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石原莞爾全集第一巻に高木清寿の「世界最終戦論 戦争史大観 国防論について」という一文があり、そのなかで、石原莞爾の予備役編入について、次のような話を伝えている。 「当時陸軍大臣は東条英機中将、人事局長は野田謙吉少将であった。野田人事局長は多くの将校たちの人事移動手続き書類を、侍従武官長蓮沼蕃大将の手を通じて天皇に奉呈して御裁可をあおいだ。天皇は鉛筆を手にされて一人一人の名の上にチェックされ、静かにお目を通されていく中に石原莞爾の名にお目がとまった。トタンに鉛筆を止められて、侍従武官長に向かって「これはこれでよいのかな」と下問された。武官長は当然に奉答に窮した。それで野田少将に天皇の御言葉を伝えた。これは再考慮して取りやめよとの御内意である。野田少将は書類を陸軍省にもち帰って東条陸相に、天皇のお言葉を伝えたが、東条は満面苦り切った顔で「かまわない、やれ!」と舌打ちして、強引に再び書類を天皇に奉呈して、石原を予備役にしてしまったのである。(南部襄吉中将談) 伝うるがごとくならば、「かまわない、やれ!」はひどい。石原憎しで、例外的だったかもしれないが、天皇にいつも忠誠だったわけではないようである。戦後の政治家はもっとひどい場合があったのではないかと思う。
.. 2007年01月30日 21:48 No.47001
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