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■--凛美ニッポン
++ 島田守康 (中学生)…41回          

本メールの読者のお一人、岩崎朋子さんから、4月1日に郷里・高知市で行なわれた坂本龍馬の和歌朗詠会に参加してきた報告がありました。その様子が、翌日の高知新聞にカラーで載ったとのこと。

朗詠会の正式名は「龍馬讃歌百人一首披講式」と言い、「披講(ひこう)」とは和歌(31文字)に節をつけて詠み上げることで、平安時代より宮中に伝わってきた古式ゆかしい行事です。

当日の行事は、岩崎さんの叔母の増井はつこさん(88歳)の発案で、当初、坂本龍馬記念館にこの話を持って行った時に、館長は「年寄りの戯言(ざれごと)か、民謡かなんかやるのだろう。会場は15分しか貸さない」と鼻にもかけていなかったそうですが、冷泉家(20代目)の主演を知るにつけ、態度が一変、40分に延長したとか。

当時は全国から集めた「龍馬讃歌百人一首」が披露されたわけですが、その時の様子は、下記の動画(1分)で伺うことができます。和歌の一部は添付写真でもご覧頂けます。

▼動画 こちら

さて、坂本龍馬は明治維新回転の草莽崛起(くっき)の先駆者として若くして散った(享年33歳)わけですが、その最大の功績が「船中八策」にあったことは、ご承知のとおりです。日本に限らず世界の「政局展開」の節目々々に、この「八」が絡んでくることは小生の持論ですが、今般、日本の政局変転に「日本維新の会」が投じた役割は、決して小さくありません。橋下 徹共同代表の「八」へのこだわりに私は注目しています。

今回の選に挙げられた次の三首は、坂本龍馬を象徴する代表的な作品と思います。

「みちしるべ八つの姿を語るとも みやこに閉ずる三十路(みそじ)霜月」

「美しく命もゆなり都路に 花は散りても夢を残さむ」

「夢に見しアメリカの地はふめずとも 無私の心は時こえわたる」

ところで、坂本龍馬財団では昨年7月20日に台湾の李登輝・元総統(90歳)を訪ね、その時の李氏の龍馬講演内容をまとめた『李登輝総統の魂の提言・目を覚ませ日本! 21世紀の龍馬よ!』(飛鳥出版、定価1000円)という本が出版されたとのこと。

この本の内容に感動した増井はつこさんが、李登輝・元総統に「龍馬讃歌百人一首」を送りたいと申し出て、昨年末に桐箱に入れられた色紙8枚が送られたとのこと。うち三首が李氏への讃歌となっていますのでご紹介します。

「龍馬念ふ李元総統をはるか恋う 黒潮蒼き風雨をうけて」

「人を愛す龍馬を愛す台湾の 李大人の熱き真心」

「目を覚ませ龍馬を学べと警世の 李元総統の言葉胸うつ」

ついでながら、この際、私も李氏への讃歌を一つ献上したいと存じます。

「日本知る亜細亜の巨人台湾の 李登輝の名は至宝の極み」

(^-^)M・S
.. 2013年04月05日 10:10   No.521001

++ 島田守康 (中学生)…42回       
本日は天気予報も聞かず、朝から快晴だったので思い切って「東京スカイツリー」見学に出かけました。その直接的動機となったのは、伊豆に住む知人が久々に上京してきて、「田舎者の私がスカイツリーに独りで行ってきました」と知らせてくれたからです。

すでに500万人以上が来場し、「田舎者に先を越された」との感慨から、「遅れを取ってならじ」とばかりに本日、強行したのでした。実は、スカイツリーは工事期間中に見学に行ったことがあり、また近くに行ったついでにビル内に入ってはいたのですが、展望階に昇ることはありませんでした。

噂どおり、お昼に着いたものの、整理券の待ち時間は3時間、それからビルに入って当日券を求めるのに更に30分待ち、いよいよエレベーターに乗るのに15分と結局、約4時間待ち。もっとも、4階建のビル内にはショッピングセンターが沢山あるので友人と過ごせば待ち時間は感じない仕組みにはなっているのですが、それにしても連日結構な人出です。同じく待っている人間が「ここに来ているのは金持ちの外人が多い」と言っていましたが、確かに外国人の姿が多く見られ、外貨獲得に多大な貢献していることは、間違いありません。

その理由は「634mの世界一高い電波塔」という「世界一」のネームバリューあってこそで、いかに「世界二位」ではダメなのか、ここに来れば実感できます。さて、これを施工したのは大林組ですが、私が社会人になった当時の大林組の技術や会社の噂は余り芳しくありませんでした。しかし今日、耐震性の立派な高層建築を建てられるくらいに成長したことは、誠に慶賀なことです。分速600mのエレベーターは全く振動することなく、アッという間の50秒間で350mの展望デッキに到着しました。まさしく「世界一」の技術と思います。

350mの展望デッキから見る下界(料金2000円)は、まさしく圧巻です。ですが、周囲が近代建築に取り囲まれた東京タワーほどの驚きはなく、ただただ広い東京市街が見渡せるだけです。「美しさ」の視点からは、東京タワーのほうがお勧めです。幸いにも、遠くには昨年2月に開通した「東京ゲートブリッジ(通称、恐竜橋)」も見えました。

450mの最上階(料金+1000円)は、今回は昇りませんでした。ビア専門レストランとプラネタリウムは賓客のために取っておきます。

外国人と話をしたのは、列で一緒だったロシア人女性とバンコクから来たタイ人夫婦でした。ボディーランゲージのみで、話が余り通じず残念でした。

(^-^)M・S

.. 2013年04月13日 08:44   No.521002
++ 島田守康 (中学生)…43回       
このところ、世界の耳目を集めている北朝鮮ですが、三代目の指導者、金正恩・党第一書記(30歳)は、祖父の金日成の真似事をしていますが、まさしく「子供の火遊び」同然です。そして彼の悲劇は、北朝鮮が韓国に攻め込んだ昭和25年(1950年)と違って、中ソの全面支援が得られない状況変化です。

ご承知のように、朝鮮戦争は韓国に攻め込んだ北朝鮮軍10万が破竹の勢いで釜山を除いてほぼ半島を占領しましたが、その後アメリカ軍を中心とする国連軍の仁川上陸などで形勢逆転、さらに中国軍の参戦で大規模な戦闘に拡大、マッカーサーが原爆使用発言で解任されるまで、約3年間の戦闘で双方に現在も正確な数字がはじけないほどの多大な犠牲者を出したわけです。

なお、当時、中国は100万の軍勢を「人民志願軍」「義勇軍」の名の下に送り込んだと喧伝されていますが、全くのデマです。実態はうち60万人は前年までの国共内戦における国民党軍の捕虜で、最前線に送り込まれた彼らの大半が「人海戦術」の犠牲となりました(当時の日本人の記録)。中国人捕虜2万1000人のうち、停戦後1万5000人が台湾に亡命したことでも、「捕虜参戦」は裏付けられます。この60万という数字は、満洲国の日本将兵捕虜シベリア送り数と符合します。つまり、国民党軍捕虜は「棄民」だったのです。

一方、ソ連はスターリンの老獪な「米中を朝鮮半島で対峙させる」戦略から全面参加を避け、戦車の供給とジェット戦闘機の空軍を中心に4万人を参戦させただけでした。

「軍最高司令官」としての実績づくりのために、金正恩は今、父親・正日と同様、核とミサイルの恫喝外交を継承しているわけですが、「過酷な戦争の実態を知らず空想と現実の区別がつかず、しかもいきなり最高ポストに昇り詰めてのぼせ上っている」金正恩の火遊びは、そのまま「体制崩壊」の導火線と一直線につながっています。いっその事、早く引き金を引いたらどうかと思いますが……。

さて、北朝鮮問題で思い出すのは、三木武夫・元首相の夫人、昨年の7月に亡くなった睦子氏(享年95歳)のことです。彼女は、私が日朝国交促進国民協会に携わっていた時の副会長(会長は村山富市・元首相)で、事務局が市ヶ谷・一番町の三木武夫事務所内にあり、会合も主にそこで行なわれました。彼女はご高齢で名誉職でしたので、めったに会合には出席しませんでしたが、ある時、訪朝時の話をされました。それは歓迎式典に臨んだ際、女性の対外連絡員が日本の批判をしたというのです。それを聞いた彼女は「友好親善の舞台時に、そういう無礼なことを言うから貴国は世界から信用されないのだ。今の発言を訂正しなさい」ときつくその場で叱りつけ、お詫びをさせたというのです。

これを聞いて、私は彼女を「お飾りだけではない元トップレディー」、「姉御ハダの人物」と感じた次第。「拉致問題も国交樹立が先」「慰安婦には国家賠償を」と持論を展開し、歯に衣を着せず語っていたことが印象的でした。彼女は「金日成に会った最後の日本人」と言われ、「朝鮮の子どもにタマゴとバナナをおくる会」会長の活動実績などから、北朝鮮から「親善勲章第一級」を授与された人物と言います(日本人女性として4人目)。

憲法の改定阻止を訴える「九条の会」や「憲法行脚の会」呼びかけ人の一人でもあり、全国発明婦人協会、アジア婦人友好会、国連婦人会の各会長、国際教育交流協会理事長など「生涯現役」で多数の役職をこなしていました。夫以上に率直で剛毅で健康だったことは、誇るべき日本人女性の一人だったと思います。

(^-^)M・S

.. 2013年04月15日 11:44   No.521003
++ 島田守康 (中学生)…44回       
先日(14日、日曜日)、バングラの友人チョウドリ氏のお誘いで池袋の西口公園に行ってきました。何の用件か何の事前連絡も無かったので行って見てビックリ、そこにはバングラ人でごった返していました。

イベント会場の中心部からはバングラの民謡やら流行歌が鳴り響いていて、横断幕には「第14回 カレーフェスティバル ボイシャキメラ バングラデシュ正月祭」とあります。

会場ではサプライズがありました。先月、来日したチョウドリ氏の奥さん(20歳、赤と白の民族衣装のモデルのような細身の人)が居り、その友人夫婦も居りました。残念なことに、私は先日の「東京スカイツリー」見学でデジカメの電池が摩耗していたことをすっかり忘れて、肝心の写真が撮れませんでした。添付の写真は、ようやくシャッターを押せた数枚です。

それにしても、1000人以上のバングラ人を一堂に見るのは初めてです。日本に滞在しているバングラ人は約1万人とか。年一回のこのイベントに全国各地からこの日を楽しみにやってきたようで、あちこちで「やあ、しばらく。元気かい?」などと言って堅く握手する姿をあちこちで見かけました。

  ▼当日イベントの動画 こちら

チョウドリ氏の奥さんと友人(同じく20歳、濃紺と青の民族衣装の人)は、いま通っている日本語学校で知り合ったそうで、その友人の旦那さんは日本の会社に勤めていて日本に帰化したそうで、「私たちはバングラ人の顔をしていますが、心は日本人です」と流暢な日本語で自己紹介してくれました。通例なら、「日本人と顔は似ていますが、生粋のバングラ人です」と言うところを、むしろ日本人になったことを誇りにしていて、あちこちで日本語で語り合うバングラ人の姿が見受けられました。

女性たちはお正月のために民族衣装で着飾り、意外に白系の人も多く、可愛い美人が多いと感じました。電池が無くて多くの女性を写すことができず、残念でした。そのため今回は、ネット上に出ていた3枚を付け加えます。

チョウドリ氏は私に、バングラの主食(長粒米の香辛料炒めご飯)を買ってくれて、私はレモン入りのカレーを買い求めて食べました。チョウドリ氏の奥さんからは餃子をもらって食べましたが、どれもエキゾチックで美味しく感じました。

今度は返礼に、私が日本食をご馳走することを約束して別れましたが、6月にはチョウドリ氏主宰の日バ友好協会のイベントがあるので、女性たちには民族衣装で舞台に立つよう要望しました。

いまから6月15日のイベントが楽しみです……。

(^-^)M・S

.. 2013年04月21日 08:18   No.521004
++ 島田守康 (中学生)…45回       
突然で、しかも長らくの「凛美ニッポン」の休載で驚かれたかと存じますが、実は先月の24日から5月26日の昨日まで、丸一ヵ月余(33日間)も入院しておりました。

病名は「結腸癌」で先月23日の内視鏡検査で「即日入院」を勧められたのですが、着替えのこともあり家に戻って処方された下剤を一錠飲んだところ、1時間おきの下血が続き、皆さまに「休載のお知らせ」をしようとパソコンを開こうにも開けず、翌朝そのまま入院と相なりました。

癌進行ステージはVのB、つまり他臓器に転移が認められる5期の一歩手前の第4期で、患部周囲の一部にリンパ節転移が認められ、手術で患部20cm切除、病巣付近のリンパ節切除を行なったものの、周囲空間に種がばらまかれた「腹膜播種(はしゅ)」の状態ということで、術後の最終結果は化学療法が望ましいとの診断を受けました。

長らく自然医学をやってきた私としては、まさしく「敗北の人生」になってしまったのですが、今から40年前に母親が同じく「結腸癌」で53歳の若さで逝ったことを考えると、どうしても家系的遺伝の発現と考えざるを得ません。

とは言え、一方の父親は96歳まで長命であったわけですから、私に両親の遺伝子が半々入っているならば、今後は父親の遺伝子が顕現してもよさそうに思います。

ともあれ、勤務先であった東京都済生会中央病院で入院・加療できたことは、不幸中の幸いであったかも知れません。顔見知りの職員の手配や医師、看護師の献身、それに仕事仲間がしょちゅう見舞いに訪れてくれたからです。

  ▼東京都済生会中央病院 こちら

それはまた現代医療の素晴しさと同時に、問題点も痛感させられたことでもありました。これらの点は、いずれ明かしていきたいと思いますが、人工肛門で障害者4級になってしまった「身障者」のわが身としては、生涯このハンディとお付き合いして行かざるを得ず、今後は毎日が「自分との戦い」といった感じです。

帰宅後、昨夜から今朝にかけて、初めて連続して7時間も眠ることが出来ました。入院中は最大4時間半が最高でしたから、今後は急速に回復に向かうものと思います。ただ、仕事にいつ復職できるのか、経済的なことも含めて未知数のことが多く、心配の種も尽きません。

取り急ぎ、まずは突然の休載の深々のお詫びと、近況のお知らせまで……。

(^-^)M・S

.. 2013年05月28日 13:02   No.521005
++ 島田守康 (中学生)…46回       
昨日は、久々に母校・早稲田大学と古巣の「日台稲門会」を訪ねました。キッカケは、私の入院中、大先輩の渡邊光治氏(90歳、商学部卒)から「書き留めた原稿があるのだけれども見てもらいたい」「近く日台稲門会の会合があるので、その場は如何?」との手紙が届いており、その日が6月1日の昨日だったわけです。

渡邉大先輩のことについては、過去にも何度かご紹介していますが、最大の繋がりはお兄様の竹司氏が石原莞爾将軍が居られた京都第16師団の通信隊長だったことで、昭和20年5月、フィリピンのレイテ島で戦死しています(享年25歳、陸軍少佐)。

兄と3つ下のご自身は学徒出陣で輸送船でフィリピンに増援に向かうも、米軍の圧倒的な火力の前に台湾に逃げ帰り、再び南方行きも輸送船の頓挫で台湾軍に編入、北方の基隆(キールン)基地で終戦まで過ごしました。

渡邉大先輩は「日台稲門会」創立時の副会長、現在、顧問で、会長は5代目になって、現在は岩永泰久氏(政経卒、元台湾住友商事社長、台湾日本人会会長)がなっています。

当日は午後3時からの総会のあと、4時から記念講演となり、今回のお客様は元交流協会台北事務所長の池田 維(ただし)氏(74歳)でした。演題は「日・中・台関係と今後の展望」と題して、幅広い観点から話をされました。先般4月10日に妥結した日台漁業交渉のことなど、特に話のポイントは、@尖閣問題で日本は100年以上、漁民が実際に住み実効支配してきたこと、A中国が主張するポツダム宣言などに何らの根拠もないこと、B彼らが日米分断を図るアメリカへ日本は積極的に説得・広報活動をする必要性のあること、でした。
■講 師:池田維氏(元交流協会台北事務所長)

[いけだ・ただし]  昭和14(1939)年3月、兵庫県生まれ。東大法学部卒業後、外務省入省。アジア局中国課長、米国大使館参事官、カナダ大使館公使、タイ大使館公使、アジア局長、官房長等を歴任。オランダ大使、ブラジル大使を経て外務省退官。2005年5月に交流協会台北事務所代表に就任。天皇誕生日祝賀会や叙勲を続け、台湾人観光客のノービザや運転免許証の相互承認の実現などに尽力。尖閣諸島沖での台湾遊漁船と海保巡視船の衝突沈没事故では台湾政府と交渉して事態を収拾。2008年7月に離任。(財)交流協会顧問。著書に『日本・台湾・中国─築けるか新たな構図』など。

この池田氏は、上記の各国大使の経歴が示すように、なかなかの博識ある人格者と推察したので、次の懇親パーティーで名刺交換をしました。「立命館大学客員教授」とあったので、石原莞爾将軍が昭和16年の京都第16師団長から予備役編入後、当時の中川小十郎総長の懇請で立命館大学の国防学研究所の所長になった話をしたら、「知りませんでした」と言いながらも高い関心を示してくれたので嬉しく思いました。

池田氏のことについては、著書もあり、いずれまたの機会に触れることにして、講演会後には約80名ほどが参加しての懇親パーティーが開かれました。以前と違って、若い学生の参加が増え、慶應大学OBや他大学生の参加もあり、和やかな交流の場となりました。台湾からは、台北駐日経済文化代表処の副代表・羅坤燦(ラコンサン)氏や、陳光敏・台湾交友会会長、留学生多数が参加しました。

最後の記念写真では、「飛び込み参加」の元会員の私が最前列の中央に座り、最も目立つ存在になってしまいました(苦笑)。前列2列目の左から4人目で手を上げている人が、渡邉大先輩です。

.. 2013年06月03日 14:21   No.521006
++ 島田守康 (中学生)…47回       
順序が前後してしまいましたが、実は先月の25日には、わが石研の機関誌『永久平和』の最新号(第124号)が発行されました。

今号の特集は、昨年白寿(99歳)で亡くなられた武田邦太郎先生(元参議院議員、最高顧問)に対する「想い出座談会」と称して、由縁の方々9名にお集まり頂き、それぞれの想い出話を語って頂きました。会員以外では、日本新党当時、よく取材に来られていた三木哲男『婦人公論』編集長(54歳)が参加してくれました。

内容は、本誌をご覧頂くとして、巻頭言には作家の保阪正康先生(74歳)にご登場頂きました。最近、石原莞爾将軍の評伝を書く覚悟が出来たとのことで、今後の進行が今から楽しみです。

その保阪先生から、先月の18日には『尖閣問題を考える 私たちはいかなる主張をすべきか』というブックレット(小冊子)が送られてきました。これは、氏が主宰する昭和史を語り継ぐ会の機関誌『昭和史講座』の一環として発行されたものですが、誠に時宜に叶った特集と思います。

今回、この内容の中の一つに「石原莞爾を通じて歴史をどう捉えるか」と題して、わが石研の機関誌『永久平和』で氏にインタビューさせて頂いた記事(上下巻)のうち、下巻がそのまま転載されていました。

さて、保阪先生の論点は昨年10月に日本記者クラブで講演した内容「領土問題と日中関係」が再録されているわけですが、私が印象に残った言葉をここに拾い上げて、要約に代えさせて頂きたいと存じます。

@領土問題は、基本的に歴史問題なので、短兵急な解決法があるわけではなく、根気よく、執拗に、筋立てた発信をしていく必要がある。


.. 2013年06月06日 13:33   No.521007
++ 島田守康  (幼稚園生)…1回       
A中国側の主張は、1943年11月22日の「カイロ宣言」の中の「三国同盟(アメリカ、イギリス、中華民国)」の目的は、……満洲、台湾及び澎湖島(台湾海峡上の諸島群)の如き日本国が清国人より盗取したる一切の地域を中華民国に変換することに在り」にあることは明らか。ただし、これは三国間の秘密協定で署名は無い。

B敗戦後の日本の領土を規定する国際宣言、条約には「カイロ宣言」、「ヤルタ協定」(1945年2月)、「ポツダム宣言」(1945年7月)、「サンフランシスコ講和条約」(1951年9月)の4つがあるが、前二者は内部問題だが、後二者は日本政府の了解事項なので、この後二者を立論の基本にして行かなければならない。

C特に、「サンフランシスコ講和条約」以前の帝国主義間の戦争下における領土認識(軍事力での獲得)と、以後の認識を分けて、講和条約の中の「領土」認識から掌握する必要がある。

D指導者間の「暗黙の了解」の時代(黙契)は、冷戦が終了した1990年代から終わりを告げ、日中紛争の一因には日本の国力(経済力、政治力、外交力、文化力)の著しい衰退がある。

E領土問題をナショナリズムを利用して引っ張る中国の動きに同型でぶつかる必要はない。反対に、今まで労を惜しんできた日本自身の「領土」認識の弱さを克服して、冷静に立論、主張していく必要がある。

以上が保阪先生の主な論点ですが、他のページに、別人によるわが国の高校歴史教科書で「ポツダム宣言」や「サンフランシスコ講和条約」の領土の条項が省かれている指摘があります。こうした点は、まさしく日本側のウィークポイントです。

また、外務省の元条約局長・東郷和彦氏は、@日本側はなんといっても尖閣諸島の実効支配を19世紀の末から間断なく続けていること、A戦後処理を含めて日本の法的な立場には圧倒的な優位があること、を述べていますが、私はマスコミを筆頭に学者、役人が中国の「覇権」意識と実行力を過小評価していることが“致命的な欠陥”と思っています。

中国ウオッチは、今後も続きます。

(^-^)M・S

.. 2013年06月06日 13:39   No.521008
++ 島田守康 (中学生)…48回       
先日2日間にわたったオバマ大統領と習近平国家主席の会談で、習近平は日本にとっては実に不愉快な、そして意味深な言葉を吐きました。「太平洋には両国を受け入れる十分な空間がある」と。

これは今から6年前に中国海軍の呉勝利・司令官が語った、ハワイを基点として米中が太平洋の東西を「分割管理」する構想“太平洋分割管理”案の本音を濁して語ったもので、保阪正康先生はかつて日本の陸軍省参謀が昭和17年(1942年)2月にドイツと世界大陸を二分割して占領統治する同じような構想があったことをことを指摘していますが、まさしく「中華民族の偉大な復興」「中華帝国主義」の奢りの一端を垣間見せた言葉として、私たちは記憶に留めておく必要があります。

そして、その習近平が語った「海洋戦略」の背景には、山田吉彦・東海大学教授が指摘していた600年以上前の「鄭和の大遠征」がありそうです。1405年、明の太監、鄭和(ていわ 1371年〜1434年、63歳))が2万7千人を乗せた62隻の艦隊を従え、北アフリカへの大遠征に南京付近の港を出立、その出立した日の7月11日を中国政府は「航海の日」 に定め、今年は江蘇省南通市を中心に大々的な催しを繰り広げ、「海洋権益への国民の意識を高め、海洋経済の発展に結び付けていく」方針だと言います。

この催しに勢いを付けているのが、「アメリカ大陸など人類で初めて世界一周の航海をしたのは鄭和の大艦隊だった」というイギリス人研究者の発表です。発表された「その航海はマゼランよりも100年ほど前の1423年頃に達成された」という10年以上前の研究論文は中国人にとってまたたく間に定説となり、「人類で初めて火星に到着するのは中国人でありたい」とする今日の狂信的とも思える宇宙開発においても、これは彼らの原動力になっています。

この中国人の「虚栄心」を満足させる材料として、「マゼラン艦隊でただ一隻、途中で沈まず世界一周に成功したビクトリア号はわずか80トン、コロンブスがアメリカ“発見”の航海で使ったサンタ・マリア号も80トン(長さ24メートル)だったから、中国勢はヨーロッパ勢より30倍以上大きな世界一の船を作れた」という古代遺物の発掘があります。

よって、海や陸や空において、中国は今後、大型の「世界一」の物品を出現・生産し続けるでしょう。しかし、このビッグドラゴン化が最大の弱点である“虚”の出番です。中国の「世界一」の野望、恐れるに足らず……です。

(^-^)M・S

.. 2013年06月12日 09:10   No.521009
++ 島田守康  (幼稚園生)…2回       
先日の米中首脳会談は、日米分断を図る中国側にとって格好の機会であり、当初、オバマ大統領は尖閣問題に関して習近平主席の「核心的利益」の話を一方的に聞いて、「日本と仲良くして欲しい」とだけ言ったと伝わっていましたが、オバマは「日本が米国の同盟国であることを認識する必要がある」とクギを差すような発言していたことが判りました。

「主権の問題に踏み込まず、施政権だけを認めている」アメリカの姿勢は、日米同盟に雲間が晴れない間隙を作っているわけですが、民主主義、人権などの価値観を共有する日本への信頼感を強調することで中国を牽制したということであれば歓迎すべきことです。

そして、今月11日から始まったカリフォルニア州での日米共同の離島防衛訓練「ドーン・ブリッツ(夜明けの電撃)」では、明日の14日に米軍の輸送機「オスプレイ」が日本のヘリ空母「ひゅうが」に初着艦する訓練が行なわれます。

「オスプレイ」の初着艦と同時に、今回の訓練では戦後初めて、自衛隊の陸・海・空、3部隊の統合演習(千人が参加)が行なわれていることで、まさに画期的なことの連続です。

先月、自民党がまとめた「防衛計画の大綱」案では、「オスプレイ」の保持や海兵型の水陸両用部隊の新設を明記しました。まさしく、今回の訓練がが、その運用の第一段階になるわけですが、民主党時代の「動的防衛力」から、あらゆる事態に対処できる「強靱な動的防衛力」に格上げされたことは、高く評価できます。日米合同訓練自体を「中国側に配慮して悉く中止させていた」民主党時代とは、隔世の感があります。

明日の「オスプレイ」の着艦を日本のマスコミはどう伝え、中国側がどう反応するのか見ものです。

※「オスプレイ」……タカの一種ミサゴから命名、魚を捕食することから「魚鷹(うおたか)」の異名もある。よって、海軍に利用価値があることが読み取れる。

(^-^)M・S

.. 2013年06月14日 15:05   No.521010


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