返信


■--テント日誌
++ Y・T (大学院生)…107回          

<テント日誌8/31(金)―経産省前テントひろば 356日目>
 |  経産省に厳重抗議を申し入れる
 |  金曜行動  今週も熱気に満ちて
 └──── ( Y・T )

8月31日(金) 晴れ 時々曇り
 今日は朝から9・11に向けた発送作業でおおわらわであった。9・11テント一周年のイベント&アクション及びこれから益々多くなるだろう現地行動への参加についての案内&お願いを、これまでテントを来訪された人々に発送するための作業を、Eさんの事務所で8人程でおこなった。作業は明日もまた引き続きおこなわれる。3時半にテントに行くと、国会議員意見聴取プロジェクトの会議がおこなわれていた。4時頃先日の件について経産省に7〜8人で抗議申し入れに行った。
対応に出てきたのはなんの権限も責任も負わない末端の役人であったが、1,資源エネルギー庁や保安院などの原発事故に重大な責任を負いながら原発を
推進している機関を庁内に温存しながら、管理規定でテントに勝手にてだしすることは許せないこと、
2,未明に寝込みを襲うような仕方で、名前も部署も名乗らず、責任者も明らかにしないで、あのような行為をしたことの釈明、3,大きな鋼板を付けた鎖の設置は実に危険で、非人道的なことであり、直ちに撤去すべきこと、4,10時頃口論となった折り、職員がたまたまテントに来た青年を突き倒した暴力行為についての謝罪。防犯カメラのの映像を見せるべきこと。5,バナーを引きちぎり、かつ持ち去ろうとしたことの謝罪。
6,幟旗の位置等で子どもじみた嫌がらせを止めよ。
等について申し入れ書を手渡し、来週早々に企画管理室室長との会談の場を設定し、直に回答することを要求し、それを室長に伝えることを約束させた。
 ともかく、テント1周年を盛大に迎えることでもって、経産省に対するテントの態度を明確にさせていきたい。
 5時を過ぎる頃からテントの前には続々と人が集まってくる。福島県伊達市の友人が金曜行動は初めて、と言ってやってくる。さよなら原発・福井のメンバーで福井大名誉教授の方が、敦賀でおこなわれた3・11さよなら原発集会の報告集を持参してやってこられる。その他、いろいろな方が来訪される。
 6時を過ぎると経産省正門前はドラム隊を交えて大変な盛り上がりよう。
 今日は9・11への打ち合わせ等で官邸前や国会正門前に行くことはできなかったが、テント近辺では熱気が続いているのが感じられた。
結局、31日に開催された抗議集会の時間と場所は以下の通りであった。

.. 2012年09月02日 11:03   No.418001

++ Y・T (大学院生)…108回       
16時     経産省直接抗議(主催:経産省前テントひろば)
17時〜20時 自民党本部前抗議(主催:有志)
17時〜19時 文科省前抗議(主催:福島集団疎開裁判原告団)
18時〜20時 官邸前・国会議事堂前(主催:首都圏反原発連合)
18時半〜19時45分 経産省別館・保安院前(主催:Foe JAPAN、フクロウの会他)
18時半〜21時 経産省前(主催:火炎瓶テツさん、296デモ有志)
20時〜21時 自民党本部前抗議(主催:有志)
20時15分〜21時 中央合同庁舎4号館(規制委員会準備室)前
 抗議集会&ヒューマンチェーン(主催:Foe JAPAN、フクロウの会他テントも)20時〜22時 財務省上抗議(主催:福島集団疎開裁判)

このうねりを9・11テント1周年行動の大きな盛り上がりへと引き継いでいきたい。

9・11 午後1時〜 プレイベント
       3時〜 「再稼働の是非」を国会議員に糺す!
        意見聴取結果発表記者会見 
       4時〜 記念集会
       6時15分〜 かんしょ踊り
       7時〜 経産省包囲行動

.. 2012年09月02日 11:39   No.418002
++ S,S (幼稚園生)…1回       
<テント日誌9/1(土)―経産省前テントひろば 357日目>
 |  志賀原発地元羽咋市にも再稼働阻止のテント建つ
 |  石川県羽咋市 再稼働ストップ志賀原発を問う地元住民集会に参加して
 └──── (S,S)

 9月1日(土)経産省前テントひろばから急遽代表派遣ということで、早朝6時に我が家を出て、石川県へ。新幹線・在来特急を乗り継いて6時間、12時過ぎに羽咋駅に到着した。本日の会場羽咋市公民館は駅から歩いて10分程度。会場には地元羽咋市市民を始め近隣の町村から200名を超える参加者が集った。

 冒頭、主催者を代表して盛田正氏の決意が述べられた。羽咋市から十数キロの志賀原発が、活断層の上に建っている事という専門委員の意見を受けて、原子力安全・保安院が、北陸電力に再調査を命じたところだが、このことは、23年も前から訴えていた志賀原発の「立地不適格」の問題がいよいよ明らかになってきたということ。そして、何よりも保安院と原子力安全委員会が行ってきた国の安全審査そのものが問われている重要な問題であると指摘。
 しかも、その調査が中立的な第三者でなく北陸電力にやらせるという出鱈目さ。何としても再稼働をさせないため、原発立地である地元市民が中心となり、県内そして全国の仲間と連帯して闘いを進めようとの訴えがあった。

 続いて東洋大学社会学部の渡辺満久教授の講演が始まる。テーマは「志賀原子力発電所周辺の活断層」。渡辺教授は講演を始めるにあたり、原発に必ずしも反対の立場ではないとの立場を表明した上で、にもかかわらず志賀原発の再稼働は止めなくてはならない、と論を展開された。
 そもそも活断層とは何かに始まり、活断層であれば、今度いつ大地震が起こるかは分からない。
さらに、活断層の値切りと無視についての危険性を訴えた。志賀原発の北約9キロにある「富来川南岸断層」が原発の耐震安全性を検討する際に考慮する必要のある13万〜12万年以降に動いた活断層であると現地調査の結果を踏まえて指摘。
志賀原発の再稼働は無謀な行為であることを非常に分かりやすく指摘された。

引き続き、京都のSTOP大飯原発再稼働実現現地アクションの長谷川羽衣子さんより、大飯原発再稼働阻止の35時間の闘い報告があった。大飯のトンネルのゲート前の集まった人々の闘いのスライドを交えての紹介であった。特に若者や子どもを連れたお母さん達の必死な訴えに会場の皆は息を呑んで聞き入っていた。

 最後に、命のネットワークの代表である多名賀哲也さんから何としても志賀原発の再稼働を止めようと行動提起があった。地元の首長・市議会への要求・申し入れの強化、市役所前でのテントを張っての座り込みを開始する等々の訴えで住民集会は終了した。
 その後、市役所前に移動し、正門前の一角に新たなテントを設営した。テント設営には手慣れたY氏の号令一下、ものの30分程度で完成。テント前での記念写真をし、その場で交流会に移る。
帰京を急いだので、経産省前テントひろばからの訴えをし、テントひろばの幟旗を贈呈して帰路についた。          

.. 2012年09月04日 10:55   No.418003
++ K.M (小学校低学年)…6回       
<テント日誌 9/2(日)―経産省前テントひろば358日目>
 │   晩夏ののんびりとした穏やかな一日
 └────(I.K)(K.M)

9月2日(日) 晴・豪雨・晴れ
昼 午前中激しい雨が降ったりやんだりで人も少なかったのですが、夏に蛍を届けて下さった伊勢原の方が山羊を連れて来訪し、雨の中、日比谷の野音に行くという若い女性二人と談笑してました。伊勢原の方はご夫婦でハーモニカを吹いたりして楽しませて下さいました。
 午後から志賀原発に行ってきたSさんのお話を聞けたのは良かったです。仙台から来られた方はテントへはもう5回目だとか、3・11以後ソフトバンクの孫さんの支援に感動してファンになったとかソフトバンクのTシャツを着て座って下さいました。ご親戚に原発推進の考えを持つ人が居て困っていると言うことなので、原発はなくても電気は足りていること、原発の危険性などお話したら?と話に花が咲きました。
 外務省に来た右翼の街宣が通りがかりに嫌がらせを叫んだだけで平穏な一日でした。(I.K)

**********
夜 激しい雨でテントに水が入り込んでいないか心配しながら電車を乗り継いでテントに到着すると、雨もやみ爽やかな風が吹く霞が関の夜空に向かって、大飯テントから戻ったくまさんと福ちゃんが野外でギターを弾いて歌っている。太鼓伴奏と踊り付で、Weshall overcomeや「花はどこへ行った?」などの懐かしいプロテストソングをしばし皆で歌う優雅なテントの夜。一段落してテント
でおしゃべりしてたらいつの間にか深夜を迎えた。

原子力委員会のこと
8月30日(木)の原子力委員会臨時会議では、当日午前に細野豪志原子力行政担当大臣から近藤原子力委員長と鈴木委員長代理と事務局員が厳重注意を受けたことを委員長が報告した。核燃料サイクル小委員会で電力事業者などとともに秘密会議(勉強会)を持ち小委員会の議論を誘導したことが、内閣府検証チームに指摘されたためだ。原子力委員会の会議の持ち方などの改善案をこの
日の委員会で決定して一件落着の魂胆。
 しかし、このような小委員会の持ち方を原子力委員会が設立された1956
年からずっとやってきたのではないか?
 その検証をしないのはおかしい。おまけに、検証報告が出た後で検証チームから提出を要求されていた秘密会議議事メモを資源エネルギー庁が提出しウェブにアップされている。公開されたのは23回の会議の数回分。検証のやり直しもせずにその他はうやむやで逃げきろうとしている。内閣府と資源エネルギー庁による隠匿工作を許してはならない。原子力委員長にぶら下がり質問をしていたメディアに厳しい報道を期待したいが…。
(K.M)

.. 2012年09月05日 14:04   No.418004
++ F (小学校中学年)…16回       
<テント日誌 9/3(月)―経産省前テントひろば 359日目>
 |  皆が目の前の問題を一つ一つ、出来る範囲ですることの大切さ
 |  まさにエンデの「モモ」の掃除人のように・・・
 └──── ( F記)

 土曜に引き続いて夕べも泊まり番。昨日の早朝は吃驚するくらいの土砂降りでした。天気予報では今日から気温が下がるようなことを言っていましたが、昨夜に続いて朝方雨が降って、これが秋の清々しい季節を呼んでくるのだろうか。

 昨夜は久方ぶりに関西から北海道に行き戻ってきたQさんと共に夜の泊まりメンバー、来客とミニコンサートをしました。彼とのコラボは5ヶ月ぶり、最初はさすがに戸惑ったがしばらくすれば以前の息が戻ってくるのでした。それにしても5ヶ月も彼の居ないテントで生活していたのだと思うと、感慨深い面持ちです。
大飯に一緒に行き、その後テントのメンバーになったTさんとトクさんがジャンベを叩いてくれ、S女史が僕らの歌声に合わせて踊っている。まるで霞ヶ関の混乱が嘘のような、平和な時間が流れるのです。

 意外だった(失礼)のはトクさんがジャンベを手にしたこと。音楽好きな彼であることは以前から知ってはいましたが、静かに潜めていたその感性が目を覚ましたのでしょうか?テントブラザースもいよいよ3人体制か(嬉)
 本格的な夏も終盤を向かえ、残暑も予想される9月ではありますが、関電が大飯原発3号、4号基を再稼動させた根拠が全くの嘘であったことが証明されたとも言えます。そもそも八基の火力を止めたことで、その根拠が電力不足ではなく経営の問題だったことは皆さんももうご承知のことと思います。
 久しぶりなので午前中、図書館にQさんと行きました。彼は今やテントひろばの隠れたベストセラーになった「オキュパイ大飯の乱」の編者でありますが、昔取った杵柄はさすがです。黙々と調べ物をしながら思考の世界に入っていましたが、続編?への期待が高まります。

 テントに戻り、正清さんとAさんと三人で議員会館に向かいました。「原発・国会議員意見聴取プロジェクト」の一環で国会議員に面談するためです。
 先に国民の生活が第一・森ゆう子参議院議員事務所に行き、8月20日の活動の御手配を頂いたお礼と今回の趣旨の説明を正清さん自らするために関熊秘書にご挨拶いたしました。更に本来の目的であった約束との行き違いがあって時間が空いたので、参議院会館102会議室で行われていた「福島原発告訴団」の会見に参加することにしました。
 議員会館ロビーで福島の森園さんが入館証渡しをしていました。連日の東京でのロビー活動、抗議集会の参加、全く頭が下がります。大飯原発ゲート前で聞いた『愛するものを残し、福島の現状を訴える日々です』、あの言葉とその響きが
思い出され、胸が自然と熱くなります。決して強い身体ではないのに・・・。ご自愛下さればと思うばかりです。

.. 2012年09月06日 09:11   No.418005
++ F (小学校中学年)…17回       
 結局、30分遅れで共産党・紙参議院議員とお会いすることになりました。約束の時間にお訪ねできなかったばかりか当初の時間を延長して、次のスケジュールぎりぎりまで私たちの声を聞いて下さったことには、党派・主張を越えて敬意を覚えます。党やご自分の意見のみを披瀝するのではなく、我々の声を自らが聞くという姿勢は大切です。
 話は原発のみならず、TPP、ACTA等広範囲に亘り、現政権・野田首相の常軌を逸した暴挙を許してはならないとの一致と今や国民の声として盛り上ってきた「脱原発」を確かなものにするためには国会議員の役割が今こそ大事である
し、そのための取り組みであるとの理解をお願いしてきました。もっと書きたいことはあるのだけど言いながら議員は既に書いてあった書面を手渡ししてくれました。

 今僕に何ができるのか?9月11日はテントが立ち上がって一周年です。当日は盛り沢山なイベント満載です。更に9月から10月に掛けて催しが予定されています。しかし何より大切なことはテントが中心になって、福島とあらゆるものとの接点となる活動が出来るかを再確認することです。
それは意外と簡単にはいかないものであると思うのです。
 しかし、目の前の問題から少しずつ解決していくしかありません。まるでミヒャエル・エンデの小説「モモ」に出てくる掃除ペッポの言葉にあるように。ペッポはモモにこう語ります。
『いちどに道路ぜんぶのことを考えてはいかん、わかるかな?つぎの一歩のことだけ、つぎのひと呼吸のことだけ、つぎのひと掃きのことだけを考えるんだ。いつもただつぎのことだけをな。』そして最後に『するとたのしくなってくる。これがだいじなんだな、たのしければ、仕事がうまくはかどる。こういうふうにやらにゃあだめなんだ。』
 以前、この話を椎名さんと福島原発告訴団の杉並集会でした時、『目の前にはだかる福島の悲劇とその救済を阻む国・東電という大きな力との闘いに勝利するには一歩ずつ前へ進むしかないよね。モモに出てくる掃除人の言葉を鮮明に思い
起こされるのよ』。そして『思えば良くここまで来たんだな』と。道程は遠いけれど一歩一歩と足を進めるしかありません。
今まさに福島の集団告訴という大きな取り組みが全国に広がっていく中で、テントは選挙に向かいあらゆる手を多くの人々、団体と結んでしていく必要性を強く感じています。
 その意味で911以降、新たなステージにテントを押し上げるお力を皆さんにお願いするものです。そして福島と全国の原発立地地域と連携を深める役割を果たして行きたい。その上で、今何ができるか?この命題を胸に行動をし、答え探しをしていきます。テントがその答え探しをする上でも重ねてテントへのご支援とご協力を重ねてお願い申し上げます

今僕に何ができるか?
明後日、おおいに行きます。闘う仲間のもとへ!そしてフクシマのために!

.. 2012年09月06日 09:20   No.418006
++ Y・T (大学院生)…109回       
<テント日誌 9/4(火)―経産省前テントひろば360日目>
 人々のつながりを織りなす行動の1年 
 国会同意抜きに突っ走ろうとする野田首相の異常さ( Y・T )

9月4日(火) 晴れ
 朝5時半頃起き出すと、昨夜テントに来ていた大阪の男性(50代?)はまだ起きていていた。テントの泊番のメンバーと夜を徹して話し込んでいたらしい。おかげで交代で起こされないままゆっくり寝させてもらうことになった。
 彼は昨年、東日本大震災緊急救援市民会議の「福島に安全な水と野菜を届ける」トッラク隊に何回か参加していたようだ。とくに6月下旬、あのハンカチパレードがあった時に、会津の南相馬市避難所にトラック隊で行っていたという。
 あの時、私たちはバスで前日南相馬市に行き、桜井市長に話を伺ったり、津波被災地や20km地点のバリケードなどを見学し、夜遅く須賀川の「銀河のほとり」にお世話になり、翌日生活村からハンカチパレードに参加したのだった。
土砂降りのあの県庁前会場で、トラック隊の面々と合流したことを彼は覚えていた。そして最後のそば屋での交流会も。
 私たちにとってあの土砂降りのなかでの集会とハンカチパレードは忘れられないものとなっている。あの時の集会宣言は今も耳に響き、心に残っている。
もしかしたら、テントの基点はそこにあったのかも・・・とも思えてくる。彼と話していて、そういうことが浮かんでくる。
 驚くような情報が流れている。どうも野田政権は規制委人事について、国会同意を断念して首相任命によって突っ走ろうと考えているという。今回の人事案については民主党の中でも造反が広がりそうで、参院での首相問責によって自公の協力も得られないということで行き詰まり、「例外規定」で突破しようということのようだ。
 そもそも人事の国会同意は規制委設置法の重要な要点の一つであったはずだ。
そういうことをもかなぐり捨てて、反対の声を押し切りしゃにむに突っ走る傍若無人さとデタラメさには、本当に驚きと怒りを抑えることができない。デタラメにスタートする規制委はデタラメなものにならざるを得ない。
 夜、9・11テント1周年のイベント&アクションについての詰めの打ち合わせ会議がおこなわれた。ライブの準備、アピール・メッセージの要請、ところてんやかんしょ踊りの準備等が次々と報告され、決まっていく。かんしょ踊りでは黒の法被と赤・黄のたすきが用意されるようだ。
 9・11は平日ではあるが、午後1時スタート、午後3時から国会議員意見聴取結果発表の記者会見、本集会は午後4時から、最後の経産省包囲人間の鎖は午後7時から。是非昼間からのご参加をお願いしたい。 
( Y・T )
 追)
 経産省前テントひろば「国会議員意見聴取プロジェクト」には、
 8月20日過ぎに手渡したアンケートの回答が徐々に帰ってきていて、9月6日現在で65名の方から回答をいただいた。
 回答議員一覧や議員回答(画像)を以下に掲載しています。
 こちら
 もうすぐ締切!多くの議員さんから回答をいただきたいと期待している。
 (国会議員意見聴取プロジェクト)

.. 2012年09月08日 22:01   No.418007
++ 小川 治 (幼稚園生)…1回       
金曜夜8時すぎ、経産省前テントひろばのあたたかさ・テントの灯り
 |  振る舞われる冷たい水、「お疲れ様」の一言が心に染みる
 └──── (たんぽぽ舎ボランティア 東京)

 金曜夜8時、官邸前や国会議事堂正門前から財務省上交差点を渡ると経産省に向かって長い下り坂が続く。2時間前に目に入る汗を拭きながら息を弾ませ登ってきた坂だ。若い機動隊員に一瞥をくれながら。
 坂を降り切ると交差点の向こう、経産省の敷地にテント広場がある。眩いばかりの無数の蛍光灯が光を放つ経産省ビル。節電などまるで死語、電気は足りていると宣伝中。その下で行燈のような明かりを灯しているのがテント広場だ。
 抗議集会の帰りに立ち寄る様々な人達。記帳する人。カンパする人。立ち話で会話が弾むグループが幾つもあり、初対面どうも珍しくはない。振る舞われる冷たい水、「お疲れ様」のさり気ない一言が心に染みる。ここは私達の未来への橋頭堡。
 テント広場に来ているTさんが言った。都会には故郷を想わせるものがないか
ら、皆テント広場に集まるのだと。テントの灯りに集まった人達は祭りの名残りを惜しみ、語らい、互いに労をねぎらう。それは次の祭りの約束。
 毎週金曜日に私が官邸前にくるのはTさんの一言のおかげだ。曰く、「原発を止めるためなら何でもやる。小出さんの本も売れば、原発反対のグッズだって売る」と。そうか。じゃあ自分にできることなら何でもやらなきゃと思った。
 もう一つの理由。官邸前の車道に初めて人が溢れた日のこと、赤ちゃんを抱いた見知らぬお母さんが私を振り返り、顔をじっと覗き込んでこう言った。「子供が小さいのでもう帰りますが、あとは宜しくお願いします」と深々とお辞儀をしてくださった。私は託されてしまった。
 最後にテント広場一周年を迎えて、今までテント広場を守り育ててきた多くの人達に感謝の言葉を贈りたい 簡単すぎて恐縮だけど。「有難うございます。そしていつの日か有難うございましたと言える日がくることを」。

.. 2012年09月09日 08:49   No.418008


▼返信フォームです▼
Name
Email
ホームページ    
メッセージ
( タグの使用不可 )
Forecolor
アイコン   ICON list   Password 修正・削除に使用