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■--テント日誌
++ F (小学校低学年)…7回          

<テント日誌10/1(月)−経産省前テントひろば387日目>
 │  台風一過の「あおぞら」。人と人との出会いと理解。
 │  その共有。そして中秋の名月
 └──── ( F記 )

10月1日(月) 台風一過・快晴
 今朝は清々しい空気の中、目が覚めました。昨夜は日本列島を縦断するやもしれない台風に緊張し何人かのメンバーが夜遅くまでテントに待機をして下さいました。その中、今日仙台高等裁判所で行われる「福島集団疎開裁判」へ傍聴バスツアーに参加される渕上代表と大阪から駆けつけたQさんが泊まって下さいました。
 時折、雨風が強く吹き降るものの、東京はむしろ4月の爆弾低気圧の時の方がその影響は強くて何だか拍子抜けするようでしたが、ネット情報やラジオの声を聞きながらその進路には緊張せずにはいられませんでした。もし、勢力の強い台風が福島を襲ったら・・・そう思う度に以前小出裕章京大助教がテントにいらした際にお話下さった『福島で一番懸念されるのは四号炉です』の言葉が蘇るのです。
 各地で被害が起き死者も出たとのことでご冥福を祈り致します。しかし原発に目立った影響が無かったと思われるのは幸いでした。それでも東日本大災害の傷が癒えていない東北に進路をとったことには胸の潰れる思いです。台風の風雨の中、作業員の方々の被曝覚悟の健闘には素直に敬意の情が湧いてきます。
 昨日の福島ー首都圏交流の集いの模様はUstream中継の用意がなかったのですが、後日Web公開を予定しておりますのでご期待下さい。本来は先月より始まった「tentTVあおぞら放送 テントひろば?」で放送すべきだったことだったとの反省もあります。次回の課題としたいと思っています。
 テントひろば主催のシンポジウムに初めてスタッフとして参加し、準備に手間取ったり不足な点は多々あり時間が遅れて始まったため、当初予定していたビデオ上映など出来ませんでした。それでも閉会後、参加者の声を聞いて皆さん満足されたのではないかとの感触にひとまず安堵致しました。この成功を端緒として今後も同様な催しを行っていきたいと考えています。井戸川町長にも是非またご参加頂きたく思っています。
 夜になって、当日の防衛省前行動を終えて、沖縄一坪反戦地主・関東ブロックの方が4日木曜日にオスプレイ反対を訴え首相官邸前で抗議行動をするにあたって、毎週木曜日にテントのM君達が反ACTA抗議を行っているため、時間の調整などに訪れました。結局、双方納得いく形で了解できました。
 全く今まで会うこともなく更に年代層の違う者同士の出会いが成立したのでした。正に「接着剤」としてのテントひろばここに有りというところです。
 その日の泊まりリーダーのYさんも両者の思いを上手に汲み取って会話の橋渡しをしていました。互いのお話を聞いていると、M君はと言うと「オスプレイ」の事はあまり知らないし、片や反戦地主会の皆さんはACTAの事をご存知ない。お互いが理解を深める機会になったことが何よりも嬉しく思いました。
 夜も更けて帰路につく頃は雲間にのぞく月が明るく雲を照らしていました。
そうか中秋の名月。季節は確実に巡っています。来年はこの月をどんな気持ちで見るのだろうか。( F記 )
.. 2012年10月07日 08:31   No.432001

++ M/O (高校生)…50回       
<テント日誌10/3(水)―経産省前テントひろば389日目>
 │  一気に肌寒い日になり半袖姿で大失敗
 └──── (M/O)

 家の中は結構温かくてまだ半袖で過ごしている。というわけでテントにも半袖で出掛けた。ナップザックには上張りも入れたつもりだったがこれも半袖だった。
昨日から愚図ついた天気で肌寒い。風邪を引きそうで大失敗だった。10月になっても台風が次から次とくるようで天候は不安定だが、暑さ寒さも定まらない。季節の変わり目には風邪を引きやすいといわれるし、風邪を引くとなかなか直りにくい。健康であることも闘いの一つであるわけでそれなりに気をつけているつもりだが時にこんなこともある。
 テントはその日常的な動きとしてみれば賑やかで騒然としているような日と穏やかで静かな日とがあるのだけれど、総じて言えば金曜日を中心とする週末と週の前半で分かれるようだ。だが、穏やかで静かな時にも人の出会いや予想外の事件などもある。この辺はテント日誌でよくレポートされていると思うが、今日も朝早くテント前の椅子に座っていたらある官庁の職員の方が身分証明書を示しながらカンパをしてくれた。
 官庁などではテントがどう見られているのだろうか、原発問題がどう考えられているのか想像をしても、その動きはわからりにくい。だから、こういう形での動きは刺激的だし、時折見かける光景になってきたが嬉しいものだ。自己の政治的意志の孤立をどう超えるかが私たちに課せられた最大のものだが、それだけにテントが多くの人の意志の象徴になっているのを実感できる時は元気づけられる。
 テントではそれこそ三人あつまれば話になるが、今は運動の見通し等に集中する。それが手探り状態にあることは誰しもが認めることである。それはまた一つの政治的な局面なのだろうと思える。私は大きな意味で今が持久戦の局面である
という判断を持っているが、これはかなり続くのであってそれに対応した行動が必要だと思っている。

.. 2012年10月10日 18:47   No.432002
++ M/O (高校生)…51回       
 首都圏反原連からは11月11日に大規模な国会包囲が提起されている。百万人規模で国会を包囲し停滞気味にみえる現状を突破して行こうという目論みだが、その意気はともかく無理ではないか、百万人などというアドバルーンはあげない
方がいいのではという慎重な意見も聞こえる。これは私の意見であるが、百万人というのは方向でかつて10万人と言っていたのを受け継いだだけで、これだけ脱原発の運動が広がり持続していることと考えればいいことのように思う。
 もし、それが実現できても脱原発が実現できなければという危惧もあるようだ。
この場合には脱原発の運動の基本的方向ということにも関わるように思えるので私の考えを述べて置きたい。
 いくらやっても今の運動ではという昔の仲間からの声も届くのだが、僕はここで立ち止まって考えたい。毎週金曜日の官邸前行動は大飯原発の再稼働をやめさせることは出来なかった。確かに大飯は再稼働している。
 しかし、官邸前の行動は他の原発の再稼働に大きな影響を与えたことは確かである。もし、この行動がなければ再稼働は次々にやられていたかもしれない。
 これは十二分に想像できることだ。つまり、官邸前行動という意志の表現は再稼働を目指していた政治的意志《原子力ムラの意志》に衝突し、その広がりを押しとどめているのである。彼らのシナリオは狂わされているのだ。野田内閣がどんなに矛盾に満ちたものであれ、原発ゼロを口にせざるをえなかったのもそうである。
 政治的意志の結集《表現》は予想以上の影響をあらゆる面に与えている。政治的力を意志力と見てその広がりや浸透という点で考えればそれは予想以上の力を発揮している。逆にいえば、体制や権力側の巻き返しもそれだけ必至になされているのである。
 政治的力とは意志力である。国民の意志が共同の意志となること、国民の意志に反する国家意志の存在を変えることが現在の政治的課題である。政治的関係とは意志の関係であり、そのせめぎ合いなのだ。原発問題はそれを具体的に示すサンプルである。

.. 2012年10月10日 19:06   No.432003
++ M/O (高校生)…52回       
 国民の意志と既得権益を持つ体制や権力の意志が原発の保持をめぐって対立しているのであり、共同意志(国家意志)としてそれが争われているのだ。国民の内部でも廃止(脱原発)という意志と推進という意志があるように、体制や権力内部でもその対立がある。原発の存続《是非》の最終判断を政府がやるのか、規制庁がやるのかの意見対立が浮上してきているが、それは意志決定をなるべく避けたい、意志決定に伴う責任を避けたいということである。
 これは政府(政治)がやるべきことであるのは言うまでもないことだ。こうした論議が出てくることはそれだけ原発の存続の意志決定が難しくなっていることだが国民の意志としての脱原発の動きが強くなっている証だ。
 かつて原発は共同意志(国家意志)として保持され、それに異議申し立てをする部分は一部の国民の意志という限界の中に置かれてきた。それが反原発運動の歴史だった。それが、今、脱原発は国民の意志から共同の意志(国家意志)になる段階にある。歴史的な段階が変わりつつあるのだ。この過程、あるいはその闘いの中に現在はある。
 原発の存続をめぐる共同意志の対立は政権交代の動きも背後にあって一つの過渡《新段階》にはいりつつある。政党や政治家は選挙を意識し、官僚は政権交代を織り込んで方向を練り直している。こうした動きの中で私たちは大きな意味で
の持久戦の局面にあるのではないのか。
 脱原発の国民的意志の広がりの確保とそれを進める政治行動を持久戦が続くという判断の下に考え展開して行くことではないのか。
 選挙や政党再編、政党間抗争を見ながら、脱原発の意志が持続し保持されて行くことを展望し、それにふさわし行動《表現》を模索するしかない。ここで知恵や工夫があるはずで百万人での国会包囲もその一つである。外の雨音を聞きなが
らテントの中では連日のように議論が重ねられている。(M/O)

.. 2012年10月10日 19:13   No.432004
++ Y・T (大学院生)…117回       
<福島を生>き、<ふる里を生>きる柏崎刈羽の闘い
 |  〜柏崎刈羽現地交流バスツアーに参加して〜
 |  <テント日誌10/6(土)―経産省前テントひろば 391日目>
 └──── (Y・T)

 10月6日(土)曇り
  午前8時新宿西口前集合。東電の「世界最大の原子力発電所」のある柏崎刈羽現地交流会バス ツアーへの参加である。今年3月、6号機が定期検査で停止し、東電管内の全原発は停止し、稼働 原発ゼロの状態が続いている。だが6月の株主総会に提出された東電再建計画には来年夏までの 再稼働が含まれている。

 福島原発の大事故があり、放射能災害が今なお進行中の現実として多くの人々が苦しみ続けている中で、柏崎刈羽原発は首都圏の私たちにとっても「そこにある危機」として、私たちの責任を問い続けている。なんとしてでもこの目で見、この耳で聞いて確かめておかねば・・・という思いに駆られてツアーに参加した。

 ツアーの案内人は地元出身で、長年ふる里の仲間とともに柏崎刈羽原発反対運動に加わってこられた菅井益郎さん。学者というより活動家そのものであった。

 刈羽村では村会議員をされている近藤さんが合流してずっと案内して下さった。
彼は東京の大学に在学中から反対運動に加わり、大学をやめてふる里に帰り、魚を売り歩きながら運動をすすめ、村会議員になられたそうである。今もその形は変わっていないという。事実、初めて出会ったとき、彼は村会議員というより魚屋さんそのものであった。刈羽村村長は東電が村長の服を着ているようなものだと近藤さんは言う。原発マネーを湯水のように注ぎ込んで造られている施設を見、静かな日本海に面して立ち並ぶ原 発の排気塔や防潮堤を見、鉄条網のフェンスを厳重に張り巡らした原発の敷地沿いの道を走る。それは米軍基地の敷地沿いを思い出させる。このあたりは柏崎刈羽砂丘と呼ばれ、砂丘の上に建つ原発は、当初からとうふの上に建つ原発として批判されてきたそうだ。柏崎刈羽原発は1〜4号機は> 柏崎市、5〜7号機は刈羽村と柏崎市にまたがって(2:1の割合か)立てられている。

 この時期日本海は静かで穏やかであったが、冬の時期には荒れ、4〜7mの高波となることも珍しくはないそうだ。だが東電の想定する津波の高さは4mそこそこだという。

 夜の交流会は圧巻だった。近藤さんの他に長年の反対運動の盟友、柏崎市の市会議員をされている矢部さん、高橋さんが加わり、さらに彼らの高校の恩師であり、運動の顧問とでもいうような80歳の佐藤さんが加わって、お話をされた。

.. 2012年10月11日 18:38   No.432005
++ Y・T (大学院生)…118回       
 本当に長い闘いの歴史があった。烈しい闘いのようであった。と同時に集落ごとの住民組織が作られ、住民に根ざした闘いであったという。そして闘いはずっと途絶えることなく継続し、今も複数の市議会議員村会議員を維持するだけの力をもって続けられている。

 そういう闘いの上に3・11後、<福島>を間近に見、見据え、内面化しながら運動は新たな展開へと踏み出しているように思えた。お話を聞いていて、柏崎刈羽の人たちはいわば<福島を生きる>ということを意識されているのだと実感
した。<福島>は<ふる里>に重なり、<福島を生きる>という意識と<ふる里を生きる>という意識は繋がっているのだと。それは中越地震によって大事故寸前までの事態を経験した人たちにとって切実なもののように感じられた。

 実際、人口9万人の柏崎市に福島から1300人程が避難してきているそうだ。
そして避難している人たちの話を聞いて胸に迫るものがあると目を潤ませながら話される。「ふる里は原発を許さない!」それはもう他に選択の余地のない揺るぎなき確信、それ以外ではありえないという生き方、命そのものというように思われた。

 持参した官邸前行動で書かれた寄せ書き、”柏崎刈羽原発を廃炉へ!”という周りに沢山の思いが書き込まれた寄せ書きに大変喜んでいただいた。柏崎刈羽の人たちと首都圏の人たちの心は繋がったのだろうか。官邸前行動を見ながら、こ
の地でも金曜行動が行われ、女性達を中心とした新たな市民運動も生まれてきているとのことであった。宿で美味しい魚と美味しい地酒をいただき、翌日には中越地震の断層と40億円をかけたというアミューズメント施設と原発PR館を見
学した。断層によって道路は弓なりにへこみ、ある場所では断層による地盤沈下が止まらず、川もないのに橋が架けられていた。そしてこの断層はまっすぐに原発直下へと続いているそうだ。東電は原発の手前で止まっていると言っているそうだが・・・。

 そしてPR館には福島第2原発の復旧が9割完了したというポスターも掲示されていた。東電は柏崎刈羽原発を再稼働し、さらには福島第2の再稼働も目論んでいるのだということをさりげなくアピールしているのだ。

 柏崎刈羽原発の再稼働を許さず、廃止へと推し進めていくこと、そのために柏崎刈羽や隣接地域の人たちと繋がりながら、私たちの最大限のことをなすこと、それは首都圏にあって<福島を生きる>ことを意識しようとする私たちの責務のように思える。

.. 2012年10月11日 19:16   No.432006
++ M/O (高校生)…53回       
<テント日誌10/10(水)―経産前省テントひろば396日目>
 │   季節も政治も温度の変わる時
 └────(M/O)

 日中は温かい日も多いがやはり夜になると結構寒い。週末には多摩川に出掛け、少し遅れ気味だと伝えられる彼岸花を楽しんできた。むかし、田舎の畦道などに咲いていた彼岸花の強烈な印象が記憶にあるせいか、街中でも見かけるものは不満だったのだが、群生しているものはそれらしい雰囲気があって満足だった。彼岸花は秋を代表する花だろうが、それを感じさせてくれるのはやは
り嬉しいものだ。その秋だがどうも今年は短くて冬の訪れが一気にやってくるらしい。それを空気その変わり方に実感している。波だ寒い気温《空気》にそれを感じているが、もう一つ気になるのは政治的空気の変化である。。
 尖閣諸島の問題は中国側の態度も含めて日中感の政治的・経済的対立を長引かせそうだ。中国の知識人の声明が新聞等に出ていたがナショナリズム一色の感の中でホットする記事だった。この問題での日本と中国の民衆の連帯の道(武力による紛争解決ではない道)の可能性と基盤を暗示させるものと思える。
 だが、私たちはこの尖閣問題が日本の政治的空気を変えていることを知らなければならない。対中国というナショナリズム的な空気がそれなりに浸透しているのである。自民党総裁選での安倍の再登場の契機になり、メディアが恥ずかしげもなく扇動的記事を垂れ流しているのも一例だが、ここには尖閣諸島問題が生み出した政治的空気の変化がある。石原慎太郎などはここまで想像して
はいなかったろうが、尖閣諸島問題の結果しているものをよくよく見ておかなければならない。これとの闘いが大きな政治的闘いの枠組みをなしている。

 3・11以降に大きな政治的空気となった脱原発の意識に対抗する空気の流れであり、それが今の日本の政治的な闘いとなっている。国会や永田町周辺は選挙をめぐる政局のことで頭が一杯だろうが、彼らを取り包んで政治的空気の変化がある。何処まで意識していたかはともかく、尖閣諸島問題は原発の生み出した国民的な政治意識に対抗しようとし、ある程度成功しているのである。
 幸いなことは脱原発や普天間基地撤去要求(オスプレイ問題を含む)の運動はこれらを媒介した国民の政治的空気も持続しており、ナショナリズム的な政治的空気と対抗し得ていることだ。その点では福島や沖縄などの抵抗、また毎週金曜日に首相官邸から全国に広がっている脱原発等の展開は尖閣諸島問題が生み出しつつある政治的空気を再度変え、解体させることができる。

.. 2012年10月14日 07:27   No.432007
++ M/O (高校生)…54回       
 私たちは歴史の流れの本流がこちらにあることを自覚しつつ闘いを持続せねばならない。背後の政治的空気を意識した闘いが必要なのだ。11月11日の国会や霞が関包囲行動は国民的な政治的空気を変える重要な位置を持っているのであり、歴史的な位置を持つものといえよう。今一度、3・11以降を振り返りまた先を展望しながらこの行動に参加したいと思う。
 週の初めは比較的穏やかな時間が流れるのがテント周辺である。朝方に寝たのだがテントの中にも太鼓の音が聞こえる。夢かうつつかとおもいながら、そのここちよいリズムに身体を合わせていたのだが、先月から断食を続けるFさんを支援する日本山妙法寺の尼さんの打つものだった。
 今度はしばらくその横に座っていたが、荻窪の若い女性がテントを訪ねてきて歓談する。熊本から上京された人、富山からやってきた人と次々とテントを訪ねてくる。
 富山では11月23日に講演会等をやるらしいがそのチラシをもらった。全国の様々の動きが伝えられるが、それをまた発信できるといいのかもしれない。大間原発の中止を訴える小笠原厚子さんたちが経産省への申し込みにやってくる。
院内集会も開かれていた。相変わらず雑誌社などの取材も続き、テントは穏やかだがいろいろのことがそこには流れている。
(M/O)

.. 2012年10月14日 07:33   No.432008
++ テント 10.12 声明 (幼稚園生)…1回       
大阪市の放射能汚染ガレキの焼却反対
 |  大阪市役所横にテント設置、
 |  橋下徹大阪市長を監視
 └──── 原発再稼働反対監視

 原発再稼働反対監視テントは、本日、10月12日に大阪市役所横にテントを設置し、大阪市長橋下徹の監視行動を開始した。
 大阪市で行われようとしている放射能汚染ガレキの焼却は、脱、反原発運動の大きな転換点である。
 現在、全国各地で行われようとしている放射能汚染ガレキの焼却は、被ばくを全国に拡散させることになる。この被ばくの拡散は、福島第一原発過酷事故を引き起こした日本政府の責任を曖昧にし、安全神話の復活を意味する。また、ガレキ処理にからむ利権政治を押し進め、復興のための資金を食いものにされることになるばかりか、被ばく意識の低下は、すでにずさんな放射線管理のもとで行われている福島第一原発の収束作業を進める労働者、原発労働者をさらに危険にさらすことになるのである。そして、東北、関東から被ばくを避けるため、必死の思いでの避難を無意味なものとし、今、フクシマでたたかわれている被ばくからの避難の権利を貶めることになる。
 9月17日、北九州市で放射能汚染ガレキの本焼却がはじまった。これは、全国での放射能汚染ガレキ焼却を策動する日本政府が、布石として行ったものであり、大阪でのガレキ焼却を許せば、なし崩し的に全国でガレキ焼却が進むのは、火を見るより明らかである。
 東北、関東が、今現在も被ばくが進む中、11.11に100万人行動が呼びかけられ、大飯原発を止めろの声が叫ばれ続けている。私たちが、これに連帯することは、当然である。しかし、まだ、被ばくしていない関西圏、西日本の果たすべき役割は、被ばくをこれ以上拡散させないことである。
 このたたかいは、地域エゴなどという批判を受け付ける余地は全くない。なぜなら、震災ガレキの広域処理の必要性がないことは、さまざまな知見から明白であり、阪神、淡路大震災のガレキ処理においても広域処理は一部行われたものの、
全国で焼却するはことはなかったのである。
 フクシマの痛みを分かち合う、それは、無意味な被ばくを受け入れることではない。むしろ、被ばくを断固避けることだ。避難の権利と補償を勝ち取るたたかいに連帯し、共にたたかうことだ。
 原発再稼働反対監視テントは、大阪市の放射能汚染ガレキの焼却処分を、脱、反原発運動の一大転換点と位置づけ、「大阪決戦」を呼びかける。

.. 2012年10月15日 08:57   No.432009
++ Y・T (大学院生)…119回       
<テント日誌 10/12(金)――経産省前テントひろば
 |    398日目>
 |    テントひろばでの、歴史を刻む出会いと交流
 |    内容の深かったテントTV あおぞら放送
 └──── 

10月12日(金) 晴れ
 金曜日はいつものテントTV あおぞら放送の放映日である。午後2時過ぎテントに着くと、もう何人かが忙しく準備を始めていた。
 テントには和歌山からみかんが送られてきていた。早速箱を開けてみかんをいただくと、中に本(「原発を拒み続けた和歌山の記録」)と手紙が添えられていて、金曜行動に参加すべく3時半〜4時頃にテントにお見えになる予定だという。
 
 3時前に今日の出演者の木田節子さんが到着。しばらくすると大間の小笠原厚子さんがお見えになる。お願いしていたが時間の都合がつくかどうかわからなかっただけに、感激。そうこうしていると、みかんと本の送り主・和歌山田辺市の寺井さんがお見えになった。1989年に結成された「脱原発わかやま」の代表をされていた方であり、県内5ヵ所で持ち上がった原発建設計画に反対して闘ってこられ、それらをすべてストップさせた闘いの記録を最近本として出版されたのである。
 寺井さんと小笠原さんはメールや手紙でずっと交流されていたそうで、その意味では旧知の間柄でもあり、感激の対面であった。また寺井さんの話の中に、旧知の間柄である小林圭二さん(熊取の6人の長老格)の名前も出てきて、一気に身近に感じられた。

 あおぞら放送で、今週の「国会議員に原発を問う」インタビューは、北海道の紙智子議員(共産党の参議院議員)であった。即時原発ゼロを強調する紙議員は、「北電は泊3号機の定検停止後、『電力不足』を演出するために苫東の火力発電
(70万kw)を停止させている」ことも暴露された。そして今北海道では、富良野の小水力発電をはじめ豊かな自然エネルギーによる電力自給の動きが澎湃として起こってきていることを話された。

.. 2012年10月15日 11:59   No.432010
++ Y・T (大学院生)…120回       
 「福島から世界へ」は木田節子さん。富岡町から転々と避難し、その間沢山の原発関連の本を読みあさり、漸く水戸に落ち着いて東海村の村上村長との出会いから反原発の活動を開始された木田さんは、同時に原発労働者の母親でもある。
彼女の話はいつ聞いてももその体験、リアルさ、東電や原発労働者の状態についての知識や、そして鋭さで胸に迫るものがある。
 今日は最後に、ある人にあてたメール(それはたんぽぽ舎のメルマガNo16
01に掲載されている)を読み上げ、それを引用したビラを戸別配布して大きな反響があったという伊方からの便りを報告された。今、この木田さんのメールは全国各地でビラに引用され、まかれているそうだ。

 小笠原さんの話の中では、経産相が大間原発の建設再開を認めるやいなやすぐさま現地で工事再開に動き出したそのあまりの素早さに、驚き、あきれ、深い憤りを吐露されていたことが印象的であった。あさこハウスへのハガキを郵便配達が届けに来る、その回数の多さが励みであり、かつあさこハウスに通じる道を監視カメラで見張っている相手に対する抗議と圧力になるのだ、という訴えは胸を打つ。

 ドキュメント「フタバを遠く離れて」を制作された舩橋淳監督のインタビュー時、双葉町から都内に避難されている亀屋さんと互いに会釈されていたことが印象的だった。来週には亀屋さんに出演を依頼している。(尚、「フタバを遠く離れて」の高橋哲哉さんによる映評が今週の週刊朝日に掲載されている。)
 最後に、テント通りすがりの人として前記寺井拓也さんがインタビューを受けた。本とみかんを前にしてであった。みかんは早速その場でギャラリーに配る。
この本は7人による執筆で、札幌の寿郎社から出版されている。

 50名ほどのギャラリーに囲まれた、内容の深いテントTV あおぞら放送、脱原発の人々の出会いと交流、世界に向けた情報発信として、育てていきたい。
 終了後テントの中で反省会をしていると、浪江町希望の牧場の吉澤の力強いアピールが届いてくる。
                             ( Y・T )


.. 2012年10月15日 13:02   No.432011


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