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■--信用されない「最大」の津波警報
++ 島村英紀 (高校生)…54回          

   過去経験した警報の「最大」が最大ではない事実に慣れ切ってしまった
 |  行政は警報を信用されるものにすることこそ肝要ではないか
| 「警戒せよ! 生死を分ける地震の基礎知識」コラムその41
 └──── (地震学者)

○恐ろしい数字がある。津波の避難勧告が出たのに、実際に避難した人は6%しかいなかったことだ。
 2011年3月11日、東日本大震災の日の大津波警報。静岡県焼津市での数字だ。
 和歌山県でも4600人に避難指示が出たのに、ある避難所には6人しか来なかった。
 このように東日本大震災のときには、全国的に津波警報が信用されなくなっていた。
 これには長い歴史がある。1998年5月4日、津波警報が出た。沖縄、九州、四国、そして本州の南岸に最大2ー3メートルという警報だった。
 港に繋いでいる船や港の関係者、沿岸の人々などに緊張が走った。ちょうどゴールデンウィークの最中だった。
 行楽を打ち切って港や家に駆け戻った人も多かったに違いない。
 だが拍子抜けだった。実際に来た津波は、わずか数センチのものだったからだ。
 2003年9月にはM8.0の「2003年十勝沖地震」が起きた。この地震とほとんど同じ規模だった「1952年十勝沖地震」で6メートルを超える津波で甚大な被害をこうむった北海道東部の厚岸町でも、勧告に応じて避難した人はわずか8%にとどまった。
 実際の津波は警報よりもずっと小さくて被害を起こすようなものではなかったから、人々の判断は間違っていなかったことになる。
○10年以上も過大な津波警報がくり返されたので人々は警報を信用しなくなってしまった。
 それには理由がある。同じ大きさの地震が同じ場所で起きても、海底での地震断層の動きかたが違えば津波の高さは大変に違う。
 震源からP波とS波という地震波が出る。P波が先に進み、S波はどんどん遅れていく。雷から音と光が同時に出るのに、音のほうが遅れていくのと同じである。
 津波警報の仕組みではP波だけを使って計算している。
S波は、震源で地震断層がどう動いたかという大事な情報を運んでくるのだが、S波を待ってからでは間に合わないからだ。
 それゆえ、地震の震源と地震の規模だけが分かった段階で「考えられる最大」の津波を想定して警報を出す。
 だが地震断層の動きかたによっては実際の津波の大きさが最大を想定したときの何百分の1にもなってしまうのだ。
「最大」の警報と、実際にはずっと小さい津波の繰り返し。人々が信用しなくなったときに襲ってきたのが東日本大震災だった。
 2万人近い人命を奪った被害が出てしまった要因のひとつは「信用」だった。
 行政は住民の防災意識の低さを嘆く。
 しかし、夜中の警報で財布や預金通帳やはんこを探し、おばあちゃんを背負って逃げたのに予報された津波が来なかったことをくり返した人々のことを考えてほしい。
 行政は津波警報を信用されるものにすることこそを心がけるべきなのである。
(2月28日『夕刊フジ』より)

.. 2014年03月03日 09:16   No.699001

++ 島村英紀 (高校生)…55回       
安心情報になりさがった津波警報
 |  津波第一波より後続波のほうがずっと大きいことがよくある
 |  気象庁が知らなかったはずはあるまい
 |  「警戒せよ! 生死を分ける地震の基礎知識」コラムその42
 └──── (地震学者)

○東日本大震災(2011年)であれほど多くの津波の犠牲者が出てしまったもうひとつの要因がある。気象庁からの情報発信のまずさだ。
気象庁は「津波警報」と「津波の現況」を発信した。その両方ともに問題があった。
 最初の津波警報発表は14時49分だったから、地震が起きてから3分で出た。その意味では十分に早かった。
 しかしその警報が「岩手県と福島県の沿岸は3メートル以上」と小さすぎた。実際に襲ってきた8〜10メートルを超えた津波よりはずっと小さかったのだ。
 実際の津波の大きさよりも小さめの津波予報を出してしまったのは、気象庁の地震や津波の観測システムが「緊急地震速報」シフトになっているなど、この種の超巨大地震に対応できない仕組みになっていたためである。
その後、気象庁は15時14分になって、予想される高さを「10メートル以上」と変更した。だが、このときにはすでに地震後30分近くがたっていた。
飛び出していった地元の消防団や海岸の水門を閉めに出動した人々は、この後からの追加や訂正をちゃんと聞いていたかどうか疑わしい。

○前回に話したように、いままで警報通りの津波が来たことはない。小さすぎる津波警報はそれに輪をかけた。人々の油断を一層誘ったに違いない。
 もうひとつの問題もあった。それは、気象庁が14時59分に「大船渡で20センチの津波を初めて観測した」と速報したことだった。
 テレビやラジオなどのメディアも、15時3分から「鮎川50センチ、大船渡と釜石は20センチ」と気象庁の発表通りに伝えた。
 地元の人からのメールが私のところに来ている。「この津波到達の第一報を見た市民が10センチ、20センチという数字を報じられて安心しないわけがありません。この数字を出していなければ、もっと急いで逃げてくれたかもしれないのにと思うと今も残念で仕方がありません」。無念さがにじむ。
 「気象庁がまた津波予報を外した」「予報で3メートル、6メートルとか出ても、やっぱり実際にはそんなに大きな津波は来ないんだなぁとホッとした」と思った人も多かった。

○つまり、気象庁の発表が「安心情報」になってしまったのだ。
この「現況の値」そのものは間違いではない。これらは津波の第一波の大きさだった。
 海岸にある「検潮儀(けんちょうぎ)」で実際に記録した観測値である。気象庁はこの現況の観測値を昔から発表し続けてきた。
 第一波がたまたま最大のときは、これでもいいかもしれない。たとえば、1982年の浦河沖地震(マグニチュード(M)7.1)では第一波が最大だった。
最大の津波が、しかも押し波として到着したのだった。
 しかし東日本大震災を含めて多くの場合は、第一波よりは後続の波のほうがずっと大きいことがよくある。気象庁が知らなかったはずはあるまい。
                      (3月7日夕刊フジより)

.. 2014年03月07日 08:31   No.699002
++ 島村英紀 (高校生)…56回       
加入増加も問題多い地震保険 地域で3倍以上もある保険料の不公平さ
 |  普及率の低さはイコール地震保険にまだまだ問題がある証拠
 |  「警戒せよ!生死を分ける地震の基礎知識」コラムその43
 └──── (地震学者)

○このところ地震保険の加入率が上がっている。東日本大震災(2011年)などの大地震があるたびに階段状に上がってきた。
 東日本大震災の年には全国で5.6%というそれまでにない伸びだった。なかでも被害が大きかった岩手、宮城、福島の各県では12〜18%も伸びた。地震保険が誕生したのは1966年。2年前の新潟地震がきっかけだった。
しかし地震保険には大きな制約がある。
・第一に損害額が受け取れる地震保険金となるわけではないことだ。
保険に入っていても、失った住宅や家財を元通りにはできない。これは支払額が火災保険の保険金額の30〜50%の範囲内しか出ないからだ。
地震で全焼してしまっても最大でも火災保険の半分しか支払われない。
・第二には居住住宅以外は対象外だ。工場や事務所などは保険でカバーされない。
また単独では入れない制約だ。地震保険は火災保険とセットにしないと加入出来ない。地震保険は当初、建物の補償限度は90万円まで、家財は60万円まで、それも全損のときだけ支払われる仕組みだった。
 また一回の地震での支払の総額は3000億円までで、もしそれを超えたら、それぞれの支払が減額される仕組みだった。これではいかにも低すぎるというので、その後段階的に引き上げられた。いまは建物は最大50%、補償限度は建物が5000万円まで、家財は1000万円までだ、そして保険金総額の上限が6兆2000億円になっている。これは想定される南海トラフ地震の被害を保険が支払う金額に相当するとされている。
 だが、これは西日本の2府21県の契約者についての想定にすぎず、もしこれを超えたら、支払は減額されてしまう。

○さらに問題がある。地域によって3倍以上もある保険料の不公平さである。
現在の地震保険は1等地から4等地までの4区域で保険料が違う。地域によって木造の家で3倍、木造ではないコンクリートなどの家では3.5倍の違いがある。 いちばん保険料が高い4等地になっているのは東京都、神奈川県、静岡県だ。
この地域差は将来の地震危険度の全国地図を勘案して作られている。
だが1985年に地震学者が作った地震危険度の地図では、その後に起きた阪神淡路大震災、鳥取県西部地震、芸予地震、新潟中越地震、新潟中越沖地震の地域はいずれも最も安全なところとされていた。
 地図は、歴史上分かっている地震のほか、活断層のうち活動度が分かっているものが起こす地震も入れてある。
 しかし最近のものも含めてこの種の地図は、将来、地震が起きるかどうかを見るためには信用できない地図なのだ。
 いまの地震学では将来の地震の予測は出来ない。地震保険は全国平均でまだ26%にすぎない。これはまだ問題が多いからなのだろう。
(3月14日『夕刊フジ』より)

.. 2014年03月27日 12:45   No.699003
++ 島村英紀 (高校生)…57回       
.「通電火災」も適用外、火災保険の問題点
 |  保険会社は目に見えないような小さい字で書かれた免責条項を
 |  都合よく拡大解釈
 |  地震保険だけでなく、火災保険にも問題あり!
 |  「警戒せよ! 生死を分ける地震の基礎知識」コラムその44
 └──── (地震学者)

○火災保険が地震には使えないことを知っている人は多い。
だが、阪神淡路大震災(1995年)のときに、延焼ではなくて9日もあとに発生した火事でも火災保険が下りなかったことを知っている人は少ない。
 阪神淡路大震災では、約290件もの出火があった。そして水道管が破損して水は出ず、消火能力をはるかに超えていたために火はその後何日も燃え続けた。燃えた総面積は約66万平米にもなってしまった。火災で被災した世帯は9300以上にもなったが、このほとんどは延焼による被災だった。
 消防庁の調べでは出火件数のうち、当日の出火が205件といちばん多かった。しかし当日ではなくて1日後のものが21件、さらに2日目以降9日目までの出火が58件もあった。
あとからの出火の多くは原因不明とされている。だが電力会社が送電を再開したために発火した「通電火災」もかなり含まれていたと考えられている。
 地震後、電力会社は一刻も早く復旧しようとする。そして住民が住んでいるいないにかかわらず、電力会社は区域ごとに一斉に通電する。
 電気を流したときに、スイッチが入ったままだった電気器具や、壊れたり押しつぶされていたストーブやレンジや、傷ついた電気配線から出火することがある。これが「通電火災」なのだ。米国でも地震のあとの多くの火災の原因になっている。
○しかしこれらに火災保険は下りなかった。
たとえ「地震後」の発火でも、被災者の要求に対してどの損保会社も火災保険金(や共済金)の支払いをしなかったのだ。
 損保会社が支払わなかった根拠は火災保険に「地震免責約款」があることだった。
この約款は虫眼鏡を使わないと読めないような小さい字で書いてある。そこには「(地震によって)延焼または拡大して生じた損害または傷害は除外する」とある。
 だがこの規定は、具体的にどんな場合がこれに当たり、どんな場合がこれに当たらないのか、はっきりしていないのだ。
 それゆえ、この地震免責条項は損保会社の判断で、損保会社の都合のいいように拡大解釈されることにもなりかねないのである。
 阪神淡路大震災のときにも「地震直後に火が出たのならともかく、何日もたったあとでの原因不明の出火なのに火災保険を支払わないのは納得がいかない」「損保会社は地震免責とそれ以外の火災の線引きをどこでするのか合理的に説明してほしい」といった不満が多くの被災者から上がった。
 しかし保険会社は明確な説明をせず、火災保険は一件も支払われなかった。
地震保険に入っている人はまだ少ないが、火災保険に加入している人は全国どこでもずっと多い。火災保険には問題があることをよく知っておくべきなのである。
(3月28日『夕刊フジ』より)

.. 2014年04月03日 08:12   No.699004
++ 島村英紀 (高校生)…58回       
目の前で大きくなる津波「大きな被害を生んできたV字型の海岸」
 |  東京湾の中で津波を発生させる地震が起きたら、沿岸には発電所や
 |  工場があり、たとえ小さな津波でも大被害を生む可能性が高い
 |  「警戒せよ! 生死を分ける地震の基礎知識」コラムその45
 └──── (地震学者)

○東日本大震災(2011年)のときに宮城県南三陸町の防災対策庁舎が津波に呑み込まれた。
この庁舎は高さ12メートルの3階建て。その屋上を2メートルも超える津波が襲ってきて、屋上に避難していた職員など多数が犠牲になってしまった。
高さ6メートルという当初の津波警報だったので内部で住民避難を放送で呼びかけていた職員も犠牲になった。

○ところで、はるか遠くの海からこの高さの津波が来たと思っていないだろうか。
「襲ってきた津波の高さ」は外洋での津波の高さではない。津波は眼の前で大きくなるものなのだ。
 岩手県釜石から約40-70キロ沖に実験的な海底津波計2台があった。ここで記録されたのは3メートルほどの津波だった。震源はさらに数十キロも先の深海だ。
 海底で地震断層が動いたときに、その上にある海水を動かすことによって津波が生まれる。こうして生まれた津波は沿岸に近づくにつれて大きくなる。
 水深5000メートルのところで発生した津波は水深10メートルのところに来ると8倍以上もの高さにもなる。
 それは海が浅くなるほど津波の速さが遅くなって、後から来た津波のエネルギーが前の津波に追いついてしまって集中するからだ。
 津波の速さは水深の平方根に比例する。水深が100分の1になれば津波の速度は10分の1になり、その分だけエネルギーが集中するのである。
 津波は沖では小さい。知らずに沖で魚を獲っていた漁船が港に帰ってみたら、村が全滅していた悲しい話もあった。

○ところで、沿岸を襲う津波の高さを増大させるのは水深だけではない。海岸の湾の形によっては、平らな海岸線よりは、はるかに津波が大きくなる。いちばん大きくなるのはV字型に凹んだ海岸だ。
 じつは三陸地方に多いリアス式海岸はこの形になっていることが多く、東日本大震災にかぎらず、過去たびたび大きな被害を生んできた。
 湾に入ってきた津波のエネルギーが先へ行って湾が狭くなるほど集中することによるもので、東日本大震災のときも、高さ40メートルを超える津波がV字型の湾の先で記録されている。
 V字型のつぎに大きくなるのがU字型の湾だ。これもV字型ほどではないが、津波を増幅してしまう。南三陸町はU字型の湾に面している。このため平らな海岸線のところよりもずっと大きな津波に襲われてしまったのだ。
 他方、フラスコのように湾口が狭くて中で拡がっている湾は、津波が入ってきても大きくなることはない。その意味では東京湾は安心だ。
 しかし、もし東京湾の中で津波を発生させる地震が起きたら話は別だ。沿岸に大都会があり、発電所や工場が沿岸にある東京湾は、たとえ小さな津波でも大被害を生む可能性が高いのである。(4月4日「夕刊フジ」より)

.. 2014年04月10日 08:46   No.699005
++ 島村英紀 (高校生)…59回       
繰り返す瀬戸内海下のプレートは不自然な曲がり方をしている!
 |  揺れが増幅、地盤の複雑構造
 |  恐ろしいのは「いざ」地震が起きるまではどう動くかわからないことだ
 |  「警戒せよ! 生死を分ける地震の基礎知識」コラムその46
 └──── (地震学者)

○さる3月14日に愛媛県沖の瀬戸内海でマグニチュード(M)6.2の地震があった。幸い死者は出なかったが、近隣の6県で21人の負傷者、半壊の家26軒が出た。震源は伊予灘と報じられた。愛媛県の北側だ。
 しかし私たち地震学者から見ると、これは地下80キロのところでフィリピン海プレートが起こした地震で、震源の上がたまたま瀬戸内海だったのにすぎない。
 この地震はいままでもくり返してきた。ひとつ前は2001年に起きた「芸予(げいよ)地震」でM6.7と大きかった。このため被害は広く8県に及んで死者2、家屋の全半壊は600棟を超えた。
 もうひとつ前の地震はもっと大きかった。1905年に起きた「明治芸予地震」はM7.2。11人の死者が出た。
 さらに前にも1857年、1686年、1649年に同じような地震が知られている。
 ここの地下では南海トラフから潜り込んだフィリピン海プレートが北北西に向かって深くなっていって、プレートの先端は瀬戸内海から中国地方の地下まで行っている。先端部の深さは地下100キロほどだ。
 地震がくり返している瀬戸内海の下あたりでプレートは不自然な曲がり方をしている。この曲がりが地震のくり返しに関係しているらしいが、なぜなのかは分かっていない。

○ところで私たち地震学者には2001年の芸予地震は地下の岩盤と地表との両方に地震計があってその差が分かったことで記憶されている。
 震源から60キロ離れていた広島市の北にある湯来町では、最大加速度が832ガルにも達した。400ガル以上は震度7相当なので、大変な加速度だった。
 一方、地下100メートルの基盤岩に設置してあった地震計では最大加速度は150ガルにしかすぎなかった。
 地盤のせいで地表では6倍近く、震度にして2階級以上も増えてしまったことになる。
 このように地表での地震の揺れは地下の岩の揺れよりもずっと大きくなる。広島だけではない。
 地盤による震動の増幅は皿に載せたこんにゃくを皿ごと振っているようなものだ。皿の動きより、上に載せたこんにゃくのほうがずっと揺れる。

○もっと複雑な「増幅」があったこともある。
 2009年8月に静岡県御前崎沖の駿河湾でM6.3の地震が起きて震度6弱を観測した。
近くにある中部電力の浜岡原発では5号機の原子炉建屋で488ガルを記録して原発は緊急停止した。耐震設計指針の基準値を超える加速度だった。数百メートルしか離れていないほかの原子炉よりも5号機だけが2倍も揺れたのだ。
 地震の後でボーリングなど詳しい調査が行われた。そして地下300-500メートルのところにレンズ状の軟らかい地層が見つかった。
 下から上がってくる地震波を、凸レンズが太陽の光を集めるように5号機に向かって集中させたのだった。
 地盤は地震の揺れを大きくする。そしてときには局所的にさらに大きくしてしまう。恐ろしいのは、地震が起きるまで分からないことがあることなのだ。
 (4月11日「夕刊フジ」より)

.. 2014年04月14日 08:21   No.699006
++ 島村英紀 (高校生)…60回       
気象庁の机で寝ていた津波の電報
 |  津波は地震よりも後から襲って来る。地震は不意打ちになる可能性が高いが、津波による人命の被 | 害だけは避けることができる  
| 「警戒せよ!生死を分ける地震の基礎知識」コラムその47
 └────  (地震学者)

 さる4月1日(現地時間)、南米チリの北部イキケ市の沖合100キロでマグニチュード(M)8.2の地震が起きた。
 翌日、日本でも津波注意報が出されて、北海道から八丈島にかけて10-60センチの津波が観測された。チリ沖で生まれた津波が、太平洋を横断してきたのだ。
 ハワイでも津波注意報が出た。津波が日本に来る前にハワイも通る。ハワイで警報を出したのは「太平洋津波警報センター」。米国の国立海洋大気圏局の傘下の組織だ。
 このセンターができたのは1949年。その3年前の1946年にアリューシャン列島のM8.1の地震から来た津波で4000キロ離れたハワイが大被害を受けたのを契機に作られた。
 この地震で震源に近いウニマク島で灯台が壊れて5人が流されたが、それ以外の地元の被害は限られていた。だがハワイの被害がずっと大きく、ハワイ島ヒロでは159人もが津波の犠牲になってしまった。誰も予想していなかった不意打ちだった。偶然の一致だがこの地震も4月1日に起きた。
 その後、1960年にチリ地震(M9.5)が起きた。現在までの世界最大の地震だ。
 この地震からの津波はやはり太平洋を越えた。地震から15時間後にハワイを襲った津波はヒロで高さ10メートルにも達して、ハワイで61人の犠牲者が出た。
 先々週のチリ沖の地震と同じように、この津波は地震後23時間で日本まで到達した。
 日本でも三陸海岸沿岸を中心に最大6メートルの津波が襲来し、142人の犠牲者を生んでしまった。建物の被害は46000軒、船舶の被害も2400隻に及んだ。
 じつは、このときにハワイの太平洋津波警報センターから日本の気象庁に津波の電報が届いていた。しかし、その電報は気象庁の係官の机の上で寝ていたのだ。
 大失態には違いない。だが津波が太平洋を越えて反対側を襲うことを当時は気象庁は知らなかったのだ。
 津波は逆方向でも太平洋を越える。東日本大震災のときには津波が日本からハワイを通って北米や南米の海岸に達した。
 地震の7時間後、津波がハワイに到達し、高さ2−3メートルに達して海岸のホテルのロビーが浸水した。米国の西海岸でもカリフォルニア州で死者1、港湾や船舶も被害を受けた。
 私の知人がそのときにたまたまハワイに観光に行っていた。海岸沿いの土産店にいたのだが、海岸通に次々に大型バスが来て、観光客をピストン輸送で高台に運んだのだという。その手際の良さは、津波の洗礼を何度も受けてきたハワイならではだった。
 津波は地震よりも後から襲って来る。地震は不意打ちになる可能性が高いが、津波による人命の被害だけは避けることができるはずのものなのだ。
           (4月18日『夕刊フジ』より)


.. 2014年04月22日 13:52   No.699007
++ 島村英紀 (高校生)…61回       
気象庁の机で寝ていた津波の電報
 |  津波は地震よりも後から襲って来る。地震は不意打ちになる可能性が高いが、津波による人命の被 | 害だけは避けることができる  
| 「警戒せよ!生死を分ける地震の基礎知識」コラムその47
 └────  (地震学者)

 さる4月1日(現地時間)、南米チリの北部イキケ市の沖合100キロでマグニチュード(M)8.2の地震が起きた。
 翌日、日本でも津波注意報が出されて、北海道から八丈島にかけて10-60センチの津波が観測された。チリ沖で生まれた津波が、太平洋を横断してきたのだ。
 ハワイでも津波注意報が出た。津波が日本に来る前にハワイも通る。ハワイで警報を出したのは「太平洋津波警報センター」。米国の国立海洋大気圏局の傘下の組織だ。
 このセンターができたのは1949年。その3年前の1946年にアリューシャン列島のM8.1の地震から来た津波で4000キロ離れたハワイが大被害を受けたのを契機に作られた。
 この地震で震源に近いウニマク島で灯台が壊れて5人が流されたが、それ以外の地元の被害は限られていた。だがハワイの被害がずっと大きく、ハワイ島ヒロでは159人もが津波の犠牲になってしまった。誰も予想していなかった不意打ちだった。偶然の一致だがこの地震も4月1日に起きた。
 その後、1960年にチリ地震(M9.5)が起きた。現在までの世界最大の地震だ。
 この地震からの津波はやはり太平洋を越えた。地震から15時間後にハワイを襲った津波はヒロで高さ10メートルにも達して、ハワイで61人の犠牲者が出た。

.. 2014年04月22日 14:02   No.699008
++ 島村英紀 (高校生)…62回       
地震による新幹線事故は運次第か
 |  JRがひそかに怖れていること
 |  「警戒せよ!生死を分ける地震の基礎知識」その48
 └──── (地震学者)

 地震による新幹線事故は運次第か
JRがひそかに怖れていることがある。地震による新幹線の大事故だ。
新幹線が開業してから今年で50年。この間、欧州では何度か大事故が起きたが、日本では人命にかかわるような事故は起きていない。
 いままでの最大の事故は2004年、新潟中越地震(マグニチュード6.8)での上越新幹線の脱線事故だった。
 走行中だった「とき325号」が脱線して傾いた。しかし幸い乗客乗員155人に死者も負傷者も出なかった。
 この「325号」は新潟県長岡駅に停車するために減速中で、フルスピードではなかった。そのうえいくつもの幸運が重なった。現場の上下線の間にある豪雪地帯にしかない排雪溝にはまり込んだまま滑走したことも、現場の線路がカーブしていなかったことも、現場が高架だったためにレールのすぐ脇がコンクリートだったことも、対向列車がなくて正面衝突をしなかったことも幸いだった。
 そしてこの新幹線が東北・上越新幹線の初代の「ボディーマウント構造」の車両だったために台車のギヤケースという部品と脱線した車輪がレールを挟み込んでくれたことも転覆をまぬがれた理由だった。
 じつは、これらの幸運よりもはるかに大きな「幸運」があった。地震が起きたのは10月23日17時56分。そのわずか3分前にはこの「325号」は長さ8624メートルの魚沼(うおぬま)トンネルをフルスピードで駆け抜けていたのであった。
 この地震で魚沼トンネル内はめちゃめちゃになった。レールの土台が25センチも飛び上がり、1メートル四方以上の巨大なコンクリートが壁から多数落ちたほか、トンネルの各所が崩壊していたのだ。もし地震がちょうど通過時に起きていたら、新幹線が巻きこまれて大事故になっていたことは間違いない。
 この魚沼トンネルは山を掘り抜いた「山岳トンネル」というものだ。阪神淡路大震災(1995年)では天井と床をコンクリートの柱で支えるトンネルが数カ所崩壊したが、それよりも地震に強いはずのトンネルだった。
 山岳トンネルでもいままでに地震で無事だったわけではない。関東地震(1923年)以来19もの山岳トンネルが壊れている。それが人命にかかわる大事故にならなかったのは、たまたま列車が通っていなかったからにすぎない。
 着工予定のリニア新幹線はその86%がトンネルだし、山陽新幹線も51%がトンネルだ。「魚沼トンネルの再来」がいつ起きるか分からないのである。
 だが危険はトンネルだけではない。阪神淡路大震災が起きたのは、新幹線が走り出す14分前の朝5時46分だった。地震には耐えるはずだった新幹線の鉄道橋がいくつか落ちたが、もし新幹線が走っていた時間帯だったら大事故になったに違いない。
 東日本大震災(2011年)でも新幹線が仙台近くで脱線した。これも運良く、乗客は乗っていない試運転中の列車だった。
 連載で書いてきたように日本のどこでも直下型地震が起きうる。
 また「緊急地震速報」は直下型地震では間に合わない。
 いままでは運が良かった。
 しかし、これからも運がいいとは限らない。  (4月25日『夕刊フジ』より)

.. 2014年04月28日 08:40   No.699009
++ 本経済新聞・共同通信 (幼稚園生)…1回       
魚の異常行動は地震の前触れ?
 |  高知県沖の太平洋で、普段はあまり見られない深海魚が、
 |  100匹以上の群れで捕獲
 └──── 山崎久隆(たんぽぽ舎)

 南海トラフの巨大地震が、いつか起きることが予想されている高知県沖の太平洋で、普段はあまり見られない深海魚が、100匹以上の群れで捕獲されました。
 地震前兆現象として、いろいろな計器類が異常を示したり生物の挙動が普段と異なったりする現象を「宏観異常現象」と言うことがあります。これもその一つなのかと話題になっているという記事です。
 しかしながら、地震の前に生物が異常な行動を取るかどうか、はっきりしていない場合も多く、そのメカニズムも分からないので、これが前兆現象と断定できるわけではありませんから、そういう情報として見ておく必要があります。

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室戸岬沖、網に深海魚105匹 専門家「海に異変か」

 高知県・室戸岬沖の定置網に22日、生態がほとんど分かっていない深海魚「ホテイエソ」が105匹入り込んでいるのが見つかり、うち1匹は生きた状態で捕獲された。21日にも9匹見つかったばかりで、専門家は「海に何らかの異変があったのでは」と指摘する。
 付近の海洋生物の生態を調べているNPO法人「日本ウミガメ協議会」(大阪)によると、網は地元漁師が沖合約2キロ、深さ約70メートル付近に仕掛けた。体長は10〜25センチくらい。生きている1匹は協議会が保管しているが、だいぶ弱っているという。
 深海魚に関する著作がある北海道大学の尼岡邦夫名誉教授(魚類学)は「深海魚は波の動きや水温の変化に敏感。生息域に何らかの異変があり、異常な動きをしたのかもしれない」と話した。(4月22日日より)

.. 2014年05月02日 13:00   No.699010


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