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昭和六年には、張政権と日本との全面対決はさけられない状況になっていました。再び保坂富士夫「満洲事変と石原莞爾将軍の信仰」より、引用します。「事ここに至って、関東軍はいかなる行動をとるべきか、来るべき世界の大勢を睨んで満を持していた石原中佐は、どうせ火を噴く戦争であるならば、これを単なる日本の権益擁護、あるいは日本の勢力拡張という、覇道帝国主義的戦争に終わらしめず、この武力衝突を逆手にとって百八十度の展開をなし、内には、これまで英米の尻馬に乗って中国を蔑視して来た日本の帝国主義的対支政策に終止符を打つと同時に、外には、日支両国の提携共同の方向を開く端緒たらしめようとしたのであります。そしてその建設過程を通じて日本国家の覚醒と革新を導き出し、統一国家への途上にある中華民国を誘導して、世界史転換の幕開け足らしめようという雄大な構想を秘めていたのであります。」事変決行にあたって、石原中佐は「皇道これを許すならば、世界を挙げて襲い来るとも恐るるに足らず」と軍に対して言っています。皇道と王道は同じことです。この精神で関東軍は戦ったことと推測します。
.. 2006年07月15日 22:07 No.5001
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