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■--高浜原発(関西電力)止めよう行動
++ 柳田真 (平社員)…142回          

・・・ビラまき、署名、車デモ
 |  高浜原発は事故時拠点不備、避難計画も不備なまゝ、を規制委認めた。
 | 1月31日(土)2月1日(日)1泊2日若狭の原発を考える会に
 |  東京から応援20名、福井県の雪の中でガンバル!
 └──── (たんぽぽ舎・再稼働阻止全国ネットワーク)

・1月31日(土)2月1日(日)再稼働2番手といわれる関西電力高浜原発(3号機、4号機)の阻止活動がおこなわれた。現地40−50名に東京から20名弱が応援・連帯で福井県へ駆けつけた。(合計60〜70名)2年前の大飯原発再稼働反対に行って以来の大衆行動だ。
 雪とあられの2日間、原発城下町の高浜町と大飯町の両町で(1)ビラ配り(2)署名集め、(3)車による原発反対パレード(車18台)の3つに取り組んだ。夜は交流会。雪で寒い2日間だったが、それなりに充実した活動だった。
・1日目(1/31)はビラ・署名集めと、全体集会と、夜の交流会の3つ。前夜から若者2人がビラとパンフを積んでレンタカーで出発。早朝東京駅新幹線に10数名が乗り、現地ではプラス富山県と兵庫の仲間が加わり、阻止ネットとして19名(1名は急用で欠席)。
 ふぶきの中を駅前の家を一軒一軒訪ね、ビラを配り・署名のお願いに歩く。「ごくろうさん」といってビラを受け取る人もかなりだったが、無言で受け取る人も。署名への反応はもっと厳しかった。家の人と討論になって、ある一軒家では40分近くかかった例も。スーパー前でのビラ配りは受け取り順調。
・全体集会は高浜の駅内で1時間。中嶌哲演さんも話され、短いながらも内容豊富。夕食交流会では関西(京都・滋賀・大阪・福井)と東京が初顔合わせ。お酒とおいしい料理で話がはずむ。
・2日目(2/1)は朝9時半民宿を出発。乗用車10数台に分かれてビラまきと署名と街頭宣伝へ。大飯町と高浜町を18台の車が走り回って“高浜原発再稼働するな”の声を届けた。
 3時半解散集会をし、我らは東京へ帰る。車中5時間近くは、互いの会話・総括話で賑わった。
・準備も大変だったと思う。車を20台近く揃え、横断幕(30枚)やビラ(5―6000枚)を作り、参加者を集めることは大仕事だ。今後の健闘を祈ります。
 課題は、(1)福井県現地のほりおこし(参加者を増やすなど)と(2)大都市大阪の盛り上げ、(3)そのための事務局の充実、(4)高浜1号・2号の60年延長問題への解明・批判活動・・・と感じた。
・2月15日(日)「現地報告と今後の方針」討論会に参加しよう。
  
※ 「川内・高浜原発再稼働を許すな!現地闘争報告討論集会」
  日 時:2月15日(日)13:30―17:00
  会 場:スペースたんぽぽ(ダイナミックビル4階)
  資料代:500円

.. 2015年02月06日 08:06   No.864001

++ 渡辺秀之 (中学生)…45回       
.「原発いらない鹿児島の女たち&福島の女たち共同アクション」と連帯
 |  東電は「福島」に責任を取れ!柏崎刈羽原発再稼働するな!
 |  2/4第17回東電解体!東電本店合同抗議の報告
 └──── (たんぽぽ舎ボランティア)

○2月4日(水)午後、「川内原発再稼働阻止・原発いらない!」をテーマに、「原発いらない鹿児島の女たち&福島の女たち共同アクション」が、東京・霞が関官庁街を中心に繰り広げられた。
○当日夕方、厳しい寒さの中、午後5時30分から6時45分まで、再稼働阻止全国ネット主催の「川内原発再稼働やめろ!」九州電力東京支社抗議行動が行われた。参加者は、約150から200人。
○引き続き午後7時から、東京電力本店前で「東電は「福島」に責任を取れ!放射能汚染水止めろ!柏崎刈羽原発再稼働するな!」のコールが鳴り響いた。
 呼びかけは、「経産省前テントひろば」と「たんぽぽ舎」。106の賛同団体と共に、第17回東電本店合同抗議行動が行われた。参加者は、約300人。
 色鮮やかなのぼり旗20本が林立し、新調の「東電抗議横断幕」が広げられる中、オープニングコールの後、抗議アピールが始まった。
1)「原発いらない福島の女たち」:東電福島原発事故から約4年が経過しつつあるが、様々な生活上の問題、東京地検不起訴処分の理不尽、そして2度と原発事故を起こしてはいけないとの強い決意などのアピールがなされた。
2)「原発いらない鹿児島の女たち」:再稼働一番手の九州電力川内原発をめぐる政府、原子力規制委員会、鹿児島県知事、鹿児島県議会等、そして九州電力の「命より、お金」を優先する、国民軽視で非民主的な手続きに怒っている。しかし、これにへこたれず再稼働阻止に向けた10万人署名活動−3月12日九州電力本社交渉(福岡県)など、新たな運動へ取り組んでいることが紹介された。
3)新潟県から上京された女性:東京電力柏崎刈羽原発再稼働を阻止するため、脱原発運動の一環として、理性的な判断に基づいて行動している泉田県知事を応援・支持しているとの発言があった。
 その後、山崎久隆(たんぽぽ舎)さんから東京電力に関する組織的な大きな問題点の報告、そして日本音楽協議会(日音協)による音楽での抗議が続いた。

.. 2015年02月06日 09:15   No.864002
++ 渡辺秀之 (中学生)…46回       
 更には、労働者集会後に駆け付けられた「全労協」議長より、原発の問題点とその対策、原発労働者を取り巻く労働環境等に対する取り組み等を紹介しつつ、市民運動との連帯をめざす旨の挨拶があった。
 最後に、ドンパン節(柏崎刈羽バージョン)を全員で歌って抗議行動を締めくくり、午後8時15分に終了。
 終了後、10数名の有志による交流会が、近隣の居酒屋でなごやかに開催された。
 カンパが58,983万円寄せられました。ご支援ありがとうございます。
 また、福島原発告訴団の武藤類子団長より連帯のメッセージが届きました。
 内容は、当日配布のチラシに掲載しました。
○2014年1月〜12月の会計報告(簡易版)
 ・収入:539,471円(11回のカンパ活動:536,151円、その他:3,320円)
 ・支出:508,655円
   (チラシ印刷費用:392,055円、会議費(12回):37,240円、
    反原連へのカンパ:31,777円、テント裁判への支援:25,000円、
    交通費補助:10,000円、その他:12,583円)
 ・差引収支:30,816円の黒字

☆次回(第18回)の東電本店合同抗議の案内
 日時:3月4日(水)午後7時〜8時
 場所:東京電力本店前(東京都千代田区内幸町)
     (JR・地下鉄新橋駅徒歩5分、地下鉄三田線内幸町駅徒歩3分)
 東電本店前抗議に、ぜひ多くの方参加をお願いします。
 引き続き賛同団体を募集中!

.. 2015年02月06日 09:21   No.864003
++ ちせ (幼稚園生)…1回       
.「福島のような原発事故は心配、でも、仕事が、周囲の人との関係が…」
 |  との住民の声
 |  1月31日と2月1日高浜現地での車デモ、戸別ビラ配布、署名活動に参加して
 └──── (東京三多摩の住人)

○ 「福島の原発事故は、東電と国が悪かった。関西電力は社員の給料減らしてまで安全対策をしているそうだ。高浜原発が再稼働しないと、うちの旅館は10室ある部屋に客が来なくて困っている。今は原発無しでも電気は足りてるけど、将来はそうはいかんでしょう」と旅館の女主人。
 「息子も自分も失業して困ってる。原発事故は恐ろしいというのも分かるけど、再稼働せんことには仕事が無いんよ」人の良さそうなおばさんが、小雪まじりの氷雨がちらつく道端で話してくれた。1日目の午後の高浜駅周辺でのこと。
○ 「うちは原発反対。老夫婦二人で畑してるけど、福島みたいなことになったら大変、ここは逃げ道がない。道のシャッターが閉まるとも聞いている。ごめんよ、でも、署名はちょっとできない。」
 「そうよ、原発は危ない。事故起こったら、ここで死ぬしかない。署名したいけど、年寄の1人暮らし部落の人のお世話になってるし、息子が県庁に勤めているから知事あての署名はできない」
 2日目の午前の名田庄村。つかの間の晴れ間に雪かきをしていた人たちが家に入れて話してくれた。
 1日目の集会で中島哲演さんが「若狭や川内や福島に原発作った時から安全神話は崩れていた」と語った言葉が浮かぶ。事故の不安の中で暮らす現地の人、被曝労働無しには成り立たない原発。
○ 車20台を連ねての街宣。「ここはまだ、深呼吸できる」といった福島の黒田さんは車の中からマイクで「福島のようなことが二度と起こってはなりません。皆さん、再稼働に絶対反対しましょう」と、柳田さんは静かな声で「2月11日住民による原発説明会に来てください。皆さんの子や孫を守る知恵が詰まった話が聞けます。原発の研究者、福島の避難者の話があります」と呼びかける。
○ 高浜原発のゲート前では関電に向かって力の限り「再稼働反対!」と叫ぶ。住民の避難路はもう一つできるが、それは一旦ゲート前に来てから逃げていく道だという。
 「若狭の原発を考える会」の新開さんから、高浜原発再稼働差し止め仮訴訟は、あの大飯原発判決を出した樋口裁判長の担当と聞く。そこに一筋の光を託したい。 「廃炉作業や自然エネルギーへの転換で仕事は作れる」、哲演さんの「黄金の光より良心の光を」との言葉を住民の人や、周囲の人に機会あるごとに話して行くしかない。長く活動を続けてこられた若狭の会の方たちに見倣いつつ…。

.. 2015年02月06日 09:33   No.864004
++ 天野惠一 (幼稚園生)…2回       
東電福島第一原発事故は規制側(国・保安院)の「想定内」で起きている
 |  懲りない〈原子力ムラ〉の論理に正面から対決するために必読の一冊
 |  書評『原発と大津波 警告を葬った人々』添田孝史著(岩波新書 740円)
 └──── (「市民の意見」編集委員)

○〈3・11原発震災〉直後からマスメディアに、「想定外」の大地震による大津波という言い方で、「想定外」という言葉が、広く、かつ長く飛び交い続けた。
 一瞬にして街を呑み込んでしまう津波被害、放射能の空へ地上へ海への終りなき垂れ流しの進展という、本当に恐るべき事態の現出。テレビ報道を媒介に、全国の日本列島住民が、その状況を共有した。その状況下、「国策」として原発推進政策を加速した、歴代の自民党政権(その政策の延長線上に成立している民主党政権)と、東京電力を中心とした民間電力資本、その資本の金に目がくらみ原発は〈絶対安全〉の神話を再生産し続けたマスコミと、それに加担した原発御用知識人たち。彼等はこぞって、自分たちの責任を回避するために、この「想定外」という言葉を乱用した。それは、原発安全神話(デマゴギー)に責任ある団体・個人が、自分たちには責任の取りようのない、人間の予想を超えた自然災害であると強弁し、責任を取らなくて当然と、信じられない「無責任」を自己正当化するために、乱用された言葉であった。すなわちそれは、人々にとんでもない〈無責任〉を実感させなくさせるための、決定的なマジック・ワードだったのだ。
 私たちは、原理的に考えて、「想定」すべき事態を「想定」の「外」に勝手に放り出し、「想定」は不可能であったとする論理を、おかしいと考えざるを得なかった。
その「想定」の線引き自体に妥当性がなかったことを、何故問題にしないのか、その無責任さに、怒りを持たざるを得なかったのだ。
○ところが、このジャーナリスト添田孝史のレポートを読んでみると、そうした怒りの持ち方は、原発を推進してきた人々に対する、私たちの過大評価の産物に過ぎないという、より悲しい事実に直面することになる。
 そこには、こうある。「福島第一原発に大きな津波が来る可能性が高いと専門家が指摘していることや、想定を超えた津波は、すぐ炉心損傷を引き起こすことを2002年までに東電は把握していた。それにもかかわらず対策には動かなかった」
 「津波については、新たな規制に動かなければならないタイミングが、遅くとも2000年から2002年にかけてあったように思われる。
 そのころ以下に挙げる2つの課題があったが、規制当局はその責任を果たしていない。

.. 2015年02月06日 09:51   No.864005
++ 天野惠一 (幼稚園生)…3回       
○第1は、エネ庁は電気事業連合会に対し1997年ごろ、想定を超える津波への対策を検討するよう要請していたが、それを安全対策に結びつけないまま放置していたことだ。エネ庁は、津波の数値予測に誤差があることを見込んで、想定の2倍の津波で原発がどんな被害を受けるか、対策として何が考えられるか示すように要請し、電事連は2000年初め、その報告書をまとめた。
 それによると、福島第一原発は、原発中もっとも津波に対する安全余裕が少ないことが明らかになっていた。
○第2は、2002年2月にされた土木学会手法を基準として用いても良いかどうかを精査しなかったことだ。土木学会手法には大きな問題が4つあり、原発の安全を担保するものではなかった」
○規制側(国・保安院)の「想定内」で、実は福島第一原発事故は起きているのだ。電力会社・国・規制組織の「不作為」こそが、本当はあの事故をもたらしたのである。この事実に即した具体的なレポートは、明快に、それを示している。
○ 今、政府・自治体・原子力規制委員会が組んだ、川内原発再稼働プロセスにも、巨額の原発マネーに目がくらんだ人々の福島第一原発事故に至る「不作為」がそのまま再現している。懲りない〈原子力ムラ〉の論理に正面から対決するために、必読の一冊である。
   出典:「市民の意見148号」(2015年2月1日発行)


.. 2015年02月06日 09:58   No.864006
++ 山田純一 (小学校低学年)…8回       
.「省庁申し入れ交渉」報告
 |  「鹿児島の女たち、福島の女たち」30数名を迎えて
 |  「工事計画届」が提出されてから30日を経過しなければ、
 |  当該工事を着手することは出来ない
 └──── (再稼働阻止全国ネットワーク)

 2月4日、「鹿児島の女たち、福島の女たち」30数名を迎えて、議員会館に於いて、「省庁申し入れ交渉」が行われた。経産省、規制庁、内閣府の各原発関連担当官に各45分ずつの、質疑応答交渉である。各担当官の回答は、あまりにも紋切り型の回答であり、特に経産省の小役人の回答はひどかった。
○ 資源エネ庁、原子力政策課村上は、今後も原発政策を進める理由として、「規制庁の厳しい審査がある、CО2問題、経済的な効率性が良い、国民生活の安定、エネルギ―の安定性、等」と福島第一原発事故等なかったかのような回答をした。これに対して、福島の黒田節子さんは、涙ながらに抗議した。「そんな回答は許せない。あまりに情けなくて涙が出る。事故が起きた時の経済性はどう考える!」彼らの回答はほぼ能面人間の回答であり、事故の反省など何もなく、「信頼回復に努める」「新しい規制基準を作った」との発言であり、福島の被害者を目の前にして何の謝罪も、責任を感じている痛みもない。
○ 次の規制庁との質疑の中で、「原子炉等規制法」43条3の9にある「工事計画認可」について驚くべき回答が返ってきた。法律では、「工事計画認可」が取得され、着手届けである「工事計画届」(43条3の10)が提出されてから、30日を経過しなければ、当該工事を着手することは出来ない。のに…
 ところが現実は川内原発では連日、数千人の作業員が「工事計画認可申請」が認可されないのに、当該工事を施工しているのである。この違法工事について規制庁担当官に質問したところ、驚くべき回答であった。「3.11以後各原発に緊急補強工事を指示した。その連続の中で工事を進めている」というのだ。
 私の「緊急工事と、認可工事は何処で区別しているのだ。」「認可工事は、工事計画認可が取得されなくては工事が出来ないであろう」「法律違反ではないか」という追及に対して「連続して工事している」を繰り返すばかりであった。
 まさにデタラメであり、「官民原子力共同体」そのものである。全てが電気事業者任せであり、規制庁の仕事は、書類上のつじつま合わせに過ぎない。これだから「工事計画認可」=「再稼動」なのである。
○ 本来の「原子炉等規制法」に基づけば、認可後工事は後2〜3年はかかるはずである。 再稼働などまだまだである。「原子力ムラ」、まさにそのとおりであり、彼らの世界には「法を守る」などという考えはない。
多分「法を守る」のは庶民に強制された事でしかない。

.. 2015年02月09日 08:04   No.864007
++ 鳥居光代 (幼稚園生)…1回       
高浜原発地元住民の実態を知る─原発現地での署名活動のきびしさ
 |  新しい同士と話をすることができ、知人も増え、
 |  高浜に行ったことは今後の活動の血や肉になる
 └──── (たんぽぽ舎に学習させてもらっている)

○昨年12月に高浜行き情報を目にしたとき「チャンス!」と申し込んだ。現地での活動内容は「車デモと戸別ポスティング」。詳しく書かれていない。ところが行ってみて1日目、署名集めの難しさと空しさと、大げさに言えば、再稼働阻止と住民の反応の差の大きさに落胆した。
 原発賛成を言う地元の人に対し、原発反対を訴える勇気・気力・自信がない私に署名活動など無理、と落ち込んでしまった。高浜に来たくて来たけれど、活動内容を吟味すべきだったのか・・・。
○2013年12月、伊方での城山公園での大集会と雨にぬれながらの町中デモ、2014年7月の「福島を忘れないシンポ」と翌日の富岡町等へのバス視察。同9月鹿児島、川内原発ゲート前での抗議と、天文館公園での真夏の太陽のもと大勢の熱い暑い大集会等に参加してきた。これらの集会で、自分の周りには反原発の人が居て、原発反対の話のみが渦巻いていた。自分もその中にどっぷり浸り、反対しない人なんていないと錯覚する雰囲気だった。こんな集会が原発現地で開かれ、あれだけの人が集まるなら日本の原発は近いうちに廃炉にできる、と期待できるような集会であった。
 ところが、高浜は違った。企画と活動内容がまったく違うので比べること自体がおかしいとは思うが、家から6時間かけて行った小浜。私が接した住民は原発反対の人がひとりもいなかったのだ。霰(あられ)混じりの雪の中、一軒一軒戸別訪問し、高浜原発反対の署名集めを約1時間行った。土曜日なのに、寒いためか歩いている人は1人もいない。

.. 2015年02月09日 08:18   No.864008
++ 鳥居光代 (幼稚園生)…2回       
○まずチャイムをさがして押す。誰も出てこない。ポストを見ると一杯で空家だった。次の家でチャイムを押すとまた誰も出てこない。ポストにチラシを入れて次の家へ。留守や空家が多いのも印象に残った。やっと家人が出てきたお宅で原発反対署名の話を出すと、相手の笑顔が消えドアを閉められた。足取りも重く次の家へ。若いお母さんが出てきたので主旨を説明すると「忙しいので」とのこと。次の家でチャイムを押すと留守らしく誰も出てこない。家の玄関に公明党のポスターが貼ってある家はパス。ある家で、東京から来たことを知り「ごくろう様です」と言われ、署名はもらえなかったがこの一言で少し顔が上を向いた。時計を見ると、始めてからまだ20分しか経っていない。署名集めは私には無ていないと思い始め、足が止まってしまった。しかし、ここまで来て何もせず帰るなんてあまりに情けない、せめて、1人の署名をもらうまでやろうと思い直し、歩き出す。チャイムを押した時、誰か出てきてほしいと思う反面、留守であってほしいと思う自分もいて、複雑な心境とはこのことか、とひとり苦笑した。40分経っても署名用紙は白紙。商店があったので入っ�
○2日目、「大飯原発と高浜原発を見たあと署名集め」の予定が変更され、いきなり署名集めとなる。昨日は1人でまわったが、この日は2人一組でまわった。訪問軒数は減るが、初心者にはこれがいい。この日も収穫はなかったが、「私はずっとここに住み、関電のおかげで豊かさが増した。原発のこわさはあるが、点検・修理を徹底し、再稼働を望む。新たに作るのは反対するけど、今ある原発は動かすべきた。東京の人にはこの気持ちは伝わらない」と言われ、話してくれたことに礼を述べ、退去した。
○午後は高浜原発ゲート前を通り、対岸から原発をながめ、本郷駅で解散となる。原発についての知識をもっと増やし、精神的にも強くならないと次の一歩は出ない。しかし、新しい同士と話をすることができ、知人も増え、高浜に行ったことは今後の活動の血や肉になると確信している。
 高浜行きのチャンスをくれたたんぽぽ舎に感謝しています。


.. 2015年02月09日 08:24   No.864009
++ 青山晴江 (小学校中学年)…19回       
再稼働阻止の熱い思いで雪も溶けた?!
 |  鹿児島&福島の女たち霞が関共同アクション
 └──── (再稼働阻止ネット・たんぽぽ舎ボランティア)

 今回の行動で特筆すべきは、やはり鹿児島の女たち17名が初めて霞が関まで脱原発の行動を起こしに来たことではないでしょうか。きっかけは12月の再稼働阻止全国ネットワークの鹿児島での全国相談会で提案された、原発いらない福島の女たち・黒田さんの「2011年秋のように女たちが立ち上がる姿でインパクトを!」という発案でした。実現まで、そして当日、阻止ネット・鹿児島311実行委員会・全労協・たんぽぽ舎はじめ多くの団体、グループ、友人たちの支援・協力がありました。
 鹿児島・福島で40人近く、その他各地よりのたくさんの女たちがのぼりや横断幕を持って、経産省・規制庁・内閣府・2度の院内集会・九電と東電抗議・労働者集会・デモと次々と動きました。5日は大雪予報でしたが、再稼働阻止の熱い思いが天に通じたのか雨ですみました。天に通じるのだから、政府をも動かす日もあるにちがいない、そんなことを思って傘をさしデモをしていました。
 鹿児島の方が、福島の悲惨な状況と経験を、「初めて聞きました。」といい、福島の女たちが鹿児島の女たちの再稼働への不安を真摯に耳傾けて受け止めていました。このつながりが、さらに深まり広がり再稼働阻止への大きな力になることを信じています。

.. 2015年02月09日 11:38   No.864010


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