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映画「こんにちは貢寮(コンリャオ)」上映 講師:陳 威志(たん うぃち)台湾出身 一橋大学博士課程 └──── (講座運営委員)
8月9日(土)台湾第四原発反対運動の記録映画「こんにちは貢寮」の上映会を開催いたしました。
○ 映画の粗筋の前に台湾の状況の流れを追ってみます。 1979年 一党独裁体制であった、国民党の政権が揺らぎ始めた。 1980年 新北市貢寮に台湾第四原発を建設する計画が浮上した。 1986年 民主進歩党創設。 1987年 自力救済デモが多発し、クーデターを恐れた国民党は戒厳令を解除。 1988年 住民組織結成。 1990年 この年より毎年一万人規模の反核デモがおこなわれる。 1992年 初めての国会議員選挙が行われ、民進党大統領が誕生。 大統領が第四原発建設中止を命令、議会は国民党多数のため阻止される。 2000年 この年からデモはほとんどおこなわれなくなった。 初めて政権交代し、第四原発建設中止、非核国条例を宣言するが三ヶ月で撤廃。 2008年 国民党が政権を取り返す。 2011年 福島原発事故が起爆剤になりデモが再燃。 現在、第四原発の工事は凍結されている。
○ 1998年 一人の女子大学院生が反原発運動の記録映画を作製するためカメラを持ち立ち上がる。 映画は台湾北部貢寮の美しい海岸線のドライブ映像から始まる。崔(ツイ) スー欣(シン)(スーの漢字が文字化けしますのでカタカナ表記させていただきました)監督の澄んだ声がナレーションを奏でる、ナレーションは源さんへの呼びかけの形式をとっている、源さんとは、物語のキーマン林 順源の事である。 1991年10月3日 第四原発の建設予定地でデモがおこなわれた。デモ隊の 林 順源は車に乗ってフェンスの前にいた。警官隊がデモ隊を蹴散らし林の車を取り囲んだ。突然フェンスの扉が開いた。林はフェンスの中へ車を進めた。警官隊が車に襲いかかりフロントガラスを殴打した。 フロントガラスは蜘蛛の巣状にひび割れ視界が奪われた。慌てた林は車をユーターンさせようと試みたが一人の警察官をはね、死亡させてしまった。 悲しい事故であったが計画的な殺人として起訴され、林は服役した。 1003事件以降、反核運動は空中分解した。 1994年、政府は貢寮漁民の漁業権を剥奪した、怒った住民は台北でデモを行った。10年間に亘る抵抗運動も虚しく、建設は阻止できなかった。その後反核運動は停滞し、台湾で一番美しい海は見る影もなくなった。 1999年3月15日、原発工事で蛇行する河川を真っ直ぐに削り取ったために、河川の全生物が死滅し洪水が多発した事に抗議し、漁民がデモを行った。 1999年6月、原発工事の敷地内でケタガラシ族の貝塚遺跡が見付かった。 自救会は遺跡保存を求めて、工事中止の陳情をした。 2000年、大統領選挙が行われ、反核を公約にした民進党が勝利し一党独裁を続けてきた国民党が政権を失った。しかし民進党は公約を反故にした。 2001年、漁民のデモが行われ、抗議のため焼身自殺者まで出てしまったにもかかわらず、原発建設は続行された。 貢寮の住民は台湾の住民全員が受けるべき苦難、苦痛を一身に背負わされた。 映画は仮出所した源さんと貢寮住民の再会場面、2004年で終わる。 台風が近付くなか、50人の参加者が集まり終了時間が延長される大盛況であった。
.. 2014年08月21日 08:32 No.780001
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