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■--たかだか汚染水も防げない原発
++ 鎌田さとし (幼稚園生)…2回          

−演説
 |  原発は【反命】、生命の声で訴える−1人でラッパを吹いている人
 |  4月12日官邸前抗議行動(第50回)の報告
 └──── (たんぽぽ舎 金曜行動ボランティア 金子やよい)

○ 午後5時ぐみ坂から見る空は未だ明るく、微かに赤みを帯びた日がビルに差している。4月に入り日がのびた。風もひんやりと心地よい。午後6時、官邸前でコールが始る「原発反対」「再稼働反対」「子供を守れ」、なかでも「海を守れ」の声が高く聞こえたのは、私だけでは無いだろう。だが、破綻を来した福島第一原発の高濃度汚染水の問題は、原発事故収束がいかに困難であるかを示す一端でしかない。
 今日のスピーチの最初は、鎌田慧さん「たかだか水も防げない、使用済み核燃料はどうするんですか」「安部首相早く脱原発を宣言して国民を安心させて下さい」淡々とした中に決意と意志に満ちた言葉に私は勇気づけられる。
○ 抗議行動中盤、国会議事堂正門に行こうと歩いていると、一人、並木の下ラッパを吹いている人がいる。黄色いブブゼラだ、サッカーの応援で大勢が吹いているのを見た事は有るが、たった一人が吹き鳴らす音色は、力強い中にすこし哀しい色が混ざっているように感じる。北区の職場から毎週ここにいらしているこの男性は「原発は理論的に無理だ早いうちに無くなるだろうと思っていた、それがこんなに続くとは思っていなかった。24、5年前水戸で働いていた時、原電の社員と仕事で会う事があった、その度になんて暗い顔してるんだろう、彼らはどんな悪いことをしているのかと思った。
 事故の時高校生だった息子は、俺は死ぬのかと思ったとあの時を振り返り言った。今、松戸の自宅も線量が高い、でもまだ住み続けている、それを思うと、避難の難しさに福島の事が思いやられる。抗議行動には去年4月から来ている、ブブゼラは7月から、音が大きいのでコールやスピーチの邪魔にならないようにここで吹いている。ブブゼラは牛の声、牛は自分達にも重なる。食用にされる牛でも無駄に殺されていいはずがない。原発は【反命】そんな想いで吹いている」と語られた。
.. 2013年04月16日 13:48   No.528001

++ 多辺田 政弘 (幼稚園生)…2回       
明治公園での逮捕(3月9日)−私の経験について「今後のため」報告
 |  します  脱原発運動の今後に少しでも役立てば・・(連載その2)
 
二、四谷警察署での取り調べ
 四谷警察署に警察の車で護送されてからの流れは、ほぼマニュアル通りだったと思われますので、細かいことは省きます。とにかく、手錠と腰縄に拘束され、「人間扱い」はしないというシステムで貫かれていました。
 まず、所内の部屋の一部を仕切っただけの粗末な取調室に入れられ、持ち物を押収され、身体検査を受けた。それから、取り調べ担当官=警部補(自ら「奥迫=オクサコ」と名乗っていました)がやって来て、マニュアルの流れに沿って、
まず、弁護士を付ける権利のあることを述べた。しかし、初めから捕まることを想定して弁護士を決めてデモに参加する人はそうおりません。ふと頭に浮かんだのは逮捕時の混乱の中に駆けつけてくれた女性の弁護士さんの顔だったのですが、名前も所属も分らないので、「まだ決まっていない」と記録された。
 それから、「自分に不利になることや話したくないことはその旨を言えば良い」と、これもマニュアル通りに伝えられた。私は、意図的に「公務執行妨害」をした訳ではなかったので、反抗的な態度を取らなければ不起訴になることは間違い
ないだろうと思っていましたので、「完黙」などという方法は取らずに、(関連して他人に迷惑を掛るようにならないことは慎重に心掛けましたが)、自分のことについての質問には素直に簡潔に応えました。―とにかく、このような過剰な
逮捕は絶対「不起訴」にしなければ、と心に決めていましたから。
 取り調べは、身上(経歴)や「逮捕時の状況と自分の弁明」などが時系列的に淡々と尋問されました。取り調べをしながら調書をパソコン(ワープロ)で作し、途中何度も打ち上がった部分をプリントアウトして被疑者(私)に記載事項を見せて確認する、という作業を繰り返しました。始まったのは午後4時過ぎからで、途中、《病院への往復(診察と常薬を取りに)=後述》、と《夕食》、を挟んで、夜の十一時過ぎまで続けられた。この間、トイレと水を何度も要求しました。これには素直に応じてくれました。因みに、この取り調べ官は、四十代後半ぐらいで、私の受けた印象では、普通に気さくな感じで、「意地の悪い人」(悪意のある人)には見えなかった。
 取り調べを始める前に、病気や薬のことを聞かれた。三年前の心臓のバイパスの手術後から投与さしているワーファリン(毎朝食事)と、二十年近く続けている糖尿病のインシュリン注射(朝・夕二回)があることを告げた。共に東京女子医大に通院していることを告げると、取り調べを中断して、夕食前に署の車で東京女子医大病院の緊急外来の病棟に連れて行き、簡単な診察と薬を貰うという措置が取られました。事前に警察のほうから電話で予約をしていたらしく、スムーズに手続きは進んだ。診察は時間外だったので、別病棟(「緊急外来」)から入り、若い宿直医が対応していた。土曜日の緊急対応だったせいで、薬は二日分しか処方されなかった。もし、月曜日に地検から起訴が申し渡された場合には、拘留が長引くので、もう一度月曜日に病院に行く必要があった。この間の往復、病院内での行動も含めて、公衆の面前でも、すべて手錠・腰紐を付けられたままであった。しかし、手荒い扱いと言う訳でもなかった。

.. 2013年04月16日 14:01   No.528002
++ 多辺田 政弘 (幼稚園生)…3回       
 「取り調べ」に対して、私は三つの簡単な心得を自分なりに作りました。そしてそれを守りました。一つは、事実の記録を曲げさせないこと。二つ目は、論争をしないこと。例えば、「不当逮捕」であるなどの価値判断(主張)の分かれる
言葉を使わないこと。三つ目は、自分のドジも率直に認めること。―逮捕されてしまった以上は、「不起訴」が目標(焦点)であると考えたからであります。なぜなら、《この程度では「公務執行妨害罪」は成立しない》という結果をちゃんと残すことこそが、この時点での「私の闘い」であると考えたからです。
 取り調べ官やまわりの世話係の警官に無駄に突っかかったりせず、紳士的に対応するようにした。相手も感情を持った人間であるのだから、不快感は判断を左右させることもあるだろうから。調書の内容の確認は納得のいくものにする。自
分が述べた部分の記述のところで納得のいかない表現がある時には、「そうは言わなかったと思います」と率直に納得できる形に訂正してもらう。また、「そこまで細かく聞く必要はありますか」と微細な質には疑問を投げかけ簡潔にしてもらう。若いエネルギーの有り余っているときと違って、「年寄りの半病人」(私のことです)には、「完全黙秘」をしたり、無駄なエネルギーを浪費して「論争」を楽しむ余裕は残念ながら残って無かったのです。それに、自分で蒔いた種は自分で刈り取るほかはない。隔離された警察署の中では「たった一人の反乱」なのだから。(続く)

.. 2013年04月16日 14:12   No.528003


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