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昨日の米「スミソニアン博物館」には特攻機、「桜花(おうか)」も陳列されていることが記述されていました。戦争末期、零戦も紫電改も、そして戦艦大和も悲しき片道切符の特攻作戦を強いられたのでした。 乗員となった方々のご冥福をお祈りすると同時に、遺書は、どれも涙なくしては読めません。それこそ「大敗北の悲痛な体験は、もう二度とあってはならない」と強く感じます。 7月には京都府の比叡山の山頂付近(800m)に「桜花」の秘密基地があった写真やスケッチが、古書店で見つかったとのニュースがありました。「桜花」は、まさしく有人のジェット特攻機で、別名「人間爆弾」として知られています。昭和20年(1945年)から実戦配備され、終戦までに755機が生産され、55名が特攻戦死した、と言われます。 当初、航空母機に搭載され、切り離し後はパイロットの誘導で艦船に突っ込む特殊特攻機として生産されましたが、航空母機が不足する状況から一転、本土決戦に向けて陸上基地からの発進が計画され、全国の山地に配備が予定されていた、と言います。この比叡山山頂のものも、そのうちの一つであったわけで、米軍接収前の写真やスケッチが発見されたことは大変貴重なことだ、と言います。 「桜花」はドイツのミサイル無人兵器「V1」からヒントを得て開発されたそうで、あの垂直型でロンドン爆撃を行なった垂直発射ミサイルは「V2」のほうです(V1も安価なので多数発射されたとのこと)。日本ではどうして無人ではなく有人になったのか、それは命中率の観点からの採用ということですが、軽装の零戦などと同様、それは当時の日本の人命軽視を如実に示す実例です。 ともあれ、われわれはこうした歴史の事実に目をそむけることなく、ちゃんと記録して行くべきと思います。8月には、特攻艇「震洋」の模型や写真を集めた資料館が、訓練所のあった長崎県川棚町に開館したニュースもありました。 「桜花」はアメリカの博物館だけでなく、日本の博物館にも実物展示し、脳裏にしっかり刻み込むべきと思います。 (^-^)M・S
.. 2013年10月01日 13:28 No.618001
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