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<テント日誌10/31(水)―経産前省テントひろば417日目> | 時ならぬダンプカーが登場して | 大震災・原発災害と復旧・復興について考える └──── (M/O)
宣伝カーから降りてきた人が「これから少し騒がしくなりますが」と挨拶にこられた。テントの前に座りながら見守っていると、大型のダンプカー27台が次々と経産省前にやってきた。復興事業に携わる道路建設業の皆さんであり、脱原発の申し入れをしにきたのである。経産省前に行ってその訴えに耳を傾ける。 いつも経産省前には播磨屋本店の大型宣伝車が停まっている。車には鬼面人を驚かすとでも言うような憂国のメッセージが書かれている。三台も連ねられた大型宣伝車も今日は何処かに姿を消したようだ。何故、播磨屋という菓子屋さんがこういう活動をしているのか不思議に思いながらいつも見ているのだが、目にした人はどんな感想をもつのだろうか。ダンプカ―はこれとは別の迫力があった。
復興事業の現場ではゼネコンの独占的な支配があり、現場の労働者や事業者には低賃金労働が押し付けられている、という訴えがなされている。瓦礫処理や除染作業などでゼネコンの独占と低賃金のおしつけが横行しているのである。これは、福島第一原発の事故現場の実態でもある。 それらの実態を訴える労働者のみなさんの声を耳にしながら思うことは、復興予算の流用などとして報道されたことだ。復興予算の行政(官僚)機構などによ るひどい使われ方がある一方で、復興現場には必要なカネが回らず、その上で旧態依然とした大企業による独占的利益確保と小企業や労働者の苦境は続いているのだ。(中略)
私たちが原発震災に対応しようとするのは被災地の人々の具体的課題に対応することと、原発再稼働の動きに対応するという、つまりは緊急の課題としても重 層的に関わろうとしている。政府や官僚が緊急の課題と言う側面でも対応をできず、あるいは誤った対応しかできないことに異議申し立てをしようとしているのが私たちの現在である。 こういう中で政府は官僚、あるいは経済界の中枢の人々、それに連なる人々との復旧や復興のビジョンや構想が何故こんなことになるのか、ということが出てくる。これは政府や官僚たち、あるいはそれに連なる人々は大震災や原発震災を自然災害と見て、これを社会的災害と見る認識が薄いか小さいのではないか。 自然災害と見る限り、復興や復旧は地域的・場所的なものと見られ、時間の中で風化して行くことは免れない。大震災や原発震災が自然災害である側面はある が、同時にそれは社会的災害であるという側面がある。 つまり、人間が社会をつくり、歴史としてそれを存続させてきた中にある矛盾の現れであり、その解決なしには復旧も復興もないということだ。この点は原発 震災の場合は分かりやすいが、政府や官僚という現在の社会の中枢を占める人々はこの社会の矛盾、歴史的な矛盾ということを認めたがらない。
.. 2012年11月06日 07:38 No.449001
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