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■--原発再稼働阻止
++ 吉田孝男 (幼稚園生)…1回          

.「原発再稼働阻止応援ツアー受け入れ集会」に参加して<上>
 │ 反原発運動に参加して日も浅い私は、原発現地を見るのも初めて
 └────(埼玉県)
(編集部 注:やや長文なので、上下2回に分けて掲載します)

反原発運動に参加して日も浅い私は、原発現地を見るのも初めてなので、それなりの期待感を持って出かけました。

○柏崎市は小さい市ながら、原発立地に交付される電源三法交付金が累積三千億円もあったと聞いていましたので、さぞや立派な街並みが形成されていると想像しておりましたが、期待は裏切られました。原発交付金のない市町村と変わらずシャッター通り商店街、人通りもなく寂しい町でした。例えは悪いですが、遊蕩に耽った息子のため、家が傾き、借金で首が回らなくなっている、そんな惨状に似ているように感じたのです。

 所々に交付金で建てた箱ものこそ、地方都市にはそぐわない立派な施設がありますが、聞けば、維持管理費用がかさみ、市の財政は火の車とか。いったいこれはどうした事なのでしょう。原発が来れば、雇用が生まれ、町は活気にあふれ、発展、人口増加し、明るい未来があるのではなかったのではないでしょうか。

 そういう眉唾ものの政策を推し進めた国も国ならば、地方自治体の責任も大きいと言わねばならないでしょう。麻薬のような交付金の甘い罠、命と引き換えの雇用、住民の相互不信、人生家族を奪われるかも知れない不気味な不安、それが原発立地の運命なのでしょうか。暗然としてしまいます。

○さて今日は「原発再稼動阻止応援ツアー受け入れ集会」のため、柏崎ワークプラザにやって来ました。柏崎原発反対地元三団体(原発反対同盟・守る会・地区労)の主催で行われました。
 司会は刈羽村議員の近藤さんが勤め、高橋さんの開会の挨拶後、阻止ネット共同代表の柳田さんから「再稼働の嵐を全国の皆さんと共に、何としても阻止せねばならない」という主旨の話がありました。地元からは矢部さん、吉田さん、小山さんの話があり、とくに印象に残ったのは「原発立地の方がやらねばと言われるが、首都圏の方々も、消費地立地であり原発立地の立場と同じ。そういう覚悟で挑んでいただきたい。」と話されたように思います。
.. 2013年06月14日 11:13   No.561001

++ 吉田孝男 (幼稚園生)…2回       
 そう言われてみると、日頃ワイワイガヤガヤと声を出して騒いではいるが覚悟は足りなかったように感じ、いささか恥ずかしい気が致しました。青森の中森さんからは「柏崎刈羽の使用済燃料は青森の中間貯蔵施設並びに再処理工場への受け入れを阻止したい」と言う話があり、個々の地域の問題ではなく、もはや全国的な繋がりの中での解決しかない事がわかり、再稼働阻止全国ネットワークが生まれた意義もこの辺にあるのかなと思われました。

 その後、志賀の藤井さん、茨城東海の相沢さん、上田さんが東海村、村上村長の再出馬の意義を訴え、福島の佐藤さん、木幡さん被災地の避難民や収束労働などにからむ実情を話されました。大井のくまさんの後にはテント広場の八木さんが「テント広場は全国原発反対闘争の拠点でもあり、灯台でもある。テント広場を何としても守らなければならない。」という鬼気迫る訴えに胸の高鳴りに打ち震えました。その後、福島の避難民の女性の方の代読で詩の朗読があり、目頭が熱くなり、非道な国の仕打ちに怒りが湧いてきました。最後にシュプレヒコールで幕は閉じられましたが、それは明日からの戦いの始まりでもあります。再稼働反対。

○刈羽村の民宿三軒に分宿し、夕食後、男性陣と女性陣の宿に別れ、地元の方とその他の地方から参加された方を交えての懇談会を行いました。なかでも、女性陣だけの懇談会では、避難や反対運動の苦労や辛さ・悲しみなど、涙をまじえながらの本音の話ができて、充実した時を過ごせたということでした。
 男性陣は締めに地元生れの方々が、三階節をいろんなバージョンで歌ってくれて、それなりに楽しいひと時を過ごしました。


.. 2013年06月14日 11:18   No.561002
++ 斎藤なぎさ (小学校高学年)…23回       
金曜官邸前に集う人々
 │ 野村昌平さんと吉野山隆英さんについて紹介します
 │引きずり出そうとして掴んだその子の手の皮膚は乾いた油紙のようでした
 └────(たんぽぽ舎ボランティア)

 野村昌平さんは元エンジニアで、29年前の敦賀原発の定期点検工事の際、10日間タービン建屋内でタービンと発電機を繋ぐ減速歯車の作業の監督をしていたことがありました。放射線汚染管理区域に入るまでの現場教育と実際のそれとの間に乖離があり、その経験を「安全性の確保不十分な原発」と題して投稿したところ、記事が朝日新聞の「声」欄(1983年12月19日)に掲載されまし
た。
 当時から原発で働く労働者の安全性に疑問を呈し、警告を発してこられた方です。 最近は電気料金を分割して振り込むことに取り組んでおられます。官邸前ではいつも自転車に乗って抗議をされ、終了後に電気料金分割払いのノウハウが書かれたビラを配布しておられます。
 吉野山隆英さん(野村さんの学校時代の先輩)は、2012年3月に浅草公会堂の「東京大空襲資料展」に絵を展示されました。
 空襲翌日に見た学校や遺体処理の様子を絵や文章にしています。兵隊が鳶口で焼死体を刺して車の荷台に引きずり上げているのを目の当たりにし、思わず子供の屍を鳶口から守ろうとしました。「引きずり出そうとして掴んだその子の手の皮膚は、乾いた油紙のようでした」と記しています。
 吉野山さんは、平和、反戦、反核のために役立てて欲しいと、ご希望があれば「東京大空襲」の絵画を貸し出して、体験を話してくださるとのことです。官邸前では絵を掲げて抗議されています。

 連絡先: 野村昌平 (吉野山さんへの連絡もこちらに)
 〒134-0091 江戸川区船堀2−7−4 Tel &Fax03−3687−9089
 E-Mail sss_nomura@yahoo.co.jp

 ★☆6月の金曜官邸前行動☆★
 6月14日(金)、21(金)、28(金)午後6時から8時まで。参加大歓迎です!

.. 2013年06月14日 11:39   No.561003
++ 島村英紀 (小学校中学年)…12回       
.「やさしい地震と原発の話」連載シリーズ〜<4>
 │ 活断層だけを心配していて良いのではない。
 │ 日本を襲う直下型地震のほとんどは
 │ 活断層と判明していない地震断層が起こしている!
 └────(地震学者)

 地震は、地下の岩のなかに歪みが溜まっていって、岩が耐えられなくなったときに起きる。そして、ものが壊れるという破壊現象では、いつ、どんな状態のときに最終破壊に至るかという時期や程度に、かならず、かなりの曖昧さがあるものなのだ。たとえば、同じ輪ゴムを引っぱっていっても、同じ引っぱった長さのところで切れるわけではない。そして図(※)のように、この曖昧さ
は、短くても百年、長ければ一万年以上もの曖昧さがあるのだ。このため、私は普通の家やビルなどでは、活断層を心配するのはほとんど無意味だと思っている。数百年先のことを心配して家をそこに建てないというのは、どう見ても賢明な判断ではない。
 しかし原発は別だ。何か起きたら数万年、あるいはそれ以上、そして日本以外にも影響が及ぶ原発や数万年以上の管理を必要とする核廃棄物では、将来の地震が起きる時期がたとえ曖昧でも、活断層を視していいとは言えないであろう。
 前に書いたように、日本を襲う直下型地震のうち、活断層が起こしたものは、ごくわずかである。ほとんどは活断層だと分かっていない地震断層が起こしている。つまり、活断層だけを注意していれば、将来起きる地震に備えることには、決してならないのである。

 ※図については島村氏のホームページをご参照下さい。
 こちら
 (出典『長州新聞』2013年2月22日、25日号。著者の了承を得て掲載。)

.. 2013年06月14日 12:20   No.561004
++ 斉間淳子 (幼稚園生)…2回       
原発現地(四国電力・伊方原発)から、必死の訴え!
 │ 子どもたちの未来のために、再稼働を決して許さないで下さい!
 └────(八幡浜・原発から子どもを守る女の会 代表)

要請書

原子力規制委員会
田中俊一委員長殿
              八幡浜・原発から子どもを守る女の会
                        代表 斉間淳子
 私は伊方原発から10キロの地に住んでいます。
原発は、例え事故を起こさなくても、日々放射能を垂れ流しながら動いているのです。原発の直ぐ傍で生活する私たち住民は低線量の内部被曝を余儀なくされる人生を送ってきました。この原発からの放射能を浴びながら、私は子育てをし、年老いた親を見送ってきました。みかんを実らせる豊かな大地と魚をはぐくむ美しい海を目前にしながら、「原子力は国策である」という国のやり方
に翻弄され、自然と生命と子どもたちの未来を犠牲にして生きてきました。島原発の恐るべき原発災害は決して想定外ではありません。人災です。
 かつて伊方原発設置許可取り消し裁判の中で、福島で起きた全てのことについて伊方の原告たちは克明に予測し、証言しています。
次は伊方かもしれない、故郷を失うのは私であり、子どもたちであり、孫かもしれないという不安は日々大きくなっています。例え、どのような安全対策を講じようとも核は人類とは共存できないということをチェルノブイリが、福島が証明したではありませんか。

 貧しい限界集落の過疎地にしか原発は建設されません。本当に安全ならば、電気をふんだんに使う大都会に建設されるべきです。貧しい過疎地に住む私たちを犠牲にしないで下さい。私たちはモルモットではありません。
 1号機は36年、2号機は31年経ち老朽化しています。3号機は猛毒のMOX燃料を使いプルサーマル運転が強行されました。原子炉は中性子線を浴びて、金属が脆くなっています。緊急時の冷却などで破壊に至る危険は高まっています。また、伊方原発から6キロの沖合いには、世界で有数の活断層である中央構造線が横たわっているのです。南海トラフの巨大地震が近い将来必ず起こる
といわれ続けています。私たちは何処へどうやって逃げればいいのでしょうか。
 幸いなことに2012年4月から定期検査のため伊方の3基の原発は止まっています。しかし、原発がある限り、私たちの平穏な生活は訪れません。

どうか、3基の原発を廃炉にして下さい。
子どもや孫たちに負の遺産を残さないで下さい。
これ以上行き場のない使用済み核燃料を増やさないで下さい。
子どもたちの未来のために、再稼働を決して許さないで下さい。

(※この要請書は、2013年6月3日の規制庁交渉の際、斉間さんご本人が読上げ原子力規制庁職員に手渡されたものです。)

.. 2013年06月14日 12:46   No.561005
++ 伊藤久雄 (幼稚園生)…1回       
福島原発災害は、やはり「集団移転[集団移住]」を
 │   すすめなければならないのではないか
 │  土地と建物、解決のための2つの提案
 └────( 認定NPOまちぽっと 理事)
(まちぽっとブログから)

 昨日、日弁連主催の第56回人権擁護大会プレシンポジウム「福島原発事故被害の補償・救済はこれでよいか?」がありました。私(伊藤)も傍聴してきま
したが、やはり福島県浜通り地域(浪江町、双町、大熊町、富岡町など)は、「集団移転(集団移住)」をすすめなければならないのではないか、と改めて強く感じました。
 財物(土地、建物等)補償は、とても生活再建できるものではありません。
土地は、もともと浜通りは地価水準が低く、補償基準(固定資産評価額を割り返して算定)にもとづく補償額では、新たな土地を買うことはとても困難です。
いわき市は特に、地価が高騰しています。
 建物は、経年減価が行われるため、築48年以上の建物は新築価格の20%しか補償されません。また、新築価格の基準も低く、新しい土地に家を建てることなどできません。

「新しい土地」といっているのは、国・東京電力の補償基準は「除染して帰還する」ことが前提となっていますが、除染して帰還できると考えている人々はどんどん少なくなってきています。私は除染などそもそも無理なのであり、帰還は困難だと考えています。そこで、これまでも訴えてきましたが、改めて以下の提案をしたいと思います。

1.土地
  土地は国が買い上げ(国有地化)、集団移転(集団移住)が可能な土地を
  国が代替地として提供する。
2.建物
  建物は、生活再建可能な補償を東電が行う。基準は「再取得価格」(新築格の100%補償)か、公共用地取得基準によって行う(最低限、新築価
  格の80%程度を補償)。
  なお、帰還を希望される人々も当然ながらいます。これらの人々に対しても、当然ながら生活再建可能な補償を行いながら、当面は災害公営住宅を早急に建設し、帰還までの住宅を保障することが必要です。
(なお、シンポジウムで3.11以降の「原発訴訟一覧」が配布されました。
 少し整理して後ほど掲載したいと思います)


.. 2013年06月14日 13:02   No.561006
++ 島村英紀 (小学校中学年)…13回       
.「やさしい地震と原発の話」連載シリーズ〜<最終章・5>
 │ 海の面積を入れても面積が世界の0.6%しかなく、
 │ プレートがモザイクのような日本で、
 │ 甘い想定以上の大地震動が襲ってくることの危険性!
 └────(地震学者)

 じつは、それ以外に、日本の原発にとって恐ろしいことが、最近の地震学から分かってきている。それはいままで原発を設計してきた基準の地震動よりは、はるかに大きな地震動が襲って来ることが、最近分かってきたからである。原発を作るときの設計の基準では、地震動の基準の加速度を想定してきた。たとえば中部電力のホームページには「将来起こりうる最強の地震動」を350〜450ガル(gal)、「およそ現実的でない地震動」を450〜600ガルと書いてあった。
つまり、これらの「最大の」加速度に耐えるように原発は作られてきたのである。
 なお、これらの基準は原子炉本体とか格納容器など「重要部分」に限られていた。たとえば、いざというときにはきわめて重要な緊急炉心冷却装置(ECCS)は、この基準外とされている。さらに、ひとつの原発に5万本、のべ100キロメートルもの配管がある。これら配管やその継ぎ目も、本質的に地震に弱い構造なのである。
 ところが最近の地震観測では、これらの基準加速度をはるかに超える実測値が日本各地で記録されているのだ。たとえば2004年に起きたの新潟県中越地震では2516ガル、2008年の岩手・宮城内陸地震では岩手県一関市厳美町祭畤(げんびちょうまつるべ)で4022ガルを記録した。また新潟県の柏崎刈羽原発が2007年の中越沖地震で停止してしまったときは、構内にある地震計が記録した加速度は1500ガルにも達していた。

 東日本大震災のときに、福島第一原発で、津波が来る前に地震で壊れていたのではないかという強い疑いがある。国会事故調査委員会が(津波が来る数十分前の地震の揺れの直後に)非常用復水器から水漏れがあったという作業員の報告を受けて現場調査をしようとしたら東京電力によって阻止されたことも報じられた。 津波対策だけしていれば、将来の原発の運転は安全なのかどうか、
この現場調査がカギを握っていたのだが、調査ができず、国会事故調査委員会の報告では、その可能性を指摘しただけにとどまっている。しかし地震学的には、設計値をはるかに超える加速度をもし被ったら、その装置は壊れても不思議ではないのである。

 つまり、モザイクのように出来てきて、面積では、まわりの海を入れても世界の0.6%しかない日本で、(マグニチュード6以上の)世界の大地震の2割以上が起きるという日本では、原発はなじまないものである。
 原発を襲う地震について考えるときに、活断層だけの問題に矮小化してしまって、その問題だけクリアーすればいいのか、という強い疑問が残ると言わざるを得ない。<完>

(出典『長州新聞』2013年2月22日、25日号。著者の了承を得て掲載。)

.. 2013年06月14日 14:06   No.561007
++ 広瀬隆 (小学校中学年)…18回       
「脱原発先進国」ドイツをルポ (上)
 |  「廃炉でも地元経済は衰退しない」
 |  「廃炉で地元経済が破綻する」は大ウソだった
 └──── 

 「廃炉で地元経済が破綻する」と不安を抱く原発立地自治体と、その住民は多い。作家の広瀬隆氏は俳優の山本太郎氏らとともに、日本に先んじて2022年の「原発ゼロ」を決めたドイツへ赴いた。8基すべての廃炉を進めるドイツ北部のグライフスヴァルト原発で、広瀬氏が目の当たりにしたのは地元経済の衰退ではなかったという。

 見学後、われわれの目的である地元の雇用問題を尋ねると、「かつて原発運転時には2000人ぐらいだったが、原発を受け継いだ現在の国営廃炉企業EWN社(Energiewerke Nord)の従業員は700人余りなので、ほぼ3分の1に減った。社内の労働者は、その分だけ解雇されたので、決して廃炉だけで地元の雇用が確保されるわけではない」という。

 しかし、次に廃炉コストを尋ねると、「現在まで20年間で、およそ20億〜26億ユーロが廃炉作業に投入された。したがって、20年間でおよそ2000億円、毎年100億円ぐらいを要し、その大金が地元に落ちたことになる」という。

 またほかの資料によると、東ドイツ側の原発の廃炉はすべてここEWN社がおこない、ロシアの原子力潜水艦の解体もおこなって、さらに西ドイツ側の原発の解体も引き受けているので、ここがドイツ全体の廃炉センターとなって、42億ユーロを要した、という。つまりさらに大きな4000億円以上の金が地元に投入されたことになる。毎年200億円という大金だ。

 EWN社の廃炉ドキュメント映像をみると、廃炉解体とは、放射能のかたまりを扱うので、それほど大変な時間と、労力と、資金を要する、われわれが想像するよりはるかに大規模な難工事なのである。

 そのため、廃炉の解体に伴って成長した鉄鋼関連の機械工業が生まれていたのである。したがって、経済崩壊と高齢化が進んできた東ドイツ側の中では、この地域の雇用悪化はそれほど悪くない状態にあるという。

.. 2013年06月15日 10:17   No.561008
++ 青山晴江 (小学校低学年)…9回       
泊原発再稼働反対・北海道三日連続行動に参加して
 |  広瀬隆さんプラス福島の女性・黒田さんの訴え講演会
 |  ここを福島のようにしないでください。一番の防災は原発を止めること
です
 └────  (たんぽぽ舎ボランティア)
 
○ 6月7・8・9日北海道の倶知安、余市、小樽で「広瀬隆熱血講演会―福島を忘れません、泊再稼働を許しません―」が開催されました。講演には、再稼働阻止全国ネットワークからの参加として、現在の福島の酷い状況を伝える郡山市・黒田節子さんの福島報告も入りました。参加者は各80〜100人位ですが、倶知安市の人口1万6千人、余市2万1千人の数から考えると高い参加率ですし、用意したたんぽぽ舎の広瀬さんのパンフレット、疎開裁判のブックレット、「福島原発事故と女たち」の本など50冊は一日目でほぼなくなり、原発への関心の高さが窺われました。
○ 講演会チラシを北海道新聞に折り込み依頼したところ、営業の上のほうから広瀬隆の名前が入っているのでと断られたそうです。新聞には講演会案内が掲載されているにもかかわらず。また7月13日には再稼働反対・岩内行動(13時〜、岩内フェリー緑地)が予定されていますが、北海道電力は同日にPR館でイベント開催、近隣4村各戸に案内郵送をするという圧力をかけてきています。
○ 会場で黒田さんが「美しい山際にある3基の原発の上を雲が覆い流れていくのを見たとき、放射能のように見えました。一度爆発してしまったらどうにもならないのです。ここを福島のようにしないでください。一番の防災は原発を止めることです。」などと訴えると、会場では頷いたり、目頭を押さえたりする姿が見られました。広瀬さんはその福島報告を所々、重要なこととして取り上げられ、膨大な資料の中から、富岡・双葉の今の町並み、もし泊が爆発したしたら北海道がどのようになるか、福島での健康被害の今後、ドイツの核廃棄物地層処分場の実態など2時間半でも足りないほどの熱弁を振るわれました。
 講演後ロビーで「人事ではない、明日はわが身とよくわかった、泊を止めなくては。」と若い人たちが話していたのが心強かったです。交流会でもいろいろな話が出て、それぞれの地元、そして市町村を超えたつながりを作られている姿に励まされました。
○ 3日間晴天に恵まれ、北海道の突き抜けるような青空に、羊蹄山・ニセコ連山、小樽の町並み、神々しい積丹半島の海のブルー、忘れられない美しさでした。そしてその脳裏の景色に、いろいろな場所からよく見えた泊原発。これさえなけ
れば…。岩内町議の佐藤さんの運転でお世話になり、多くの場所でたくさんの人々との出会いをいただきました。岩内港防波堤では35年間水温観測をしている斉藤武一さんが待っていてくださり実演してくれました。1キロ先には原子炉。
悪天候や吹雪く日にはどんなに危険かと今後の無事を祈らずにはいられません。泊原発再稼働阻止のため、微力ですがこれからも協力していきたいです。7月13日岩内行動、参加します。みなさんも行きましょう!

.. 2013年06月17日 15:36   No.561009
++ 門田 (幼稚園生)…1回       
脱原発の現地から訴える=四国・愛媛県
 |  脱原発訴え続け 伊方原発 25回目の座り込み
| 福島の事故が起きた時、次は伊方だと思った。伊方ではプルサーマルの
怖い発電ををしており、再稼働は絶対許したくない。
 └──── 

 2011年3月11日の東京電力福島第一原発事故を受けて始まった四国電力伊方原発(伊方町九町)前での抗議の座り込みが11日、25回目を迎えた。同年6月に3人でスタートし、毎月11日に実施している。(渕脇直樹)
 地元主婦でつくる「八幡浜・原発から子供を守る女の会」(斉間淳子代表、30人)の呼びかけで始まった。原発ゲート前に毎回座り、参加者が交代で再稼働反対や脱原発を訴えている。
 この日の座り込みには神奈川県の女性や徳島県の大学生を含む約20人が参加。
斉間代表は「福島の事故が起きた時、次は伊方だと思った。伊方ではプルサーマルの怖い発電ををしており、再稼働は絶対許したくない。みなさんもその思いを周りの人に伝えて」と呼びかけた。また、福島第一原発事故のため福島県富岡町から水戸市に避難している主婦の木田節子さん(59)もマイクを握り、「(私のような)原発難民は福島で終わりにしてほしい」と訴えた。
 脱原発グループでつくる「原発さよなら四国ネットワーク」は23日午後2時から、八幡浜市中央の松陰地区公民館「止めよう伊方原発再稼働 緊急集会」を開く。参加費1000円(資料代)。
     問い合わせは門田(090・2898・7018)
(愛媛新聞 6月12日)

.. 2013年06月17日 15:43   No.561010


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