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早大の大先輩、渡邉光治氏(90歳)から同期生の奥様が綴られた自家ワープロ本が送られてきました。 ご承知のように、渡邉氏は商学部3年時、昭和18年(1943年)9月22日の「学徒動員令」により繰り上げ卒業となり、10月21日の神宮外苑での「出陣壮行会」、そして翌年の5月1日には愛知県の豊橋第一陸軍予備士官学校に入校、9月にはフィリピンへ出征しています。フィリピン到着前後から米軍の大攻勢に遭い、這々の態で台湾に帰着、さらに20隻で今度はシンガポールに向かう当日、乗船予定の商船の故障により陸地勤務となり、そのまま終戦を迎えたわけです。 その詳しい内容は、第23回メールでご報告済みですが、自家ワープロ本の法学部の同期生(歳は2歳上)、坂本邦弘氏は渡邉氏と全く同様の体験をして生き延びました。出航した他の19隻の商船乗員はみな返らぬ人となり、まさしく「奇跡的な生還」だったわけです。坂本氏も「戦争中は、絶えず生命の危険にさらされ、人間の生命は紙一重であるとの印象を深くした。そして戦争ほど恐ろしいものはなく、全く人間性を変えてしまうもので、二度と繰り返してはならないと痛切に感じている」と述べています。 その坂本氏は、平成18年(2006年)に85歳で逝去され、そのご主人の足跡を奥様の道子さんが、没後に資料を収集して「追憶本」を作ったものです。朝鮮京城(現ソウル)に出生した坂本邦弘氏は、学徒出陣が決まるとすぐ10月には道子さんと朝鮮神宮で結婚式を挙げ、11月に徴兵検査の体重計に乗った時に、たまたま南 次郎・総督がやってきて、「貴様名前は」と問われて「坂本邦弘」と応えたところがニュース映画になったそうで、道子さんは凛々しい新婚早々の夫の姿を見に一週間映画館に通い詰めたとのこと。 坂本氏は大学の柔道部に所属し、巨体で講道館三段の力があって早慶戦でも活躍してそれが新聞に載ったり、また昭和18年11月30日の出征時には、「学兵の夫励ます新妻の姿」と京城日報新聞にも載ったりしたので、当時、ご夫妻はひときわ目立つ“報国若夫婦”であったことが伺い知れます。
.. 2013年08月26日 10:04 No.599001
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