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■--テント日誌
++ S・S (幼稚園生)…1回          

<テント日誌10/13(土)―経産省前テントひろば399日目>
 |  さようなら原発集会in日比谷 6500人が結集
 └──── (S・S)

 今日は朝から雲ひとつない、抜けるような青空。日中は10月とは言えまだ汗ばむ陽気でもある。お昼過ぎにテントに立ち寄り、再稼働反対の幟旗を持ち、日比谷公園に向かう。公園内の野外音楽堂は既にほぼ満員状態。「さようなら原発集会in日比谷」が定刻通りに始まる。参加者は、主催者発表で6500人とのこと。
 オープニングはYaeさん(加藤登紀子さんと藤本敏夫さんの娘)のコンサートで始まった。どことなくお母さんを思い起こさせる歌声である。
 はじめに主催者を代表して挨拶に立った鎌田慧さんは、JAグループが今年10月に開催された 第26回定期大会で脱原発の運動方針を採択したことについ
て、「大間原発にたったひとりで反対してきた“あさこハウス”の熊谷あさ子さんは、『海と畑があれば他に何もなくても生きていける』と最後まで電力会社に土地を売らなかった。電源開発は彼女の土地をあきらめ、場所を一部変更して原発を建てるための設計変更しなければならなかった。
 JAの方針転換は大きなできごとであり、命を生産する農業が原発と全く相容れないとわかった農業者の固い決意だ。この決意に応え、私たちは今こそ原発を叩き潰そう。」と訴えた。
 続いて哲学者の高橋哲哉さんの訴え。「国は国民を欺き、見捨てる。第二次大戦で気づいたのに、戦後私たちはより快適で便利な生活を求めそのことを忘れてきた。今度こそ命と健康を最優先にする国に変えなくてはならないと強調した。
さらに「郡山市で、子どもたちに集団疎開を求める裁判 (仮処分申請)が闘われている。福島県民には避難の権利が認められるべきだ」と、「ふくしま集 団疎開裁判」への支援を忘れてはならないと訴えた。
 落合恵子さんのアッピールは、名古屋の集会参加のため代読での朗読。「私が中学生の頃、第2次大戦があった。私は中学生の素朴な思いで「大人たちはなぜみんなで反対しなかったの?」と尋ねた。…今、私たちは同じ過ちを犯し、同じことを問われている。」と訴えた。
 福島現地からは、郡山在住でテントにもなじみの深い「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク」の森園和重さんの訴えがあった。「1年半経っても、私たちは地震が起きるたび、避難しなくてよいのだろうかと心配し、“あの日”に引き戻される。…福島では、蚊や蛾などの小動物が 去年に比べてずっと少なかった。トンボは1匹しか目にせず、普段の年ならコンビニの青い紫外線(殺虫灯)に衝突しているはずの虫もほとんどいない」と福島での「命の危機」を訴えました。
 「いま、東京が、何事もなかったかのように生活していられるのは、懸命に収束作業に当たっている被曝労働者、業員がいるから。3千人の作業員の6割は福島県民。加害者が被害者を雇っている。これが福島の現実だ。…こんな状態になっても原発を動かそうとする人たち。地球は人間だけのものじゃない。この会場には、普段働いている方も多いと思うが、私は原発メーカーである東芝・日立の人たちに、命とは何か問うてみたい」。
 また、森園さんは、福島原発告訴団、ふくしま集団疎開裁判、「子ども・被災者支援法」の重要性に触れながら、これほどの事故でも誰も責任を取ろうとしない現状を変える必要を訴えました。
.. 2012年10月16日 10:06   No.436001

++ S・S (幼稚園生)…2回       
 「全国の女性たちはつながっていきましょう。その女性たちをサポートしている男性の皆さんも一緒に頑張りましょう。」と熱く訴えた。
 そして、本州最北端の大間原発建設予定地の「あさこハウス」で建設反対を闘っている小笠原厚子さんの話へと続く。「どんなに無視され、村八分にされ、孤立させられても、私の母は電源開発に決して土地を売らなかった。今、新規原発の建設を認めないと言いながら、政府は一方で大間原発の建設再開を認めたが、もし、母があのとき、あきらめて土地を売っていたら、今頃大間原発は稼働していただろう」と、1人でもあきらめず闘うことの必要性を訴えた。
 最後に作家の大江健三郎さんの話。「中国の小説「故郷」(魯迅)の一節を引きながら、「原子力ムラの弱点は、私たちに何も希望を示せないこと。私たちはこうして集まり続ける限り希望がある。集まって道を作り、希望を持って生きよう」と述べた。
 脱原発を宣言して注目を集めた城南信用金庫の吉原毅理事長が閉会のあいさつ。
吉原理事長は、東京で開催中のIMF(国際通貨基金)・世界銀行総会に経営者のひとりとして参加した後、この集会に参加しました。
 「政府が2030年代に原発ゼロの方針を決定したとき、経団連、経済同友会、日商の経済3団体が連名で「原発ゼロは現実的ではない」と共同声明を出した。
経済団体は中小企業の代表というが、いったいどこの中小企業の代表なのか」と、自分が所属している経済団体を批判しました。
 「経営者でも、もう原発はこりごりだという人がたくさんいる。いま、経営者に求められているのは脱原発に踏み出す勇気だ。」と訴え、満場の拍手で集会を
閉じた。
 その後、参加者は、会場周辺をデモ行進して脱原発を訴えた。解散地点の常盤橋公園で、たんぽぽ舎、反原発自治体議員連盟、テント、大間原発のあさこハウス、全国ネットワークからのアッピールをし、総括集会をもって今回のアクションを閉じた。
 地下鉄でテントに戻り、留守番のSさん、Tさん、Uさんに集会の報告をしているその時、北海道から緊急の連絡が入った。札幌の大通り公園の『泊・大間原発に反対する集会』が12000人の結集で大成功の報告。
 また、明日はテント設立400日目ということもあり、集った仲間で前夜祭を行いった。自転車で八王子からやってきたKさんやハンスト中のFFさんも参加し、夜の耽るまで議論が盛り上がった。

.. 2012年10月16日 10:13   No.436002
++ K.M (小学校中学年)…10回       
<テント日誌10/14(日)―経産前省テントひろば400日目>
 |  テント400日目にテントの闘いを想う!
 |  原発と原爆は密接に関係
 └──── ( K.M )

10月14日(日) 晴のち小雨のち晴

テント400日目にテントの闘いを想う!

 設立400日を迎えた日曜日、経産省前テントひろばはおだやかだった。夜も10時を過ぎると泊まり当番だけになり、ささやかなつまみを回しながら焼酎やワインを飲んだ。
 経産省前テントでは高速道路入口に向かう大型車が頻繁に走って不愉快な車のエンジン音が止むことがない。辺野古のテントは海べりにあり爽やかな波の音が聞こえる。辺野古の砂浜がなつかしい。高江の森に囲まれたテントも山の音が聞こえるほど静かだ。
でも、高江には今や米軍輸送機オスプレイが「機体の腹がすぐ見えるような高さでこれみよがしに飛んで来」るそうだ(新宿反戦意思表示Oさん)。また、辺野古にも高専のすぐ裏に大きな音と姿で降りて来る。「ここはお前たちの空じゃ
ない、沖縄はお前達の植民地ではない、ここを戦場にするな」と声を荒げてもアメリカに届かないか。
そういえば、大阪市の放射能汚染ガレキの焼却処分を監視する原発再稼働反対監視テント(大阪市役所横)も12日に立てられた。
 全国のテント連合ができそうな程だ。政治が良ければこんなにあちこちにントを張る必要はないのだが。

 原発と原爆は密接に関係

秋の夜長に読んだ「原発と原爆」(有馬哲夫、文春新書)を紹介する。
「日・米・英」核武装の暗闘 と副題がついたこの本は、著者が内外の第一次資料に基づいて日本の原発と原爆の歴史を調べた良書で、原発と原爆の関係を歴史的に振り返ることができる。以下は驚くべき事実の例。

○アメリカは、1955年頃「原子力を平和に」を世界に広めるキャンペーンのために世界で最初に原爆の洗礼を受けた広島に原発を建設することを何度も検討していた。56年にはアメリカの統治下にある沖縄に原発を作ろうという計画
が持ち上がった。戦時に必要な電源が確保できて魅力的と検討したが、沖縄が法的には日本の領土で日本と協定を結ばないといけないために実現しなかった。

○日本最初の原発がイギリス製(コルダーホール型)だった理由は、アメリカと違って、イギリスから原発を購入すればそこから製造されるプルトニウムを日本が比較的自由に使えるから。岸信介の自衛核武装合憲論と結びついている。東海に導入した英GECが69年に10年遅れで納品、そして後に原発から撤退。大失敗であった。

○70年代は原発建設ラッシュ。濃縮ウラン市場を独占しているアメリカから田中角栄が濃縮ウランの大量輸入を決め(原発の「育ての親」)武器輸入も押しつけられた(ロッキード)。冷戦のまっただなかにアメリカは核兵器の原料にもなるウランの濃縮をなんと敵国ソ連に委託していた。

 ○日米原子力協定は88年に締結した。日本は以後30年の間、個別にアメリカの同意を得ずに、使用済み核燃料を再処理し、輸送し、プルサーマルを行ったり、高速増殖炉を運転したりできることになった(核なき核大国)。高速増殖炉
は米英加濠独仏が挫折して撤退しているのに累計1兆円以上使って実用化する試みを続けている。
日米原子力協定の期限は2018年までで、野田首相がアメリカの圧力で「2030年代原発ゼロ」閣議決定を回避させられたことも、これらのことと関係しているのであろう。(K.M)

.. 2012年10月18日 13:00   No.436003
++ F (小学校低学年)…8回       
<テントひろば10/15(月)―経産前省テントひろば401日目>
 │   人の心を忘れて何が出来よう!
 │   これを知る者はこれを好む者に如かず 
 │   これを好む者はこれを楽しむ者に如かず
 └────( F記 )

10月15日(月)晴れ
 一週間の経つのが「つるべ落とし」のこの季節を象徴するかのように早く感じます。時はあっという間に過ぎるのに、福島の災禍の復興は一向に進んでいません。むしろ長期化した避難生活を余儀なくされている方々や福島県内外の県民の思いを逆なでするように、大間原発の再建設が政府によって進められているという。 
 関電が大飯原発を再稼動させた時、その罪は重いと思いました。福島原発事故が全く収束を見ない中でのこの行いは、事故が起こったらその対策を超えて多くの人々を苦しめることになることを承知の上での再稼動だからです。それは企業というものが本当に人命を軽んじるものだという、ある意味、恐怖すら覚える事実に胸が締め付けられる思いなのは多くの人も同じであろうと思いま
す。
 その上での大間原発建設再開はもうこの国は国民の命に向き合う態度すら捨てたと思わざろを得ません。民主党与党は原発を2030年代に廃止するといっておき、しかも原発稼動40年と言ったその下の根も渇かないうちの大間建設には開いた口が塞がりません。原発を今から建設したらどう考えても2030年代には原発ゼロにはならないということは小学生の算数レベルであっても分か
ることです。
 こんな子供騙し的な言い草が通用してしまう政府が世界からどのように見られているのか・・・。先日のIMF世界会議・世界銀行年次総会で結局、日本は600億ドル(約4.7兆円)を拠出することで合意となったのですが、今、日本
にそれだけのお金を海外に出す余裕があるのか?この事実を見て福島の皆さんはどう思うのか?要するに何でも金で解決できるという驕りが見え隠れします。

.. 2012年10月22日 10:56   No.436004
++ F (小学校低学年)…9回       
 夕方、東京・東銀座にある電源開発(Jパワー)本社に行き、大間原発建設再開反対抗議行動に参加しました。ちょうど函館市長の抗議申し入れに合わせて行われましたが、先日の金曜日にテントひろばTVに出演下さった「あさこはうす」小笠原厚子さんも、帰郷のスケジュールを変更して参加されていました。
参加者は約100名ほどでしたが、それぞれが思いの丈をぶつけていました。函館市長が申し入れを終え、バスに乗るときは大きな声で応援のエールを挙げま
した。 『頑張って下さい!』の声が銀座の喧騒の中に響き渡ったのです。

 そもそも本社がなぜ東京にあるのか?放射能が安全だというなら、原発の傍に立てたら良いだろう。そうゆう声も挙がっていました。Tさんとささやかな交流会をしてテントに帰る道すがら、今日は月曜日、関電東京支社前での抗議行動が行われておりSさん、Mさんとその仲間の皆さんが調子の悪いトラメガを騙し騙しして強く訴えていました。Sさんはしばらく体調を崩していたので
すが、その声にはそれを忘れさせるほどの迫力と熱気が蘇っていました。しばらく参加し一言だけアピールをさせて頂き、テントに帰りました。
 今日はローテーション責任者会議があったのですが途中から参加しました。
効率よく24時間体制をひくための大切な会議となり、喧々囂々(けんけんごうごう)それぞれが意見を交わしていました。
 終了後、何人かのメンバーが残り今後の活動の話になりました。12月に福島に入るIAEAに対しての行動を如何に作るかとの話になりましたが、17日に行われるテント全体会議に僕も提案をさせて頂くことにしました。
 断食をされている福崎さんも満了まであと4日。定期的な医療チェックなどテントとしても出来る限りのことをしてきましたし、ご本人も油断されることは無いでしょうが、あと少しの頑張りを静かに見守っていくだけ。無事終えられることを思わずにはいられません。

最後に大阪のQさんからの嬉しい便りにあった言葉を。
『これを知る者はこれを好む者に如かず
 これを好む者はこれを楽しむ者に如かず』
( F記 )

.. 2012年10月22日 11:03   No.436005
++ 紺野 昭治 (幼稚園生)…1回       
<テント日誌10/16(火)―経産省前テントひろば402日目>
 |  人類の思いとしてのフクシマ創生!自然な呼吸としての原発全廃!
 |  〜日本蕎麦屋さん達の全国大会での、福島の理事長の挨拶〜
 └──── (Y・T)

 10月16日(火) 晴れ  平穏な一日だった。あと数日でハンスト満1ヶ月を迎える福崎さんも変わりない状態である。日本山妙法寺の石橋上人がやってきて、福崎さんとあがりの過ごし方について話す。
 先日友人からもらったA4・1枚の文章をもう一度読み返す。それは10月9日に福島県いわき市で開催された、第78回全国麺類飲食業者大会(日本蕎麦屋がメインの組合の大会)で、大会会長が述べた挨拶であった。大会会長は福島県飲食業生活衛生同業組合理事長であり、いわき市で蕎麦屋を営む紺野 昭治さんということであった。
 この大会は、兵庫以東20数都道府県から550名以上の同業者が年に一度集うもので、片山さつき・中川雅治国会議員をはじめ、蕎麦業界所管の厚労省や農水省の役人諸氏、県の幹部がひな壇に並ぶ中で始まり、その前で正々堂々と語りかけられた挨拶だったという。
 新聞報道などには全く出てこないが、是非とも知っていただきたいと思い、ここに掲載します。

.. 2012年10月22日 12:11   No.436006
++ 紺野 昭治 (幼稚園生)…2回       
   《大会挨拶》

 2011年3月11日、東日本大震災、翌12日、原発事故「フクシマ」発生。
 そしてその5月、本日の全国大会をここフクシマのいわきで開催を決意。
 何の心準備もない突然の開催宣言でした。
 常に弱気な気の小さい私を突き動かした途方もない力。今こうして全国の皆様の前に立ってご挨拶申し上げている私は、やはり同じ力を実感しております。
 このカに導かれ、北海道・東北のお仲間たちの同意を結集し、私たちの思いは全国の仲間たちに伝わりました。そしてこうして各界のリーダーの皆さんもお祝いに駆けつけて下っております。この途方もない力は私たちを何処へ導こうとし
ているのでしょうか? 「フクシマ」を福島に戻す。戻さなければ歴史が絶える。
しかし「フクシマ」を福島に戻せば、原発も又戻る。「フクシマ」を福島に単に戻すのではなく、福島を超えて福島を創り上げて行かなければならない。
 福島復興ではなく、フクシマ創生!です。 では、誰がフクシマ創生を果たすのでしょうか?福島県民でしょうか?日本国でしょうか?フクシマ創生!、実は誰が果たすという問題ではないのです。世界の意識、人類の思いの問題なのです。
福島再生、復興(と言われます)故郷を失った人たちに、故郷に戻りたくとも戻れない人たちに、この言葉は何と虚しく響くことか。
 しかし、私たちは生きて行かなければなりません。フクシマ創生!は、人間の生き方の問題なのです。70億全人類の思いをフクシマ創生に向かわせなければ、フクシマ創生は実現しません。
 私を突き動かした途方もない力。そして今日この時、フクシマにお集まりの全国の麺類業者の皆さんを動かしている大きな力。
 この力は、地球に刻まれた40億年という圧倒的な長い生命史の中で、僅か700万年に満たない 歴史しか持たない人類の、自らの絶滅への強烈な危機感そのものなのではないでしょうか。
 文明史の頂点に原子力利用を位置づけることが、人類を絶滅に追い込む。原子力を利用する!とは何と思い上がった意識でしょう。そんな人類の意識を変える力、これが私を突き動かした途方もない力の正体です。そして途方もない力が、
私の自然な呼吸を原発全廃!という言葉に変えました。
 私は今、無意識に自然に原発全廃を呼吸しています。議論の余地はありません。
フクシマに立てばそれが分かります。そして今日、全国からこれだけ大勢の皆さんに、フクシマに立って頂きました。私を突き動かした力のお蔭です。
 この大会は、ここに立っている皆さんが、原発全廃を日常的に自然に呼吸する契機になることを私は強く望みます。
 ここからフクシマ創生!が始まって来ます。
     2012年10月9日
 第78回全国麺類飲食業者福島大会大会長・
            福島県飲食業生活衛生同業組合理事長
           

.. 2012年10月22日 12:38   No.436007
++ M/O (高校生)…55回       
<テント日誌10/17(水)―経産省前テントひろば 403日目>
 |  穏やかな時の流れの底には激しい渦もまたある
 └──── (M/O)

10月17日(水)雨後曇り

 友達に誘われて江の島に出掛け季節外れ(?)の花火を見た。冬の花火というのはよく耳にするが、秋の花火は初めてだった。多くの人出にびっくりしたが、花火は間近で見ると凄い迫力で堪能させてもらった。腹にずしりと来る音から幼い日の爆撃音を連想してしまっていたが、今の時代は何だろうかということを自然に考えていた。もう時代や社会のことなんか考えるのはよせという内心の声が時折あるがどうしてもその所から逃れられない。これはテント前に座っていると、この執着は何故という内心の声がやってくるのと同じである。

 テントはいつの間にか400日を超えた。誰もこんなには続くと予想はしなかったけれどそれは存続している。テントはそれを生みだした人の意志や意向を超えて独り歩きをしてテントはテントという表現をしている。これは不思議なことであるが、この辺は毎週の金曜日の首相官邸前行動についてもいえる事なのかもしれない。

 確かにテントはそれを生みだした人、それに賛同した人たちの意志、つまりはその集合力として存在している。これは事実であってだから個々の意志が辞めようと思えば出来ることであると思える。これは半ば事実であるが、この事実を超えて個々の意志の判断では決められない要素も存在しているのである。これはテントが個々の意志《主観、あるいは共同主観》から生み出されながら、共同意志(客観的な意志)に転じていることがあるのであり、この役割や側面を持つのである。これはテントが体現している脱原発という共同意志の展開を要求していることであり、それを構想できなければ存続は決められないということである。

.. 2012年10月23日 08:35   No.436008
++ M/O (高校生)…56回       
 テントが脱原発の意志の表現としてどのようなものか、どのように展開して行くかは、それを生みだした当人たちにも明瞭であるものではなかった。何人かがとりあえずやってみようと決意してできたのであり、そして当人たちの想像を超えて展開をしてきたのだ。本来、政治的な運動や表現はこうしたものであり、個々人の意志から生まれながらそれを超えて展開をするのである。そして、逆に個々人の意志に迫るのである。それは脱原発の運動の発展の方向性である。

 このことは先にあげた毎週金曜日の官邸前行動にも言えることだ。共同意志の発現《表現》として脱原発の運動はどのような展開をとるか、その展望を構想しえているか、という問いかけをテントも官邸前行動も我々にせまるのである。
 言ってみるだけでいい、やってみるだけでいい。それだって単なる思いつきではできない。我々が考え考えしているのはこのところである。誰でも復興予算の使い方には呆れている。ひどい話である。日本の官僚的政治《行政》の実態を見
ている。本当に自民のどちらかが政権の座につくということではない。それを超えた事態である。これは官僚主導の日本の政治の現実を示しているのであり、原発行政は密室で進んでいるが故に同じように、いやもっとひどいのだろうと思う。
沖縄へのオスプレイ配備も同じように考えてもいい。

 私たちの前の現れる政治的現象は腹立たしいものだ。それは混迷というよりは誰が見たっておかしいぜという類だ。だが、これを変えるにはどうしたらいいのか、という問いを発した途端に考えあぐむ。そこで我々は立ちどまっている。これはテントや官邸前行動の問いかけにうんと口籠ることと同じである。

 私たちには考えるということ、考えに考えを重ねるということにしか道はないし、その果てに「言ってみる、やってみる」ということしかできやしない。そんな形でしか、テントや官邸前行動が迫るものに応えることができない。テントに
座るとき出てくる「執着は何故」という問いに応えようということなのだと思う。
年を重ねればこういう執着からは解放されるものだと思ってきたがことはどうもちがうようだ。テントの前に座っていると興味深そうに見て行く人が少なからずいる。笑顔を向けてくれる人にほほ笑み返す時、私のこころはたゆたっているが、底に流れているのかこんなことだ。

.. 2012年10月23日 08:40   No.436009
++ Y・T (大学院生)…121回       
<テント日誌10/19(金)―経産省前テントひろば405日目>
 |  秋の夜風に映えるぼんぼりとテントTV
 └──── (Y・T)

10月19日(金) 晴れ
 午前中の健康診断を終え、別件の用を済ませてテントに着いた時は、もう午後4時で、テレビ放送は始まっていた。福島瑞穂んがインタビューに応じているのが見える。
 福島から世界へ は亀屋幸子さん。双葉町の原発から1.5kmの自宅から、着のみ着のままで逃げ、いくつもの避難所を転々とした有様を、昨日のことのようにリアルに話される。その時の恐怖、悔しさ、怒り、無念さが聞いている者の胸に迫ってくる。そして東電が賠償を全く進めず、ほんの雀の涙にも満たないような端金の見舞金で済ませたまま、のうのうとしていることに心底からの怒りを語られる。政府の被災者を見捨てたような態度にも怒りはさらに高まる。そして帰ることのできない双葉町への望郷の念・・・。
 福崎さんのハンストは今日の午前10時で満1ヶ月となり、終えられた。9月19日はまだ暑さが残っていたが、今は日暮れと共に肌寒さを感じるほどである。
それにしても淡々としていて、その元気さには驚いてしまう。大変な強い意志で貫かれたのであろう。インタビューからもそれはにじみ出ていたように思える。
 途中で、池邊さんのピアノ演奏があり、ショパンの流れるような音楽をみんなで楽しむ。そして藤原さんの、福島第一原発の状況の解説。TV放送が終わる頃にはあたりはすっかり暗くなって、秋の夜風にぼんぼりが映えている。
 テントTVは回を重ねるごとに脂が乗ってきたようだ。これからが楽しみとなってくる。
 放送終了後はアーカイブで見られます。
 アーカイブのアドレスは こちら です。

 官邸前行動は先週より多くなっていると誰かが話していた。同時に公安警察の私服警官の数も増え、睨みをみかせている、との感想も。
 夜、うしとら旅団の人たちがおこなった、大熊町の明日を考える女性の会の木幡さん(現在会津の仮設住宅で避難生活中)や、富岡町からいわき市の仮設住宅に避難していてそこで連絡員をされている西山さんとの交流会に参加した。うしとら旅団は、富岡町や大熊町の人たちの仮設住宅を毎月訪れ、様々な支援(整体や、語り合い会や、餅つき大会や、演芸や、賠償についての学習会etc)をおこなっているグループである。
 木幡さんの深く、鋭い思考、問題提起、そして西山さんの明るさに引っ張られながら話は遅くまで弾んだ。木幡さんには、テントTVの「福島から世界へ」への出演を了解いただく。

家に帰ると、福島原発告訴団の全国告訴についての以下のメールが流れてきていた。
 関東3000人(10/18)突破、全国7322人(10/19)
 関東事務局の本日19日の未集計分をいれたら7500人弱に到達しました!!
みなさん、締め切りは10月31日です!!
あと2500人、みんなで1万人にしましょう!!
ツイッター、Facebook、ブログ、ホームページへの拡散お願い致します!
必ず1万人を突破しよう。

.. 2012年10月23日 11:28   No.436010


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