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■--テント日誌
++ I.K (幼稚園生)…4回          

<11/25(日)―経産省前テントひろば 442日目>
 │   テントでも都知事選の話題がもちきり
 │   調査の前に大飯を止めよ!を訴えよう
 )

 今日もあちこちで集会やデモがあったせいか、午前中は訪れる人も少なかった。時折通る人は○○ビルは何処でしょうか?東京駅へ行くのには?などなど日曜日のテントはさながら道案内所。スタッフはそういう方たちにもなるべく親切に対応し、ついでに資料を渡して、少しでも脱原発をアピールするようにささやかな努力をしています。
 急いで通り過ぎる方たちにも「こんにちは」と声をかけると「頑張って下さい!」「寒いから気をつけて!」などと返ってくると寒さにも耐えられます。
 自転車で訪れた福井出身の方、金曜日行動はなんで夜なんだ!暗くなるし、
昼間なら参加できるのにとのことお仕事している人のためもあるので・・・・
と説明昼間の行動もありますよ!と資料をお渡ししました。
 大飯原発の事が気になる様子でしたが、あまりお話しする間もなくお帰りになって残念!
 太陽がテントに顔を出す昼過ぎまでは猛烈に寒かったけど座り込みの大切さを感じまた。朝、泊あけの方ががきれいに掃き清めたテント前も、時折強く吹く寒風に飛ばされた落ち葉ですぐ一杯になってしまう。でも多少の落ち葉は風情があるのでは?とそのままに3時過ぎ日比谷で解散したデモ帰りの方たちが寄ってくださり、チョットにぎやかになりました。やっぱり話題は選挙脱原発
をするにはTPPも反対でないとと教えられました。
(I.K)

.. 2012年11月29日 10:23   No.465001

++ K.M (小学校中学年)…13回       
 夜も泊まり仲間で選挙対策論議。日曜夜にたんぽぽ舎で開催された勝手連の集まりには多数が参加していた。1万枚以上のちらしを参加者が持ち帰った。
ポスティングやチラシ撒きに使われているはず。28日18時からの「山手線全駅アピール行動」を実現できると面白い。でも、宇都宮さんの人徳と政策を有権者に理解してもらうには時間がかかる、がんばらねば。朝地下鉄出口から出てくる通勤客にチラシ配りしたが受取が悪い。原子力規制委員会に関電から提出された「大飯発電所敷地内F-6破砕帯の追加調査計画」が公開され、追加調査工程が11月・u橄「・・・甥ぢ月中旬までになっている。野田政権と規制委員会はここまで引きのばして原発2基稼働のままで冬を越すつもりらしい。
選挙中にも「調査の前に大飯を止めろ」と強く訴えたい。

.. 2012年11月29日 10:36   No.465002
++ M/O (高校生)…67回       
<テント日誌 11/28(水)――経産省前テントひろば 445日目> 
  本格的な冬の季節致し方ないが、政治的な冬の季節はごめんだ
 
 寒い日だった。不寝番の深夜の散歩も取りやめてテントに籠っていた。それでというわけではないのだが早朝に日比谷公園の方に足をのばした。日比谷公園は銀杏やモミジ等が紅葉の真っ盛りでとてもきれいだ。霞門の近くの「鶴の噴水」がある池の周辺はとりわけ美しい。早朝なのに立ちとまって写真を撮る人も結構いる。私には日比谷公園はデモや集会の場所としてしか主たる記憶に残っていないが失恋のことも頭の片隅にあり、ほろ苦い思いを想起させもする。
 この間、11月11日にこの公園での集会とデモが不許可になったのは記憶に新しいところだが、今日(28日)の東京新聞には中野でも公園の許可をめぐる問題があったことが報じられていた。見出しは「脱原発デモ中野区でも規制」とあり、公園の許可条件に「15カ条」を要求していたという。大声や音楽はダメということらしい。サウンドデモは言うに及ばず、シュプレヒコール等も禁止しろというものだ。
 公共の福祉の名において行政側がデモや集会を規制するということだが、これはこの間の脱原発の集会やデモに対する権力側の反動的対応であり抑圧の動きである。行政側が「公共の福祉」の名において国民の政治的意志表示を制限し抑圧するのは日本の権力の常套手段だが、歴史的手法でもある。またそれがまた登場してきていることに注目しなければならない。
 私が散歩している日比谷公園周辺は明治時代以降のある時期は権力の集中していた所だ。帝国議会は経産省別館前辺りだが、自由民権運動の時代の日比谷公園周辺は今の首相官邸前のような位置だったと推察しえる。明治の藩閥政府は憲法制定の要求を掲げた自由民権の運動者を讒謗律や新聞紙条例などで弾圧した。自由民権の運動家を東京から追放などしたのである。憲法という国家の根本法議論を讒謗律や新聞紙条例のような法律(憲法の下位にある法律)で取り締まり、弾
圧した。

.. 2012年12月03日 11:55   No.465003
++ M/O (高校生)…68回       
 この時代から権力者は憲法精神に関わるべき問題(例えば表現の自由)をその下位の法律で平気で取り締まってきたのである。憲法の根本にあるはずの表現の自由などの論議やその表現を関係のない法律で取り締まることを平気でやってきたのだ。これが日本的法治の実態であり、今、脱原発の運動にも同じ手法が向けられているのだ。
 この間のサウンドデモや意思表示は脱原発とともに自由や民主主義の表現であった。行政権力が法律でもって軽々しく規制や排除など出来る筋合いのものではないものだ。権力側は歴史的な伝統というか手法で対応しているが、サウンドデモ等はそれらを批判し、自由や民主主義を実現しているのだ。
 テントの前は寒さに抗して何人かの人が座り込んでいる。考えればテントは存在することで何かを表現している。座り込んでいるだけで何かを現わしてはいるのだが、それにしてもなかなか厳しいところもある。世の中は選挙に向かって動き出しているが、こういう時期にもこうした政治的意思表示は重要であるのだ。
議員会館では「女たちの一票一揆」の集会が持たれているが、六回を重ねたこの動きは女性たちの力が政治に関わるのに寄与したのだと思う。大きな流れを生みだす力になってきたのである。
 昼ごろには公害補償を求めるグループの人たちがテント前から経産省前にかけてチラシの配布を始めた。大気汚染公害によって呼吸器の病気になった人たちを救う公害健康被害補償制度が存亡の危機に立っているのだという。消費増税と引き換えにこの制度も廃止される危機にあるとのことだが、こういう時期だからこうした訴えは意味があるのだと思う。
                        (M/O)
 ★テント全体会議 12月6日(木)19時〜  神保町ひまわり館3F和室

.. 2012年12月03日 12:05   No.465004
++ M/O (高校生)…69回       
<テント日誌12/5―経産前省テントひろば462日目>
 │   深夜のテントに伝えられた死
 └────(M/O)

 師走の選挙、さぞ街は騒がしいことだろうと想像するが意外に静かである。
例によってメディアは騒いでいるが、人々の気持ちは冷静なのである。これは冷静というよりは醒めているというべきなのかもしれない。三年前の政権交代のかかった選挙への期待が裏切られた気分に変わっているところが大きいのだ。
これは簡単には解消しない。アメリカの大統領選挙にも見られた光景であった。
 寒さのきつくなったテントの中で談笑しているところに電話がきた。午後の11時も少しを回ったところであろうか。Yさんが危ない。持ちそうもないという連絡だった。Yさんは先週の終わりころに脳内出血で倒れ大阪で入院していた。突然の知らせに場は一瞬シーンとなった。ポツリポツリと彼のことが話だされていた。11時半も過ぎたころには亡くなったという知らせが届いた。重た
い気分の中で臨場の通夜のようなことになった。

 テントに関係していた人たちのうちで亡くなったのはこれで四人目である。
もちろん、これは私たちが知っていて、比較的身近な人でという意味である。
私たちの知らないところで亡くなった方もおられるのかもしれないが、この四人はテントに出入りし、よく知られた人たちである。
 彼らは私たちのこころにどこか重いしこりのようなものを残して行った。Yさんもまた。彼はふっと私たちの中に訪れてその生前の姿や表情で何かを思い起こさせるのだと思う。そして私たちはそこで何事か話し語る。相手ならざる相手に向かって、いや自分に向かってである。
 Yさんとは「9条改憲阻止の会」からの付き合いなのであるが、彼は大阪のグループから派遣されているような形で活動をしていた。笑顔が人の警戒を解くところもあり、人懐こさもあって人気があった。
 3・11以降はテントの立つ前まで私たちは福島の子供たちに箱根や御殿場の水や野菜・果物を運ぶ活動をしていた。彼はその中心的なメンバーの一人であって箱根や伊豆に、また福島に出掛けていた。そしてよく車の中でかつての活動についてあれこれ話をした。これらはとても興味深いものであった。
 彼はおくびにも出さなかったけれど、ある時代の闘いに中での挫折を背負っていて日々を再起という形で関わっていたのだと推察されるところがあった。
人は他者からは想像できないような挫折や屈折、あるいは言葉にならならい世界を背負っているものであるが、それを短い付き会いの中で感得させるようなところがあった。それは彼の人柄と言っていいのだろがそれだけに得難い人だったのだと思う。

 昨年の9月11日にテントが出来てから彼はあたかも主のような存在であった。
テントの奥に座り込んでいたが彼が居る事で安心めいたものを周囲に与えていたのである。テントの初期はこれがどのように存続できるのか見通しも立ち難い中で、権力側との緊張感は強かった。だから、テントを支える面々には心的な重圧のかかる日々だった。個々が想像し、自分なりの闘いでテントを支えると覚悟するしかなかったのであるが、彼はそれを言葉少なく引き受けていて周
りには力強い存在となっていた。
 なかなか、宿泊態勢も整わない日々の中で彼はその多くを背負っていたのだ。
彼にはこのテントひろばをつくり維持していくことが、かつての運動を超えて行くことであると考えられていたのかもしれない。そんな希望が彼の腰の据わった行動にはあったのだろうと思う。

.. 2012年12月10日 11:44   No.465005
++ M/O (大学生)…70回       
 彼とは脱原発の運動で全国にテントが出現して、テントで繋がるようなことがあるといいなとよく話しあった。デモや集会という意思表示の伝統的な形態に併行してもう一つの陣地戦的な運動形態が出現することを望んでいたのだろうか。脱原発の運動が長期的である必然の中でその運動的なありようを考えていたのだと思う。
 彼には経産省前のテントが持続するだけでなく、社会《生活や地域の場》に向かって降りて行き、またそこから出てくる運動の契機になることがイメージされていたのではないかと推察する。テントはその出発であることが意識されていたのだと思う。脱原発の運動が本当の意味で国民的運動になって行くイメージを話し合ったが、テントが全国に出現するのはその一つだったのだ。
 彼は大飯での原発再稼働の日程が浮上するや、大飯の現地にテントを張った。
彼は経産省前テントから活動場を大飯に移しその中心として活動した。最初は港の近くで張られたテントは大飯の丸山公園に移ってから本格的なものになった。
 このテント村を訪れた時には彼は嬉しそうな様子で説明してくれた。経産省前テントとは幾分か様子は違っていたが、それを語るかれの表情は生き生きとしていた。大飯現地での再稼働をめぐる闘いにおいて彼の果たした役割は大きなものがあったと思う。そしてこれは大阪でのテントに引き継がれて行ったし、彼はまたそこでもまた精神的主柱のような存在だったのではないか。
 彼にしてみれば経産省前のテントひろばから得たものを次の場で実践し、今後の再稼働をめぐる運動や闘いのあり方を示唆するものを生みだしたのだと思う。いつか福島県庁前にテントひろばが出来るといいなと話しあったこともあるが、持続的で社会の深部に向かう闘いを願っていた彼の一端は実現されたのだ。
 私たちは一種の敗戦とでも言うべき場所にいつの間にか追いつめられていると感じる他ない日々の中で、安倍が提起した憲法改正の動きに危機感を持って再結集のような形で集まった。その中で私たちは出会った。
 あれから、国会前の座り込み等いろいろとやってきた。濃霧に遮られたような視界の切り開けない時代の中で闘ってきた。多くの時を過ごす中で気になっていたのは生き急ぐような彼の姿勢だった。周りの誰もが気がつきながらも、また、誰も止められなかったことだ。
 これには悔いも残るが、でもこれはどうしょうもなかった。ただ、彼はよく生きよく闘ったという、周りの者の偽らざる感想がこれに対する救いなのか知れないと思うこともある。言いわけかもしれないが…
 Yさんよ、私たちは偶然の契機で出会い、偶然のように別れて行く。しかし、その中で何かが残る。それは人の生の中で生き続ける。別れは様々だが死という別れだって同じだよね。君のことは私の中で時に思い出すようにしかないのだとしても、君の笑顔が忘れ難いように君のことも忘れ難いと思う。
 ただ、今はやはり君と出会えたことをありがとうという言葉でしかいえない。
ほんとにありがとう。私の心に扉はない、かつてに来てくれてひと時を過ごしてくれたらこんな嬉しいことはないと思う。私が呼び出すのだとしても同じ事だ。
 テントに訪れた愛媛大学の先生と話したことを記したかったのであるが、訃報に接してのこんな風になってしまった。これはまたの機会に。
(M/O)

.. 2012年12月10日 12:20   No.465006
++ M/O (大学生)…71回       
<テント日誌12/12(水)―経産前省テントひろば458日目>
    それでも変わらぬ師走の日々
 

 巷でもあまり選挙の騒音は聞こえずいつもの師走というべき光景がある。師走になるとカレンダ―が登場する、友人から贈られてくるものもあって楽しい。
テントのなかにもいくつものカレンダ―が届いている。あまり考え事をしない人のためせめてトイレくらいではというわけか、トイレに飾るカレンダ―がある。トイレに座りながら目にする文言が綴られている。なるほどと思う。
 昔、印刷所に出入りしていてたくさんのカレンダ―があるのに驚いたものだ。
その美しさに見とれていたこともある。でも、私ならもう少し別のものを作るのにと思ったこともあり、なかなか満足の行くものは少ないのだとも思ったのも事実だ。誰か私を驚かすカレンダ―を届けてくれないか(?)
 今年は寒いのだろうか(?) 一般的な気象診断は知らないが寒い。特に夜は寒い。深夜の不寝番は寒さのきつい時期に入った。誰が探してきたのか湯たんぽがあって寝るときは重宝である。私たちの子供のころは湯たんぽの時代だったのだが、人のあまり行かないところでこのお世話になったこともある。なるほどねと感心したものだが今年は役だつのだろう。
 テントのうちにはYさんの遺影が飾られている。誰が持ちこんだのか知らないが穏やかな表情である。でも、向かい合うと何を言ったらいいか戸惑いもする。彼のことは前回に書いたのだが、少し付け加えれば彼は結構激情的なところもあって怒鳴り合いのようなこともした。この歳で怒鳴り合いなどすると後に引くものだが、それはなかった。不思議なことだがそれは気持ちがよかった。
 それに彼は人に対する気遣いは細やかであった。活動家生活での苦労から身に付けたものか、活動する人への見えないところでの配慮ができていた。
 テント設立のはじめのころKさんという女性がいた。彼女も昨年の暮れに亡くなったのであるが彼女は従来の活動スタイルから見れば異質な存在で周りからは反発もあった。泊りのメンバ―が足りなかったとき彼女は率先してそれをやってくれた。そして、朝一番で自転車でゴミを自分のアパートまで運び処置してくれた。
 そんな彼女のことに何くれと気配りしていたのはYさんであり、彼女を影で支えてもいた。彼女のことは彼からも相談されたこともある。今頃はあちらの世界で再会してテントのその後のことも話しているのだろうか。
財務省の前に選挙の宣伝カーが停まり演説をはじめた。某宗教団体の車で教祖が登場するとあって動員された信者が経産省前などにも人が集まっていた。

.. 2012年12月20日 13:23   No.465007
++ M/O (大学生)…72回       
選挙の風景としては良く見るものだが、これが財務省前というのは見なれないものである。この団体の政治宣伝であるためだろうか。
 帰りにテント前を通る信者たちはテントの人たちが金で動員されていると悪口をわめいて行くが、これは自分たちが金で動員されていることを告白している(?)のだろうか。街宣車の右翼も良く似たことを言うのだが、これは彼らの実態の裏返された表現なのだろうと推察しえる。せめて政治的な信念や主張で批判をすればいいのにと思うけれどなかなかそうはならない。
 前回、書き残した愛媛大学の先生の話を記す。愛媛大学では農業や漁業に携わる科が設けられその最初の卒業生たちが就業したとのことだが、高校に自然エネルギーへの転換の対応する科の設置構想を持っているのだという話だった。
 脱原発の運動は社会の転換を内包しており、それは原発からのエネルギ―転換が経済社会の構造を変えていくということでもある。これは自然発生的な形での再性エネルギ―等への投資等として現れている。原発再稼働がなければ飛躍的に進むものであり、産業経済のイノベーションとしても内需拡大としても進展するものだ。第二次産業経済を中心とした高度成長経済の転換が不可避な
今、これは未来の道である。
 そうした人材を育成する構想だったのだがいい話だった。見えないところでこういうことをやっていることはこちらも元気づけられる。再稼働反対という政治的運動の背後にはこうした社会的行為が呼び起こされているのであり、これが以前の脱原発からは発展している要素であり可能性である。社会の構成の転換に呼応することで官邸前行動のテントも政治的枠組みを超えた広がりを形
成している。ある程度は想像できることだがその動きが見えるのは嬉しい。
 逆にいえば官僚や電力会社という独占体の再稼働はこうした社会の動きを押
しつぶそうとしている。そこに彼らの既得権益が侵される恐怖があり、敵対戦略がある。こうした直接には見えない関係で広がるところに脱原発運動の可能性があるのだが、それを実感させてくれる話だった。

.. 2012年12月20日 16:55   No.465008
++ Toku-san (小学校高学年)…21回       
<テント日誌12/16(日)―経産省前テントひろば463日目>
 |  〜厳しい選挙結果、運動とテントの今後を考える〜
 

 この日は、衆議院総選挙と東京都知事選の投票日。天気がよかったので、前日までの宇都宮さんの応援の時に着ていたオレンジ色のフリースとパーカー、若草色のパーカーを洗濯した。本当によい天気、まさに洗濯日和、投票日和である。
事前の選挙予想では、自民党が圧倒的に有利と伝えられている。投票率が上がり、脱原発候補に有利になってくれればよいのだが…。

 洗濯物を干し終わり、投票所へ向かうまで、インターネットやテレビのニュースで、投票率や選挙の状況を確認した。11時現在、14時現在、16時現在の投票率は、徐々に前回比は改善してきているものの、いずれも前回の投票率を6〜7ポイントほど下回っている。一方、「投票所に列が出来ていた」「東京8区は前回の投票率を上回っている」などの情報も見られる。東京8区は脱原発、脱被曝を訴えた山本太郎さんが立った事による影響だろう。言論人・ジャーナリストなどの多くの著名人も、ツイッターで投票に行くことを呼び掛けていた。我々の代表を選ぶ選挙で、多くの人に貴重な権利を行使して欲しい。私も投票所へ向かう事にする。
 投票所へ着くと、列は出来ていなかったが、多くの人が投票に来ていた。受付を済ませ、まず、都知事には「宇都宮けんじ」、次に選挙区では、未来の党から出ている「池田ゴウキュー」、比例区では「日本未来の党」と書いて投票した。
投票所を出ると、学校の門のところで、NHKの出口調査につかまった。
 質問の中に総選挙後に望まれる政権の枠組みは?という質問があったのだが、回答肢が、「民主党と自民党を中心とする連立」など、全て、民主党と自民党の組み合わせによるものとなっていた。
明らかに自民・民主が勝つことを前提とした質問だったので、「これ選択肢おかしいですよ」と調査員の人に言っておいた。マスコミの人間は、世論への影響をきちんと考えて仕事をして欲しい。

 19時過ぎにテントに着くと、大阪に転居したNさんが来ていた。山本太郎さんの選挙の応援で東京に出てきたのだが、テント日誌でYさんの訃報を知り、テントの様子をうかがいに寄って下さったと言う事だった。テントには、先週はなかったYさんの遺影が飾られていた。
 私がテントのスタッフを始めたのは、女達の座り込みの事務局手伝いをしていた時にYさんやKさんにお世話になったから。選挙の手伝いがあり、葬儀に参列する事は出来なかったが、心からご冥福をお祈りします。
 ありがとうございました。

 投票締め切り時間の20時を過ぎ、ラジオをつけると、早々と自民大勝、猪瀬氏当確のニュースが流れてきた。これから、脱原発運動を含めた日本の民主主義運動は、逆風が予想されるが、今回の選挙では、得るものもあった。多くの著名人が選挙の応援に参加し、ボランティアが最後まで選挙を支えた。選挙に携わった全ての人が、きちんと今回の結果を評価し、今後の対策を練ることが不可欠だと思う。
 政権交代により、テントへの風当たりも強くなるのは間違いない。テントの今後の運営についても方法論を含め、具体的に議論をすべき局面が来ていると思う。
 後退することは出来ない。
 相手を知り、自分達を客観的に評価し、次の手を打とう!
 「真の民主主義」を手に入れるために、前へ!

.. 2012年12月21日 09:46   No.465009
++ M/O (大学生)…73回       
<テント日誌 12/19(水)――経産前省テントひろば 465日目>
 | 衆議員選挙を終えて緊張感が強まってきている
 └────
 事前の予想通りの自民党の大勝の衆院選挙であった。14日から福島の方に出掛けていて期日前投票をして行ったが、帰りのバスで早々に自民党の圧勝が報じられているのを知ったから、家に帰ってもいつもと違って選挙結果の報道には目も向けずに寝てしまった。今回の選挙は棄権ということが多かったのだが、それでも選挙報道に身向きもしなかったのは初めてだった。正直いって悔しい思いがする。今回は別段、民主党を応援したわけではないのだが、自民党の大勝は面白くないのだ。
 それにしても冷静に票の分析をしてみると、議席獲得数と獲得投票のアンバランスなどが知れた愕然とするところもある。前々回、前回もこうした傾向が見られたが、今回の結果を思うと小選挙区制度の欠陥が露呈しているともいえるわけでこの制度の改定が検討されてもいいのではないかと思う。それよりも選挙の投票先を見いだせないという有権者が多かったことに注目すべきか。まともな政治的構想やビジョンを持った政党が不在であったのだ。私もしばしばどこに入れたらいいのだという質問を受けたけれども答えに窮した。ここが一番重要なところだろうか。
 国民の意志と政党や政治家の意志の間の乖離がひどくなって、議会制民主制が制度として危機を深めているのだ。私は選挙と言う形態とは別の政治的意思表示(大衆的な政治意思表示)がそれだけ重要度を深めているのだと思う。脱原発の運動の持続はその意味でこれからますますそうなるように思える。
 選挙後の最初の泊りということで、いつもよりは緊張して出掛けた。今のところ経産省や警察側との大きな変化は伝えられていないが、経産省や警察側の態度が高圧的になってきている。毎日訪れる経産省の警備員の言葉使いが違う。
 これは選挙前からある程度は見られたことだが、テントは創設時の段階にもどりつつあるといえようか。その意味では首相官邸前の行動も含めて新しい局面を迎えると思う。
 各地の原発で続々と活断層が発見されている。福島第一原発の事故に対して東電や原子力ムラが想定外の津波ということをいち早く喧伝したことが想起される。
彼らは地震による事故ということを隠したかったのである。地震が原因とされれば、各原発の点検と再稼働の困難さが増すと考えていたのだ。
 活断層のことが問題にされることを原子力ムラ等は想定していなかったのだろうが、再稼働阻止から廃炉に追い込む道筋を確かなものにすることに全力を挙げ、他方でエネルギ―と社会の転換を同時的に進め、原発稼働による脱原発時代への
転換を押しとどめることに対抗しなければならない。
 12月28日(金)には今年最後の首相官邸前の行動が予定されている。テントでは年末年始の催しを企画している。年越しにはテント前での紅白歌合戦から1月4日の餅つきまで組まれている。詳細は随時おしらせするが、年末年始のスケジュールに組み入れてもらいたい。
(M/O)

.. 2012年12月23日 08:24   No.465010


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