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シンポジウム講演録No.4 「原子力規制委員会」の原発再稼働への《暴走》を許すな! └──── (福島原発事故緊急会議)
読んでみて感心してしまった。これはちょっと他では読めない(聞けない)、絶妙な組み合わせの、ひじょうにおもしろい脱原発シンポ発言録だ。 一橋大学教員でフランス現代思想が専門の鵜飼哲さんは、「どのように脱原発論は推進論に組み込まれたか」というタイトルで、フランスの歴史的、政治的背景と運動の変遷のなかで、原発推進が国民的合意を得ていった流れを語っている。 フランスでは、日本と異なって、原子力の「安全神話」なるものは形成されずに、「核兵器の保有」から始まって原発開発がコンセンサスを得ていったという。 興味深いのは、「フランスの核開発には最初から政治的な左右の対立というはっきした境目が無かった」から推進派も反原発派にたいしてある種の敬意もあり、必要があれば、反対派の資料の「カンニング」もする。これが事実上の核の「共同管理体制」につながっているのだそうだ。 一方で日本の場合は、広島・長崎を出発点として「安全神話」からスタートする。それが3・11を経た今、「安心神話」を経て核武装という、フランスとは逆の方向で道を進もうとしている。この「安心神話」が、核武装に向けたどのようなステップなのかを、見ておかなければいけない、と鵜飼さんは話す。 天野恵一さんの話は、日本の「原子力規制委員会」に対する具体的・詳細な批判が中心だが、後半で、「原子力規制委員会、がんばれ」という論調がマスコミに出始めていること、そういった声が運動の内部からも上がってきていることを取り上げて、この論理では再稼働を止める運動にはならないと指摘し、私たちがそのことをきちんと押さえておく重要性を主張している。 「運動」というものはおそらく、そのただ中にいる時には気が付かない思想の潮流のようなもの内包しているのだと思う。その方向性を誤らせないために、私たちは時には長いスパンで日々の運動を体系的に捉えかえしてみる必要があることを、このお二人の発言から教えられた。
.. 2015年02月12日 09:58 No.869001
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