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■--福島原発告訴団
++ 武藤類子 (幼稚園生)…1回          

2/22(金)【東京地検に私たちの『本気』を伝えよう】
 

福島原発告訴団は2月22日、全国に呼びかけて、東京地検前にて、『要請と激励』行動を行います。ぜひご参加をよろしくお願いいたします。

 つい先日の報道で、昨年行われた国会事故調の福島第一原発1号機の調査の際、東電は、本当は建屋の中に明かりが差し照明が使えるのに、「中が真っ暗なので
調査ができない」と虚偽の説明をしていたことがわかりました。
 未曾有の大事故を引き起こして尚、東電のこの体質にはあきれるばかりです。
 私たちの告訴を受けて、検察は事情聴取を始めています。勝俣恒久東電前会長、清水正孝元社長、斑目春樹元原子力安全委員会委員長などが呼ばれたと聞いてい
ます。
 しかしそれだけではなく、検察が強制捜査を行い証拠の押収をしなければ、真実が闇に葬られてしまう可能性があります。検察が厳正な捜査をする姿勢を見せなければ、東電や政府の態度は変わらないと考えます。
 この事故の原因がどこにあり、誰にあるかをはっきりとさせ、ただしていかない限り、原発事故被害者はますます困難を極め、分断され、救われることはあり
ません。そしてあらゆる命が安心して生きられる世界を創るための新しい価値観は生まれてきません。みなさん、是非ご参加下さい。

2月22日(金)*16:00 東京地検前集合 要請と激励行動
(移動)
*17:30 東電本店前 アピール行動
(移動)
*18:00 解散 福島からのバス組は官邸前行動参加後
 19:30経産省前テント付近よりバス乗車

*横断幕、のぼり旗、プラカードは告訴団が準備したものをお使い下さるようお願い致します。この度の行動につきまして ”シングル・イシュー”とさせていただきたいと思っております。
ぜひ皆さまご協力のほど、よろしくお願い致します。

ご不明な点がありましたら、以下までご連絡ください。
福島原発告訴団連絡先;08057397279

.. 2013年02月20日 12:15   No.500001

++ テントひろば (小学校低学年)…5回       
抗議声明 2013年4月8日 経産省前テントひろば
 └──── 

 4月6日、東京地方裁判所は、経産省前テントひろばの占有者として国が特定した正清太一、淵上太郎の両名を被告として、テントの撤去と土地の明け渡しを求める国(代表者・法務大臣)の訴状を送りつけてきました。訴状の日付は3月29日で、先の当該テントの「占有移転禁止」の仮処分に続いて、国が2012年度末までに本訴に踏み切ったことになります。なお、第1回口頭弁論は5月23日と指定されています。

 経産省前テントをめぐる攻防は新しい段階に入りました。2011年3・11東日本大震災・福島原発事故から半年後の同年9月11日にテントは建てられました。そして本年4月8日現在まで575日間、昼夜を通して守られてきました。国は訴状において、このテントが一握りの人物によって維持されてきたかの如くいいなし、その「明け渡し」を求め、さらにこの間の「土地使用料相当損害金」として1100万円余りの納付も求めています。だがテントが、1年半を超えて、暑い日も、寒い日も、日照りの日も、嵐の日も、雪の日も持ちこたえてきたのは、何よりも福島の人々の想い、福島の被災者・被曝者の声、福島から全
国に避難された人々の叫びがテントで交差し、出会ってきたからです。それをテコに、全国の脱原発を求める無数の人々の力がこのテントを支えてきたからです。
 しかし国はこの2年間、一体何をしてきたのでしょうか。福島第一原発は、事故収束などとは程遠い、いつ何が起きても不思議ではない危機的状況にあり ます。そして福島現地では、すでに子どもの甲状腺癌・異常が次々発見されています。だが福島の被害の全貌が明らかになるのはこれからでしょう。人類はすでにチェルノブイリで、原発事故が何をもたらすかを学んできました。だからドイツ政府は、福島事故後、脱原発に舵を切りました。ところが日本政府は、被災者への賠償もせず、子どもたちの避難・疎開も拒み、住民に分断と沈黙とあきらめを強いてきました。それどころか、あろうことか原発再稼働に血道をあげ、その
姿勢は安倍自民党政権の下でさらに露骨になっています。
 日本でも、当然ながら国民の過半は原発に反対しています。にもかかわらず、例えば昨年末の総選挙が示しているように、それは国政に反映されていません。
これが、原子力ムラに丸ごとからめとられた永田町の現実です。だからこそ、霞ヶ関のど真ん中にある経産省前テントひろばは、多くの人々の希望の灯であり続けてきました。仮処分後のテント前での記者会見で、福島から東京に避難してい
る女性は、テントを「私にとって第2にふるさと」とまで発言しました。私たちは、国のテント撤去攻撃に対して、法的反撃を含む、あらゆる手段をつくした不服従の闘いを貫きます。テントを守り、原発をなくし、民主主義を取り戻すため
に、全国の心あるみなさんの熱いご支援を心よりお願いいたします。

.. 2013年04月11日 11:10   No.500002
++ 園良太 (小学校低学年)…8回       
園良太さんへの弾圧裁判、4月18日15時〜ついに判決!
 |  18時半〜報告集会! 無罪へぜひ結集を
 └──── 

 3.11直後から東電本店前での抗議行動を始め、その後も様々な反原発デモや経産省前テントに関わってきた園良太さんに対し、何度も不当逮捕がしかけられてきました。しかも昨年2月の江東区の竪川河川敷公園の野宿者強制排除問題では起訴・4ヶ月も勾留され、「懲役1年」が求刑されています。
 また、関西でも反原発運動でも昨秋から11人不当逮捕、6人起訴、4人がだに勾留中という異常事態が続いています。
    こちら
 これは明らかに政府が今後原発の再稼働を狙う際に、邪魔者となる人々をつぶしていくための動きでもあります。
また東西ともに、行政への抗議行動を「威力業務妨害」に仕立て上げての起訴でした。れを許せば今後全国各地の電力会社前、経産省前、首相官邸前の抗議行動に広がることも確実です。
 園さんは判決を前に新たな弾圧をかけられる厳しい状態に追い込まれています。
ぜひ4月18日15時〜判決、18時半〜報告集会へのご参加と、無罪要求声明への賛同をお願いいたします。

 「2/9竪川弾圧」判決:4月18日(木)15時〜東京地裁429号法廷
        (12時日比谷公園霞門集合・12時15分出発でデモ、
         その後地裁前アピール、14時半〜整理券配布。
         14時半までには必ずお越しください。)
 報告集会:4月18日18時時半〜判決報告集会
      亀戸文化センター(カメリアプラザ)2階大研修室
        (東京都江東区亀戸2-19-1 JR亀戸駅北口を出て左へすぐ)
              こちら

.. 2013年04月16日 14:23   No.500003
++ 柳田 真 (幼稚園生)…2回       
速報・大飯原発の不当判決!に抗議集会
 |  関西電力の言い分そのままのひどい判決・糾弾
 └──── (たんぽぽ舎)

 4月16日(火)午後1時45分から東京日比谷の富国生命ビル(関西電力東京支社あり)の前は、抗議の人・数十人とノボリ旗が何本も立っていた。「大飯原発を止めろ」のコールがひびく。午後2時15分関西の裁判所で原告敗訴の不当判決が出た−と報告される。不当判決糾弾!市民は闘うぞのコールがひびく。判決の中味は関西電力の言い分をほとんどそのまま認めたひどい内容のようだ。判決文を入手次第、もう少し詳しく報告します。

.. 2013年04月17日 09:14   No.500004
++ 木村結 (幼稚園生)…3回       
ご注目ください 東電株主代表訴訟 第6回口頭弁論
 こちら
 日時 4月23(火)午前10時30分から
 場所 東京地裁103号法廷
  地下鉄東京メトロ丸ノ内線、日比谷線、千代田線
  「霞が関」駅Al出口徒歩1分、有楽町線「桜田門」駅5番出口徒歩3分
<内容>
 裁判長の交代につき、海渡雄一弁護士が弁論の更新のプレゼンを行います。
 東電側からは、客観的予見可能性についての反論の続きが出る予定です。
<報告集会>裁判のあと12時から 場所:ハロー貸し会議室虎ノ門
 1部 第5回口頭弁論期日報告、今後の裁判の展開
 2部 冊子『日本経済再生のための東電解体』eシフト編 発売記念 著者
    の一人で原告の堀江さんと東電解体の方法を探ります。
 出席:河合弘之、海渡雄一、原告ほか。

連絡先 東電株主代表訴訟 090-6183-3061(木村結)
こちら メール nonukes0311@yahoo.co.jp
※裁判の経過(東電株主代表訴訟のこれまで) こちら (PDF)

.. 2013年04月21日 08:45   No.500005
++ 多辺田 政弘 (小学校低学年)…5回       
明治公園での逮捕(3月9日)、私の経験について、今後のために報告
 │ します。脱原発運動の今後に少しでも役立てば・・・(連載その5)
 
(三.湾岸警察署(留置場)にて <つづき>)
 単独房から共同房へ・・・拘束された者同士の仲間意識

 翌朝(十日)に、湾岸所内の単独房から共同房に移されました。房内でのみ手錠を外され身体を楽にすることが出来ました。私の房は三人部屋でした。同室の一人は二十代の半ばのイケメン青年、もう一人は四十代半ばの坊主頭の腹の据わった感じの壮年で、六十代半ばの私と丁度ほぼ二十歳間隔の開きがある面白い組み合わせでした。二人がどうしてここに入っているのかは二人の交わ
す会話の端々から大雑把に察しはついたのですが、その憶測はここでは省略させて頂きます。
 二人とも、ユーモアがあり率直でとても感じのいい人たちでした。同室になって不愉快なことはまったくありませんでした。私は房内で一番後輩だったにも拘わらず、こちらが恐縮するくらい「長幼の序」を持って接してくれて、房内の日課を教えてくれました。食時の世話をやいてくれたり、室内の掃除(床のカーペットの水洗いやトイレ掃除)も負担を軽くしてくれたり、同室の隣人
は優しい心配りをしてくれました。
 二人は、朝起きると布団をたたみ、上半身を裸になり、通路側の鉄格子の下に足首を引っ掛けて物凄い速さで上半身を起こす腹筋運動を始め、汗びっしょりになるまで続ける。これは持久戦に備えて体力を鍛えておく為だそうだ。二人とも筋肉質の良い身体をしていました。それが毎日の日課のようでした。
 私は丸坊主の精悍な面構えの四〇代の男を「親分」と呼んだ。若い二〇代の青年は六法全書を借り出しては取り調べ対策を勉強していたので「六法君」と綽名を付けた。二人は同じ部屋になって一週間ぐらいのようだが、実に仲が良く洒落た会話をしていた。
 そう言えば、私が部屋に入った時、親分は私に向かって「刺した?」と刃物で衝く真似をして笑った。私も笑った。二人はよく本を読み、時々「今何が食べたいか」の話題で盛り上がっていた。私は二人から「博士」と呼ばれた。朝に移動本棚から読みたい本を借りられるのだが、私が小川洋子の『博士が愛した数式』を借り出して読んでいたからである。二人は感心なことに日記を毎日書いていて、「親分」は日記を広げて「今日は入ってきた博士は何者だろう」と声を上げながら書く振りをして私を見て笑った。
 留置場の壁の中の空気は新鮮で温かく、心なごむものがありました。それは、「拘束された者」同士の一種の仲間意識もあるのかもしれません。後に小竹先生からお送り頂いた『留置場日記』(先生ご自身の留置場体験記)を読ませて頂くと、そこに拘留者同士の共通の感受性が働いていたことが書かれていて大変共感しました。小竹先生が「新しい経験があるわよ」と言われた意味の一つがこれかな、と思いました。
 留置場内で体験した面白いエピソードはまだいくつかありますが、その話はまた別な機会にしたいと思います。

.. 2013年04月21日 10:25   No.500006
++ 多辺田 政弘 (小学校低学年)…6回       
明治公園での逮捕(3月9日)、私の経験について、今後のために報告
 │ します。脱原発運動の今後に少しでも役立てば・・・(連載その6)


四.東京地検での取り調べ――「不起訴・釈放」へ
 翌三月十一日の朝は東京地検へ送致され、取り調べがあった。
留置場の同室の二人の話では、地検に送致される時は、護送車に被疑者が一緒に集団で乗せられて護送られ、地検の控えの大部屋に一緒に入れられ「木の固いベンチ」に並べさせられ、検事に呼ばれるまでじっと黙って待ち、自分が取り調
べが終わっても、最後の一人が終わるまで控えの部屋で待ち、夕方五時ごろに、また集団で護送される、ということだった。
「この待ち時間が長く、かなりキツイ」と話していた。ただし、稀に「単独」送致というのがあって、それは地検の取り調べ時間に合わせて送迎護送されるので、あれは待ち時間が少なくて楽だと話していた。
 九時ごろ、地検へ護送される者の番号が次々に呼ばれたが、私は呼ばれなかった。聞くと、何やら「単独送致」ということで暫く待つように言われた。同室の「六法君」が「いいなあ、早く帰れますよ」と羨ましがった。「親分」と「六法
君」は今日は地検に呼ばれる日ではない。
 九時半ごろに、私は迎えに来た四谷署の三人の警察官に付き添われて小さな護送車で湾岸署を出て東京地検に護送された。天気が良く途中大きな観覧車が見えた。
 東京地検の内部(地下?)は、白いコンクリートの部屋が四角い廊下の左右にびっしりと詰まった「巨大な(四角い)蜂の巣」を思わせる監獄のようだった。
入口の所で、手錠・腰紐を掛けられ数珠繋ぎにされた十人近くの集団が並ばされて点呼を取られていた。なんとも家畜のような扱いだった。
 「単独送致」の部屋は、その「巨大な四角い蜂の巣」のなかの一つの「小さな巣穴」のようなものだった。ガラス張りの部屋で廊下を挟んで左右に並んでいた。到着したのは十時過ぎ頃だった。部屋の中は個室列車(コンパートメント)のよ
うに木の長椅子が向い合って並び、その奥に上半分ガラス張りのトイレと手洗いになっていた。それは留置場の部屋とほぼ同じ構造になっていた。四谷署員の一人が私の横に、もう一人が前に、そしてもう一人が廊下の椅子に座って、私が検事に呼び出されるのを待った。「ここで待たされるのが長いんだ」と私の横に座った四谷署員がぼそりと言って、じっと目をつぶって座っていた。
 そう言われてみれば、警察では何事も「待たせる」ということが平気になっていて、恐ろしく時間に鈍感過ぎる、と思った。接見の弁護士さんや家族には情報を与えず延々と何時間でも平気で待たせる。あんなにも人を待たせることに鈍感
になっているのは、警察官自身が警察内部で何も考えずにひたすら上からの指令を待つことに日常的に馴らされているからなのだろう、とその時思った。そう言えば、日本の官僚制システムとは、この「人間(他人)への鈍感さ」(つまり「人権感覚の無さ」=「思いやりのなさ」)によって上から下まで習慣化されている「鈍感なシステマチックな世界」なのだということに改めて思い至った。

.. 2013年04月21日 21:36   No.500007
++ 多辺田 政弘 (幼稚園生)…4回       
明治公園での逮捕(3月9日)、私の経験について、
 |  今後のために報告します。脱原発運動の今後に少しでも役立てば
   ゆったりした検事の部屋で尋問を受ける
   「竜雷太」に似た検事=山崎某と事務官
 
 検事に呼び出された時刻は、付き添いの署員が「お昼を取らせるべきか」と迷い始めた十二時ちょっと前だった。通された検事の部屋はゆったりとした絨毯敷きの部屋で、黒い背広を着た検事と事務官がそれぞれ大きめの机に向かって座っていた。検事の名は確か山崎某と言った。中年の何かおっとりとした大柄な人物で、その顔と姿を見た途端、どこか刑事ドラマで何度も見たような感じの男だな、思った。すぐに名前を思い出せなかったが、役者の顔ははっきり浮かんだ。後で男優の名前を思い出した。刑事ドラマによく出る「竜雷太」である。あまりに役にぴったりな役者顔だったので危うく吹き出しそうになった。検事調取の間、手錠は外されが、腰紐は座らされた椅子に結びつけられていた。
 検事は警察から送られてきた調書に目を通しながらゆっくりと確認するように尋問を始めた。一つだけ事実に反すると思われることが記載されていた。
 それは、逮捕時の警察官の言い分(逮捕状況)で「被疑者が両手を前にして突き飛ばした」という個所であった。これは四谷署での取り調べの時に、取り調べの刑事から示された「逮捕警官からの報告」の内容と同じだった。その時と同じように、私は、「突き飛ばしたのではなく、デモ隊のほうに急いで加わろうとして制止に近寄って来た警官にぶつかってしまったのです。その時、私は倒れ取り押さえられたので、私の記憶では警官が倒れたのは見ていません」というような趣旨を述べた。検事は、多分警察から送られた調書のなかにそのこと(私の弁明)も書いてあったのを見ていたようで、私の言い分も書き加えられた。検事調書に書かれたことは、その都度読み上げられて確認しながら進んだ。

.. 2013年04月25日 14:27   No.500008
++ 多辺田 政弘 (小学校低学年)…5回       
 最後に私が警察の取り調べの時にも最後に付け加えた「馬鹿なことをしたと反省しています」という一言もちゃんと書き加えられていた。私の言った意味は「余計なドジを踏んで時間をロスし、皆を心配させたのは自分でも馬鹿なことだった」という意味だったが、そういう率直な反省をしたのも嘘ではない。もちろんそれは、警官の行為が正当だったと認めたという意味では全くない。逮捕した若い警官の行動の妥当性は敢えて争わなかったのである。検事がワープロ(パソコン)で打ち上げた調書の文章を読み上げ、私にこれでよいかの確認を取り、読みあげられた「簡潔な記載」は間違ってはいなかったので同意文書に指紋押捺をした。
 最後に、検事は、さり気なく「手続きとしては、形式的にですが裁判所と協議の上、警察などへの報告・了承などが必要なので暫く待つように。また、釈放後、もしかしたら警察や裁判から関連して呼び出しがあるかもしれませんが、その時は出頭できますね」といった趣旨のことを述べた。私は、その意味がよくは分らない部分も正直あったのですが、取りあえず「分りました」と答えた。「竜雷太」検事が人を貶めるような人には見えなかったからである。
 検事の聴取は十五分から二十分ほどで、十二時十分頃には終わったと思う。前の控室に戻り、四谷署が用意した昼飯を取った。昼飯は定番の「食パン」三切れ、パック詰めの「ジャムとマーガリン」、それに紙パック「ジュース」であった。
待ち時間の間、三人の四谷署員のうち私の横の警官を除く二人が交代でどこかに食事に行った。その間、残りの四谷署員が、帰りの段取りを四谷署と取っていた。
 検事判断(起訴・不起訴)の結果を待ってから湾岸署に護送するような段取りになったようだった。何度かもどかしそうに地検の事務局に「結果が出たかどうか」連絡を取り合っていた。

.. 2013年04月25日 14:40   No.500009
++ 冨塚元夫 (小学校高学年)…29回       
4/24ふくしま集団疎開裁判―仙台高裁に上告してから1年4か月後の
 |  決定(判決)は「抗告人らの申し立て却下」という不当判決
 └──── (たんぽぽ舎ボランティア)

私の感想:頭はあるが、心のない判事による判決
弁護団の正式なコメントが出る前に私が個人的に感じたことを申し上げます。

 仙台高裁の判事は子供たちの学習生活環境は年間1mSv以下でなければならないという法律の存在は確認している。
 郡山地裁の判事が100mSv以下では問題ないとしたこととは明らかに異なっており、人権・法律に無知でないことを示しました。
 またチェルノブイリ事故後の周辺汚染地域と郡山市を比較して、このまま小中学生が郡山に住み通学したら、将来、生命・身体・健康に由々しきことが起きる
可能性があると認めた。矢ケ崎克馬名誉教授・松崎道幸医師などの証言、証拠をすべて読んだことを示したいものと思われる。そうであれば、子供たちを年間1mSv以下の非汚染地域に移動(避難、疎開)させて学習させるという結論(原告
の主張を認める)しかないはずだが、原告の申し立てを却下するというのですから皆驚きました。
 理由は、汚染された郡山に住んで汚染されない場所で勉強しても被ばくは避けられないから、郡山市には子供を別の場所で学習させる義務がないという論理です。
 原告の弁護団もこのような論理をいかに理解するか苦しんでいます。判決文が大きく二つに分かれており、前半と後半で矛盾した内容になっています。読んだ人は肩すかしを食らうものです。
 あるいは、諸般の事情から結論は決まっているが、いかに結論に結びつけるかに失敗した判決文であるともいえます。地裁とは違った論理を展開せざるを得なくなったので、事実を正しく認識した結果、結論にもっていくのが論理的に困難になったというのが実情だと思います。
 知識(頭)では理解しても、心がない、勇気がないから屁理屈を言って結論に至ったという、かわいそうな判事たちの決定でした。
 しかし、そのような心のない判事によって健康被害・生命の危険から抜け出せない子供たちが一番かわいそうです。

.. 2013年04月26日 08:41   No.500010


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