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■--礼華ニッポン
++ 島田守康 (部長)…199回          

メール年賀状以来の今年初の配信となります。ご無沙汰の原因は「闘病生活」にあるのですが、これについては改めてご報告するとして、今回、都知事選の候補者が出そろったので、このうち、直接お目にかかったことのある人物について、若干コメントしたくなりました。

まず、細川護煕・元首相ですが、20年前の日本新党の大勝利で、側近に石研の武田邦太郎・参議院議員(当時81歳、享年99歳)が居られたこともあり、そのパーティーでお目にかかりました。池袋で開かれた「祝勝会」の席上、細川党首は「誰に頼まれようと首相などなりたくない」と語っていましたが、翌日から4〜5日の雲隠れの後、突如「天命が下った」として首相職を引き受けました。

私はその身代わりの余りの早さに驚いたものですが、政治の世界はそのようなものかと独り合点したものの、その細川政権はわずか8ヵ月余で退陣しました。表向きは佐川急便からの献金問題とされますが、実際は裏で操っていた小沢一郎に対する嫌気が原因でした。

その根気の無さの原因は、すでに石原莞爾将軍が指摘していました。「皇族方を信じ過ぎてはいかん。皇族方は、大事を命がけでやるような教育は受けていない。当てにすると、とんだ思い違いになるぞ。心しておくことだ」と。この言葉は、昭和12年(1937年)7月7日の盧溝橋事変時、その停戦協定に蒋介石との直談判の提案をしたにも拘わらず、腰砕けとなった近衛文麿・首相と、昭和20年(1945年)4月6日、小磯国昭内閣の倒壊後の危急存亡時、首相職を引き受けるよう懇請した東久邇宮稔彦王(本土防衛司令官、陸軍大将)が拒絶したことを語っています。

近衛文麿公の孫の細川護煕氏(76歳)が、「優柔不断」「粘りの無さ」のDNAを引き継いでいることは、上記の一件で証明済みで、今回は「祖父の失敗を学んでの一大決心」とのことですが、国政レベルの原発問題を都政に持ち込むとはピント外れも甚だしいものがあります。小泉純一郎・元首相の「一点突破」に担がれ、「野党再編の突破口」との目論みもあるようですが、一時的な浮動票のかき集めで、何ら持続的な力には成り得ないと私は思っています。

静岡県の湯河原に隠棲していた細川氏にある日、私は電話を入れたことがあります。細川氏は首相経験者としては初めて民間会社のコマーシャルに新聞、TVに出たからです。それはファンケルの「発芽玄米」の宣伝で、自分が陶芸をする姿を映し出していました。その直前まで、私は読売・日本テレビ文化センターの特別講師をしており、その講義内容は同じ「発芽玄米」でした。国民体力向上の観点からも、コメ自給率の向上の観点からも共通点が多いと思ってのことで、しかも私は『米は真実という名のシンボルマーク』という本を出したばかりで、それも手渡したく、しかし秘書を通じての返事は「政界から一切身を引いた者として一切の取材を受けるつもりはない」というものでした。

.. 2014年01月16日 11:18   No.679001

++ 島田守康 (部長)…200回       
その細川氏が、いつから隠遁生活を脱して政界復帰を目指したのか、民主党の野田内閣あたりからと言われますが、前言の軽さはこれまた証明済みです。出馬の場違いに加えて、自分の年齢の認識にも甘さがあります。魑魅魍魎(ちみもうりょう)の集まりである都議会での答弁やスケジュールは半端ではなく、体力勝負の知事職に堪えられるわけもありません。

もう一人の田母神俊雄・元航空幕僚長(65歳)ですが、この方には4年前、日本会議中野支部の会合でお目にかかりました。『永久平和』第105号(平成21年2月発行)で中山隆志・元陸将補にインタビューした際、その主要テーマが「田母神論文」だったことと、さらに次号では「“田母神論文お粗末”批判を検証する」論文を載せた関係もあり、このニ誌を田母神氏に直接、手渡しました。彼は強面(こわもて)の主張と違ってユーモアを解する面白人物でもありますが、知事職というよりは副知事職として防災・テロ対策に専念させたら良いと思います。

もう一人のドクター・中松氏(85歳)についてはかつて触れたので割愛し、今回の候補者を一瞥するに、「脱原発の方向性は同じ」としつつ、@オリンピックの成功、A防災対策、B高齢福祉対策の三本柱を挙げている舛添要一氏(65歳)が、最も相応しいと思います。彼に私は一度も面識はありませんが、きっと都民も彼を選ぶのではないでしょうか?

(^-^)M・S

.. 2014年01月16日 11:24   No.679002
++ 島田守康 (部長)…201回       
本日、石研の機関誌『永久平和』が発行されましたので、巻頭言と編集後記をお送り致します。

今号の特集は、武田邦太郎・最高顧問(元参議院議員、享年99歳)への最終インタビュー記事です。今回の登場者は、木村武雄氏(田中内閣の建設大臣)、高木清寿氏(石原将軍の側近、元報知新聞記者)、田村眞作氏(元朝日新聞記者)、蓮見喜一郎博士(石原将軍の主治医)です。
 
そのほか、石原将軍と関わった11名への寸評や、自らが農政問題で関わった田中角栄・元首相についても語られています。

投稿欄では、北海道の病院の泌尿器科部長から、元泌尿器科クリニックの院長で石原将軍の『壮絶闘病録』を著された樋口正士(まさひと)博士の著書への読後感が送られて来ました。

最近のマスコミで石原将軍を取り上げたのは、産経抄です。先ごろ亡くなられた小野田寛郎氏(91歳)に関して、小野田氏(発見時、少尉、52歳)は帰国20年後の回想録で、「日本は本土決戦に負け、占領されていても、満州(現中国東北部)の80万の兵力を背景に(中国国民政府の)蒋介石らと結び反撃、米国世論を厭戦(えんせん)に導いている」と語っていたと言います。すなわち、「小野田少尉も、石原莞爾の米国との“最終戦争”に影響されていたような気がしてならない」というものです。

もし、この小野田少尉のこの言葉が本当なら、それはまさしく石原思想の影響が大と思われますが、事実は石原将軍が満洲不在時に起きたノモンハン事件(昭和14年、1939年5月〜9月の敗北)により、日本の国策は「北進」から「南進」へと大きく舵を切り、この国策の大転換は極秘とされて一般国民、将兵には全く知らされていなかったものです。また、石原将軍と蒋介石側との連絡も、民間人を通じての細い一本にパイプに過ぎず、大勢に影響を及ぼすようなものではありませんでした。

日本の敗色濃厚の中、小野田氏のように、学徒出陣と同様、20歳で入隊、中野学校で軍人精神を叩き込まれ、「任務全う」を純粋に信じた若者は少なからず、こうした無数の純粋・無垢な若人の報国精神と犠牲の上に今日の私たちがあることを忘れてはならないと思います。

.. 2014年01月24日 21:48   No.679003
++ 島田守康 (部長)…202回       
ワシントン・ポスト紙も、「彼は戦争が引き起こした破壊的状況から、経済大国へと移行した日本にとって骨董のような存在になっていた忍耐、恭順、犠牲といった戦前の価値を体現した人物だった」とし、「多くの軍人は処刑への恐怖から潜伏生活を続けたが、小野田は任務に忠実であり続けたがゆえに(多くの人々の)心を揺さぶった」と論評しています。

小野田少尉の「不撓不屈」そのものの峻厳な顔つき、敬礼の凛々しさ、美しさは、戦前の日本将兵が持っていた美徳の一端を如実に表わしていると思います。晩年の幸福そうな柔和な表情は、一時は日本を離れたものの救いの笑顔です。

(^-^)M・S

.. 2014年01月24日 21:58   No.679004
++ 島田守康 (部長)…203回       
つい先日、わが石研の福岡市在住の樋口正士(まさひと)医学博士から、最新刊書が送られて来ました。

樋口博士は、今までに『石原莞爾将帥見聞記 ――達観した生涯の陰の壮絶闘病録』(原人舎、送料込2000円)と『芳澤謙吉 ――波乱の生涯 日本の命運をになって活躍した外交官』(グッドタイム出版、定価2000円+税)の二著を出されておりますが、今回のタイトルは『下剋上大元帥 「張作霖爆殺事件」』(グッドタイム出版、定価1500円+税)です。昭和3年(1928年)6月4日に起きた事件の全貌を多角的な資料を駆使して検証しています。

同事件の真相については、すでに河本大作・陸軍大佐(1883年〜1955年、太原収容所にて病死、享年72歳)が、14年間も生活を共にした義弟に語ったとされる告白録『河本大作の私記 ――私が張作霖を殺した』(月刊『文藝春秋』、1954年12月号)に大方語り尽くされ、「個人犯行・関東軍説」が常識化しています。

しかし、樋口博士は東京裁判では「張作霖爆殺事件から敗戦までを審議する」と言いながら、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)側の特にソ連と中国側が所在が明らかな河本大佐と張作霖の長男=張学良の当事者二人の召還をしなかったことを始め数々の疑念を提出しています。

その他の具体例として、@軍法会議の不開催、A爆破後の死亡確認の不徹底、Bトドメを刺す抜刀隊の突撃中止、C関東軍による奉天軍への攻撃命令の不発、などを挙げています。

また、この張作霖爆殺に関する画期的な見解として、樋口博士はイギリスの北京駐在公使ランプソンの公電や同国の極秘外交文書を紹介しています。「張作霖の死に関するメモ」によると、
一、ソ連は日本に劣らない満洲進出、開拓計画を持っていた
二、1927年4月の北京大使館襲撃以来、張作霖は長城の内側でも外側でも、自らの支配地でソ連に最も強硬に反抗してきた
三、ソ連は張作霖と日本を反目させ、間接的にソ連自身の計画を進展させたいと願った上でのことだった
四、満洲で張り合うソ連と日本の野望は、張作霖がある程度両国を争わせるようにした側面がある。ソ連も日本も権益保護のため開戦する覚悟は今のところないが、必然的に中国を犠牲にして何らかの暫定協定を結ぶことを望んでいる。従って、張作霖の強い個性と中国での権利を守ろうとする決意は、ソ連が満洲での野望を実現する上での一番の障害であった


.. 2014年01月28日 09:42   No.679005
++ 島田守康 (部長)…204回       
と記録されていると言います。このイギリス極秘情報は、今日、ロシア人の歴史作家ドミトリー・プロホロフ氏(52歳)によって「ソ連特務機関犯行説」が主張されています。むろん、この説を否定する論もあり、正否は確定していませんが、私は河本大佐の「個人犯行・関東軍説」はかなり確証の高いものと思っています。その理由は、現場写真の記録の計画性や、彼が分析した満洲情報と、次に赴任した石原莞爾・作戦参謀(中佐)の分析は極めて似ており、その正確な前情報とその後の経緯(1931年9月18日の柳条湖事件)とは、すんなりと移行して理解できると思うからです。

ともあれ、「謀略」が日常茶飯事であった当地に於いて、より抜きん出た「謀略」こそが正当性を主張できたわけで、今日の感覚で軽々に当時の事件を「断罪」する愚は避けたいものです。

驚くべきは、下剋上が常態であった中国大陸で、戦後「軍閥」が解体されて、今日、集団的騒乱が日常茶飯事(年間20万件以上、一日500件以上)であるにも拘わらず、22もある「省」とチベット、ウイグルなど5つある「自治区」が一度も本格的な独立戦争をせず、分離していないことです。

強権的な現中共政権を崩壊に導く、新たな下剋上大元帥の登場を願うほかありませんが、それが無理なら天安門事件に続く「市民革命」を願いたいものです。

なお、本書には人名や地名に細かくルビが付されて読みやすく、また関係図版も多数掲載されているのに、肝心の主役・張作霖(1875年〜1928年、享年53歳)の写真が掲載されていないことは、編集者の私にとってみれば、「うっかりミス」では済まされない失態かと思います。一代で奉天軍閥を築き上げ、中国東北地方に13年間も君臨した大元帥を、大陸人とは言え、今日の私たちは歴史の継承上、しっかりと脳裏に焼き付けたいものです。

(^-^)M・S

.. 2014年01月28日 09:48   No.679006
++ 島田守康 (部長)…205回       
前回の「張作霖爆殺」事件に関して、私の見解の基調となったのは、今から17年前に出た『This is 読売』(1997年11月号)中の河本大作・大佐の供述書です。

河本大佐は、爆殺事件後の翌年(昭和4年、1929年)には事件の関与を疑われ、停職処分や予備役に編入されますが、その後は満鉄の理事や満鉄炭鉱の理事長を務め、昭和18年(1943年)には山西省の且R西産業社長、戦後は同社の最高顧問として同地に残り続けます。ところが、1949年の中華人民共和国の成立と共に拘束され、収監先の太原収容所で1955年に病死します(享年72歳)。

罪状は、「中華民国軍に参加して日本軍国主義の復活を推し進めた」というものですが、口頭供述書は1950年〜53年にかけて尋問を受けた時のものです。身柄拘束下の「尋問」とは言え、彼への質問に誘導や供述内容に改ざんがあったとは、中国側の一部コメントの表記以外には特に認められません。

この供述書での重要な点は、@爆殺は関東軍の総意だった、A司令官をかばい、自分が首謀者に名乗り出た、B田中義一首相に張作霖から機密費が出ていた、という三点で、特にBに関しては私にとって初耳のものでした。

Bの具体的な内容とは、昭和2年(1927年)7月に開いた東方会議(出席者16人)での決定事項(張作霖軍約20万が満洲に引き揚げる際には武装解除する)が履行できなかったというもので、その主な理由は「田中義一首相兼外相が、張作霖の軍事顧問からワイロの金銭を受け取り、“宮中の某原因”を口実に奉勅命令を下達(かたつ)させないように遅延させた」からというものです。

関東軍は奉勅命令の下達を何度も求めるも、田中首相は曖昧な態度を取り続け、そうしているうち翌年の昭和3年(1928年)5月には張作霖軍5万が奉天に到着、山海関(大陸と東北部の国境線)には約25万がすでに集結して撤収を待つ段階となり、もし本格撤収が始まって一旦イザコザが起きれば、満鉄沿線約1000kmに及ぶ20万の日本人居留民は1万4千の関東軍ではとても守り切れない、と関東軍首脳のギリギリの「苦渋の決断」の下に6月4日決行されたというものです。

.. 2014年02月03日 12:25   No.679007
++ 島田守康 (部長)…206回       
この河本大佐の供述書を素直に読めば、爆殺決行に至る心情がよく理解でき、よって私は当時、「関東軍の独走・悪者」説に一石を投ずるべく、読売新聞の読者投稿欄に投書をしたのです。採用はされませんでしたが、この事件の主因は中央政界の腐敗・堕落にあり、内地と外地の離間も徳律の低下(敵側に懐柔される認識の甘さ)にあったと指摘しました。

ご承知のように、田中義一首相は昭和天皇から前言と後言の矛盾を叱責され、内閣総辞職後からわずか3ヵ月後に亡くなっています(1929年9月、享年65歳)。死因は叱責による狭心症の発作と言われますが、自殺説もあります。のちに暗殺される犬養 毅・首相も、張作霖と深い関係があったことが知られており、打ち続く青年将校らの決起の背景には、こうした既得権者の「決められない」政治、中央政界の腐敗と堕落があったことを再認識すべきです。

ところで、終戦直後、石原莞爾将軍(中将)は、ワイロを受け取った人物を新聞紙上で実名を挙げて糾弾しました。小磯国昭内閣の時、繆斌(ミョウヒン)工作に反対した人物として、重光 葵・外相と阿南惟幾・陸相を挙げ、特に「確認によると、重光は国民政府から、蒋介石との協定を行なわぬ約束の下に二千万円という莫大な金を貰っていた。聞けば後で返したとかの話もあったが、返したからよいでは済まされない」と昭和20年(1945年)11月3日付の読売報知新聞朝刊で語っています。

この二千万円という当時の金額が今日どれほどの巨額なのか判りませんが、この新聞記事を読んだ重光 葵が、2日後の11月5日にどうにかしてもらおうと笹川良一宛に怒りの手紙を送っていたことが知られており、詳細は『永久平和』第112号(2010年4月発行)に記載しています。

「外国からの金品で国を売る」バカな輩、売国奴が今後も出ないとは限らず、“金満”中国共産政権からの接触は要注意です。

先日、石研の保阪正康先生から主宰している『昭和史講座』の最新号が届けられました。表紙と巻頭言部分のみをご紹介します。

(^-^)M・S

.. 2014年02月03日 12:36   No.679008
++ 島田守康 (部長)…207回       
前回メールで、石原莞爾将軍(中将)が終戦直後、新聞紙上で暴露・糾弾した重光 葵・外相の中華民国政府から受けたワイロ事件ですが、戦前のこの“一大闇事件”を取り扱った史料は、現時点で私は見いだせていません。

ところで、受け取り金額の「2000万円」ですが、これが今日の値段に換算するといくらになるのか、読者のお一人から「400億円ほどでは」との教示がありました。

今日、この金額に近い数字で思い出すのが、一昨年の尖閣諸島の国有化に関して、中国側から350億円の提示があったことです。地権者への売却金額は結局、東京都の16億円の寄付金の算定から、民主党・野田内閣によって20億5000万円での決着となったわけですが、350億円とは確かに法外な金額です。

“金満”中国が、日本の文化財などを幅広く買い漁っていることはご承知のとおりで、実は5年前、私も知人から「中国人の依頼なのだが、売りに出されている療養施設を紹介して欲しい」と依頼がありました。「金額はいくらでも出すと言っているので、ぜひ紹介願いしたい」というものでした。

もちろん、私は中国と聞いて即、断わりましたが、3年前の佐渡島取材の際、案内してくれた地元の観光協会の人が、「島の頂上に自衛隊のレーダーサイトがあるのですが、あれを目視できるこの立派な建物は最近、中国人に売却された物件なのです。出入りの人物をまだ特定できておらず、正体不明の外国人に島の物件が渡るのは嫌なことですね」と語っていました。

この外国人の土地取得に関しては、昨年12月に自民党の「安全保障と土地法制に関する特命委員会」が、外国人による防衛施設周辺の土地取得を規制するための法案を今年の通常国会に提案する方針を決めましたが、その内容は規制前の不動産の実態調査を行なう法案であり、あくまで実態調査の法案に過ぎません。

韓国人の対馬買い、中国人の沖縄での米軍基地近くの土地取得、本土の水源地の確保など事はさらに進んでいると言われ、接待攻勢での防衛機密の流出も相変わらず心配の種です。彼らの動向は国内外問わず、要注意です。

(^-^)M・S

.. 2014年02月05日 09:48   No.679009
++ 島田守康 (部長)…208回       
今年初めてのUFO写真です。昨年のドイツと一昨年の中国の映像ですが、宇宙人が写っているのが特徴です。

リアルな宇宙人ですが、果たしてCGの創作なのか?、あなたの目でしかと確認して下さい。

日本では1月に沖縄で謎の光が観測されています。また宇宙では月面上に謎の物体が偶然に発見されています。

こうした「人智を超えた未知」には、限りない好奇心を掻き立てられますね。

(^-^)M・S

.. 2014年02月13日 08:27   No.679010


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