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■--礼華ニッポン
++ 島田守康 (部長)…209回          

久々に書店に行ったところ、作家・早瀬利之氏(74歳)の新刊書『靖国の杜の反省会』(芙蓉書房出版、定価1700円+税)を手に入れました。

新刊書と言っても、発行は昨年の8月15日で、表紙のリードにあるように「あの戦争の真実を知る11人が、8月15日深夜の靖国の杜に集まって本音で語り合ったとしたら」となっています。つまり、設定は架空だが、内容はすべて史料に裏付けられた事実である!というわけです。

そして、その11人の出席者とは、添付写真のとおりで、陸軍側から4名、海軍側から4名、外務省から1名、書記官長1名、そして司会進行役として緒方竹虎がいます。この中で注目されるのは、軍人はみな大将クラスなのに、一人だけ中将位の石原莞爾が加わっていることです。また他の人物が大東亜戦争の当事者なのに、石原莞爾のみは部外者という点が際立っています。

また、この架空円卓会議(平成8年、靖国神社の遊就館に参集)では、目次にあるように、日米開戦回避に向けての交渉話から始まっているのですが、この石原莞爾のみが一番遅れてやって来て、途中から加わっています。

この「反省会」の各人の発言内容は、参謀本部編『敗戦の記録』、東郷茂徳・外相の獄中手記『時代の一面』、参謀本部の『杉山メモ』、野村吉三郎「米国に使して」などの関係資料をもとにして構成したということですが、著者の早瀬氏は松井石根・大将と石原莞爾・中将の単行本をものにしているので、それらも加味されていることは、言うまでもありません。

話は緒方竹虎の司会で、各年代の結節点となった事件の真相について当事者の口から次々と明らかとなって来るのですが、問題が日米問題以前の満洲に及ぶと俄然、石原中将の発言が中心となり、実は「反省会」の中心人物がこの石原莞爾であることが次第に判ってきます。つまり本書の言わんとする核心部分は、石原莞爾の発言にすべて仮託されていることが判ります。

ここで各人の発言内容をご紹介することは不可能なので、日米開戦(1941年12月8日)に関しては、松井石根・大将に仮託された言葉、「わが国は――負ける戦を――ヒットラーにしばられてしまったな」に尽きると思います。これは、言うまでもなく、破竹の勢いのヒットラーにほだされて三国同盟を結び、米国と決定的な対立関係になったことを意味します。

それ以前の盧溝橋問題(1932年7月7日)では、石原中将に「不幸の始まりは土肥原・秦徳純協定だった」と語らせています。昭和10年(1935年)6月27日に結ばれたこの協定は、その直前6月10日に結ばれた梅津・何応欽協定より厳しく、中国側のメンツを潰し、反感を一層強めさせたことを指しています。

そして、もし本書の核心部分を一箇所だけご紹介するなら、迫水久常・書記官長の次の言葉ではないでしょうか?
 「当時、私は企画局の一課長で、御前会議の様子は義父から間接的に知りましたが、皆さん、なかでも海軍さんは、みごとに陛下を騙されましたな。12月1日といえば、戦隊は南下を始めておられたのに、日米開戦はないと言い続け、陛下や原議長、それに各大臣たちは、東條首相を除き、ほとんどの人が西の方を向いておられた。世紀の大罪ですぞ。いつから国の指導者たちは、平気で陛下を裏切るようになったのですか。国民には何も知らされず、むしろ敵視しておられた。国民イコール陛下の考えと同じですぞ。そいが、みごとに、こともあろうに御前会議でウソを並べる。
.. 2014年02月17日 08:49   No.692001

++ 礼華ニッポン (幼稚園生)…1回       
 誰であろう、永野軍令部長、ここにいる嶋田海軍大臣、伊藤軍令部次長、岡軍務局長、そして東條首相兼陸軍大臣の5名は、真珠湾攻撃を知っていた人たちでした。残念ながら東郷外相には知らされておりませんでしたね。皆モーニングコートを来て、みごとに陛下を裏切られた。陛下は最高統帥者ですぞ。これを何と心得ておられたんですか。
 大体、首相が陸軍大臣を兼務すること自体が独裁に近い。専任の陸軍大臣不在では、下の意見は通らない。これを専制陸軍と呼ばずに何と言えばよいか。ヒットラー並ではないですか。石原さんなど反対者は片っ端からクビにして、海軍の南進を推し進めて行ったではないですか! 大体、東條陸相が全てのガンのもとであった。海軍は対英米戦の訓練に入り、負け戦と知りながらほとんどの軍艦と空母、人材を海に沈め、日米戦を計画した海軍さんは生き永らえておられる。
 石原師団長がクビになったのは、東條陸相、武藤軍務局長の二人が大阪の会議室での中部師団長会議の席で、北守南進をやるという。石原さんは東條・武藤に反論したからですね」

本書の会話は、資料以外の部分でも想像力を巧みにしてよく出来ていると感心しますが、ただ、この「反省会」の解散の折、石原莞爾に語らせた次の言葉は不適切と思います。「……父兄、兄弟、親戚の人が祭られているのなら理解できるが、縁のない人が、総理以下揃ってくるのは、なんともいただけないな。英霊に失礼である。それよりも、国家理想をうち出して、国際的にも活躍して欲しいものだ。どれもこれも、今の政治家どもは顔も悪ければ、歩く姿勢も悪い」。

靖国神社参拝の是非については、いずれの機会に開陳したいと思っています。

(^-^)M・S

.. 2014年02月17日 09:13   No.692002
++ 島田守康 (部長)…210回       
最近の首相経験者のOB政治家3人に、私は「子どもユートピアン」と名付けたいと思っています。理由は、共通して現実からかけ離れた「観念論者」だからです。

第一の人物は、先だっての都知事選に立候補した細川護煕氏(76歳)で、「即原発廃止」を訴えました。それを言うからには細川家の全財産を使って、東電、否、全国の電力従業員の転職費用と生活保障を訴えるのかと思いきや、その発言もなく、また賛同者からもその費用の捻出を強要するのかと思いきや、それもなく、結局、「再生エネルギーの創出」次第、ということでした。事情通なら、、「再生エネルギーの創出」による他産業者の吸収など微々たるものであることは証明済みで、それは省力化で人材は不要だからです。

私が実見した「フリー(無限)エネルギー」の回転モーターは、それこそ、自動車の車輪に応用すれば、無限に電力を供給でき、理論的にはモーターが一家に一台あれば原発はおろか、既存の太陽光、風力、バイオマス、地熱発電なども必要なく全ての電力を半永久的に賄うことができます。こうした「革命的技術」はほかにも開発されていますが、どうして実用化されないか、それはもし実用化されれば、第二次、三次産業は殆んど消えてなくなり、すなわち大量の失業者を生み出すからです。その状態に経済、政治にどんな影響を及ぼすのか計り知れず、まさしく「文明の転換」の萌芽は持っているものの、余りに不可知の出来事に、誰も恐くて手を出せないのが現状なのです。

実は、かくいう私も「脱原発」主義者ですが、かつて、その促進に惹かれた者の一人として、物事は観念論では動かないことを実感したものです。添付のワード文書には、13年前の9・11同時多発テロ以前に、私が実見した日本人発明の新技術を紹介していますので、ご覧頂ければと存じます。

「原発は即無くなって欲しい」という細川氏の発言の中に、何ら転換の具体的プロセスの提示もなく、ただ原発従業員(東電3万6000人、全国12万人、下請はその倍以上 )に無責任に失業を迫る「邦人に対する思いやりの無さ」の幼児性ゆえに、私は細川氏に「子どもユートピアン」第一号と名付けるのです。

第二の人物は、村山富市氏(89歳)で、私は氏が会長を務めている日朝国交促進国民協会の機関誌をかつて担当していたのでよく判りますが、この人の「歴史認識」は高校教諭レベルでした。慰安婦に対する償い金「女性のためのアジア平和国民基金」を設けた時、「対象は日本人も?」と質問を受けた時、絶句して応えられませんでした。日本人の慰安婦は朝鮮人の2倍も居たのに……。氏の韓国人(朝鮮人)に対する認識は周辺部でのいじめ体験に基づいているようですが、その認識は「可哀想」レベルで、朝鮮半島の歴史をよく学習すれば、併合の事実が、韓国(朝鮮人)の一部の国粋主義者たちが言っているような悪辣なものでなかったことは明らかです。

氏は明治大学在学中の学徒出陣グループですが、外地での戦場経験の無さが歴史認識の狭さに決定的に繋がっていると断言できます。また自分が慰安婦の火付け役になっていながら、今日、大火に拡大してしまったことに全く無頓着な態度にも呆れます。首相発言と行動の重みを知らない「邦人に対する思いやりの無さ」の幼児性ゆえに、私は村山氏に「子どもユートピアン」第二号と名付けるのです。


.. 2014年02月21日 09:12   No.692003
++ 島田守康 (部長)…211回       
第三の人物は、鳩山由紀夫氏(67歳)です。この人物は「南京大虐殺記念館」に行って、頭をペコペコと垂れていますが、これまた首相発言と行動の重みを知らない「ノーテンキ」ものです。氏は、昭和12年(1937年)8月の上海から12月の南京までの日本兵の犠牲者は一人も居なかったと思っているのでしょうか? 南京戦につながる第二次上海事変では日本将兵の死傷者は約4万人(うち1万人が戦死)、南京戦では1万人(うち6000人が戦死)が犠牲になっています。もし相手方の墓参に行くなら、かつて日本将兵が両軍兵士の慰霊を行なってきたように、少なくとも両方同時に墓参に行くのが筋で、「邦人に対する思いやりの無さ」の幼児性ゆえに、私は鳩山氏に「子どもユートピアン」第三号と名付けるのです。

「同胞愛」の無い者が、「友愛」という曖昧模糊とした自己満足の観念で、人の心にコミュニケートできると思ったら大間違いです。毎月、親から子供手当を1500万円もらっていた平々凡々に、死活問題として争った領土の真の確執問題なぞ、頭の片隅に無いことは明らかです。単に人気取りのパフォーマンスです。

欄外に、加藤紘一氏(74歳)が居ますが、石原莞爾将軍とは遠い縁戚筋にありながら、「郷土人に対する思いやりの無さ」に呆れています。私が10年前にインタビューしたことがキッカケで、同じ選出国会議員の武田邦太郎氏との「定期的話し合い」がもたれたのですが、ついぞ、「悪しき石原莞爾」観が変わったという報告は受けませんでした。「すべては日本軍人が悪うござんした」という「邦人に対する思いやりの無さ」の幼児性は、上記三者と共通したものを持っています。

ともあれ、今回ご紹介した4人の“老害”OB政治家は、共通して「日本国民の声を代表している」と強弁していることです。自分が「日本国民から見放された人物」であることも知らず、ただただ、お目出度い人間というほかありません。

(^-^)M・S

.. 2014年02月21日 09:22   No.692004
++ 島田守康 (部長)…212回       
「従軍慰安婦」問題に関して、先週20日、「河野談話」を発表した際の事務方のトップだった石原信雄・元官房副長官(87歳)に対する証人喚問が行なわれました。

この席で、石原氏は「事実関係の裏付け調査は行なっていない」と証言したことから、安倍政権は「すり合わせの実態解明をしたい」と政府検証チームをつくることに決定しました。また氏は、「全体の作業は韓国側の善意を信頼して行なったが、現在では裏切られて大変残念だ」とも述べています。

「日本側の善意」と中韓の裏切り――、このパターンは安易な政治的妥協をすると、とんでもないシッペ返しを喰らうという日本人の外交認識の甘さを露呈していますが、宮沢喜一内閣で閣議決定したものでもない一官房長官の河野洋平談話が独り歩きして、今では歴代内閣の見解をしばり、海外から澎湃たる対日攻撃の格好の材料にされている以上、「河野談話」の成立過程を徹底的に調べて上げて、廃棄・新談話に導き慰安婦像の撤去を求めることは正道と思います。

村山富市・元首相は「河野談話について事実があったかなかったを今更あげつらって何の意味があるのか」と語りましたが、「事実」の検証が無く、「虚構」が妖怪のように独り歩きしてしまった根源は、まさしくこうした非科学的な思考と態度にあります。始末が悪いのは自分が正義感で「普遍的人道」と妄信していることです。

ところで私は12年前、この石原信雄・元官房副長官の本づくりに参画させて頂いたことがあります。それは全国の市町村合併を促進するための宣伝本『市町村合併成功の秘訣』(日本法制学会、定価1800円+税)で、氏自身が合併を推進する方々にインタビューしていくスタイルで、編集者として私が同行させて頂いたものです。

お客様は、日本青年会議所会頭、総務省自治行政局長、埼玉県与野市長、兵庫県篠山市長、新潟県新潟市長でしたが、代表格は日本商工会議所17代会頭の山口信夫氏でした。

今日、この山口氏の言葉で特に印象に残っているのは、「日本は今ある3000余の自治体を3分の1くらいに急いでコンパクトな効率的な地方自治体に作り上げないと、今後台頭してくる中国に対応できない」という言葉でした。当時、まだ中国の脅威を直接感じていない時期だっただけに、妙に私の心に残ったのですが、後日、山口氏のプロフィールを知るにつけ、発言の真意を感じ取ることができました。

山口氏は、終戦の年の6月に陸軍士官学校(58期)を1146人中、首席で卒業した軍人で、少尉として平壌へ出征したところソ連軍に捕まり、モスクワに近いタタール共和国に送られ、そこで3年間もの厳しい抑留生活を経験していたのでした。話の中身は、それこそ“憂国の情”に満ちていました。全国防衛協会連合会会長をされていたことも、これで頷けます。

日本商工会議所(千代田区丸の内)の会頭室は、同じフロアに警備室が設けられている特殊構造で、インタビュー当日は応接室に部下の役員が4〜5名同席するという「大名接見」でしたが、人物としての風格を感じました。千人のパーティーでの挨拶でも、その後の会頭(現在19代)と比べると格の違いが歴然でした。

山口氏は4年前に86歳でお亡くなりになりましたが、今ではこうした大人物(最後の軍人エリート)にお目にかかれたことはラッキーだったと思っています。

(^-^)M・S

.. 2014年03月03日 11:03   No.692005
++ 島田守康 (部長)…213回       
中韓の攻撃の材料となっている従軍慰安婦、靖国問題ですが、火付け役のマスコミの姿勢を見逃すわけには行きません。特に主犯である朝日新聞社は、今になっても「反省」と「出直し」には無縁のようです。

従軍慰安婦問題の同社の最初の記事は平成3年(1991年)8月に出て、その翌年7月の加藤紘一談話、そしてその翌年8月に「河野談話」が発表され、さらにその2年後(平成7年、1995年8月15日)に「村山談話」が出たという流れですが、朝日新聞社は事あるごとに「日本の罪状」キャンペーンを繰り広げ、今日に至っています。

この度のNHKの新会長・籾井勝人氏(70歳)に対して朝日の政治部記者がしつこくこの問題に質問を浴びせるというように、強引に自陣に引きずり込む醜い姿が見受けられました。新内閣が誕生した時、いつも新閣僚にマスコミを代表して靖国参拝をあたかも「キリシタンの踏み絵」のように迫る朝日記者の姿は、私はいつも気になっていましたが、もはや傲岸無礼な朝日新聞の姿勢を厳しく問わねばなりません。

というのも、朝日の記事はニューヨーク・タイムズや東亜日報、それに人民日報と直につながっており、その朝日の「歪んだ」記事が中、韓、米の3国の世論作りに貢献しているからです。ニューヨーク・タイムズは近く、中国に買収されると言われていますが、因みにニューヨーク・タイムズの東京支社も東亜日報の東京支社も同じ朝日新聞社内にあります。

実は、私は長らく朝日新聞の愛読者でしたが、平成13年(2001年)の北朝鮮の武装工作船によるロケットランチャー発射事件の際、朝日だけが写真を掲載しなかったことをキッカケに、産経新聞に切り替えました。戦闘行為を実施した「武装工作船」なのに「不審船」「偽装工作船」という名称を依然使い続けたことにも怒りを感じたものです。事実を重視せず、映像さえも恣意的にカットする姿勢、即ち「国益」が欠落した朝日の報道姿勢に私は決別したのです。

よく考えてみると、朝日新聞の有楽町にあった旧社屋は、関東大震災直後の昭和2年(1927年)に竣工しましたが、これは航空母艦を模したものでした。私は社会人スタートの1年間を、ここ有楽町で過ごしたのでこの姿はよく覚えています。そしてご承知のように、朝日の社旗は旧海軍と現海上自衛隊の艦旗と同じ旭日旗を模したもので、まさしく当時の朝日の社屋も社旗も「陽光輝くニッポン」の新時代を告げるモダンな象徴でした。


.. 2014年03月05日 10:54   No.692006
++ 島田守康 (部長)…214回       
戦前は当然のことながら社論は国家と同一歩調を取ったものの、しかし社風はリベラルで、緒方竹虎が主筆(情報局総裁、戦後は自由党総裁)で居た時には石原莞爾将軍への賛同記者が多く存在したのも一つの特徴でした。しかし戦後は一転、戦前を絶対悪視する「左翼記者」の巣窟となり、今日では「政権攻撃の先兵」となり果てています。

一体いつから「何様のつもり」になったのか、さらなる検証が必要ですが、労働組合が強かった毎日、東京新聞なども似たり寄ったりで、「マスコミ貴(奇)族」と化して国益を棄損し続けていることだけは間違いありません。

慰安婦像の碑文には「日本軍が性的奴隷(Sexual Slavery)にするため20万人を超える少女を強制動員した。日本軍が行なった卑劣な犯罪は必ず認められるべきで、絶対に忘れられない」と書かれているそうですが、この「20万人」という数字は南京事件の当初の数字とも一致し、虚構の世界の奇妙な一致を見せています。

いずれにしても、大火に導いた「放火犯」朝日新聞社は、猛省し一転して「消防士」として働かなければ国家と国民の名誉を汚した「国家大逆」の罪は永劫に拭い切れないでしょう。

今後の朝日新聞社の出方に注目です。

(^-^)M・S

.. 2014年03月05日 11:04   No.692007


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