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■--礼華ニッポン
++ 島田守康 (課長)…154回          

ホップの織田信長に続くステップ役が、ご承知のように豊臣秀吉です。今回は、秀吉についてご紹介します。

豊臣秀吉(1536/37〜1598年)は、尾張国愛知郡中村郷(現在の名古屋市中村区)で信長の足軽とも下層民出身とも言われます。

本能寺の変(1582年)による信長の死によって、突然手に入れた「天下」ですが、信長がすでに築いていた各藩の軍勢をよく束ね、その勢いを駆って「明国平定」の大陸侵攻作戦を敢行したことは、余りにも有名です。しかし、戦後、日本では文禄・慶長の役(1592〜98年)を「朝鮮出兵」という枠組みに限定した狭小化した捉え方が主流を占めています。

しかし、「大唐(明国)」「天竺(インド)」を平定してイスパニア(スペイン、ポルトガル)にまで至る世界戦略は、すでに信長が描いていたことで、そのため秀吉には「筑前守(佐賀県)」、光秀には「日向守(宮崎県)」という称号が与えられていました。これは単に九州に土地を与えることでなく、大陸侵攻作戦を睨んでの前布陣だったのです。

信長の死後、秀吉は、それを10年後実行に移します。天正20年(1592年)の毛利輝元宛書状には、「処女のごとき大明国を誅伐すべきは、山の卵を圧するがごとくあるべきものなり。ただに大明のみにあらず、いわんやまた天竺・南蛮かくのごとくあるべし」と語り、また同年の関白・豊臣秀次(秀吉の姉の子、養子24歳、のち秀吉の命により自害)宛の書状では、「高麗(李王朝)の留守に宮中を置き、3年後に天皇を北京に移し、その周辺に10カ国を進上し、秀次を大唐の関白に就け、北京周辺に100カ国を与え、またわれ自身は北京に入ったあと、天竺や南蛮までを射程に入れて、征服のために寧波(杭州湾の現寧波市、モンゴル襲来時の江南軍10万人の出撃地)に移る」と言明しています。

さらに、唐入り成就後の構想では、「天皇には新たに良仁親王か智仁親王を、関白には豊臣秀保か宇喜多秀家を。高麗は織田秀信(信長の孫、12歳)か宇喜多秀家に。九州は木下秀俊(小早川秀秋)に任せる」とも。さらに「明の次はわれの指示を待つことなく天竺を攻めよ」とも。かくて約16万人を動員する軍事行動が発令されたのです。
.. 2013年11月05日 09:00   No.641001

++ 島田守康 (課長)…155回       
戦況は、戦国時代の戦闘を経験してきた日本軍が当初、圧倒的な勝利を収め、対する明軍5万、李氏朝鮮軍 17万、義兵軍2万の計25万人は防戦一方で、多大の死傷者を出しています。日本兵の残虐さだけが強調される大陸侵攻作戦ですが、「奴隷の数は全国民の半数以上に達していて、日本軍に味方した朝鮮民衆の姿が多数あった」ことや、下記『明史・朝鮮伝』の記録にあるように、「豊臣秀吉による朝鮮出兵が開始されて以来7年、(明では)十万の将兵を喪失し、百万の兵糧を労費するも、中朝(明)と属国(朝鮮)に勝算は無く、ただ関白(豊臣秀吉)が死去するに至り乱禍は終息した」事実は、余り知られていません。もし秀吉の死がなくて第三次遠征が実施されていれば、どうなっていたか判らなかったのです。

両戦役における戦死者の数は明・朝鮮軍併せて数十万人、日本兵5万人以上と言われ、一番隊の小西行長軍は平壌まで、第二隊の加藤清正軍は満洲沿海部に沿って侵攻したものの、「これ以上は無理」と清正は秀吉に書状を送っています。寒さや食糧不足の飢えが進行を阻んだようです。

秀吉の死後は、参戦しなかった大老筆頭格の徳川家康(56歳)が実権を握って、この大陸遠征作戦に終止符が打たれるわけですが、江戸時代に秀吉の大陸政策を非難する論調が大勢を占めた中、本居宣長(1730年〜1801年)だけは「皇国の威光を大陸に広めた大偉業」と絶賛し、その理由として、二度の戦争によって、栄華を誇った唐よりも盤石とされた「大唐=明国(1368年〜1644年)」が急速に衰えて52年後に滅亡するキッカケを与えたことを挙げています。

さて、秀吉は天下統一の威光として、天正13年(1585年)に石山本願寺跡に大阪城(当時は「大坂城」)を築造しました。元和元年(1615年)の大坂夏の陣で豊臣氏の滅亡とともに天守閣は焼失、徳川時代になって再建されたものの寛文5年(1665年)、落雷によって再び焼失します。以来、大阪城は天守閣のないままでしたが、昭和6年(1931年)、当時の市長の呼びかけで市民らに寄付を募り、約150万円(現在の約750億円に相当)が集められて再建されました。

.. 2013年11月05日 17:52   No.641002
++ 島田守康 (課長)…156回       
266年ぶりに甦った天守閣は地上55m、5層8階、屋根には金の鯱鉾(ちゃちほこ)が燦然と輝いています。昭和20年(1945年)8月14日には米軍B29の猛爆撃を受けましたが、奇跡的に残りました(下記写真参照)。

ところで、「尾張名古屋は城で持つ」と詠われるように、秀吉も信長も家康も「尾張」国の出身なわけですが、特に信長は那古野城、現在の名古屋市中区の名古屋城で生誕したと言われます。その尾張国の居城中心地、現在の名古屋市の市章は「丸八」マークになっています。何故に「丸八」マークなのか、市のパンフレットから、その由来をご紹介しましょう。

市章が制定されたのは、明治40年(1907年)10月。制定に当たっては、一般公募したものの適当な図案がなく、専門家の議論百出の末、最終的には尾張徳川家の正式の家紋=葵巴(あおいともえ)紋の合印(あいじるし、略章)として用いられていた「丸八」マークを採用することにした。14代藩主の徳川慶勝が上京した際には、藩令で随伴の者に「丸八」マークの木札を腰に下げることが命じられ、同時に家臣の提灯に同様の紋を付けることも定められた。ではなぜ、尾張藩が「丸八」マークを用いるようになったのか。現在、下記の4つが理由として伝承されているが、定説はない。

@ 尾張八郡(尾張藩政下に置かれていた愛知・春日井・葉栗・丹羽・中島・海東・海西・知多の八郡)の八に由来する
A 尾張の片仮名表記である「オハリ」の「ハ」に由来する
B 尾張藩士・安部(または阿部)八兵衛(腰物奉行)が常用していた提灯の八の字に由来する
C 清和源氏の流れを汲む尾張藩が、先祖・八幡太郎義家の定紋である「向い鳩」を型どり、丸に八の字の紋を作ったことに由来する

以上の四つの説明の中で、私はCの鎌倉幕府の祖「八幡太郎義家(1039〜1106年、享年68歳)の家紋」説が最も有力と考えます。理由は、戦国時代の“三英傑”を輩出するほどの地域性、風土を持つ尾張は、それ以前からの長い「武」の伝統があってこそと思われるからです。また家紋の紋様が、次代に受け継がれるのは自然の流れ、だからです。現在、この「丸八」マークは名古屋市内のいたるところで目に付くわけですが、ここで、私は「日英同源」論の立場から、以下、書きかけの原稿の一部をご紹介したいと思います。

.. 2013年11月05日 18:12   No.641003
++ 島田守康 (課長)…157回       
「尾張」とは「終わり」、「Finale(フィナーレ)」の「∩」で、「∇」と同じ



 なお、ここで日本の歴史を振り返ってみると、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康など著名な戦国武将を輩出した名古屋の旧名「尾張」は、先述の孔雀(クジャク)の「尾の張り」、つまり扇の「∇(三角印)」のことを指している。孔雀(クジャク)、ことに朱雀(すざく)は古代中国では、青龍、百虎、玄武と並んで四神獣の一つに数えられ、尊崇の対象にされてきたが、孔雀が神獣たる所以(ゆえん)の一つは、「最高秘密」「Top secret(トップシークレット)」としての扇形「∇」を具有しているからにほかならない。

 「尾張」はまた、「終わり」に通じる。そして「終(つい)に」も通じる。「Final(ファイナル)」の「遂に」「最終的な」という意味合いと同時に、「対に」という「Pair(ペア)」の意味合いも含まれている。尾張徳川家の合印(あいじるし)と現在の 名古屋市 の市章が、ともに末広がりの「丸八」となっているのも、そのためである。

 その「Final(ファイナル)」の語源は、第四章で見たように、魚類などのヒレ状器官「Fin(フィン)」のことで、「(潜水艦の)水平舵」や「(飛行機などの)水平尾翼」を表わす。それらの形状は緩やかな湾曲を描いた「∩(アーチ)」型で、「Finale(フィナーレ)」「終局」の形が、これまた「八」や「△」や「∇」と同形であることがお分かりであろう。また「ヒレ」は、漢字では魚偏の「鰭」と書くが、陸上動物の「フィレ」と言えば、フランス語の「Filet」で、「牛や豚の背骨内側の左右にある脂肪の少ない上等の肉」のことである。こちらは背骨を中心に「八」型にくっついた様が、魚類の鰭「∩」と同じ物として意識されているのである。

 ともあれ、「尾張」から輩出した織田信長は六階七層の安土城の上から二番目(五階六層目)を「八角円堂」につくり、徳川家は豊臣秀吉より遥か以前の鎌倉幕府の祖「八幡太郎義家」の家紋「丸八」に倣い、徳川家康は東照宮の墓を「八角九重」に創り上げている(徳川家の墓は最後の15代将軍・慶喜を除いてみな「八角基壇」)。

.. 2013年11月05日 18:28   No.641004
++ 島田守康 (課長)…158回       
以上の文面だけでは、「何がなんだか判らない」と思いますが、要するに、「八」は「末広がり」と「和合」という吉祥の意味を持つと同時に、裏面では行き着くところバラバラの「ハメツ」「ハカイ」の「終わり」があることを暗示している、というものです。持論の究極像は追い追いご紹介することにして、もしかしたら名古屋でコーチン業が盛んになったのも、この孔雀に関係した長年の地名の磁力によるのかも知れません……。


なお、秀吉は死後(享年62歳)、京都東山にある阿弥陀ヶ峰に葬られて、豊国大明神として「豊国神社」が創建されました。しかし、大坂の陣の滅亡後は徳川家康によって廃絶され、方広寺(梵鐘の銘「国家安康」で戦のキッカケとなった)の大仏殿裏手に遷されましたが、明治新政府によって再興され、6年前には大阪城本丸南側の二の丸に豊臣秀吉公銅像(高さ5・2m)が建ちました。戦争に関わる人物の再評価には、300年近くもの歳月がかかるものなのですね。



(^-^)M・S

.. 2013年11月05日 19:02   No.641005
++ 島田守康 (課長)…159回       
AV女優・蒼井そら(29歳)さんの中国での活動は以前にご紹介しましたが、先日3日(日)、フジTVの「Mrサンデー」で彼女のことを詳しく紹介していました。

彼女は、その人気ぶりから「老師(先生)」とか「女神」と呼ばれて、その絶大なる存在感を示していました。彼女の中国語ツイッターのネットユーザーは今や1400万人を突破したとのことで、ネットでは断トツの日本人トップの有名人になっています。

ではなぜ、彼女は中国人にそんなにモテるのか? インタビューを受けた男性の一人は、「彼女は我々の教育現場から失われた習字も出来るし、我々の古き良き時代を思い出させてくれる人物だ」と語っていました。

墨書と言えば、私はお目にかかった李志綏(リ・ズィスイ)博士(毛沢東主席の主治医)が、お土産品に持参された「藝海」と大書された自筆墨書を思い出しますが、その書体の野太く、かつ流麗な美しさ、立派さに、この時、「文字だけは中国に敵わないな」と思ったものです。しかし、その数年後、中国での書道大会で日本人がチャンピョンに輝いたというニュースを耳にして、こんなに早く逆転現象が起きるものなのか、と目と耳を疑ったものです。

決して上手とは言えない彼女の書が約1000万円もの値段で落札される中国の異常な経済のバブルさと共に、伝統教育の欠落という負の二面性を思い知らされたわけですが、毛沢東を批判した李博士でさえ、「彼の詩作だけは優れていた」と述べています。実際の書体はと見ると、ものすごく女性的な草書体で、あの体格と広大な中国全土を初めて治めた「皇帝」とはとても思えない、超意外な繊細さぶりです。

さて、例の反日デモのスローガンに使われた「釣魚島是中国的、蒼井空是世界的」ですが、これは中国のメディアを統括する国家広播電影電視総局(略称、「広電総局」)が昨年4月、低俗なイメージやスキャンダル絡みの芸能人の出演制限令を出し、その主要ターゲットにされた彼女は以後TV出演できなくなったそうです。

.. 2013年11月06日 15:50   No.641006
++ 島田守康 (課長)…160回       
これに反発したファンが、広州で行なわれた4月17日のサッカーの日中の試合(アジアチャンピオンズリーグ、広州恒大vs柏レイソル)で、初めて下記の横断幕を出し、それが全国的に広がったようです。最初に掲げられた後半スローガンは「蒼井空是大家族的(みんなのもの)」だったことが判ります。

TV出演を禁止された蒼井そらさんは今年7月、チャイナ服で新曲のイベントを北京で開きましたが、ファンによる前半の「釣魚島是中国的(釣魚島は中国のもの)」は共産党政権に対する合法的なアピール、後半の「蒼井空是世界的(蒼井そらは世界のもの)」は広電総局に対する情報制限撤廃へのアピールだったわけです。

前半の「建前」と後半の「本音」が折り混ざったこのスローガンに、日本のマスコミは当時、石原発言に反発して「スポーツの世界にまで反日運動が拡散」と報じたのですが、実はこれはともに国内向けに発せられた内容だったわけで、また娯楽のスポーツから最も監視の目をかいくぐってアピールしやすかったわけです。

ところで、気になる写真があります。蒼井そらさんが「釣魚島是中国的」と掲げる写真がネットに出ていることです。「そら見ろ、やっぱり中国寄りなのだ」「当局に買収されたバイタ(売女)め」と思わせる写真ですが、この即断した見方にはちよっと注意が必要かも知れません。というのも、彼女は当初、日中双方に偏ることなく発信してきたようですが、こと釣魚島問題ではネットユーザーからバッシングを受けて、「日中友好」という表記も「中日友好」と変えざるを得なくされたとのことです。

もしかしたら、このスローガンを全国に広めようとしたネット有志が、昨年の「9・18(満洲事変勃発日)」の反日国策大イベントを前に、彼女が「釣魚島是中国的」を是認しない限り、後半の「蒼井空是世界的」をアピールできないため、彼らが彼女に懇請したのかも知れません。記念日直前の撮影日「9・14」と「速報」が、それを暗示しているかのようです。

もし、有志の彼らが前半のスローガンなしに後半だけをアピールした場合、当然のことながら当局の取り締まりの対象になるでしょうし、その時、彼らも彼女自身も反体制の扇動罪として申し開きが出来なくて、ブタ箱入りが懸念されたでしょう。真偽のほどは、もう少し様子を見ないと判断できませんが、ともかく現政権が「釣魚島是中国的」と狂信的に国内外国人に「踏み絵」を課していることが、問題の発生源となっています。

こうした「偽りで恥知らずな道徳」で重罪を犯している当局に、「謀反を起こしたがっている」彼らの運動に注目しつつ、私は余人の追随を許さないスーパースター・蒼井そらさんの動向に今後も目が離せません。天安門事件では倒された「自由の女神」像ですが、彼女は今や「生きた自由の女神」になっているようですから……。

(^-^)M・S

.. 2013年11月06日 16:00   No.641007
++ 島田守康 (課長)…161回       
スーパースター、蒼井そら(29歳)さんの続きです。彼女の中国での人気は、ツイッターを始めた3年前からということで、まさしく超爆発的人気です。

その魅力は何なのか? それは「童顔で巨乳」、それに「童心」、さらに「いつも笑顔」「スタイル抜群」の五拍子が揃ってのことのようです。「童心」とは、例えば、ツイッターでの次のような言葉が、ユーザーの心をつかんだようです。

「たとえAV女優でも、たとえ浪人生でも、たとえニートでも、どんな職業だろうと自分の思いがあるなら、人が否定するような自分でも、真っ直ぐな自分でありたいと思う」
「私は生きるために、カメラの前で服を脱いでいる。服をきちんと着ているあなたは、個人の欲望と人をだますためにカメラの前に立っている」
「私は日本人だからという気持ちは特に持っていない。あなた達と同じ人間ですとしか思っていない。国という感覚を考えたこともない。なんでこんな感じ(大人気)になったのか自分でも分からない」
「AVは人から下に見られることが多い業界だから、ツイッターで祭り上げられたからといって図に乗りたくはない。でも海を越えた交流ができることは素晴らしい。一緒に頑張ろう!一起加油!」
……

こうした彼女のウソ偽りのない素の自然体、それもコスモポリタン的な言葉が、AV所持、ポルノ放映禁止の情報鎖国下のユーザーには、「彼女は我が国の多くの芸能人、役人よりも素直で勤勉だ」と受け取らしめているものと思います。

“人気絶頂”の彼女ですが、来週の11日には三十路(みそじ、30歳)を迎えます。AV界では引退の限界線で、今後は歌手、女優業に転身して行くものと思いますが、下記「日中友好の4大女性(李香蘭こと山口淑子・山口百恵・酒井法子)」の記事の中では、やはり断トツではないかと思います。なにしろ、彼女の人気は、これでもまだまだ「発展途上」にあって、着地点は全く見えていないからです。山口淑子の中国語は中国人も日本人と判らなかったほどの実力があったようですが、蒼井そらさんのはたどたどしくても愛嬌があって、それがまた受けの素材になっているようです。

ユーザーの一人は、「今後、空ちゃん以上の人気
日本女性は絶対に現われないだろう」と語っていますが、先月の中国のネット投票で、気になるニュースがありました。何と、日本人の好きなAV女優で、蒼井そらさんは第4位だったとのこと。他の女優はどんな人なのか、小生も検索してみました。今後、中国の若者と話をする機会がある時に、共通話題のためにも必須の情報ですからね。

日頃お疲れの男性諸氏も、この際、中国若者の好みの傾向を知る一助に、とっくりとご堪能あれ。

画像は、空ちゃんから順に、一位の波多野結衣さん(25)、2位の吉沢明歩さん(29)、3位の松島かえでさん(30)と各2枚ずつ添付しました。

(^-^)M・S

.. 2013年11月08日 09:53   No.641008
++ 島田守康 (課長)…162回       
昨日、日台稲門会(会長、岩永康久・早大オープン教育センター講師、68歳)の秋季講演会&懇親会が、キャンパス22号館で開かれました(参加者、約100名)。

今回の演者は、台湾の『自由時報』東京支局長の張 茂森氏(65歳)で、演題は「台湾最新事情 ――台湾の現状と東日本大震災の日台関係」でした。この日刊紙『自由時報』は、70万部を発行する台湾四大紙のナンバーワンで、最も“親日的”新聞社で知られています。張氏は、私がこの会に関わった創立17年前頃にも講演をしたことがあり、東京支局長は一度も赴任代えがなく勤務し続けているとのことです。

彼は台湾師範大学卒で、『自由時報』入社前は京都大学に留学し、この在日特派員期間中に『台湾二千万人の選択  統一か独立か、李登輝総統の改革とその将来』(面影出版社)と『逆襲ドラゴン――台湾の戦略』(DHC出版事業部)の二冊を発行しています。

さて、今回の講演は今、台湾で最もホットな話題となっている“台湾版ウォーターゲート事件”の紹介から始まりました。これは黄世銘・検事総長らが王金平・立法院長(国会議長)らの電話盗聴をした事件で、その原因は国会審議を経ずに政府が署名した大陸との「サービス貿易協定」にあり、これに反対していた勢力への不当権力の行使事件というもの。台湾では今、日本のTV番組「半沢直樹」が大人気で、そのターゲットにされた被害者の王金平氏は、そのうち堪忍袋の緒が切れ怒りを爆発させて倍返しの「半沢金平」になるのではないか、というものでした。

この事件により、結託疑惑が取り沙汰されている馬英九政権に対して、台湾住民は71%が不支持を表明し、側近も次々に離れているとのこと。

また住民は、「大陸との関係」では66%が現状維持を望み、24%が独立を支持、7%が統一を支持しているとのこと。さらに、この現状維持派と独立派に「独立か統一か」の二者択一の質問をしたところ、71%が独立を支持、18%が統一を支持という結果が出ているとのこと。

最近の珍現象は、現政権の国民党が、大陸におもねって、従来名乗って来た「中華民国」を捨て、国旗の「青天白日旗」も掲げなくなったこと、反対に野党の民進党のほうが両方を堅持し出しているとのこと。

.. 2013年11月11日 09:02   No.641009
++ 島田守康 (課長)…163回       
今年4月に締結された「日台漁業交渉」では、台湾漁船が日本の領海に入れるようになった半面、今までグレーゾーンだった海域での漁が出来なくて、不満を漏らす漁民もいるとのこと。尖閣諸島では、香港の活動家が上陸した際、青天白日旗も掲げられたが、馬英九・総統は建前では迷惑発言したものの、あとで彼らを激励したとのこと。

台湾は大陸との経済交流は賛成だが、「対等な二 国関係」の政策を捨てた場合、それは大陸に呑みこまれることを意味しており、それは日本にとっても尖閣から沖縄までの領有権の主張に繋がりかねず、忌々しき事態のはず。台湾は自国防衛に努力しているが、アメリカから情報漏えいの恐れを指摘されて、ミサイル防衛網を構築できない現状にあり、日本とアメリカは「台湾は一国」と認めて国と国との関係を堅持してもらいたい。

また東日本大震災に際しては、台湾は200億円を義援金として送ったが、それは今までの日本に対する恩返しで、こうした形で双方の温かい思いやりが確認できたことは大変素晴らしいこと。台湾への日本人の訪問者は、被災翌年から14万人も増えたが(昨年144万人)、一方、台湾からの訪日者は円安もあり40万人以上、通年と比較しても20万人も増え(昨年156万人)、今年は220万人と予想され、北海道ではバスの手配が足りなくなっている。年間400万人の目標も近く達成できるかも知れない。


こうして日台関係は民間ベースでは急速に交流が深まっているが、日本の義援金に対する「感謝祭」では民主党の野田政権下で台湾が外された。しかし、自民党の安倍政権を台湾では好意的に受け止めている。どうか、一衣帯水の台湾にもっと目を向けて頂き、友好の絆を発展させて行きたい、という主旨でした。

講演後の参加者の質問への答弁は、下記のとおり。
※大陸のスパイの数は観光客を装ってなどいろいろ考えらるが、2万人とも言われている。
※陳水扁・前総統(63歳)は自殺未遂後、うつ病で病院に送られているようだが、釈放の見込みは立っていない。
※原発4箇所は東電とアメリカとの繋がりがあり、現状維持で縮小は考えられていない。
※マスコミは90%が国民党寄りだが、今回の事件では100%、反政府になっている。

.. 2013年11月11日 09:12   No.641010


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