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■--テントからの緊急のお知らせ
++ テント (幼稚園生)…1回          

.【テントからの緊急のお知らせ】
| テント撤去の動きに反対。原発こそ撤去せよ
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◆3・22(金) 大抗議集会 17時より(1時間ー1時間半) テントひろば

 今回の仮処分決定によって、国によるテント撤去への動きが具体的に始まった。
そのことに対して強い抗議の意志を表すとともに、これからの闘い、なすべきことの提起、呼びかけをしたいと思います。
 テントは、福島原発事故の責任を問い、脱原発を望む全ての人々の意志の表現です。今、テントを支えるこの意志を目に見える形で示していくことが必要とな
っています。
    是非、ご参集下さい。

◆ 今回の仮処分決定について            20130314(淵上記)
3月14日朝7時30分頃、ものものしい警戒態勢(執行官、経産省の警備、公安、制服警官など総勢50名ほど)のもと、テントに仮処分決定の公示書を東京地裁執
行官らが持ってきた。テント側の「本人がいないのだから受け取れない」という対応に対して、執行官側は、対象になっている両名には、同文書を自宅に郵送するということ、文書を手渡すのではなく公示するのだということ。予め経産省(?)が用意した大仰な台をテント正面の真ん中付近に据えて公示書の掲示を行った。
今、記念すべき公示書が立派に立っている。この公示書によれば、これを損壊したら、刑罰に処せられるとも書いてある.

※ なお、内容についての詳細は、長文のため、後日別途配信します。
.. 2013年03月18日 11:10   No.512001

++ M/O (大学生)…90回       
テント日誌 3/13日
| 経産省前テントひろば 550日目 日を重ねることの速さに驚きながら
└────
原発保持方針が復興作業を妨げた.テントへ米国の放射能の現状報告届く

 ○3月9日・10日・11日・12日と『3・11』の2周年を迎えての集会や行動が各地であった。3月9日には明治公園での集会とデモがあった。東京では3月10日は日比谷野外音楽堂での集会から霞ヶ関一帯や国会に向けたデモが途
中から寒さを増した中で行われていた。3月11日にはテント前ひろばのキャンドルナイト、東電前行動などがあった。3月12日には国会正門前の集会があった。
久々に行動に参加した人も多かったと思われる。それぞれにいろいろの感想を持ったと思われるが、私は東日本大震災から早二年となること、その時間の速さには驚くばかりだった。復興はなかなか進まず、まして原発事故は収束の見通しも
立ってはいない。メディアは特集記事を組んでいた。それなりに胸に迫る記事もあったが、復興のビジョンとか構想は遠のいていくだけのようにも思えた。多分、その一つに原発事故《原発震災》があることが考えられる。今度の東日本大震災
がこれまでの震災や自然災害と大きく違うのはやはり原発事故がそこに介在していることである。そして、政府や官僚、あるいは電力業界が原発再稼働→原発保持にあることが復興作業の妨げになっているのではないか。これは機会あるごとに指摘してきたことだが、これが見えないところで復興作業を遅らせているのだと思う。既得権益にしがみつく面々との奥深いところでの闘いが続いているのである。
 ○この間、テント前ひろばは「福島月間」を提起してきたが、あらためて思うことが私たちにも福島の現状がどうなっているのかあまり分かっていないのではいうことだ。被曝と闘う人たちのことが何よりも優先課題と誰もがいうけれど、それが具体的にどうあるのかこちらからは見えていないところがあるのではないか。それだけ福島の現状が困難なところにあるという事だと思うが、私はそこのところで自己に向けた問いに答の出ぬまま状態である。テントに泊りながら朝まで話し込だが実感したのもそのことだ。メディアの報道にはヒントになることもあるが教えられることもあるが、私たちは福島の現状に対して独自のアンテナを延す作業を続けるべきであろう。この間の「福島月間」の提起をこの期間後も継続すべきと思う。3月23日(土)、24日(日)に福島で開かれる集会にテント前ひろばはバスで出掛ける。福島の現状を知り、学ぶということは強調し過ぎることのないことでありこれを胸に刻んで今後も何らかの形で「福島月間」のようなものを継続して欲しい。

.. 2013年03月18日 12:00   No.512002
++ M/O (大学生)…91回       
 ○テントにはいろいろものが送られてくる。果物やお菓子と食べ物から暖房器具まであり感謝している。なかなかお礼を申し上げる機会もないのが残念だ。また、手紙類もテントには届いている。アメリカでのピース・ウォークに参加した
女性からアメリカでの放射能汚染の現状についての報告が届いていた。アメリカの中部地方のウラン採掘場での放射能汚染の現状、それを全米に訴えている原住民の活動などだが、飛行機の待ち時間に書いたとあった。アメリカでも政府筋や
権力側はこうした情報を隠して表に出ることを防いでいるとあったがいずこも同じであると思った。中部地方の荒れ地に追い込められていた原住民の居住地がウラン採掘場の近くにあり、そこでの放射能汚染が放置されたままであり、政府は
その危険性を原住民に伝えてはいない。多くの国民も知らされていない。3月11日にアメリカ政府の原子力規制委員会(NRC)がメリーランドに建設予定の原発の建設許可申請を却下したというニュースをネットで知っていたので驚きだ
った。原発の被害や放射能汚染を隠したがるのは政府や権力に共通することなのだろうが、調査し知ることの大事さを実感する。テントも送られてくる情報などもなるべく伝えたいが情報を寄せてくれることをお願いしたい。(M/O)
 追記 裁判所が3月14日の早朝に経産省前テントの譲渡を禁ずる仮処分の通
告にきたとある。今後の動きを注目していて欲しい。

.. 2013年03月18日 12:06   No.512003
++ 淵上太郎 (小学校低学年)…5回       
3月14日仮処分公示について (声明書に変えて)
 |       (経産省前テントひろば)
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 もとよりこのテントの存在は、国・経産省の原発推進に対する抗議の意志表明そのものであり、原発問題に関する国民的討議の場として「使用させよ」と正式に要求してきたものであって、また不許可に対しての再審査の申請中でもあります。

 その相手先(国・経産省)が、裁判所に一方的に仮処分を申請し、それを裁判所が認めたわけですが、片方の当事者である私たちには事実上秘密(敢えてお知らせには及ばないということかも知れませんが)にして事態が進行したということです。

  国は2月18日に仮処分の申請(申立)を行いましたが、そんなことはテントは全く知らないでいたのです。どのような仮処分が何時、誰によって出されたかについては、当人たちが敢えて公表しないかぎり第3者或いは係争相手が知るよしもない、という ことになっているらしいです。

 その申請に対して3月6日に東京地裁の決定が出され、執行官によって14日に公示されたということです。
 国・経産省は、テントが経産省の管轄にある敷地に立てられていることに対して「不法占拠である」 と言っていますが、私たちは全くそのようには思ってはいません。

 なぜなら、福島の原発事故は史上まれに見る大事故でであったのですが、何よりもこのことに関する責任を問い、抗議をするということでテントが立てられたのです。のみならず、この事故の深刻さ、被害の甚大さからみて原発について根本的な議論を国民的に行うことが極めて重要であることから、その国民的討議の場として「経産省が管理する国有地の一角を使用したい」という申請をしていました。もちろん法的にこの土地が国有地であることは承知しておりましたが、この福島の大事故の重要性・緊急性からみて、またわが国の民主主義の実現という意味からしても、経産省前テントはどうしても必要なものであると判断したのでした。

 もちろん、かような私たちの見解や意見は、全ての人々を納得させるものであると申し上げるつもりはありません。右翼の方もおりますし、法律大好き(それ以外は嫌い)という方もおられますし、これほど極端ではなくとも「国法に違反するのはいかがか」と問う方もおられることは承知しておりま す。

 けれども改めて、福島第一原発の事故の深厚さを思い浮かべて頂きたいと思うのです。

.. 2013年03月21日 09:43   No.512004
++ 淵上太郎 (小学校低学年)…6回       
 原発立地の多くの人々は、国の政策で安全であると言うならやむを得ない、過疎と財政難に悩まされている地方自治体としては少々の危険の疑いには目をつぶろうということで、原発を容認してきたのです。国・経産省、電力事業者そして原子力村と言われる人々は挙げて「原発は安全である」ということを唱和してきたのです。しかし安全ではなかった訳で、その事実上の虚偽につて、またその
後も続く隠蔽体質や無責任さについて、国民の多くは不信を持ち、怒りを爆発させつつあるのです。国が嘘をつくという事態はまさに異常な事態と言うべきでしょう。

 つまり国や電力事業者が一蓮托生で自らの利益のために圧倒的に大きな力をもって有無を言わせず原発を強行推進してきたということです。国民一人一人のは分断されつつ、あまりに無力でした。

 しかし福島第一の事故を契機に人々は声を挙げ行動すること、そして原発問題で連携して進むべきことを学んできたのです。

 その大きな流れの中に「経産省前テントひろば」はあるのです。原発事故、それも容易に収束しが たい事故を目の当たりにして、このテントは脱原発の1つの象徴ですが、同時に脱原発から生まれ、霞ヶ関に根っこをはやしつつある緊急避難的な民主主義の実践の場でもあります。人々はテントに集まりいろいろと発言をし行動の拠点として利用し、人々の交歓の場となっています。民主主義は代議制議会への投票行動だけでよいはずはないのです。

 まるで反省をしないかに見える国や経産省はこのようなテントを抱え込んでしまい、自らの政治的・ 道義的責任を棚にあげて、テントの排除だけを願っているようです。そのための「明渡請求訴訟」であり、そのための今回の仮処分です。
仮処分では「債務者に上記物件の使用を許した」とありますが、 明渡請求訴訟がどのように展開して、裁判所がどのような結論を出すのかは、今後の問題です。手早く進行するかも知れないし、意外と悠長な進行になるかも知れません。

 いずれにしても、こうした動きを受けて、堂々と闘いたいと思います。この闘いは脱原発と民主主義をかけた、全国・全世界ののあらゆる人々の闘いだと確信できるものです。
 共に闘いましょう!

  2013年3月15日(金曜日)

経産省前テントひろば  淵 上 太 郎


.. 2013年03月21日 09:50   No.512005
++ 淵上太郎 (小学校低学年)…7回       
仮処分に対する「記者会見」と「集会」のお知らせ
 |               経産省前テントひろば
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【テントひろばからのお知らせ】

仮処分に対する「記者会見」と「集会」のお知らせ

 福島原発事故後2年余り経ちましたが、フクイチは未だ収束していません、そればかりか毎日貯まる400トンの汚染水を太平洋に放出しようとしています。また、多くの人々がふるさとも生活も仕事も奪われてしまい、15万人以上の人が避難し、十分な賠償もされず、今も高線量の中での生活を余儀なくされ、さらに多くの労働者に除染や廃炉のための被曝労働を強いています。
誰が事故の責任をとったでしょうか? 安倍政権は、半世紀以上も原発を推進してきた自民党政権の責任をとらずに、新安全基準(新稼働推進基準)を原子力規制委員会に作成させ、この夏から多くの原発の再稼働を企んでいます。

経産省テントひろばを開設して1年半、このような状況の中で、福島をはじめ脱原発を訴える全国のさらに世界の人々が訪れる文字通りの脱原発ひろばに危機が来ました。債権者として「国」がテントひろばに「占有移転禁止仮処分」を訴え、東京地裁がこれを認め、3月14日にテントひろばに仮処分を通告してきたのです。次に土地の明け渡し請求訴訟を準備していると思われます。

そこで、私たちは顧問弁護士の出席をお願いして、次の様に緊急の記者会見と集会を開催します。
メディア関係の皆さまには両方への取材および報道をお願いしたく、全国のテントの支援者の皆さまには集会への参加をお願いしたく、ご案内申し上げます。
 
経産省前テントひろば
 
○ 記者会見 
日時 2013年3月21日(木)13時〜14時
場所 経産省テントひろば前(雨天等の場合はテント内)
〒100−0013 東京都千代田区霞が関1−3−1
出席者 淵上太郎、正清太一、原発いらない福島の女たちから、弁護士、他
問合せ 経産省前テントひろば(070−6473−1947)
淵上太郎(090−3919−0604)

○ 抗議集会
日時 2013年3月22日(金)17時〜18時半
場所 経産省テントひろば前
出席者 淵上太郎、正清太一、原発いらない福島の女たちから、弁護士、他著名


問合せ 経産省前テントひろば(070−6473−1947)
(090−3919−0604)


.. 2013年03月21日 10:03   No.512006
++ Toku-san (小学校高学年)…29回       
テント日誌3/24日(日)経産省前テントひろば561日目
 |  〜桜が満開となったこの日、日比谷野音では「原発被災者と
 |  支援者の集い」が行われ、テントへは有難く無い訪問者が〜
 

 この日の東京は、花曇り。前日までとは違い少し肌寒く感じるくらいの陽気である。天気予報では、夜には一部で雨が降るという。先週の金曜日の夜に規制庁の抗議へ行った際に赤坂一丁目〜六本木一丁目に続く桜並木は、満開を迎えており、多くの人達が、写真を撮影していたが、満開の桜の見ごろも今日までのようだ。

 14時からの「原発被災者と支援者の集い」のデモに間に合うように新橋へ向かっていると、テントのスタッフのTさんから連絡が入った。右翼団体の街宣車がテントへやって来て、拡声器を使って、テントへ罵声を浴びせて行ったという事だった。日比谷野音に行く前にテントに寄って確認したところ、以前テントに来た事がある全国組織の右翼団体の街宣車が7台くらいテントへやってきて、内2台が歩道に乗り上げ、テントの前まで車をつけたということだった。完全に道交法違反。それだけでなく、たいへん危険な行為である。警察は断固同じ様な行為を許さないで欲しい。

 デモの出発時間が迫って来たので、テントにいらした方に後をお願いし、トラメガとジャンべ(アフリカの太鼓)を持って、日比谷野音に向かった。途中、集会に参加されて、テントへ向かう方とすれ違ったのだが、デモは中止になって、
代わりに参加者との質疑応答が行われる事になったという事だった。デモに不慣れな方達が多いと思って、盛り上げるために準備してきたので、ちょっと残念。野音の中に入ると、ちょうど、集会は休憩中だったが、参加者の方は、会場の前半分くらいにいらっしゃる程度、わざわざ福島から被災者の方が大型バスが2台でいらしたにも関わらず、東京側で参加した支援者の数が少ないのは非常に残念である。
 休憩が終わってからも福島からいらした様々な立場から被災者の方達の話が続いた。「まだ、事故が終息していない中、安易に戻そうという政府の対応は無責任だ。政治家が住めばいい。」「保証金をもらって酒を飲んだり、パチンコばかりしていると言うが、仮設に引きこもって鬱になるくらいなら、酒を飲んだり、パチンコをしたりした方がいい。」

.. 2013年04月01日 21:51   No.512007
++ Toku-san (中学生)…30回       
 原発事故により、被害を受け、生活の糧、生きがいを奪われた方の切実な声である。集会が終わり、野音で一緒になったAさんと一緒に野音の裏に停めてあった福島の方達が乗ったバスをお見送りした。わざわざ東京まで訴えにいらして、集会後どこにも寄らず、バスでトンボ帰りである。見送りの人数はその場にいた数人程度しかいなかったが、もっと多くの人数で見送り、勇気づけてあげたかった。6月に原発被災者の方が参加される集会とデモが開催されるという事なので、テントとして、全面的にバックアップ出来ればと思う。

 見送りを済ませ、西幸門から外に出て、日比谷公園を後にテントの方へ向かおうとしたところ、テントと反対側の東電方面から、デモ隊のシュプレヒコールが聞こえて来た。よく見ると、内幸町の交差点の先に日章旗をたくさん掲げたデモ隊の姿が見えた。そう言えば、この日は、日比谷公園をゴールとした右系の「日教組」を批判するデモが予定されていた。急いで、テントへ戻ると、テントのスタッフの方にも状況が伝わっていて、テントの外に出していたパイプ椅子を片付けられていた。本当に歓迎出来ないお客さんが多い一日だ。テントに来ていないスタッフの方に状況を連絡し、デモ後に集会が行われている日比谷公園の中幸門まで引き返してみた。集会は、その場で解散したようで、まとまってテントへ来る可能性は低そうだったので、テントへ戻ると、デモに参加たと思われるテントによく来る男性が来て、いつもの通りトラメガを使って罵声を浴びせ、帰って行ったという事だった。その後、暫く警戒体制をひいていたが、テントへ嫌がらせに訪れる可能性が少なかくなったので、宿泊当番の準備をするために一度帰宅する事にした。日比谷野音で開催されるに参加した後、当番まで時間があるので、
千鳥ヶ淵の通り抜けに行ってみようと思っていたが、残念ながら、行けなくなってしまった。泊まり番の時に時間を作って、外務省前の桜並木と日比谷公園の桜を見に行こうと思う。

.. 2013年04月01日 21:57   No.512008
++ M/O (大学生)…92回       
テント日誌3月27日(水)−経産省前テントひろば564日目
 |  金曜官邸前抗議行動のあとに、夜桜をみる会ひらく
 |  3月福島月間を終えて−今、私たちは「時の風化」との闘いに
 |  原発事故は「収束」していない−収束させたい人がいるのみだ、
 |  原発事故を過去のことにしたい力に抗して持久戦を
 

○ 桜が一気に開花し、心の準備も整わないうちに花見かよ、と思っていたが、一転して寒い日が続く。まだ、散らずにある外務省前の桜を見ながら、そんなことをぼやいていたら、週末まで桜は持つからいいのだとKさんが笑顔で言った。
金曜日の官邸前抗議行動のあとに、日比谷公園あたりで花見をやろうということらしい。この行動は午後の8時くらいまでだからその後の夜桜見物というところか。 官邸前抗議行動の後にどこかで一杯というかわりに今回は桜の下でやればよい。誰が提唱したのか楽しみだ。そういえば『夜桜お七』という演歌もある。
美空ひばりの歌かと思っていたのだが、坂本冬実の歌だがお七と言う言葉がそれを連想させたらしい。車屋さんという彼女の歌の文句がそれを誘ったのか。それはどうでもいいがこの歌は女性の自己主張を歌ったものとあるから今の状況と無縁ではあるまい。誰か花見の席で歌ってみてもらいたい。

○ テント前ひろばが提起していた「福島月間」は3月23日(土)・24日(日)の福島での集会参加で終わった。多くの課題を残したという思いが強い。テントに泊まりながら結構議論もした。これを反芻しながら、今後のことを考えて行きたい
が、やはり、私たちは今、「時の風化」との闘いを強いられているのだという実感がする。『3・11』から2周年と言ったってたかが2年じゃないか、という思いがする一方で2年というのが速いスピードで物事を忘却させもする。これには現在が次々に生起する事件で、我々が物事を考えている間にもう次のことがやってきているという状態があるからだ。どんなに大きな事柄や事件もそれを対象化し得ないうちに、ということは身体化し内化しえないうちに次のことを考えることを要求されているのだ。歴史的な時間の流れがこんな風にあるから、じっくり物事を対象化して行くことが難しいのだ。でも、他方で、社会や世界はそんなに変わってはいないということを思い起こすこともある。

○ 古い歴史のことが昨今のことのように思うこともあるのだ。ちっとも変わってはいないという感慨をもたらすのだ。歴史的な時間の流れを速くしている、そのように思わせているのは多分に在のジャーナリズムの働きがあるのかもしれないが、我々は時にじっくりと考え、こうした時間の流れに抗することも必要である。事件などにこだわりしつこく考え続けることは大事なのだ。世間の動きからは孤立する、新しい動きについていけないで、どうしてこんなことにこだわるのかという心境にさせられるかもしれないが、時の動きに抗して頑固に考え続ける必要がある。それが、ある意味で歴史につながって行く道でもあるのだ。一見すると、孤立しているようにみえても、それが全体につながっているのである。
ジャーナリズムの作り出す時の流れという空虚に抗して自分の流れとして時間を形成すること、それが「時の風化」に抗する道だし、その時に世界は変わった光景に見えるかもしれない。でもそれこそが、自分にとつてだけではなく、他者にとっても真なる世界なのだ。今はそうして世界を自己のうちに生成することが困難な時代であるにしても。

.. 2013年04月03日 09:23   No.512009
++ M/O (大学生)…93回       
○ 『3・11』から2周年というがこの2年間に多くの物事が突き出され私たちに対象的になることを突き付けた。それは対象的になること、考えを及ぼすことが難しいことを現出させたことである。考えて見れば「原発事故が収束」していないことはその象徴であるといえよう。この事実や現実から実に多くのことが突き出されている。それは原発のことから、日本の社会のことなどである。ある新聞で「原発事故は収束したのではなく、収束させたい人がいるのだ」と書いてあったが本当にそうだと思う。これは原発事故を考えたくないということであり、突き出されていることに目を覆いたいということだろう。「時」は人間の傷をいやし、包摂していく作用もある。時の流れには人間の救いとなるところもある。
そこに依存するのが日本的な自然思想のである。それにはいい所でもあるが怖い所でもある。これが権力的な力としてでてくることに私たちは警戒し、時に抗わなければならない。そこが大事なのだ。その意味では「福島月間」として提起さ
れたことは終ったのではなく、続けられるべきことである。

○ 毎週金曜日の官邸前抗議行動について新聞は参加者が減ってきていると報じている。参加の人は増えたり減ったりするだろう。それはたいしたことではない。
そんなことはちょっとした契機でいくらでも変わる。「時の風化」が参加者たちにもたらす、孤立感的な心境が問題なのだ。原発問題を過去のことにしたい、なるべく現在の問題から遠ざけたいと言う有形無形の力がここに働いているのである。権力というのは日本的な自然思想も含めて包括的にあるのであり、それに意志的に抗することは無意識的なものも含めてやってくる孤立感と抗うことだ。それがなかなか難しいことだ。自己の内に内ザ化したものしか、孤立感と闘えないが、それはまた、孤独な自己問答しか支えられない。参加者の一人ひとりがこれを深めることで、それでこそ他者とつながっている局面に脱原発の闘いは入ったのである。持久戦というのはそんなことだ。

.. 2013年04月03日 09:36   No.512010


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