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■--若狭湾での巨大津波伝説
++ 山崎久隆 (社長)…416回          

日本海の津波解析が大きく進む可能性が出てきました
 |  立証がされるかもしれない
 └──── (たんぽぽ舎)

日本海の津波解析が大きく進む可能性が出てきました。若狭湾での巨大津波伝説の立証がされるかもしれない。また、島根、玄海、柏崎刈羽、泊の津波対策は極めて不十分なデータに基づいていることが示されるかもしれない。原発が、こうした知見に依らないで作られ続けた歴史を知ることが必要でしょう。誰も知らなかったで済ますことは出来ないのですから。立地自治体も目を背けてはいられないはずです。

◇大津波:日本海で4回か ロシア側痕跡調査で解明 (4月28日毎日新聞より抜粋)
 過去2000年間に東日本の日本海側で、記録にない大規模な津波が少なくとも4回起きていたとみられることが日露の共同研究チームによる調査で判明した。
 日本海側では津波の記録が乏しく、発生状況がよくわかっていない。チームは、対岸のロシア側の海岸に開発されていない湿地が多くあり、津波の痕跡が残りやすい点に着目して調べた。28日に横浜市で始まった日本地球惑星科学連合大会で成果を発表する。
 チームは、北海道大地震火山研究観測センターの西村裕一助教(古地震学)とロシア科学アカデミー極東支部で構成。[中略]
 日本海側には原発が多く立地しており、津波調査の重要性が指摘されている。国内の堆積物調査から、複数の研究機関も過去に津波が繰り返し起きていた可能性を示しており、チームはこれらとの対比にも取り組む。西村助教は「日露双方で調査を進め、震源の推定までできるようデータを集めたい」と話している。

.. 2014年05月07日 13:29   No.729001

++ 島村英紀 (高校生)…63回       
盗まれた標石、科学の意外な落とし穴 消えた調査用ケーブル
 │ 自然事象ではない予測不能な出来事
 │ 「警戒せよ!生死を分ける地震の基礎知識」コラムその49
 └────(地震学者)

○アイスランドでは、見晴らしのいい丘の上に「+」の印の着いた金属板や
 標石が取り付けられている。これらはアイスランドで生まれているユーラシ
 アプレートと北米プレートの動きを測定するために測器を置く目印である。
 科学者がときどき訪れて、その「+」の印の正確な位置を測る。これを繰り
 返すことによって、プレートの動きが知られるのだ。だが、ほかの国では
 アイスランドでは起きないことが起きる。

○アフリカの東部の国々を縦断して「大地溝帯」(だいちこうたい)がある。
 ここは将来、アフリカ大陸が二つに割れて大西洋のような海になるところな
 ので、世界の地球科学者の注目を集めている。
 私の同僚の科学者がここで標石を設置した。年に何センチかの割合で地面
 が割れていっているはずなので、また来たときに測定して変動を記録しよう
 というわけである。

 標石そのものは、何の変哲もない石の短い柱だ。上の面だけを残して、全体
 を地面の中に埋める。ところが、この標石が消えてしまった。
 大それた「犯意」があったわけではない。標石を埋める作業を地元の人たち
 が隠れて見ていた。よほど大事なものを埋めたに違いないと思ったのだろう。
 調査隊が帰ってから掘り出したものだと思われる。
 短い石の柱だけのはずがないと思ったに違いない。その下、何もないところ
 を何メートルも掘り返してあったそうである。

 同じアフリカの大地溝帯の北部、別の国では私の知人のパリ大学のフランス
 人科学者が地震観測をしていた。ところがある日、地震記録がストップした。
 調べてみたら地震計のセンサーから記録器まで這わせていた信号ケーブルが
 切り取られていたのだ。
 ケーブルはラクダの手綱になっていたのだった。銅の撚り線を塩化ビニール
 で覆ったケーブルは子供の指ほどの太さだ。しなやかで丈夫だし、見栄えも
 いいから、ラクダの手綱としては最高の材料であろう。

○アフリカには限らない。前の連載に書いたように、パキスタンで2005年に
 マグニチュード7.6の大地震が起きて9万人以上の犠牲者を生んだ。
 この大地震で地盤が大幅に緩んで地滑りが起きることが心配された。二次災
 害である。このため、細い金属ワイヤーを張って、そのワイヤーの張力から
 地滑りを検知しようという観測器が日本の援助で設置された。

 だが、日本の科学者が1年後に現地の機械を見に行ってみたら、そのワイ
 ヤーは地元の人たちの洗濯物干しになっていた。水平に長く張られたワイ
 ヤーは、洗濯物を干すためには理想的だったのであろう。
 3年後にまた訪れてみたら、ワイヤーは消えていた。金属材料として売り払
 われてしまったに違いない。
 科学にとっての落とし穴は意外なところに潜んでいるのだ。
 (5月2日『夕刊フジ』より)


.. 2014年05月12日 11:38   No.729002
++ 島村英紀 (高校生)…64回       
事件・事故捜査に役立つ地震計
 │  それは”地面の振動”記録計でもある
 │  振動を記録しているとき、多大な人命が奪われていることが多々あるのである         
 |  「警戒せよ!生死を分ける地震の基礎知識」コラムその50
 └──── (地震学者)

○2013年2月15日の朝9時すぎ(現地時間)、ロシア西南部の都市チェリャビンスクに大きな隕石が落ちた。
 この隕石は広島に落とされた原爆の30倍ものエネルギーを放出した。
衝撃波で東京都の面積の7倍もの範囲で4000棟以上の建物が壊れ、1500人もが重軽傷を負った。隕石は太陽より明るい光の玉になって近くの湖に飛び込んだ。
 隕石は、いつ、どこに落ちるかは分からないし、あまりに瞬間的なので一昔前だったら落下をカメラでとらえることは不可能だった。
 しかしチェリャビンスクの隕石の落下はいくつものドライブレコーダーで鮮明にとらえられて、世界のテレビやインターネットで配信された。初めてのことだ。
 ドライブレコーダーとは自動車の前方を常時監視する車載の動画カメラで、車が事故を起こしたり、またはスイッチを操作することで、ある事件の前後の記録を残すことができる。日本でもタクシーやバスが多く備えるなど普及が進んでいる。
 いくつものドライブレコーダーの映像のおかげで、隕石がどういう軌跡をたどって地球大気に突入したか、どう分裂してどこに落ちたかが正確に記録された。
 もちろん、これはドライブレコーダーの本来の使い方ではない、だが惑星科学に貴重なデータを提供してくれた。
○ところで地震計も、本来の使い方ではない用途に「役立つ」ことがある。
 1985年に日航ジャンボ機が群馬県の御巣鷹の尾根に落ちたときは、いつ落ちたのかを警察が知るために地震計の記録の提供を求められた。
 飛行機の墜落だけではない。花火工場の爆発。大規模な雪崩。地滑り。自衛隊基地での燃料タンクの爆発。これらの事件も近くの地震計に捉えられていた。
 警察だけではなくて、事件の解明にあたる専門家に地震計の記録を提供したことも多い。
 地震計の感度は高い。人が歩く振動は百メートルも先から感じることができるし、列車ならば数キロ先でも検知する。しかも百分の一秒単位で正確な時刻も分かるようになっている。
○つまり日本全国に置いてあって気象庁や大学などが日夜動かしている地震計は高感度の「地面の振動」記録計でもあるのだ。
日本だけではない。
 2001年の9.11事件で米国ニューヨークの世界貿易センタービル2棟にジェット旅客機が突っ込んだとき、そしてそれらのビルが崩壊したときの振動も地震計に記録されていた。
 現場の30キロほど北に米国コロンビア大学が持つ地震観測所があり、そこの地震計が記録していたものだ。
 それぞれの「振動」のマグニチュード(M)も地震計の記録から計算された。ジェット機の衝突そのものはM0.9とM0.7だった。
 最大の振動は第2ビルの崩壊でM2.3、第1ビルの崩壊はM2.1、8時間後に連鎖的に崩壊した第7ビルはM0.6だった。
 いずれも地震の大きさとしてはごく小さいものだ。しかしこれらの振動を地震計が記録していたときには多くの人命が失われていたのである。
                   (5月9日『夕刊フジ』より)


.. 2014年05月12日 12:05   No.729003
++ 島村英紀 (高校生)…65回       
焼岳の群発地震、噴火の可能性も 岐阜県と長野県の県境にある活火山
 |  山頂付近には有毒ガスが出続けている
 |  いずれ群発地震から噴火への道をたどる
 |  「警戒せよ!生死を分ける地震の基礎知識」その51
 └──── (地震学者)

○さる5月3日の朝から岐阜県と長野県の県境で群発地震が続いている。最初の日に岐阜県高山で震度3の揺れを9回も記録するなど、有感地震だけで41回もあった。高山市で民家2軒の石垣が崩れるなど小被害があった。
 地震は最初は多かったが、その後減っていまは数日に1度ほどになっている。最大の地震のマグニチュード(M)は4.5だった。
 気象庁の発表だと震源は「岐阜県飛騨地方」と「長野県中部」に分かれていて、まるで別のところで地震が起きているように見える。だがこれは震源の計算結果のばらつきが、たまたま県境を越えただけなので、ひとつながりの群発地震なのだ。
 この地震群は焼岳(標高2455メートル)の直下に集中している。震源の深さは地下5キロ以内で、ごく浅い。
○焼岳は県境にある活火山で、南北に連なる飛騨山脈のひとつの山だ。
 地震は「オレが火山性地震だよ」と言って起きるわけではない。このため地球物理学者は起きた場所で判断するしかない。今回の群発地震は火山の直下で起きたので火山性地震の疑いが強い。
 火山性の地震には、どこにでも起きる普通の地震と記録上は区別がつかないものが多い。
 そのほか「火山性脈動」や「低周波地震」もある。火山性脈動は噴火の直前に出ることが多い。今回は火山性脈動や低周波地震は観測されていない。
 じつは、この付近では過去たびたび群発地震が起きている。1998年にはもっと規模の大きな群発地震が起きた。最大地震はM5.4だった。その前にも1993年や1990年にも起きた。
 近年は群発地震が起きても噴火には結びつかないことも多かった。しかし焼岳は過去に大噴火したことも何度もある。たとえば1915(大正4)年の噴火では大量の泥流が長野県・上高地にあった川をせき止めてしまった。水中に立ち枯れた木が景観を作って観光客に人気の大正池は、こうして出来た。
○焼岳の現在までの最後の噴火は1962年。旧焼岳小屋が火山灰で押しつぶされて4名が負傷した。
 以後、群発地震はあっても噴火はない。だが半世紀の休止は火山ではよくあることで、これからも噴火しないことはあり得ない。いずれ群発地震から噴火への道をたどることになろう。
 噴火こそしなくても、焼岳の地下にあるマグマ関連の事件が起きたことがある。1995年のことだ。近くでトンネル工事をしていたときに火山性ガスを含む水蒸気爆発があって工事の作業員ら4名が犠牲になった。中部縦貫自動車道の安房トンネルの工事の取り付け道路の工事だった。
 また土砂崩れや雪崩も発生、梓川になだれ込んだ土砂は6000立方メートルにもなった。そしてトンネルの出口はもともと予定されていたところから変更された。
 いまでも焼岳の山頂付近には有毒ガスが出続けている。地下のマグマはまだ生きているのである。 (5月16日『夕刊フジ』より)

.. 2014年05月19日 09:24   No.729004
++ 木村雅英 (中学生)…30回       
原子力規制委員会は原発再稼働推進委員会!
 |  地震国日本で地震評価は最低水準
 |  地震のことを自身で調べる自信なし? 連載その3
 └──── (再稼働阻止全国ネットワーク)

○ 原子力規制委員会が「国民の生命、健康及び財産の保護、環境の保全…に資する」目的で作ったはずの新規制基準は欠陥だらけ。立地指針無視、複数基稼働容認、コアキャッチャー無しなど。おまけに、イチエフ事故調査結果を踏まえずに地震対策を大甘にしたのは、54基あった原発を再稼動させたいからだ。
 「科学的・技術的」に安全第一と考えるならば、イチエフの事故原因追求とその結果の基準への反映が当然である。が、規制委は事故検証を避けた。特に国会事故調が地震による配管破断の可能性を疑い、東電が調査隠しをしていたのに、事故調査を先延ばしして新規制基準に反映しなかった。元東電社員木村俊雄さんがイチエフ1号機の炉心溶融は、津波ではなく地震によって引き起こされたと主張しているのに。
○ 一方、福島第一原発事故はイチエフ近くに活断層があったから起こった訳ではない。東北地方太平洋沖地震は、太平洋プレートと北アメリカプレートの境界域(日本海溝付近)における海溝型地震だ。毎日のように地震が起こる日本列島では過去に何度も基準地震動以上の地震が発生した。例えば、2007年7月の新潟県中越沖地震では柏崎刈羽原発で最大加速度2300ガルを記録した、川内原発の基準地震動620ガルはあまりに小さい。これらのことは島村英紀さんのホームページに詳しい。 こちら
 イチエフ事故で地震による配管破断があったかどうかを検証するとともに、多くの地震学者の知見を取り入れて基準地震動の決定方法を見直すべきだ。事業者任せの3次元地下構造解析を誰が信じられようか。
○ 国会事故調の委員でもあった地震学者石橋克彦さんも、岩波書店の「世界6月号」で「欠陥『規制基準』が第二の原発震災を招く」を書いている。新規制基準は「世界で最も厳しい水準」は大嘘、恐ろしい川内原発再稼働、浜岡原発と伊方原発の再稼働は無謀、と。ご一読を。

.. 2014年05月20日 11:30   No.729005
++ 島村英紀 (高校生)…66回       
地震学者が地震に逃げられたことがある
 |  1998年焼岳地震の移動、連鎖反応の可能性
 |  「警戒せよ!生死を分ける地震の基礎知識」その52
 └──── (地震学者)

○ 地震学者が地震に逃げられてしまったことがある。
 先週は北アルプス焼岳の地下で続いていた群発地震の話をした。
 このへんでは過去たびたび群発地震が起きた。1回前の1998年には、いまだにナゾがとけない不思議なことがあった。
 群発地震はその年の8月7日、長野県の上高地で始まった。観光シーズンの盛りの時期だった。
 上高地で始まった群発地震は西にある活火山・焼岳にしだいに近づいているように見えた。噴火の前兆かもしれない。地元に緊張が走った。
 険しい北アルプスの山岳地帯ゆえ地震観測所は離れたところにしかなかった。このため急遽、大学や気象庁の研究者が現地に向かい、上高地や焼岳で臨時に地震計を置きはじめた。
 彼らの到着が遅かったわけではない。群発地震が始まって6日目には、地震計の設置を始めていたのだ。
○ だが地震計を置き終わる前に群発地震の震源は上高地を離れて北にある穂高連峰や槍が岳の地下へ移動してしまった。10キロあまりを数日の間に動いたことになる。
 そのうえ8月16日、その活動域のいちばん北で、この群発地震で最大の地震が起きた。臨時に置いた地震計からはもっとも遠い場所だった。マグニチュード(M)は5.4。ことし5月の群発地震での最大のMは4.5だったから、エネルギーが20倍近以上も大きな地震だった。
 それだけではなかった。鬼ごっこでもするように、9月に入ると震源は北アルプス沿いにさらに北上。県境を越えて富山県に入った。上高地からは20キロ以上も北上したのである。
○ そして、同年秋になると群発地震は県境付近で消えてしまった。まるで、臨時に置いた地震計を地震が嫌って逃げたように見える。地震学者は、いまだに何が起きたか分からない。
 ところで、この地震群が移動した速さは、1日当たり1〜数キロだった。
 以前にこの連載で「移動性地殻変動」の話をした。年に20キロほどの速さで動いていった地殻変動だ。北アルプスの地下を移動していった地震群の速さも、この速さとそれほどは違わない。
 これはとても不思議な速さだ。
 地球の内部でなにかが岩をかきわけながら動いていくにしてはあまりに速すぎるし、一方、秒速数キロで走る地震断層と比べると、けた違いに遅すぎる。
○ これは、地震が起きることによって「留め金」が外れて、次の地震が起きやすくなるという連鎖反応の結果かもしれない。動いていく速さは留め金が外れた次の地震がいつまで「我慢」できるかで決まる。
 さる5月5日に相模湾の地下の太平洋プレートの深さ160キロのところでM6.2 の地震が起きた。東京・千代田区で震度5弱を記録した。
 そして8日後に同じプレートの千葉県の東京湾岸の地下80キロのところでM4.9、震度4の地震が起きた。前の地震がこの地震に連なったかもしれないのである。(5月23日『夕刊フジ』より)

.. 2014年05月30日 07:58   No.729006
++ 島村英紀 (高校生)…67回       
首都圏の活断層・立川断層が、またも話題に上っている
 |  立川断層の地震予測も外れか 穴だらけの地震年表
 |  「警戒せよ!生死を分ける地震の基礎知識」その53
 └──── (地震学者)

○ 前にも騒ぎを起こした首都圏の活断層・立川断層が、またも話題に上っている。
 立川断層では2年前から活断層の大規模な発掘調査が行われた。そのときに東大地震研究所の先生が恥をかいたことがあった。かつての自動車工場の基礎の杭を、自然の岩が過去の地震で断ちきられたものと判断してしまったのだ。
 そして、この5月の東京都瑞穂町での調査で14-15世紀以降に大地震があったとの結果が報じられた。同町の狭山神社の境内。先の工場跡とは別の場所だ。
 政府の地震調査委員会は立川断層を次の発生が近づいている危険性の高いものに分類している。この断層帯では1万−1万5000年の間隔で地震が発生しているが、この1万3000年以上も地震が起きていないためだという。しかし、もし数百年前に地震があったのなら、この想定がまったく違ってしまう。
 この瑞穂町の調査では、そのほかにも過去1万年以内に少なくとも1回以上の地震があったこともわかったという。これらが本当ならば、立川断層が起こす「次の地震」ははるか将来ということになる。
○ さて、数百年前に大地震が起きたのなら、いままでにどうして知られていなかったのだろうか。
 そうなのだ。過去の地震についての「地震の年表」は労作だがじつは抜け穴だらけのものなのである。
 日本で、地震計を使った地震観測が始まったのは明治時代だ。もっと昔の地震について知るためには、昔の記録や日記を読んで地震の歴史を調べる地味な調査をしなければならない。
 これら各種の歴史に書かれている地震のことを歴史地震といい、このようなことを研究している学問は歴史地震学、あるいは古地震学という。
 寺や役場が残している文書を読むことが多い。
 寺の過去帳のように、いつ誰がどんな原因で亡くなったかを記録している古文書は、過去の地震や津波の貴重な記録なのである。かび臭い蔵にこもって古い文書の頁を繰っている一群の地震学者がいるのだ。
○ ところが、この調査には多くの問題がある。
 地震計の記録と違って震源地も分からない。被害が大きかったところを震源地とすることが普通だ。だが被害記録が多いところがかならずしも震源ではなくて、人が多く住んでいる場所だったりする。
 古くから都のあった近畿地方では歴史の資料が豊富で数多くの地震が記録されている。一方、歴史の資料がそもそも少ない地方では歴史に残った地震の数も少ない。
 それゆえ記録に残っている地震が少ないことは、その地方で発生した地震が少ないということではない。歴史の資料の質や量が時代や地域によってまちまちなので、全国で均質な調査とはほど遠いのである。
○ 立川断層のまわりも、大地震が起きてもなんの記録も残っていなかった。いまは住宅密集地や巨大な米軍基地になってしまったが、数百年前には無人の原野だったのだ。 (5月30日『夕刊フジ』より)

.. 2014年06月04日 13:59   No.729007
++ 夕刊フジ (幼稚園生)…2回       
カギを握る大地震がじつは別のものではないかという論争が始まっている
 |  伊豆小笠原海溝でM8か 「慶長地震」が呼ぶナゾ
 | 「警戒せよ!生死を分ける地震の基礎知識」コラムその54
 └──── 島村英紀(地震学者)

南海トラフに大地震が起きるのでは、という怖れがある。起きれば東日本大震災(2011年)なみの超巨大地震かもしれない。
南海トラフの大地震は過去に13回知られている。日本の大地震では古くまでたどれるほうで、このため「次」の地震の予測がしやすいのでは、と考えられてきた。
しかし最近、この13回のうちでもカギを握る大地震がじつは別のものではないかという論争が始まっている。
その地震は1605年に起きた「慶長地震」。1707年に起きた超巨大地震、宝永地震のひとつ先代の地震である。
 宝永地震は最近の見直しでは東日本大震災なみの大津波を生んだ超巨大地震ということになった。そのうえ地震の49日後に富士山が大噴火した。この富士山の噴火は現在に至るまでの最後の噴火である。
宝永地震では震度6以上の地域がいまの静岡県から九州まで及んだ。津波は最大の高さ26メートルに達した。
 津波は伊豆、八丈島から九州にわたる太平洋海岸だけではなく瀬戸内海や大阪湾まで入り込んだ。また済州島や上海でも津波の被害をもたらした。
宝永地震の後にも、安政地震(1854年)や東南海地震(1944年)、南海地震(1946年)が起きたが、これらよりも宝永地震が群を抜いて大きな地震だったことは間違いがない。
そこで慶長地震がカギを握ることになる。この地震は宝永地震なみの超巨大地震だと思われてきたからだ。これから約100年しかおかないで宝永地震が起きたことは超巨大地震のエネルギーがそんなに早く溜まる可能性を示す。これは今後襲って来る超巨大地震の見積もりにも関係することだ。
ところが慶長地震がじつは南海トラフに起きたのではなくて、八丈島のはるか南、伊豆小笠原海溝の鳥島近辺で起きたのではないかと指摘され始めている。伊豆小笠原海溝は首都圏から南に延びている。西南日本に沿って西南に伸びている南海トラフとは別のものだ。
もともとこの慶長地震では津波による溺死者が約5000-10000人と甚大だった割には、地震による揺れ、とくに西日本での揺れが小さいのが不思議だった。
この慶長地震が伊豆小笠原海溝で起きたとするとこの疑問は氷解する。だが、途方もなく大きな地震でないと慶長地震のときの広い範囲の大津波が説明できないのである。
この論争は根拠になる資料が少ないので、簡単に決着がつくものではない。しかし、それによっては南海トラフの今後の超巨大地震の行方も左右する。
だがそれだけではない。いままで伊豆小笠原海溝にはマグニチュード(M)8を超えるような大地震は起きないと地震学者は考えていた。歴史地震も知られていなかったし、海溝から潜り込む太平洋プレートの角度がほかの場所とは違って急だったからだ。
 400年も前の地震が、日本をこれから襲う大地震のカギを握っているのである。
                   (6月6日より)

.. 2014年06月13日 08:18   No.729008
++ 島村英紀 (高校生)…68回       
人間&社会ドラマを読み解く古地震学
 |  古地震の研究はいろんなところでつまづくことがある。
| 「警戒せよ!生死を分ける地震の基礎知識」コラムその55
 └──── (地震学者) 
  
○古地震の研究はいろんなところでつまづくことがある。
 古地震学で難しいことは、報告が地域的に偏在していることだ。西日本に比べて東北地方や北海道は古い報告がごく少ない。とくに北海道では先住民族が文字を持っていなかったために地震の歴史は150年ほどしかたどれない。
 本州でも、ある藩では記録が行き届いているのに、同じ地震でかなりの被害があったはずの隣の藩はほとんど報告がないことがある。
 記録をきちんと書き残しているかどうかという藩としての文化の違いもある。しかしそのほかに、地震の被害を書き残すことが藩の弱みを見せることになるという政治的配慮が働くことがある。逆に、幕府からの災害の復旧の金や年貢の減額を期待して誇張した文書もある。
 つまり地震の記録が残っていることにも、また残っていないことにも当時の事情が反映されているのだ。
 地震学から言えば、こういった記録の偏在があると、震源の位置や地震のマグニチュード(M)の推定が違ってきてしまうので、とても困る。
 Mは被害や揺れが及んだ範囲から推定されるし、震源は被害がいちばん大きかったところだと推定される。被害や揺れが震源から遠ざかると減っていく。震源の深さは、その減り方が多いか少ないかから推定する。震源が深いと、遠くへいっても揺れが小さくなりにくいからだ。
 それゆえ古地震学では、書き残された記録から紙の「裏」を読んだり、人間と社会のドラマを読みとることも必要なのである。
○こうした古地震研究の結果、日本だけではなくて世界でいくつかの地震の表が作られている。
 だが表がいつも正しいわけではない。もっとも権威があると思われている古地震学の表に「13万7000人が亡くなった北海道の大地震」という記録が載っている。
 時は1730年12月30日。こんな時代に、これほどの犠牲者を出すほどの人口が北海道にあったのだろうか。
 このナゾは近年にようやく解けた。これは江戸で大被害を出した元禄関東地震の誤記だったのだ。
 元禄関東地震は西暦1703年12月31日に起きた。地震学では世界標準時(UTC。かつてグリニッジ標準時と言われていた)で地震の日時を表すのが普通だから、国際的には12月30日になる。そして学者が1703を1730と間違えた。そればかりではなくて、エド(江戸)をローマ字で書くと一文字しか違わないエゾ(蝦夷)に間違ったものだったのである。
○また1737年にはカムチャツカ(ロシアの極東)に巨大な地震津波が発生して死者3万人という記録もある。これも権威ある表に載っているので、地震学の教科書に引用されている。
 ところがこれは、その表が元にした原典で1行あとにあったコルカタ(インド。かつてカルカッタと呼ばれた)の地震の死者数を間違えて写してしまったものだということが分かった。
 学者といえども人間。ありそうな書き間違いではある。
                     (6月13日『夕刊フジ』より)

.. 2014年06月23日 10:13   No.729009
++ 島村英紀 (高校生)…69回       
強い地震が決して少なくない首都圏、関東地震以後だけが異常に
 │  少ない状態だった 東日本大震災後は「地震が多い状態に戻る」傾向
 │  日本でいちばん揺れた街を超える千代田区の「怪」
 │  「警戒せよ!生死を分ける地震の基礎知識」コラムその57
 └──── (地震学者)

◇震度4とは歩いていても車を運転していても地震だと感じる揺れだ。天井からつり下げているものが激しく揺れたり、すわりが悪い置物が倒れる。しかし建物にはまず被害はない。
 震度5になるとタンスなど重い家具が倒れたり棚にある食器類や書棚の本の多くが落ちる。マンションの入り口の鉄のドアが変形して開かなくなることもある。
◇第二次大戦後、震度5を超える地震に16回も遭ったという町がある。北海道の襟裳(えりも)岬の近くにある浦河町である。
 この同じ期間に大阪も札幌も、あるいは北海道の同じ太平洋岸にある室蘭でも震度5は1回もなかった。地震の起こりかたは世界的にはもちろん、日本の中でもとても不公平なのだ。浦河では平均4年に1回ずつ、震度5という大きな揺れを経験しているわけだ。うち5回は震度6だった。
 しかし浦河ではどの地震でも犠牲者は一人も出さなかった。
 浦河の町に行ってみると、その秘密がわかる。瓦屋根はなく家はトタンの屋根だ。屋根が軽いことは地震の揺れには十分強いことなのだ。そのうえ雪が積もってもつぶれないように家も丈夫な作りになっている。
 また町の中の道は広く、地震で火が出ても延焼することが少なくなっている。
商店では地震で揺れても商品が落ちないような工夫がされている。つまり「地震馴れ」している町なのだ。
 浦河に地震が多い理由は、約2000万年前、北海道の東半分と西半分が別々の島だった歴史にさかのぼる。北海道東部の地形がのびやかで、西半分の景色とはちがうのはもともと別の島だったせいなのだ。
 その二つの島がプレートの動きに乗って近づいてきて、やがて衝突した。北海道の中央部を南北に走る日高山脈がその二つの島のつなぎめになっている。
 日本列島はプレートに押されていて、そのために地震が起きたり火山が噴火したりしている。だが北海道では、そのほかに昔の衝突の「残り火」が日高山脈の地下に残っているのである。
 このため浦河付近では太平洋沖で起きる「海溝型の大地震」のほかに「日高山脈直下型の地震」も起きる。それゆえ海溝型地震が目の前に起きる釧路よりも地震が多い。
◇ところで東京(千代田区)はこの間の震度1の地震は2170回で、浦河の1960回よりも多い。全国でも多いほうなのである。小さい地震はプレートの活動の活発さ、つまりいずれ起きる大地震も含めて平均的な地震活動を反映するバロメーターのはずなのだ。
 しかし不思議なことに東京都千代田区では震度5が東日本大震災(2011年)とさる5月5日の伊豆大島近海の地震を入れても4回しかなく、震度6は1回もない。
 だが、ここ数百年の期間で見れば首都圏での強い地震は決して少なくはない。
関東地震(1923年)以後だけが異常に少ない期間が続いているのだ。東日本大震災以後、これが「普通」の、つまりもっと地震が多い状態に戻る傾向があるのが気がかりである。     (6月27日『夕刊フジ』より)

.. 2014年06月30日 08:15   No.729010


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