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■--凛美ニッポン
++ 島田守康 (大学生)…79回          

先日、写真ファイルを検索していたところ、満洲国の財政大臣を務めた韓雲階氏(1894年〜1982年、享年88歳)の写真を偶然にも発見しました。

この韓雲階氏(前職は新京特別市長)は、『永久平和』誌の最新号(第125号)でインタビューした武田邦太郎先生(99歳で昨年逝去、元参議院議員)の「思い出話」に登場する人物ですが、この写真は記事に関連してインタビューと同時期の10年ほど前に収集したものと思われます。しかし、出典が何だったのか今では全く記憶にありません。

石原莞爾将軍は、東條英機首相から命を狙われていた韓氏に対して、「このままだったら暗殺される。長期にわたって満洲国の使節として欧州に行き、ムッソリーニ、ヒトラーに会って、仲のいいことを宣伝しなさい。そうすれば、東條はあなたを殺さないから」と言ったそうですが、この写真はまさしくムッソリーニ、ヒトラーに会いに行った時の写真です。

昭和13年(1938年)7月、彼は「満洲帝国修好経済使節団」の団長として、副団長の甘粕正彦(協和会中央本部総務部長)らを率いてスペインとドイツ、イタリア、バチカンなどを訪問し、9月にムッソリーニ、ヒトラーらと会談しています。

満洲国崩壊直後は台湾に渡り、その後、中華民国政府が台湾に渡ってきた際には日本に移住し、最後はアメリカで亡くなるという波乱の人生でしたが、石原将軍没後7年後(昭和32年、1957年8月145日)の墓前祭で弔辞を読まれた際、何度も言葉が詰まり、嗚咽されたと言います。

武田先生が別途書き遺された文章によると、その際、側で聞いていた自分も溢れる涙が止まらなかったと言い、また、その後方で監視していた警察官も一緒に泣いていたと言います。この警察官は後日、東亜連盟の同志に加わったとのことですが、韓雲階氏が涙したのは、ある暗夜、自邸を訪ねてくれた石原将軍の進言に従って満洲国の国務総理を断わったことが、崩壊時、処刑ないしソ連抑留を免れた原因となったということです。まさに、石原将軍は韓雲階氏の「命の恩人」だったわけで、感動的な話です。

なお、保阪正康先生からは、主宰されている『昭和史講座』の最新号が送られてきました。巻頭言だけをご紹介します。

(^-^)M・S
.. 2013年08月08日 19:08   No.588001

++ 島田守康 (大学生)…80回       
昨日、石研恒例の「石原莞爾将軍の法要」が江戸川区一之江の国柱会にて開かれました。通例は将軍の命日である8月15日に挙行されるのですが、一昨年の同日に私の父親(享年95歳)が亡くなったこともあり、二年連続欠席回避のために会がわざわざ気を遣って日にち変更をしてくれたものです。

昨日の経緯については、事務長である山崎八九生氏(59歳)が報告書を早速書いてくれましたので、添付ワード文書をご覧下さい(出席者10名)。

今回、私の方は、補足の意味で他の方々の資料提供などをご報告します。

まず、野村乙二朗先生(83歳)が、現在研究中の『渕上辰雄の宣撫班「派遣日記」』の小冊子三回分を配って、話を聞かせてくれました。渕上辰雄氏は戦中、戦後の石原将軍の側近者のお一人で、大正5年(1916年)福岡県嘉穂郡(現在の飯塚市)の出身、没年は昭和63年(1988年)で享年72歳でした(夫人の千津氏は90歳でご健在)。

宣撫班とは満鉄の宣伝工作機関で、宣撫班に関係した昭和13年(1938年)から翌年の退社までの約1年間の日記で、渕上氏がまだ東亜聯盟に関係する以前のものですが、野村先生は「これは日中戦争の戦場記録であるとともに石原の側近としての渕上自身の思想形成を物語る何よりの証言である」と語っています。渕上氏は最晩年の役職は昨年亡くなられた武田邦太郎氏(99歳、元参議院議員)と同じ(財)新農政研究所の理事長だったわけですが、「側近者としては渕上の方が武田よりも格上だった」と述べています。理由は、「天然、天性の天才で時代の要請を感じ取った石原と、渕上は中卒ながらタイプは似ており、ガリ勉、秀才型の武田とは違っていた」というものです。

続いて、日本ヨーガ学会の会長・田原豊道氏(86歳)が語ったことは、「日本の敗戦後の教育現場は戦前とガラッと変わってしまい、広島、長崎への原爆投下もそのお陰で日本は助かった、解放されたという主張がまかり通っていた。そうした中、大量殺戮の原爆投下は極悪非道なものであると中国から帰国されたばかりの松浦雨花師(北京大学名誉教授)の話を聞いて、私は広島の原爆ドームにかけのぼって訴えようと3分の1を駆け上がったところでMPに引きずり降ろされた。以後、私が中学と高校で教壇に立った際には米軍→警察→教育委員会を通じて、いつも監視されていた」というものです。当時はまだドームに囲いはなく、簡単に近づけたそうですが、今回の話はまだどこにも文章として残していないとのことでした。田原氏からは、二冊の機関誌が贈呈されました。

.. 2013年08月14日 11:47   No.588002
++ 島田守康 (大学生)…81回       
武田邦太郎氏の秘書だった中村麗子さん(85歳)からは、「私のケアマネジャーの人が、つい最近まで担当していた娘さんが亡くなり、その娘さんがいつも張作霖爆殺事件に関係していた父親のことを語っており、その娘さんからもらった資料を今日お持ちした」ということで、私が代表してコピーをさせて頂きました。その亡くなられた娘さんの父親の名前は儀我誠也(ぎが・せいや)陸軍大佐で、石原将軍と士官学校21期の同期生で、しかも張作霖の軍事顧問を務め、爆殺当日(昭和3年、1928年6月4日)には何と張作霖(享年53歳)と一人隔てて列車内で会談していたとのことで、あの激しい爆発の中での生存は、まさしく奇跡的なものです(1888年〜1938年、享年50歳、死因は病死)。

さて、資料ですが、張作霖、息子の張学良、郭松齢という3人の名刺があります。郭松齢(かくしょうれい)とは初耳ですが、彼は張学良の抜擢を受けて出世した奉天軍の有力軍人で、仲が良かった時代は張作霖が総司令、張学良が参謀長、郭松齢が参謀長代理の三羽烏、つまり、原寸大の名刺を見ると、その大きさが身分に応じて三段階に分けられています。その郭松齢ですが、訪日後、張親子や日本に反感を持ち、以後両方から睨まれ追いつめられて最後は夫婦ともども張軍隊によって昭和元年(1925年)、銃殺刑に処せられたたとのことです(享年43歳)。

儀我大佐は、奇跡の生存者として事件の検証を自ら行なっていたようで、事件現場の写真と手書きの地図も残されています。また、長生きをした張学良(享年100歳)の動向は娘さんにとっても気になっていたようで、平成3年(1991年)の訪中、訪米の新聞記事のコピーもあります。長男の大阪市立大学の名誉教授は4年前に90歳で亡くなっています。

森田由紀子さん(75歳)からは、「約1ヵ月前の朝の文化放送のラジオ番組でタレントの武田鉄矢氏(64歳)が石原将軍のことを紹介していた。初め岩手県出身者と紹介していたが、何回かあとの番組で山形県出身者と訂正の放送もした。あの時代に大きなことを考えていた人がいたと好意的に紹介していた」との紹介がありました。福岡教育大学中退の「熱血金八先生」、テレビで数々の歴史上の人物を演じている彼にも、いつかインタビューを試みたいと思っています。

今回も皆さんの貴重なお話や資料を頂き、とても愉快で有益な懇親会でした……。

(^-^)M・S

.. 2013年08月14日 11:54   No.588003
++ 島田守康 (大学生)…82回       
本日の終戦記念日8・15に映画『終戦のエンペラー』を観て来ました。以前にご案内したように、この映画は昭和20年(1945年)9月27日のマッカーサーGHQ総司令官と昭和天皇の会見を最大テーマにしたもので、いわば「戦後史の原点」を考える映像です。

この会見如何によっては、日本の被占領の在りようがどんな様相になったか計り知れず、とにもかくにも二人の会見が“最高の出会い”になったことは、双方にとって幸いなことでした。

この会見時の内容は、当のマッカーサーから為され、その記録は『マッカーサー回想録』(下巻)として翻訳され次のように記されています(昭和39年、朝日新聞社)。少し長くなりますが、間違いのない記録のため、そのまま引用します。

「私は占領当初から、天皇の扱いを粗末にしてはならないと命令し、君主にふさわしい、あらゆる礼遇をささげることを求めていた。私は丁重に出迎え、日露戦争終結の際、私は一度天皇の父君に拝謁したことがあるという思い出話をして差し上げた。天皇は落ち着きがなく、それまでの幾月かの緊張を、はっきりおもてに現わしていた。天皇の通訳官以外は、全部退席させたあと、私たちは長い迎賓室の端にある暖炉の前にすわった。
 私が米国製のタバコを差出すと、天皇は礼を言って受け取られた。そのタバコに火をつけて差し上げた時、私は天皇の手が振るえているのに気がついた。私はできるだけ天皇のご気分を楽にすることにつとめたが、天皇の感じている屈辱の苦しみが、いかに深いものであるかが、私にはよくわかっていた。
 私は天皇が、戦争犯罪者として起訴されないよう、自分の立場を訴え始めるのではないか、という不安を感した。連合国の一部、ことにソ連と英国からは、天皇を戦争犯罪者に含めろという声がかなり強く上がっていた。現に、これらの国が提出した最初の戦犯リストには、天皇が筆頭に記されていたのだ。私は、そのような不公正な行動が、いかに悲劇的な結果を招くことになるかが、よくわかっていたので、そういった動きには強力に抵抗した。

.. 2013年08月17日 14:47   No.588004
++ 島田守康 (大学生)…83回       
ワシントンが英国の見解に傾きそうになった時には、私は、もしそんなことをすれば、少なくとも百万の将兵が必要になると警告した。天皇が戦争犯罪者として起訴され、おそらく絞首刑に処せられることにでもなれば、日本中に軍政を敷かねばならなくなり、ゲリラ戦が始まることは、まず間違いないと私はみていた。けっきょく天皇の名は、リストから外されたのだが、こういったいきさつを、天皇は少しも知っていなかったのである。
 しかし、この私の不安は根拠のないものだった。天皇の口から出たのは、次のような言葉だった。『私は、国民が戦争遂行にあたって政治、軍事両面で行なったすべての決定と行動に対する全責任を負う者として、私自身をあなたの代表する諸国の裁決にゆだねるためおたずねした』
 私は大きい感動にゆすぶられた。死をともなうほどの責任、それも私の知り尽している諸事実に照らして、明らかに天皇に帰すべきではない責任を引き受けようとする、この勇気に満ちた態度は、私の骨のズイまでもゆり動かした。私はその瞬間、私の前にいる天皇が、個人の資格においても日本の最上の紳士であることを感じ取ったのである。
 天皇が去ったあと、私はその風貌を妻に話そうとしかけたが、妻はくつくつと笑ってそれを止め、「ええ、私も拝見しましたのよ。アーサー(息子)と私は赤いカーテンのかげからのぞいていましたの」と言った。まことに珍しいことの起こる世界ではある。しかし、どう見ても、ほほえましい世界であることは間違いない。天皇との初対面以後、私はしばしば天皇の訪問を受け、世界のほとんどの問題について話し合った。私はいつも占領政策の背後にあるいろいろな理由を注意深く説明したが、天皇は私が話し合ったほとんど、どの日本人よりも民主的な考え方をしっかり身につけていた。天皇は日本の精神的復活に大きい役割を演じ、占領の成功は天皇の誠実な協力と影響力に負うところがきわめて大きかった」

まさしく、マッカーサー元帥(65歳)のこの回想が、トップ会談の実相を如実に物語っているわけで、映画ではマ元帥の秘書官、ボナー・フェラーズ准将(49歳)を主人公に、裕仁天皇(44歳)の戦争責任を追及しているわけですが、映画の私の感想は無用な先入観を避けるため、通例どおり開陳しません。フ准将と留学で知り合った恋人「島田アヤ」は架空の作り話、別人です。

.. 2013年08月17日 14:55   No.588005
++ 島田守康 (大学生)…84回       
ただ、戦前の訪日者として最高司令官の側近に彼が居たことは事実で、幸いなことでした。終戦前より、日本はすでに連合国側から「米ソ英中による本土四分割」案が俎上に上っており(これは映画には無い)、マ元帥の絶大なる権力とキャラクターによって本国指令や連合国側の「天皇戦犯訴追」意見を無視し強烈に跳ね付けたことは、彼らが敵国人と言えども日本は「最上の人物に恵まれた」と言えます。 日本政府は昭和46年(1971年)、フェラーズ准将(階級は少将の下で大佐の上)に対し、勲二等瑞宝章を授与しています。その申請書には「ボナー・フェラーズ准将は、連合国軍総司令部に於ける唯一の親日将校として天皇陛下を戦犯より救出したる大恩人である」と書かれています。

ところで、昨夜のNHKスペシャルで、私は作家・火野葦平(あしへい)の足跡を初めて知りました。福岡県北九州市出身、早大英文科中退、芥川賞受賞を契機に、軍の報道部に積極的に協力し、『麦と兵隊』『土と兵隊』『花と兵隊』の「兵隊3部作」で300万部を超えるベストセラー作家となり印税で得たお金で豪邸を建てました。しかし戦後、戦争協力者との批判を浴び、また検閲で削除された部分に懇願した支那兵に引き金を引いたことを綴り、最後は昭和35年(1960年)、53歳の若さで自殺したことを……。

60年日米安保条約反対デモが渦巻く中、遺書には「死にます、芥川龍之介とは違うかもしれないが、或る漠然とした不安のために。すみません。おゆるしください、さようなら」と書かれていたと言います。

「戦争は絶対悪」→「その戦争を仕掛け敗北した日本軍」→「日本軍に協力した者はすべて悪人」と言った戦後の占領民主主義教育による価値観は、今や信仰とも言うべき点にまで高まり定着した感がありますが、戦前、戦中を精一杯生きた先人たちに対する「侮辱的で短絡的で安易な断罪」だけは、厳に戒めたいものです。

(^-^)M・S

.. 2013年08月17日 15:04   No.588006
++ 島田守康 (大学生)…85回       
石原莞爾とそれをライフワークにしている私に対する批判は当初より多々あるわけですが、つい最近もこんな批判が寄せられました。

曰く「石原の手は異民族の血によって穢れており、石原への個人的な思い入れをやめて公平に批判すべきだ」「そんな(穢れた)石原に明日の日本と亜細亜を語る資格など、もともとない」「石原を偶像化し、神棚に祭り、あらゆる批判に目を覆っているあなたの姿勢は如何なものか」「石原の否定が出来ないようでは、宗教団体と何の変わりがあるのか」「石原批判をタブー視している石研に私は理解不能」等々と……。

私にとって石原莞爾を「偶像崇拝」化したり、「石原批判をタブー視している」つもりは、全くありません。私が石原莞爾を「石原将軍」と呼称するのは、当時、関わったほとんどの人々が尊崇の念を抱いて呼んでいた呼称に倣ってのことであり、その足跡の偉大さを知るにつけ、私もそう呼ぶことが最も相応しいと思っているからです。


.. 2013年08月18日 09:48   No.588007
++ 島田守康 (大学生)…86回       
一方、石原将軍は戦前の「日本の命運を分ける」立場にありながら、力の及ばなかった点など、数々の問題点があったと思っており、私はこうした批判者に具体的に、いつ、どこで、何が悪かったのか事例を挙げて欲しいと言って来ているにも拘わらず、彼らは「悪口」のみで具体例は挙げて来ません。私とすれば、あらゆる批判点も検討し、「功罪」のより歪みのない評価を下したいと思っているわけですが、批判者は口先のみで、なかなか私の片棒を担いでくれません。

ところで一昨日、面白い動画が公表されました。「女性の美しさは角度で決まる」ことを10人の女性で証明した映像ですが、これは大事な真実を伝えています。即ち、対象の人物をカメラのファインダーを下から覗くと醜く映るが、角度を上げて行くと次第に等身大の美から、さらに角度を上げて行くと、より美が引き立って見えるというものです。

このカメラのファインダーを自己とすると、他人である対象者を下の位置から見ては醜の部分しか映らず、しかし対象者の正面より上の視点に立つと美が初めて見えて来て、美が一段と引き立つというものです。

    ▼MSNトピックス動画 こちら

よく譬え話で引き合いに出される例ですが、円筒形の茶筒

.. 2013年08月18日 11:27   No.588008
++ 島田守康 (大学生)…87回       
最近の軍事ニュースでは、空母が話題になっています。わが国では、海上自衛隊のヘリ搭載護衛艦「いずも」(約2万トン)の進水式が今月6日、横浜で行なわれました。これまでの同型艦「ひゅうが」「いせ」(約1万4000トン)より大きい戦後最大の大型艦で、ヘリを9機同時運用できます。

命名を今年60年ぶりの遷宮を行なった出雲大社にちなんだとは、なかなか穿(うが)っていますが、中国では早速「准空母」と報道し、大々的な警戒キャンペーンを展開する一方、自国の10万トンの原子力大型空母では「日本の准空母なんか秒殺できる」と得々となっています。ご承知のように、中国では旧ソ連から手に入れ改装した「遼寧」(約5万5000トン)がすでに試験運用されておりますが、今後、国産の原子力空母3隻を就航させる計画です。

また、ごく最近の12日には、インドで初めての空母(約4万トン)が進水しました。こうした「空母建造合戦」の背景にあるのは、言うまでもなく、アメリカ国防予算の削減です。今後10年間で50兆円の削減が決定され、この年額5兆円分は、わが国の1年間の防衛費に相当します。そして米海軍では現在11ある空母打撃群を8〜9に減らす予定になっています。つまり、米海軍の弱体分を同盟国が補填しなければ、今後の現状維持が難しい状況になっているわけで、「集団自衛権」の背景もこれにあるわけです。

アメリカの「空母打撃群」とは1隻の航空母艦を中核に、5〜10隻の護衛艦及び潜水艦、1〜2隻の補給艦から構成されており、「打撃群」全体の削減となると、空母のみならず、構成艦すべてに影響が及ぶもので、その機動力、攻撃力の弱体化は重大な問題です。果たして、中国軍の急速な近代化と大量配備に追い付いていけるのか、深刻な懸念材料となっています。

中国が原子力発電所の建設に邁進する背景(現在70基の計画と建設、2050年までの信じ難い230基の増設!)の一つには、この原子力空母や原子力潜水艦の建造・配備計画があってのことですが、軍備も予算も「秘密のベール」に包まれているゆえ、その正確な実態をつかむことは難しい現況です。さらに驚くべきことは、原爆や水爆の核兵器使用について、中国は今まで国防白書で「先制攻撃の不使用」を明言して来たのにも拘わらず、昨年度からこの文言を削除しています。不遜なことに、自国の軍拡を「日本が煽ったからだ」などと居直りと正当化を続けていますが、現政権は、かつての毛沢東、周恩来時代とは異質の「バケモノ」に成り代わっています……。

中国の軍事力は、軍内の深刻な腐敗によって「見掛け倒し」との評もありますが、今や完全なる「攻撃的覇権国家」に転じたわけで、その動向に、わが国は一寸たりとも気を抜いてはいけません。

(^-^)M・S

.. 2013年08月19日 15:21   No.588009
++ 島田守康 (大学生)…88回       
噴煙が5000mの上空に舞い上がった桜島の大爆発ですが、昨日の東京スポーツ紙のトップには「桜島の上空に出没するUFO」が報道されていました。

しかし、今回の写真は直近で目撃された映像ではなく、土石流などを監視するために10箇所設けられた国土交通省のライブカメラの一つに写し出されていた映像をUFOマニアが発見したもので、直近のものは今年7月9日にアップされたものです。

UFOの火山噴火前の目撃は世界各国でも事例が多いため、今回の出現も「前兆の一つだったのではないか」と言われています。

直近(8月17日)のニュースとしては、アメリカの中央情報局(CIA)が、ネバダ州の「エリア51」の存在は認めたものの「UFO基地ではなく、偵察機の試験場」として認めた」というものです。しかし、この区域では現在もなおUFOがたびたび目撃されているため、苦しい弁解になっています。

また昨日(20日)のニュースでは、ISS(国際宇宙ステーション)のアンテナの近くをUFOが通過したNASA映像が公開されています。

(^-^)M・S

.. 2013年08月22日 13:01   No.588010


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