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チェルノブイリ原発事故の爪痕は、26年後の今もつづく │ 心配な孫世代の子どもたちの健康被害 │ 原発視察と民間交流ツアーに参加して <上> └────(たんぽぽ舎ボランティア)
たんぽぽ舎メルマガに案内の出ていた「チェルノブイリ原発視察&民間交流ツアー(NPO法人・食品と暮らしの安全基金主催)」に郡山市の黒田節子さんと共に参加してきました。原発事故26年後のウクライナに日本の未来を見る気持ちでキエフに降り立ちました。印象に残ったことを掻い摘んで報告させていただきます。
[9月25日] キエフ市内の小児がん病棟。医師の説明では最近は病気の種類がいろいろ出てきている、西欧に比べて生存率成果が遅れている。病室には大きな目でじっとこちらを見る子どもたちと心配そうにそばで付き添う家族が。 子どもの医療支援を行っている団体「ザポルーカ」では女性たちが大きな力になっていた。遠方から治療に来る子どもと親のための無料宿泊施設「家族の家」でお昼をごちそうになり話を聞く。家を借りるとき家主や近所に「がんはうつる、怖い」と言われたことも。また地方の若い医師に、小児がんの知識を学んでもらう活動もしているそうだ。広い庭で闘病中の子どもたちと遊んだ。
[26日午前] 胎児の放射能被害を研究している医師の講演を聴く。胎児の甲状腺が脳に対して放射能の影響を与えバランスの取れない知能になっているのではないか、という調査結果を踏まえた話を必死にメモを取りながら聞いた。
[26日午後] 事故当時、2号機制御室で緊急処理をした元技術幹部の話からは、真っ暗な制御室の緊迫した様子が伝わって来た。普段は放射能を外に出してはならぬ発電所に、その日は外からの大量の放射能を入れないように努力しなければならなかった。(小出裕章氏が以前、ご自分の研究室について同じようなことを話されていたのを思い出しながら聞いていた。)フクシマ事故の 本当の規模を日本政府はまだ隠しているのではないかと話され、友人たちの死について語ろうとするとき目を閉じて沈黙が訪れた。語ることのできぬ深い闇がそこにあった。
.. 2012年10月17日 09:35 No.438001
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