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■--盲点
++ 伝 (中学生)…41回          

「天皇陛下とマッカーサー」という前に買った本をパラパラと見ていたら、こんなことが書いてあった。「(2.26事件の反乱軍鎮圧で・・・筆者注)台頭したのは「米英を討て」と主張する梅津美治郎や石原莞爾ら新統制派だった。歴史は不思議だ。南進派の巨頭・梅津が、敗戦後、ミズーリ号上で降将としてマッカーサーの前に城下の盟をし叩頭したのだから・・・」これにはあきれてしまった。石原は米英を討てなどとは言わない。最終戦争でアメリカと戦うことになると想像したのだ。もしシナ事変を解決できていれば、数十年後にはアメリカと戦うことになったかもしれない。しかし歴史はそういう展開にならなかった。それはさておき、菊池久著のこの本は二十余年前に発刊されているから、そのころはジャーナリストは石原莞爾に対してこの程度の認識しかないのがふつうだったのかもしれない。
.. 2007年05月08日 20:26   No.75001

++ タク (大学院生)…116回       
梅津美治郎は好戦的な人間のような気がします。盧溝橋事件が突発した時、陸軍中央では石原莞爾作戦部長が不拡大を唱え、平和解決でいこうと蒋介石も思っていたのに。ところが、陸軍省では梅津美治郎陸軍次官が拡大を唱えるのですよね。一挙に数個師団を派兵して、蒋介石が率いる国民党軍にガツンと一撃を食らわす。そうすれば日本に有利な形での休戦協定ができるだろうと考えたのです。

.. 2007年05月09日 06:39   No.75002
++ 六 (小学校高学年)…23回       
これは、まだ確認していないが、重光葵は「昭和の動乱」のなかで石原将軍が、事件鎮圧に向かった将兵に反乱を煽動する演説をしたなどと書いているそうである。同時代の偉大な人物のことは、なかなかわからないということかもしれない。石原莞爾というのは驚くべき人物であると私は思っている。その偉大さはほれこめばわかる。しかし俗にいうあばたもえくぼということはあるかもしれない。
.. 2007年05月10日 20:44   No.75003
++ タク (大学院生)…117回       
当時陸軍省では軍事課長である田中新一という軍人、参謀本部では石原莞爾の下にいる武藤章という軍人、二人とも二葉会のメンバーなのですが、この二人がもっとも強硬に派兵を唱えたのですね。梅津陸軍次官も田中や武藤と組んだので、石原莞爾の不拡大の意見は少数意見となるのです。石原莞爾は、「華北に軍隊なんぞ送ったら、あの広大な中国ではナポレオンがモスクワで味わったと同じような泥沼戦争になる、だから軍隊は絶対出しちゃいかん」と言うのです。ところが、派兵を主張する者の中には「国民党軍が100万であろうが、日本兵を見ただけで中国兵は逃げるのだから、とにかくここは軍隊を送って脅かしておけばいい」などと、楽観視するのがいるのですね。

.. 2007年05月12日 07:00   No.75004


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