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柏崎刈羽原発ツアーの感想 │ 福島と新潟を重ねて想像してみた ─ 差別の風景 │ 現地交流会 佐藤先生の言葉が印象に残った └────(たんぽぽ舎ボランティア)
柏崎市の観音崎から東京電力柏崎刈羽原発を見下ろした。ここから南南西に約5キロ、排気塔が幾つもそびえ立ち航空障害灯が白い閃光を点滅させている。 右手には日本海が広がり、原発の200メートル手前に大湊、眼下には宮川の集落が見える。集落後方山の向こう、つまり左手の方には刈羽村役場があり原発から1キロ程だ。そして柏崎市が刈羽村を取り囲む。大半が20キロ圏内だ。 刈羽村の人口約4,800、柏崎市の人口約90,000、合わせて東京都武蔵野市の人口に匹敵する。つまり人口密集地ということだ。(過疎地なら良いなどとは決して思わない) 敢えて事故のことを想像してみた。柏崎市、刈羽村については辛すぎてとても書けないが、飯舘村で見たことなら何とか書ける。 今年8月に福島から南相馬まで12号線をレンタカーで通過した。線量計は車中で平均2マイクロSv/時以上、10マイクロSv/時を超えたこともあった。気が付くと呼吸が浅くなっている。人気はまるでなく時折パトカーを見かけるだ け。田畑は荒れ、鳥を見た記憶すらない。道端に看板があった。 こう書いてある。 「美しい村を子供たちに 花いっぱい運動 飯舘村」。 今は花も咲かず子供もいない。犠牲を強いられる地域、私が見てきた、そして今見ているのは差別の風景だ。犠牲を容認する権利は犠牲になる人だけがもつ。犠牲を強いる者が決めることでは決してない。これだけは譲ってはいけないと思う。過酷事故が起きれば途方もなく危険なのを承知で、大金を投じて豪華な施設を作り安全神話を振りまく。そして再稼働。まさにならず者のやるこ とだ。
最後に現地交流会でお会いした佐藤先生の言葉を御紹介。 反対運動の中でやってはならないこと ○自己の正義の無謬性を主張する。 ○全てのグループが一致団結してはならない、それぞれが独自にやる。 さもないと相手は1点を狙ってくる。 原子力村は自己の正しさを主張し一枚岩のように見える。 ならば勝機は佐藤先生の言葉にあるのかもしれない
.. 2012年10月17日 09:43 No.434007
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