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■--保証出来るレベルではない
++ 島村英紀 (中学生)…35回          

コラム その22:「警戒せよ!生死を分ける地震の基礎知識」
 │ 一回だけ起きた奇妙な大地震
 │ ポルトガルで、リスボン大地震=9万人死亡(1755年)
 │ 現在の地震学は10万年先まで絶対に大地震が起きないと
 (地震学者)

○ヨーロッパではギリシャやイタリアなどだけに地震があると思われている。
だがそのほかの国でも地震が起きて、スイス北部にある大都市、バーゼルが壊
滅したことがある。
 不思議な地震だった。もともとスイスには大地震は少ない。精密な歴史が
残っている国だから過去800年間に約10000の地震が知られている。そのうち、
マグニチュード(M)が6以上のものはせいぜい5、6個しかない。だが1356年
に起きたこの地震だけはずっと巨大で、M7.1だったとする研究もある。
 この地震で城壁に囲まれたバーゼルの市街地は壊滅的な被害を受けた。近隣
30キロメートル以内の城や教会も倒壊した。
 この地震より前に大地震が起きた記録はなく、その後現在に至るまで、この
近辺に大地震は起きていない。

○一回だけ起きた大地震はほかにもある。たとえば1755年にポルトガルのリス
ボンの沖に起きたリスボン大地震もその仲間だ。M8.5から9.0の巨大地震だっ
た。
 この地震では当時のリスボンの人口28万人のうち9万人もが死亡した。地震
の揺れや地割れによる被害に加えて、約40分後に襲ってきた大津波が市街地を
呑み込んで被害を拡げ、さらに火事が燃え広がって欧州史上最大の自然災害に
なってしまった。
 ポルトガルは多くの教会を援助し、海外植民地にキリスト教を宣教してきた
敬虔なカトリック国家だった。その首都リスボンが、万聖節というカトリック
の祭日に地震に襲われて。多くの聖堂もろとも破壊されてしまったのだ。
 18世紀の神学や哲学にも強い衝撃が及んだ。この大地震はポルトガルだけで
はなく広くヨーロッパの政治や経済や文化にも大きな影響を与えた。

○国王ジョゼ1世は幸い怪我ひとつしなかった。しかし地震の後、王は閉所恐
怖症になってしまって、石造りの壁に囲まれた部屋で過ごすことが出来なく
なって宮廷を郊外の大きなテント群に移した。閉所恐怖症は死ぬまで治らな
かったという。
 日本のように地震が繰り返す国と違って、ヨーロッパでは地震はめったにな
い。だが、このような散発的な大地震が起きるところでもある。

○フィンランドの原発で出る核廃棄物を地下に埋設して処分するために、同国
南西部でオンカロ処分場の工事が進んでいる。花崗岩に深さ約500メートルも
のトンネルを掘って処分場を作っているのである。
 ここでは10万年後までの廃棄物貯蔵を考えているという。過去の近隣の地震
はもちろん調べた。しかし過去といっても14世紀までしかたどれない。(わず
か600年前まで)
 ところで、現在の地震学は、10万年先まで絶対に大地震が起きないと保証出
来るレベルではない。バーゼルやリスボンをたまたま襲った地震も、今度は
ヨーロッパのどこを、いつ襲うことになるのか、まったく分かっていないので
ある。(10月18日夕刊フジ掲載)
.. 2013年11月01日 08:33   No.638001

++ 島村英紀 (中学生)…36回       
コラム その26「警戒せよ!生死を分ける地震の基礎知識」
 │ 国弱者を狙い撃ちする現代の地震
 └────(地震学者)

┃国弱者を狙い撃ちする現代の地震
┃原発、地震、悪天候でもあらゆる被害者は立場の弱い人間たち
┃それに乗じ利益を得る人間がいる構図も今昔変わりなし

○鯰絵(なまずえ)というものがある。
 安政江戸地震(1855年)のときには、地震後わずか3日間で380種類もが刊行された。これはさまざまな地震ナマズの木版画に文章をつけた大衆向けの出版物だ。いわば当時の夕刊紙である。カラー刷りの版画と文章で、大衆が好む安政地震のさまざまなゴシップを取り上げている。
 ナマズ絵には幕府や豪商への鋭い風刺もあるので幕府はすぐに禁止令を出した。だが庶民はたくましい。禁止令も何のその、版元も出版日も書いていないナマズ絵が次々に出版され、人々は先を争って買い求めた。
 ナマズ絵で有名なものに地震の元凶であるナマズが豪商の首を締め上げて、持っている小判が散らかっているものがある。
 たしかに大地震のときには富裕な商人が蓄えてきた金を庶民に「再配分」することが行われた。いや、大地震だけではない、江戸で繰り返された大火のときも、この種の再配分のおかげで庶民が立ちなおったり潤ったりしたのだ。
 たとえば慶応の大火(1866年)のときには日本橋近くの豪商の詳細な支出記録が残っている。
 それによれば、材木商や大工や左官にはじまって釘屋、石灰屋、砂利屋、縄屋、綿屋、桶屋など、驚くほど多くの零細な職業に支払が行われたのが分かる。
もしこの再配分がなければ、大衆による打ち壊しが富裕商人たちを襲う可能性さえあったのだ。
 しかし、現代はすっかり違ってしまった。瀬戸内海を見下ろす神戸大学の高台には慰霊碑が建っている。阪神淡路大震災(1995年)で犠牲になった同大の関係者の碑だ。それによれば、学生の死者は39人、うち37人は下宿生だった。
神戸大学が特別に下宿生の割合が高かったわけではない。下宿生は古い木造家屋に住んでいることが多く、それゆえ午前6時少し前の大地震で、多くが犠牲になってしまったのである。
 ちなみに、神戸大学では建物はひとつも倒壊しなかったから、もしこの地震が昼間だったら、これらの学生は命を落とさずにすんだだろう。

○阪神淡路大震災には限らない。
 東日本大震災(2011年)でも犠牲者を年代別に数えると、60歳代が19%、70歳代が23%、80歳代以上も23%あった。
 一方50歳代は12%、40歳代は7%、30歳代は6%だったから、高齢者の割合は人口割よりもずっと多かった。つまり、現代の地震は弱者をねらい撃ちにするのである。
 つぎに首都圏を襲う大地震でも、古い住宅に住み続けざるを得ず、費用のかかる耐震補強もおいそれとは出来ない庶民の「地震弱者」に被害がとくに多いことが心配されている。
 富裕商人の家も庶民の家も等しく壊れてしまって、再配分で庶民も潤った江戸時代とは様変わりしてしまったのである。(11月8日『夕刊フジ』より)

.. 2013年11月08日 08:47   No.638002
++ 島村英紀 (中学生)…37回       
.「警戒せよ! 生死を分ける地震の基礎知識-27」
 |   「極秘核実験」探知した日本の地震計
 |   人工的な揺れは普通の地震とは違う波形が記録される、                   |   世界中、どこで隠れて核実験をやっても、地震計は騙せないのだ!      
 └──── (地震学者)
○イスラエルが極秘で行った核実験を日本の地震計が検知したことがある。
イスラエルが核兵器を持っているのは公然の秘密になっている。だがイスラエルは決して認めていないし、同国のうしろ楯になっている米国も認めていない。
 ところで核兵器は作っていく段階で、臨界の確認や性能維持のために核実験を行うことが不可欠のものだ。
 このため広島や長崎に米国が落とした原爆は、その前に米国ニューメキシコ州の砂漠で核実験を行っていた。
 中国も中国奥地の新疆ウイグル自治区・ロプノールで核実験を行った。
 もっと狭い国の英国はオーストラリアで、またフランスも本国ではなく当時仏領だったアルジェリアの砂漠や南太平洋の仏領ポリネシアで核実験を行った。
イスラエルは英国よりさらに狭い。
 このため国内で核実験をすることは不可能だ。このため南アフリカ(南ア)と共同して、南アと南極の間にある海中で1979年に極秘の核実験をやったのでは、という疑惑が伝えられていた。
 この近くには南ア領のプリンス・エドワード諸島がある。南アから1800キロ南で、南極とのほぼ中間点だ。定住者はいない。
 このへんの海は「吠える南緯50度」といわれる南極海が荒れる名所で、航行する船はほとんどいない。
○ところが、この実験地点の南極側にある日本の昭和基地の地震計は、この極秘の核実験を記録していたのだ。じつはこのことが発表されたのは今年になってからである。
 ここには日本国内にもある高感度の地震計が1959年に設置され、それまでも世界各地の地震を記録していた。
 この地震計が1979年9月22日に3回の海中核爆発を記録した。南アの現地時間で17時少し前から17時15分にかけてだった。
 爆発の規模はマグニチュード(M)3.7から3.1の地震相当、TNT火薬では約3000トン相当のものだった。

.. 2013年11月19日 18:52   No.638003
++ 島村英紀 (中学生)…38回       
 昭和基地から現場までの距離は約2000キロ。このくらいの大きさの地震だったら、十分に記録できる距離である。
 たとえば米国ネバダ州で1980年7月や翌年6月に行われた核実験も、1981年9月と12月に旧ソ連南部のカザフスタンで行われた核実験も同じ地震計が記録していた。
 地震計には普通の地震とは違う核実験特有の波形が記録された。
記録の特徴から、地下核実験か、大気中の核実験か、それとも海中核実験だったのかもわかる。
 ネバダとカザフスタンは地下核実験だった。1979年の爆発は異様に長い振動が継続したので、明らかに海中爆発の特徴を示していた。
 地震計にとって2000キロは遠くはない。昭和基地からネバダまでは16000キロ以上、カザフスタンまでは14000キロ近くもある。
世界中、どこで隠れて核実験をやっても、地震計にだけは検知出来るのである。
               (11月15日『夕刊フジ』より)

.. 2013年11月19日 19:13   No.638004
++ 槌田敦 (小学校高学年)…27回       
これでも科学技術か ? 福島原発 (第2回)
| 【計測以外の事故対策の失敗】3つ
| 10の失敗教訓を無視したまま他原発の運転再開の方針(規制委)
 └──── (元理化学研究所研究員)

【計測以外の事故対策の失敗】3つ
(8)1.2.3号機ともに原子炉の大口径破断、ECCS低圧注水系の使用不能で破局へ
1号機、非常用復水器の欠陥で給水失敗。制御棒装置の熔融脱落で大口径破断。
2、3号機、低圧注水系の使用不能を承知しながら、逃し弁開で人為的冷却水喪失
(9)海水注入は大失敗
燃料の周りに塩が析出して燃料冷却を阻害。事故処理をさらに困難にした
しかも、格納容器を錆びさせて、原子炉・格納容器を保存できなくした
(10)格納容器(または建屋)を液体窒素で冷却し、汚染水の流出抑制が必要だった
だが提案完全無視。その結果大量の高濃度汚染水を敷地地下水に流出させた
敷地に並べられた汚染水タンク。これから300トンもの汚染水漏れ、地下水へ

【上記10の失敗教訓を無視したまま他原発の運転再開の方針(規制委)】
イ. 特に、(1)電源喪失による自動計測の失敗は重要
 事実が分からなければ、事故対策のしようがない
ロ. 特に、(2)原子炉等の温度計測不能に規制委の反省なし
外部電源・配電盤回復まで8日間、すべての事故機で事故対策は根拠なしだった
ハ. さらに、(4)空焚きになると誤表示する欠陥計器の放置
これらの欠陥に、対策をあきらめた現状。これでも科学技術と言えるのか

【原子炉の安全に科学技術が使えないのなら、原発推進は約束違反】
旧原子炉設計思想(原子炉の冷却徹底、放射能は格納容器に閉じ込め)に戻す必要
格納容器のベント(大気への放出)は原子炉設計思想に反している

【福島事故を反省して、上記10項目に追加すべき対策の必要な3項目】
(11)高圧注水系および隔離時冷却系には熱除去機能がない。そこで現在の格納容器から冷却装置および水素焼却装置を経て、第二格納容器に放射能を移し、閉じ込める
(12)苛酷事故に備えて、非常用復水器(水素逃し弁付)をすべての原発に設置する
(13)加圧水型格納容器での水素爆発を封ずるため充填ガスを空気から窒素に取り替える

【結論】
原子力を科学技術に戻す費用を惜しむならば、運転再開はしてはならない

.. 2013年11月20日 10:45   No.638005
++ 島村英紀 (中学生)…39回       
1週間周期で中規模の地震が起きている
 |  「関東大地震」発生前に似たものといえる…
 └──── (地震学者)

○ ほぼ1週間周期で中規模の地震が起きている。16日夜、千葉県北西部を震源とする最大震度4の地震があったほか、10日、3日にも茨城県南部が震源の揺れに見舞われた。専門家は1923(大正12)年の「関東大震災」に着目。首都圏で相次ぐ地震は、当時の発生プロセスに「似たものといえる」というだけに危機感が募る。
 気象庁によると、16日の地震は震源地が千葉県北西部で、震源の深さは約90キロ。地震の規模はマグニチュード(M)5・4と推定される。茨城、埼玉、千葉、神奈川各県で震度4を観測した。
 10日には茨城県南部を震源とする最大震度5弱、M5・5(推定)の地震があったばかり。3日にも、同じく茨城県南部が震源の最大震度4、M5・0(同)の地震が発生している。
○ 首都圏を襲う揺れについて、武蔵野学院大の島村英紀特任教授(地震学)は、関東大震災が発生した経緯に着目。明治、大正期には首都圏で中規模の地震が相次いでおり、当時と「似たものといえる」と指摘した。
 「1895(明治28)年の明治霞ケ浦地震(M7・2)を皮切りに、茨城周辺では関東大震災まで比較的大きな地震が相次いだ。関東大震災を起こした関東地震は200年以上の発生周期といわれるが、東日本大震災によって地下の状況は“リセット”された可能性が高い。次の関東地震まで100年以上の余裕があると油断はできない」
 茨城県南部では1921年12月、M7・0、最大震度6弱とみられる「竜ケ崎地震」があった。22年5月にもM6・1、最大震度5弱の地震が発生。23年に入って1月にM6・0で最大震度5弱、同6月には茨城沖でM7・1、最大震度5強の地震が起きた。
 そして23年9月1日。関東大震災が発生している。
 「関東地震は大正時代のもの(M7・9)より、1703年の元禄関東地震(M8・2)の方が大きかった。次に起きる関東地震がどの規模になるのか、残念ながら予測できない」(島村氏)
 大正時代の関東大震災どころか、さらに強い揺れに見舞われる可能性もあるようだ。(出典:2013.11.18 zakzak)

.. 2013年11月27日 16:32   No.638006
++ 島村英紀 (中学生)…40回       
コラム その28「警戒せよ!生死を分ける地震の基礎知識」
 │ 月の引力は地震を左右するのか。
 │ 月齢と自身との因果関係はいまだ決着がついていない
 │ 地球が月と太陽に最も引っ張られている日に地震が起きるだろうか
 └────(地震学者)

○地震計が発明されてから、じつは100年あまりしかたっていない。
 天体望遠鏡が発明されたのは500年も前だし、温度計や雨量計を使って気象観測が始まってからも何百年もたっているのと比べると、地震の観測ができるようになったのはごく近年のことなのである。
 地震計の発明以後、しだいに地震のデータが集まってくると、世界の地震学者が最初に取り組んだのは、地震の起きかたは何によって左右されるのだろうという地震の「法則性」だった。

○しかし、これはなかなかの難問であった。最初の「発見」は、昼より夜の方が地震が多いことだった。だが、これはまったくの間違いだった。昼間は人間活動の雑音が高いために、昼間の地震が夜ほどは検知できなかっただけだったのだ。1950年代の終わりには、それまでの半世紀間に起きたマグニチュード(M)8クラスの巨大地震のうち15個が、天王星が子午線を通過した前後1時間以内に起きたという論文が出た。
 前に書いた「惑星直列」のような話だが、この論文は他の科学者の追試によって否定された。このほか、気圧の変化、や雨量など、気象との関連があるという論文も多数あった。

○阪神淡路大震災(1995年)や東日本大震災(2011年)は猛暑の翌年に大地震が起きたという俗説もある。この俗説に従えば、今年の夏は暑かったからさて・・ということになろう。しかし、気温が地震に影響するという学術的な研究はない。気温の年変化が地震が起きる深さの岩まで伝わるはずがないからだ。
 そして、最後に残っていまだに決着が付いていないのが月齢と地震との関係だ。惑星直列や天王星と違って、月や太陽の引力ははるかに大きい。海の水を引っ張り上げる海洋潮汐だけではなくて、硬い岩である地球の固体部分を毎日20〜30センチも上下させるから、惑星直列よりも、はるかに地震を引きおこす可能性が高いはずだ。

○1990年に出た論文では、この100年に起きた大地震は、太陽と月の両方が水平線から30度から50度の間にあるときに多いという。だがこれも否定されて、いまに至っている。
 2012年にまた別の学説が出た。東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)が近づくと引力の影響が強いときに地震が集中したのだという。東北日本の沖にある日本海溝の近くでこの36年間に発生した多数の小さな地震について、引力との関係を調べたものである。
 とはいえ、月の引力は地震を実際に起こす力に比べると1000分の1しかない。
それゆえ「地震を起こす」のではなくて「地震の引き金を引くのでは」という可能性が指摘されているのである。
 これにもいくつもの反論がある。各地での精密な研究では否定的な見解が多いのだ。
 さて、今度の満月や新月、つまり地球が月と、そして太陽にもっとも引っぱられている日に地震が起きるだろうか。(11月22日『夕刊フジ』より)

.. 2013年11月30日 08:07   No.638007
++ 島村英紀 (中学生)…41回       
.「警戒せよ!生死を分ける地震の基礎知識」その29
 |  地震計を邪魔する”観測の敵”
 |  気象庁の地震計は気象庁の中ではなく、なんと皇居の中にあった!
 |  それでもさまざまな影響を受けるデリケートな地震計
 └──── (地震学者)

○地震計というものを見たことも触ったこともない読者がほとんどだろう。
 それは現代の高感度の地震計は、人が100メートル先を歩いていても感じるほどの感度だからだ。鉄道や高速道路では10キロ離れていても雑音として感じてしまう。
 前に書いたように南極の昭和基地にある地震計は16000キロ以上も離れた核実験もちゃんと記録した。
 気象庁は千代田区大手町のビル街にあるが、地震計はそこにはない。あるのは人が通らない皇居の中だ。だがここでも雑音が多くて、他の地震計のようには小さな振動は記録できない。
 このため、地震計は世界のどこでも、人里離れたところや、地下深くにひっそりと設置されているのが普通なのだ。
○私が海底地震計を作りはじめたのは、プレートが誕生するところも衝突するところも海底だったからだ。
 だがそのほかにも、感度の高い地震計で観測するには陸上ではどこでも雑音が高すぎたこともあった。
 実際、海底は、陸上のどこよりも静かだった。高感度地震計の本領が発揮できたのだ。
 しかし、海底地震計にはそれなりの悩みがあった。6000メートルの海底に置いてあっても、はるか水平線の先を通る船のスクリュー音を感じてしまうのだ。
 そのほかクジラやイルカが鳴く音はもちろん、ある種の魚は鳴くらしく、海の中も、結構な音に満ちていることがわかった。
 それだけではない。海中や海底にいる生物は好奇心も強くて海底地震計のような異物があると寄ってくる。
 なにせ高感度の振動測定器なので、小さな昆虫くらいの底生生物でも、海底地震計の上に這い登られたら、観測には大いに迷惑なのである。
 ノルウェー沖のバレンツ海での観測では、海が静かだったから、深海測深儀という海の深さを超音波を使って測る機械で、海底にある数メートルのものまで見えた。
そこでは私たちの海底地震計の上に、高さ20−30メートルの丘が写っていた。
 これは海底地震計の上に群れ集まったタラの大群なのだった。ここはタラの好漁場で、多くの国から漁船が集まってくるところだ。
 魚は全く平らな海底は好まない。魚礁は海底の凸凹の岩であることが多いし、人工漁礁も、平らな海底に魚が安心して群れ集まれる凸凹を作るものだ。
 タラたちは、いままで見たこともない海底地震計でも、とりあえずの「拠り所」としては十分であったのだろう。
 何百匹という群が円錐型に集まって、ひとつの海底地震計にかぶさることになった。魚が作る円錐の底辺は50−60メートルもあった。
 この辺のタラは大きい。1メートル半のものも珍しくはない。タラがじっとしてくれていればいいのだが、動いたり、海底地震計を突っついたりすると、私たちの海底地震観測の邪魔になってしまう。私たちにとっては思わざる「観測の敵」なのである。 (11月29日『夕刊フジ』より)

.. 2013年12月03日 12:18   No.638008
++ 島村英紀 (中学生)…42回       
.「警戒せよ!生死を分ける地震の基礎知識」その30
 |  いまだに過小評価を続ける原発関連耐震評価、地震国に住む地震学者として心配である
 |  強震を過小評価する危ない「常識」
 |  阪神淡路大震災以後にすでに分かっていた「予想以上の揺れと加速度の発生」
 └──── 島村英紀(地震学者)

○大地震の揺れが、以前知られていたよりもずっと大きいことが分かってきた。
 前回の高感度地震計とちがって今回は感度を下げた地震計の話をしよう。なぜ、そのようなものが必要なのだろう。わざわざ切れない包丁を用意するようなものだと思うだろうか。
 だが、これは大事な観測なのだ。高感度の地震計では、近くで大地震が起きたときには記録が振りきれて、地面の揺れを正確に記録することは出来なくなってしまう。
 このために低感度の地震計「強震計(きょうしんけい)」が必要なのだ。
それは地震の振動が、地面が1000分の1ミリも動かないような微小なものから、数十センチも動く大地震まで、とても大きな幅があるからである。
大地震のときに地面がどのくらい揺れたかは、建物や建造物を造るときに大事な情報になる。

○阪神淡路大震災(1995年)以後、日本中で強震計が増やされた。いまでは全国に1000点もある。世界一の密度だ。
この強震計が展開されたために、いままで知られていなかったことが分かってきた。
そのひとつは、大地震のときの揺れが、それまで考えられてきたよりもはるかに大きいことがあることだった。
地震が建物や建造物が揺するときには、地震の「加速度」に比例した力がかかる。具体的には、加速度の値に、そのものの重さを掛けただけの力がかかる。

○加速度の大きさはガルという単位で測る。980ガルというのが、地球の引力で、地球上すべてのものにかかっている重力である。
ヤクルトのバレンティンが高々と打ち上げたボールが地面に帰ってくるのも重力のせいだ。
もし地震の揺れが980ガルを超えたら、地面にある岩が飛び上がることを意味する。
建物にも、ダムや高速道路などの構造物にも大変な力がかかることになる。
実は阪神淡路大震災の前には、地震学者のあいだでも、まさか岩が飛び上がるほどの揺れはあるまいというのが一般的な常識だった。

.. 2013年12月08日 09:43   No.638009
++ 島村英紀 (中学生)…43回       
地震が建物や建造物が揺するときには、地震の「加速度」に比例した力がかかる。具体的には、加速度の値に、そのものの重さを掛けただけの力がかかる。

○加速度の大きさはガルという単位で測る。980ガルというのが、地球の引力で、地球上すべてのものにかかっている重力である。
ヤクルトのバレンティンが高々と打ち上げたボールが地面に帰ってくるのも重力のせいだ。
もし地震の揺れが980ガルを超えたら、地面にある岩が飛び上がることを意味する。
建物にも、ダムや高速道路などの構造物にも大変な力がかかることになる。
実は阪神淡路大震災の前には、地震学者のあいだでも、まさか岩が飛び上がるほどの揺れはあるまいというのが一般的な常識だった。
しかし、その後に起きた大地震で日本中に展開された強震計の記録は、この常識を覆した。
 たとえば新潟県中越地震(2004年)では2516ガルを記録したし、岩手・宮城内陸地震(2008年)では岩手県一関市厳美町祭畤(げんびちょうまつるべ)で4022ガルという大きな加速度を記録した。

○こうなると心配になってくるのが、いままでの「常識」で作られた建造物だ、たとえば原発はある限度以上の揺れはないとして設計されている。
 ある電力会社の原発のホームページには「将来起こりうる最強の地震動」として300 - 450ガル、「およそ現実的ではない地震動」として450 - 600ガルという値が載せてあった。
 福島の原発事故以来、このホームページは削除されてしまったが、この値で設計されていたことは確かなことだ。
地震国に住む地震学者としては心配なことである。(12月5日夕刊フジより)

.. 2013年12月08日 09:52   No.638010


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