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■--宣伝不戦?
++ 伝六 (小学校低学年)…5回          

石原莞爾はたぶん昭和十六年の講演でこんなことを言っています。「満洲事変以来日本の宣伝戦は完全に失敗している。日本が侵略国であるということは殆ど世界の常識となっている。確かに宣伝下手である。だが宣伝下手は寧ろ私は日本人の名誉と考える。だがこの世界的誤解の根底には、宣伝の上手下手よりも、もっと大事なことがある。それは我々の信念の問題である。満洲事変以来国策に対して国民的の自信なく、自信がないから根が正直な日本人としては、どうしても果敢な宣伝が不可能で、釈明的態度に陥ったことが益々諸外国をして日本の態度を疑はしめた。満洲事変当時、所謂国民使節がアメリカに渡って努力した。然し彼らのしたことをみるに、すべて消極的釈明にすぎない。彼らは心の中では「どうも困ったことをやったな」と思ひながらも、君国のためにそれをアメリカ人に何とか弁解するらしい。弁解すればするほど悪結果を生むことは当然ではないか。」(石原莞爾全集第七巻所収「欧州大戦の進展と支那事変」)日本が侵略国であるということの宣伝は、シナ事変のころは蒋介石政府が中国人民に宣伝し、大東亜戦争のときには連合国が世界に宣伝した。戦後は日本人民に対しても宣伝?して、今では大半?の日本人が日本は侵略国だったと思っているのではないか。戦後は日本政府は日本は侵略国でないと宣伝するどころか、過去の侵略を反省するといっているので、アホかというところだが、正気を失っているので、頭は悪くないはずの政治家がそんな状態だ。反省が不要なのではない。実は反省していないのだ。石原莞爾は王道の宣伝は王道の実行に先だつものであってはならないという意味のことを言っているが、今は王道と言ったら何ソレ?という段階であろう。
.. 2006年07月19日 21:23   No.7001

++ 伝 (幼稚園生)…4回       
一次資料を確認していませんが、石原莞爾は満州事変の作戦計画においても、「この戦争は対支戦争に非ずして対米戦争なり」と性格づけているそうです。後に、おおざっぱに言うと、西洋覇道文明の代表米国と東洋王道文明の代表日本国が決戦戦争を戦うことになる。そしてこれが世界の最終戦争で、人類はこの後恒久平和の時代に入るということを公言しています。単純化して図式的にとらえると、シナ事変までの石原莞爾の行動の方向は、米国との決戦戦争に勝利するための準備で、戦後は、戦争史研究からの最終戦争を確信しつつも、それは日本と米国の戦争という単純?なものではなく、また戦争に勝利する準備よりも戦争がおこらないようにする努力をすべきであるとなったようです。
.. 2006年07月23日 10:52   No.7002
++ 六 (幼稚園生)…4回       
蛇足ですが、蒋介石政府は日本の侵略ということを中国人民にだけ宣伝したのでなく、世界にも宣伝しました。カール・カワカミの「シナ大陸の真相」という本によると、1929年かあるいは、その時分に国民党外務省の宣伝広報局は、世界的規模をもつある報道会社と協定を結びました。それは宣伝広報局が提供するニュースを一日当たりあるいは週あたりの決められた分量だけ流すので、結局南京政府のための宣伝工作活動に等しい仕事をうけおったわけです。南京政府はこの会社にそうとうの金をはらったそうですが、額はわかりません。そして中国ではいつものことですが、政府が支払ったお金の一部を宣伝広報局長官または他の国民政府外務省高官は、この報道会社から払い戻し金ということでうけとることになっていたといいます。リベートという語があるから、程度問題で、どこにもあることかしれません。今も宣伝工作的ニュースが、そうとうにある筈です。「信じた私が馬鹿でした」という歌があったようだけれど、「信じたあなたが馬鹿なのよ」と歌っている人があるかもしれませんね。(笑)
.. 2006年07月26日 22:28   No.7003
++ 伝 (小学校低学年)…5回       
歴史の教科書で読んだおぼえがないので知らない人は知らないだろうから、少し書くと、ソビエトロシアは世界革命省をおいて、世界の平和を攪乱し、秩序を紊乱しようとして大仕掛けな組織機関を設けた。それは東亜のほうに重点をおいた。孫文はソビエト要人と親しく、資金援助もうけている。ソビエトで金を出すのは中国のことを思って出すのではないので、蒋介石は孫文にそのことを言っている。モスクワに「孫文中国労働者大学(中山大学)」と「スターリン東方労働者大学(東方大学、名誉学長スターリン)」という二つの機構があって、多くの中国人がここで学び、祖国にかえって、コミンテルンと現地工作員の指示にしたがって活動した。それは建設活動よりは破壊活動であったと考えられる。
.. 2006年07月27日 22:49   No.7004
++ タク (小学校中学年)…15回       
中国人にとって「南京大虐殺」は、日本批判の象徴的存在だそうです。
なぜ象徴的かというと、それは歴史問題ではなく、政治の問題で、事実がどうだったのかは、議論する事は一切しません。
ただ、子々孫々の代まで教科書で「南京大虐殺」を教え込まなくてはならないと決められているのです。

一例を挙げると、「中国青年報」では、中国人の日本のイメージを調査した結果を「日本」と聞いて連想されるものは「南京大虐殺」が83.9%、「日本人は残虐」が56.1%だった。
中国の一般の青少年は、もともと日本人について知る機会は非常に少ない。
一種の白紙状態のところに徹底したマインド・コントロールをほどこしているというのが、現代の反日教育の実態なのです。
この調査からプロパガンダの素晴らしい成果が現れています。
これでは、中国人と日本人が仲良くできるわけがないのです。

「虐殺」は中国人にとって、事実であり、否定してはいけないもので、殺害された人数についてはさまざまに言われています。
過去、「百万人以上」とされていたが、これでは、揚げ足を取られかねないので、その後、中国共産党の党史部と文宣部は「30万人以上」であることを「決定」し、今日ではそれに対する異説は許されなくなっているのです。
数字が確定したので、あとは「侵華日軍南京大屠殺遇難同胞記念館」など、歴史博物館の展示内容と宣伝技術をいかに強化するのが、残された課題なのですね。

.. 2006年07月30日 15:44   No.7005
++ タク (小学校中学年)…16回       
石原莞爾は戦争史研究と日蓮宗信仰の結合、それが満蒙問題の解決策とも繋がり五族協和から恒久平和へと結び付けられるところが認められるのです。石原莞爾は世界の戦争史を跡付けて持久戦争(消耗戦争)と決戦戦争(殲滅戦争)とが交互に繰り返されてきたとし、持久戦争であった第一次世界大戦以後の将来の戦争は決戦戦争となるとみた。しかも、一都市を一挙に破壊する大量殺戮兵器とそれを運搬する航空機が出現したことにより、次に来たるべき決戦戦争こそ世界最終戦争となるであろう、と考えていたのです。

そして、この最終戦争こそ、日蓮が世界統一実現するためにまず「前代未聞の大闘條諍、一閻浮提(人間界)に起るべし」と喝破したところの未曾有の大戦争をさすはずであり、日米決戦がこれに他ならないと見たのです。これが石原莞爾の世界最終戦争論でした。この世界最終戦を経て世界の文明は統一され、「一天四海皆帰妙法」の境地に到達するはずで、石原莞爾はこの世界最終戦としての日米戦争という着想を信仰上の師、国柱会の田中智学から得ていたのです。

.. 2006年07月30日 17:28   No.7006
++ タク (小学校中学年)…17回       
中国は日中戦争での戦勝国意識が強烈で、二つの恩恵を敗戦国日本に施したと言います。
その一つは、日本から賠償金を取らなかったことで日本に対する優越感を味わっているのです。李鵬元首相の「日本からのODAなど、戦争の賠償に比べれば微々たるもの」といった発言は冗談でなく、中国人がもつ反日優越意識が露骨に表れたにすぎないのです。

もう一つは、終戦後に中国軍が九州を占領しなかったことです。中国人が信じている嘘話は、米国は蒋介石に九州を占領するよう要請したというのです。米国にとって日本列島は多くの犠牲を払ってようやく手に入れたものなのにそんなこと言うわけがありません。実際、北海道を占領したがるソ連の要求を米国はきっぱりと断っているのです。真実はカイロ会談の記録で、蒋介石は九州領有を希望したというのです。だが、ルーズベルトは、「とんでもない男だ」とこれを拒否しています。当時の蒋介石軍は奥地の重慶にまで逃げ込んだ状態で、国共内戦も始まったため、とても九州「進駐」などできなかったのです。

.. 2006年07月30日 17:44   No.7007
++ タク (小学校中学年)…18回       
「反日侮日」に走ってしまう中華民族は、親日¢キ文を「国父」に祭り上げる中国人の矛盾なのです。

中国で「親日派」といえば、民族の裏切りを意味するらしいが、列強諸国でもっとも中国の将来を真剣に心配し、力になろうとしたのは日本人で、その証拠に、孫文時代の国民党指導者といえば親日派で、孫文の後継者・蒋介石も同じなのです。

中国人革命家の多くは日本の明治維新や日露戦争の勝利に触発されて、革命を志したのです。
国民党・孫文の革命同盟会も、日本の玄洋社や国龍会など民族派団体の人的・資金的支援のもと東京で結成され、その後もあらゆる面で日本人志士の世話になり、革命の戦争でも、大勢の日本人有志がバックアップしていたのです。
だから、反日政策に転じた人たちでさえ、革命支援の代表的人物・頭山満(玄洋社創設者)や犬養毅(五・一五事件で暗殺された首相。大アジア主義者)には、のちのちまで尊敬と感謝の念を抱いていたのですね。

.. 2006年07月30日 18:21   No.7008


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