返信


■--国民主権の由来
++ 伝六 (中学生)…42回          

日本国憲法の国民主権というのは連合国が決めたといってよい。では戦前はどうであったか。君主主権であったかというと、主権というものを定義しなければならない。それはめんどうだから、学問的厳密さはおいて、戦前は君主主権ということにしておこう。宮沢俊義(としよしという字は正確に記憶していない)によればポツダム宣言を受諾した時点で、国民主権になったという。これは理論的にはおかしいが、理論はしばらくおいて、事実として連合国が国民主権にすることを決めたのである。すると連合国の戦争目的の一つは君主主権を国民主権にすることであったのであろうか。もしそれなら君主主権であったがために戦争がおこったということになる。それなら天皇制に戦争の原因があったとすることはまちがいではないことになる。天皇制がなければ、戦争はおこらなかったのだと。しかしことはそれほど単純ではない。だいたい国民主権と言ったって、国民の意思がふたつにわかれたときは、国民の半分には主権がないのか。君主主権と言ったって独裁者でないかぎり、君主の意思のとおりにことは動かない。立憲国では国民主権であろうと君主主権であろうと、政治の実際において形態的にそうかわったものではない。
.. 2007年03月04日 11:17   No.55001

++ 伝 (小学校高学年)…21回       
或る詩人は「天皇あやうし、この一語がわたしを動かした」というようなことを戦後語った。当時はそうだったが、あの戦争の性質はそういうものではなかったという文脈だったように思う。私の記憶ちがいがあるかもしれないが、当時、国民の意識にそういうことがあったかもしれない。今の八十歳以上の人は深刻な価値観の社会的変動を経験したようである。私はある人から、その苦しみを聞いた。昨日の是は今日の非なのである。戦前も戦後も己の価値観にたてこもった人には、その種の苦しみはあるまい。また、すべて世の中にあわせる人もその苦しみはあるまい。しかし、国民の精神史の問題として、信念が崩れたことについて苦しんだ人には、その内容を書き残してほしいと思う。
.. 2007年03月04日 17:28   No.55004
++ タク (大学生)…76回       
日本の社会は不透明だといいますが、その不透明さを作り出してしまっているのは日本の長年の社会風土であり、また他ならぬ日本の国民です。
本来、民主主義とは国民が国に対して責任を持ち国民が国を運営していくべきものです。しかし、日本人の多くは国が何かをしてくれるのを待つばかりです。
国が国民に何かを施す発想は社会主義でしかありません。
国家運営の主体は国民ではなく議員や官僚が握り国民の民意が反映されずに国を動かし、天下りや賄賂などいい様にされているのです。
これでは、日本が国民主権の真の民主主義国家にはなれません。
連合国の国民主権にするといいながらの民主主義にまんまとはまって国民が何も言えない世の中になってしまいました。

.. 2007年03月06日 19:12   No.55005
++ 六 (小学校中学年)…12回       
アメリカの憲法には国民主権とは、たしか書いていないのですね。アメリカでは、実権をにぎっているのは、WASPと昔聞いたことがありますが、建前としては全部peopleだから、people主権と言ったって何も言ったことにならないから、そんなことは言わないのでしょう。だいぶ前にきいた話ですが、国民主権というのは、フランス革命の時に言われたらしいのです。君主に主権があるのでなしに、国民に主権があると。フランスでは朕は国家なりと言って、人民を圧迫したから、人民がたまらなくなって、革命を起こした。フランス革命については調べていないけれど、かなりひどいことが行われた。ラヴォアジエという百年二百年に一人のような科学者が、政府サイドの職業だったかで死刑にされた。アンペールという科学者の父も死刑にされた。そんなことを科学史の本で読みました。国王なんてのはロクでもないからいらないとなったわけでしょう。イギリスでは国王がつづいているから、国民主権か君主主権かが、意味をもつわけだけれど、慣習法にまかせて、たぶん主権がどちらにあるかは問題にしていないでしょう。日本における主権問題は、国民主権というなら、それは国民と政府または官に対して、国民に主権があるということであって、君主には主権がないといことではないと考える。日本では君民一致の上で発動するのが、主権であるべきである。その意味で国民主権ということばは廃止するべきである。したがって、おかみの言うことにはさからえないということではない。おかみさんのいうことにさからえない人は別にかまいませんよ。(笑)
.. 2007年03月06日 21:20   No.55006
++ おかけん (幼稚園生)…1回       
このスレッドにお薦めの本として、紹介させていただきます。
「日本の憲法」-すめらみことのしろしめす国-
森 清著  ISBN4-88656-262-0 展転社刊
宮沢俊義教授の「八月革命説」についても痛烈な批判をされております。

.. 2007年03月07日 00:31   No.55007
++ 伝六 (中学生)…43回       
ポツダム宣言を受諾するにあたって、大日本帝国政府は、ポ宣言の条件中には「天皇の国家統治の大権を変更するの要求を包含し居らざることの了解の下に帝国政府は右宣言を受諾す。帝国政府は右の了解に誤りなく貴国政府がその旨明確なる意思を速かに表明せられんことを切望す」という電文を送った。連合国は結局天皇の国家統治の大権を変更する要求の有無については、ハッキリ答えず、「日本の政府の究極(終局)の形体は、ポツダム宣言の条項にしたがい自由に表明された日本国民の意思によって定められるべきである」という答えであった。現在の日本国憲法は自由に表明された日本国民の意思によって定められるという趣旨で制定されたものである。形式はそうだが、終戦後の国民は、とにかく生きるためにしなければならぬことがあって、憲法の考察どころの状態ではなかった。そして憲法はGHQの草案にだいたい沿ってきめられた。当時の日本政府は国民主権という言葉をさけようとした。それでは何故主権在民ということが憲法にはいったか。部分的引用では、あまりわからないのだが、ケーディスが金森国務相に話した言葉を引用しておく。
「ポツダム宣言において「日本の政体は自由に表明せられた国民の意思によって決まるべき」ことが規定され、天皇を除去せよとの要求を斥ける唯一の方法は国民が何時でも欲するならば天皇を除去し得る道を拓いて置くことである。
「天皇を除去し得る」ということを憲法の条文に明記すると天皇の威(一字不明)を害するから勿論好ましくない。又貴大臣が議会に於いて「天皇を除去し得ず」と答弁されたのもその意味に於いて正しい方向をとられたものと思ふ。併しそれだけに天皇を除去し得る基礎はあくまで憲法になければならない。それは国民の意思が主権であるということである。」
こういう話がおこなわれていることは、まったく国民は知らなかったわけです。天皇のありかたは日本の文化伝統に根ざしたものです。それを他国がどうこういうのは、大体において悪意であると言わねばならない。それでなければ日本の文化伝統に全く盲目であるということである。このことは世界各国にむかって公表して、国民主権の語を削除するとよい。今の世界各国は天皇を元首と認めているのだから、文句はでないと思う。文句を言う国があったら、人類にむかってその非を論明してやろう。しかし、論明だけではだめだ。日本人が日本精神を体現しないと。

.. 2007年03月07日 21:53   No.55008
++ おかけん (幼稚園生)…2回       
同意です。

皇室と国民は支配者と被支配者の関係にあらず。
皇室と国民は常に共にある。それが日本であります。

.. 2007年03月08日 00:28   No.55009
++ 伝 (小学校高学年)…23回       
戦前の勅語を読むと、あたかも天皇が政府に命令しているがごとく書いてある。しかし、実際に天皇が御自ら命令されることはなかったのである。孫引きだが、戦後、陛下は藤田侍従長に次のように話されたと伝えられている。「明治憲法の本質は責任内閣の制度であって自分は決して内閣の権限を犯さないということを本旨としていた。東条内閣は、内閣の責任において開戦と決定して自分の裁可を求めて来たから、明治憲法の精神に従って自分としては不本意であったがこれを裁可した。・・・」。話が単純すぎる気がするが、いつわりはないと思う。ある人が、「またしても責任無い閣」と批判したが、戦前は責任内閣ということであったようだ。それは責任内閣であるにもかかわらず、責任を放棄することを批判したのだ。戦後、現在の無責任体制の元凶は天皇が戦争の責任をとらなかったことにあるというようなことを言う者があった。これは問題のあるところをまちがえている。今は行政に対する無責任内閣と言ってよい。ある人から聞いたのだが、歴代の大蔵大臣は東大法学部が多いそうだ。経済の専門家でないのに大蔵大臣はおかしいのではないかと。そう言われればそうだ、しかし、大臣は官僚にまかせきりで、いわば目くらばんを押していればよいのだろう。官僚には責任がないから、国の借金?が
八百兆円?になっても、誰も責任がないのである。国民主権?だから、国民がバカ殿様というわけだろうか。ちがう、かなりの国民は生活が苦しいから、バカ殿様のくらしは国民の一部だ。国民は政治的に成長しなければならない。

.. 2007年03月08日 21:24   No.55010
++ 六 (小学校中学年)…13回       
事業があると上下ができる。決定は上でやる。民主主義であっても、上下はできる。日本の社会では下の希望や感情に上はこたえるようにする。外国人の観察者はそのことに驚くと小泉八雲がそのようなことを書いてあった。今でもそうだろう。もっともワンマン社長なるものはちがうかもしれない。もしそうなら、かえってそれは日本的でない。しかし、過去の日本に、個人として、自己のためと同時に他人のために、考えかつ行動する自由は一般的になかったと考えられる。今は、はきちがえた自由はあるが、清新な自由はあまりないように思う。
.. 2007年03月10日 22:18   No.55011
++ 伝六 (中学生)…44回       
おかけんさん。賛意の表明ありがとうございます。くりかえせば、国民主権ということは、官対民で民に主権があるという意味ならば、勿論いいことである。しかし、天皇と政治は全然無関係にして共和制を理想とするという意味で国民主権というのなら、これは日本のレゾンデートルを否定するものと考える。まぎらわしいからハッキリさせる意味で、国民主権とか主権在民ということは憲法より削除すべきであるというのが私の考えです。しかし誤解しないでもらいたいのは、天皇の意思が直接、政治に関与または、トップダウン式のシステムにするということとは全然ちがうということです。いい比喩ではないけれど、人間には意識と無意識があって、政治的決定は意識である。天皇の大御心は無意識である。そういう政治をこれから、構築していかなければならないと考えます。
.. 2007年03月11日 16:52   No.55012
++ タク (大学生)…77回       
石原莞爾は、鳥海山麓の飽海郡遊佐町西山開拓地に私の父を含め同志の方々と移り住みました。そこへアメリカ軍将校が日本では珍しいチョコレートなどを持ってよくやってきたそうです。石原莞爾は笑いながら言う。「君たちは見舞いと称して、本当はマッカーサー司令官の命令で、監視しているのだろう」将校はそれを否定した。「いいえ。監視なんてとんでもない。本当にお見舞いです」石原莞爾がざっくばらんに、ユーモアを交えて意表のつく話をするものだから、将校らはすっかり石原莞爾に好感を持ち、何でも質問をするようになりました。

将校は米軍内情報とも言えるもので石原莞爾の回答を求めました。「ゼネラルは、今でも中国にいる岡村寧次大将と連携して、東亜連盟運動(現・石原莞爾平和思想研究会)を復活させようといているという噂があります。事実ですか」そのころ岡村大将は中国に残り、国民政府の要請で軍事顧問のような立場にありました。

石原莞爾の回答は、「大体岡村は帝国主義者、侵略主義者だが、私は平和主義者だ。連携などできるわけがないだろう。ただ東亜連盟同志会が、占領軍司令部の命令で解放させられたことに対しては、常に不満に思っている。しかし安心してくれ。陛下(昭和天皇)の命令で『ポツダム宣言』で米、英、中に無条件降伏を受託したのだから、抗議すべきことは堂々と抗議はするが、陰でこそこそやるようなことはしない」
と言っています。

.. 2007年03月11日 16:52   No.55013
++ 伝六 (中学生)…45回       
仁徳天皇は「天の君を立つるは民の為なり、故に君は民を以て本とす」と言われた。天というのは東洋的だが、西洋的には神と言ってもよいだろう。天は民を愛育する意図を持っている。その天意を地上において行使するのが君であるというような思想であろう。仁徳天皇は言うだけでなく実行された。このような天皇には国民は感謝こそすれ、くだらない注文をつける必要はまったくないのである。天皇と国民との関係において、国民一般が天皇から害されたということは日本の歴史においてないのである。これは事実である。現実問題は事実をもととして考えなければならない。
.. 2007年03月13日 20:15   No.55014


▼返信フォームです▼
Name
Email
ホームページ    
メッセージ
( タグの使用不可 )
Forecolor
アイコン   ICON list   Password 修正・削除に使用