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テント日誌 11月6日(水)経産省前テントひろば 788日目 意思表示の高まりがある
○ テント前に座っていると何か顔をかすめるものがある。そのわずかの気配に振り向いてみると、木の葉(落ち葉)である。テントは木立に囲まれて背後だけみれば、あたかもどこかの山の裾野にでもあるかのような錯覚すら生じさせる。その木々が落ち葉を散らしているのだ。そういえば朝早くから、泊り番の人がその落ち葉の掃除をしていた。どこかの家の庭の落ち葉集めなら焼き芋くらいはできそうな量だ。せっかく、朝早くから掃除をしてもらったのだけれど、もう落ち葉がかなり溜まっている。落ち葉の掃除が日課となる季節なのだ。 まだ、少し早いが霞ヶ関一帯や日比谷公園などでの紅葉もはじまっている。テント周辺の光景も身体に馴染んできて愛着が生まれてきているところもあって不思議だ。人間は対象との関係の中にある存在で、対象を自分の身体の方に取り込んでいく存在である。自然を対象とし、自然との交流とはその身体化である。これを無意識も含めてやってきていて、自然のうちに自分の身体(存在)には対象が取り込まれ入っている。だから、対象の喪失や変化はとても過酷できついこととして現れる。時には心身の病をも生むのもそのためだ。この何気ない光景からでも人間と自然の関係を考えることができるが、原発事故が発生させた人間と自然の交流関係の破壊の過酷さ残酷さ想像できる。人々が長年にわたって関係を形成し、身体化してきた世界を原発事故破壊する。こうしたことについて東電や経産省の面々は考えたことがあるのか。朝まで生テレビの原発討論を見ていても感じたことだった。 ○ 前夜は久しぶりに鍋を囲んでテントは賑わった。国会で政府が特定秘密保護法案を出してきて緊張は増している。何かの集会・抗議・デモなどの意思表示が国会や霞が関では展開されはじめている。国会前では以前に僕らは座り込み等をやっていたが、そういう行動が展開される気配がある。こうした意思表示に出掛けてくる人が増えれば、テントも自然に賑わう。出掛けてきたついでに何処か近辺に飲みに出掛けるのもいいだろうが、テントに寄って欲しい。僕らは鍋などで歓迎するだろうし、お酒等を飲みながら歓談もできる。
.. 2013年11月11日 08:42 No.647001
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