返信


■--平和
++ 伝六 (中学生)…35回          

現在の平和は核(核兵器)をコア(核)とする軍事力のバランスの上になりたっている。平和とは脅威と脅威のバランスが均衡している状態のことであると或る人は言う。均衡が破れると危ないという疑心暗鬼の状態でどの国もいるのだ。いつまで、こんなことを続けなければいけないのか。覇道の世はいつまでもこうだ。軍事力かしからざれば金力かだ。そのどちらかで支配しようとする。王道の世への道筋をどう設計するか。覇道にどう対抗するか。むつかしい。
.. 2007年01月13日 22:11   No.43001

++ タク (高校生)…62回       
国際政治を支配しているのは、軍事力の行使効果が絶対値の高さで決まってくることは今の世界を見れば一目瞭然ですね。これが、パワー・ポリティクス、国際政治の力学なのです。弱い軍事力しかなければ、国際政治の世界では低い地位にしか見られないという事です。本来は軍隊など持たずに平和な世界にするのが、大切な事だが、その影響から逃れる事などは、今の世界ではありえない。攻めるなら攻めてみろ、徹底的に防いで国を守ってみせるぞという意志、防衛力を国際的に明示することが、真の抑止力にもなるのですね。世界が一つならば軍事力に金をかけずに餓死する人も減るだろうに。世界のいかなる国も単独では生きていけなくなっているのも確かだと思います。

.. 2007年01月14日 18:24   No.43002
++ 伝 (小学校中学年)…16回       
戦争と平和は対極にある。戦争を肯定する考え方としては、孫引きですが、
「戦争とは他の手段をもってする政治の継続にほかならぬ」(クラウゼヴィッツ)
「戦争及び政治は共に国民生存のために行わるるものであってあって、なかんずく戦争は国民生存意志の最高表現である。従って政治は戦争指導に奉仕すべきものである」(ルーデンドルフ)
ドイツ人に限らずヨーロッパでは戦争をこんなふうに考えていました。今はどうかしりません。
戦争のない世界を願った石原莞爾の戦争の定義は
「国家と国家との間は相協力を図るとともに、また不断に相争っている。この国家と国家の争いには、その国家の有するあらゆる力を使用するのは当然である。平時の争い、すなわち外交交渉においても武力を背景として行われるものであって、武力は隠然たる最も有力な力である。この国家間の争いの徹底が戦争である。戦争の特質は、武力を直接に使用することである。すなわち戦争を定義するならば、戦争とは武力をも直接使用する国家間の闘争というべきである」
国家間の闘争は、ときに戦争に劣らず悪質なものにもなります。(競争と闘争とは区別すべきものと考えます)そしてテロとの戦争という言葉があるように、現代以降は国家間でない闘争も戦争と言われるかもしれないと考えます。

.. 2007年01月16日 17:45   No.43003
++ タク (高校生)…63回       
20世紀の始めにおいて世界は既に一体となり、その中に大小様々の多くの国家が存在しました。それらの国家のうち強力ないくつかのものが「列強」と呼ばれたが、その列強が世界の広大な地域に勢力を拡大し、そこに対立、抗争を行なって悲惨な戦争を繰り返したのですね。しかしその間人類の科学技術の進歩は著しく、それが戦争の武器の上にも革命的な変化をもたらしました。核兵器が出現して、第2次世界大戦の末期、広島、長崎に投下され日本の敗戦を決定し、且つ日本は世界唯一の原爆の被爆国となったのです。この核兵器はやがてソ連も開発するところになり、将来の世界大戦が核戦争となり人類の絶滅をもたらすことは明らかになりました。そのような意味で核戦争は戦争を防止する抑止力としての働きをするものとなっているので、今日の平和は恐怖の均衡の上に成り立っています。

だが、戦争が不可能になったということは国家間の利害の対立を戦争に依らずに調整する途を求めることになり、また対外戦争の誘因となる恐れのある国内の問題の早期解決を図ることにもなるのです。そのような行為は国内の社会問題への認識と対処の方法を高めることになりそこに革命によらない平和的な社会改革の途を拓けたのです。

.. 2007年01月17日 08:12   No.43004


▼返信フォームです▼
Name
Email
ホームページ    
メッセージ
( タグの使用不可 )
Forecolor
アイコン   ICON list   Password 修正・削除に使用