2007年07月14日 17:53 No.94001
|