|
資料を紹介します。 昭和三年一月、満鉄社員の大羽時男が、奉天近郊の農村の村長の家に立ち寄った時のこと、 「正面の机の上に祭壇があって、・・・よく見ると、祭壇に貼ってあるのは乃木大将の肖像画である。大羽は不思議に思って、 「御主人、これは乃木大将ではありませんか」 「そうです。乃木大将は、今は神様です。(中略)初めは、村々に軍医を派遣し、病人を救ってくれました。軍医もまた、非常に親切でした。(中略)それから、道路と排水路をつくることを教えてくれました。今、その辺にある水田は、その時に出来ました。それよりも農民が一番喜んだのは、日本軍の軍紀が厳粛であったことです。兵隊は卵一つ鶏一つ、無料で奪る者がありません。元より婦女子に手を出す者なんか、ありません。神兵だと村人は崇めました。日本軍のお蔭で匪賊は寄り付きません。盗人も出ません。官吏も悪いことは出来ません。(中略)全く平和で安全な王道楽土でありました。私は、今でも神様だと信じております。ですから、こうして朝夕拝んでいるのです。」(山口重次「満洲建国と民族協和思想の原点」を勝岡寛次「抹殺された大東亜戦争」より孫引き)
.. 2007年06月10日 11:20 No.85001
|