|
(3月9日)、私の経験について、 │ 今後のために報告します。(連載その9-最終回-)
〜〜〜不起訴・釈放になってうれしかった。その陰には多くの皆さんの支援があった。これからも私にできる「脱原発の道」を歩く。〜〜〜
釈放されて、湾岸所の建物を出る所まで四谷署の三人が見送に出てきた。私は「お世話様になりました」という言葉が咄嗟に口から出た。自分でも可笑しかった。 モノレール「ゆりかもめ」の「船の科学館」駅まで迎えに来てくれた三人と 歩きながらお喋りをした。友人は(たぶんユーモアも込めて)「心配して損した」と言って憮然として黙って歩いた。娘などは「警察に先生なんて持ち上げられていい気になっていたんじゃないの」と怒っていた。三人は私が「寒い留置場の中で辛い夜を過ごしたんじゃないか。辛い取り調べを受けたんじゃないか」と心配していたのに、当の本人があっけらかんと笑いながら四谷署の署員 に「お世話になりました」なんてお辞儀までしていたのが不思議でしょうがなかったようなのである。 なるほど、皆が憮然としていた気持ちは痛いほどよくわかった。しかし、私はやはり秘かにほくそ笑んでいたのである。私は手錠を掛けられた時から、 「不起訴・釈放に持ち込むことが私の闘いだ」と決めていたからである。「こんな些細なことで公務執行妨害罪なんて成立させてたまるか。不起訴にすることが、逮捕の正当性がなかったということを公に認めさせることになるのだから。不起訴は警察の負けということになる」と。だから、四谷署の人たちも敗北したことを理解して神妙だったのだろう。…しかし、正直言えば、私がニコ ニコしていたのは、そういうカッコイイ図式的な見方からだけではなかった。 やっぱり解放されて嬉しかったのと、一日でも顔を付き合わせて取調室で向かい合った四谷署の人の良さそうな刑事を単に「権力側の手先」とだけしか見れなかった訳ではなかったからでもあります。やっぱりどうしようもなく人間が 見えてきてしまうのです。――そんな私の割り切れない(「煮え切れない」と言うべきか)「心の内」は、その時心配しながら迎えに来てくれた三人にはすぐには言えませんでした。
.. 2013年04月28日 12:22 No.536001
|