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■--「安全宣言」
++ 島村英紀 (大学生)…89回          

うのみにした市民が犠牲に
 |  地震予知に失敗したイタリア学者裁判の行方は−
 |  「警戒せよ!生死を分ける地震の基礎知識」コラムその78
 └──── (地震学者)

○ イタリアで地震予知に失敗した学者が裁判にかかっている。
 2009年4月、イタリア中部ラクイラでマグニチュード(M)6.3の地震が起きて309人が死亡、6万人以上が被災した。
 ここはイタリアでも地震活動が高いところで、ふだんから月に数回の地震がある。大地震の前の半年間はいつもよりずっと地震が多く、3月には地震はさらに活発になりM4という現地ではめったにない地震も起きた。
 3月上旬には大地震が来るという独自の地震予想を出す学者も現れた。活発な群発地震や大地震の予想を受けて、地元の人々のなかに不安が拡がっていた。
 このためM4の地震の翌日「国家市民保護局」は学者を含む「大災害委員会」を開き「大地震は来ない」という安全宣言を出したのだった。
 じつは人心を鎮めようという方針が委員会の前に政府によって決まっていた。地震予知は学問的にはほとんど不可能だから学者も判断できず、政府が学者に期待したのは科学者のお墨付きだけだったのである。
 安全宣言が出されたのが3月31日。専門家が安全を保証したために人々は家の中に留まった。しかし地震は起きた。4月6日の午前3時半。人々が寝静まっている時間だっただけに大被害になってしまった。
○ イタリアでは政府の「安全宣言」を鵜呑みにした市民が犠牲になった。57人がなくなった9月の御嶽山の噴火とよく似た話である。御嶽山も「噴火警戒レベル」は最低の1、つまり山頂まで登っても大丈夫という安全宣言であった。
○ それだけではない。かつて鹿児島でもイタリアとほとんど同じことが起きた。
 1913年に有感地震が頻発し、地面が鳴動し、海岸には熱湯が噴き出した。人々は桜島が噴火するのでは、と心配した。
 だが村長からの問い合わせを繰り返し受けた地元の気象台長(いまの鹿児島地方気象台。当時は鹿児島測候所)は、問い合わせのたびに、噴火するという十分なデータを気象台は持っていない、噴火はしない、と答えたのであった。
 しかし気象庁の予測に反して、桜島は大噴火を起こしてしまった。後ろは火山、前は海。逃げどころのなかった住民の多くが犠牲になった。8つの集落が全滅し、百数十人の死傷者を出す惨事になってしまったのである。
○ イタリアでは政府の安全宣言が犠牲の拡大を招いたとして地震学者らが過失致死傷罪に問われた。2012年10月、地裁での1審では学者ら7人が禁錮6年の実刑判決を受けた。
 だがこの11月10日、ラクイラの高裁は逆転無罪の判決を出した。1審判決を破棄したのだ。
 イタリアの高裁での判決言い渡しのとき傍聴席にいた震災犠牲者の遺族らから「恥を知れ」との怒りの声が上がった。検察側も上訴するとみられ、最終判断は最高裁に委ねられる見通しになっている。
 さて、どういう結末になるだろう。日本などほかの国で政府の委員会に関わっている学者たちも気が気でないのである。(11月21日『夕刊フジ』より)
.. 2014年11月25日 15:17   No.834001

++ 島村英紀 (大学生)…90回       
.「地震の名前」めぐる政治的駆け引き
 |  地震や震災の名前の命名は、かくも複雑なのである
 |  「警戒せよ!生死を分ける地震の基礎知識」コラムその80
 └──── (地震学者)

○ 長野県北部で起きた強い地震は名前をつけてもらえなかった。地震に名前をつける権限を持つお役所は気象庁なのだが、名前をつけなかったのだ。
 この地震は11月22日に起き、33棟の家が全壊するなど大きな被害が出た。マグニチュード(M)は6.7、震源の深さは5キロとごく浅かった。
 地震を命名する気象庁の基準では「地震の規模」として「M7.0以上(海で起きた地震ではM7.5以上)、かつ最大震度5弱以上」とある。またもうひとつの基準では「顕著な被害(全壊100棟程度以上など)が起きた場合」とある。全壊したり地震で被災した人にとっては大変な被害をこうむったわけだから、その地震に名前がないのは不満かもしれない。
○ じつは地震に名前がつくまでには、ときには政治的な綱引きが水面下で行われているのである。気象庁の基準では原則として「年号+地震情報に用いる地域名+地震」としてあるが、実態はもっと複雑だ。
 1968年に「1968年十勝沖地震」(M7.9)が起きた。函館で大学が倒れるなど、北海道南部と青森県に大きな被害を生んだ。この地震の震源は、北海道襟裳(えりも)岬と青森県八戸のほぼ中間点にあったから、青森県も大きな被害をこうむったのだった。
○ しかし、地震の名前が十勝沖だったばかりに、国民の同情を集めたり、政府の援助を獲得するうえで、青森県はたいへんに損をした、と青森県選出の政治家は深く心に刻んだのにちがいない。15年後の1983年に秋田県のすぐ沖の日本海で大地震(日本海中部地震。M7.7)が起きたときに、この政治家はいち早く気象庁に強い圧力をかけたと言われている。
 そして、この地震は明らかに秋田県の沖に起きたのに、「秋田沖地震」ではなくて「日本海中部地震」と名づけられた。
 地震学的に言えば日本海「中部」には地震は起きるはずがない。起きたのは日本海全体から言えば、東のほんの端である。日本海中部というのは、科学的にはなんとも奇妙な名前なのだ。日本海で被害を起こすような地震が起きるところは日本海ではごく東の端の日本沿岸だけなのである。中部でも西部でもない。
○ 東日本大震災を起こした地震の名前は「東北地方太平洋沖地震」と名づけられている。考えてみればこれも沿岸各県に政治的な配慮をしたへんな名前だ。「日本海中部」のように「太平洋沖」とするとハワイや南米沖まで入ってしまうから、こんなとってつけたような組み合わせの名前になったのであろう。
 かつて1987年の国鉄民営化のときに名前を作ったのにまったく普及しなかった「E電」(都市近郊の電車)のように、一般の人々からは忘れられている名前なのだ。
 ところで「東日本大震災」のように地震と震災には別の名前がつくことがある。政府(内閣府)が震災に名づけるもので、「阪神・淡路大震災」や「東日本大震災」がある。前者は地震としては「兵庫県南部地震」だ。
 地震や震災の名前の命名は、かくも複雑なのである。   (12月5日『夕刊フジ』より)


.. 2014年12月16日 08:14   No.834002
++ 島村英紀 (大学生)…91回       
マグニチュード7.3 同規模でも被害は数百倍の違い
 │ (人口が多い東京・大阪では、被害の大きさがちがう)
 │ 「警戒せよ!生死を分ける地震の基礎知識」 コラムその81
 └────(地震学者)

 前回は地震の名前を各地方が「取り合う」話題だった。国民の同情を集めた
り政府の援助を獲得するためには地震の名前に「その地方名」が入っていない
と不利になるのだ。だが地震の命名にはそうではない事情も出てきている。そ
れが明らかになったのは2000年に起きた鳥取県西部地震だった。
 震源は鳥取県の西部だったが、島根県境からも岡山県境からもそう遠くない
ところに大地震が起きた。活断層としてはまったくマークされていなかった地
震だった。地震の名前を命名する立場にある気象庁の係官は、この地震にどん
な名前をつけるか、複数の県名を入れるのか、胃が痛くなるような思いをした
に違いない。
 しかし拍子抜けだった。秋田県の沖で起きたのに、「日本海中部地震」
(1983年)と名付けられたときとは逆さまのことが起きた。

 「地震に県の名前をつけられると観光客が減る」という意向が某県から伝え
られたのである。この結果、この地震の名前は「鳥取県西部地震」とされた。
ごく当たり前の名前がつけられた裏には、じつはこういった事情があったのだ。
 日本のどの地方でも農業や漁業や地場産業の不振が続いている。頼りは観光
だけだ。観光客の足が遠のくことは極力、避けたい。こういった日本の現状が
地震の命名にも影響したのだ。鳥取県西部地震はマグニチュード(M)7.3。こ
の地震は1995年に起きた阪神淡路大震災(兵庫県南部地震)と同じマグニ
チュード、同じ震源の深さの直下型地震だった。
 だが、こちらは死者はなく、負傷者は140人だった。6400人以上の死者と
43000人もの負傷者を生んでしまった阪神淡路大震災とは大違いである。

 同じ大きさの、同じ深さの地震が襲っても、なぜこれだけの違いが出たのだ
ろう。それは「地震」と「震災」の違いだ。地震が大きいほど「震災」も大き
くなるのが普通だが、それだけではない。たとえ同じ大きさの地震でも「震
災」が大きくなってしまう宿命を持っているのが都会なのである。
 だから、阪神淡路大震災や鳥取県西部地震なみの地震が、もし、もっと大き
な都会、たとえば東京や大阪を襲ったとしたら、阪神淡路大震災よりもはるか
に大きな震災になってしまう可能性が高い。
 江戸時代から東京は何度も大地震に襲われたが、そのたびに震災の規模が大
きくなってきている。いちばん最近の大地震、関東地震(1923年。M7.9)で
は10万人を超える死者を生んでしまった。
 都会の人口密集地や都会の近くにある工場は地震に弱く、また地震が来たと
きの被害も拡がりやすい。都会の震災を押さえ込むことは容易ではないことな
のだ。                  (12月12日『夕刊フジ』より)


.. 2014年12月22日 08:22   No.834003
++ 島村英紀 (大学生)…92回       
新年最初の学習会は「地震・津波・火山」の最新知識
 │  「東日本大震災の大地震は今後の日本の地震や噴火に影響するのか」
 │   しっかり学んで未来に備えよう:2015年1月10日(土)
 └──── 
2011年3月11日発生した、東日本大震災を引き起こした「東北地方太平洋沖地震」と大津波。
地震予知はできないけれど、この程度の地震・津波が発生するという事は学問的には分かっていました(869年貞観地震)。でもほとんどの人はこの大地震の後に知りました。地震列島日本と言いながら、知らないことだらけです。
東日本大震災を引き金に起きた福島第一原発の過酷事故。3年9カ月も過ぎたのに全く収束のメドも立っていません。
それなのに、今、性懲りもなくこの地震列島で原発の再稼働を画しています。
☆地球物理学者(地震学者)の島村英紀さんをお迎えして「地震・津波・火山」の最新の知見を学びます。
新年は、活動期に入っていると言われる日本列島を知りましょう。
メルマガで「警戒せよ!生死を分ける地震の基礎知識」(『夕刊フジ』より)を発信しています。

日 時:2015年1月10日(土)14:00−16:00  13:30開場
講 師:島村英紀さん(地球物理学者)
会 場:スペースたんぽぽ     参加費800円

※島村英紀さんのHPには最新の情報から長年にわたる執筆や活動まで多岐にわたる内容が、載っています。 (島村英紀で検索してください)
こちら     
※たんぽぽ舎の研究会「地震がよくわかる会」のHPには各種資料がアップされています。
     こちら

.. 2014年12月22日 09:19   No.834004
++ 島村英紀 (大学生)…93回       
海洋民族が助かったワケ スマトラ島沖地震から10年
 |  先祖からの言い伝え通り津波が襲ってくる。そう直感し、
 |  ただちに245戸約1200人の集落全員が村の高台に避難した
 |  「警戒せよ!生死を分ける地震の基礎知識」コラムその82
 └──── (地震学者)

○ 大津波で23万人以上が犠牲になったスマトラ沖地震から10年がたとうとしている。
 地震が起きたのは2004年12月26日、マグニチュード(M)は東日本大震災を超える9.3だった。
 地震はインドネシアのスマトラ島沖で起きたのだが、津波の犠牲者はインドやスリランカ、またアフリカ東部にまで及んだ。4000キロも離れた南極の昭和基地でも75センチの津波を観測したほどの大津波だった。
 タイの観光地プーケット島では外国からの多くの観光客も犠牲となった。だが、島の南端で生活する先住民族モーケン族は一人の死者も出さなかった。

○ 地震が起きたのは現地時間の午前8時前。海岸に住むモーケンの人たちは、大津波が襲ってくる20分ほど前に海の異変を知った。
 モーケンは「海の遊牧民」と呼ばれる(註)、海洋民族で海岸に住んだり船上生活をしていて、おもに漁業を営んでいる。
 海洋民族にとって潮の満ち干は頭に精密に入っているが、それ以上に潮が引いたのだ。
 先祖からの言い伝え通り津波が襲ってくる。そう直感し、ただちに245戸、約1200人の集落全員が村の高台に避難した。
 地震学の知識では津波の初動は引き波とは限らない。第1波がいきなり満ち波として襲ってくる津波もあるし、この場合のように最初が引き波のこともある。第2波以降の方が大きいことも多い。
 日本もそうだが、海洋プレートと大陸プレートが衝突している海溝沿いに起きる巨大地震は多くの場合、同じような震源メカニズムで起きる。

○ インドネシア付近では過去にもM9クラスの大地震と津波が起きていたことが大地震後の最近の研究から分かってきている。津波で運ばれた海底の砂などの堆積物を陸上で掘削したら2004年の堆積物だけでなく、その下にもいくつもの堆積物が見つかった。2004年と同規模の津波が500-700年前など、過去約2500年間に3回あったことが分かったのだ。
 それゆえ同じ海岸で何百年以上も見ていたモーケンの人々は同じような津波に幾度も出くわしていたに違いない。モーケンの人たちは、この経験を伝承していたのである。

○ 私が見たモーケンの暮らしは貧しかった。貧弱な漁業と、貝細工など観光客のための土産、沖合の島に観光客を乗せていく通船の運賃などが収入源だ。
 じつは、彼らが住んでいる土地はモーケン族のものではない。近年までタイではモーケン族が土地を所有することも義務教育を受けることもできなかったからだ。
 いまでも土地は不法占拠している形になっている。このため電気や水道も引いてもらえない。電気は集落の外のタイ人の個人宅から電線を引いてそれを各戸に分配し、電力会社ではなく、その家に電気代を支払っている。水は天水(雨水)と井戸水を使っているが、井戸水は煮沸しないと飲み水には使えない。
 世界のどこでもそうだが、先住民族の暮らしは大変なのである。 (12月19日『夕刊フジ』より)
註)原文では「「海のジプシー」とか「海の遊牧民」と呼ばれる」でしたが、「ジプシー」は差別用語とされ新聞では使用しないということなので、紙面では削除しました。


.. 2014年12月29日 08:02   No.834005
++ 島村英紀 (大学生)…94回       
死亡事故多数、最も危険な火山学者
 |  私が知っているだけでも何人もの火山学者が火山で命を落としている
 |  「警戒せよ!生死を分ける地震の基礎知識」コラムその83
 └──── (地震学者)

 ○ いちばん危険な研究に従事している科学者は火山学者に違いない。私が知っているだけでも何人もの火山学者が火山で命を落としている。
 たとえばフランス人のクラフト夫妻は1991年に雲仙普賢岳で火砕流に巻き込まれて亡くなった。夫妻は火山の写真や映画を撮影するパイオニアで、危険な溶岩流の目の前まで行って火山の映像を記録するので有名な科学者だった。
 米国西岸にあるセントヘレンズ山の1980年の噴火でも、定点観測をしていた米国のジョンストン博士が噴火で死亡した。
 またパプアニューギニアのラバウルにある火山は1997年の私の滞在中に噴火したが、その数日前には私の知人であるスペインの火山学者が噴気ガスを採取するために山頂に登っていた。危ないところだった。このほか火山学者が噴火の被害を間一髪でまぬがれた例は多い。
 
 ○ 研究の相手が火山であり、そのなかでも噴火は最大の研究テーマでもあるわけだから、どうしても噴火口の近くに行かなければならない。予知できない大噴火が目の前で起きたら犠牲になってしまうことが多いのである。
 火山学者が噴火口に近づかなければいけない理由はいくつもある。噴火から出てきた火山灰や火山ガスを採取して、その成分を調べることは火山を研究するイロハのイだ。これによって9月の御嶽噴火が水蒸気爆発だったことも、11月の阿蘇山の噴火がもっと段階が上がったマグマ噴火だったことも分かった。
 火山灰はこのようにたくさんのことを物語ってくれる。火山とその噴火の段階ごとに特徴があり、グリーンランドで氷河のボーリングをしたときに、1783年の浅間山の天明噴火の火山灰が見つかった。地球を半周してここまで達していたのだ。
 
 ○ 火山学者の危険はそれだけではない。知人のオーストラリア人の火山学者は長年の研究生活で火山灰を吸い込んでじん肺になってしまった。じん肺は火山学者の職業病のようなものなのである。
 学者が近づかなければいけない理由はそのほか、火山性地震を調べるための地震計やマグマの動きにともなう山体膨張を測る傾斜計の設置もある。写真やビデオの記録ももちろんである。
 ところで、このような危険を冒さなくてもデータが取れる装置が最近では試みられている。
 12月にはドローン(無人超小型ヘリコプター)を使った「災害対応ロボット」の実験が鹿児島・桜島で行われた。
 このロボットは火口周辺を撮影するほか、ワイヤーで吊ったカゴから地表に積もった火山灰も採取する。つまり火山学者がいままで危険を冒していた観測を無人ロボットで代行しようという試みだ。
 
 ○ だが観測器の設置が出来るわけではない。積載カメラによる観察も専門家の眼から見れば限界がある。噴火する火口を自分の目で見てみたい、そしてサンプルを自分で見つけて取りたい、と火山学者の血が騒ぐのは、この程度のロボットでは抑えきれない衝動なのである。 (12月26日『夕刊フジ』より)


.. 2014年12月29日 08:46   No.834006
++ 島村英紀 (大学生)…95回       
南海トラフより警戒すべきは首都直下型
 │ いまある不安材料のひとつは2011年の東日本大震災
 │ 首都圏直下地震は、以前より起きやすくなっている
 └──── (地震学者)

 地震学者を困らせる質問に「次に日本を襲う大地震はどこでしょうか」とい
うのがある。
 日本でいちばん恐れられている「南海トラフ地震」が起きないまま、1年が
すぎた。
 もし、この地震が起きれば地震の規模は東日本大震災(2011年)なみのマグ
ニチュード(M)9。大津波が西南日本を広く襲う可能性がある。大津波だけで
はない。「先代」の宝永地震(1707年)の49日後に大噴火した富士山も、今回、
地震と連動して噴火するかも、といわれている。
 しかし「次に日本を襲う」大地震がこの南海トラフ地震とは限らない。
 かつて1976年に東海地震の恐れが突然クローズアップされて日本中が騒ぎに
なったことがあった。
 そのとき政府は大震法(大規模地震対策特別措置法)という世界初の地震立
法を立ち上げ、気象庁に判定会(地震防災対策観測強化地域判定会)という組
織を作った。この法律で地震予知は出来る、出来たときには新幹線や東名高速
道路は止める、デパートやスーパーは閉店するといったことが決められている。
 だが東海地震が起きないまま、1995年には阪神淡路大震災が起き、死者は
6400名を越えるなど、甚大な被害を生むことになった。不意打ちを食らった京
阪神の人々には「次に来る大地震は東海地震にちがいない」「大地震の前には
政府から警報が出るはずだ」といった刷り込みがされてしまっていたのだ。
 地震予知が出来ることを前提にした大震法はまだ生きている。しかし、その
後の地震学の進歩で地震予知は現在の科学のレベルでは不可能なことが分かっ
てしまっているのである。
 いまある不安材料のひとつが2011年の東日本大震災だ。これによって日本列
島の地下全体がリセットされてしまった。それゆえ、首都圏直下地震も、以前
よりは起きやすくなっている。
 首都圏の地震は、大正関東地震(1923年)以来、不思議に少ない状態が続い
ている。この90年間に東京・千代田区で震度5を記録したのは東日本大震災
(2011年)と2014年5月の伊豆大島近海の地震を入れても4回しかないのだ。
 江戸時代から大正時代には、地震ははるかに多かった。江戸時代中期の18世
紀から24回ものM6クラス以上の地震が襲ってきていたのだ。平均すれば、
なんと6年に一度にもなる。
 地震学者から見れば首都圏がいままで静かだったのは異例だ。むしろ、もっ
と地震が多いのが普通なのである。
(1月1日『夕刊フジ』「2015年新春特別号」”2015年 55テーマ大予測”より)

.. 2015年01月13日 08:48   No.834007
++ 島村英紀 (大学生)…96回       
.「崩壊危険」迫るダビデ像 イタリア中部: 昨年12月下旬から群発地震
| 地震対策のため 台座の免震工事 大規模な耐震工事はまだまだ
 |  「警戒せよ!生死を分ける地震の基礎知識」コラムその84
 └────  (地震学者)

 ルネサンスの巨匠、ミケランジェロの傑作の彫刻が地震で崩壊するのではないかと恐れられている。
 イタリア中部フィレンツェ一帯で、昨年12月下旬から群発地震が続いている。多いときは3日間で250回を超えた。大きめの地震では学校や美術館が閉鎖され、人々は家から通りに逃げ出した。
 いまのところ最大の地震のマグニチュード(M)は4.1だが、もっと大きな地震が来るかもしれない。そのときにはこの大理石の彫刻がもたないのではないかと心配されているのだ。
 この作品はミケランジェロの代表作、ダビデ像。古代イスラエルの王ダビデをモチーフとした裸像で高さ5メートルあまり、重さ6トンもある。旧約聖書の登場人物ダビデが巨人ゴリアテとの戦いで、岩石を投げつけようと狙いを定めている場面を表現している。
 ミケランジェロが1501年から3年がかりで制作したこの大作は、二本の足首で全体の重量を支えている立像だが、その足首部分に微小なヒビ割れがあって、かねてから崩壊の危険が指摘されていた。
 このヒビはミケランジェロがこの彫刻を作りはじめるまで材料の大理石が40年も放置されていたためなのか、あるいは完成後300年以上ものあいだフィレンツェ市庁舎があるヴェッキオ宮殿の前に風雨にさらされて屋外展示されていたためなのかはわかっていない。
 彫刻は1873年になってフィレンツェ市のアカデミア美術館の屋内に移された。いまダビデ像は年間125万人を超える観光客が訪れる観光の目玉になっている。
 製作500年後の2004年になって、ヒビ割れ部分に接着剤をしみ込ませて修復したが、決して十分ではなかった。
 そもそも6トンもあるこの巨大な彫刻の重量を細い足首で支えているものだから、地震にはとても弱い構造なのだ。じつは屋外展示の間に5度ほど傾いてしまった。もし傾きが15度にもなると足首が折れて自重で倒れてしまうという計算もある。
 イタリアはヨーロッパでは珍しく地震が多いところだ。200キロあまり南東にあるラクイラでは2009年に大地震があり、309人が死亡した。2012年に起きたイタリア北部の地震など二つの地震でも計17人が犠牲になった。なお、ラクイラの大地震は群発地震が続いた後に来たものだ。
 地震対策のため、彫刻が乗る台座の免震工事が計画されているが、邦貨にして2900万円が必要だといわれている。同じような免震工事は米国ロサンゼルス市のゲッティ美術館で行われ、古典様式の柱を支えている。
 だがミケランジェロの彫刻を守るだけでは十分ではない。アカデミア美術館も、同じくフィレンツェにある有名なウフィツイ美術館も耐震性が高くはないことが指摘されている。台座だけではなく、地震で建物が倒壊したり天井が崩れてこないようにする大規模な耐震工事はまだまだなのだ。
 さて、これらの工事が次の大地震に間に合うものかどうか。世界が固唾を呑んで見守っているのである。                    (1月9日『夕刊フジ』より)


.. 2015年01月15日 08:19   No.834008
++ 島村英紀 (大学生)…97回       
たんぽぽ舎への年賀状150通弱−そのいくつかを紹介(1)
 |  (地震学者)さんから
 └──── 

・たんぽぽ舎は、12月下旬に年賀状を会員中心に300通強、送りました。
 その内容は、メールマガジン【TMM:No2373】(1月8日発信)で掲載しました。
 たんぽぽ舎へ届く年賀状は約150通。内訳はハガキの年賀状95%、メールによる年賀状が5%(メールによる年賀状は年々増えつつある印象)。
・年賀状をよせていただく人の近況や活動がかなりわかるので、いろいろと参考になります。同時に、たんぽぽ舎への注文や期待を書いているハガキもあり、こちらは今後のたんぽぽ舎の運動の大切な参考資料となります。
・島村英紀さんの年賀状を紹介します。(柳田 真)
 『 あけましておめでとうございます 今年もよろしくお願い致します。
 地球物理学者から見ると不思議だった「この一世紀ほどの静穏な」地震や火山の活動が、2011年の東日本大震災の地震をきっかけに「普通」に戻ろうとしているように見えます。
 いずれ襲ってくるに違いない地震や、科学と社会の関わりについて私の考えを知ってもらうために本を書いたり、新聞やテレビ、雑誌などのメディアに出ています。武蔵野学院大学の特任教授も10年目ですが続けています。
 (よろしかったら私のホームページをご覧ください。「島村英紀のホームページ」で検索するとURLが出ます) 』


.. 2015年01月20日 10:48   No.834009
++ 島村英紀 (大学生)…98回       
阪神大震災から20年 時刻の偶然に「神の存在」
 | 「警戒せよ!生死を分ける地震の基礎知識」コラムその85
 └──── (地震学者)

※『夕刊フジ』公式ホームページでの題は「阪神大震災から20年 発生時刻が分ける生と死」
 
 1月17日、阪神淡路大震災から20年になる。マグニチュード(M)7.3。6,400人以上の人がなくなった直下型の大地震だった。
 中京地区で約5,000人が死亡した1959年の伊勢湾台風から約40年。巨大な自然災害の恐ろしさを日本人が忘れかけていたときに襲ってきた大災害だった。
 神戸市を見おろす高台にある神戸大学の構内には、この地震で犠牲になった同大学の学生の慰霊碑が建っている。工学部の小林陸一郎非常勤講師が作ったものだ、
 そこには39名の名前が刻まれている。なかには外国人留学生の名前もある。
 この39名の学生のうち37名は下宿がつぶれて死んだ。自宅から通っていた学生に比べて、下宿生のほうがはるかに死者が多かったのだ。
 神戸大学が他の大学と比べて特別に下宿生の割合が高いわけではない。理由は、この下宿生たちは古い木造建築、つまり自宅生たちよりも弱い建物に暮らしていたことだったのである。
 地震が起きたのは午前5時46分。まだ暗い冬の明け方だった。学生たちは深い眠りについていたに違いない。
 じつはこの地震では高台で地盤がいいところに建つ神戸大学の建物はひとつも倒壊しなかった。もしこの地震が昼間に起きていたら、これらの学生たちは死ななくてすんだだろう。
 他方、「地震が起きた時間」に救われたものもあった。
 新幹線だ。地震が起きた時間は山陽新幹線が走り出すわずか14分前だった。この地震では新幹線のレールを載せている鉄道橋がいくつか落ちた。つまり、もし新幹線が走っている時間だったら、多数の犠牲者を生む事故になっていた可能性が高い。
 この連載で前に書いたように、2004年の新潟県中越地震(M6.8)では新幹線が高速で通りぬけた直後に地震が起きて、上越新幹線の魚沼トンネルの中がめちゃめちゃになった。地震が起きたのは17時56分だった。こちらも間一髪だった。両方とも、たまたま運が良かったとしか言いようがない。
 作家の野坂昭如は次の文章を残している。それには「戦前の大水害や第二次世界大戦での空襲の大被害からの戦後の復興がめざましかったばかりではなく、その後の市街地開発や山を削って海を埋め立てる国土改造の先兵だった神戸を兵庫県南部地震が襲ったこと、しかも季節が冬で、新幹線が通る寸前の明け方だったことに神の存在を確信する」と書いてある。
 地震が一日のうちのいつ起きるかについては、いろいろ学問的な研究が行われたが、結論としては、いつ起きても不思議ではないとことがわかっている。
 つまり、地震が起きる時刻の偶然によって被害のありさまが左右されてしまうのが地震の恐ろしいところなのである。 (1月16日『夕刊フジ』より)


.. 2015年01月28日 08:19   No.834010


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