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(2012年12月9日 たんぽぽ舎)
日本の原発54基の内、大飯原発の2基だけが運転している。なんとしてでも、原発を維持したい連中の執念の現れである。それだけに無理が目立つ。 現在の攻防戦は、「原発の直下に活断層があるのかどうか」をめぐってなされている。それは、もしもこれが動けば、原子炉の配管が千切れるからである。 しかしながら、活断層かどうかの決め手が分かり難い。 断層の上に乗っている土砂の状態(生成年数など)から判断するのだが、この調査を関電がするのでは、泥棒に縄をなわせるようなものだ。関電は故意に間違えたことにして、結論を先送りさせている。このようにして、来年8月の定期検査終了まで運転を続けるつもりでいる。活断層問題は、関電の巧妙な戦術に乗せられている。 地震の問題は、活断層だけが問題ではない。今回の福島事故は、遠方の太平洋沖の地震で起こった。これによって原発がどのように破損したかが、福島事故の出発点である。ところが、4つの事故調はともにその事故経過を曖昧にしている。 たとえば、福島原発1号機の水素爆発では、この原因となった水素は地震による配管破断で漏れ出した水素ということになると、原子炉の地震による安全性の主張は根底から覆えされる。大飯原発の場合に、遠方の地震で配管が破断するのかどうか、検討がなされる必要がある。しかし、これが棚上げされている。 福島の事故で、福島や郡山の市民が大量被曝した原因は、格納容器のベント(排気)である。そもそも格納容器とは、第四の壁であり、これで放射能の放出を防ぐ容器である。燃料ペレットの壁、燃料被覆管の壁、原子炉圧力容器の壁の3つが壊れても、第四の格納容器の壁で防ぐというのが、原子炉安全の考え方であった。ところが、福島事故では、格納容器の圧力が高くなって破裂するというので、ベント(排気)した。安全思想の崩壊である。 その対策でもっとも有効な方法は、同じ大きさの第二格納容器をつくって格納容器の圧力を半減し、水で冷却することである。しかし、これには金がかかる。そこでフィルターを使って、放射能を吸着させてから排気筒から大気に放出するという。 しかし、この建設には時間がかかるとして、今回の運転再開では無視された。 つまり、福島事故は考慮の外である。大飯ではベントで放射能を除けないのだから、その運転再開は無謀である。 福島原発事故で、作業員を退避させないで済んだのは、放射能対策をした免震事務(重要)棟があったからである。これは柏崎地震(2007年)で、余震の最中に職員の作業する場所がなかったため、東電は免震事務棟を福島に建設した。 それが完成したのは地震の半年前で間に合った。ところが、関電にはこの免震事務棟はない。それなのに運転再開した。関電と民主党政府は福島事故から学んだことも無視して、大飯の運転を再開した。 そして、福島事故は原発から50キロも離れた郡山市、福島市の人達に、放射線作業従事者の被曝水準(年間1ミリシーベルト)をはるかに超える被曝をさせた。しかし、維新の橋下は土壇場の5月末に「豹変」し、福井県、滋賀県だけでなく大阪府や京都府も放射能が襲う運転再開を容認した。維新の「脱原発」はまやかしである。この「決断」を受けて民主党政府は、大飯の運転を許可したのであった。
未来の党を中心にして原発に賛成しない政党に期待しよう。 衆議院選挙の判断基準は、「民主にはガッカリ、自民にはコリゴリ、そして維新のウラギリ」だ。
.. 2012年12月10日 09:52 No.471001
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